2013年11月30日土曜日

失業率の上昇を説明する その5 ケインズとマルクス

 新古典派の労働市場論が現実離れした理論であることは、先に示した。それは失業をなくすために実質賃金の引下げを求める。そして、実質賃金の引下げは、結局、(簡単のために物価が一定とすると)貨幣賃金の引下げを伴わなければならない。しかし、そのような貨幣賃金の引下げは、新古典派の想定に反して、むしろ失業を拡大する。
 しかし、たとえ新古典派の雇用理論が間違っているとしても、個別産業や個別企業がより低い賃金を求めていることは事実である。市場競争の条件の下で、価格や賃金率に関して、他の産業や企業がまったく等しい状態にとどまるならば、当該産業・企業の賃金引下げと価格引下げの行動は、その企業の販売量を増やし、当該産業・企業を利するからである。とはいえ、一社だけ、一産業だけがそのような利益を得ることはありえない。すべての企業が他のすべての企業に対して競争関係にあるからである。
 このような分裂、すなわち個別産業の利益と社会全体の全産業の利益への分裂(合成の誤謬)は、言うまでもなくケインズの発見であるが、しかし、その功績はケインズに限定されるわけではない。マルクスもまたそのことを十分に理解していた。
 彼は言う。個々の資本家(企業家)は、賃金の引下げが自社だけに限定され、その他の企業は労働者により多くの賃金を支払うことを希望する、と。その場合、当該企業家は、自社製品に対する有効需要を二重の方法で拡大しうるからである。すなわち、社会全体の賃金からの支出=購買力が上昇し、それによって販売量が拡大するだけでなく、また自社の生産した商品の価格低下によっても販売量が拡大すると期待するのである。
 しかし、このような美味い話は実際には成立しない。社会全体の企業が同じように考え、同じ行動をとるからである。
 この個別企業の利益と社会全体の企業の利益(個別資本の利益と社会的総資本の利益)の不一致がどのように処理されるかは、その時々の社会関係のありかたによって規定されている。
 もちろん1880年代に没したマルクスは、第二次世界大戦後の「フォーディズム」(所得配分における労使の歴史的妥協)を知ることはできなかった。またその後のネオリベラリズムの台頭とフォーディズムの崩壊を知ることもなかった。しかしながら、彼が見通していた資本主義のメカニズムは、現在でも作動している。
 アメリカの偉大な経済学者、J・K・ガルブレイスもまた上記のメカニズムをよく理解していた。彼の著書(Innocent Fraudulence、邦訳『悪意なき欺瞞』ダイヤモンド社)は、資本主義の修正・存続の一つの方法であった戦後の混合経済体制・福祉国家体制が「ネオリベラリズム」によって動揺したばかりでなく、あの古い時代の個別企業・資本家の欲望を解放してしまったことに警告を発することを意図したものでもある。ネオリベラル政策は、古い資本主義がかかえていた問題を甦らせることによって眠っていたケインズを、そしてマルクスまでもふたたび呼び起こしている。

フリードマンの苦しい言い訳

 このブログでも何回も書いてきたように新古典派(米国の主流派)の経済学は、いくつかの非現実的な公準(仮定、前提)にもとづいています。
 ケインズが『一般理論』(1936年)で問題としたように、①規模に関する収穫逓減(ただし最終的にケインズは、これに妥協しました)、②労働者側の労働時間の限界負効用の逓増、③セイ法則(供給はそれ自らの需要を創り出す)、④ミクロ→マクロの因果関係(逆を認めない)、⑤その他、などがそれです。

 多くの場合、この学問的批判に対して新古典派は黙りを決め込むことが多いのですが、時として反論することもあります。その一つを取り上げましょう。
 あるときマネタリストのミルトン・フリードマンが苦し紛れに次のように言ったことがあります。つまり、物理学でも、アインシュタインの言っていることは現実離れしているではないか、と書いたのです。確かに、素人ながら、アインシュタインの物理学(特殊相対性理論や一般相対性理論)を解説書などで勉強すると、絶対空間から独立の時間を認めなかったり、空間が曲がっているとされたり、時間の伸び縮みの話が出て来たりして、素人にはとても「常識」離れした議論のように思えます。
 しかしながら、
 アインシュタインの理論は、決して現実離れした仮定・想定にもとづいているわけではありません。時間は空間との関係なしに存在しえないという想定、等価原理、光速度一定などは、「常識」に反しているように見えても、それが「現実」なのです。
 あるとき私が大学で数学・物理学を勉強している子供にそのことを話したら、馬鹿ではないかと言って笑っていました。自然科学であろうと社会科学であろうと、現実離れした想定にもとづいて作り上げられた理論(仮想空間の性質に関する理論)が役立つ訳がありません。ケインズが考えたのもそのようなことでした。「経済社会の実相」に対立する特殊理論が現実の経済社会の問題解決に役立つ訳がありません。

失業率の変化を説明する その3 失業は労働者の責任ではない

 多くの普通の人は知らないと思うが、実は、経済学(ただし主流派、新古典派の経済学)では、多くのよからざる事柄が労働者の責任とされており、しかもその考え方が政治家(ただし多くは保守的な政治家)によって採用されている。この見解は現実離れした前提に依拠しており、それゆえ現実離れいているが、<巨大企業にとっては>薬にもならないが、毒にもならないので放置・許容されている。
 そのような見解の一つは、インフレ(物価水準の上昇)を労働者の責任とするNAIRU(インフレを加速しない失業率)の理論でる。この理論では、インフレを加速しないように一定以上の失業率があるできであるといい、高失業率を認めるどころか、むしろ求める。この思想は例えばFRBバーナンキ議長も保持しており、日本も参加している仲良クラブのOECDの統計にもその数値が掲載されている。
 もう一つは、労働保護立法などで労働者保護を行うと実質賃金が<均衡水準>を超えて高くなるので、失業者が生まれるという「理論」である。これは、現在の日本の大学の経済学部でも新古典派流の労働経済学の標準理論となっており、普通に教えられている。実は、昔も教えられており、私も学生時代に某教授から教えられたことを思い出す。ただし、その時に違和感(現実離れした感覚)を覚え、それ以来、それを批判することに力を注いで来たので、私にとっては反面教師の理論である。ともかく、この標準理論では、失業をなくすためには、実質賃金を引き下げなければならず、そのためには引下げの妨げとなる労働保護政策の水準を落とし、労働市場を柔軟化し、労働者の抵抗を和らげなければならないというわけある。
 ただし、政治家が有権者に向かってそれをストレートに訴えると、多くの票を失うので、適当なキャッチコピーを考えるのが普通である。「柔軟化」(流動化)についても、<人々の生活様式が多様化しています。あなたにあった働き方を選べます>などといって宣伝するが、実際には、多くの人が「非正規の低賃金労働」を強要される結果になる。
 昔は、こんな経済学は大学の教室で教えられていたとしても、社会では現実離れしたバカ理論として無視されていた。ところが、1970年代以降の経済混乱の中でアメリカ合衆国でケインズが批判され、(1930年代以降信頼を失墜していた)新古典派の理論が台頭してくると、ふたたび脚光を浴びてきたという経緯がある。

 以下では、このことを念頭において現実の経済を分析したり、考えてほしい。
 まず実質賃金を下げると、失業が減るという「理論」であるが、ちょっと考えるとおかしいことがわかる。(以下では、簡単のため、労働生産性は変化しないと仮定する。)
 実質賃金を下げるためには、現行賃金率が不変であれば、インフレーションが生じなければならない。(しかし、NAIRU理論では、インフレは労働者が賃金率を引き上げるために生じるのは?)またもし物価が一定ならば、貨幣賃金率を引き下げなければ、実質賃金率は低下しない。要するに、実質賃金率の引下げは、物価水準の変化に比べて貨幣賃金率が低下することを前提する。
 しかし、貨幣賃金の低下は失業率を引き下げるだろうか?
 ここで2つの場合を区別しなければならない。
 第一は、社会全体ではなく、一つの産業または企業が貨幣賃金率を引下げる(そしてそれに応じて販売価格を引き下げる)場合である。この場合、当該企業は、価格競争上有利になり、販売量を(したがって生産量を)増やし、雇用を拡大するであろう。めでたし、めでたし!
 しかし、これはあくまで、個別の事例であり、社会全体の場合には異なる。そこで、・・・
 第二は、社会全体の企業が貨幣賃金率を引き下げる場合である。この場合、さしあたり確実なことは何一つ言えないことになる。
 もし貨幣賃金率が社会全体で引き下げられたならば、それは社会全体の労働者の貨幣所得を引き下げることになる。そこでもし物価水準が同じならば、実質の消費支出(有効需要)は低下することになる。それは景気を悪化させ、雇用を縮小させることになる。
 もちろん、物価水準は一定ではないだろう。新古典派の別の議論では、物価水準は賃金率に比例することになっている。したがって百歩譲って新古典派の論理にもとづいた場合でも、せいぜい実質の消費支出(有効需要)は不変であるという結論が導かれるだけである。つまり、貨幣賃金の引下げは、雇用を拡大させないことになる。
 第三に、しかし、企業は貨幣賃金を引き下げたとき、実際には、販売物価を同じ率だけ引き下げるのだろうか? もちろん、そのようなことは偶然にしか生じない。
 1997年以降の日本企業の貨幣賃金率引下げの場合はどうだっただろうか? 一目瞭然なのは、日本企業は総体として価格を引き下げたが、それ以上に激しく貨幣賃金率を引き下げたことである。(これについては日銀のレポート(2000年)があるが、前に紹介したことがある。後でも言及することになるだろう。)
 その結果は、如何なるものだっただろうか? それはつぎのようにまとめられる。
1)貨幣賃金率の低下、実質賃金率の低下
2)失業率の上昇
 

 出典)国民経済計算統計資料、労働力調査より作成。

 上図は、最近(1990年代以降)の日本の失業率と貨幣賃金率の変化率との相関を見たものである。このグラフは、よく知られている「フィリプス曲線」の日本経済版であるが、貨幣賃金が低下したときに失業率がいっそう拡大していることを意味している。

 ちなみに、アメリカの経済学者(新古典派総合、新古典派、マネタリスト)は、この「フィリプス曲線」の現実から出発して、上で説明した「理論」を構築したのであるが、一体その矛盾にきづかなかったのであろうか?
 バカと天才は紙一重とはよく言ったものである。

 ちなみに、もう一つ賃金率と失業率は、新古典派の主張するようになっていないという証拠を挙げておく。図は、アメリカの州別の貨幣賃金率と失業率との相関を示す。高賃金が失業率の原因だという証拠はここからは得られない。この点は、1936年に膨大な米国の統計資料を駆使してDouglas大佐が書いた「賃金の理論」(The Theory of Wage)からも明らかだが、同大佐はむしろ労働供給の側から新古典派の理論が現実に合わないことを実証した人物として有名である。 


出典)BEAのデータベースより作成。

失業率の変化を説明する その2 不思議な日本

 まずは下の図(日米英の失業率の推移)を見てほしい。
 この図を見て気づくことがいろいろあるだろう。
 まず英米の失業率に注目すると、1960年代末の「資本主義の黄金時代」末期から失業率は徐々に上がり始め、1970年代の二次の石油危機を経て1980年代にピークに達する。その後、失業率は若干低下するが、1990年代にまた上昇する。(この図では、2008年のリーマンショック後の失業の増加については示していない。)
 次に日本の失業率を見ると、人は、全体として日本の失業率が英米に比べて低いこと、しかし、近年、特に1992年頃から失業率がじわじわと上昇してきたことに注目するかもしれない。また1987年から1990年頃の期間(真性バブル期)の失業率の低下に注目するかもしれない。
 しかし、欧米人なら間違いなく、日本の失業率がかなり低い水準にある(あった)ことに興味を抱き、その理由を知りたがるだろう。私も昔イギリスでそのことを質問されたことがある。しかし、それだけではない。欧米であれば、失業率は普通景気変動に応じてかなり上下する。しかし、図からも明らかなように、日本の失業率は多少の変動を示すものの、折線が全体として「のっぺり」した状態にある。一体どうしてなのか?

出典)Ameco, online databaseより作成。

 以上にあげたいくつかの点をひとつずつ説明してゆこう。



 出典)Groningen University, the Centre for growth and Development, Economic Growth dataより作成。失業者については、一部、Ameco online databaseを利用。

 ここでは、イギリスとフランスを素材として、かつ雇用率の変化の側から説明しよう。上図で、雇用率(ε)の変化率(対前年度比)は、実線の折線で示されている。プラスが雇用率の上昇を、マイナスが雇用率の低下を示す。
 前回示したように、雇用率は産出量の増加関数である。この図でも産出量の増加率が高い年には、雇用率も好転していることが示されている。
 しかし、産出量が唯一つ雇用率を決定する要因ではない。労働生産性(ρ)も大きく影響する。しかも、それ自体としては(つまり労働生産性の上昇がそれ以上の産出量の増加をもたらさない場合には)マイナス要因である。この労働生産性(年あたり)は、労働生産性(時間あたり)(r)と労働者の年平均労働時間(t)に分解される。イギリスやフランスの例が示すように、労働生産性(時間あたり)はかなりのペースで上昇してきた。したがって産出量が相当程度のペースで増加しても、雇用率は低下する場合が多い。
 こうした労働生産性の上昇による雇用率の低下を抑制するのが、労働時間の短縮である。ヨーロッパでは、ここで検討している期間にはほぼ一貫して労働時間の短縮が実施されてきた。言うまでもなく、それは労働生産性(年あたり)を抑制し、失業率の上昇を防ぐ役割を演じてきた。換言すれば、ヨーロッパでは、一種のワークシェアリング(work-sharing)が実施されてきたということができる。


 出典)同上。

 
 日本ではどうだろうか?
 上図に示したように(また上で失業率に即して説明したように)、雇用率は変動しているものの欧米に比べて「のっぺり」とした形状を示している。
 雇用率を高める役割を果たす産出量の増加は、1980年代までかなり高い。基本的には、これが日本の低失業率の「一つの」要因であったことは間違いない。
 ここで注目されるのは、イギリスやフランスでは、早くから年間労働時間の縮小が労働生産性(ρ)の上昇をかなり抑制し、失業の拡大にブレーキをかけていたのに対して、日本では逆に労働時間が1980年代いっぱい長くなっていることである。しかし、それでも雇用率がさほど低下しなかったのは、産出量の高い成長率によるものであった。
 しかしながら、1990年代に急激な変化が日本を襲っていることが図からも示される。
 第一に、産出量の成長率が急速に低下した。
 第二に、それでも労働生産性(時間)はかなりの速度で成長している。(ただし、1980年代と比べると低下していることは間違いないとはいえ。)
 第三に、年間労働時間は、1990年代に低下しはじめたが、そのペースは失業の拡大を抑制するほどのものではない。しかも、この年間労働時間の縮小(それは1997年と2001年に集中している)は「非正規の低賃金」雇用の拡大という形で実施されたのであり、それ自体が問題を持つものであった。

 さて、以上の結論は、われわれの分析の出発点に過ぎないが、それでもいくつかの事実を教えてくれる。そのうちの2、3を示しておこう。
 第一に、失業は、経済状態全体の複雑な変化に関係しており、特に産出量の低下によってもたらされたものである。
 第二に、このことはわれわれをより難し問題、つまりいつまで経済成長を続けるのかとう問題に導く。しばしば<われわれは十分に豊かな社会を作り上げたのであるから、これ以上の経済成長は不必要ではないか>という主張がなされる。この主張はきわめて重要であり、尊重すべき意見である。(「いつまでも経済成長が続きうると考えるのは、バカと経済学者だけ」という名言もある。)しかしながら、現代の資本主義経済には、一つのやっかいな特徴がある。それは産出量が増えなくても、産出が前年と同じ水準で行われている限り、したがってまた設備投資が同じ水準で行われている限り、労働生産性(時間あたり)が上昇しつづけるという否定しがたい事実である。そしてそれは雇用率を押し下げ、失業率を押し上げる働きをする。
 第三に、したがって現代の経済で、失業率を上げないようにするためには、投資(正確には純投資)をゼロにして労働生産性を引き上げないようにするか、それともワークシェアリングを通じて一人あたりの労働時間を縮小するしかない。ただし、その場合、純投資をゼロにしても、減価償却分に等しい投資(粗投資)は行われるので、何らかの技術革新は可能である。
 私は、この最後の点に賛成である。多くの人もそれに賛成するだろうと思う。
 しかし、問題は現代の営利企業や強欲な人々、特に富裕者がそれを認めるだろうかという点(政治的問題)にある。私はこの点に関する限り悲観的にならざるを得ない。

2013年11月29日金曜日

失業の変化を説明する その1 分析ツールの確認

 資本主義経済(企業が労働者を雇用する企業家経済)では、失業が存在します。
 なぜ失業が存在するのでしょうか? 
 それは、企業の雇いたい人数(労働需要)が企業に雇われたいと思う人数(労働供給)より少ないからです。いま前者をN、後者をLとすると、失業者 UNE は、次の式で示されます。

     UNE=LーN

 そこでマクロ的には(社会全体では)、失業は、LとNの両方を説明することによって完全に説明されることになります。
 とはいえ、L(労働供給)を説明するのは、非常に難しいことです。それはまず人口に関係していますが、人口がどのように決定されるかを正確に説明できる人(経済学者)はいないでしょう。人は生まれてから少なくとも15年ほどたたなければ、労働力になることができません。また例えば15〜25歳の人口にしても、すべてが労働を希望するわけではありません。中等教育や高等教育を受ける人もいれば、疾病・障害で働くことのできない人もいます。このように労働供給は、基本的に歴史的・文化的・社会的・制度的諸要因によって決まっています。もちろん短期的には、賃金率を含む労働条件や経済状態も労働供給に影響を及ぼします。賃金率が上がるとき(または下がるとき)人が労働供給を増やすのか、それとも減らすのかは、経済学上の一大問題をなしてきました。また解雇された人がすべて求職活動を行うとは限りません。「求職意欲喪失者」として労働市場から退出する場合があることはよく知られています。
 ここでは、L(労働供給)は、長期的および短期的な諸要因によって決定されるが、簡単には短期的(一年以内)には一定と仮定し、また長期的には「外生変数」であると仮定します。
 この場合には、説明すべき事柄はもっぱら労働需要Nの変化にあることになります。それは一体どのように決定されるのでしょうか?
 すでに以前のブログで示したように、現実の経済では、それは企業によって決定され、次のように、産出量 Y と労働生産性 ρ(一人・年あたりの産出量)の関数に他なりません。
  N=Y/ρ              (1)
   ただし、Yとρは1年間の期間に対応する数値とする。

 ここで、定義から、雇用率 ε は、N/L に等しくなり、失業率 u は、1ーN/Lに等しくなります。
  ε=N/L              (2)
  u=1ーN/L            (3)

 次に、上の(1)と(2)から
  ε=(Y/L)/ρ
 y=Y/Lとすると
  ε=y/ρ               (4)

 ここで、労働生産性 ρ を次のように二つに分解します。
  ρ=r・t  
   ただし、r:労働生産性(一人・1時間あたりの産出量)、t:平均年間労働時間 
 これを(4)に代入すると、
  ε=y/r・t             (5)
 
 次に、証明は省略しますが、数学的には、(5)の両辺の各要因の変化率は、次のように示されることがわかっています。
  ε'=y'ーr'ーt'            (6)
 これで雇用率と失業率(1−ε)の変化を分析するための準備が整いました。
 この2つの式(5)と(6)の意味は、次の通りです。

 雇用率は、産出量の上昇に比例し、労働生産性(時間あたり)の上昇および平均年間労働時間の上昇に反比例する(逆は逆)。

 これは、人々の常識に照らしても明白です。よく考えてみてください。ある工場である製品を生産する場合、産出量が多いほど、必要労働量は多くなります。他方、一人の労働者が1時間あたりに生産することのできる量(労働生産性)が多ければ、それだけ必要労働力は少なくなります。また年間の産出量や労働生産性(時間あたり)が同じならば、労働時間が多いほど必要労働力(人員)は少なくなります。
 したがって上の式は、当たり前のことを数式で言い換えたに過ぎません。しかし、これこそが「現実世界の経済学」にとっては重要です。
 
 失業の説明にとって重要なポイントはいくつかありますが、その一つは、上の数値が時間の経過とともに実際にどのように変化してきたかにあります。そこで日本を始めとする複数の国の場合に即して見ておきましょう。

CO2の人為的増加による地球温暖化? あやしい IPCC の報告書と浪費

 京都議定書から6年。これまで日本だけでも地球温暖化対策に20兆円も支出されているという計算があります。しかも、二酸化炭素の排出量は減るどころか、世界的に増加しています。こんな無駄使いをやめて、教育や社会保障支出、福島の復興にもっとお金を回すべきではないでしょうか?
 こんなことを書くと、「地球温暖化」という大問題はどうなってもいいのかという叱責の声が聞こえてきそうな感じもします。
 しかし、現在、本当に二酸化炭素の人為的増加による地球温暖化(global warmimg、以下いちいち詳しく書くと面倒なので、「地球温暖化」と略記する)が進行しているのでしょうか? この問題について私なりに研究(勉強?)してみましたが、そのように断定することは決して正しいとは思えません。(ここまで書くと、中には「エッ。地球は温暖化しているじゃないの?」という人がいるかもしれませんが、これについては、ちょっと後でそれが怪しいことを説明します。)
 たしかに世の中には<「地球温暖化」は科学的真理であり、まったく疑う余地はない>と主張する自称専門家がいます。しかし、もしそうならば、もう巨費を投じて「地球温暖化」が事実なのかどうかを調査・研究する必要はありません。すぐに研究費の浪費をやめるべきです。
 また、もしそうでないならば、(上のような巨額ではなく)適度な費用を研究の深化のために支出するべきでしょう。しかも、その場合には、「地球温暖化」派にも「地球温暖化」懐疑派にも客観的な研究の推進のための費用を等しく支出するべきです。
 ただし、もちろん「地球温暖化」の当否にかかわらず、地球資源は貴重であり、資源節約的技術や資源再生的技術の研究は行うべきです。石炭や石油、天然ガスの浪費をすすめているわけではありません。

 さて、私がこのように書くのは、「地球温暖化」が多くの優れた自然科学者から懐疑的な意見を提出されているテーマだからです。それは決して自明な事実でもなく、自然科学者が疑いの余地なく証明した事柄でもありません。
 私自身も、今から15年ほど前に、かつて地球の温度変化を調査していた専門家(元名大教授)から「地球温暖化」は、科学者にとって自明な事実ではなく、むしろ非常に難しい問題だと教えられたことがありました。しかし、それでも4〜5年前ほどまでは、「地球温暖化」を深く疑うことはありませんでした。 
 しかし、いわゆる「クライメート・ゲート事件」を知ってから、様々な本を読み、現在の「地球温暖化」研究にまつわる諸問題を知るようになりました。
 「クライメート・ゲート事件」は、日本では何故かほとんど報道されていない事件ですが、簡単に言えば、IPCC や COP15 にも関係する気候データ偽造事件です。英国イーストアングリア大学の気候研究所(CRU)が気候データを捏造し、しかも学問研究にあってはならないことですが、情報開示を拒み、関係者内部でお互いに隠蔽するためにメール連絡を取り合っていたところ、それらの大量の文書がリークされたところから広く世界に知れ渡りました。一応形式上の調査委員会(委員の構成が怪しい委員会)は設置されましたが、基本的に問題はないと報告して解散しました。しかし、何も問題がないどころではありません。多くの問題があったことが今では世界中に知れ渡っています。例えば、「地球温暖化」懐疑派の論文投稿を握りつぶそうとしたこと、科学者にあるまじきデータの恣意的な改ざん(「地球温暖化」に合わないデータ(例えば中世温暖化データ)の切り捨て、近年の温度上昇の恣意的な強調など)、等々。こうして IPCC の第4次報告書は「ホッケースティック曲線」という捏造された曲線を掲載したことが知られています。
 注)ホッケースティック曲線とは、ずっと安定していた温度が近年急激に上昇することを示す温度グラフ。その折線の形状がホッケースティックに似ているために付けられた名称。

 ここでは、「地球温暖化」論の問題を全面的に検討することはできませんが、理解するのに役立つ著書3点を紹介しておきます。

 矢沢潔『地球温暖化は本当か?』、技術評論社、2007年1月。
 スティーブン・モシャー、トマス・フラー(渡辺正訳)『地球温暖化スキャンダル』、日本評論社、2010年6月。
 渡辺正『「地球温暖化」神話 終わりの始まり』、丸善出版、2012年3月。
 
 これらを読めば問題点の概要は理解できると思います。このブログでも紹介したいと思いますが、今日はとりあえず次の点を指摘するにとどめておきます。
 1 一言で言えば、地球の温度変化のメカニズムは実はよく分かっていないといわなければなりません。どんな高性能のコンピュータでシミュレーションをしても本質的には同じ。
 2 過去にも(19世紀の産業革命によって人類がエネルギー源として化石燃料を燃やしはじめる前にも)地球は、きわめて大きな温度変化を繰り返してきました。ここ千年ほどでも中世温暖化、近代寒冷化、1910〜1940年代の温暖化、1940年代〜1970年代の寒冷化、1970年代以降の温暖化などがあげられます。
 ちなみに、1932年前後の「暖冬」のことは、以前のブログでも紹介しました。
 3 CO2が「温室効果ガス」であることは間違いないようです。しかし、温室効果ガスがまったくなければ、地球は人の住めない寒冷地になります。しかも、温室効果ガスは、二酸化炭素だでけではありません。二酸化炭素は大気の0.035%に過ぎませんが、水蒸気(1〜4%もある!)も温室効果を持ちます。ところが、何故か水蒸気については、誰も何とも言いません。
 二酸化炭素は、光合成にも必要な人間にとって必須の物質です。(有害物質ではありません。)
 4 地球の温度変化のメカニズムは複雑であり、太陽活動(特に黒点)の変化、海流の影響、水蒸気、太陽からのエネルギーの吸収と宇宙への放出、太陽と地球の位置関係の長期的・循環的変化、等々が影響しています。
 また地球が温暖化すると、海中にとけていた二酸化炭素が空中に出てくるとも言われています。すると、二酸化炭素の増加は、地球温暖化の原因というよりは、結果ではということになりますが・・・。この点は「地球温暖化」をめぐる別の議論を引き起こします。
 5 多くの人々の中には、都市化による温度上昇(ヒートアイランド化)と地球温暖化を混同している人がいますが、両者はまったく別物です。
 6 21世紀に入って、地球の平均気温は上昇していないばかりか、低下している可能性のあることが様々なデータから見られます。

 今日はまだ11月ですが、私の長年の経験からしてもめずらしく、雪が降りました。
 もちろん、1932年の「暖冬」や今日の「降雪」だけをもって、「地球温暖化」を否定しようとしているわけではありません。しかし、(私を含めて)多くの人が1970年代以降の「地球温暖化」を受け入れて来たのは、実感的に温暖化を感じていたからではないでしょうか? 特にマスコミが「地球温暖化」を具体的な映像をもって示し、実感をもたらす上で大きな役割を演じて来たことは否定できない事実です。ツバルの水没、グリーンランドや南極の氷の音をたてての融解、シベリア凍土の融解、珊瑚礁の白化、シロクマの水死、などなど。それらが「地球温暖化」の客観的な証拠としては誤っているか、怪しいことが後で分かっても、人々はそれを知らされることもありません。ただ温暖化の印象だけが残り、人々はマインド・コントロール状態に陥ったまま、巨額の浪費を許容してしまうことに・・・。

2013年11月17日日曜日

日本の異常な経済状態 賃金の長期的低下の持続


 日本では、1997年以降、従業員の給与総額(貨幣額)が絶対的に減少してきた。もちろん、それとともに一人あたりの給与額も低下している。
 このように書くと、不景気なのだからしょうがない、という人がいるかもしれない。確かにそうかもしれない。しかし、次の2つのグラフを見て欲しい。これらは2つとも財務省の「法人企業統計」から作成したものである。れっきとした政府の公式統計である。
 第1図は、資本金別に3つに分けて、各企業群の給与総額を示したものである。いずれの群でも給与総額は1997年以降低下してきた。
 第2図は、各企業群の「経常利益」総額を示したものである。この図がはっきりと示すように、少なくとも資本金が5千万以上の企業は、経常利益を1997年以降も増やしている。特に資本金が10億円以上の企業については、経常利益は大幅に増えており、2006〜2007年には戦後最大の規模に達してさえいる。
 言うまでもなく、経常利益は、大ざっぱには経済学でいう「利潤」に相当し、そこから法人税が支払われ、残余は配当(株主の所得)、企業の内部留保(投資資金として使われる)などに分かれる。
 法人企業統計をもう少し詳しく見ると、巨大企業が巨額の内部に資金を留保しながら、国内投資に利用せず、巨額の内部資金をためてきたことが知られる。このことは他の経済学者によっても指摘されてきたので、ここで繰り返す必要はないかもしれないが、念のために確認しておこう。また(巨大)株主や巨大企業の経営者がより多くの所得(配当や経営者報酬)を受け取って来たこともよく知られている。「法人企業統計」が語るこのような事実は、ロナルド・ドーア氏がその著書(中公新書)でも明らかにしているので、詳細はそちらで譲ることにしよう。
 ともかく、このグラフは、賃金総額・賃金率が低下する一方で、利潤が増加してきたことを疑問の余地なく明らかにしている。それはまた所得格差が拡大してきたことをマクロ的データを通じて示すものである。
 いったいこのことは何を示しているのか? それが次の問題である。

 第1図 従業員の給与総額(百万円)



 出典)財務省「法人企業統計調査」の時系列データ(2012年度)より作成。
 注)各企業群は、資本金の金額で区分される。賃金と利益の単位は百万円。

所得分配の平等と不平等 北欧と東アジア その1

 米国や英国といったアングロ・サクソン民族の国・地域(コーディネートされない自由市場経済の国)が所得分配の点でかなり不平等であるのに比べると、北欧諸国や東アジア諸国(日本、韓国、台湾など)は、比較的平等なタイプの資本主義国とされている。
 しかし、以外と知られていないかもしれなが、後者の間にはかなり大きな相違点もある。その一つは、政府による所得再分配の政策の効果である。
 北欧諸国は、所得の第一次的分配においてはかなり不平等である。しかし、政府の所得再分配政策(コーディネート)によって不平等は大幅に修正される。したがって再分配前のジニ計数はかなり高いが、修正後のジニ計数はかなり低くなる。そして後者のジニ計数を前者のジニ計数で割った値は1よりかなり小さくなる。
 これに対して、東アジアの所得分配が平等なのは、政府の所得再分配政策によるというよりは、第一次的所得分配が比較的平等であることによる。したがって修正後のジニ計数÷修正前のジニ係数の値は1に近い(1)。
 
 これが少なくとも戦後にあてはまる特徴である。
 しかし、この事実は、次のような重要な事実を意味する。それは政府の所得再分配の効果が日本を始めとする東アジアではかなり小さいことであり、したがって第一次所得の分配が不平等化すると、それを修正する力が作用しないことである。
 実際、橘木氏が指摘するように、日本のジニ計数は近年上昇してきている。
 確かに、これに対して大竹氏のように、不平等が拡大しているかに見えるのは、高齢化によるものであるという見解もある。それによれば、日本では従来から年齢が高い層ほど所得格差が強くなる傾向があったが、高齢化の進展によって高齢者が増え、その比率が高くなったので、格差が広がったかに統計上見えるというものである。
 しかし、これは奇妙な議論である。年齢が高くなるほど所得格差が拡大するという日本の特徴がそもそも問題だからである。
 従来から日本のきちんとした労働問題研究者・社会政策学者の間では、大企業と小企業・零細企業との格差、正規と非正規の格差という二重構造の問題性が指摘されてきた(2)。こうした構造下で高齢者のコーホートほど格差が拡大していたのである。そして、これを修正することこそが日本社会の抱える課題であったはずである。ところが、1997年以降の日本企業の雇用戦略の転換は、それを修正するどころか、むしろ拡大する形ですすめられてきた。従来からそうだったでは済まないはずである。
 
 この問題を以下でもういくつかの側面からもう少し詳しく検討することとしよう。
                               (続く)

 参考文献
  サミュエル・ボウルズ(佐藤良一、芳賀健一訳)『不平等と再分配の新しい経済学』
(大月書店、2013年)。
  野村正実『雇用不安』(岩波書店、1998年)。  

日本の原風景 私の実感的「葦原中国」論

 『現代思想』の12月臨時増刊号に三浦祐之氏の論考「出雲と出雲神話」が載せられていて、そのテーマの一つは「葦原中国」(あしはらのなかつくに)となっている。
 その道の専門家の間ではよく知られているようだが、記紀の世界で大国主命が天孫族に国を譲ったとき(といっても、実際は武力で奪われたのであるが)、その譲られた国の名前が「葦原中国」とされている。
 三浦氏の論考は、その国名は奪われた大国主命の命名によるものではなく、奪った側(高天原の天孫族)によって名づけられたものだと主張する。おそらくその通りであろう。氏が述べるように、古い時代の日本は国号を持っておらず、自分たちの国を単に国と呼ぶか、自分たちという意味で「わ」(我)と言っていたと考えられる。ところが、中国(漢)と外交関係を持ったとき、中国側から「倭」(わ)・「倭国」という字を当てられ、そう書かれてしまった。その後、「倭」ではまずいと考えたヤマト王権が日本という国号を用いた、といったところである。
 それと同様に、記紀の中でも、大国主命の側が自分たちの国の特別な名前で呼ぶことはなく、征服する側が「葦原中国」と呼んだと考えられる。
 ところで、その「葦原中国」であるが、「中国」は、どうも高天原(上)と根の国(下)との中間にある国というほどの意味であり、決して世界の中心にある国(中華)という意味ではないらしい。
 葦原の方はどうか? もちろん葦(アシ)の生え茂る原というほどの意味であることは間違いないだろう。
 私には、この「葦原」ほどぴったりする言葉はないように思われる。多くの古代史研究者は、おそらく都会育ちであり、あまり「葦原」を実感できないのではないかと考えるので、田舎育ちで葦という植物を肌で知っている立場から、若干、説明してみたい。
 生物学的には、葦は「イネ科ヨシ属」の植物に分類されている。元々の名称は「アシ」だったが、「悪し」に通じるので「ヨシ」(良し)と呼ばれるようになったという。イネ科ということからも分かるように、湿地帯を好んで生息している。
 ただし、葦(またはヨシ)は、湿地帯を好むといっても、あまり水深の深いところには群生しない。同じ湿地帯でも水深の深いところには、マコモという同じイネ科の植物(マコモ属)が群生することが多い。また、それよりももっと水辺の、一番の水際に生えるのが「ガマ」(蒲)と呼ばれる植物である。因幡の白ウサギの説話では、ワニに丸裸にされたウサギが大国主命に教えられて蒲の穂にくるまって傷を癒すが、蒲の花粉(蒲黄)は漢方薬の一つである。新潟県には古代から蒲原郡と呼ばれる郡があったが、新潟平野は「潟」と呼ばれる湿地帯・沼地に覆われていたので、文字通り蒲原だったのであろう。出雲平野も昔は相当な湿地帯・潟の土地だったはずである。
 ちなみに、ヨシやマコモに似ている植物に茅やススキがあるが、それらは湿地ではなく、もっと乾燥している土地に生える。湿地帯の中の小高い所(島、シマ)にススキが群生する所以である。
 
 さて、縄文時代が終わり、弥生時代が始まって、われわれの祖先が山間地から平地に移って来たとき、その平地のほとんどは河川沿いの湿地帯であり、そこで葦(ヨシ)に覆われていたに違いない。
 葦(ヨシ)は、背丈が2メートルを超す植物であり、その繁殖力は尋常ではない。人々が水田開墾を始めたとき、湿地の排水に苦慮したことは言うまでもないが、葦を取り除くことに多大の労力を要したことも容易に推測される。いや、ひとたび開墾して美田にしたあとも油断すると、葦は勢いを取り戻すことがあった。
 私の母は、田圃の周辺に葦が繁殖することを嘆き、よく「ヨシ」どころではなく「悪し」だといっていた。
 実は、私も嘆いている。というのは、両親が高齢となり耕作を放棄した土地を相続したが、排水のことを考えずにそのまま放置していた。もちろん、その結果、かっての美田はあっという間に「葦原」に戻ってしまった。何年か前に夏にその葦を刈り取ろうとしたことがあった。かつて水田だった葦原に桜の木を植えて桜の名所にしようと考えて苗木を植えたが、夏になったら桜の苗木が背の高い葦の原に埋没してしまい、どこに植えたのかも分からなくなってしまったためである。そこで、新しい釜を購入し、葦の刈り取りにいどんだ。しかし、私自身の日頃の運動不足もあったとはいえ、それよりも、葦が密に生え、背丈も高く、茎が堅かったために、2、3時間でわずかな面積を刈り取っただけで疲れてしまいダウン。しかも新調した鎌の歯はぼろぼろになってしまった。
 そういえば、魏志倭人伝に、次のような記載があった。
 「又一海を渡ること千余里、末盧国に至る。四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して行くに前人を見ず。」
 この草は間違いなく葦だったと密かに思う次第である。

 それはともかく、葦原を水田に変えるには、冬期の作業に頼るしかなかったであろう。また湿地を乾燥させるか、逆に(一時的にせよ)葦が生息できないほどの水深にするしかない。当時の人々が葦原をどのようにして水田に変えたのか、もちろん、その方法を私は知らない。
 ともあれ、縄文時代から弥生時代はもちろんのこと、奈良・平安時代になっても、日本の平地の多くは茂盛する葦の原だったことは間違いないと考えるしだいである。現在、田舎のほとんどの土地は田畑になっている。しかし、それは奈良・平安・鎌倉・室町・江戸時代における開墾の所産である。日本の原風景、それは葦、マコモ、蒲などの繁茂する原だったであろう。