2013年11月30日土曜日

失業率の変化を説明する その3 失業は労働者の責任ではない

 多くの普通の人は知らないと思うが、実は、経済学(ただし主流派、新古典派の経済学)では、多くのよからざる事柄が労働者の責任とされており、しかもその考え方が政治家(ただし多くは保守的な政治家)によって採用されている。この見解は現実離れした前提に依拠しており、それゆえ現実離れいているが、<巨大企業にとっては>薬にもならないが、毒にもならないので放置・許容されている。
 そのような見解の一つは、インフレ(物価水準の上昇)を労働者の責任とするNAIRU(インフレを加速しない失業率)の理論でる。この理論では、インフレを加速しないように一定以上の失業率があるできであるといい、高失業率を認めるどころか、むしろ求める。この思想は例えばFRBバーナンキ議長も保持しており、日本も参加している仲良クラブのOECDの統計にもその数値が掲載されている。
 もう一つは、労働保護立法などで労働者保護を行うと実質賃金が<均衡水準>を超えて高くなるので、失業者が生まれるという「理論」である。これは、現在の日本の大学の経済学部でも新古典派流の労働経済学の標準理論となっており、普通に教えられている。実は、昔も教えられており、私も学生時代に某教授から教えられたことを思い出す。ただし、その時に違和感(現実離れした感覚)を覚え、それ以来、それを批判することに力を注いで来たので、私にとっては反面教師の理論である。ともかく、この標準理論では、失業をなくすためには、実質賃金を引き下げなければならず、そのためには引下げの妨げとなる労働保護政策の水準を落とし、労働市場を柔軟化し、労働者の抵抗を和らげなければならないというわけある。
 ただし、政治家が有権者に向かってそれをストレートに訴えると、多くの票を失うので、適当なキャッチコピーを考えるのが普通である。「柔軟化」(流動化)についても、<人々の生活様式が多様化しています。あなたにあった働き方を選べます>などといって宣伝するが、実際には、多くの人が「非正規の低賃金労働」を強要される結果になる。
 昔は、こんな経済学は大学の教室で教えられていたとしても、社会では現実離れしたバカ理論として無視されていた。ところが、1970年代以降の経済混乱の中でアメリカ合衆国でケインズが批判され、(1930年代以降信頼を失墜していた)新古典派の理論が台頭してくると、ふたたび脚光を浴びてきたという経緯がある。

 以下では、このことを念頭において現実の経済を分析したり、考えてほしい。
 まず実質賃金を下げると、失業が減るという「理論」であるが、ちょっと考えるとおかしいことがわかる。(以下では、簡単のため、労働生産性は変化しないと仮定する。)
 実質賃金を下げるためには、現行賃金率が不変であれば、インフレーションが生じなければならない。(しかし、NAIRU理論では、インフレは労働者が賃金率を引き上げるために生じるのは?)またもし物価が一定ならば、貨幣賃金率を引き下げなければ、実質賃金率は低下しない。要するに、実質賃金率の引下げは、物価水準の変化に比べて貨幣賃金率が低下することを前提する。
 しかし、貨幣賃金の低下は失業率を引き下げるだろうか?
 ここで2つの場合を区別しなければならない。
 第一は、社会全体ではなく、一つの産業または企業が貨幣賃金率を引下げる(そしてそれに応じて販売価格を引き下げる)場合である。この場合、当該企業は、価格競争上有利になり、販売量を(したがって生産量を)増やし、雇用を拡大するであろう。めでたし、めでたし!
 しかし、これはあくまで、個別の事例であり、社会全体の場合には異なる。そこで、・・・
 第二は、社会全体の企業が貨幣賃金率を引き下げる場合である。この場合、さしあたり確実なことは何一つ言えないことになる。
 もし貨幣賃金率が社会全体で引き下げられたならば、それは社会全体の労働者の貨幣所得を引き下げることになる。そこでもし物価水準が同じならば、実質の消費支出(有効需要)は低下することになる。それは景気を悪化させ、雇用を縮小させることになる。
 もちろん、物価水準は一定ではないだろう。新古典派の別の議論では、物価水準は賃金率に比例することになっている。したがって百歩譲って新古典派の論理にもとづいた場合でも、せいぜい実質の消費支出(有効需要)は不変であるという結論が導かれるだけである。つまり、貨幣賃金の引下げは、雇用を拡大させないことになる。
 第三に、しかし、企業は貨幣賃金を引き下げたとき、実際には、販売物価を同じ率だけ引き下げるのだろうか? もちろん、そのようなことは偶然にしか生じない。
 1997年以降の日本企業の貨幣賃金率引下げの場合はどうだっただろうか? 一目瞭然なのは、日本企業は総体として価格を引き下げたが、それ以上に激しく貨幣賃金率を引き下げたことである。(これについては日銀のレポート(2000年)があるが、前に紹介したことがある。後でも言及することになるだろう。)
 その結果は、如何なるものだっただろうか? それはつぎのようにまとめられる。
1)貨幣賃金率の低下、実質賃金率の低下
2)失業率の上昇
 

 出典)国民経済計算統計資料、労働力調査より作成。

 上図は、最近(1990年代以降)の日本の失業率と貨幣賃金率の変化率との相関を見たものである。このグラフは、よく知られている「フィリプス曲線」の日本経済版であるが、貨幣賃金が低下したときに失業率がいっそう拡大していることを意味している。

 ちなみに、アメリカの経済学者(新古典派総合、新古典派、マネタリスト)は、この「フィリプス曲線」の現実から出発して、上で説明した「理論」を構築したのであるが、一体その矛盾にきづかなかったのであろうか?
 バカと天才は紙一重とはよく言ったものである。

 ちなみに、もう一つ賃金率と失業率は、新古典派の主張するようになっていないという証拠を挙げておく。図は、アメリカの州別の貨幣賃金率と失業率との相関を示す。高賃金が失業率の原因だという証拠はここからは得られない。この点は、1936年に膨大な米国の統計資料を駆使してDouglas大佐が書いた「賃金の理論」(The Theory of Wage)からも明らかだが、同大佐はむしろ労働供給の側から新古典派の理論が現実に合わないことを実証した人物として有名である。 


出典)BEAのデータベースより作成。

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