四~六月期のGDPは、名目0.2パーセント、それから物価上昇分を差し引いた実質GDPは0パーセント。個人消費は0.2パーセント。
政府は、公共事業を中心に景気の活性化を狙うが、その効果は小さく、後には借金が残る。しかも、財政赤字の拡大を理由に社会保障費の負担増や消費税の引き上げがまっている。まさに「三重苦家計を圧迫」という状況が続く(本日の「東京新聞」朝刊より)。
さて、そのような訳で、今日の「東京新聞」社説は、「三年続くアベノミクスはあらためて効果が乏しいことを裏付けた形だ。四~六月期の実質国民総生産(GDP、速報値)は横ばいだった。「道半ば」ではなく、誤った道を進んでいると気づくべきだ。」としています。
まったく同感と言わざるをえません。
さて、これまでもアベノミクスについては、本ブログでも主に金融の観点から、批判的に検討してきましたが、まさにこの点では、アベノミクスの異次元の金融緩和政策は一部の体力(株価など実体経済とは関係ない部分)をほんの一時的に上げるだけの「ドーピング」(金子勝氏)に他ならないということができます。でも、ドーピングの効果はすぐになくなります。
しかし、アベノミクスには別の側面があります。それは供給側、つまりは企業側の経済学に依拠しているという側面に他なりません。
供給側の経済学というのは、本質的には、19世紀に起源を有する古い新古典派の経済学に特徴的な考え方であり、20世紀に入ってから根本的に批判されつくしました。
しかし、1980年代にイギリスとアメリカで保守派(サッチャーの保守党、レーガンの共和党)によって持ち上げられてから、一時一世を風靡しましたが、すぐに誤りであることがわかり、すぐに放棄されました。しかし、思想としての供給側の経済学は根強く、いまでも保守的な政界を中心に信者がたくさんいるようです。
この思想の要点は難しくありません。次のように要約できるでしょう。
つまり、経済を発展・成長させるには、供給側、つまり企業側の条件を改善しなければならない。なぜならば、経済は生産力の発展・成長とともに成長するが、その生産性の上昇をもたらすのは(設備)投資であり、その投資を行う企業だからである。企業が十分な利潤を上げることができれば、また富裕者=大株主が十分な配当を受け取ることができれば、それらの所得は貯蓄を通じて(設備)投資に向けられる。そして投資が順調に行なわれれば、生産力が発展し、経済は順調に発展する。
しかし、供給側の条件を改善するためには、法人税率を軽減したり、富裕者の所得税率を軽減したり、さらには企業が高い人件費・社会保障費負担に苦しまないように、賃金の抑制を行ったり、場合にはよって労働者の力を削ぐために失業率を引き上げる(高い水準に維持する)こともやむを得ない。
このような供給側の経済学の最後の側面(賃金抑制、失業率)については、かなり政治的に微妙な点もあるため、あまり露骨に表明されることはないかもしれませんが、アカデミックな経済学者の間では公然と議論されていることは、経済学者なら知っていることです。
さて、こうした供給側の経済学ですが、実際の経済やそれを説明する現実的な経済学には「有効需要」の側の側面があり、こちらも無視できないことはいうまでもありません。つまり、現実の経済では、企業にどんなに供給力があろうとも、有効需要がなければ(あるいは購買者がいなければ)、現実の生産は行われえないという冷厳な事実があります。これについて供給側の経済学者もまったくのアホではないので、答えざるをえません。そして、この答えが「セイ法則」と呼ばれるものです。これは、「供給はそれ自らの需要を創り出す」というものであり、換言すれば、需要は供給が生み出すものだから、供給だけ考えればよいということです。
もう一つ供給側の経済学が突きつけられた問題があります。それは供給側=企業側+富裕者側(のみ)を優遇するがゆえに、労働側に不利な条件を押しつけることになるという点です。これに対する答えとして出されたのが「トリクルダウン」の議論です。つまり、最初、企業や富裕者の所得が増えれば、その後いつか(いつ?!)富の一部が下にしたたり落ちて、労働側や低所得者の所得も増えるだろうという議論です。
しかし、歴史と理論は両者とも誤りであることを示してきました。例えば1930年代の大不況と高失業は生産力が低下したために生じたのではなく、生産能力に比して有効需要が著しく縮小したことが原因でした。またトリクルダウン、トリクルダウンといいながら、トリクルダウンが生じたためしがありません。所得格差と資産格差は拡大するばかりです。
それに供給側の経済学では、成長のためには企業に有利な条件(人件費=賃金の圧縮など)が必要だとされているため、いつ賃金の増加が生じるのか明言しません。しようと思ってもできないのです。もちろん新古典派の単純系の経済学にも一応の説明はあり、そこでは、すべてが短期的に(つまり時間のない虚構の世界では短期というしかないようですが)均衡点で決定されます。しかし、彼らは現実の動態的経済の中で何時、どのように賃金所得が変化するのか答えることはできません。新古典派の経済学を学んだことのない人(換言すれば逆説的に現実感覚のある人とも言えます)にとっては、実に奇妙な世界です。
だいぶまわり道をしましたが、供給側の経済学についてくどくどと説明したのは、アベノミクスが本質的にはこの供給側の経済学に立脚しているからです。安部氏が日本経済を<世界中で企業がもっとも自由にやれる経済にする>という趣旨の発言をしましたが、この点こそ、供給側の経済学の立場をよく示す言葉はありません。
巨大企業の法人税逃れを可能にすることはその一つです。
しかし、それは企業の行動をさらにある方向に向かわせます。企業はいくら利潤をあげても低い法人税率でしか課税されないので、もっと利潤を増やそうとして人件費を抑制します。また課税さらない配当金を増やすために、子会社や関連会社の株式を購入することになります。ここで注意しなければならないのは、株式の購入はある意味で「投資」ですが、生産力を成長させるための設備投資ではありません。こうした行動は、資産価格を引き上げる役割を果たしますが、経済を発展させ、人々の暮らしをよくするものではありません。
しかも、企業の人件費抑制行動は、経済社会全体を見てみると、それをある方向に導きます。つまり、日本社会全体の賃金所得が抑制されてきた状況の下では、もっとも基礎的な個人消費支出が停滞することになります。図示すれば、次の通りです。
W(賃金所得)の停滞 ⇔ C(消費支出)の停滞
鶏が先か卵が先か? という話ではありませんが、両者は密接に関係しています。賃金が停滞するので、消費が停滞するとも言えますが、消費が停滞するので(経済が停滞し)賃金が停滞するとも言えます。どちらが先かではなく、両者は相互に関連しており、WとCを抑制する構造が成立していると言えるでしょう。ですから、(もし現在でも成長が好ましいならば)WとCの両方を成長させてゆくような構造変化が必要ということになります。
私は構造という言葉を持ち出したらからといって、ここで橋本財政構造改革や小泉構造改革を支持しているわけではありません。むしろそれらは供給側の経済学の上に立った誤った政策でした。私が主張するのは、構造改革からの脱却という意味での構造変化です。それは賃金主導型、内需主導型の経済成長体制への転換でしかありません。
さて、安部氏も「有効需要」の重要性が理解できないほど、経済について無知というわけではないと思います。したがって彼は、かりにジェスチャーであろうとも、(特に改憲のための議席を確保するために選挙前には)すくなくとも賃金の上昇の実現のために努力lしているふりをしなければなりませんでした。
しかし、安部氏が本心から賃金の上昇を実現しようとしていないことは、彼の様々な言動から読み取れます。ここでは詳しく触れませんが、森永卓郎氏(『雇用破壊』角川新書、2016年)が指摘しているように、派遣労働の固定化、ホワイトカラー・エグゼンプション、解雇規制緩和などの「毒矢」を実現することにあると見るべきです。これらは人件費を抑制する企業行動を是とする政策体系です。
結論します。アベノミクスとは、改憲を狙った経済政策上の毒矢であり、本質的には供給側の経済学に「異次元の金融緩和」という「時間かせぎ」(W・シュトレークの言葉)を接ぎ木したものに過ぎません。またしばしばマスコミによって言及される「トリクルダウン」は現実に賃金が上がらないことへの言い訳でしかなく、政府の賃金の引き上げはジェスチャーに過ぎないと知るべきです。
2016年8月16日火曜日
税金を払わない巨大企業
昨日、横須賀中央駅前を通ったところ、「年金生活者」のグループが、政府によって毎年老齢音金額を減額されてゆく現状を訴えていました。私も今年から、年金生活者の一員となり、生活不安を抱えている身。将来が不安になります。もちろん若干の蓄えはあるとはいえ、将来不安(健康、自己、子供たちのこと)のため、思い切って消費を増やす気にはなれません。
その上、消費税の10パーセントへの増税は、自民党の選挙対策の一環としてさしあたりは見送られましたが、選挙に勝ち、「改憲勢力」の3分の2を確保した自公政権にとっては、消費税の引き上げを延期する理由はなくなりました。形式的な理屈上は、日本全体の消費需要がかりに350兆円だとすると、2パーセント・ポイントの引き上げは、7兆円の税収増をもたらすことになります。ただし、これは大衆増税によって景気が悪化しなければの話であり、経済理論の常識やこれまでの経験に照らすと、(政府が増税分を財政赤字の補填などに使ってしまい、人々の生活のための政府支出を増やさない限り)消費需要が大幅に低下し(あるいは、低下しなくても、長期にわたって停滞し)、まさにデフレ不況を深刻化させる危険があります。実際、安部政権のアベノミクスがデフレ不況を克服するというキャッチコピーにもかかわらず、消費税の引き上げ以降、日本経済の状態が悪化したことは明らかです。
さて、こんな財政状態にあるにもかかわらず、日本の巨大企業は、巨額の税金逃れをしてきましたし、またしています。というと、日本の会社の「実効税率」は世界的にみて高いのでは? という疑問が投げ返されてきそうです。
実際、私がかつてある県の放送大学のセンターで、社会人を相手に日本経済や世界経済について、勉強会を開いていたとき、よく出された質問の一つが、<日本の高い法人税率>についてのものでした。いや、そもそも<日本の高い法人税率>や、、それではグローバル化した国際経済の環境の中で競争に勝てない>という議論は、マスコミの決まり文句(言説)となっていあす。
ひょっとすると多くの人はそれを信じているのではないでしょうか?
しかし、本当にそうでしょうか? 確かに法人税の法定税率が、そこそこの水準に設定されていることは間違いありません。基本的な考え方としては、企業の所得(利益、利潤)に対して法人税がかけれられており、その法定上の率(法人税÷企業所得)は、25.5パーセント(2012年。地方税を除く国税のみ)に設定されています。この率は、国際的に見て、確かに低くはないかもしれませんが、決して高いとは言えません。(外国の例は、後日、折を見て紹介したいと思います)。
ところが、本当に重要なことは、実際の税率(まさに本当の意味での実効税率)が多くの企業で、これよりはるかに低い額にあることです。
このことをきちんと説明した富岡幸雄氏の『税金を払わない巨大企業』(文春新書、2014年)から紹介しておきましょう。次の表は、同書の90ページの表をグラフ化したものです。なお、この図のもとになった企業の所得には、申告所得の他に、富岡氏が推計した他の企業所得が含まれています。
この図から見られるように、資本金1000万円から5億円の企業にかけて企業規模が拡大するとともに、実効税率は20パーセントから25.44パーセントへと上がっていますが、それより大きな企業になると、税率は急速に低下しており、100億円超の企業の法人税率は、外国税等を含めても、なんと11.54パーセントにしかなりません。100億円超の企業の所得は、きわめて巨額ですから、これは、すさまじい額の税金逃れ(tax evasion)が行われていることを意味します。
出典)上掲書、90ページ。
このような税金逃れがどのように行われるのか。ここでは、その一つとして巨大企業の「受取配当金」が非課税の所得となっている事実だけを上げておきます。富岡氏の前掲書(97ページ)では、巨大企業が2003~2011年に受け取った約58兆円のうち、何と48兆円以上(73.5パーセント)が無課税の所得となっています。
もちろん、以上の値のうち企業の所得額は、タックスヘイブンなどにより、企業の所得がただしく申告・把握されていることを前提としています。ところが、企業が税金逃れをするための手法の一つは、比較的税率の高い課税国での所得金額を少なくみせかける(したがって比較的税率の低い課税国の所得lを増やすことになる)価格操作であり、これは同一企業内の多国間取引が行われていることを前提としているので、それが正しいという保証はまったくありません。ただし、ここでは、統計的な実態把握が難しいこともあり、この点は省くことにします。
では、近年この法人税額や税率はどのように変化してきたのでしょうか?
論より証拠。まずは次のグラフをみてください。
これは国税庁のデータ(会社標本調査)をもとににして、私が作成したものです。計算の基礎となる企業所得としては、企業の申告所得と益金不算入の配当金を合計したものを用い、その金額で法人税(国税のみ)を割ってあります。したがって欠損企業の場合、益金不参入の配当金は欠損額をカバーするために利用されている可能性がありますが、巨大企業の場合には欠損額が小さく、また中小企業の場合は、益金不参入の配当金額がきわめて小さいので、数値が実態からかけはなれることはありません。
2つのことが観察されます。第一に、上で見たように、5億円を超える企業階層については、法人税零つがきわめて低くなっていることが確認されます。第二に、安部政権の下で、着実に法人税率が引き下げられてきたことです。
要するに、一方で99パーセントの庶民に大衆課税を強要しながら、他方では巨大企業を優遇するという政策を実施してきたのが、アベノミクスであり、この事実は経済学者として見逃すことができません。
もうちょっとグラフを見てみましょう。
これは、日本の企業の申告所得(利益計上法人と損益法人)、それに益金不算入の配当金額を乗せたものです。近年のところをみると、2014年の企業所得は1989年の水準とほぼ同じになり、また欧米資産バブルの絶頂期(日本の輸出の好調期)の2006年、2007年に近い水準にたっしており、要するに業所得の回復が認められます。
ところが、法人税額(国税のみ)は、大幅に減少しています。企業所得が同じだった1989年を基準にとれば、3.5兆円ほどの法事税の減収です。
これは、歴代の日本政府が企業優遇税制、というより大企業の租税逃れを手助けしてきたために他なりません。
おそらく私がここで記したことは、日本の財務省や政府が国民に対して隠したい事実であるに違いありません。その証拠に、日本の法人税の「実効税率」が高いとか、グローバル競争に勝てないとか、財政危機を救うために緊縮財政を実現するべきとか、消費増税を実施するべきとか、という言説はマスコミを通じて流布されるのに、私の知る限り、実際の法人税率がどうなってるかなどは、(政府や企業の意をくむ)マスコミで報道されたためしがありません。
その上、消費税の10パーセントへの増税は、自民党の選挙対策の一環としてさしあたりは見送られましたが、選挙に勝ち、「改憲勢力」の3分の2を確保した自公政権にとっては、消費税の引き上げを延期する理由はなくなりました。形式的な理屈上は、日本全体の消費需要がかりに350兆円だとすると、2パーセント・ポイントの引き上げは、7兆円の税収増をもたらすことになります。ただし、これは大衆増税によって景気が悪化しなければの話であり、経済理論の常識やこれまでの経験に照らすと、(政府が増税分を財政赤字の補填などに使ってしまい、人々の生活のための政府支出を増やさない限り)消費需要が大幅に低下し(あるいは、低下しなくても、長期にわたって停滞し)、まさにデフレ不況を深刻化させる危険があります。実際、安部政権のアベノミクスがデフレ不況を克服するというキャッチコピーにもかかわらず、消費税の引き上げ以降、日本経済の状態が悪化したことは明らかです。
さて、こんな財政状態にあるにもかかわらず、日本の巨大企業は、巨額の税金逃れをしてきましたし、またしています。というと、日本の会社の「実効税率」は世界的にみて高いのでは? という疑問が投げ返されてきそうです。
実際、私がかつてある県の放送大学のセンターで、社会人を相手に日本経済や世界経済について、勉強会を開いていたとき、よく出された質問の一つが、<日本の高い法人税率>についてのものでした。いや、そもそも<日本の高い法人税率>や、、それではグローバル化した国際経済の環境の中で競争に勝てない>という議論は、マスコミの決まり文句(言説)となっていあす。
ひょっとすると多くの人はそれを信じているのではないでしょうか?
しかし、本当にそうでしょうか? 確かに法人税の法定税率が、そこそこの水準に設定されていることは間違いありません。基本的な考え方としては、企業の所得(利益、利潤)に対して法人税がかけれられており、その法定上の率(法人税÷企業所得)は、25.5パーセント(2012年。地方税を除く国税のみ)に設定されています。この率は、国際的に見て、確かに低くはないかもしれませんが、決して高いとは言えません。(外国の例は、後日、折を見て紹介したいと思います)。
ところが、本当に重要なことは、実際の税率(まさに本当の意味での実効税率)が多くの企業で、これよりはるかに低い額にあることです。
このことをきちんと説明した富岡幸雄氏の『税金を払わない巨大企業』(文春新書、2014年)から紹介しておきましょう。次の表は、同書の90ページの表をグラフ化したものです。なお、この図のもとになった企業の所得には、申告所得の他に、富岡氏が推計した他の企業所得が含まれています。
この図から見られるように、資本金1000万円から5億円の企業にかけて企業規模が拡大するとともに、実効税率は20パーセントから25.44パーセントへと上がっていますが、それより大きな企業になると、税率は急速に低下しており、100億円超の企業の法人税率は、外国税等を含めても、なんと11.54パーセントにしかなりません。100億円超の企業の所得は、きわめて巨額ですから、これは、すさまじい額の税金逃れ(tax evasion)が行われていることを意味します。
出典)上掲書、90ページ。
このような税金逃れがどのように行われるのか。ここでは、その一つとして巨大企業の「受取配当金」が非課税の所得となっている事実だけを上げておきます。富岡氏の前掲書(97ページ)では、巨大企業が2003~2011年に受け取った約58兆円のうち、何と48兆円以上(73.5パーセント)が無課税の所得となっています。
もちろん、以上の値のうち企業の所得額は、タックスヘイブンなどにより、企業の所得がただしく申告・把握されていることを前提としています。ところが、企業が税金逃れをするための手法の一つは、比較的税率の高い課税国での所得金額を少なくみせかける(したがって比較的税率の低い課税国の所得lを増やすことになる)価格操作であり、これは同一企業内の多国間取引が行われていることを前提としているので、それが正しいという保証はまったくありません。ただし、ここでは、統計的な実態把握が難しいこともあり、この点は省くことにします。
では、近年この法人税額や税率はどのように変化してきたのでしょうか?
論より証拠。まずは次のグラフをみてください。
これは国税庁のデータ(会社標本調査)をもとににして、私が作成したものです。計算の基礎となる企業所得としては、企業の申告所得と益金不算入の配当金を合計したものを用い、その金額で法人税(国税のみ)を割ってあります。したがって欠損企業の場合、益金不参入の配当金は欠損額をカバーするために利用されている可能性がありますが、巨大企業の場合には欠損額が小さく、また中小企業の場合は、益金不参入の配当金額がきわめて小さいので、数値が実態からかけはなれることはありません。
2つのことが観察されます。第一に、上で見たように、5億円を超える企業階層については、法人税零つがきわめて低くなっていることが確認されます。第二に、安部政権の下で、着実に法人税率が引き下げられてきたことです。
要するに、一方で99パーセントの庶民に大衆課税を強要しながら、他方では巨大企業を優遇するという政策を実施してきたのが、アベノミクスであり、この事実は経済学者として見逃すことができません。
もうちょっとグラフを見てみましょう。
これは、日本の企業の申告所得(利益計上法人と損益法人)、それに益金不算入の配当金額を乗せたものです。近年のところをみると、2014年の企業所得は1989年の水準とほぼ同じになり、また欧米資産バブルの絶頂期(日本の輸出の好調期)の2006年、2007年に近い水準にたっしており、要するに業所得の回復が認められます。
ところが、法人税額(国税のみ)は、大幅に減少しています。企業所得が同じだった1989年を基準にとれば、3.5兆円ほどの法事税の減収です。
これは、歴代の日本政府が企業優遇税制、というより大企業の租税逃れを手助けしてきたために他なりません。
おそらく私がここで記したことは、日本の財務省や政府が国民に対して隠したい事実であるに違いありません。その証拠に、日本の法人税の「実効税率」が高いとか、グローバル競争に勝てないとか、財政危機を救うために緊縮財政を実現するべきとか、消費増税を実施するべきとか、という言説はマスコミを通じて流布されるのに、私の知る限り、実際の法人税率がどうなってるかなどは、(政府や企業の意をくむ)マスコミで報道されたためしがありません。
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