2015年6月21日日曜日

何故黒田日銀は誤るのか? インフレやデフレの原因は通貨供給ではなく、・・・

 黒田日銀総裁が誕生するにあたり、次の3つの主張がマスコミに現れました。
 1)現在はデフレ不況である。
 2)インフレは、日銀が通貨供給を増やすことによって可能となる。
 3)適度なインフレは景気をよくする。

 一体どこからこのような奇妙な主張が出てくるのか不思議というしかありませんが、一時は社会全体の「常識」でるかのように広まりました。<景気がわるい。カネ回りが悪い。だから日銀がカネを増やすべきだ>などという床屋談義的な話が床屋で終わらずに、政策になってしまったわけです。

 このうち1)はここではおいておき、2)ですが、せいぜい日銀が直接できることは、金利に影響を与えることと、市中銀行に対する貨幣供給、つまり日銀券と日銀当座預金を内容とするマネタリーベース(MB)を増やすことができるだけです。貨幣供給とは、市中銀行が人々(企業等)に貸し付ける通貨(日銀券または預金通貨)のことであり、これは人々からの貨幣需要があってはじめて生じます。日銀や銀行が強制して人々にお金を貸すことができるわけではありません。いわんや(フリードマンが言ったように)ヘリコプターでまき散らすわけではありません。要するに貨幣供給が増えるとは銀行に対する借金が増えるということです。

 次に3)ですが、どうしてインフレーションが景気をよくすると言えるのでしょうか?逆なら話は分かります。つまり、景気がよくなって、企業が生産が間に合わないほど有効需要が増え、モノ不足(供給不足)になれば、ひょっとすると企業は販売価格を上げるかもしれません。少なくとも価格を上げやすくなるでしょう。
 それに1970年代を経験した人ならよく覚えているでしょうが、石油ショックのときには、すさまじいインフレーションが生じましたが、同時に激しい景気後退が生じました。当時スタグフレーションという言葉がつくられ、これはインフレと停滞(または景気後退)が同時に発生することを意味しました。この同時発生の理由はよく分かっています。つまり、石油という輸入品(原料・燃料)の価格が上がり、生産費用の増加が諸物価を引き上げました。しかしそれと同時にその部分だけ(オイルマネーの流出分だけ)人々の可処分所得が少なくなり、つまり需要が減って景気後退が生じたのです。決してインフレは好景気の原因ではありません。

 もっとこのように言うと、安倍政権発足時には次のような反論がなされました。つまり、インフレーションが生じるという「期待」(経済学では単に予測のこと)が生まれると、人々は貨幣の購買力が減価する前にモノを購入しようとするため、需要が増えて景気がよくなる、という説明です。これは一理あるように見えます。しかし、この主張は次のことを決して明らかにしていません。
 つまり、人々は、政府と日銀が「異次元の金融緩和」をすると言った時、本当にインフレーションが生じるという期待を持ったといえるでしょうか? 決してそうではありません。当時、私は放送大学のある学習センターで社会人のためのクラスを持っていましたが、彼らの質問は「本当にインフレは起きるのでしょうか?」でした。もちろん、これこそ私が彼らに訊ねたかったことです。私の聞きたかったのは、「あなたたちは、インフレが実際に起きると期待(予測)していますか?」という質問であり、またそれに加えて「仮にインフレが生じると考えたとき、貨幣の減価を期待(予測)して、モノの購入量を増やすつもりですか?」という質問でした。そして、実際にそのように質問してみました。それに対してすべての人が困惑してしまい、「多分ほとんど(購入量を)変えることはない」というのがおおかたの答えでした。
 しかも、予期せぬ反応もありました。ある人(すでに退職して年金を受け取っている人)は、インフレを起こすということ自体に対して、「年金額が増えないのに、実質的な目減りではないか」とご立腹の様子です。
 また別の機会にですが、学生ではなく事務の女性から「インフレは本当に起こるのでしょうか?」という質問を受けました。学生以外の人からインフレ予想について聞かれたのが意外でしたが、よく話してみると、「住宅ローンを借りているけれども、(変動)金利が上がるのかどうか、もし上がるようであれば、繰り上げ返済したほうがよいか」という切実な問題を抱えていることが質問の動機でした。
 さて、ここからも推測されますが、私の主張は、次の通りです。①日銀が市中銀行にマネタリーベースの供給量を増やしても、それだけでは貨幣供給量が増えるとは断言できません。②ましてや、インフレが生じるという期待を持つこともできません。(ただし、外国為替相場の変動を通じた輸入物価の上昇は除きますが、この種のインフレは景気にとって有害です。)③いわんや、インフレ期待からモノの購入量=消費量を増やすなどとは、決して断言できません。仮に100歩譲って、そのような期待を持つ人が出てくるとしましょう。しかし、それはどれほどの割合でしょうか。また仮にかなりの割合の人がそのような期待を持ったとしても、彼らは消費を増やすと断言できるでしょうか? むしろ教室でも、インフレ期待が生じても、賃金所得や年金所得が増えないという期待(予測、つまりむしろ不安です)があった場合、人はもっと貯蓄を増やそうとして消費を削るかもしれないという反応もありました。このように、すべての人がインフレ期待を持ち、いっせいに消費を増やすなどということはできないと考えるのが妥当でしょう。
 これに対して、過去の歴史を見ると、インフレーションの時は景気がよかったではないか、という人がいるかもしれません。
 しかし、これも常に当てはまるわけではありません。例えば1923年のドイツです。凄まじいハイパーインフレーションと不況が同時に生じました。また1992年以降のロシアでもハイ・インフレーションと大不況(というより破局)が同時に進行しました。
 もっとも私も概して言うと、インフレ時の好景気という関連・相関をまったく無視するつもりはありません。ただし、そのような相関が成立するとしても、因果関係はまったく逆の場合がほとんどです。つまり、景気がよいときにインフレーションが生じていたという相関があることは事実ですが、その場合も、むしろ好景気が原因で、インフレーションは結果だと理解するべきかもしれません。ただ、それも厳格な法則というわけではありません。
 そもそも何故インフレーションが生じるのでしょうか? あえて一般化すると、インフレは所得分配をめぐる紛争から生じる、とまとめることができるように思います。これはケインズと彼以降の経済学者の結論でもあります。
 現オックスフォード大学の先生の例を借りて、説明します。
 いま簡単のために工業部門と農業部門の2部門から成る経済を考えます。工業部門は労働生産性が毎年かなりのペースで成長する分野であり、逆に農業部門は労働生産性の成長率の低い分野です。(これは勤勉・怠惰とは関係ありません。)さて両者の生産性が毎年2%ずつ開いてゆくとしましょう。この場合、出発点で生産性が同じだとしても、33年ほどで生産性の格差は2倍になります。この時、ceteris paribus(その他の条件が一定であれば)、所得差も出発点の2倍になります。67年では4倍、100年では8倍です。
 このような時、もし農業部門が不要であれば、従事する人がいなくなり、農業は消滅するでしょう。しかし、実際には農業は人々の食料、工業の原材料を供給する重要な分野であり、なくすことはできません。そこで、実際には価格調整が生じました。つまり、工業製品に対する農産物の相対価格が引き上げられ、農業部門に従事する人々の所得があまりに低下しないことになったわけです。
 私は今農業の例をあげましたが、他の分野、特にサービス業でも同じです。
 このことはまた、工業の発展した先進国では、農産物やサービスの料金が高い理由を説明します。例えばエジプトのタクシー料金は、ヨーロッパや米国、日本のタクシー料金に比べてはるかに高い水準にありますが、この差はエジプトのタクシー運転手の労働生産性が低いことに由来するものではありません。生産性はほとんど同じです。料金の差はただただ工業の発展程度によるものです。また工業発展と並行して生じたインフレーションの結果でもあります。
 所得分配をめぐる紛争は、賃金と利潤との関係についても言えますが、事情が複雑になりますので、ここでは省略します。

 さて、実際のインフレーションは、このように部門間や賃金・利潤間の複雑な関係と結びついており、したがって諸商品間の相対価格、実質賃金率/労働生産性の関係などの変化を伴っています。ところが、リフレ論が依拠している貨幣数量説は、それらをまったく説明することができません。それは一律に物価水準が貨幣量に比例するというだけであり、まともな経済学から見ると明らかに欠陥理論です。

 さて、元のテーマに戻ります。近年の日本では、インフレが生じ難く、逆にデフレが生じやすい環境(制度、政策など)が成立していたことを思い出さなければなりません。一言で言えば、それは賃金抑制です。それは、とりわけ1997年以降の景気後退に対処して、日本企業が賃金を圧縮し販売価格を引き下げるという戦略によって景気後退を乗り切ろうと考えたことに由来しています。
 2000年に日銀が実施した日本企業の価格設定行動に関する調査も、そのことを明らかにしています(このことは以前のブログにも書きました)。
 さらに、これに加えて、藻谷氏(『デフレの正体』、『金融緩和の罠』)が述べているように、1997年以降、生産年齢人口が減少し、有効需要全体が縮小してきました。これはケインズやハロッドが指摘したことと関係しており(ジョン・ケインズ「人口減少の若干の経済的帰結」1937年、他)、経済のありかたに大きな影響をもたらします。

 要約すると、黒田日銀総裁は、現代の経済におけるドンキホーテであり、幻の敵と闘っているというしか言いようがありません。

1 件のコメント:

  1. インフレ予想が高める目的は実質の賃金率と金利を下げることで雇用と投資を増やすことなのにどうして消費に話がすり替わっているのだろう。雇用が増えればさらにその先の結果として消費が増えることがあるにしても。

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