2014年2月12日水曜日

ユーロ圏の債務危機 6 「ゼロ思考」への陥落と「失われた10年」

 ユーロ圏の登場は、人々に、特に国民の80%以上の人々に何を与えたでしょうか?。
 まずは私の作成した図(EURO圏12カ国における労働生産性と実質単位労働費用の推移)を見て欲しいと思います。(図はAmeco on line data よく作成しています。)
 」

 この図で、労働生産性としているのは、従業員一人あたりの実質GDP(指数、1991年=100)であり、(実質)単位労働費用は、生産物1単位あたりの人件費(物価指数を考慮済みの実質、指数、1991年=100)です。
 差し当たり、今回問題とする1990年代だけを取り上げると、この時期にも労働生産性は一貫して上昇しています。つまり、一人あたりの国民総生産は増加しています。ただし、経済の成長ペースは以前と比較すれば低下しています。一方、単位労働費用のほうは1980年頃から低下しており、1990年代にも低下は続いています。つまり、リストラ(昔風には合理化)が進行し、生産物1単位あたりの生産に必要な人件費が低下していたのです。本来、労働生産性に比例して人件費(つまり労働者の賃金所得)が増加しているならば、このようなことは生じません。これは明らかに賃金が抑制され、労働者の取分(賃金シェアー)低下してことを意味しています。

 それでは、このような労働側の犠牲の下に、雇用が拡大し、失業は縮小したでしょうか? (このように問うのは、主流派の経済学は、実質賃金が低下すれば雇用が増え、失業が減ると言うからでもあります。その根拠とされるのは、ご存知のように、マーシャリアンクロス(右下がりの労働需要曲線と右上がりの労働供給曲線)という現実場慣れした想定にもとづく労働市場論です。)

 ここで、私の分析ではなく、外国の著名な経済学者の分析を見ておきましょう。例えば、James K. Galbraith and Enrique Garcilazo, Unemployment, Inequality and the Policy of Europe 1984-2000, Empirical Post keynesian Economics  Looking at the Real World, M.E.Sharpe, 2007)をあげておきましょう。
 この論文は、次の2つのことを示している点できわめて重要です。
 1 西欧諸国を国単位ではなく、もっと小さな・多数(159)の地域に分割して賃金水準と雇用・失業の相関を検討したところ、高賃金が高失業を導くという想定はまったく実証されない。むしろ低賃金地域において高失業が見られる。(これは主流派の想定には反するが、その理由ははっきりしている。高賃金は、同時に高い有効需要を意味するからである。)
 2 このような同一時間における地理的な配列(賃金率と雇用・失業)ではなく、時系列(1984〜2000年)の変化について見ても、(私の上記のグラフが示すように)、1990年代はヨーロッパ規模で賃金が最も圧縮された時期に相当するが、ここで特に注目されるのは、1992年9月〜1993年7月、つまりマーストリヒト条約が調印され、ドイチェ・ブンデスバンクの金融引締め政策とマーストリヒト収斂基準(緊縮財政)が適用されはじめた時期(1992年以降)、さらに成長安定協定(GSP)が実施された1996年にヨーロッパの失業が異例の水準に到達している点である。

 私のブログでもたびたび言及しましたが、「現実世界」では、雇用は生産量(←総需要)の増加とともに増加するという増加関数であり、反対に労働生産性の減少関数です。ところが、マーストリヒトがリストラを通じて労働生産性を引き上げながら、総需要を抑制したのですから、失業が増えたのは、自明の理です。

 著者たちが、どのような統計データの処理を経てこの結論に達したのか、その詳細は省きますが、次の結論はきわめて重要です。

 「ヨーロッパの政策は1990年代に大陸規模の失業増加に強く貢献したことがわれわれの証拠から明らかになる。一言で言えば、マーストリヒトは悲惨と形容される5年間を開いたのであり、そこからの回復はまだ不完全である。最近のリーダーシップ下の大陸レベルでのマクロ経済政策の失政によってヨーロッパ全体に及んだ高失業を克服することが、われわれの分析から高い優先度を持つものとして現れている。1990年代にはいくぶんの進展があったように見えるが、1980年代中葉の決して最適ではなかった条件への復帰され、まったく十分とは言えないままにとどまっている。」

 このように、宣伝とは裏腹に、20世紀末〜21世紀初頭に「ユーロ圏」は混迷のきわみにありました。
 マーストリヒトと成長安定協定による賃金率の抑制と賃金シェアーの圧縮は、ヨーロッパ諸国、特に従来ドイツとは異なった政策スタンスと制度的条件の下にあった周辺国(フランスやイタリア、スペインなど)の経済を停滞的にしていました。しかも、これらの国がドイツのような輸出主導型の成長レジームにすぐに転換する能力を持っていると考えることはできません。一方、輸出主導型の中心国(ドイツやオランダ、オーストリアなど)にとっても周辺国の経済的な停滞(賃金、総需要の停滞)は決して好ましいことではありませんでした。中心国からの輸出の障害となるからです。
 かくして、トッド氏が述べるように、ドイツとフランスの指導者階級の「貨幣的ユートピア」(l'utopei monetaire)、「ゼロ思考」(la pensee zero)は、行き詰まっていたと言うことできます。
 しかしながら、それにもかかわらず、1999年における単一通貨圏の成立は、新しい可能性を生み出したように見えました。それがわずか数年しか続かなかったとしてもです。実際、すべでの人がというわけではないしても、かなり多くの人々が「為替リスクの消滅」を語り、ヨーロッパが新時代に入ったと騒ぎ立てました。しかし、このユーロランドという美しい夢がむなしい夢であることは、すぐに明らかになりました。

 そこで、1999年〜2008年に何が生じていたのか、それを検討することが次の課題となります。そしてそれを検討することは、①はたしてユーロは存続可能なのか、それとも解体を避けられないのか、②またもしそれが存続可能だとしたらなば、どのような条件が必要なのか、少なくともそのヒントをわれわれに示してくれることになるでしょう?

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