2017年7月24日月曜日

2015年末以降の安倍内閣支持率上昇の謎? 

 時事通信社などの世論調査(安倍内閣の支持率)で、きわめて不思議なことがある。それは、2013年から急落傾向を示していた支持率が反転し、今年のはじめまで上昇しはじめたことである。その後、急落し、現在(7月24日)には20%台にまで落ち込んでいる。趨勢を直線で表すと、当初の60%前後から現在の20%台まで、下降トレンドの直線が描ける。時事通信社の調査だけでなく、他の調査結果でも、程度の差はあれ、同じようなトレンドが確認される。
 いったい何があったのだろうか?
 この年の重要な政治的出来事は、安保法制(戦争法)の成立(9/19)である。
 この法律は、集団的自衛権を前面に出し、米国との軍事同盟を強化し、米軍と共同歩調を取り、場合によっては日本を攻撃していない国に対する先制攻撃も辞さないというものであった。この法律に対する国民の疑念は強く、それはとりわけ成立直前に支持率をいっそう押し下げるように作用した。
 ところがである。反転が生じ、2016年度を通じて、支持率は回復した。
 一体、2016年になにがあったのであろうか?
 2016年には次のような出来事があった。
  国内
   熊本地震
   天皇のお言葉(安倍首相に対する批判という意見もあり)
   障害者施設19人刺殺事件
   TPPの可決→米トランプの反対で流産
   日銀マイナス金利の決定(金融政策の破綻)
   消費税率引き上げ延期(選挙前)
   宜野湾市長選 → 沖縄非難のヘイト番組の登場
   自衛隊の海外派遣
  外国
   北朝鮮弾道ミサイル、核実験、潜水艦ミサイル、核実験
   ベルギーテロ
   仏テロ
   ドイツ銃乱射事件、トラックテロ 
  
 国内には、これといって安倍内閣の支持率を引きあげるような出来事は一つも生じていない。しかし、海外での出来事となると別である。
 中でも注目されるのは、ヨーロッパにおけるテロの頻発と、北朝鮮の弾道ミサイル、潜水艦ミサイル、核実験(2回)である。
 安倍内閣がこれを利用したことは、私が指摘するまでもない。一方では、米軍と共同行動を取り、北朝鮮を刺激することまで行った。他方では、それを忖度した組織があらわれた。NHKはまるで戦時中であるかのようなニュースを流し、また東京では電車がとめられたり、屋外に出ないように注意する町内放送があったりした。要するに、北朝鮮に対する危機を煽り、国民を軍事立国承認の方向に導いたことは間違いない。これについては、前のブログでも書いたが、私が驚くほど、真に受けた人が多かった。
 また世論調査でも、内閣支持率に対する質問の前後に、北朝鮮関係の質問を入れ、一種の誘導質問として利用したことは、まったく明らかである。
 しかし、この点でも流れは若干変わった。韓国における保守派(朴)にかわり進歩派の大統領が誕生した。またトランプは中国と会談し、中国と北朝鮮との外交関係にゆだねる方向に一応は向かった。それに日本の国民の多くは、北朝鮮から一方的に攻撃を受けると信じるほど判断力が低いとも思われないし、むしろ北朝鮮を刺激し(または攻撃し)、金ジョンウンが正気を失ってやけっぱちになるほうが怖いことも理解しているだろう。
 しかし、支持率がふたたび反転し、低下に向かうきっかけとなったのは、森友と加計のアベ友学園問題(疑惑)であろう。それとともに懐憲(立憲制の破壊)のために安倍政権が行ってきた悪行の数々がふたたび人々の脳裏に戻ってきた。
 現在の低支持率は、本来の趨勢がたどるはずの帰着点と一致する。
 調査は、不支持の理由として、安倍晋三が信頼できない人物であるという理由を明らかにしている。まさにその通りである。虚偽、隠蔽、秘密外交、圧力、国民に対する動員の指示、不遜、憲法・法の無視・軽視など、政治の私物化など、あらゆる悪徳がこの人物にはつきまとっている。「云々」を「でんでん」と読むだけのことであれば、可愛いものである。
 安倍晋三という人物の姑息さを多くの人はこんどこそ忘れないだろう。いや、忘れないでほしい。なによりも自分自身のために。


 

 


安倍氏の経済政策の経済的帰結 21 ポスト・アベノミクスを考える

 例え話しをしよう。
 いま人が道を歩いており、途中で道を間違えたことに気づいた。どうするべきだろうか? 一つの方法は、来た道を引き返して正しい道にまで戻ることである。これは着実だが、時間も労力もかかる。もう一つは、いまいる場所から目的地に到着する経路を探すことである。これは時間と労力を省くかもしれないが、迷う可能性も高い。またもう一つ、これまで来た道を歩き続けることもありうる。さらに、現在の場所にとどまるという選択肢もありうるかもしれないが、「不思議の国のアリス」ではないが、一箇所にいるためには、走り続けなければならないというのが、資本主義経済の一つの特徴である。(これについても、以前ブログで説明した。)

 もう一つの例え話しをしよう。日本経済は病気にかかっていると考える。「日本病」(Japanese disease)となづけておく。病気といっても軽いものから重篤のものまで様々だが、かなり重篤ということにしておこう。
 この重篤患者には、これまでも様々な種類の治療が試みられたが、どれも効果がなかった。ところが、ある医者が現れて、それらすべての治療法をミックスし、しかもそれまでの治療とは「量的・質的に異次元」の治療をすればなおるかもしれないと考えて、治療を行った。抗生剤などの投薬量は格段に増えた。しかし、医療の現場ではよくあることだが、従来の長期にわたる治療薬の投与のせいで、効果はなくなっており、耐性菌がうまれていたため、副作用だけが拡大してしまった。
 例え話しはあくまで例え話しでしかないが、あえて比喩的に言えば、日本経済の現状は上のようなものだろう。
 
 ところで、金子勝・児玉龍彦『日本病』(岩波新書、2016年)は、まさに日本の経済社会が「日本病」にかかっていることを示した本だが、学ぶべきことが多い。
 その中でも「エピゲノム」という生化学上の概念からの類推(アナロジー)を用いて、日本経済の特定方向への迷走を示していることが興味深い。複雑系に属する経済や経済学の世界では、従来もしばしば生物学からの類推によって複雑な経済社会の動きを説明するこがよくあったが、たしかに経済と生物という複雑な有機体には共通性がある。
 さて、エピゲノムであるが、それは生物個体の発生に関連している。生物学では初歩的なことだが、人の身体は数十兆個もの細胞からできており、その一つ一つに核DNA(X染色体とY染色多)や複数のミトコンドリアDNAが含まれている。そこには遺伝情報が書き込まれている。
 しかし、不思議なことに、人は最初の一つの細胞(受精卵)から細胞分裂を繰り返して、複雑な有機体を構成するに到る。最初の細胞は、出発点となる「万能細胞」である。しかし、不思議なことに、細胞分裂を繰り返すうちに、ある部分は(例えば)胃となり、他の部分は骨となり、心臓となり、肺となり、その他諸々の臓器などになる。
 これは細胞分裂を繰り返す中で、特定の細胞にはその細胞の分裂の履歴(記憶、情報)が書き込まれており、その履歴情報にしたがって次の分裂時の、その細胞の位置づけ・機能が決定される。胃が胃となるのは、こうした制御系(エピゲノム)のおかげである。

 実は、現実の経済世界でも、このエピゲノムに類似した機能が大きな役割を果たすと言えそうである。つまり、現実の市場経済(資本主義経済)では、いつでも同じ環境がずっと続いているのではなく、様々な履歴情報がどこかに記憶されており、それが次の経済状態(状態、秩序、レジームなど)を生み出すと考えられる。
 こえと関係している系論(コロラリー)は次のようなものである。
 それは、経済社会は、こうした履歴情報によってしだいに、または(時には)急速に変化してゆくが、必ずしも好ましい方向にゆくとは限らないことである。生物体でも、エピゲノムの状態しだいでは「死」を導くことがありうるように、経済社会が破滅的に方向にむかって進むこともありうる。実際、特定の経済社会が比較的長期にわたって、特定の方向にむかって、「破滅」に到るまで進みつづけることは、しばしば見られたことである。これは、従来の制度派経済学の「経路依存」(path dependency)と関係づけられるようにも思われる。

 しかし、例え話しや類推をいくらしても、あまり意味がないかもしれない。
 一つだけ、現実の経路をできるだけ簡潔に説明しよう。
 1980年代、米国のレーガン新自由主義政策、特に高金利政策によって米国はドル高を招来してしまった。米国への国際資金フローとともにドル高・円安が生じ、(当時の状況では)ドイツと日本の輸出攻勢を招いた。米国から見ると、資本収支の黒字、貿易収支の大幅赤字である。このとき、レーガンは、日本経済社会の閉鎖性が米国製品の輸入ブロック、資本移動ブロックをもたらしているというシナリオを武器に、日本に金融・資本移動の自由化を強要した。
 しかし、これが1980年代後半、とりわけ80年代末の「真性バブル」を惹起したことはよく知られている通りである。そして、それが1990年代の金融危機を発生させてしまった。この時、銀行は大量の不良債権をかかえたため、その処理に追われ、大企業も利潤の相当部分を不良債権の処理に使用しなければならなくなった。この記憶は、よくもあしくも、まだ日本社会に残っている。その処理が最終的に宣言されたのは、2006、07年頃である。
 しかも、1990年代には、賃金を圧縮・抑制することによって国際競争に耐え、利潤を拡大し、(企業の国際的買収に備えるためにも)企業の内部留保を増やそうという指向が強まっていた。だが、個別企業の観点から見れば、それでよいとしても、それは社会全体として経済の萎縮をまねく方策にすぎない。また、この間、所得税の限界(最高)税率の引き下げ(富裕者優遇策)、法人税の減税(大企業の優遇策)が実施され、政府歳入の低下をまねき、政府粗債務の雪だるま式の増加をまねいたうえ、今度は健全な経済発展を疎外している財政悪化をなくし、「財政健全化」を達成するためという理由づけ・名目で消費税増税が行われた。それが、いっそう有効需要を圧縮し、経済社会全体の萎縮を招いたことはいうまでもない。

 本来なら、ここで来た道を引き返すか、別の方向に転換するべきだっただろう。
 しかし、ここでアベ政治と「アホノミクス」が始まってしまった。それは、従来試みられてきた政策を、拡大された規模で実施するものであった。
 1、異次元の金融緩和
 2、消費増税、プラス 法人税の減税
 3、円安による輸出指向、だが逆に貿易収支の赤字が拡大した
 4、円安と対になっているドル高による輸入インフレ、家計を直撃
 5、雇用流動化 これらは「一億総活躍社会」や「働き方改革」といった耳ざわりのよい言葉で飾られているが、人々の総動員を指示するものである。
 6、主に消費増税によって歳入が増加したため、政府の国債発行額は減少している。したがって一見すると、必ずしも俗にいう「ケインズ政策」(赤字財政の拡大による政府支出の拡大)を実施していないように見える。しかし、社会保障費が抑制される一方で、軍事費は拡大している(軍事ケインズ主義)。そもそもこれがアベ政治のめざすところであろう。
 
 しかし、その帰結(パフォーマンス)は、すでにこれまで示してきたことだけからでも明らかなように、お寒い限りである。人々の実質所得(賃金所得)は増加しておらず、家計はまったく潤っていない。会社の内部留保は、マイナスGDPの年にさえ増加してきた。

 しかも、この4~5年間のアベノミクスによって大きく変化したため、問題はもっと深刻になっている。
 それは日銀が国債を400兆円以上も保有し、また日銀とGPIFが日本における最大の株式保有者となって官制相場を生み出したということである。しかし、GPIFと日銀がどんなに頑張っても、世界全体の投資家の株式売買額、保有額にはかなわない。海外投資家は、やすい時に株式を購入し、日銀やGPIFが官制相場を生み出して株価を高めても、純利得を得るために売却する力を有している。それは株価を大きく下落する力を持つ。
 こうして政府、公的年金基金、日銀があぶないカジノ取引に精を出し、一生懸命にアホノミクスの宣伝にやっきになっている。
 一方、労働側の状態を制度的に改善するための方策は、取られていない。むしろ、残業代ゼロにみられるように逆となっている。

 しかし、悲しいことに、こうした状況を前にして、政治家や経済学者、企業者がすべて全体を見渡す力を持っているわけではない。また企業者はそうした力を持っているとしても、個別企業の経営者として社会全体のために行動しようとはしない。それは自殺行為である。
 また情報履歴の点から見ると、人々は、通常、自己に関係する部分の履歴情報を持っているにすぎない。また人々は、ほぼいつも「他の事情が一定ならば」(other things being equal)という仮定を自明のものとして、自分や自分の周囲を観察している。もちろん、こうした状態からは、いま歩いている道が誤っているという結論が自動的に出てくるわけではない。

 一つの可能性は「破局」がつづくまで、歩みつづけるというものである。ある人が述べたように、「希望的観察」を現実と考え、現実を見ないようにする、わが農耕民族の性質がわざわいしているという見方に立てば、その可能性は低くないといわざるを得ない。
 ただし、この「破局」がどのようなものとなるかを、正確に予測することはできない。そもそも社会をなす人々の行動は不確定であり、社会の将来は不確実である。
 もう一つの可能性は、主導的な立場にあるリーダー(知識人、政治家)が「日本病」を正確に診察・理解し、大きい影響力を発揮して、人々に代替の道を示し、それを有権者が受け入れることである。



2017年7月23日日曜日

安倍内閣支持率 26%に転落(毎日新聞)

 世論調査は、ある時期には時の政治権力にとって宣伝となりうるが、局面が変わると一転してきびしい批判に転じることがある。
 前にも列挙したことがあるが、アベ政治は、これまで軍事立国をめざして、様々な姑息政策を実施してきた。
 1、アベノミクスの「三本の毒矢」、いかがわしい新アベノミクス
   国民瞞着、これまでの自民党政策を総動員したにすぎない危険な政策
 2、特定機密保護法 政府にとって都合のわるい情報の隠匿を合法化
 3、解釈改憲 違憲を表明した内閣法制局長官の強行的に交替させた(戦後初)
 4、戦争法 集団的自衛権(軍事同盟、先制攻撃も辞さず、日本を攻撃していない国に戦争をしかける権利。)もちろん、国連は好ましくないものと考え、様々な条件を課している。
 5、大学に対する軍事研究の要請・圧力
 6,共謀罪 何をしたら犯罪になり処罰されるのか不明。複数の人が何かについて話しただけで処罰される恐れあり。国連による疑義・批判に対して、誠実に回答する義務があるにもかかわらず、逆に非難した。国会質疑では、法務大臣が説明できず、放棄。参院では、委員会採決をせずに、本会議で強行決議。
 7,森友学園、家計学園疑惑
   説明を一切放棄し、文書の隠匿、省庁への処分を示唆しつつ圧力をかけてきた。
   菅官房長官などは、「怪文書」などと発言した。(後に「怪文書のようなもの」と言ったと馬鹿馬鹿しい言い訳をしている。)
 8、大臣の失態、失言、虚言、秘密外交、参考人質疑時の安倍首相の逃亡
   これについては、毎日のように報道されており、多すぎる。
   嘘の一例:TPPについての選挙前の反対、選挙後の積極的推進
    (嘘はつかないと言いながら、嘘をついてきた)
   ちなみに、TPP交渉は秘密裏に行われてきた
    (国民は内容を知らないのに、賛成か反対かという世論調査が実施されいてた!!)
 9、マスコミへの言論介入、メディア統制
   読売新聞やサンケイ新聞の自民党「広報紙」化
   (読者からも厳しい批判を受け、購読の取り消しも相次いでいるらしい。)
10、警察の忖度、圧力?
   安倍友の違法行為を放置し、批判者はきびしく取り締まる。
11、中国と韓国、北朝鮮との緊張関係を自ら生み出し、利用して国民を煽り、安倍政権の軍事立国主義(戦争できる国、兵器輸出、原発輸出など)を推進してきた。
12、総じて安倍首相による政治の私物化、政治家は有権者から選挙で選ばれるという姿勢を欠如させ、国民を総動員したり、国民に指示を出すという態度があからさまになっている。(実は、こうした態度は、「アベノミクス」の初発から現れていた。「デフレ心理」「デフレマインド」を脱却しない国民(や経済学者)が間違っているという不遜な態度が見られていた。

 まだまだあるが、項目をあげるだけでも大変である。その詳細はとても短いブログでは書ききれない。これだけひどいことをしてきた内閣は、少なくとも戦後に関する限りは、ない。
 こう書いてくると、これまでマスメディア、特に読売新聞や共同通信社などが安倍内閣の高い支持率を公表してきたこと自体が不思議な現象だったといわざるを得ない。
 しかし、これまで比較的無関心であった国民も、森友学園疑惑(アッキード事件)をきっかけに、真実を知り始めた。またアベ政治に迎合してきたマスコミも、さすがに態度を変えざるを得なくなった。週刊紙もそうであり、特に注目されるのは、週刊新潮や週刊文春がアベ政治批判に転じたことである。
 
 私は今春、「横須賀市民九条の会」のリーフに「安倍政治に対する信頼は今後しだいに低下してゆく」と書いたが、その予測が的中して、嬉しいかぎりである。
 毎日新聞の調査では、低下は加速度的に進み、なんとダブルスコア(支持26%、不支持56%)の危険水域に到達した。
 これもあきらめずに、ジャーナリスや市民が地道な活動を続けてきたことによるものである。
 政治の世界では、市民が主役であり、政治家は市民=有権者の審判を受ける立場の人々である。政治のこうした根本原理をないがしろにし、安倍晋三が指示・指令し、国民を動員するという態度に人々が異を唱え始めたことは明らかである。上記の安倍政治とは、そうした態度から生まれたものに他ならない。
 もはや私たちが求めるのは「詳しい説明」などではない。
 多くの市民とともに即刻退陣を求めたい。

毎日新聞の調査結果

2017年7月21日金曜日

安倍氏の経済政策の経済的帰結 20 なぜ成長なのか? 軍事と戦前回帰のためです

 安倍晋三氏が「成長」を政策目標としてきたことは、これまで繰り返し説明してきたとおりである。
 しかし、経済政策を分析する者は、それにとどまらず、さらにその先を、すなわち、その目的が如何なる妥当と思われる手段によって達成されるのかを問うと同時に、その目的が政策立案者の如何なる価値理念と関連しているのかを問わなければならない。これは、かつてマックス・ヴェーバーが「社会政策」を論じたときに、提起した事柄である。もちろん、その価値理念が政策達成手段とどのような関係にあるかも問わなければならないことは言うまでもない。
 
 さて、「チーム・アベノミクス」(安倍、黒田、岩田、浜田、他)が全体としてどのような価値理念を共有しているかは、必ずしも明らかではないが、安倍晋三氏については、かなり明らかである。一言でいえば、それは日本の軍事大国化であり、改憲、とりわけ戦力(軍隊)の保有を禁じている憲法9条の改訂し、合憲的に海外で戦争することができるようにすることにおかれている。
 このことは、浜矩子さんが「アホノミクス」を分析した著書の中で、はっきりとさせている。詳しくはそちらに譲ることにして、ここではできるだけ簡単にすませることにしたい。
 「新・三本の矢」の一つ、(名目)GDP600兆円もこの軍事をねらいとして出されてきたものである。
 このような「価値理念」(ここではさしあたりそれに対する価値評価を保留する)に沿った政策手段は、もちろん、例えば格差の縮小や、社会保障の充実を目的とした政策手段とはおおきく異なることとならざるをえない。
 例えば、これまでの日本で大きな問題とされてきた正規従業員と非正規従業員の所得格差を解消するための政策を採用する場合、それもまた名目GDPの増加をもたらす政策になることが予想される。
 簡単のために、実質GDPの増加がない場合を考える。出発点において例えば70%を占める正規従業員の賃金率を(例えば)2500円/時間とし、30%を占める非正規従業員(労働時間はフルタイムの半分とする)の賃金率を(例えば)1000円/時間とする。もし後者を2倍に上げる(2000円/時間)とすると、企業の人件費総額は、8%ほど増えることになる。それが平均して8%のデフレーターの変化(物価上昇)をもたらすとすると、名目GDPも8%ほど増えることになる。500兆円のGDPは540兆円となる。増加した40兆円は、主に低賃金の非正規雇用者の所得の増加に充てられることになる。それは所得再分配政策の結果生まれたインフレーションということができる。
 しかし、アベノミクスが志向しているのは、このような方策ではない
 確かに安倍晋三氏は、様々な演説の中で、社会保障の充実に触れないわけではない。しかし、それは社会保障政策の充実を重要視している国民・有権者に対するいわば「おまけ」、「隠れ蓑」、「リップサービス」であり、彼の軍事優先政策を実現するための有権者の瞞着にほからない。
 安倍氏が成長、名目GDP600兆円にこだわるのは、それが軍事費の拡大を許容することにつながるからである。GDPが名目であれ増加しないことには、国民の間での軍事費増は反感を買うだけである。そのことは、安倍氏もよく承知している。
 だが、安倍氏の場合には、それはきわめてわかりやすく演説等に現れている。その最大の目的が軍事(「強い国を取り戻す」)にあることは、氏の発言や具体的な政策項目にきわめてよく示されている。しかも、それはなりふりかまわず名目GDPを増やすための様々な資源を動員しようとする政策と結びついている。
 1,統計の動員(規準の改定など)
 もっともてっとりはやいのは、GDP統計の処理法である。これによって、かなりの程度のGDPの水増しが期待できる。実際、これは米国ではずっと以前から実施されてきたことであり、必ずしも新基軸ではない。もちろん、専門家は騙されないが、一般の国民すべてが専門家というわけではない。
 2,兵器輸出、原発輸出、観光業の促進
 安倍氏は、兵器であれ原発であれ、それが世界の平和運動に逆行しようと、いっさいおかまいなしに輸出を促進する。
 観光業もまた輸出サービスの一つである。その結果かどうかは別として、現在日本には中国や韓国を中心として東アジア、東南アジアから多数の観光客が日本を訪れいている。こうした政策志向が、安倍氏によって潜在的な敵国と見なされている(らしい)中国や、(安倍氏を熱烈に応援してきた)ネトウヨなどが嫌っている韓国からの観光客に依存しているいことは皮肉である。
 3,「一億総活躍社会」、労働の強制、企業に対する激=指令
 「働き方改革」などというと、ちょっと聞くと聞こえはよいかもしれないが、内実は「働かせ改革」となっている。労働者を「付加価値製造装置」なみに扱い、何としてもGDPを拡大してみせたいという安倍氏個人の期待がみえみえである。
 浜矩子氏がしているように、「同一労働同一賃金」も「世界一企業が自由にできる国」を標榜するだけあり、企業経営者の意向にそった制度構築に他ならない。労働に即した制度構築ではなく、企業の付加価値および利潤の産出に対する貢献という観点からの「同一労働同一賃金」がおよそどのような帰結をもたらすかは、はっきりしている。
 年金給付開始年齢を75歳に引きあげるという提案も、決して国民のためのものではない。たしかに、それは有権者の多くを反対に向かわせるのではなく、むしろ高齢者vs生産年齢人口との間に亀裂・対立をもたらす可能性(危険性)もある。しかし、現在の生産年齢人口も将来の高齢者である。それは年金制度の基礎を掘り崩し、その結果、現役世代の消費をけずってでも貯蓄をするという性向を高めるかもしれない。だが、その結果はさらなる消費の低迷と、その結果として生じる設備投資の低迷、労働生産性の停滞を導く確率・蓋然性がきわめて高い。
 安倍氏は、日本人が長期停滞の中で「自信」を失っており、その自信を取り戻させると言い、また明治や昭和の日本人に出来たことが現在の日本人にできないはずがないと檄をとばしているが、日本人が失ったのは「自信」などという心理的なレベルのことではない。もし失われたものが「自信」であるならば、たしかに「自信」をつけさせるのは大切なことであろう。
 しかし、本ブログでも述べてきたように、日本社会が失ったのは、橋本・小泉構造改革によって破壊された様々な領域における様々な制度である。その中でも、労働生産性の上昇を労働時間の縮小や賃金引き下げにつなげるような制度的破壊がすさまじい。人々はただこの制度的破壊に対応した行動をとっているにすぎない。
 政府は相も変わらず「トリクルダウン」の類推に頼っているが、そんなものは自動的には生じないし、生じる道理もない。経済は穴のあいた「たらい」ではない。たらいならが、降雨とともに雨水が下に漏れるだろう。しかし、企業が貯めたマネーは、企業が賃金(人件費)として従業員に配るように決定しない限り、いつまでたっても庶民にはまわってこない。こんなことは、中学生や高校生でも理解できる初歩的な事実である。いつまでも国民を騙し続けることはできない。(だから政府も公式の答弁では、トリクルダウンを否定している。)
 こうした状況の中で、「自信」を失っているからとして、「自信を取り戻しなさい」と檄をとばし、「一億総活躍社会」といって人々に労働を指示し、企業に指令する。現在では人は自分のことは自分で決める。そのための制度的な基礎を構築するのが政府の役割である。指示・指令は、余計なお節介であり、まるで一昔前のソ連のようだ。そこでは、党中央や中央の計画機関が様々なスローガンをかかげて檄をとばしていた。もっとも、それに対するめざましい反応はなかったため、ソ連は崩壊したのであるが・・・。

 

安倍氏の経済政策の経済的帰結 19 焦点は安倍・黒田後のことに

 アベノミクスの限界、「物価2%」6度目の先送り、黒田日銀での達成断念。
 
 今日(7/21)の東京新聞一面の見だしにはこのように書かれている。
 黒田総裁は、「デフレ心理が根強く残っている」とし、物価の伸び悩みは企業が商品・サービスの値上げや賃上げに慎重なためと繰り返した、そうな。また短期金利をマイナス0.1%とし、長期金利を0%に抑える現行の金融緩和策を据え置き、という会見のポイントも示されたようである。

 このような「リフレ論」が効果をあげることができない理由は、再三指摘してきたので、ここでは多くを繰り返さないが、「物価2%」目標について、あらためて次の2点を指摘しておきたい。

 1,もはやお題目とかした「物価2%」だが、これがアベノミクスの目標全体にとってどういう位置づけになるかを考えてみよう。安倍氏は、政権につくにあたって「長期停滞」「デフレ不況からの脱却」を政策目標としてあげていた。しかし、1990年代初頭からの日本の実質成長率は平均しても1%を超えていた。もしそれを「不況」と規定し、それを超える成長率、例えば2%ないし3%の成長率をターゲットとするならば、それは物価2%プラス実質成長率2ないし3%で、名目4%~5%もの成長率を目標としたことになるだろう。
 かりに低めに4%の名目成長率を実現していたとすれば、2013年初から2017年末の5年かにかけて、実に22%の国民粗所得の上昇をもたらしたことになる。もし賃金がそれと比例して増加したら、月収30万円の水準が36、7万に上昇したことになる。5%の名目成長率なら38万円を超える。これはすばらしいパフォーマンスというしかない。確かに安倍氏は「アベノミクスによって歴史に名を残す」ことになったであろう。
 もちろん、現実はミゼラブルであり、物価上昇のほとんどは、消費増税と輸入インフレによるものである。しかも、それらは両方とも、国内家計の可処分所得を減少させる方向に作用させるものであり、その限りで、またその程度におうじて成長にとってはマイナス要因である。これまで述べたことの繰り返しになるが、輸入インフレがなぜ国内家計の可処分所得を減少させるかと言えば、輸入インフレは外国商品の価格の上昇を意味し、それはとりもなおさず、日本人の支出増による外国人の所得の増加を意味する。
 このような輸入インフレによる可処分所得の減少は、かつて1970年代の石油危機に際してもっとも激しく生じた。それは、原油価格の激しい上昇を通じて、石油輸入国の可処分所得を2%ほど引き下げる結果をもたらした。その結果は激しいデフレ効果である。もちろん、石油輸出国では逆の効果が生まれたことは言うまでもない。
 ともあれ「物価2%」・「所得4%」という数字は、夢のまた夢というしかない。「黒田殿、ご乱心めされるな」とでも言いたくなうような数字、殿の正気さを疑わせるに十分な数字である。

 2,しかし、黒田氏は言うかもしれない。それこそ「デフレ心理が根強く残っている」ということに他ならない、と。また黒田氏は次のように考えているかもしれない。自分は絶対に正しい。間違っているのは、企業、家計(個人)の「期待」や「心理」であり、その心理さえちょとと変わるだけで、事態はよくなるはずだ、と。またこうも考えているかもしれない。人々(企業や個人)の正しい「期待」形成を邪魔するような経済学者が悪い、と。その場合、言うまでもなく、私のような人は悪い経済学者に入れられてしまうだろう。
 これは私の勝手な想像であり、そうではないかもしれないが、もし黒田氏がそう考えているとしたら、合理的な「期待」の形成を阻止する大きい力を一部の経済学者が持ったことになる。
 しかし、思い返してみると、2013年には、マスメディアでは、アベノミクスがどのような経路を通じて経済をふたたび力強く成長させるに到るかを解説するエコノミストたちが大活躍していた。彼らは、マスコミに登場することもなく、日影で活動していた経済学者よりはるかに人々の「期待」に影響を与えることができたはずである。しかるに、人々の「期待」が変わることはなかった。なぜか? 
 人々は、金融の領域における政策はそれだけでは「所得」「賃金」という実体経済の領域における制度・環境を変えることがありえないということを経験から感覚的に知っていたからである。家計が「デフレ心理」を抜け出すこともなく、消費を拡大することもなかったのはそのためである。他方、企業はそのような人々の心理と行動を織り込んで、経営を行い、賃金を決定する。たしかに、業を煮やした安倍首相の要請にもいったんは応えた。しかし、背に腹は変えられない。「その他の事情が同じならば」(other things being equal)、利潤の縮小を意味する賃金の引き上げなどにはそうそう簡単には応じられないからである。また賃金の引き上げを余儀なくさせるような力(例えば労働組合)も著しく弱い。こうして賃金所得が増加しないから、人々は(実質)消費を増やすこともない。かくして人々の「デフレ期待」が再生産される。

 さて、幻想は幻想にしかすぎないことが多くの人に知れわたってしまった。裸の王様は裸だということが広く知られたのである。
 安倍首相も終わり、黒田日銀も終わる。だが、その後に何が来るのであろうか?
 現在日本の経済政策をめぐる焦点はそこに移りつつある。 
 そして、その際、アベノミクスが終われば、それでよしというわけではない。その負の遺産が残されているからである。


2017年7月20日木曜日

安倍氏の経済政策の経済的帰結 18 国家資本主義的統制経済か?

 佐和隆光氏の『経済学のすすめ』(岩波新書、2016年)は、いろんな意味で関心を引く良書であり、一読をお勧めしたいが、その中でアベノミクス(安倍氏の経済政策)について触れたところがある(98ー100ページ)。
 最初にその箇所を要約しておこう。
 一体アベノミクスは「新古典派」なのか、「ケインズ派」なのか、と問題提起したのち、佐和氏はそのどちらでもないとして、「国家資本主義」と断定する。その証左は次の通りである。
 1,日銀のインフレターゲット論は、個人や企業の(期待や行動の)多様性を認めない新古典派仮説の典型であり、上位下達の愚民政策である。
 2,インフレ期待が成長と賃金上昇に結びつかないことに業を煮やした政府は、経団連に賃金引き上げを要請した。労使交渉に政府が介入するという前代未聞の挙。(国家主義の一連)
 3,政策が「期待」という人により異なる要素に依存しているため、政府は、マスメディアにおけるエコノミストの発言に用心深くなっている。冷水をあびせるような発言を封印しようとしてきた。(メディア、市民監視の一例)

 安倍氏の政策運営は、法案の強行採決に見られる通り、自由主義と民主主義を踏みにじるという点で異例きわまりない。安倍国家主義への懸念は、いまや日本国内を越えて国際的なものとなっている。その一例はフィナンシャル・タイムズの社説「安倍の国家主義のゆくえを懸念する--NHKの国家統制を憂う」である。

 結論。中曽根・小泉元首相は保守主義者であり、社会的・政治的には秩序と伝統を重んじるが、経済的には徹底した自由主義者(新自由主義者、構造改革論者)だったが、安倍晋三氏は、社会的・政治的には両元首相と立場を同じくするが、その経済政策は政府主導の統制色が強い。

 私も基本的には、この佐和氏と同じように、安倍経済政策の国家主義的色彩を強調しておきたいと思う。
 しかし、若干注意が必要なのは、佐和氏も否定しないと思うが、安倍晋三氏は決して「新自由主義的」な政策をイデオロギーとして全面的に放棄したわけでは決してないことである。
 そもそも「新自由主義」政策に対して財界から決して強い批判が出てこなかったこと、むしろ現在でもそれを推進すべきという声が強いのは、新自由主義が大企業の利益にマッチしているからであり、その限りにおいて、である。法人税や企業の社会負担に対する不満が(場合によっては、それを理由とした脅しが)並べられるのは、そのことを明確に示している。
 このように一方で新自由主義を声高く唱えながら、他方では富裕者、特に大企業の経営者、株主、金融関係者の利害を忖度するのは、現在の資本主義経済の常である。
 このことを明確に指摘したのは、米国では、ジェームス・ガルブレイス氏の『プレデター国家』(2008年)であった。すでに20世紀末から米国の保守派・プレデター(捕食者たち)は、「自由市場」を放棄している。それは依然として彼らのキャッチ・コピーではあっても、彼らと国家権力との癒着が進行している。これがガルブレイス氏の結論であった。またガルブレイス氏は言う。彼らは、軍事支出の拡大はもちろん、社会保障(年金)、教育に対する政府支出などに必ずしも反対しない。もちろん、それが彼らの利益に奉仕するからであり、その限り、その程度に応じてである。しかも、その際、もし必要とあれば、「自由市場」の効用を宣伝することもいとわない。

 これが現在米国や日本で進行中の事態であることを心に銘記するべきであろう。

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