2015年6月19日金曜日

賃金主導型の成長を擁護する

 マルク・ラヴォア(Marc Lavoie1)の編著になる『賃金主導の成長』(2013年)が ILO (国際労働機構)の支援を得て、出版されています。また今年、トニー・サールウォール(A, Thirlwall)の『ケインズ派とカルドア派の経済学』、パルグレイブ社から出版されています。

 マルク・ラヴォアは、カナダの経済学者で、著名なポスト・ケインズ派の理論家。サールウォールもイギリス生まれの著名なポスト・ケインズ派の経済学者です。ここにポスト・ケインズ派というのは、ケインズの研究・問題提起を真面目に受け止め、それをさらに発展させた経済学を志向する人々の総称であり、出発点は、1930年代のイギリス、ケインズを中心に経済学研究をすすめてていた一群の人々(ケインズ・サーカス)にあるといっても間違いではないでしょう。具体的には、ハロッド、ジョウン・ロビンソン、カルドア、カレツキなどのそうそうたる経済学者ですが、その後、イギリスだけでなく、他のヨーロッパ諸国や、大西洋を渡って米国やカナダ、中南米にも、また日本にもその共鳴者が現れます。米国では、制度派・オーストリアン派の影響を受けていたジョン・ガルブレイスもケインズの強い影響を受けるようになりました。さらにフランスのレギュラシオン学派も、ケインズ派、ポスト・ケインズ派から多くの要素を取り入れています。
 これらの人々に共通しているビジョンは、資本主義経済(企業者経済、貨幣的生産経済)では、完全雇用が必ず実現されるという保証はなく、むしろ逆であるというものです。したがって、非自発的失業をなくし、完全雇用を実現するためには、政策的努力(つまり資本主義の修正)が必要となるという結論が導かれます。
 ちなみに、米国を中心にしげ「ニュー・ケインジアン」なる学派があり、一見すると、ケインズの思想を受け継いでいるかのように思われるかもしれませんが、それは誤りです。彼らはケインズ派どころか、ケインズの基本的な主張に反したことを主張している「反ケインズ派」ですが、これについては後に触れます。

 さて、賃金主導とは何でしょうか?
 このことを知るには、経済学の歴史を少しさかのぼる必要があります。
 実はケインズが『一般理論』(1936年)で展開した理論は、それまでの(新)古典派といわれる人たちの雇用理論(労働市場論)を根本的に批判し、新しい理論を準備するためのものでした。
 ケインズが直接批判の対象としたのは、ピグー(Pigou)という人のあらわした『雇用の理論』(1930年)ですが、このピグーの本は、簡単に要約すると、高い実質賃金(または実質賃金の上昇)が失業を拡大する、と主張するものでした。ケインズは、このピグーの結論を支える2つの公準があると指摘していました。
 2つの公準のうち一つは、実質賃金が高いほど労働供給(労働者が働きたいと考える時間)が多く、実質賃金が低いほど労働供給が少ないという傾向があるというものですが、これが成立しないことは、ちょっと考えれば誰でもわかります。もし賃金率が低いのに、わずかな時間しか働かなければ、所得はものすごく少なくなるでしょう。普通は逆です。一定の所得を得るためには、より長い時間は働く必要があります。また賃金率が上がれば、人はより短い労働時間で以前と同じ所得を実現することができます。(これは、アメリカのダグラス大佐『賃金の理論』(1936年)で実証されています。)
 それによく考えると、労働供給は、ほとんど長期の歴史的・社会的・文化的条件によって決まっています。例えば今年22歳になって働き始める人は、22年前に生まれているのです。現在の賃金率が高いから22年前にさかのぼって生まれたわけではありません。ま昔はた多くの人が15歳には働いていましたが、現在の日本では20歳で働いている人の方がはるかに少ないことは誰でも知っています。
 そこで、ラフに言うと、短期には労働供給は一定と考えてもよいでしょう。いずれにせよ、ピグーの公準の一つは崩れました。

 もう一つの公準はどうでしょうか? これは労働需要(企業による雇用量=時間)実質賃金率の増加関数だというものです。つまり、企業は、賃金率が低ければ多く雇い、賃金率が上がれば雇用量を減らすという関係です。
 これは何だか正しそうな気がするかもしれません。実際、個々の企業にとっては、低賃金は費用を抑えることを可能とするわけですから、その点に関する限り魅力的で、実行してみたいという思いに駆られるかもしれません。しかし、それは企業家の願望であって、本当にそうかは、じっくり検討する必要があります。

 実は、ケインズは不覚にもこの公準を認めてしまいました。しかし、それでもケインズは、この公準が短期の公準(つまり時間のない静態的世界で当てはまる公準)にすぎず、現実の動態的な世界には当てはまらないと考えていました。
 簡単に言えば、現実の経済(貨幣的生産経済)では、人々が意識しているのは実質額ではなく、貨幣額(賃金の場合には貨幣賃金率)です。もしピグーの言うように、失業率を下げるためにと称して、社会全体・企業全体(個別企業を問題としているのではなく、社会全体を問題としていることに注意!)が貨幣賃金を下げた場合、実質賃金は低下するでしょうか? もちろん、頭の中の思考実験で<もし物価水準が同じならば>という仮定をおけば、そうなりますが、これはトートロジーであり、現実とは関係ありません。実際には、もし貨幣賃金の引き下げが、諸物価の低下をもたらすならば、実質賃金は、①変わらない、②下がる、③上がる、の3つの可能性があります。
 さて、19世紀から1930年代にかけて現実はどうだったでしょうか? が、これについては、いつか詳しく論じます。

 ケインズにとってもっと問題だったのは、現実の動態的な世界では、雇用量は直接に実質賃金率に関係しているのではなく、生産量に関係しているという事実です。簡単な例で説明しましょう。いま、ある会社がある期間に製品1000単位を生産しようとしています。また、その期間に一人あたりの生産能力(労働生産性)が100単位/人だとします。この場合、必要な労働力は10人(=1000単位÷100単位/人)となることは子供でも分かります。
 また生産量は、その生産物に対する有効需要(貨幣のうらづけのある需要)によって決まります。もちろん、企業は需要を予測して生産に踏み切るかもしれませんが、売れ行き不振で在庫が増えれば、生産を縮小します。つまり、最終的には、企業は有効需要に王位て生産することに疑いはありません。
 それでは、貨幣賃金率を引き下げた場合、この実質有効需要(生産量)は本当に増えるのでしょうか?
 これに対して「増加する」と答える人は、どのような根拠をもってそのように言えるのでしょうか? ケインズは、このように答える人に対してまず論理的な誤りを指摘します。
 もし貨幣賃金率が引き下げられたとき、ceteris paribus(その他の条件が等しいならば)、つまり社会全体の貨幣表示の総有効需要(金額)が不変という仮定を置くならば、確かに雇用は増えるかもしれません。それは貨幣賃金率の引き下げと雇用量の拡大が瞬時に行われることを意味しており、wN=w’N’ (N’>N、w’>w)となります。もちろん、その際、新しい雇用量に応じた生産量(実質有効需要)が即座に生まれるということも前提=仮定されていることになります。
 しかし、これは特定の仮定を置いたから成立するトードロジーに他なりません。あらかじめ結果が成り立つという仮定の上で結果を導いているだけですから、成り立つのは当たり前です。これを同義反復(tautology)と言い、ケインズは冷笑したわけです。
 リアルタイムの中で経済諸活動が営まれている現実の世界では、貨幣賃金率の引き下げが決して実質有効需要(生産量)を増やすことはない、むしろこれがケインズの推論であり、実証することに成功した事実でした。

 しかも、後日談ですが、ケインズが不覚にも認めた公準自体が誤りであることが、次々に明らかになりました。
 先ず1930年代以降に実施されたオックスフォード経済調査が「規模(労働)に関する収穫逓減」の法則を否定し、短期においても、実質賃金率が雇用量の減少関数だと主張する根拠が失われました。この事実は、その後米国で行われた調査(1950年代のアイトマンとガスリー、1990年代のアラン・ブラインダー他の調査)でも確認されています。
 さらにケインズの『一般理論』の刊行後、彼の教え子・弟子だったターシス、他、それにケインズとは独立に有効需要の原理にもとづく経済学を樹立していたカレツキなどが、貨幣賃金率と実質賃金率の関係について、『一般理論』の想定には反するけれども、むしろケインズの主張にとっては有利な(あるいはピグーの主張にとっては不利な)発見を行います。現在のポスト・ケインズ派は、こうした事実を前提としています、
 
 さて、長々とした説明になりましたが、結論を言うと、経済は貨幣賃金を引き上げた方が活性化するように出来ている(つまり賃金主導)というのが、経済社会の実相だということです。(もちろん、労働生産性の上昇率をはるかに超えるような極端な引き上げは別です。念のため。)
 しばしば世間では、失業(つまり雇用の不足)を労働者の高賃金のせいにし、賃金を抑制するために、雇用の柔軟化(最低賃金の引き下げや廃止、失業保険制度の廃止や縮小、労働組合の団体交渉権の縮小、解雇規制の撤廃など)を求める保守的な政治家で一杯ですが、そうした主張には根拠がなく、逆に悲惨な結果を招くだけで終わってしまう、というのが実相です。実際、近年、多くの国で賃金が抑制され、かつ高失業となっています。

 マルク・ラヴォアやサールウォールの著書もこうした見解を批判し、ケインズ以降の正しい経済学にもとづいて事態を説明し、適正な政策提言を行うために書かれています。同書は、雇用柔軟化の政策と賃金抑制が消費需要を抑制し、またそのため生産能力を拡大するための投資需要を抑制し、その結果、雇用の縮小と高失業、技術の停滞をもたらしていることを説得的に論じています。
 次にその内容をかいつまんで紹介することにします。

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