シンドラー社のエレベーターが多数の事故を起こしてきました。
事故を起こしたエレベーターの設置場所を調べると、公共の建造物が多いことに気づきます。公共住宅、大学、市役所、その他の公共施設です。また競争入札制度が導入された小泉「構造改革」の頃からシンドラー社のエレベーターが導入されるケースが増えていることは間違いないようです。
競争入札の問題点については、私もビルメンテナンス会社の社長さんや工学部の教師・大学院学生などに話を聞いた事があります。
競争入札の導入まで、日本の多くの地方自治体・公共団体は、地元の企業にほぼ前年度と変わらない価格で事業を委託していました。そもそも同じ内容の仕事をパソコン・ソフト等を使って計算しているので、どの業者もほとんど変わらない金額を出すはずとのことでした。しかし、実際の資料を見て確認しましたが、21世紀に入り、競争入札制度が実施されるとともに、入札金額は極端に低下しています。その理由は、地元企業だけでなく、全国から企業が入札に参加するようになり、価格競争が激しくなったからです。しかし、そうした価格競争の中で最も低い金額を示した企業の中にはブラック企業が多数ありました。市場競争というとよさそうに聞こえますが、仕事をできそうもない低価格で引き受けた企業の中には、地方に事務所も満足な事務所も持たない企業(つまりペーパーカンパニー)があったり、(その地域では事業を行なっていなかったので)以前の委託企業から労働者を貰い受け(!)「継続雇用」(!)する事業者があったりと、デタラメな企業が多かったのです。
たしかに低い金額でも公共サービスが低下せず、雇われている労働者の労働条件が低下しないならば(あるいは、もっと慎重に言うと、人間らしい生活を営むための労働条件が守られるならば)、問題はないと言えるかもしれません。
しかし、実際に聞いた話では、極端に低い金額で仕事を取った業者が結局事業を実施できなくなり、病院のゴミ箱は3日に一回しか捨てられなくなり、院内感染を恐れた看護婦さんが仕方なくゴミの処理をすることもある病院ではあったそうです。労働条件も悪化していた可能性が高いようです。(ここでは、実際の統計資料や会社名など実名は出さないことにします。)
金額や価格だけでは、企業やそのサービスは評価できず、総合評価が必要な所以です。
私はまだシンドラー社のエレベーターについて調査していませんが、かなり怪しいと思っています。もう少し調べてから、結果をお示しします。
2012年12月27日木曜日
小泉「構造改革」と不良債権 2
2000年から2002年、2003年にかけて日本経済は、ふたたび景気後退の局面に入ってゆきます。その理由はどこにあったのでしょうか?
2000年〜2001年にかけての景気後退の一つの理由が外からの影響にあることは否定できません。アメリカ合衆国では、2000年にクリントン大統領が『大統領の経済報告』(経済白書)で「ニューエコノミー」について語りますが、皮肉にもその直後にITバブルが崩壊し、NASDAQなどの株価が暴落し、実体経済の景気後退が始まります。その際、海外からの輸入が減少したことは言うまでもありません。それに伴い日本からの対米輸出も減少し、それが日本の景気を悪化させる要因となりました。
しかし、日本の景気後退をもたらした要因は、それだけではありません。実は、2000年には企業倒産件数も増えましたが、倒産企業の負債総額も著しく増加し、史上最大の規模(東京商工リサーチの調査によると25兆円ほど)に達しました。どうしてでしょうか?
その理由は、政府(森政権)が緊縮財政政策を取りはじめたことにあります。しかも、この政策は2001年にあとを継いだ小泉政権によっても続けられます。小泉政権は、最初は一般会計の赤字額を30兆円以内に抑える緊縮政策を取ります。このように30兆円以内に抑制する政策はその後事実上維持できなくなり、小泉氏も「30兆円」に言及しなくなりますが、緊縮政策は続きます。その結果、橋本「財政構造改革」の時期と同様に公的資本形成の成長寄与度はマイナスを記録しつづけ、また政府最終消費支出の寄与度も徐々に低下してゆきました。
その上に、不良債権処理の加速化・厳格化がはかられましたが、それは企業の倒産を促進し、また不良債権というリスクを恐れた銀行の貸出態度の悪化をもたらしました。2001年9月頃からりそな銀行の破産問題が浮上していた2003年3月頃にかけて銀行の貸出態度は急速に悪化しています。「貸し渋り」、「貸し剥がし」など一種の「信用逼迫」の現象(credit crunch)が生じていたと見ることができます。
このように米国のITバブル崩壊に起因する景気後退に際して、小泉政権は緊縮政策、不良債権処理の加速化という景気をさらに悪化させる政策を取ったことになります。2000年から2002年にかけて銀行の不良債権が急激に増加したことはまったく不思議なことではありません。
ちなみに、すでに忘れかけているのではないかと思うのですが、小泉氏は「構造改革」というキャッチコピーを巧みに使いました。それについてほとんど何も説明することなしに、です。その証拠に、私はよく「構造改革」を信じている人たちに、「構造改革」とは何ですか。と質問してみましたが、回答できる人はいませんでした。ただ何となく、日本社会の構造に問題があり、改革しなければならないのだと思い込んでいるだけで、どこがどのように悪いのか言える人はいなかったと思います。当の小泉氏本人が説明していないのですから、当然と言えば当然です。
簡単に言えば、近年の「構造改革」というのは、「ワシントン・コンセンサス」であるとか、新自由主義政策の別名です。簡単に言えば、経済が停滞しているときに、その理由が需要側ではなく、供給側(サプライサイド)にあると考えて、そのための改造(リストラ、restructuring)をするのが構造改革です。ですから、例えばサッチャー首相やレーガン大統領が行なったのと同じこと(富裕者の減税、法人税の引き下げ、企業利潤を高めるための雇用政策、つまり端的に言えば賃金抑制政策や、最低賃金・失業保険の引き下げ、派遣業の自由化、競争入札制度など)です。これらの政策を行なえば、おのずと貯蓄が増え、それが企業の投資を拡大し、経済成長を引き起こし、富裕者が富み、その一部がトリックル・ダウンし(こぼれおち)、貧者の所得もそれなりに上昇する、といった思想が構造改革です。
しかし、ここでは詳しく述べることができませんが、そうした思想は宣伝に使われただけであり、実際にはそこで約束されていたことは実現されませんでした。むしろ、米英などのように貧富の格差が拡大したに過ぎないことは、今では一目瞭然です。人々が将来不安をかかえて消費を削っているのに(つまり問題は需要側にあり、生産能力の利用率が低下しているのに)、構造改革は、供給側=生産能力の改善をはかるのですから、うまく行くわけがありません。
さて、景気を悪化させる政策を取り続けた小泉政権ですが、一つだけラッキーなことがありました。それは2002年度の途中から米国の財政・金融政策が功を奏して、新たなバブル(住宅バブル・金融資産バブル)が発生し、2007年まで「消費ブーム」が生じたことです。この米国のバブルと消費ブームのせいで日本の対米輸出が増加し、「景気拡大」(好況ではありません。ただ前期よりGDPがちょっとでも増えたというだけです)が生じました。しかし、それがほとんどの人にとって実感の伴わない不景気な状態を意味したことは言うまでもありません。
2008年以降になってようやく小泉首相に騙されましたと言うようになった人を私は何人も知っています。(続く)
2000年〜2001年にかけての景気後退の一つの理由が外からの影響にあることは否定できません。アメリカ合衆国では、2000年にクリントン大統領が『大統領の経済報告』(経済白書)で「ニューエコノミー」について語りますが、皮肉にもその直後にITバブルが崩壊し、NASDAQなどの株価が暴落し、実体経済の景気後退が始まります。その際、海外からの輸入が減少したことは言うまでもありません。それに伴い日本からの対米輸出も減少し、それが日本の景気を悪化させる要因となりました。
しかし、日本の景気後退をもたらした要因は、それだけではありません。実は、2000年には企業倒産件数も増えましたが、倒産企業の負債総額も著しく増加し、史上最大の規模(東京商工リサーチの調査によると25兆円ほど)に達しました。どうしてでしょうか?
その理由は、政府(森政権)が緊縮財政政策を取りはじめたことにあります。しかも、この政策は2001年にあとを継いだ小泉政権によっても続けられます。小泉政権は、最初は一般会計の赤字額を30兆円以内に抑える緊縮政策を取ります。このように30兆円以内に抑制する政策はその後事実上維持できなくなり、小泉氏も「30兆円」に言及しなくなりますが、緊縮政策は続きます。その結果、橋本「財政構造改革」の時期と同様に公的資本形成の成長寄与度はマイナスを記録しつづけ、また政府最終消費支出の寄与度も徐々に低下してゆきました。
その上に、不良債権処理の加速化・厳格化がはかられましたが、それは企業の倒産を促進し、また不良債権というリスクを恐れた銀行の貸出態度の悪化をもたらしました。2001年9月頃からりそな銀行の破産問題が浮上していた2003年3月頃にかけて銀行の貸出態度は急速に悪化しています。「貸し渋り」、「貸し剥がし」など一種の「信用逼迫」の現象(credit crunch)が生じていたと見ることができます。
このように米国のITバブル崩壊に起因する景気後退に際して、小泉政権は緊縮政策、不良債権処理の加速化という景気をさらに悪化させる政策を取ったことになります。2000年から2002年にかけて銀行の不良債権が急激に増加したことはまったく不思議なことではありません。
ちなみに、すでに忘れかけているのではないかと思うのですが、小泉氏は「構造改革」というキャッチコピーを巧みに使いました。それについてほとんど何も説明することなしに、です。その証拠に、私はよく「構造改革」を信じている人たちに、「構造改革」とは何ですか。と質問してみましたが、回答できる人はいませんでした。ただ何となく、日本社会の構造に問題があり、改革しなければならないのだと思い込んでいるだけで、どこがどのように悪いのか言える人はいなかったと思います。当の小泉氏本人が説明していないのですから、当然と言えば当然です。
簡単に言えば、近年の「構造改革」というのは、「ワシントン・コンセンサス」であるとか、新自由主義政策の別名です。簡単に言えば、経済が停滞しているときに、その理由が需要側ではなく、供給側(サプライサイド)にあると考えて、そのための改造(リストラ、restructuring)をするのが構造改革です。ですから、例えばサッチャー首相やレーガン大統領が行なったのと同じこと(富裕者の減税、法人税の引き下げ、企業利潤を高めるための雇用政策、つまり端的に言えば賃金抑制政策や、最低賃金・失業保険の引き下げ、派遣業の自由化、競争入札制度など)です。これらの政策を行なえば、おのずと貯蓄が増え、それが企業の投資を拡大し、経済成長を引き起こし、富裕者が富み、その一部がトリックル・ダウンし(こぼれおち)、貧者の所得もそれなりに上昇する、といった思想が構造改革です。
しかし、ここでは詳しく述べることができませんが、そうした思想は宣伝に使われただけであり、実際にはそこで約束されていたことは実現されませんでした。むしろ、米英などのように貧富の格差が拡大したに過ぎないことは、今では一目瞭然です。人々が将来不安をかかえて消費を削っているのに(つまり問題は需要側にあり、生産能力の利用率が低下しているのに)、構造改革は、供給側=生産能力の改善をはかるのですから、うまく行くわけがありません。
さて、景気を悪化させる政策を取り続けた小泉政権ですが、一つだけラッキーなことがありました。それは2002年度の途中から米国の財政・金融政策が功を奏して、新たなバブル(住宅バブル・金融資産バブル)が発生し、2007年まで「消費ブーム」が生じたことです。この米国のバブルと消費ブームのせいで日本の対米輸出が増加し、「景気拡大」(好況ではありません。ただ前期よりGDPがちょっとでも増えたというだけです)が生じました。しかし、それがほとんどの人にとって実感の伴わない不景気な状態を意味したことは言うまでもありません。
2008年以降になってようやく小泉首相に騙されましたと言うようになった人を私は何人も知っています。(続く)
マックス・ヴェーバーと Warm Heart and Cool Head
Warm Heart and Cool Head. この言葉を述べたのは、イギリスの経済学者アルフレッド・マーシャル(Alfred Marshall)です。マーシャルは、この言葉を、経済学を志す者に対する心構えとして述べました。意味はおのずと明らかです。経国済民の学を志す者はそもそも暖かい心から始めるはずだが、それだけでは不十分であり、冷静な頭脳が必要だということです。
ところが、最近はどうもビジネスやまわりの評価、時流に乗ることにばかり夢中で、「冷たい心」を持つ人ばかりが目立つようになったように感じられてなりません。しかし、そうかといって冷静な頭脳を持っているかというと、「暖かい頭脳」の人が多くなったような気もします。というと若い人たちには酷な表現でしょうか?
このようなことをどうして言うのかというと、マスコミでも、「経営者が安心して労働者を雇うことができるようにするためには、いつでも解雇できるようにしなければならない。そのために非正規雇用が必要だ」などと言う人が現れたからです。このような事が公然と言われるようになったのは、1980年年代以降、特にソ連の崩壊以降のことのように思います。しかし、私の意見では、このような人は心構えからして経済学者として失格です。日本がその多くを批准している ILO (国際労働機構)の条約のことも知らないのでしょうか?
ここで思い出すのは、ドイツの社会科学者、マックス・ヴェーバー(Max Weber)です。ヴェーバーは1920年にこの世を去りますが、それまでハイデルベルク大学で経済学を講じていました。彼の論文にブレンターノ(Lujo Brentano)と共著の「社会科学と社会政策に関わる認識の客観性」(1905年)と呼ばれるものがあります。それは、社会科学的認識の妥当性は価値評価から自由であることを主張したものとされており、それはその通りと思います。ヴェーバーは、ロシアの文豪トルストイ(Lev Tolstoy)と同様に、どのように社会科学的認識を深めても特定の価値観を根拠づけることはできないという結論に到達しました。したがって社会科学者たちが特定の価値評価から出発して論争した場合、「神々の闘争」(特定の価値と別の価値との永遠の和解できない衝突)が避けれなくなり、社会科学的認識の妥当性の基準が失われてしまうことになります。そこで、ヴェーバーとブレンターノは、客観的な妥当性を持つ政策学を研究する者は、ある特定の政策理念(理想、価値、目的)が所与のものとして与えられた場合に、①それを実現するどのような政策手段が妥当か、を研究することを社会科学的認識と認めることを提案します。ただし、それだけではありません。さらに、②当該政策手段がそもそもの理念を実現する他にどのような作用(もちろん副作用を含めます)をもたらすか、③この政策手段がもたらす結果は、様々な理念に照らしてみたときにどのように評価されるか、④これらの評価に照らしたとき、当該理念や当該政策手段はどのようなものとして位置づけられるのか、を研究することも社会科学的認識の対象となりうると言います。つまり、所与として措定した理念、それを実現するための政策、それらの結果と他の理念との関係、これらすべてを反省する(reflex)ことは社会政策学の研究対象として許されると、ヴェーバーもブレンターノも考えたのです。
さらに重要な点ですが、ヴェーバーは、社会科学の価値評価からの自由(価値自由、Werfreiheit)を論じましたが、生身の社会科学者自身が価値評価から自由になれるとは考えていませんでした。むしろ逆です。ヴェーバーは、何らの価値(理念・理想・目的)も持たず、ただひたすら無意味で無味な理論・分析装置をもって対象を眺めているに過ぎない専門家、世界の意味を問うことのない専門家を「精神なき専門人」として卑下していました。「精神なき専門人」。この言葉に込められたヴェーバーの侮蔑的な態度を最近よく考えます。
ところが、最近はどうもビジネスやまわりの評価、時流に乗ることにばかり夢中で、「冷たい心」を持つ人ばかりが目立つようになったように感じられてなりません。しかし、そうかといって冷静な頭脳を持っているかというと、「暖かい頭脳」の人が多くなったような気もします。というと若い人たちには酷な表現でしょうか?
このようなことをどうして言うのかというと、マスコミでも、「経営者が安心して労働者を雇うことができるようにするためには、いつでも解雇できるようにしなければならない。そのために非正規雇用が必要だ」などと言う人が現れたからです。このような事が公然と言われるようになったのは、1980年年代以降、特にソ連の崩壊以降のことのように思います。しかし、私の意見では、このような人は心構えからして経済学者として失格です。日本がその多くを批准している ILO (国際労働機構)の条約のことも知らないのでしょうか?
ここで思い出すのは、ドイツの社会科学者、マックス・ヴェーバー(Max Weber)です。ヴェーバーは1920年にこの世を去りますが、それまでハイデルベルク大学で経済学を講じていました。彼の論文にブレンターノ(Lujo Brentano)と共著の「社会科学と社会政策に関わる認識の客観性」(1905年)と呼ばれるものがあります。それは、社会科学的認識の妥当性は価値評価から自由であることを主張したものとされており、それはその通りと思います。ヴェーバーは、ロシアの文豪トルストイ(Lev Tolstoy)と同様に、どのように社会科学的認識を深めても特定の価値観を根拠づけることはできないという結論に到達しました。したがって社会科学者たちが特定の価値評価から出発して論争した場合、「神々の闘争」(特定の価値と別の価値との永遠の和解できない衝突)が避けれなくなり、社会科学的認識の妥当性の基準が失われてしまうことになります。そこで、ヴェーバーとブレンターノは、客観的な妥当性を持つ政策学を研究する者は、ある特定の政策理念(理想、価値、目的)が所与のものとして与えられた場合に、①それを実現するどのような政策手段が妥当か、を研究することを社会科学的認識と認めることを提案します。ただし、それだけではありません。さらに、②当該政策手段がそもそもの理念を実現する他にどのような作用(もちろん副作用を含めます)をもたらすか、③この政策手段がもたらす結果は、様々な理念に照らしてみたときにどのように評価されるか、④これらの評価に照らしたとき、当該理念や当該政策手段はどのようなものとして位置づけられるのか、を研究することも社会科学的認識の対象となりうると言います。つまり、所与として措定した理念、それを実現するための政策、それらの結果と他の理念との関係、これらすべてを反省する(reflex)ことは社会政策学の研究対象として許されると、ヴェーバーもブレンターノも考えたのです。
さらに重要な点ですが、ヴェーバーは、社会科学の価値評価からの自由(価値自由、Werfreiheit)を論じましたが、生身の社会科学者自身が価値評価から自由になれるとは考えていませんでした。むしろ逆です。ヴェーバーは、何らの価値(理念・理想・目的)も持たず、ただひたすら無意味で無味な理論・分析装置をもって対象を眺めているに過ぎない専門家、世界の意味を問うことのない専門家を「精神なき専門人」として卑下していました。「精神なき専門人」。この言葉に込められたヴェーバーの侮蔑的な態度を最近よく考えます。
異常な日本経済と怪しい経済学
近年の日本経済が異常な状態にあることは、経済分析のためのきちんとしたツールと理論をもって分析すれば、誰の眼にも明らかとなります。そのことは、これまでのブログでも書いた通りです。
今日は、貿易(輸出と輸入)に焦点を置き、検討してみたいと思います。
まずは下図を見てください。
1995年から2008年(リーマン・ショックの年)までGDPに対する輸出・輸入の比率はずっと上昇し続けています。特に2002年から2008年の期間に輸出比率が10%から18%近くにまで急上昇したことが注目されます。
しかし、この間に人々は経済が成長したという実感をもったでしょうか? もちろんそうではありません。このグラフには示しませんでしたが、貨幣賃金率も名目賃金率も平均して低下しています。政府の喧伝した史上最長の景気拡大も平均すれば年率1%程度に過ぎません。投資額も低下してきました。投資というのは、技術革新・生産能力の成長を支える柱なのに、です。
これに関連した話をもう少しします。
ずっと前に(多分昨年のことですが)、『新潟日報』がTPP特集を組み、各界の意見を掲載していました。その中に燕・三条地域の製造業者の記事があり、<TPPに参加して関税が仮に3%でも下がり輸出が拡大すれば、一息つけるのだが>といった趣旨の意見がありました。私もそうした意見が出てくる背景については理解しますので、同情します。しかし、TPPに加盟すれば、輸出が増えて一息つけるかというと、決してそうではありません。2〜3%の関税引き下げの効果など、ちょとした円高(10%、20%などアッという間です)によってすぐに吹き飛びます。しかも、日本は経常収支の黒字国です。確かに貿易収支は昨年と今年赤字になりましたが、所得収支の大幅黒字は続いていて、経常収支は依然として黒字です。これは米国や欧州ユーロ圏の「周辺国」(ギリシャ、ポルトガル、スペイン)などとは正反対です。ともかく、経常収支の黒字国では自国通貨高は避けられません。日本も貿易収支・経常収支の黒字が続く限り、円高は避けられないと知るべきです。
おそらくマスコミの影響によるのではないかと思いますが、普通の人々の間にも、<輸出を増やさなければならない>、<そのためには円安を実現して欲しい>という感覚が思想として定着してしまっているのではないかと思います。実際には、日本の経常収支は黒字となっているにもかかわらずです。確かに、もしすべての国が経常収支の黒字を達成できるならば、私も経常収支の黒字を増やす提案に無碍に反対はしないでしょう。しかし、経常収支は世界全体でゼロサムです。日本が黒字を増やす限り、どこか外国に赤字を拡大する国が出てきます。経済学の上でも、外国への輸出拡大によって需要を拡大しようとすることを「近隣窮乏化政策」と呼んでいます。さらに言えば、2008年以降の米国(世界最大の経常収支赤字国)は、経常収支のグローバルな不均衡を是正するために、対外債務の拡大によって輸入を拡大するのではなく、むしろ輸出を拡大することを求められています。日本としては、ドイツや中国・ロシアと同様に内需の拡大を求められているのです。
その内需ですが、1997年以降の賃金低下によって人々の購買力が低下してきたため、元気が出るわけがありません。下図を見てください。これは成長の寄与度を示すものですが、本来最も大きくなるはずの消費需要は、純輸出より縮小してしまっています。
それに構造改革の影響をあって公的資本形成はマイナスになり、政府最終支出はプラスながら段々小さくなってきています。
日本経済の何が問題なのか?
はっきりしていることは、社会制度の根幹が揺るいでいるという事実です。特に労働市場の柔軟化(Flexibility)(企業が解雇を容易にする、成果主義という名の賃金引き下げ、非正規雇用の拡大など)だけが推進され、安全性(Security)がないがしろにされているため、雇用の部分が動揺し、多くの人がリクスと不安を感じるようになったことが根本的な問題です。
それにもかかわらず、世の経済学者の中には(例えば、失敗したECBのように2%の)インフレターゲットを設定し、人々に中央銀行と政府のやる気を示せば、あるいはインフレーション(つまり時の経過にともなう貨幣の減価)という圧力をかければ、消費需要が拡大するなどという「リフレ派」なる怪しい経済学者の怪しい経済理論(?)が横行しています。騙されないように注意しましょう。
今日は、貿易(輸出と輸入)に焦点を置き、検討してみたいと思います。
まずは下図を見てください。
1995年から2008年(リーマン・ショックの年)までGDPに対する輸出・輸入の比率はずっと上昇し続けています。特に2002年から2008年の期間に輸出比率が10%から18%近くにまで急上昇したことが注目されます。
しかし、この間に人々は経済が成長したという実感をもったでしょうか? もちろんそうではありません。このグラフには示しませんでしたが、貨幣賃金率も名目賃金率も平均して低下しています。政府の喧伝した史上最長の景気拡大も平均すれば年率1%程度に過ぎません。投資額も低下してきました。投資というのは、技術革新・生産能力の成長を支える柱なのに、です。
これに関連した話をもう少しします。
ずっと前に(多分昨年のことですが)、『新潟日報』がTPP特集を組み、各界の意見を掲載していました。その中に燕・三条地域の製造業者の記事があり、<TPPに参加して関税が仮に3%でも下がり輸出が拡大すれば、一息つけるのだが>といった趣旨の意見がありました。私もそうした意見が出てくる背景については理解しますので、同情します。しかし、TPPに加盟すれば、輸出が増えて一息つけるかというと、決してそうではありません。2〜3%の関税引き下げの効果など、ちょとした円高(10%、20%などアッという間です)によってすぐに吹き飛びます。しかも、日本は経常収支の黒字国です。確かに貿易収支は昨年と今年赤字になりましたが、所得収支の大幅黒字は続いていて、経常収支は依然として黒字です。これは米国や欧州ユーロ圏の「周辺国」(ギリシャ、ポルトガル、スペイン)などとは正反対です。ともかく、経常収支の黒字国では自国通貨高は避けられません。日本も貿易収支・経常収支の黒字が続く限り、円高は避けられないと知るべきです。
おそらくマスコミの影響によるのではないかと思いますが、普通の人々の間にも、<輸出を増やさなければならない>、<そのためには円安を実現して欲しい>という感覚が思想として定着してしまっているのではないかと思います。実際には、日本の経常収支は黒字となっているにもかかわらずです。確かに、もしすべての国が経常収支の黒字を達成できるならば、私も経常収支の黒字を増やす提案に無碍に反対はしないでしょう。しかし、経常収支は世界全体でゼロサムです。日本が黒字を増やす限り、どこか外国に赤字を拡大する国が出てきます。経済学の上でも、外国への輸出拡大によって需要を拡大しようとすることを「近隣窮乏化政策」と呼んでいます。さらに言えば、2008年以降の米国(世界最大の経常収支赤字国)は、経常収支のグローバルな不均衡を是正するために、対外債務の拡大によって輸入を拡大するのではなく、むしろ輸出を拡大することを求められています。日本としては、ドイツや中国・ロシアと同様に内需の拡大を求められているのです。
その内需ですが、1997年以降の賃金低下によって人々の購買力が低下してきたため、元気が出るわけがありません。下図を見てください。これは成長の寄与度を示すものですが、本来最も大きくなるはずの消費需要は、純輸出より縮小してしまっています。
それに構造改革の影響をあって公的資本形成はマイナスになり、政府最終支出はプラスながら段々小さくなってきています。
日本経済の何が問題なのか?
はっきりしていることは、社会制度の根幹が揺るいでいるという事実です。特に労働市場の柔軟化(Flexibility)(企業が解雇を容易にする、成果主義という名の賃金引き下げ、非正規雇用の拡大など)だけが推進され、安全性(Security)がないがしろにされているため、雇用の部分が動揺し、多くの人がリクスと不安を感じるようになったことが根本的な問題です。
それにもかかわらず、世の経済学者の中には(例えば、失敗したECBのように2%の)インフレターゲットを設定し、人々に中央銀行と政府のやる気を示せば、あるいはインフレーション(つまり時の経過にともなう貨幣の減価)という圧力をかければ、消費需要が拡大するなどという「リフレ派」なる怪しい経済学者の怪しい経済理論(?)が横行しています。騙されないように注意しましょう。
2012年12月26日水曜日
小泉「構造改革」と不良債権
「転機となった1997年」の説明でも書きましたが、2001年初頭から翌年の初頭にかけて全国銀行の不良債権が急速に拡大しましたが、その後2002年の途中から減りはじめ、2006年頃までにはかなり低い水準にまで低下しました。日本政府は2005年度をもって不良債権の処理が最終的に終了したと宣言します。
このような動きは、どのように説明されるでしょうか?
まず2001年度中の不良債権の急増から見ましょう。周知のように、不良債権は「リスク管理債権」と「金融再生法開示債権」との2つの方法によって示すことができ、金融庁の統計でも2つの方法によって示されています。この統計によれば、不良債権はリスク管理債権の中では主に「延滞債権」と「貸出条件緩和債権」の増加によるものであり、「破綻先債権」は減少しています。また金融再生法開示債権の中では主に「要管理債権」の増加によるものであり、「危険債権」と「破産更正債権およびこれに準ずる債権」を合わせたものは減少しています。
破綻先債権や破産更正債権が減少した理由は、はっきりしています。実は、それよりましな不良債権(延滞債権や貸出条件緩和債権など)から破綻先債権に「下方遷移」してくる債権や「業況悪化」によって正常債権から破綻先債権になる債権が次々に生まれていたのですが、一方では不良債権の早期処理の方針にもとづいて巨額の破綻先債権の「オフバランス化」が行なわれていたからです。
オフバランス化というのは、不良債権の直接償却といわれる方法であり、銀行の貸借対象表(資産と負債の双方)から取り除くというものです。例えばX銀行がA社に貸し付けていた資金10億円が不良債権化したとしましょう。X銀行は、オフバランス化によって、A社に対する債権(10億円)の全額または一部を放棄し、自己資本をその金額だけ減らすことになります。
このような動きは、どのように説明されるでしょうか?
まず2001年度中の不良債権の急増から見ましょう。周知のように、不良債権は「リスク管理債権」と「金融再生法開示債権」との2つの方法によって示すことができ、金融庁の統計でも2つの方法によって示されています。この統計によれば、不良債権はリスク管理債権の中では主に「延滞債権」と「貸出条件緩和債権」の増加によるものであり、「破綻先債権」は減少しています。また金融再生法開示債権の中では主に「要管理債権」の増加によるものであり、「危険債権」と「破産更正債権およびこれに準ずる債権」を合わせたものは減少しています。
破綻先債権や破産更正債権が減少した理由は、はっきりしています。実は、それよりましな不良債権(延滞債権や貸出条件緩和債権など)から破綻先債権に「下方遷移」してくる債権や「業況悪化」によって正常債権から破綻先債権になる債権が次々に生まれていたのですが、一方では不良債権の早期処理の方針にもとづいて巨額の破綻先債権の「オフバランス化」が行なわれていたからです。
オフバランス化というのは、不良債権の直接償却といわれる方法であり、銀行の貸借対象表(資産と負債の双方)から取り除くというものです。例えばX銀行がA社に貸し付けていた資金10億円が不良債権化したとしましょう。X銀行は、オフバランス化によって、A社に対する債権(10億円)の全額または一部を放棄し、自己資本をその金額だけ減らすことになります。
この直接償却には3つの方法があります。
1)銀行が債権を放棄する私的整理
銀行と企業の話あいにより、銀行が一部の債権を放棄するが、企業の再建を促し、残りの債権を回収するという方法です。
2)会社更生法や民事再生法などを適用する法的整理
会社更生法や民事再生法、破産法などによって裁判所を通じて不良債権を処理する方法であり、会社更生法や民事再生法の場合、企業は再建に向けて事業を続けますが、破産法の場合には企業活動は停止されます。
3)債権売却のパターン
不良債権の一部を第三者に売却する方法であり、売却相手としては産業再生機構や整理回収機構(RCC)などがあります。
1)銀行が債権を放棄する私的整理
銀行と企業の話あいにより、銀行が一部の債権を放棄するが、企業の再建を促し、残りの債権を回収するという方法です。
2)会社更生法や民事再生法などを適用する法的整理
会社更生法や民事再生法、破産法などによって裁判所を通じて不良債権を処理する方法であり、会社更生法や民事再生法の場合、企業は再建に向けて事業を続けますが、破産法の場合には企業活動は停止されます。
3)債権売却のパターン
不良債権の一部を第三者に売却する方法であり、売却相手としては産業再生機構や整理回収機構(RCC)などがあります。
これによって銀行の不良債権処理は最終的に終了しますが、企業が銀行から融資を受けられなくなるため倒産に至ることもあります。(続く)
日本企業の巨額の内部資金余剰の秘密について
下図は、日本の大企業(資本金10億円以上、ただし金融・保険を除く)を対象として、その内部資金から実物投資を差し引いた数字をグラフにしたものです。資料の出典は、財務省のホームページに掲載されている「法人企業統計」(時系列統計)です。
このグラフは、日本経済の歴史と現状に関する非常に重要な事実を示しています。
第一に、歴史的にみると、多くの企業は内部資金(企業内留保+減価償却費)を主要な投資資金源としており、不足分を銀行からの融資や株式発行によって調達してきました。1960年頃から1998年頃まで<内部資金マイナス実物投資>がマイナスとなっているのは、企業が内部資金だけでなく、外部資金(銀行融資など)に依存してきたことを示しています。
第二の重要な事実ですが、1986年頃から1991年頃にかけてマイナス額が急激に増加しています。これは、日本の企業がバブル経済の消費ブームに際して設備投資を拡大していたことを示しています。
第三に、バブルの崩壊後、内部資金の不足額が急速に縮小していますが、それにとどまらず、特に1998年頃からは大幅なプラスに転じています。
この三番目の事実は、また別のきわめて重要な事実と関係しています。
一つには、それはこうした内部資金の余剰が非正規・低賃金労働者を犠牲にして実現されたものだという事実です。1997年頃から非正規雇用が拡大してきたことについては、すでに指摘しました。もう一つは、一見すると個別企業にとっては合理的な思われる企業の行動が社会全体としては、人々の購買力を、したがって消費需要を縮小し、期待利潤率を引き下げ、結局は投資需要の縮小と経済的スランプをもたらしているという事実です。それはケインズの強調した「合成の誤謬」(fallacy of composition)に他なりません。それはまた企業が自分で自分の首を絞める行為でもあります。
政治家は、金融や財政にのみ眼を向けるのではなく、経済社会で生じている本質的な事実を直視しなければなりません。
このグラフは、日本経済の歴史と現状に関する非常に重要な事実を示しています。
第一に、歴史的にみると、多くの企業は内部資金(企業内留保+減価償却費)を主要な投資資金源としており、不足分を銀行からの融資や株式発行によって調達してきました。1960年頃から1998年頃まで<内部資金マイナス実物投資>がマイナスとなっているのは、企業が内部資金だけでなく、外部資金(銀行融資など)に依存してきたことを示しています。
第二の重要な事実ですが、1986年頃から1991年頃にかけてマイナス額が急激に増加しています。これは、日本の企業がバブル経済の消費ブームに際して設備投資を拡大していたことを示しています。
第三に、バブルの崩壊後、内部資金の不足額が急速に縮小していますが、それにとどまらず、特に1998年頃からは大幅なプラスに転じています。
この三番目の事実は、また別のきわめて重要な事実と関係しています。
一つには、それはこうした内部資金の余剰が非正規・低賃金労働者を犠牲にして実現されたものだという事実です。1997年頃から非正規雇用が拡大してきたことについては、すでに指摘しました。もう一つは、一見すると個別企業にとっては合理的な思われる企業の行動が社会全体としては、人々の購買力を、したがって消費需要を縮小し、期待利潤率を引き下げ、結局は投資需要の縮小と経済的スランプをもたらしているという事実です。それはケインズの強調した「合成の誤謬」(fallacy of composition)に他なりません。それはまた企業が自分で自分の首を絞める行為でもあります。
政治家は、金融や財政にのみ眼を向けるのではなく、経済社会で生じている本質的な事実を直視しなければなりません。
2012年12月25日火曜日
最近十数年間の賃金と失業率
1994年から2011年までの失業率(年平均値)と貨幣賃金率の対前年比をプロットすると、下図のようなグラフが描けます。ここから何が読み取れるでしょうか?
一つは、この間に人々の受け取る賃金所得(貨幣賃金または名目賃金)が低下した年がきわめて多かったという事実です。このことは前にも述べました。賃金が上昇したのは5年だけで、そのうち3年は限りなくゼロに近い数字です。これに対して低下したのは11年であり、そこからゼロ%に近い2年を引いても9年です。
もう一つ読み取れるのは、賃金上昇率と失業率との間にはっきりと負の相関が見られることです。つまり、貨幣賃金率が上がっている年には失業率が低下しており、逆に貨幣賃金率が低下している年には失業率が上昇しています。
これはある意味では当然のことです。景気が悪化すれば賃金も下がり、失業率も上がる(逆は逆)のは常識中の常識です。
ところが、新古典派の理論は、まったく正反対のことを言うのですから、驚きです。彼らは、それを図で説明するために、まず実質賃金率を縦軸に、雇用量を横軸に取り、次いで右下がりの労働需要曲線と右上がりの労働供給曲線を描きます。こうすると両者は一点で交わりますが、その点(雇用量N、賃金率w)を均衡点と呼びます。そこで彼らはおもむろに宣言します。これは市場均衡点であり、すべての市場参加者(企業者も労働者も)が満足する点である。しかるに(と彼らは続けます)政府が労働保護政策を実施したり、労働組合が労働市場に介入するので、実質賃金が均衡点より高くなってしまう。そして、その結果、労働供給が労働需要より多くなり、失業(時間)が生じてしまう。失業を減らすためには、実質賃金が下がるようにすること、つまり政府が労働保護をやめ、労働組合も活動をやめることが必要である、と。
こうした言説、つまり失業を減らすためには実質賃金を引き下げることが必要だと言う言説は、大学でも「労働経済学」で教えられているのですが、それが実に奇妙な珍説愚説の類いであることは、ケインズを含め多くの経済学者によって明らかにされてきました。その幾つかのポイントを紹介します。
・実は、右上がりの労働供給曲線は、負の限界効用の逓増の仮定に依拠しています。つまり、労働者が一時間ずつ労働時間を増やしてゆくと、負(マイナス)の効用が増えてゆきますが、その増え方(負の限界効用)が増えてゆくということです。
しかし、私は寡聞にして、負の限界効用を測定することに成功した人が一人でもいるという話を聞いたことはありません。また労働供給曲線はすべての人が満足している点の集合とされていますが、信じるに足りません。さらに人々は自由に労働時間を選択できるということになっています。しかし、それが絵空事であることは言うまでもありません。さらに極めつけは、失業が労働時間で測定されていることです。しかし、そんなことがありえないことは(多分)中学生でも知っていることです。
実は、新古典派の理論が描く失業というのは、すべての人が雇用されていて何時間か働いていることを前提し、さらに各々の労働者が(例えば)あと1時間働きたいと思っているのに、労働時間に対する需要が不足しているため(企業者が望まないため)働けないといった事態を指しています。(これは彼らの説明から論理必然的にそうなります。)しかし、そのようなことは仮想の世界のおとぎ話でしかありません。
・新古典派の労働市場論は、「短期」の理論です。短期というと聞こえがいいかもしれませんが、無時間ということです。時間のない世界の話です。ですから、私が下図のようなグラフを示しても、これは短期の理論ではなく、時間の経過に沿った動態だというかもしれません。
しかし、もしそのような反論があれば、私としては次のように言いたいと思います。「あなたは、自分の理論をどのように実証するのですか」。昔、カール・ポパーというドイツの哲学者は、科学が形而上学でなく経験科学といいうるためには、反証可能性の実在が必須だといいました。実際には、新古典派の労働市場論は、このポパーの反証可能性をそもそも欠いた主張(思想、教義)に過ぎません。もし反証可能性があるというなら、現実の、時間経過とともに変化する、動態的な経済に即して、どのように実証および反証することができるのか、是非とも聞きたいところです。しかし、新古典派の理論家たちは、この理論について深く追求されたくないようであり、私はついぞ耳にしたことも、文字で読んだこともありません。
一つは、この間に人々の受け取る賃金所得(貨幣賃金または名目賃金)が低下した年がきわめて多かったという事実です。このことは前にも述べました。賃金が上昇したのは5年だけで、そのうち3年は限りなくゼロに近い数字です。これに対して低下したのは11年であり、そこからゼロ%に近い2年を引いても9年です。
もう一つ読み取れるのは、賃金上昇率と失業率との間にはっきりと負の相関が見られることです。つまり、貨幣賃金率が上がっている年には失業率が低下しており、逆に貨幣賃金率が低下している年には失業率が上昇しています。
これはある意味では当然のことです。景気が悪化すれば賃金も下がり、失業率も上がる(逆は逆)のは常識中の常識です。
ところが、新古典派の理論は、まったく正反対のことを言うのですから、驚きです。彼らは、それを図で説明するために、まず実質賃金率を縦軸に、雇用量を横軸に取り、次いで右下がりの労働需要曲線と右上がりの労働供給曲線を描きます。こうすると両者は一点で交わりますが、その点(雇用量N、賃金率w)を均衡点と呼びます。そこで彼らはおもむろに宣言します。これは市場均衡点であり、すべての市場参加者(企業者も労働者も)が満足する点である。しかるに(と彼らは続けます)政府が労働保護政策を実施したり、労働組合が労働市場に介入するので、実質賃金が均衡点より高くなってしまう。そして、その結果、労働供給が労働需要より多くなり、失業(時間)が生じてしまう。失業を減らすためには、実質賃金が下がるようにすること、つまり政府が労働保護をやめ、労働組合も活動をやめることが必要である、と。
こうした言説、つまり失業を減らすためには実質賃金を引き下げることが必要だと言う言説は、大学でも「労働経済学」で教えられているのですが、それが実に奇妙な珍説愚説の類いであることは、ケインズを含め多くの経済学者によって明らかにされてきました。その幾つかのポイントを紹介します。
・実は、右上がりの労働供給曲線は、負の限界効用の逓増の仮定に依拠しています。つまり、労働者が一時間ずつ労働時間を増やしてゆくと、負(マイナス)の効用が増えてゆきますが、その増え方(負の限界効用)が増えてゆくということです。
しかし、私は寡聞にして、負の限界効用を測定することに成功した人が一人でもいるという話を聞いたことはありません。また労働供給曲線はすべての人が満足している点の集合とされていますが、信じるに足りません。さらに人々は自由に労働時間を選択できるということになっています。しかし、それが絵空事であることは言うまでもありません。さらに極めつけは、失業が労働時間で測定されていることです。しかし、そんなことがありえないことは(多分)中学生でも知っていることです。
実は、新古典派の理論が描く失業というのは、すべての人が雇用されていて何時間か働いていることを前提し、さらに各々の労働者が(例えば)あと1時間働きたいと思っているのに、労働時間に対する需要が不足しているため(企業者が望まないため)働けないといった事態を指しています。(これは彼らの説明から論理必然的にそうなります。)しかし、そのようなことは仮想の世界のおとぎ話でしかありません。
・新古典派の労働市場論は、「短期」の理論です。短期というと聞こえがいいかもしれませんが、無時間ということです。時間のない世界の話です。ですから、私が下図のようなグラフを示しても、これは短期の理論ではなく、時間の経過に沿った動態だというかもしれません。
しかし、もしそのような反論があれば、私としては次のように言いたいと思います。「あなたは、自分の理論をどのように実証するのですか」。昔、カール・ポパーというドイツの哲学者は、科学が形而上学でなく経験科学といいうるためには、反証可能性の実在が必須だといいました。実際には、新古典派の労働市場論は、このポパーの反証可能性をそもそも欠いた主張(思想、教義)に過ぎません。もし反証可能性があるというなら、現実の、時間経過とともに変化する、動態的な経済に即して、どのように実証および反証することができるのか、是非とも聞きたいところです。しかし、新古典派の理論家たちは、この理論について深く追求されたくないようであり、私はついぞ耳にしたことも、文字で読んだこともありません。
2012年12月24日月曜日
転機となった1997年 4
前回、橋本「財政構造改革」が1997年の景気後退を招き、1998年3月期までに不良債権を大幅に拡大したことを説明しました。
もう少し不良債権について検討しましょう。
現在、金融庁のホームページには、2002年以降の不良債権(金融再生法開示債権、リスク管理債権)の詳しい統計が掲載されていますが、それ以前の時期については、ほとんどデータがありません。そこで、1997年3月〜1998年3月の不良債権については、その構成、増加の要因を統計資料にもとづいて示すことはできませんが、不良債権が大幅に増加した2001年3月〜2002年3月以降の時期(小泉「構造改革」期以降)については詳しいデータが掲載されており、非常に参考になりますので見ておきましょう。
一口に不良債権(つまり正常債権以外のパフォーマンスの悪い債権)といっても、その内容は様々です。まず「リスク管理債権」とされているものの中には、破綻先債権、延滞債権、貸出条件緩和債権などがあります、また「金融再生法開示債権」は破産更正等債権、危険債権、要管理債権に分けられています。
また注意いなければならないのは、それらのグループが決して固定的なものではなく、正常債権が不良債権になり、不良債権の中でも要管理債権が危険債権に変わったりすることもあれば、危険債権が要管理債権に変わり、不良債権が正常債権に変わることもありえることです。
しばしば不良債権の「処理」と言う言葉が使われ、政府も2005年度をもって不良債権の「処理」が終了したと宣言していますが、その意味も多義的です。普通、不良債権の種類に応じて「引当金」を準備する間接償却や、貸借対照表からの最終的なオフバランス化を意味する直接償却を処理の内容としてイメージすることが多いかと思いますが、その他に不良債権が正常債権になるケースもあります。もちろん(繰り返しになりますが)不況の中で、一方で不良債権の処理(オフバランス化)が行なわれ、不良債権が減少しているはずなのに、他方で正常債権が不良債権化するため、不良債権が増加するといったこともあります。
しかも経済社会は複雑系の世界であり、ceteris paribusという呪文が効果を持たないといったことが生じていることを、ここでも指摘しないわけにはいきません。医学の世界では、腫瘍を取り除けば患者が健康を取り戻すといった風なことは当然のことかもしれませんが、経済の世界では、不良債権を無理に処理した場合、不況と金融危機が深刻化し、正常債権が不良債権化するといったことが生じるかもしれません。
1997年の場合、橋本政権(または大蔵省?)は当時の金融の状態を正しく把握しておらず、根拠なく楽観視していたふしがあります。また2001年の小泉政権の場合も、当時の金融の状態を正確に把握せずに結果的に金融危機を亢進する政策(構造改革)を推進した可能性が高いといわなければなりません。
しかし、2001年以降の「構造改革」については、後に詳しく検討することにして起きます。ここでは、不良債権のオフバランス化が推進される一方で、正常債権が不良化していたこと、また不良債権の中でも要管理債権の「下方移動」が生じていたことに注意を喚起するにとどめておきます。
もう少し不良債権について検討しましょう。
現在、金融庁のホームページには、2002年以降の不良債権(金融再生法開示債権、リスク管理債権)の詳しい統計が掲載されていますが、それ以前の時期については、ほとんどデータがありません。そこで、1997年3月〜1998年3月の不良債権については、その構成、増加の要因を統計資料にもとづいて示すことはできませんが、不良債権が大幅に増加した2001年3月〜2002年3月以降の時期(小泉「構造改革」期以降)については詳しいデータが掲載されており、非常に参考になりますので見ておきましょう。
一口に不良債権(つまり正常債権以外のパフォーマンスの悪い債権)といっても、その内容は様々です。まず「リスク管理債権」とされているものの中には、破綻先債権、延滞債権、貸出条件緩和債権などがあります、また「金融再生法開示債権」は破産更正等債権、危険債権、要管理債権に分けられています。
また注意いなければならないのは、それらのグループが決して固定的なものではなく、正常債権が不良債権になり、不良債権の中でも要管理債権が危険債権に変わったりすることもあれば、危険債権が要管理債権に変わり、不良債権が正常債権に変わることもありえることです。
しばしば不良債権の「処理」と言う言葉が使われ、政府も2005年度をもって不良債権の「処理」が終了したと宣言していますが、その意味も多義的です。普通、不良債権の種類に応じて「引当金」を準備する間接償却や、貸借対照表からの最終的なオフバランス化を意味する直接償却を処理の内容としてイメージすることが多いかと思いますが、その他に不良債権が正常債権になるケースもあります。もちろん(繰り返しになりますが)不況の中で、一方で不良債権の処理(オフバランス化)が行なわれ、不良債権が減少しているはずなのに、他方で正常債権が不良債権化するため、不良債権が増加するといったこともあります。
しかも経済社会は複雑系の世界であり、ceteris paribusという呪文が効果を持たないといったことが生じていることを、ここでも指摘しないわけにはいきません。医学の世界では、腫瘍を取り除けば患者が健康を取り戻すといった風なことは当然のことかもしれませんが、経済の世界では、不良債権を無理に処理した場合、不況と金融危機が深刻化し、正常債権が不良債権化するといったことが生じるかもしれません。
1997年の場合、橋本政権(または大蔵省?)は当時の金融の状態を正しく把握しておらず、根拠なく楽観視していたふしがあります。また2001年の小泉政権の場合も、当時の金融の状態を正確に把握せずに結果的に金融危機を亢進する政策(構造改革)を推進した可能性が高いといわなければなりません。
しかし、2001年以降の「構造改革」については、後に詳しく検討することにして起きます。ここでは、不良債権のオフバランス化が推進される一方で、正常債権が不良化していたこと、また不良債権の中でも要管理債権の「下方移動」が生じていたことに注意を喚起するにとどめておきます。
転機となった1997年 3
橋本「財政構造改革」とは何だったのか?
その全体像はともかくとして、それが消費税の3%から5%への増税、公的医療保険の自己負担率の増額、その他の国民負担率の増額を中心とするものであったことは多くの人の記憶に残っているでしょう。これによって国民負担は<単純計算に従うと>9兆円ほど増えることになりました。これは当時の名目GDPの2%ほどにあたります。
これほどの巨額の負担を増やした場合、それが経済に与える影響はどうなるでしょうか?
橋本首相と大蔵省の計算では、ceteris paribus(その他の条件が不変ならば)、一般会計の赤字は9兆円減ると期待されていました。実に単純な計算です。
しかし、実際にはそうはなりませんでした。一般会計の赤字(単年度)が減るどころか、むしろ大幅に増えたのです。どうしてでしょうか? 経済というのは複雑系の世界です。"ceteris paribus"の前提が成立するほど単純なものではないからです。もう少し詳しく説明しましょう。
9兆円に相当する国民の公的負担が増えるということは、その分だけ潜在的な可処分所得が減るということを意味しています。それは可処分所得からの支出(大部分は消費支出)が減ることを予期させます。また実際そうなりました。一方、政府の潜在的な収入は増えることになるでしょう。それがそもそもの財政構造改革の目的の一つだったわけです。ただし、そのためには条件があります。つまり、政府が歳入の潜在的な増加分だけ支出を増やせば、国民の側の支出の期待減少分を補って、日本全体の支出の大幅な減少は防げるでしょう。そうすれば景気の悪化が生じることもありません。しかし、橋本首相は、総選挙前には政府支出を増やすと公約していたにもかかわらず、実際にはこの公約を守りませんでした。つまり、結論すれば、橋本「財政構造改革」は2%ほど景気を悪化させる政策を実施したのです。
実際の様子を見ると、消費税率の引き上げられる直前の1997年3月までに「駆け込み消費」が生じ、商業販売額は拡大しましたが、4月からは消費支出が急速に低下してゆきました。前年(1996年)に3%近くにまで達していたGDP成長率は急速に低下し、日本はふたたび景気後退の奈落に落ち込みます。
財政収支はどうなったでしょうか? 次の一般会計に関する統計をご覧ください。
出典)財務省、オンライン・データより作成。
租税収入は増加するどころか、1998年、1999年と大幅に低下し、逆に公債金収入(国の借金)は急増しました。公債金の増加には、景気後退に直面して、政府(橋本内閣に代わって登場した小渕内閣)が公共支出を増加させることを余儀なくされたという事情も手伝っています。
「財政構造改革」は、20世紀末の日本のきわめて大きな失政です。それは景気後退を人為的に起こし、1992年からの「複合不況」で拡大した財政赤字を倍増させました。それはまた金融危機をふたたび拡大する役割を演じました。前回、1997年3月から1999年3月にかけて不良債権が拡大したという事実を示しましたが、この事実はもちろん財政構造改革と無関係ではありません。
ところで、1997年はアジア通貨危機の年でもありました。そこで、橋本財政構造改革の失政を取り繕おうとしようとする人の中には、1997年〜1998年の景気後退をアジア通貨危機のせいにしようとする者もいます。しかし、因果関係は逆であり、日本の景気後退を前にして、日本の輸入縮小→東アジア諸国の輸入縮小→通貨危機を恐れた日本企業が投資資金を引き上げたことがアジア通貨危機の直接の原因だったことを明確に示す説得的な研究があります。
その全体像はともかくとして、それが消費税の3%から5%への増税、公的医療保険の自己負担率の増額、その他の国民負担率の増額を中心とするものであったことは多くの人の記憶に残っているでしょう。これによって国民負担は<単純計算に従うと>9兆円ほど増えることになりました。これは当時の名目GDPの2%ほどにあたります。
これほどの巨額の負担を増やした場合、それが経済に与える影響はどうなるでしょうか?
橋本首相と大蔵省の計算では、ceteris paribus(その他の条件が不変ならば)、一般会計の赤字は9兆円減ると期待されていました。実に単純な計算です。
しかし、実際にはそうはなりませんでした。一般会計の赤字(単年度)が減るどころか、むしろ大幅に増えたのです。どうしてでしょうか? 経済というのは複雑系の世界です。"ceteris paribus"の前提が成立するほど単純なものではないからです。もう少し詳しく説明しましょう。
9兆円に相当する国民の公的負担が増えるということは、その分だけ潜在的な可処分所得が減るということを意味しています。それは可処分所得からの支出(大部分は消費支出)が減ることを予期させます。また実際そうなりました。一方、政府の潜在的な収入は増えることになるでしょう。それがそもそもの財政構造改革の目的の一つだったわけです。ただし、そのためには条件があります。つまり、政府が歳入の潜在的な増加分だけ支出を増やせば、国民の側の支出の期待減少分を補って、日本全体の支出の大幅な減少は防げるでしょう。そうすれば景気の悪化が生じることもありません。しかし、橋本首相は、総選挙前には政府支出を増やすと公約していたにもかかわらず、実際にはこの公約を守りませんでした。つまり、結論すれば、橋本「財政構造改革」は2%ほど景気を悪化させる政策を実施したのです。
実際の様子を見ると、消費税率の引き上げられる直前の1997年3月までに「駆け込み消費」が生じ、商業販売額は拡大しましたが、4月からは消費支出が急速に低下してゆきました。前年(1996年)に3%近くにまで達していたGDP成長率は急速に低下し、日本はふたたび景気後退の奈落に落ち込みます。
財政収支はどうなったでしょうか? 次の一般会計に関する統計をご覧ください。
出典)財務省、オンライン・データより作成。
租税収入は増加するどころか、1998年、1999年と大幅に低下し、逆に公債金収入(国の借金)は急増しました。公債金の増加には、景気後退に直面して、政府(橋本内閣に代わって登場した小渕内閣)が公共支出を増加させることを余儀なくされたという事情も手伝っています。
「財政構造改革」は、20世紀末の日本のきわめて大きな失政です。それは景気後退を人為的に起こし、1992年からの「複合不況」で拡大した財政赤字を倍増させました。それはまた金融危機をふたたび拡大する役割を演じました。前回、1997年3月から1999年3月にかけて不良債権が拡大したという事実を示しましたが、この事実はもちろん財政構造改革と無関係ではありません。
ところで、1997年はアジア通貨危機の年でもありました。そこで、橋本財政構造改革の失政を取り繕おうとしようとする人の中には、1997年〜1998年の景気後退をアジア通貨危機のせいにしようとする者もいます。しかし、因果関係は逆であり、日本の景気後退を前にして、日本の輸入縮小→東アジア諸国の輸入縮小→通貨危機を恐れた日本企業が投資資金を引き上げたことがアジア通貨危機の直接の原因だったことを明確に示す説得的な研究があります。
2012年12月23日日曜日
転機となった1997年 2
1991年の「複合不況」(平成不況)が日本の「失われた20年」の出発点だったとするならば、1997年頃はそれを決定づけた時期といえます。このことを示すために、前回は日本における一人あたりの雇用者報酬がこの年あたりから低下してきたと述べました。今日はまず、その事実を如実に示す図を掲げましょう。雇用者報酬の統計資料は、政府の「国民経済計算統計」からとっています。
出典)金融庁ホームページ、「金融再生法開示債権の状況等について」より作成。
注)統計数値は、3月末の数字。
これらのグラフから見られるように、不良債権は1996年3月から1997年3月にかけていったん減少し、その後1998年3月にかけて急速に増加しています。しかし、1998年3月から2001年3月までは不良債権の額は安定的に推移しますが、21世紀に入り、2001年3月から2002年3月にもふたたび急増しています。その後、2002年3月から2006年3月に不良債権は、急速に減ってゆきます。政府は、2005年度をもって不良債権の「処理」が終了したと宣言しています。つまり、1990年代と2000年代の日本における不良債権の金額の変化を見ると、大きく2つの時期に分かれることに気づきます。第一の時期は、1997年3月〜2002年3月の5年間ほどの時期であり、第二の時期は2002年3月〜2006年3月の4年間ほどの時期です。
さて、一体不良債権は、バブルが崩壊し複合不況の始まった1991年から数年経ってから何故急速に増加したのでしょうか? その理由の少なくとも一部は、橋本「財政構造改革」にあります。
この点は次回に詳しく論じますが、今日は最後に一点だけ指摘しておきます。それは、1996年には、日本経済が長い「平成不況」から漸く抜け出し、人々がホッとしかけていたということです。1996年は、GDP成長率が3%近くに達し、失業率も低下の兆しを示していました。この年は、多くの企業にとっても一息つくことのできた年でした。産業によっても異なりますが、多くの企業は1991年以降資産デフレーションの環境の中で巨額のキャピタル・ロスを計上していました。そうした企業は、自己資本や当期の利潤を犠牲にしてキャピタル・ロスを補填しなければなりませんでしたが、長期不況の中で利潤率も著しくて以下していました。3%のGDP成長率は、企業にとっても所得(利潤)を拡大できるチャスを提供するものでした。(事実、景気の回復とともに、上記のように不良債権も減少しはじめていました。)ところが、橋本「財政構造改革」はそうした企業の期待をも打ち壊しました。1997年3月以降、日本経済はふたたび景気後退の局面に入ってゆきます。そして、その後もずっと続く日本経済の負のスパイラル的な連鎖がここに始まります。
貨幣賃金(名目賃金)は、1997年にピークに達した後、低下しつづけています。また実質賃金(物価調整済み)は1995年〜1996年にピークに達してから徐々に低下してきました。実質賃金のほうの低下が穏やかなのは、1997年頃から始まったデフレーション(物価水準の持続的低下傾向)のためです。つまり貨幣賃金は急速に低下しましたが、物価水準が低下傾向にあるため、実質賃金の低下が穏やかになっているのです。
ただし、言うまでもないことですが、勤労者の賃金所得がおしなべて低下したというわけではありません。むしろ非正規の低賃金労働者が増加したために、平均すると一人あたりの雇用者報酬が低下したというべきです。このことは、国税庁の民間企業の給与に関する調査などから明らかとなります(下図)。
この図からは、1997年から2007年の10年間に相対的に高賃金の正規労働者の数が大きく減少し、低賃金の非正規労働者が大幅に増えていることがわかります。
それでは、1997年頃に何があったのでしょうか? 多くの人は覚えていることと思いますが、橋本首相の「財政構造改革」に他なりません。
上で示した賃金低下の始まりと財政構造改革は関連していたのでしょうか、それとも両者の符合は偶然の一致でしょうか? 私は偶然の一致ではなく、まさしく密接に関連していたと考えます。
そのことを少しずつ説明して行きたいと思いますが、その前に、まず銀行の不良債権の金額を示すグラフを示しておきたいと思います。下図は、1993年から2003年における銀行の不良債権の比率を示すグラフです。この時期はまだ「不良債権」の統計上の定義が揺れており、一定ではありませんので、この図だけから不良債権の増減を判断することはできませんが、一定の傾向は明らかになります。
出典)清水克俊「1990年代の銀行行動と金融危機への政府の介入」(財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」2006年10月)。
注)1993〜95年の不良債権は破綻先債権と延滞債権、1996〜97年は旧基準にもとづく公表不良債権(破綻先債権、延滞債権、金利等減免債権)、1998年以降は新基準のリスク管理債権。統計数値は、3月末の数字。
それでは、1997年頃に何があったのでしょうか? 多くの人は覚えていることと思いますが、橋本首相の「財政構造改革」に他なりません。
上で示した賃金低下の始まりと財政構造改革は関連していたのでしょうか、それとも両者の符合は偶然の一致でしょうか? 私は偶然の一致ではなく、まさしく密接に関連していたと考えます。
そのことを少しずつ説明して行きたいと思いますが、その前に、まず銀行の不良債権の金額を示すグラフを示しておきたいと思います。下図は、1993年から2003年における銀行の不良債権の比率を示すグラフです。この時期はまだ「不良債権」の統計上の定義が揺れており、一定ではありませんので、この図だけから不良債権の増減を判断することはできませんが、一定の傾向は明らかになります。
出典)清水克俊「1990年代の銀行行動と金融危機への政府の介入」(財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」2006年10月)。
注)1993〜95年の不良債権は破綻先債権と延滞債権、1996〜97年は旧基準にもとづく公表不良債権(破綻先債権、延滞債権、金利等減免債権)、1998年以降は新基準のリスク管理債権。統計数値は、3月末の数字。
出典)金融庁ホームページ、「金融再生法開示債権の状況等について」より作成。
注)統計数値は、3月末の数字。
これらのグラフから見られるように、不良債権は1996年3月から1997年3月にかけていったん減少し、その後1998年3月にかけて急速に増加しています。しかし、1998年3月から2001年3月までは不良債権の額は安定的に推移しますが、21世紀に入り、2001年3月から2002年3月にもふたたび急増しています。その後、2002年3月から2006年3月に不良債権は、急速に減ってゆきます。政府は、2005年度をもって不良債権の「処理」が終了したと宣言しています。つまり、1990年代と2000年代の日本における不良債権の金額の変化を見ると、大きく2つの時期に分かれることに気づきます。第一の時期は、1997年3月〜2002年3月の5年間ほどの時期であり、第二の時期は2002年3月〜2006年3月の4年間ほどの時期です。
さて、一体不良債権は、バブルが崩壊し複合不況の始まった1991年から数年経ってから何故急速に増加したのでしょうか? その理由の少なくとも一部は、橋本「財政構造改革」にあります。
この点は次回に詳しく論じますが、今日は最後に一点だけ指摘しておきます。それは、1996年には、日本経済が長い「平成不況」から漸く抜け出し、人々がホッとしかけていたということです。1996年は、GDP成長率が3%近くに達し、失業率も低下の兆しを示していました。この年は、多くの企業にとっても一息つくことのできた年でした。産業によっても異なりますが、多くの企業は1991年以降資産デフレーションの環境の中で巨額のキャピタル・ロスを計上していました。そうした企業は、自己資本や当期の利潤を犠牲にしてキャピタル・ロスを補填しなければなりませんでしたが、長期不況の中で利潤率も著しくて以下していました。3%のGDP成長率は、企業にとっても所得(利潤)を拡大できるチャスを提供するものでした。(事実、景気の回復とともに、上記のように不良債権も減少しはじめていました。)ところが、橋本「財政構造改革」はそうした企業の期待をも打ち壊しました。1997年3月以降、日本経済はふたたび景気後退の局面に入ってゆきます。そして、その後もずっと続く日本経済の負のスパイラル的な連鎖がここに始まります。
2012年12月21日金曜日
TPPは何故有害なのか?
TPPがきわめて有害なFTAとなる可能性はかなり理解されるようになってきましたが、まだその正体を理解していない人も多いように思います。そこで海外論調を一つ紹介します。
Will the RCEP Kill the TPP and Why You Never Heard of Either One
{日本語}
RCEPはTPPを殺すだろうか、また何故どちらのことも聞いた事がないのだろうか?
もしあなたが Public Citizen か Kuchinich Report(引退した米国の議員、Kuchinichのレポート)を購読していないならば、環太平洋連携 TPP 、あるいは環太平洋連携協定 TPPA に関連する秘密貿易交渉のことを聞いたことはないでしょう。TPPはNAFTA、またはWTOを生み出したGATTのような「自由」貿易協定ですが、もっと悪質です。
TPPに関する米国多国籍企業の主要な目標は、もっと多くの国に一連の極端な外国投資家の特権と権利および有名な「投資家―国家」システムを通じた私的な力を押しつけることです。このシステムは、外国の会社が国際司法裁判所に訴えて、健康、消費者の安全、環境およびその他の、国内と国外の会社に影響を与える法律と規制を脅かすことを許します。もし会社が「勝利する」ならば、「敗者の」国の納税者は賠償金を払わなければなりません。このようにTPPは、労働の権利を保護し、環境と食糧の安全基準を守り、同様に彼らの市民を非道徳的かつ貪欲な会社の利潤追求から保護する参加国の権利を事実上抹殺します。
RCEPは、地域包括経済協定の省略です。これは最近のプノンペン(カンボジア)におけるサミットかで東南アジア諸国連合(ASEAN)から出て来た、新たに提案された自由貿易協定です。RCEPの交渉は、2013年に本格的にスタートすることが期待されています。アジアとオーストラリアの外部では、RCEPは法人メディアでは事実上見られませんでした。
中国との新しい(古い)貿易戦争.
二つの自由貿易条約の間の最も重要な相違は、TPPが中国、日本、韓国を排除していることです。RCEPは、ASEAN、プラス中国、インド、日本、韓国、オーストラリアおよびニュージーランドを含むすべてのアジア15各国を含み、米国を除外するでしょう。換言すれば、RCEPは、世界の人口の半分です。韓国と日本は、TPPに参加するように招待されましたが、彼らの主権と経済を損なうかもしれない厳しいTPPの要請のためにまごついています。
オバマは、世界第二の経済大国、中国をTPPから意図的に排除してきました。何故でしょうか? その理由は、米国が中国との貿易戦争に加わっており、中国を経済的および軍事的に孤立させるためにできることは何でもやっているからです。
多くのアジア諸国、特に韓国、日本およびタイは、あまり厳格でないRCEPの方を明らかに選好しているので、大統領の中国、議会および米国の公衆をめぐる大統領の最終的な成果は不首尾に終わったかもしれません。
TPP条約は秘密事項に分類される。
TPPについて聞いたことがない主な理由は、あなたに代わって交渉されている秘密貿易条約のテキストが秘密に分類されていることにあります。600の会社がテキスト全体にオンラインでアクセスを許されているにもかかわらず、議会の公的なメンバーにはアクセスが拒否されています。その上、草案条約は、批准後3年間は参加国の市民に公開を禁止するという特別条項を含んでいます。幸いにも、TPPの規定への関与を否定されている点で極度に遮断されている下院と上院の共和党および民主党議員(彼らは全条約を承認する立場にあります)のために、十分なテキストが漏えいされてきましたNAFTAとGATTが交渉されている間に、元大統領クリントンは、議会に十分な情報を与えつづけ、彼らに制限された関与を許可さえしました。
ウィキリークス
キウィ反グローバル化活動家は、オークランドで12月3日に始まったTPPの最後の交渉のために大いに活発化しました。もし、わたしたちの最も調査能力のあるジャーナリストのニッキ―・ハガ―が、2010年12月にアサンジがロンドン警察に捕まるまえにロンドンに彼を訪問しなかったら、わたしたちはニュージーランドにおけるTPPについても知ることはないでしょう。人々が覚えているように、アサンジは、拘留される前に、何十万もの外交ケーブルを開放しました。彼は、ハッガーに米国・ニュージーランド・ケーブルのプレヴューを与えましたが、それは米国の会社がTPPの一部としてニュージーランドに押し付けようとした諸条件について私たちがどのように教訓を得たかというもものです。
著名な反グローバル化の代表者にして活動家のJane Kelseyによれば、「ケーブルは、米国の会社は私たちのGM(遺伝子操作)規則、土地と鉱物資源の外国人による所有に関する規制、Pharmacを含む知的所有権法をはっきりと視野に入れている」といいます。Pharmacというのは、ニュージーランドの国民健康サービスで使われている薬品に対する製薬会社にかかわる多くの不満を交渉する半自治的な政府組織です。
アメリカの公衆もまた、TPPに反対する実際に強い理由を持っています。Public Citizenによれば、新しい条約は、百万人以上の米国の職を海外に移すことを容易ににし、さらに政府の銀行監視を軽くし、米国経済のグリーン化を促進するべく計画されたバイ・アメリカン政策を禁止し、米国を危険な食品や作物でいっぱいにし、会社が米国の健康と安全基準を攻撃し、安価なジェネリック医薬品にアメリカがアクセスすることをできなくする権力を与えます。Electronic Frontier Foundationは、TPPの著作権規則が卸売りのインターネット監視にゆきつくと考えています。世界規模の反グローバル化活動家にとってのもうひとつの関心事は、特別なTPP規則によって会社が政府を直接訴えることを許すだろうということです。現在は、NAFTA、WTOおよび二国間の自由貿易協定の下で、彼らの会社がビジネスを行う能力に介入すると想像される国に対して訴えることができるのは、政府だけです。
2012年12月19日水曜日
転機となった1997年 1
昨日からブログを始めました。
昨日は「ブログを始めました」とだけ書きましたが、実は何を書いたらよいのか迷っています。私の仕事は、大学で経済学を学生に教えることですが、経済のことについては、別にサイトを設けて様々な情報を開示していますので、あらためて堅い内容のものを書くのもブログの性格上合わないような感じがします。かといってソフトな内容のことも書けません。
ただ本当は、経済学をやっていると、というより日本経済の分析をしていると、多くの人に知って欲しいと思うことが沢山あります。・・・が、さしあたり人に読んでもらうことを考えずに、一人ごとのような、社会経済戯評のようなことを書き連ねてゆくことにしました。
山家悠紀夫さんの著書に『暮らしに思いを馳せる経済学 景気と暮らしの両立を考える』(新日本出版社、2008年)があります。とても分かりやすく書かれていながら、日本経済や世界経済の実態、日本政府の経済政策(「財政構造改革」、「構造改革」など)にするどく切り込んだ名著と思います。そこに書かれていることを敷衍しながら、独り言のようなことを書きます。
日本では、2002年2月から2008年まで「戦後最長」といわれた「景気拡張期間」がありました。しかし、多くの人は記憶にあると思いますが、政府筋からそのような宣伝があると、決まってマスコミでは庶民の「えっ、本当ですか?」「実感がありません」といった声が映像とともに放送されていました。
もちろん、多くの人の実感は、政府の発表よりはるかに正しかったということができます。その理由はいくつかあげられます。
1)景気拡張期間というのは、景気のよい期間という意味ではありません。それは単に前の時期より実質GDPが大きかったというだけ、つまりGDPの成長率がプラスだったというだけです。実際には、GDP成長率はかなり低く、むしろ景気は悪かったのです。これはもちろん本当です。私は学生に対しても「景気の悪かった時期」と教えています。
2)しかも、この期間中、実質GDPの成長率はプラスでしたが、そのプラスも外的な要因、つまり中国と米国への輸出の拡大によって支えられていました。ですから、2007年〜2008年にグローバル金融危機が生じ、米国をはじめとする世界経済の減速、輸入の縮小とともに、日本経済もあっという間に谷に落ち込んでしまいました。
景気拡張期間中も、日本国民による消費は本当に寒い状態でした。寒気に襲われた先週の気候のような状態です。それに、せっかく稼いだお金も米国人の借金をファイナンスするために使われていたのです。
3)もっとストレートに言いましょう。景気拡張期間中も、日本の雇用者の一人あたり雇用者報酬(実質賃金、年額)は低下していました。
こういう話をすると、「えっ、本当ですか?」と驚く学生がいます。こちらとしては、「えっ、本当に知らなかったの?」と言いたくなります。
日本経済の姿を知るためには、まずこの辺りの事実から知る必要があると思うのですが、それ以前に、多くの人が賃金低下の事実を知らないという事実自体がまず問題だと考えています。ただし、基礎的な事実を知らないといって無垢な庶民を非難するつもりは毛頭ありません。むしろ批判されるべきは基礎的な事実を国民に知らせたくないと思っている政府、それに(何故か知らせない)マスコミだと思います。
私は、国民が知っておくべき事実を知らせない政府、マスコミの責任はきわめて大きいと思います。景気拡張期間中も実質賃金(および名目賃金)が低下したという事実そのものも重大ですが、それよりもそれを知らせない政府、報道しない日本のジャーナリズムの体質が問題だと思います。
それはそうと、賃金低下はいつから生じたのでしょうか?
1997年からです。ちょうど橋本「財政構造改革」が始められた頃からですが、このような賃金低下の開始と財政構造改革の開始との一致は決して偶然ではありません。また賃金低下は小泉「構造改革」の時期にも続きますが、この符合も決して偶然ではありません。
どうしてそのように言えるのか、それこそが日本経済論の重要テーマです。
昨日は「ブログを始めました」とだけ書きましたが、実は何を書いたらよいのか迷っています。私の仕事は、大学で経済学を学生に教えることですが、経済のことについては、別にサイトを設けて様々な情報を開示していますので、あらためて堅い内容のものを書くのもブログの性格上合わないような感じがします。かといってソフトな内容のことも書けません。
ただ本当は、経済学をやっていると、というより日本経済の分析をしていると、多くの人に知って欲しいと思うことが沢山あります。・・・が、さしあたり人に読んでもらうことを考えずに、一人ごとのような、社会経済戯評のようなことを書き連ねてゆくことにしました。
山家悠紀夫さんの著書に『暮らしに思いを馳せる経済学 景気と暮らしの両立を考える』(新日本出版社、2008年)があります。とても分かりやすく書かれていながら、日本経済や世界経済の実態、日本政府の経済政策(「財政構造改革」、「構造改革」など)にするどく切り込んだ名著と思います。そこに書かれていることを敷衍しながら、独り言のようなことを書きます。
日本では、2002年2月から2008年まで「戦後最長」といわれた「景気拡張期間」がありました。しかし、多くの人は記憶にあると思いますが、政府筋からそのような宣伝があると、決まってマスコミでは庶民の「えっ、本当ですか?」「実感がありません」といった声が映像とともに放送されていました。
もちろん、多くの人の実感は、政府の発表よりはるかに正しかったということができます。その理由はいくつかあげられます。
1)景気拡張期間というのは、景気のよい期間という意味ではありません。それは単に前の時期より実質GDPが大きかったというだけ、つまりGDPの成長率がプラスだったというだけです。実際には、GDP成長率はかなり低く、むしろ景気は悪かったのです。これはもちろん本当です。私は学生に対しても「景気の悪かった時期」と教えています。
2)しかも、この期間中、実質GDPの成長率はプラスでしたが、そのプラスも外的な要因、つまり中国と米国への輸出の拡大によって支えられていました。ですから、2007年〜2008年にグローバル金融危機が生じ、米国をはじめとする世界経済の減速、輸入の縮小とともに、日本経済もあっという間に谷に落ち込んでしまいました。
景気拡張期間中も、日本国民による消費は本当に寒い状態でした。寒気に襲われた先週の気候のような状態です。それに、せっかく稼いだお金も米国人の借金をファイナンスするために使われていたのです。
3)もっとストレートに言いましょう。景気拡張期間中も、日本の雇用者の一人あたり雇用者報酬(実質賃金、年額)は低下していました。
こういう話をすると、「えっ、本当ですか?」と驚く学生がいます。こちらとしては、「えっ、本当に知らなかったの?」と言いたくなります。
日本経済の姿を知るためには、まずこの辺りの事実から知る必要があると思うのですが、それ以前に、多くの人が賃金低下の事実を知らないという事実自体がまず問題だと考えています。ただし、基礎的な事実を知らないといって無垢な庶民を非難するつもりは毛頭ありません。むしろ批判されるべきは基礎的な事実を国民に知らせたくないと思っている政府、それに(何故か知らせない)マスコミだと思います。
私は、国民が知っておくべき事実を知らせない政府、マスコミの責任はきわめて大きいと思います。景気拡張期間中も実質賃金(および名目賃金)が低下したという事実そのものも重大ですが、それよりもそれを知らせない政府、報道しない日本のジャーナリズムの体質が問題だと思います。
それはそうと、賃金低下はいつから生じたのでしょうか?
1997年からです。ちょうど橋本「財政構造改革」が始められた頃からですが、このような賃金低下の開始と財政構造改革の開始との一致は決して偶然ではありません。また賃金低下は小泉「構造改革」の時期にも続きますが、この符合も決して偶然ではありません。
どうしてそのように言えるのか、それこそが日本経済論の重要テーマです。
2012年12月17日月曜日
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