2017年2月10日金曜日

マルクスの時代の経済とマルクス経済学、ケインズの時代とケインズ経済学、現代は?

 マルクスは、「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」の中で、歴史について次のように語っている。

  人間は、自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分で勝手に選んだ状況
 のもとで歴史をつるくのではなく、直接にありあわせる、与えられた、過去から受け継
 いだ状況のもとでつくるのである。

 私も、まさにその通りと思う。人が生きている状況は、自分が選んだものではなく、好むと好まざるとにかかわらず、所与の前提として与えられている。このことは、人をとりまく思想的。精神的状況についても同様である。そこで、マルクスは、次のように続ける。

  あらゆる死んだ世代の伝統が、生きている人間の頭のうえに悪夢のようにのしかかっ
 てくる。そこで、人間は自分自身と事物とを変革する仕事、これまでにまだなかったも
 のをつくりだす仕事にたずさわっているように見えるちょうどそのときに、まさにそう
 いう革命的危機の時代に、気づわしげに過去の亡霊を呼び出して自分の用事をさせ、そ
 の名前や、戦いの合言葉や、衣装を借りうけて、そういう由緒ある衣装をつけ、そうい
 う借り物のせりふをつかって、世界史の新しい場面を演じるのである。

 ケインズもまた、これとは少し違う文脈の中ではあるが、過去の思想の役割に言及している。1936年の『雇用、利子および貨幣の一般理論』の最後の段落は、次のように述べている。

 だが現代のこのような気分を別としても、経済学者や政治哲学者の思想は、それらが正しい場合も誤っている場合も、通常考えられている以上に強力である。実際、世界を支配しているのはまずこれ以外のものではない。誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。虚空の声を聞く権力の座の狂人も、数年前のある学者先生から狂気を抽き出している。既得権益の力は思想のもつじわじわとした浸透力に比べたらとてつもなく誇張されている、と私は思う。思想というものは、実際には、直ちに人を虜にするものではない、ある期間を経てはじめて人に浸透していくものである。(中略)だが、早晩、良くも悪しくも危険になるのは、既得権益ではなく、思想である。

 さて、マルクスは、1818年から1883年までの65年を生きた人であり、ケインズは、マルクス没年の1883年から1946年の63年を生きたひとである。
 もちろん二人とも偉大な経済学者であるが、しかし、二人とも第二次世界大戦後の資本主義世界を知らないことは言うまでもない。だが、この間に現代の経済社会はきわめて大きく変化した。したがって、マルクスの経済学もケインズの経済学も、資本主義経済(起業者経済)の運動を説明する基本的理論としていまだに多くの点で有効であるとしても、一方で、現在の経済を説明する理論としてある種の修正を要することは間違いないであろう。一体、19世紀前半から20世紀前半の百数十年間に資本主義経済はどのように変化したのだろうか?

 ここでは、二つの点にのみ即して外観してみよう。その二つの点というのは、ケインズの『一般理論』最終章「一般理論の誘う社会哲学ーー結語的覚書」がさし示している事柄である。あえてケインズ自身の言葉をあげておこう。

  われわれが生活している経済社会の際立った欠陥は、それが完全雇用を与えることが
 できないこと、そして富と所得の分配が恣意的で不公平なことである。これまで論じて
 きた理論がこれら第一のものと関係していることは言うまでもない。しかし、この理論
 は第二のものとも二つの重要な側面で関係を持っている。

 この二つは、まったく同一視することができないとしても、マルクス自身も問題としてきた事柄である。労働者の資本への従属の自由(!)は、人々に完全雇用を与えてはいないし、むしろ巨大な「産業予備軍」を形成してきた。また近代における巨大な生産力の解放は、人々(労働者)の所得の上昇と生活水準の向上に寄与せず、むしろ資本の蓄積と集中に寄与してきた。

 現在まで続けられてきた近代欧米経済史の実証研究も、ほぼこのことを実証してきた。これまでも本ブログで紹介してきたが、簡単に言えば、そこには一貫して次のような強い傾向が見られた。

 1 設備投資による生産力の解放、労働生産性の上昇
 産業革命の時期以降に行われるようになった企業の設備投資は、巨大で高額な機械(紡績機、織機、機械をつくる機械など)を生産に導入し、社会全体の労働生産性を上昇させ、また労働者一人一人の労働生産性を大幅に引きあげた。こうした機械生産の量的拡大と、労働生産性の上昇は、他面では、化石燃料(石炭、石油、天然ガスなど)の採掘とその燃焼が放出する巨大なエネルギーによるものであり、これなしでは、産業革命は成就しなかった。したがって産業革命は、機械製造、化石エネルギーの採掘、製鉄、炭鉱業などの一連の技術革新と結びついていた。

 2 企業者経済の形成と設備投資
 しかし、それは社会の大きな制度的変質をもたらさずには成就しないものでもあった。それは、一言で言えば、かなり大きな企業が形成され、それと同時にそれを所有し、経営する(manage)一握りの階級を生み出すとともに、それらによって雇用され、生産のための労働を指示される多数の人々(労働者)を生み出した。企業、すなわちマルクスのいう「資本」(産業資本)は、初発にはそれほど巨大なものではなく、せいぜい100~300人程度の従業員を雇うにすぎず、現代の小企業ほどのものにすぎなかったが、それはそれ以前の手工業経営体が「家内的」であり、親方や職人の「家」(households)の規模を大きく超えなかったのと比べれば、拡大の大規模化を意味した。しかも、もはや19世紀末にともなれば資本の蓄積と集積の作用によって、一万人以上を雇う巨大企業(big business)も登場していた。もちろん、企業の巨大化は、その組織の内部的複雑化をともなっていた。

 3 企業と社会全体における所得分配の傾向
 19世紀および20世紀初頭には、まだ戦後のような発展した経済統計制度が整備されていなかったので、多くの側面が漠然としたままである。しかし、いくつかの点はかなりはっきりしている。
 その一つは、労働生産性の上昇率に比べて、貨幣賃金と(あとで触れる実質賃金)の上昇率がかなり低かったことである。当時は、例えばケインズが概算しているように、人口=労働力が毎年1%ほど増え、労働生産性が毎年1%ほどづつ上昇していたので、国民粗生産GDPは、毎年2%ずつ成長していたが、GDPを構成する二つの大きい要素(利潤と賃金)のうち、利潤(資本所有または経営者所得をなす資本所得)が2%を大きく超えるペースで成長したのに対して、賃金所得は2%を大きくしたまわる成長率しか示さなかった。
 これが何を意味しているかは、明白である。国民粗所得に占める利潤のシェアー(R/Y)が増加し、逆に賃金のシェアー(W/Y)が低下したのである。いうまでもなく、各シェアーの合計は一定(=1)であり、一方の上昇は、他方の低下を意味する。
 
 R/Y + W/Y =Y/Y=1
  上昇   低下   一定
 
 ところで、これが一国の経済社会全体に与える作用は、かなり明白である。
 当時(つまり、19世紀初頭から第一次世界大戦以前)は、今も同様であるが、利潤の一部は、(富裕な資本所得者の)消費に支出されたが、その多くは設備投資のために支出された。そして、当時の古典派経済学および新古典派経済学では、資本所得者が労働者よりはるかに多額の所得を得ることは、かれらが投資(資本蓄積)を行い、社会全体の富(生産量)を増やすことによって、正当化されていた。
 
 だが、ここにはきわめて大きい問題が介在していた。
 第一に、一方では、有効需要のうち消費支出=消費需要は、経済成長率に比べて、また利潤所得の成長率に比べて、抑制される傾向にあった。それは基本的には賃金所得が大きく抑制されていたことによって説明される。しかし、他方では、利潤はかなりのペースで成長した。そこで、もしそれが国内に(設備)投資されるならば、それは国内生産力および労働者一人一人の労働生産性をかなりのペースで拡大させることとなった。これを個別資本=企業の立場から示すと、一方では、企業の生産能力を拡大するために、巨費を投じており、したがって固定資本費用を回収するためには、売上量=販売量を大きく伸ばさなければならないのに、そうはならない、ということになる。また別の表現をすれば、巨額の設備投資は、損益分岐点を大きく右側に移動させるが、消費需要の増加の抑制のために、売上量ははかばかしく右側に移動しない、ということになる。
 
 いま一つは、労働生産性のハイペースの上昇と、有効需要の成長ペースの停滞=実際の生産量の停滞は、職に大きく左右する、ことである。以前の本ブログで詳しく説明したので、繰り返しは避けるが、職=雇用は、生産量(有効需要)の増加関数(+)であり、労働生産性の減少関数(-)である。つまり、労働生産性が一定ならば、生産量が増えるほど職=雇用は増加し、また生産量が一定ならば、労働生産性が高いほど生産に必要な労働時間、つまり職=雇用は減少する。
 これは、20世紀初頭までの、経済変動がきわめて失業をもたらしやすい所得分配構造にあったことを示している。
     U=LーN   
                          +  ー
     N=f(Q、 λ)
          ー  +
     U=g(Q、 λ)
       U:失業、 L:労働供給、  N:労働需要=職・雇用、
       Q:生産量、 λ:労働生産性

 かくして19世紀から20世紀初頭の経済のありかたは、富と所得の不平等、失業の拡大のメカニズムを内側に含んでいたということができる。これは、1930年代の米国におけるニューディル以降、とりわけ第二次世界大戦後のいわゆる「資本主義の黄金時代」における修正された資本主義経済のありかたとは、根本的に異なる点である。
 ともあれ、経済を均衡させるための国内需要をつくりだすことに失敗した資本主義各国は、「(新)重商主義」あるいは「隣人窮乏化政策」、「帝国主義」と呼ばれる対外経済政策に乗り出した。それは国内で有効需要が不足しているために、外国に輸出を増やして、内需不足を補うという政策である。

 マルクスにより資本主義経済の「外部からの」根本的な批判と、ついでケインズによる「内在的な」批判は、少なくともしばらくのあいだ(つまり1945年の終戦から1970年代初頭までの「黄金時代」には)、上に記した資本主義経済のありかたを変えることに成功した。
 
 ちなみに、ケインズの当時の資本主義に対する批判は、それが金融資産のバブル(泡沫)化によってキャピタルゲインを得ることを目標とする金融資本主義に堕す傾向を多分に持つということにあった。実際、1930年代の大不況は、1920年代末に米国で発生した金融資産バブルが崩壊し、金融クラッシュが生じたことをきっかけとしていた。しかも、当時は、失業保険制度も、最低賃金制もなく、公的医療保険制度もなく、年金制度もなく、多くの人々は、金融恐慌と景気後退、失業の発生を眼前にして、不安を増幅し、将来に備えるために貯蓄を増やそうとして、いっそう消費支出を削減したが、それは不況をさらに深刻なものとした。

 戦後の「黄金時代」は、これらの19世紀的な資本主義の制度の不備を修正することによって生まれたものである。そして、それは1980年代のレーガノミクスとサッチャー主義の「新自由主義」によって大幅に破壊されてきたといはいえ、今でも完全に破壊されつくしたわけではない。現在の経済がおおきな金融崩壊や大不況の脅威という不安にさらされても、それほどひどい経済状態におちいらないのは、そのせいである。

 しかし、それでも、1970年代以前と1980年代以降の経済制度には、大きな相違があるといわなければならない。1980年代以降にわれわれが経験した事柄は、下記のいくつかの項目になる。それは1970年代以前の「黄金時代」との著しい対照をなす。
 その結果は、「完全な」とは言えないが、かなりの程度までの19世紀的状態への後退である。つまり、フラットな租税制度への回帰、ふたたび利潤シェアーの上昇/賃金シェアーの拡大、富と所得の不平等、失業率の上昇/職・雇用の劣悪化、金融資産バブルと金融崩壊、いくつかの国における重商主義の復活などである。

 1 租税制度による所得再分配の大幅な縮小
    所得税の累進課税のフラット化、企業負担の軽減
 2 労働市場の柔軟化
    失業保険制度の脆弱化、実質最低賃金の引き下げ、政府の完全雇用政策の放棄
    総じて労働者の対抗力の低下
 3 重商主義政策の復活
    ブレトンウッズの崩壊、変動相場制、グローバル不均衡の拡大
 4 人口(労働力)の増加率の低下、いくつかの国の労働力人口の減少      
 
 だが、この最後の2つの点については、少し詳しく説明しなければならないかもしれず、すでに本ブログでも以前少し論じたことがある。
 その要点は、次の通りである。
 
 かりに一人あたり1%の経済成長率(消費の増加など)が求められるとしよう。この時、人口が毎年1%ずつ増加する社会であれば、それは2%のGDPの増加をもたらすであろう。しかし、もし人口がまったく増えない社会では、GDPの年増加率は1%となり、またもし人口が毎年1%ずつ減少する社会では、GDPの総額が維持されるにとどまり、成長率はゼロである。一人あたり2%の経済成長率が求められる社会でも、数値が若干変化するだけであり、事情はほぼ同じである(数値はそれぞれ、3%、2%、1%)。

 しかし、GDPが成長しないこと自体がすぐに大きな問題となるわけではない。
 もし問題となるとしたら、それは次のようなケースである。いま企業(その株主や経営者)がGDPが増えないから利潤も増えないことに甘んじるのではなく、利潤をより増やそう戸考えたと想定する。この場合、個別企業ではなく、社会全体の企業がそのように考え、そのように行動したとしよう。そのような企業の行動は、賃金を圧縮することによってしか実現されない。だが、賃金圧縮がどのような帰結をもたらしたのか? それは上記の19世紀の事例が示す通りである。
 個別企業が自分の企業だけは激烈な競争に勝ち抜くためにといって、設備投資を行い、労働生産性を引きあげ、経済効率を高めた場合はどうか? 一社、もしくはごく一部の企業ならその企業が勝利するということになろう。だが、社会全体の企業が同じように行動した場合には、社会全体の投資費用は増え、労働生産性は上昇し、損益分液点は大きく右に移動する。だが消費重要は増えないため、生産は停滞し、(人口停滞の中でも)職・雇用はいっそう縮小する危険性が高まる。
 
 私たちのあげた事例(数値例)は単純だが、ケインズが1930年代に近い将来生じるであろうヨーロッパの人口停滞・減少に際して起こるかもしれないこととして考えたことも、本質的には、同じことである。このケインズの予想は、すぐには実現されなかったが、現在、ドイツやイタリア、スペイン、(ロシアを除く)多くの東欧・中央地域でも生じている。東アジアでは、日本、韓国、(そしておそらく中国)が経験しはじめている。
 
 かりに基礎理論は普遍的に妥当するとしても、制度および経済の様々な与件が変われば、異なった結果が生まれる。現実離れした想定にもとづく「新古典派経済学」の現実離れした「思想」(idea)にとりつかれて、単にマルクス、ケインズが古いと批判する人がいまだに多いのは、困ったことである。もちろん、逆に制度や与件の変化を認識することなく、マルクス、ケインズがある時、ある事柄について述べたことを機会的に適用しようとすることが如何にミスリーディングなことであるかも、知らなければならないだろう。

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