2013年10月4日金曜日

ケインズの「乗数」  誤解と真実

 以前、菅元首相が国会で「乗数効果」とか「消費性向」やらについて質問されて、まごついていたことがありましたが、今回はその「乗数」についてです。

 経済学部で経済学を勉強したことのある人ならば、一度ならず眼にし、耳に聞いたことのある術語のはず。しかし、国会議員の先生方がどの程度まで理解しているのか、疑問もあります。(高所から見下すような書き方で申し訳ないのですが、・・・。)

 ケインズは、『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1936年)の一節で、この乗数について論じています。簡単に式で示せば、

 Y=C+I  ΔY=ΔC+ΔI   消費性向=限界消費性向c=C/Y=ΔC/ΔY とすると、
 Y=Yc+I  ΔY=ΔYc+ΔI
 よってY=I/(1-c)=I/s=m・I     ΔY=ΔI/(1-c)=ΔI/s=m・ΔI
     (ただし、s=S/Y=ΔS/ΔY=(限界)貯蓄性向、S=I )

これは単位期間(例えば1年間)をとると、生産または消費と投資の間、またはそれらの増加分の間に乗数関係があることを示すものです。例えばある年の投資が100であり、生産が500ならば、乗数は 5=500÷100 となります。特に不思議な点は何もありません。

 ところが、この「乗数」が思わぬ展開を遂げ、議論の的となってきました。ほぼケインズの関知しないところでです。

 
 一つの理由は、ケインズの経済学が大西洋を越えてアメリカ合衆国に渡ったとき、「波及論」的な解釈が行われたことです。それを行った一人は、有名なサミュエルソン(Paul Sammuelson)です。
 もう一つは、政府の支出にこの乗数が適用されだしたことです。しかも、しばしば間違って、です。

 後者から説明しましょう。
 上の式に、政府支出の G を付け加えます。 Y=C+I+G
 
 
消費性向、貯蓄性向は、それぞれ c、s で示します。
 Y=Yc+I+G   ΔY=ΔYc+I+G
ここから、Y=m・(I+G)  またはΔY=m・(ΔI+ΔG)

この式で I の影響を捨象すると、Y=m・G  ΔY=m・ΔG
政府の財政支出(の増加)は、その乗数倍の生産・所得(の増加)をもたらす、というわけです。

 しかし、これは論理的にめちゃくちゃであり、まったく成立しません。なぜか?
 そもそも消費性向や貯蓄性向は、国民所得・国民生産全体に対してのものです。また本来乗数は、(民間)投資に対する国民所得・国民生産全体の割合(倍数)を示しています。他方、政府支出には、投資(公的資本形成)の部分もあれば、消費(政府消費支出)の部分もあります。したがって正確を期するためには、政府支出を消費と投資にわけるか、または、政府支出の影響だけを見るためには(その是非はともかくとして)、財政乗数なるものを考えて、その影響を考える必要があります。
 
 前者の場合には、Y=Cp+Ip+Cg+Ig=(Cp+Cg)+(Ip+Ig)=C+I となります。
 
 (ここで、C、I は消費支出と投資支出、添え字のp、g は民間と政府を示します。)
 
 しかし、この式から政府支出G=Cg+Ig の国民生産に対する影響を見るときには、消費(C)全体に対する消費性向(c)の数字を使うことはできません。あえて言えば、Cg+Igに対する Ig の割合を問題にすることはできますが、それにどんな意味があるのでしょうか?

 
 サミュエルソンの開発した「波及論」もきちんと検討するとボロだらけです。
 彼の例("Economics")は次の通りです。いまある人が材木小屋を大工等の業者に注文して建設します。値段は1000ドル。大工さんたちは、1000ドルの「所得」を手に入れます。ここで消費性向が2/3(つまり貯蓄性向が1/3)とすると、大工さんたちは、666.67ドルを消費財の購入のために支出します。そこで消費財の生産者は、666.67ドルの「所得」を手に入れます。彼らは、消費性向が同じならば、666.67ドルの三分の二、つまり444.45ドルを消費財の購入のために支出します。そこでその消費財の生産者は、444.45ドルの所得を得て、・・・・という風に経済的波及はどこまでも続く、というわけです。その波及は次第にしぼんでゆきますが、すべて終了したときにはどうなるでしょうか? 数学的には乗数は3であり、最初の所得1000ドルの三倍の経済効果が得られます。
 
 

 
 この考えのどこが、どうおかしいのか?
 ちょっと経済学を学んだ人ならば、いろんな疑問が出てくるはずですが、どうでしょうか?
 よくある質問は、波及はどれほどの時間を要し、いつ終わるのだろうか、というものです。上の例でいえば、三倍の経済効果が得られるのはいいが、それはほぼ一年以内に終わるのだろうか、それとも何年もかかるのだろうか、というわけです。また乗数関係は、波及効果が尽きるところまで追わないと語れないのだろうか、という疑問もわきます。
 別の質問は、上の例の最初の大工さんは、1000ドルの所得を受け取るという説明の奇妙さです。大工さんは、売り上げのうち、かなりの部分を原材料の支払いや、機械等の減価償却費に当てます。したがって1000ドルの売り上げ(収入)はすべてが所得ではないはずです。もちろん、大工さんが原材料の支払いを行うと、それは原材料を生産・販売した人の収入になります。その一部は所得になるはずですが、かなりの部分は原材料や減価償却費に当てられます。いったいどうなっているんだろうか、と考えるはずです。
 サミェルソンは、ノーベル経済学賞(正確には、ノーベル記念・スエーデン銀行賞)を受賞した頭のいい経済学者のはずですが、天才と馬鹿は紙一重とはよくいったものです。
 そこで翻って検討してみると、ケインズはそのことをよく理解しており、投資を問題とするときに、減価償却費を除いた純投資を問題としていたことに気づきます。

 同じことは、もちろん財政支出についてもあてはまります。
 政治家の人たちはこうしたことをきちんと理解しているのでしょうか? いや政治家だけではありません。オリンピックの経済効果などを語るエコノミストたちもです。
 

 
 
 
 誤解なきように、最後に一点のみ。
 私は財政支出の波及効果・経済効果について物申しているのであり、財政政策がすべて無意味であるといっているわけではありません。所得再分配や社会的共通資本の整備など、政府のやるべき仕事はたくさんあります。しかし、それらは波及効果のためにやるのではありません。よりよい社会を作るためであり、社会を安定化させるためです。
 
 かつて1933年以降、米国民主党政権はニューディール政策を実施し、大不況からの復興に貢献しましたが、それも最低賃金制をしき、雇用拡大政策によって失業を減じ、社会を安定化させたために、民間消費が回復してきたためです。決して波及効果の成果ではありません。
 
  
 
 
 

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