2013年5月30日木曜日

ブラック企業の増幅

 ブラック企業とは何か?
 一言で言えば、労働基準法を守らない、または意図的に労働基準法を無視している企業のことです。
 例えば、「見なし残業」。これは新卒の学生がよく引っかかります。基本給に残業代が含まれており、残業しても基本給に含まれているので、残業手当は出ません。これが労働基準法に違反するかは、微妙なところもありますが、良心的な企業ならば、最初から明示しておくところでしょう。法の盲点を利用した手口です。
 その他、休憩時間がない、これも労働基準法違反です。また労働基準法では、勤務時間は、例えば商業であれば、開店のための準備時間を含むことになっていますが、ブラック企業では含まれません。当然、実際の勤務時間は長くなります。
 普通、ブラック企業には労働組合がありませんので、就職した新人は相談する仲間のいません。孤立した状態に追い込まれます。人間は孤立すると、異常な精神状態に追い込まれます。本当は、労働側の弁護士や、その他の制度を利用したり、仲間作りをするといいと思うのですが、学校で労働組合のことを学ぶわけでもありません。大学の経済学部で教わる労働経済学(新古典派系)では、労働組合が労働市場を硬直化させるので、悪だと教える教師もいますので、最悪です。結局、孤立して自主退職します。
 それでは、労働基準法には、意味がないのか? 注意しなければならないのは、労働者が権利意識をもって労働基準法に違反していることを訴えない限り、当局は動かないという事実です。ちょっと違う領域のことですが、警察もよほど重大な犯罪でないかぎり動かず、日常のいざこざなどを取り締まるわけではないのと似ています。
 ブラック企業にとっては、従業員の一部がやめようが痛くも痒くもありません。現在のような就職状況では代わりはいくらでもいるからです。つまり社会全体がブラック化しているからです。
 昔、ケインズ以前にケインズと同じことを言った偉大な経済学者、M・カレツキは、企業者は、労働者が力を得ることを政治的に好まないため、高い失業率を欲すると言いました。これは少なくともブラック企業には完全に当てはまります。
 これをなくすためには、労働者が権利意識を持つこと、失業率を下げること、怪しい労働経済学者の言う事を聞かないことなど、いくつかの点が重要です。


イギリス女王陛下の一言

 「恐ろしいことです。なぜ誰も危機が来ることを分からなかったのでしょうか? ・・・もしこれらのことが重大事なら、どうして皆がそれをみのがしたのでしょうか?」
 これは2008年11月6日にLondon School of Economics (LSE)で、金融危機に関する講義を聴講したエリザベス二世が発したことばです。(Daily Mailによる。)
 これに対して、Luis Garicano 教授は、最良の経済学者が皆危機は生じないと信じていましたという趣旨の回答をしたとか。
 もちろん、それはまったく誤りです。危機が起こる蓋然性は、「最良」ではない経済学者が予見できたからです。むしろ「最良」と言われた経済学者が「最悪」だったということでしょう。
 経済学者の中には、アメリカだけでも1980年代の金融危機、1990年代初頭の金融危機、21世紀初頭の金融危機(ITバブル崩壊による金融危機)のバブル・リレー後の金融危機の歴史を分析している人はおり、21世紀の住宅・金融資産バブルの崩壊による金融危機を危惧している人は沢山いました。ただ、それを指摘すると、アラン・グリーンスパンの「マエストロ(巨匠)」風の金融政策を賛美する声や、バブルの崩壊による金融危機を「狼少年」(Cry wolf)だといって逆切れする金融関係者、それに賛同する一連の経済学者(新古典派、マネタリスト)の声にかき消されただけです。
 もちろん人間は万能ではありえません。金融危機の後になって分かった事も多くあります。しかし、事前にわかっていたことも沢山あります。
 嘘だと思う人は、米国のLevy Economics Institute of Bard College の Working Paper や、Hyman Minsky、David Harvey、Robert Pollin(米国)、Susan Strange、Andrew Glyn(英国)、宮崎義一(日本)といった良心的な経済学者の著書・論文を参照されるとよいと思います。

2013年5月28日火曜日

TPPと自民党の6条件

 TPPへの日本の交渉参加に際して自民党が6条件を付したことはよく知られていると思います。この6条件が守られなければ、TPPに参加しないというものですから、本来、それはTPP交渉に大きな波紋を投げ掛けることになるはずです。というのは、それは、これまで4年以上にわたって交渉されてきたことを(すべてとは言いませんが、いくつかの根底的な部分を)ひっくり返すことになるからです。
 しかし、これまでのTPPの交渉参加国がそれをのむとは、到底思えません。そこで、考えられるシナリオは、次の2つだけです。
 1)自民党の6条件が無視される。このとき、自民党が(あるいは日本が)どのような決定をするかも2つに分かれます。一つは、自民党が公約通り、または選挙後6条件を提示したときの約束通り、TPPに参加しないという選択であり、もう一つは、選挙公約を破ったのと同様に、約束を破り、TPPに強引に参加するという選択です。私は自民党を信じていませんので、後者の可能性を危惧しています。それとも自民党を信じられる人がいるでしょうか?
 2)6条件がまじめに(?)討議され、TPP交渉が紛糾する。その結果、TPPはWTOのドーハ開発ラウンドと同じように挫折する。TPPのドーハ化です。
 さしあたり期待されるのは、こうしたTPPのドーハ化のシナリオです。
 
 そのためには何が必要か? さしあたり次のようなことでしょう。
 1)6条件をアメリカを始めとする交渉参加国に周知させる。情報では、自民党はまともに米国にさえ、6条件を伝えていませんので(本当です)、様々な手段で伝えてあげることが必要です。
 2)密室でのTPP交渉ですが、巨大多国籍企業の代表者の要請は積極的に聞いています。情報公開を求めると同時に、その密室性・反民主性、多国籍企業への奉仕という性格を人々の間に広く理解してもらうこと、反対の世論を強めることです。
 3)同時に、リークされている情報などをもとに、広くTPPの内容を人々に理解してもらうための活動を行なうことです。
 現在でもまだTPPは関税を撤廃する自由貿易協定の一種であり、農業は被害を受けるけれど、その他の分野では国民に利益がある位にしか考えていない(知らされていない)人がかなりいます。それはまったく事実ではないこと、TPPは企業の利益を国内の政策・法律・制度より上位に置くことによって、「企業支配」を可能にする巨大多国籍企業のための装置だということを(マスコミに代わって)伝えてゆくことが必要です。
 私の経験では、TPPに好意を示していたような人でも、ISDS条項(外国企業が政府を訴えるという制度、つまり国家主権の侵害)、ラチェット条項(いったん自由化すると、後戻りできないという制度)、医療・環境・保険・衛生・投資・資源などありとあらゆる国民生活に関係していることを説明すると、そんなにひどい内容なのかと、怒りだすこともある位です。
 事実を伝えることが重要です。








2013年5月27日月曜日

TPPの ISDS(投資家・国家紛争解決)条項

 TPPが秘密裏に密室で行なわれていることは、よく知られている通りです。しかし、米国を始めとする多国籍巨大企業の経営者たちが密室の会議に招かれ、彼らの要望を聞き入れられていることはどうでしょうか。米国の議会関係者が蚊帳の外に置かれているにもかかわらず、です。
 このことは、TPPの性質をよく示しています。それは様々な人々が示唆しているようにグローバルな「企業支配」(corporate domination)の強化に他なりません。よくTPPを評して、「全領域にわたる貿易自由化」を実現するものという人がいたり、米国の利益を実現するための経済戦略から出てきたものという理解を示す人がいます。それはまったく的外れではないかもしれませんが、正確な理解ではありません。まずTPPは国際貿易だけに関係するのではなく、経済・社会生活のほぼ全領域に関係します。またそれが2008年、米国のブッシュ政権から提案されたものであることは間違いありませんが、米国の国民全体の立場を増進するために打ち出されたものではありません。それは米国政府が主に米国巨大多国籍企業の利益に屈服し、それを国家の上位に置くために打ち出したものです。そのために米国政府は、2005年から存在していたP4(環太平洋経済連携協定)を乗っ取り、それを上記の目的のために改造しようとしました。何故か? それはドーハで挫折したWTOの多国間交渉(ラウンド)よりやりやすく、また日米など2国間のFTAと違って 米国政府の主張を通しやすいと見たからに他なりません。
 このことを最もよく示すのは、昨年(2008年)6月にリークされた50ページ以上のISDS条項のドラフト(案)です。
 この案によれば、例えば J 国に進出したA国の企業(どんな活動をする企業でもかまいませんが、例えば保険業)が J 国政府を国際法廷に訴えることができます。
 訴えることができるのは、例えば政府がある政策を実現するために、新しい法律を通し、それにもとづいて政策運営をするときです。それがA国の企業にとって、利益を損ねると判断されれば、訴訟を起こすことができます。また政府調達(業務委託や公共事業)でA国の企業が J 国の企業と比べて差別されていると判断しても訴えることができます。
 訴訟は、密室で行なわれる国際法廷で民間の弁護士によって行なわれ、その判決は絶対です。不服を訴えることはできません。いま、インド政府が多数の米国投資家によって訴えられているように、主に米国企業が外国政府を訴えるでしょう(逆はほぼないと推測されます)。そして、当該国の政府は何億ドルという国民の血税を外国企業のために支出しなければならなくなります。もちろん、それは企業を国民国家の上位に置くもの、国家主権の否定、民主主義の否定、元米国大統領T・ルーズベルトの言う企業の政府統治=ファシズムです。
 TPPを「平成の開国」などと見当はずれのことをいった政治家がいますが、無知も甚だしい発言です。またTPPに反対することは自由貿易、自由を否定するかのように喧伝する経済学者がいますが、逆です。TPPこそ巨大企業の利益のため、1%の富裕者のために多くの人々の生活上の様々な「自由と諸権利」を奪うものです。
 私たちの自由を守るためにもTPPに反対しなければなりません。
 またTPPの秘密主義を伝えようともしない巨大メディアに対して、本来のメディア機能を果たすよう求めてゆくことも必要です。


2013年5月23日木曜日

安倍政権下の日銀の金融政策

 大胆な金融緩和政策(量的緩和、政策金利の引下げ)によって貨幣供給を増やし、2パーセントのインフレーションを実現して(インフレターゲティング)、景気をよくする。これが安倍政権の方針、いや失礼、日銀は政府から独立した組織ですから、黒田日銀の政策スタンスだということはよく知られています。
 
 もっとも日銀がどんなに努力しても、貨幣供給が増えるかどうかは不明です。というのは、貨幣供給というのは、日銀が市中銀行に供給する貨幣量のことではなく、市中銀行が人々(企業や家計)や政府に対して供給する貨幣量のことですから、日銀が人々や政府に銀行からお金を借りるよう命令することはできない以上、結局のところ、人々や政府の態度(期待、所得、税収、政策スタンス)にかかっています。
 そこで、黒田日銀総裁が日銀だけで景気を良くすることができない旨の発言をしたのは正しいことになります。前の白川総裁もそうでした。さすがに日銀マンは、金融の実務をよく知っていますから、マウンドやホームのよく見えない外野手のような人々とは違います。

 ところで、最近長期金利が上昇傾向にあると報じられています。「あれあれ、金融緩和政策を実施したら、金利は低下するのでは? おかしいな?」 といったところでしょうか。
 でもよく考えてみましょう。もし2%のインフレーションが実際に生じたとしたらどうでしょうか? その時金利(どの種類の金利でも同じです)が同じ水準にとどまったら、実質金利は2%低下することになります。そんなことは経済学部の新入生でも理解できます。しかし、人々はそれで満足するでしょうか?
 頭の中で思考実験をすればわかりますが、銀行にお金を預ける預金者や企業に融資を行なう銀行は不満でしょう。2%のインフレーションの加速が期待されるならば、当然、名目金利も2%上昇してもらわなければなりません。もちろん、これは期待や希望であり、実際にそうなるかはまだ不明です。
 一方、お金を借りている人々(預金者に対する銀行や銀行に対する企業)や大量の負債を背負う政府は名目金利がそのままであって欲しいと希望します。もちろん、これも希望であり、実際にそうなるかは不明です。

 さて、結局のところどうなるでしょうか?
 この問題を考えるとき、貨幣供給と貨幣需要の両者をあわせて考えることが必要になります。
 まず銀行(中央銀行、市中銀行)は、自分で金利(お金の価格)を設定することはできますが、その価格で貨幣需要がどのように変化するかを事前には知り得ません。なるほど、個々の銀行では、金利を上げれば貨幣需要が減少し、逆に金利を下げれば貨幣需要が増加するかもしれないと期待することは可能です。しかし、その場合、他行が金利を変えずに自行だけが金利を変えるケースと、社会全体の銀行が金利を一斉に変えるようなケースでは状況がまったく異なります(ごちゃごちゃに議論する人がいますが、混同してはいけません)。 
 いま、すべての銀行がみずからの要請に合わせて長期金利を上げてみたとします。もしそれでも貸付需要があまり減少しなければ、銀行は自らの利益に応じてより高い金利設定をしたことを正しい選択だったと判断するでしょう。もし貸付需要が期待より減少すれば、高い金利を修正するかもしれません。これは「需要の価格弾力性」の議論の応用です。

 しかし、多くの経済上の決定は不確実な将来に対する期待から、ということは本当は現在の状況に対する判断から行なわれます。「一寸先は闇」とまでは言いませんが、何しろ将来は不確実であり、本質的に分からないのですから、動物的な感(animal spirits)がモノを言うというのが正しいでしょう。

 現在、株価は上昇し、為替相場は円安傾向に動いていますが、それでも人々の「期待」が確定的にある方向に向かっているとは思われません。何しろ、(おかしな話ですが)国民所得のうち最大項目を占める賃金所得の趨勢が不明なのですから。エコノミストの中には、景気がよくなっても、賃金が増えるとは限らないという人もいますが、景気がよくなるということは国民所得が増えるということであり、しかも国民所得は賃金と利潤の合計以外の何物でもありません。ひょっとすると、利潤は増えても、賃金は増えない(増えなくともよい)と考えているのでしょうか。ともかく、もしその点がはっきりすれば、金利にもはっきりした変化が生じるかもしれません。しかし、それまではジグザグでしょう。


GATTとWTO その2 貿易自由化と保護主義

 しばしば貿易自由化と保護主義は、対立概念であり、和解不能な二物であるかのように扱われます。しかし、本当にそうでしょうか?

 保護主義の本家本元ともいうべきF・リスト(Friedrich List)の著作にもとづいて検討してみましょう。
 ご存知の通り、リストは19世紀前半に活躍したドイツ人の経済学者であり、ドイツ歴史学派の祖と言われている人です。彼は、当時のイギリス自由貿易主義のイデオローグ、J・バウリング(John Bowring)と「ドイツ関税同盟」の対外関税政策をめぐって論争しました。バウリングは、イギリス功利主義の哲学者、J・ベンタムの弟子、かなり有能な弟子でした。
 さて、リストの保護主義の主張は、次のように要約出来るでしょう。当時のドイツ(という国はありませんでしたが、ほぼその後のドイツ帝国の領域となる地域)の産業発展のレベルは低く、ドイツ産業は幼稚産業であり、したがってドイツ関税同盟がイギリスと自由貿易を行なったら(つまり対英輸入関税をゼロにしたら)、イギリスとの品質競争、価格競争に敗北してしまう。ドイツの商業者、プロイセンの農業者(ユンカーなど)はイギリスとの自由貿易で利益を得られるので、それでよいかもしれないが、ドイツ経済全体の調和のとれた発展にとってはよろしくない。そこで、ドイツ関税同盟は、相当程度の対外関税を課するべきである、ということになります。
 これは数値例を使えば、次のようになります。今、綿布一単位がイギリスからドイツ関税同盟に10マルクで輸入されてきたが、ライン川流域で生産された同じ製品が13マルクであったとしましょう。この場合、ドイツがイギリス製品との価格競争に負けないための関税率は30パーセントになります。このような関税率を設定しようというのがリストのドイツ関税同盟に対するリストの提案でした。それは幼稚産業の保護主義政策であり、ドイツ関税同盟に参加したドイツ諸邦政府の経済介入を意味することは間違いありません。

 ちなみに、19世紀前半の米国の財務長官を経験したことのあるハミルトンも保護主義者でした。彼も保護主義政策の確立のために尽力しており、実際、米国は19世紀前半から20世紀前半に至るまで保護主義を実施しています。そして、クズネッツの国民経済計算統計(時系列の推計)にもとづけば、米国が最も高い経済成長を達成したのは、保護主義の時代です。(バグワティは、自由貿易を喧伝する本の中で、米国のこの時代のことを無視していますが、それは悪意からか、無知からか?)
 しかし、リストは決して経済的活動の自由を否定したわけではありません。
 むしろ彼は、今日的に言えば、後発国ドイツの経済発展・成長のための「開発経済学」を構想したのであり、そのためには人々の自由な活動が必要であると主張しました。例えば、彼は『農地制度論』で、ドイツの土地制度、特に相続制度に言及しており、(イギリスと同様に)ドイツで主流の一子相続制の慣行が長子を土地相続者=農業者にすると同時に、その弟たちを自由な労働者として産業労働のために提供することを奨励しています。人々の自発的な創意・工夫のエネルギーが産業発展に必要であることは言うまでもありません。

 もちろん、自由な活動は、特定の制度・ルールの中で行なわれるのであり、「仮想的な自由空間」の中で行なわれるのではありません。
 もしすべての政府活動が行なわれてならないものであれば、現在の日本の公的医療保険制度、年金制度、失業保険制度、最低賃金制度、公的預金保険制度、義務教育の政府支出、高等教育に対する政府支出、農業関税の設定、労働基準法の諸規定(労働時間、休憩時間、解雇規制など)、その他諸々の制度・ルールは無用物・有害物ということになります。しかし、公的医療保険制度を一つとっても、それがなくなれば、日本社会は崩壊するでしょうい。逆に公定医療保険制度という政府の規制下でも、人々(患者、医師、看護師、経営者など)は特に不自由を感じずにやっています。

 国際貿易についても同様です。一定の制度とルールの形成の下で自由に取引することが必要になります。そして、その制度とルールの中身こそが重要となるわけです。

 自由貿易、自由貿易とわめき散らすしか能のない人は、「制度とルール」を知らない者、それがどのように(どのような理念または利害から、またそれらの衝突から)生まれたかを考えたこともなく、またそれがどんな役割を演じているかを考えたこともなく、キャッチコピーを繰り返しているだけのように見えます。
 

GATTとWTOについて その1 はじめに

 最近、GATTとWTOについて調べています。
 そのため中川淳司『WTO  貿易自由化を超えて』(岩波新書、2012年)を読みました。
 私はあまり人の悪口を言いたくないのですが、また岩波新書にはかなりの信頼を寄せているのですが、この本はあまりいただけないように思います。

 何故か? 一言でいうと面白くありません。いわゆる制度と制度史を形式的に、うわっつらだけなめただけという印象が拭いきれません。例えば政府調達について書いてあるので読んでみると、ただ透明性とか自由化が必要だとしか読めません。そこでは具体的・現実的なミクロ(微視的)な現場で何が問題となっているか、という叙述が見られません。そもそもそういう視点が見られません。しかし、実際には、私の知っている限りでも、政府調達が構造改革によって「透明性の高い」競争入札制度を入れたとき、確かに価格が大幅に低下したことは間違いないけれど、それと同時に市民サービスも大幅に低下し、さらに業務委託で労働する人々の労働条件が悪化したという否定しようとしても否定できないほど明らかな事例が多数あります。さらにグローバル化し、外国企業が入札に加わった時には、どうなるのでしょうか? 
 貿易紛争処理についても同様。
 また開発途上国、インドや中国の反対が何故ドーハラウンドを挫折させたのか、その理由をインドや中国の側から説明しようとさえしていません。もちろん、中国やインドの主張を鵜呑みにしてもよいといっているわけではありません。彼らが先進国側の出したどのような側面を、どのような理由から問題視しているのか、一度は検討しなけれならないというだけです。そのことは、先進国側(といっても、企業も、労働者も、政府もありますが)の要求についても、どのような利害(理念?)から行なわれているかを理解することにもつながります。同じく「貿易自由化」の理念を持っているとしても、そういう作業を通じて現実の問題をえぐりだした時のほうが、より説得力を持つでしょう。その意味では、J・スティグリッツの叙述の方が説得的です。
 経済を分析する人には、しばしばマクロの(巨視的な)世界の抽象的な美しい世界の分析で満足してしまう人が多数います。WTOの官僚ではなく、もっとドロドロした現実の世界を相手にするべきではないでしょうか。
 以上、WTOについての「はじめに」をおわります。


2013年5月22日水曜日

奨学金を考える

 奨学金の返済が大きな社会問題となっています。
 大学や大学院を卒業した時点で、数百万円という巨額の借金。しかも、利子付きです。
 その上、きちんとした会社(ブラック企業ではない会社)に「人並みの生活を送ることのできる給与・労働条件」で就職できない人が増えています。それが深刻な問題になることは火を見るより明らかです。
 
 ちなみに、私も昔奨学生でした。しかし、昔は国立大学の授業料が月千円です。毎月の奨学金額(8000円)の8分の1に過ぎませんでした。その他にバイトで10,000万円ほどを稼いで、合計18,000円ほどが総収入。そこから、学寮にいた時は寮費が1000円ほどだったでしょうか。支出の最大項目は食費だったと思います。しかし、本も買い、アルコールもたまに飲むことができました。
 また返済時は石油危機によるハイ・インフレーション後だったこともあり、実質的な返済額は軽減されていました。
 思えば、古き良き時代(資本主義の黄金時代)の教育政策や経済状況の恩恵を受けた世代の一人だったと言えるでしょう。
 もちろん、私学に進学した場合は学費が結構高かったので、もっと大変だったに違いないと思います。
 
 いまはどうか? 授業料も高くなり、生活費もかなりかかります。もちろん、昔は4畳半、テレビ、冷蔵庫、クーラーの類いはいっさいなしでした。それに比べて、今は生活水準が上がっている(恵まれている)というシニア世代がいるかもしれません。しかし、人は社会的動物ですから、昔は昔、今は今、です。現在の学生に昔風の生活をしろと言う訳にはいきません。今の学生が昔風の生活をしなければならなくなったら、昔の学生が決して感じなかったような貧困を感じることでしょう。
 
 政権に就いたばかりの民主党は、若者の教育には金がかかるので、社会の負担で支出をしようという姿勢を示していました。それに反対する人も周辺にはいましたが、私は賛成でした。
 もちろん、若者に対して社会に依存して生きるべきだといのではありません。むしろ逆です。社会の恩恵を受けたのだから、学生時代にきちんと勉強し、卒業後は、職と所得を得、自立して社会を支援するような人になりなさい、という意味です。(福沢諭吉の『学問のすすめ』にもそのような趣旨が書かれていたような気がしますが、間違だったでしょうか。)
 
 あるいは、 

 自分の権利が守られていない状態にいる時、人は、他人の権利に思いを馳せるような余裕などない。


 教育の機会均等といいながら、有利子の貸与しか行なわず、卒業後はブラック企業以外に就職の道なし。これでは踏んだり蹴ったりです。

「仮想空間」の市場と「現実世界」の市場

 経済学が「市場」を取り扱うことはよく知られています。
 それでは、「市場」とは何か? 市場とは、貨幣(お金)を媒介して商品(財とサービス)を取引する場である。この定義でどうでしょうか?
 間違いとは言いませんが、100%正しいとは言えません。何故ならば、労働市場もあり、そこではモノではない労働力が取引されているからです。さらに市場では資産(土地などの実物資産や株式、国債などの金融資産)も取り引きされています。そこで、市場とは、貨幣を媒介して商品、労働力、資産が取引される場である、と言ったらどうでしょうか?
 かなり現実に近くなってきました。しかし、それでも100%正しいとは言えないように思います。というのは、われわれは市場の実相を観察しているというよりは、頭の中の「仮想空間」の中に想像されているイマジナリーな市場を考えているかもしれないからです。
 昔、ケインズは、一般の人々は、経済学者が考えている以上に経済学の影響を受けているかもしれないと言いました。仮にその経済学がどんなつまらないものであってもです。いや経済学者自身が先達の経済学者の影響を受けていることは間違いありません。
 その影響の一つは、市場がフェアーな取引を実現しているというものです。市場では、一方では人々(需要側)がその商品に対して感じる「効用」によって、他方では人々(供給側)が生産のために必要な費用(逓増する限界費用)によって、価格が決まっている。自由市場では均衡価格と均衡量が同時に決定される、こんなところでしょうか。
 しかし、このような定義に屈した瞬間に私たちはすでに「仮想空間」の住人になっています。実際、あなたは効用を計測したことがありますか? またあなたは費用が逓増することを自分で確認したことがありますか?
 ほとんどの人はないはずです。ないのに、あるかのように感じる、信じる。それは恐ろしい「刷り込み」や「マインド・コントロール」の世界です。
 現実世界では、市場はもっとストレートな力と力のぶつかり合いの世界です。確かに私たちが日常に接している世界(コンビニ、スーパー、デパートなど)では、そのような力を感じることは(幸いなことに)あまりないかもしれません。
 しかし、それは次のようなケースでは如実に感じられることでしょう。
 1)開発途上国の第一次産品(石油、コーヒー豆、バナナなど)
 昔、1950年代、1960年代には、セブン・シスターズと呼ばれた巨大石油会社(石油メジャー)がありました。これらの石油メジャーは、産油国の原油採掘権を得て、原油を安く買いたたき、それを先進工業国に運んでは高く売っていました。コーヒー豆やバナナについても同様です。だからこそ、「フェアー・トレード」運動に参加する喫茶店も登場したわけです。また石油輸出国は、OPECという国際カルテルを結成し、第4次中東戦争やイラン革命の機会に対米原油輸出を禁止し、石油価格を引き上げました。
 2)労働市場
 世の中にはそんな昔の話を持ち出さないで、という人もいるかもしれませんが、そんな人にとっておきの話をしましょう。
 近年、ブラック企業が多数出現しています。私はブラック度の高い企業の実例を知っていますが、取りあえずここは実名を出して糾弾するのが目的ではないので、実名は出さないことにします。日本では、<労働基準法が守られていないのは、道路交通法並み>という指摘もありますが、それはさて置き、ブラック企業が存在できるのは、端的に言って、労働側の力が弱いからです。サービス残業、あらかじめ本給に組み込まれている残業手当(就活中の学生には秘密にされています)、休憩時間に関する違法、過重・長時間労働など、具体例はきりがありません。
 そのような企業には労働組合がないことが多く、一人一人が孤立しています。
 そんな時、新古典派の労働市場論を見ると、失業者が多いのは実質賃金が高すぎるからだと書いてあり、さらに失業を減らすためには賃金を引き下げなければならず、また賃金の引下げに抵抗する労働組合の力を削ぎ、また労働組合に力を与えている政府の労働保護政策をやめさせるべき、などと書いてあります。
 実際には従業員の力など小さく、現在の日本で労働組合の力などきわめて小さなものにされているにもかかわらずです。
 
 結論。「仮想空間」の描く自由市場など存在しません。「現実世界」の市場をリアルに観察しましょう。

 ついでに、TPPについて一言。あたかも自由市場に委ねれば、多くの人々(99%)に利益があるかのように言う人がいますが、自由にまかせれば、多国籍巨大企業(1%)がその巨大な力を自由に行使することができるだけです。TPPの本質はまさにそこにあります。両大戦間期の米国の大統領、セオドア・D・ルーズベルトの名言を思い出しましょう。
 強欲な巨大企業が民主的な政府の上に君臨することを人々が許すとき、企業のファシズムがはじまります。

 フェアーな市場を生むためには、制度が必要である。このことを知る必要があります。


2013年5月16日木曜日

独り言

 経済というのは、ミクロ的な経済的事象が複雑に絡み合って成立している複雑系だ。ところが大学で教えられているミクロ経済学の理論もマクロ経済学の理論も諸要素を単純化した上で考えられた「仮想空間」を前提に組み立てられている「黒板経済学」のことが多い。新古典派の需要・供給による価格決定論、労働市場論、利子決定論しかり、規模に関する収穫逓減・費用逓増しかり、マネタリズム(貨幣数量説、自然失業率)、新ケインズ派のNAIRUしかり、利潤極大化の生産量決定論しかり。
 昔、1930年代初頭にケインズが『一般理論』を執筆したとき考えたのもそれだった。複雑な「経済社会の実相」は現実世界について学ばなければならない。
 労働市場論についていえば、雇用や失業を賃金だけから説明しようとするスタンス自体が間違っていることに気づかなければならない。もし経済学部の学生で、労働経済学で新古典派の労働市場論を教わったとき、おかしいと感じなければ、経済学研究を志すための素養・感性が欠けているといわざるをえないだろう。労働時間を「負の効用」としてしか捉えず、賃金を費用としてしか捉えないような経済学が事態を正しく把握できるわけがない。
 そういえば、1950年代にアイトマンとガスリーが企業調査を行なったとき、ある経営者(business)に「規模に関する収穫逓減」の正否を問うたところ、「どのような正気な経済学者」がそのように馬鹿げたことを考えたのかと言われたという。
 1990年代に米国企業を対象にS・Blinder、他が行なった調査でも同じ結果が出ている。しかし、そうした調査結果は主流の経済学者からは無視され、依然として大学では虚構の黒板経済学が教えられている。
 こんな状態では、経済学も役に立たないことがばれて、終わりかな。


その人の立場になって考えること

 昔、たしか大学生の頃、ノーベル文学賞作家の大江健三郎氏の著作集を読んだことがありますが、その中に<その人の立場になって考える>ことがエッセイを書く時の極意であるというような文章があったように思います(何しろ、数十年前のことなので、うろ覚えですが)。橋下発言は、おそらく従軍慰安婦のことなど考えずに思いつきから出てきたのだと推測します。英国の「ガーディアン」紙が「日本を軍国主義に導く傾向を持つ危険なポピュリスト」とほのめかすだけの理由があること間違いありません。
 すくなくとも現在の心優しい若者たちは、橋下発言などに同調するような発言をしないように期待する限りです。

安倍政権と新日銀の「近隣窮乏化政策」

 自国通貨安を始めとする方策を通じて外国への輸出を増やすこと(つまり外需依存)によって経済成長をはかる方法を「近隣窮乏化」政策と呼びます。これは第一次世界大戦前に行なわれドイツとイギリスの通商戦争の原因をもたらし、最終的には世界戦争をもたらしたと考えられます。両大戦間期にも、特に不況時に「近隣窮乏化」政策が採用され、結局は戦争を導きました。そして、現在も・・・。
 どうして「近隣窮乏化」なのか? それが外国人の需要(市場)を奪うことによってその国の経済成長のポテンシャルを奪うからです。ただし、輸出を増やそうとする国の側でも、輸出を促進するために「国際競争力」を上げようとして価格を抑制するために賃金を抑制します。昔もそうでした。今も、特に1992年のマーストリヒト条約後のドイツ、1997年以降の日本もそうです。したがってドイツや日本では、経済が成長する(GDPが増加する)のに賃金所得が増えないと、人々の不満がたまっています。そして、だからこそ、政治家は人々の不満のはけ口を外の世界に求めることになります。19世紀末のドイツ皇帝、ヴィルヘルム二世の「新航路」政策もそうであり、それに対するイギリスの自由主義的帝国政策もそうでした。
 話を現在の日本にもどします。どうして安倍政権の政策が「近隣窮乏化」政策なのか?円安・ドル高のどこが問題なのか? 
 日本と米国の間の経常収支・貿易収支をよく見てください。日本の黒字・米国の赤字です。ですから、本来は均衡を回復するためには、円高・ドル安であるべきはずです。それなのに、円安・ドル高を求めるのは、定義上「隣人窮乏化」政策に他なりません。
 これに対して安倍政権の政策を近隣窮乏化政策ではないといって弁護する見解もあります。また日本が近隣窮乏化をしかけたのではないから、というものです。また安倍政権は金融緩和策を行なっただけで、結果として円安・ドル高になっただけともいいます。しかし、前者は近隣窮乏化政策を否定する根拠にはなりません。お互いにやりあっているというだけです。後者は、一見正しいように見えますが、やはり間違っています。もしそうでないならば、円安・ドル高を修正する政策努力をするはずですが、むしろ大歓迎していることは誰の眼にも明らかです。円安によって多くの人々が輸入される商品(石油、小麦など)の価格上昇を耐えているのに、一部の輸出産業の利益が拡大していることを歓迎さえしています。それに何よりも日米間の経常収支不均衡の問題を度外視しています。

 さて、誇り高い日本を取り戻すには、外国などへの輸出に依存するのではなく、国内需要を拡大しなければなりません。そして、そのためには99%の人が得ている賃金所得を高めることが必要になります。

 ところが、このように言うと、賃金が高いと海外に流出しますよと恫喝する企業経営者が沢山出てきます。また彼らの提灯持ちの経済学者がそれを囃し立てます。しかし、このような日本社会を軽視するような人(財界人や御用学者)に対してこそ、自民党の政治家に頑張ってもらって、日本国家のために頑張りなさいと諭し、道徳を説いてもらいたいものです。
 もちろん、現実は逆になっています。海外に流出するといって脅す反日本・反社会的な大企業の経営者の身勝手な要求を聞き入れ、日本のために頑張って働いている人々には「ナショナリズム」と国民としての「義務」を説いているという図式、奇妙と思いませんか?


民主主義と相容れないTPP ドーハ化を!

 TPPについて話をしていて気づくことの一つは、いまだにTPPが自由貿易協定の一つであり、「平成の開国」を実現するものと考えている人がいることです。
 そもそもTPP交渉は秘密裏に行なわれており、その内容はたまにリークされる部分から推測するしかありません。また交渉に参加している者の中には多数の巨大多国籍企業の経営者が含まれていますが、米国でも議員のほとんどは情報を与えられていまん。もちろん、このような秘密主義と一部の利害関係者の意見だけを聞くという態度は、民主主義に対する敵対以外の何物でもありません。よくテレビでTPPに賛成・反対の世論調査なるものが出ますが、そもそも内容のよく知られていないものについて賛成も反対もありません。
 もとより内容については、何も分かっていないというわけではありません。リークおよび過去の米国のFTA交渉時の態度(WTOのドーハラウンド、NAFTA、米韓FTAなど)からTPPが「24領域」にわたっていることがわかっています。それは決して財・サービス貿易の自由化にとどまるものではありません(もちろんそれも問題ですが)。むしろ一国の制度(つまり、法律、慣習、モラル、文化など)にかかわるものがほとんどです。例えば参加国が税制や社会保障制度を変えるとします。もしそれが外国企業・投資家の利益に合わなければ、彼らは当該国の政府を法廷(そのために設置される国際法廷)に訴えることができます。つまり、マネーゲームなどを行なう一握りの外国の企業・投資家の利益のために当該社会が犠牲にされることになる危険性があります。これが決して絵空事でないことは、外国からの投資を呼び込むことを期待して多数の相互投資協定(BITs)を結んできたインド政府が最近外国人投資家に訴えられていることからも明らかです。これをISDS(投資家・国家紛争解決)条項と呼びます。
 しかも、いったん参加したら最後脱退することは不可能です。ちょうど幕末に日本が欧米列強と不平等条約を結ばされ、それを変えるために涙ぐましい努力をしたことを思い出す必要があります。「平成の開国」などと浮かれている場合ではありません。
 日本の公的医療保険制度、年金制度、労働基本法、環境、農業・国土利用などが崩壊し、社会が崩壊することのないよう、TPPの問題点を明らかにし、その秘密裏の交渉に抗議し、日本が参加しないようにする必要があります。
 これに対して、自民党(安倍政権)が参加のための6条件を提示したから大丈夫だという人がいるかもしれません。しかし、決して大丈夫ではありません。そもそも6条件なるものは米国(議会等)にほとんど伝わっていません。それにそれが伝わったとしても、彼らは驚くか、あるいは激怒して最終的には無視するでしょう。というのは、6条件をのむような内容なTPPは米国の推進派にとって無意味だからです。
 そこで、6条件を無視するようなTPP案が日本に提示されたとき、安倍政権はどのような態度を取るでしょうか、これが大問題となります。一番ありそうなシナリオは、日米同盟の強化のためというような名目で参加を決めるというものです。というのは、そこでTPPの不参加を決めることは、最初からTPPに参加しないという決断を行なった場合よりも、間違いなくはるかに日米関係を悪化させるからです。つまり安倍政権は、事前協議に参加を表明した段階で「無条件のTPP参加」を表明したのも同然なのです。
 しかし、WTOのドーハラウンドが決裂したように、TPPも日本が交渉参加を表明したため、交渉が紛糾し、ドーハ化するシナリオも残されてはいます。日本の多くの人々がTPPの問題条項に反対の声を高く上げ、国会が拒絶すれば、これが日本社会を崩壊から救う最後に残された道となるでしょう。