2015年5月21日木曜日

万国の労働者よ、競争せよ!?

 今から20年ほど前に英国・ロンドンのハーゲート墓地にマルクスの墓を見にいったことがあります。
 入口に中年の女性がいて料金を受け取り、かつ案内をしていましたが、別のある人から事前に言われていた通りでした。彼女は私のめあてがマルクスの墓であることを見抜き、「マルクス? この道をずっと行きなさい。途中左に曲がることがあっても、決して右に曲がってはいけません。」と注意してくれました。(この意味はお分かりと思いますが、・・・。)
 さて、墓には「万国の労働者よ、団結せよ!」(Workers of All Countries, Unite!)というスローガンが書かれていましたが、今私が思うのは、そのスローガンがいまやグローバル化の進展とともに、「万国の労働者よ、競争せよ!」(Workers of All Countries, Compete!)となっていることです。
 
 実際、グローバルなメガ競争の条件下で生き延びるには、低賃金・長時間労働を耐え忍びなさい、さもなければ失業しますよ、というトレードオフの主張がマスコミを通じて宣伝され、人々の常識になった感があります。
 しかも、私が驚くのは、どう考えても将来は企業に雇われて働く労働者(従業員)となるであろうと推測される学生の中にも、(明らかに自分の利益に反するにもかかわらず)それに積極的に同調する人がいるようだということです。が、その点は置いておきましょう。
 問題は、現在のような生産年齢人口が減少しつつあり、したがって社会全体の総需要=総生産が停滞しているような状況の中では、競争の激化が多くの働くサラリーマン諸氏にとって苦しい状況を生み出すという点にあります。
 ちょっと考えてみてください。人口も増加したけれど、それ以上に総需要が急速に拡大していたようなかつての黄金時代であれば、一人一人のセールスマンは販売量を拡大することができたでしょう。しかし、総需要が増えない現在では、一人が売上げを増やせば、他の誰かの売上げがかならず低下します。それは花札のように合計点がゼロになるゼロサムゲームのようなものです。
 このような状況では、勝者の出現とともに必ず敗者が出ます。多くの人が激しいストレスを感じて、脱落すること必至です。企業内の労働生産性も当然低下します。また社会は心身ともに病んだ人々で一杯になるでしょう。犯罪者も増えるかもしれません。
 このような時に精神論をぶってもむだです。ヤマト魂と竹槍で近代装備の米軍に勝てないように、原理上無理なのですから、どうしようもありません。
 
 ではどうしたらよいでしょうか?
 総需要を増やせばよいかもしれませんが、人々にとって不要なものを無理して生産して売っても、人々が豊かになるわけではありません。
 しばしば国内で売れないならば、外国への輸出を拡大すればよいという主張をする人がいますが、よくよく考えてみましょう。われわれは自分たちで消費もしない(つまり自分の豊かさに関係ない)モノを何が楽しくて自分たちの苦役によって外国人のために生産しなければならないのでしょうか? それとも今買いたいものはないけれど、将来のためにお金は貯めておきたいということでしょうか? これは苦役によってお金を貯めることを意味しますが、私の意見では、苦役によって心身を消耗させ、結局、医療費にお金を使うことになるよりは、楽しく自由な時間を過ごした方がいいように思います。

 もっといいのは、ワークシェアリングによって一人あたりの労働時間を短くすることですが、それは労働者の競争ではなく、団結によってしか実現されないだろうと考えられます。というのは、利潤の増加を目的とする企業はそのようなことを認めたくないでしょうからです。
 実は現代の最大の問題は、こうした企業の利己的な行動原理にあると考えられます。実に企業はしばしば生産能力を拡大するために必要以上に設備投資をすることがありますが、その結果、固定費が増加して以前より販売量を増やさないと利潤を増やせなくなったり、費用の増加を人件費のカットでまかなったりするためにリストラするという行動に走ったりします。もちろん、黒田さんがどんなに異次元の金融緩和をしても事態はかわりません。問題は貨幣供給(日銀当座預金)の不足にあるのではないのですから。

 私はここで社会主義を実現しようと提案するわけでは決してありませんが、「万国の労働者よ、団結せよ!」が社会全体の共生を実現する上で、実に素晴らしいスローガンであったと思わずにはいられません。
 

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