2014年2月9日日曜日

ユーロ圏の債務危機 4 1990年代=ヨーロッパの「失われた10年」

 マーストリヒトがヨーロッパ諸国民に決して幸福をもたらさなかったことは、様々な統計から知ることができますが、その中でも最もよいのは失業率のデータでしょう。下の図は、ユーロ12カ国の失業率を示す図です。(Ameco on line より作成。)
 
 

*若干の補足説明をします。1973年頃まで低い水準にあった失業率が1974年頃から急上昇し、1988年頃にピークに達しているのが分かりますが、この一つの理由が二度(1973年と1979年)にわたる石油危機にあったことは言うまでもありません。石油価格の数倍への高騰と巨額のオイルマネー(オイルダラー)の流出、それに伴う石油輸入国の実質可処分所得の低下は(カルドア氏、Nicolas Kaldor の推計では)世界全体の可処分所得の4%にも及び、有効需要の縮小をもたらしました。つまり輸入されたインフレーションと景気後退の同時発生(スタグフレーション)です。
 しかし、1980年代に入っても続く景気後退と失業率の上昇は決して石油危機によって説明されるものではありません。
 この新しい景気後退は、カルドア氏(Causes of Growth and Stagnation in the World Economy, 1996)の明らかにしたように、1979年に成立した英国サッチャー政権のマネタリズム政策によるものです。サッチャー首相は、反インフレーション政策を看板に掲げつつ、その緊縮政策(大衆増税+福祉支出の大幅削減)によって消費需要を縮小し、さらには投資需要を大幅に縮小させてしまいました。これについて詳しくは以前のブログで説明しましたので、省略します。ここでは、次の図(Ameco より作成)から1980年代にイギリスで景気後退が生じ、その影響がヨーロッパ全体に及んだことを読み取っていただきたいと思います。そのデフレ効果(景気後退の効果)は1980年代中頃まで続き、石油危機を上回るものでした。なおサッチャー首相のマネタリズム政策(デフレ政策)が失業率を引き上げることによって「労働者階級の交渉力を弱体化させ」、賃金を抑制する意図を持っていたことについては、当時政策アドバイザーだったアラン・バッド氏(Alan Budd)が後日回顧しており、「利用された」と述べています。イギリスの最低賃金制度が事実上廃止されてしまい、低賃金労働が拡大したのがこのサッチャー政権の時代だったことも指摘しておきたいと思います。
http://cheltenham-gloucesteragainstcuts.org/2013/04/09/former-thatcher-adviser-alan-budd-spills-the-beans-on-the-use-of-unemployment-to-weaken-the-working-class-sound-familiar/




 しかし、1991年から1997年にかけてヨーッパ全体を覆った景気の停滞は、サッチャー不況と比べてもかなり長く、その規模も深刻なものでした。上の失業率を示す図と合わせてみると分かるように、ユーロ圏(12カ国)全体の失業率は、この時期にずっと10パーセントを超えています。そして、まさにこの時期に公的消費支出の寄与度も、民間消費支出の寄与度も急速に低下しています。
 もちろん、景気後退が激しくなった原因が1992年9月以降の欧州通貨危機にあったことは言うまでもありません。しかし、この通貨危機自体が単一通貨圏(ユーロ圏)を生み出そうとする政策、つまりドロール報告とマーストリヒト条約にあったことを忘れてはなりません。
 そもそも欧州通貨危機は如何にして発生し、その後、如何にして景気後退は長期化したのか、これが問題となります。(続く)

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