2012年12月24日月曜日

転機となった1997年 4

 前回、橋本「財政構造改革」が1997年の景気後退を招き、1998年3月期までに不良債権を大幅に拡大したことを説明しました。
 もう少し不良債権について検討しましょう。
 現在、金融庁のホームページには、2002年以降の不良債権(金融再生法開示債権、リスク管理債権)の詳しい統計が掲載されていますが、それ以前の時期については、ほとんどデータがありません。そこで、1997年3月〜1998年3月の不良債権については、その構成、増加の要因を統計資料にもとづいて示すことはできませんが、不良債権が大幅に増加した2001年3月〜2002年3月以降の時期(小泉「構造改革」期以降)については詳しいデータが掲載されており、非常に参考になりますので見ておきましょう。
 一口に不良債権(つまり正常債権以外のパフォーマンスの悪い債権)といっても、その内容は様々です。まず「リスク管理債権」とされているものの中には、破綻先債権、延滞債権、貸出条件緩和債権などがあります、また「金融再生法開示債権」は破産更正等債権、危険債権、要管理債権に分けられています。
 また注意いなければならないのは、それらのグループが決して固定的なものではなく、正常債権が不良債権になり、不良債権の中でも要管理債権が危険債権に変わったりすることもあれば、危険債権が要管理債権に変わり、不良債権が正常債権に変わることもありえることです。
 しばしば不良債権の「処理」と言う言葉が使われ、政府も2005年度をもって不良債権の「処理」が終了したと宣言していますが、その意味も多義的です。普通、不良債権の種類に応じて「引当金」を準備する間接償却や、貸借対照表からの最終的なオフバランス化を意味する直接償却を処理の内容としてイメージすることが多いかと思いますが、その他に不良債権が正常債権になるケースもあります。もちろん(繰り返しになりますが)不況の中で、一方で不良債権の処理(オフバランス化)が行なわれ、不良債権が減少しているはずなのに、他方で正常債権が不良債権化するため、不良債権が増加するといったこともあります。
 しかも経済社会は複雑系の世界であり、ceteris paribusという呪文が効果を持たないといったことが生じていることを、ここでも指摘しないわけにはいきません。医学の世界では、腫瘍を取り除けば患者が健康を取り戻すといった風なことは当然のことかもしれませんが、経済の世界では、不良債権を無理に処理した場合、不況と金融危機が深刻化し、正常債権が不良債権化するといったことが生じるかもしれません。
 1997年の場合、橋本政権(または大蔵省?)は当時の金融の状態を正しく把握しておらず、根拠なく楽観視していたふしがあります。また2001年の小泉政権の場合も、当時の金融の状態を正確に把握せずに結果的に金融危機を亢進する政策(構造改革)を推進した可能性が高いといわなければなりません。
 しかし、2001年以降の「構造改革」については、後に詳しく検討することにして起きます。ここでは、不良債権のオフバランス化が推進される一方で、正常債権が不良化していたこと、また不良債権の中でも要管理債権の「下方移動」が生じていたことに注意を喚起するにとどめておきます。





 

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