2016年6月28日火曜日

連合王国(イギリス)のEU離脱を考える(2)

 昨日から今日にかけて私の身のまわりで小さなできごとがいくつかありました。
 その一つ。亡くなった義母が家の庭に放置してあったサボテンを、今春、私が大きめのポットに植え替え、土を替え、毎日水やりをしていたところ、すくすくと成長しはじめ、3日ほど前からきれいな黄色い花をつけ始めました。ところが、昨日の朝、見るとポットごとなくなっていました。
 二つ目は、私の眼のこと、三つ目は老齢年金のことですが、こちらは省略します。一言だけ書くと、私も高齢化し、あちこち故障が出てきたと実感せずにはいられません。

 さて、イギリスのEU離脱ですが、次に進む前に、前回の補足を一言。誤解されないようにもう一度繰り返すと、私にとっても今回の国民投票の結果はとても残念です。しかし、すべての事象には様々な原因があります。仏教でも、「法界縁起」(dependent-rising)と言う通り、すべての事象はすべての事象と関連しると理解されています。
 といっても、説明したことにならないので、重要な点だけを指摘すると、まず前回の話は、EU地域統合が多くの人々にとっては、自分たちの職と所得を損なうものと感じられていたという形に要約できるでしょうか。巨大企業の活動から利益を得る1パーセントの人々にとってはともかく、多くの人にとってはそれらの利益が自分たちの職と所得を犠牲にして得られたものと考えられているという事実が重要です。要するに<1パーセントと99パーセント>の対立。ちなみにマスメディア人は、1パーセントと利益を一にしているといったら言い過ぎでしょうか?

 
 第二に、日本のマスコミの場合に特に感じるのですが、人は2008年以降のEU債務危機を忘れているように思えてなりません。イギリスを中心とする多くの経済学者が指摘するように、分断はEU内部で、しかも国境を越えて生じています。これについては、これまでも指摘したことがあるので、ここでは簡単に記しておきます。
 そもそもなぜあの深刻なEU債務危機は生じたのでしょうか? ギリシャ人やポルトガル人、イタリア人がなまけものだから? これは世界中のマスメディアが垂れ流した説ですが、謬論です。この意見には、働き者でまじめなドイツ人が怠け者のギリシャ人などの生み出した財政赤字を補填してあげる必要などないというおまけまでついています。
 真相はそうではありません。むしろ働き者でまじめなドイツが金融危機の種をばらまいたというしかありません。まずドイツの金融は周辺国に大量の資金を散布しました。その時の謳い文句は、<通貨統合によって為替リスクはなくなった>、<市場統合は効率的な大規模経済を生み出した>、<周辺国も低金利という経済成長のための有力な手段を得た>などなど。そして周辺国(主に企業や住宅を購入する個人など)はその資金を大量に借りました。その金はどのように使われたでしょうか? ドイツからの輸入です。しかも、ドイツの輸出企業は(単一通貨という固定相場制の下で)いっそう輸出を促進するために、賃金の抑制をはかり、「単位労働費用」を抑えました。これがどのようなマクロ的効果を生み出すかは、経済学をかじったことのある人には明らかです。その効果とは、内需抑制と輸出志向型の成長戦略です。(ちなみに、日本も1997年以降、同じような罠にはまりこんでしまい、賃金圧縮→デフレ→国内市場の縮小→輸出拡大待望論という連鎖が人々のマインドになっています。安部・黒田氏が「デフレマインドからの脱却」といっても定着しているので、そう簡単に脱却できません。)ヨーロッパは、イギリスも含めて、金融資産バブルにはまりこみました。しかし、すべてのバブルはいつかはじけます。そして実際はじけました。きっかけは2006年にはじまる米国の金融不安の進展です。
 ここで一つ補足のための余談。何年か前に大学の市民講座で、EU債務危機を取り上げ、上で述べた金融危機のメカニズムに触れたところ、後の質問時間に、低賃金のギリシャと高賃金のドイツが同じ土俵で競争したら、ドイツ企業が敗れるのではないかという若いサラリーマン(ビジネスマン?)風の人から質問がありました。まあ教科書経済学ではそうなるのかもしれません。しかし、現実はそうではありません。どうしてかというと、技術水準があまりにことなるからです。決してギリシャ人をあなどっているわけではありませんが、ドイツ人の生産するような高度な機械類を現在のギリシャが生産できるわけではありません。たしかに現在ではマニュアルと機械、部品などがあれば、ボーイング社の飛行機のようなものはどこでも生産できるでしょう。しかし、それはそのような条件が整えばの話です。
 ということで、短期間でギリシャが技術水準(労働生産性)のレベルでドイツに追いついたわけではなく、ドイツ企業の「単位労働費用」抑制戦略のために、ドイツと周辺国の輸出競争力は縮小するどころか、むしろ拡大してゆきました。
 さて、その際、EUが単一通貨を導入していなければ、あるいは導入したとしても、それがかつてケインズが唱えたような世界通貨(決済通貨)であれば、為替調整が行われるので、ドイツの物価(賃金)が抑制され、周辺国の物価(賃金)が上がれば、不均衡が生じても、最終的には為替調整が生じ、均衡を是正することになるでしょう。これは実際、戦後イギリス(ポンド危機)やフランス(フラン危機)が、そして1970年代に米国(ドル危機)が経験したことです。
 しかしながら、単一通貨の下では、為替調整はありえません。そして現実に生じたのは債務危機です。
 しかも、この債務危機に際して、最終的にそれを抑える役割を負っているのは各国財政です。
 ここで、EUのしくみが大きな問題となってきます。ここでは2点だけあげておきましょう。
 第一に、ECB(欧州中央銀行)は、本来的には欧州全体の中央銀行であり、したがって「銀行の銀行」として機能するという役割があり、本来は、量的緩和(不良債権の購入など)によって金融危機をおさめることは反則です。実際にはこの反則行為を通じて何とかECBはEU債務危機をおさめようとしてきましたが、それが違法行為であることに変わりはありません。
 第二に、本来、各国の債務危機は各国の政府・財政にまかせられることになります。ここで重要な点は、欧州政府といったものが存在しないことです。あまり適切な例ではないかもしれませんが、日本政府と、3.11地震で被災した東北3県の例をかんがてみます。もし日本政府が被災し財政危機におちいった東北3県に対して自力更生せよという態度を取ったら、どうなるでしょうか? 収入が減り、支出の増えた自治体は債務危機に陥り、増税と緊縮(支出カット)をせざるを得なくなるでしょう。もちろん、日本には統一政府があり、そのようなことにはなりません。しかし、ヨーロッパはまさくしくそのような状態です。増税と緊縮。これがその国の国民経済にどのような苦悩を与えるか、私などは想像するだけで身震いするほどです。
 という次第で、現在、協働と連帯の「一つのヨーロッパ」が存在するわけでは決してありません。もしそのように考えている人がいるとしたら、それは幻想です。むしろ現在ほどヨーロッパが分断されている時はないと、私などは考えます。(ちなみに、ここではいちいちヨーロッパの経済学者の名前はあげませんが、ここで述べているのは私だけの考え方というわけではありません。後日、そのうちの何人かについては触れることになるかと思います。)

 それでは、ヨーロッパはどこに向かうべきなのでしょうか? 前に進むには、一つのヨーロッパを建設するためのビジョンと現実的な手段が必要ですが、現実の分断状態を考えると難しいといわざるをえません。しかし、かといってEUや単一の解体は簡単ではありません。それは激しい痛みを伴うでしょう。この点では、単一通貨に参加しなかったイギリスは幸いだったというべきかもしれません。EUを離脱しても、ポンド通貨を新たにつくることは必要なく、また鎖国体制を建設するわけではありません。現在ではどこでも関税率はきわめて低く、貿易を阻害する要因としてはあまり機能していません。 (続く)
 

2016年6月26日日曜日

連合王国(イギリス)のEU離脱を考える(1)

 昨年の11月にブログを更新してからあっという間に半年あまりが過ぎてしまった。
 この間、退職と移転を前に身のまわりを整理したり、引っ越しをしたり、体調をくずしたり、退職後にちょっとした国内旅行をしたり、しているうちに、(数えるとちょうど)7か月が過ぎている。

 さて、先日はイギリスのEU残留・離脱を問う国民投票があり、また国内では7月10日の選挙をまじかにひかえ、マスコミも様々な視角から取り上げているので、私も、経済および経済学を研究しているものとして、それらについて若干の雑感じみたものを書いてみることとする。

 まずは、イギリスのEU離脱について。
 これについて、私の気持ちはアンビバレントである。一面で、イギリスがEUから離脱することは、いうまでもなく「一つのヨーロッパ」(one Europe, eine Europa)の理念からすれば、後退であろう。残念という気持ちがなくはない。しかし、他面では、それでよかったのではないかとも思う。残念ながら、日本のマスコミ(というよりテレビ報道)では、ほとんどまったく取り上げられていないが、現代のEUには様々な問題が存在する。あるドイツの経済学者の述べるように、「一つのヨーロッパ」などもともと存在せず、実際には、ばらばらに分断された国々があり、そして各国内には分断された人々がいるというべきであろう。欧州統合が先に進むためには、それらの問題を解決することが前提条件である。
 というと、人々(特にヨーロッパの状況にそれほど詳しいわけではないが、ヨーロッパ旅行をしたことのある日本人など)の中には、EU内では国境が存在せず、ヒト・モノ・カネの移動が自由なのではないか、と考える人も多いかもしれない。確かに、その通りである。しかし、ヒト・モノ・カネの移動が自由ということは、決して人々が協働・連帯し、それに満足しているということではない。

 よりわかりやすく説明するために、より具体的に述べるべきかもしれない。
 これはイギリスのケンブリッジ大学で教えている韓国出身の経済学者(ハジュン・チャン氏)のあげている例だが、イギリスのタクシー運転手とエジプトのタクシー運転手の所得は著しくことなる。前者は後者より一けた多くを稼いでいるだろう。その理由は何か? 決してイギリスの運転手の労働生産性が高いからではない。むしろ逆でさえありうるだろう。つまりエジプトの運転手の方がより多くの客を、より長距離運んでいるかもしれない。格差の本当の理由は2つある。一つは、イギリスの製造業の労働生産性が著しく高いからであり、多くのサービス業従事者がその恩恵を受けているからである。もう一つの理由は言語や文化、国境の存在が人の自由な移動を妨げており、そのためエジプトの運転手は所得の高いイギリスに容易には移住できないからである。もちろん、このことはイギリスのタクシー運転手に限らない。開発途上国のサービス産業従事者は、国境(ヒト・モノ・カネの自由移動を制限する壁)によって所得の上昇を阻止されており、逆に先進国の側の人々は開発途上国並みの所得水準に低下することを阻止されている。先進国のサービス産業従事者は、ヒトの移動を制限する国境によって所得低下をまぬがれているのである。
 さて、EUの内部には、イギリス・エジプトほどではないとしても、西側・北側の相対的に高所得の国・地域と東側・南側の相対的に低所得の国がある。この内部で労働力の移動が自由となった場合、何が生じるか(あるいは何が生じていると人々が考えるか)は、ほぼ自明である。そして、もし人が、低所得地域出身の労働者によって職と所得を侵されていると考えた場合、どのような態度をとるだろうか?

 確かに、この場合、マクロ的に考えると、人口が増えるのだから、社会全体の総所得・総生産(GDPなど)が増え、購買力(有効需要)も拡大し、景気がよくなると考えることもできなくはない。しかし、ここで次の問題が生じる。
 その一つは所得分配の問題である。本格的に経済学をかじった人なら必ず学ぶはずだが(もっとも米国流の主流派経済学では、なぜか教えない)、簡単に言うと、人びとの所得Yは賃金Wと利潤Rに分かれる(Y=W+R)。賃金は、普通の労働者が稼ぐ所得であり、利潤は会社(内部留保)、株主(配当)、経営陣(役員報酬)などの受け取る所得である。問題は、近年、どの国でも賃金が抑制され、その分、利潤が増える傾向にあることである。端的に言えば、99パーセントの人々(賃金所得者)の所得が抑制され、1パーセントの富裕層が大幅に増加している。
 なぜか? 端的に言えば、この理由は利潤所得取得者の力が相対的に強くなったためというしかない。しばしば市場経済優先主義者は、多数の競争者からなる「自由市場」が公正に資源配分・所得配分を決めるという。アメリカで主流派の経済学を学んで帰った日本の経済学者もそのようなお題目を唱える。しかし、偉大な経済学者が明らかにしたように、実際にはそうではない。現実に存在するのは、何万人、何十万人もの従業員を雇用する巨大企業(big business)であり、その株主とトップ経営者が巨大な権力を持っている。これがガルブレイスの明らかにした「現代の産業国家」というものである。
 たしかにヨーロッパ諸国が米国と異なって手厚い社会保障制度を有することは事実である。アングロサクソン系の自由市場経済(英米など)と大陸ヨーロッパの社会的経済が対比的に論じられる所以である。だが、このことは、私がすぐ上で述べたことと矛盾しない(専門の経済学者の中にも、この点を誤解している人がいるので、この点は特に強調したい)。イギリスでもフランスでもドイツでも(!)、利潤を優遇した賃金抑制は近年のはっきりした傾向である。1990年代以降のEU経済を見る場合、この点を無視して通ることはできない。1997年以降の日本では、平均賃金の下落(主に非正規雇用者の増加による)を経験してきているので、この点は容易に実感できるだろう。

 実は、第二の問題もこの点に関連していると考えられる。しかし、この点については日を改めて触れることとしたい。 (続く)