2019年3月4日月曜日

日本の「雑種性」(hybridity)について T・ヴェブレンと柳田国男(1)

 DNA多型の分析が20世紀末に発展したが、これによって現生人類がアフリカ出自の homo sapiens の一族であることが確認されるとともに、現在から6~7万年前に出アフリカを果たした人類の一団とその子孫たちが現在までに世界各地に広まるとともに、突然変異により多様化したことがほぼ完全に明らかにされてきた。つまり『水滸伝』ではないが、人類は皆兄弟姉妹である。
 また多様化といっても、DNAの中に存在する遺伝子の99%以上は同じなのだから、相違はごくわずかだが、そのわずかな相違が外見上の相違と関係しているらしい。
  父系で伝わるY染色体の遺伝子と母系で伝わるミトコンドリア遺伝子の多型は、それぞれハプログループに分かれ、さらに各ハプログループがサブグループに分かれる。
 この多型の分析からも、例えば日本人が「雑種」であることが判明した。いやすでに明治時代からそう主張されていたが、疑問を持つ反対の人(学者)もいて確定していなかっただけだっということができる。しかし、今や、それは仮説ではなく、間違いのない事実として考えなければならない。
 「日本人」の場合、先住者たる縄文人が弥生時代に東アジア(主に現在の中国と朝鮮半島)から渡来した人々と混交し、「倭人」が生まれ、8世紀末以降に「日本」の国号が定まるとともに、民族的に一体であるという意識が生まれ、強くなってきたもののようである。しばしば、縄文時代や弥生時代についても、「日本人」という用語を用いる人が専門家の中にもいるが、便宜的に「日本列島」に住む人々という意味で使うならともかく、彼らが「日本人」という意識を持っていたと考えるなら、それは誤りである。
 
 Y染色体やミトコンドリア多型の分析から、縄文人(の少なくとも一部)は、現在チベットに住む一群の人々とハプログループを同じくし、また渡来系の弥生人が現在の中国や朝鮮半島の人々の相当部分とハプログループを同じくしている。今から2~3000年前のそれらの先祖が現在と同じ地域に居住していたという保障はないが、どこかの時点で、またどこかの場所で分かれことは言うまでもない。それは大いに興味をひくところである。
 また先住者(縄文人)の居住していた場所に、外部からの渡来者(渡来人、渡来系弥生人)がやってきたならば、両者の混交・同化がどのようになされたのかが、一つの大きい学問的研究対象となってしかるべきであろう。
 
 実は、この点は、すでに明治から現在に至るまで多くの研究者によって研究されてきた。その研究史を概観するだけでも大変な作業であり、ここでは私の書棚にならんでいる乏しい例だけをいくつか挙げておこう。
 鳥居龍蔵『全集』の諸論考(考古学)
 喜田禎一氏の諸論文(歴史学)
 柳田国男『山の人生・遠野物語』(民俗学)

 江守五夫『婚姻の民俗』、『中国小数民族の婚姻と家族』(民族学、家族史)
 上田正昭『渡来の古代史』Z(歴史学)
 谷川健一『日本の神々』(神話学)

 埴原和郎『日本人の起源』 (人口史)
 
 このうち、柳田国男の「山の人生」は、「山人」と呼ばれる人々に関する伝承を収録したものであり、一読しただけでは、先住者と渡来人との混交・同化を研究の主題としているようには見えない。しかし、「山人考」と題する講演では、明示的に先住者と渡来者とがどのように混交したのか、その痕跡を民話・昔話に探るという主題が示されている。
 柳田の意見では、両者の混交は、長い時間をかけてゆっくりおこなわれたのであり、先住者(とその子孫)はほとんどが渡来人(渡来系弥生人)に同化されたとはいえ、--
その程度はともかく--あまり同化されていない人も残されており、それが「山人」の伝承・話に記録されているのではないか、という。
 
 私の出身県の新潟県では、「山人」の話は、江戸時代の『北越奇談』 (1770年代) と『北越雪譜』(天保6年)の中に出てくる。
 これがどのような内容なのか、またそうしたことがヴェブレンとどのように関係しているのは、次回以降にまわすことにする。
 
                             (続く)

 

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