2015年7月31日金曜日

ジェームス・ガルブレイス『プレデター国家』(2008年) 3

 自由貿易などというものはない。


 「自由市場」。美しい言葉だ。「自由市場に反対する? あなた人間の経済活動の自由や権利を否定するつもりですか?」
 「自由市場」を批判するとこんな言葉が帰ってきそうな気もする。
 
 しかし、私は「人間の(基本的)権利と自由」を否定するつもりはまったくない。むしろ逆であり、個人の自由と権利を最大限尊重するべきと思っている。

 「自由市場」と「人間の権利と自由」とは、どのように関係しているだろうか?
 問題の一つは、現在の資本主義体制(ケインズ流にいえば企業者経済)では多くの人が企業に雇われて労働している人だということであり、その対価として賃金が支払われていることにある。それは労働力を売買するという労働市場が存在することを意味する。

 さて、このとき、もし企業、つまり労働力の購入者(雇主側)が、「私はあなたの労働力を買ったのだから、それをどう使おうと私の自由(勝手)だ」と主張したら、どうだろうか? それは当該企業の、そしてほぼすべての企業のブラック企業化(低賃金、長時間労働)を意味するだろう。
 だが、労働契約を結ぶ前ならどうだろうか? 企業と労働者が一対一で労働契約を結ぶならば、好ましい結果がもたらされるだろう。などと呑気なことを言っている場合ではない。経営者にとっては、会社に雇ってもらいたい者などいくらでもいる。労働者は交換可能な(interchangeable)なパーツにすぎない。「あなたが私の提示する労働条件を好まないのは知っているが、他にいくらでも働きたい人はいる。」
 これはとりわけ現在のように失業者が街にあふれている場合にはそうだ。

 一般化しよう。教科書の経済学と異なって、現実の経済社会の市場は「ひずんでいる」。それを構成するのは、平等な貨幣=力を持った多数者ではなく、独占者と、その対局にある人々である。
 このような経済社会で「自由市場」にすべてを委ねれば、どうなるかはサルには無理としても、小学生や中学生でも理解できるだろう。
 そこでは人は自分が普通に自由にやりたいことができなくなる危険性が高い。つまりまさに「自由」を失うことになる。実際、ブラック企業に雇われたことが分かっても、そこをやめられず、絶望的な気持ちになってゆく人が増えている。

 それではどうしたらよいだろうか?
 市場を廃止する? それは無理だろう。市場の廃止は行政機関が計画的に資源を配分する型の経済(指令型の計画経済)を必要とするが、それが機能するとは思えない。
 もちろん、すべての企業を分割して個人企業にすることも不可能である。

 残された方法は、人々が一定のルール・組織・制度にしたがって市場取引を行なうようにすることである。しかも、これは19世紀以来実際に行なわれてきた方法である。
 このルールがうまく作用するようなものであれば、動物や人間が空気を吸っても何も違和感を感じないように、ほとんどの人は違和感を感じないだろう。このルールや制度がどのようなものかを知らない人は、とりあえず労働法を勉強することをお勧めする。ちなみに、現在の日本の経済学部では社会政策論もなく、労働法もない場合が多いが、これは異常な事態ではないだろうか?

 さて、このゆうに独占力が支配するひずんだ市場では、この独占力に対抗する力=対抗力(countervailing power)が必要であることを主張したのは、ジョン・ガルブレイスであった。そして、それはある程度まで実現された。
 しかしながら、こうした対抗力は、1980年代以降の「雇用の柔軟化」(労働市場における規制撤廃)によって失われてきた。一つには、政府が意図的にそのような政策を推進してきたためであるが、他方では実態経済の変化によるところも大きいだろう。とりわけ、失業率の上昇は、対抗力を大幅に弱める。

 ここでは、それに関連して「自由市場」の神話とでもいうべきものをあげておこう。
 その一つはアダム・スミスに関するものであり、もう一つはデーヴィッド・リカードゥに関するものである。

 アダム・スミスは、しばしば「自由市場」(レッセフェール=ほっといて)の祖といわれる。具体的な言及は避けるが、「自由市場」に批判的な論者の間でも、アダム・スミスは自由市場論者に仕立て上げられることがある。中には、アダム・スミスは、自由市場における価格メカニズムが均衡・安定・効率を達成すると述べたという物語まで創作する者もいるが、これらはすべてミスリーディングだ。

 アダム・スミスが「自由市場」論を展開したという人が頻繁に引用するのが、『諸国民の富』(1776年)第4章第2節で重商主義を批判した箇所の次の文章だ。

 「彼(個人)自身の利益を追求することによって、彼が社会の利益を促進しようと実際に意図するときよりもそれ(社会の利益)をしばしば促進する。私は公共の善のために交易するふりをする人によって多くの善をなしたことを知らない。」
 
 たしかにスミスは、人々が「個人の利益」の追求することがよい結果(公共の善)をもたらすことが「しばしば」あると認めている。しかし、残念ながら、これは「自由市場」を賛美した文章ではない。そのことをよく示すのは、スミスが書いた草稿だ。
 
 「外国産業の支援よりも自国産業の支援を選好することによって、(諸個人は)自分自身の安全をだけを意図する。」

 彼がそうするのは、「見えざる手に導かれて、彼の意図の一部ではない目的を促進する」からである。(James Galbraith, p.66)
 
 もちろん、『諸国民の富』全体の文脈から切り離して、この文書の意味を理解することはできない。全体としてスミスが主張したかったことは、次の通り。

 ・生産力は、分業の発展を規定している市場の拡大とともに発展する。
  「分業は、市場の範囲によって制限されている。」
 いうまでもなく、スミスは貿易が市場の拡大を通じて生産力の発展を導くという大きな役割を冷静に観察していた。
 ・しかし、スミスは「無規制の市場」を賛美してはいない。彼が(例えば)ロンドンとカルカッタの間の貿易の拡大の利益を考えているとき、当時のイギリスとインドが同じ帝国領に属していたことを思い出す必要がある。イギリスは、当時のインドの繊維産業に勝利しなければならず、市場に介入するための様々な方策を講じた。
 ・帝国外の(例えば)フランスとの貿易についてはどうか? ここでも規制されない自由市場はスミスの主張ではない。むしろ逆に、上の文章は、(当時のイギリスの状態の中で)諸個人は「自国産業の支援を選好する」性向があることを述べたものにすぎない。自国産業を破壊しようとするものは誰もいないだろう。ここで市場における効用の計測などを持ち出してもスミス理解にとっては無益である。
 ・もっと重要なことは、スミスは「重商主義」(mercantilism)を批判し、「諸国民」の富を増やすことを考えていたことである。
 言うまでもない。重商主義(近年の新重商主義も)の政策スタンスとは、超過輸出(輸出ー輸入>0)の実現にある。しかし、スミスはむしろ重商主義者たちと反対に、「貿易収支の均衡」こそが「諸国民」の富の形成に貢献すると考えていたのである。「スミスは、ずっと続き、ずっと脅威をもたらしている戦争の世界における政治的リアリストだった。彼は新しい啓蒙的な用語で力にいたる道を見る点で、先行者たちと異なっていた。」

 要するに、アダム・スミスは、新重商主義を批判の俎上に載せたジョン・メイナード・ケインズ(『一般理論』1936年)にずっと近い立場にいたといってもよいだろう。


 デーヴィッド・リカードゥの「比較優位説」(次回)
 

 

ジェームス・ガルブレイス『プレデター国家』(2008年) 2

 『新しい産業国家』(1967年)が書かれた時と『プレデター国家』(2008年)の書かれた時の間に何があったのか?

 簡単に言えば、『新しい産業国家』は、産業の指導者+テクノクラートからなる企業組織を念頭において書かれている。
 そこで描かれているのは、モノの生産のために企業が如何に組織されているか、であり、その中心となっているのが、生産のための工学的な知識を持つテクノクラートによる巨大企業の統治である。
 これはまさに「資本主義の黄金時代」、しかも米国が資本主義世界に覇権をとなえていた時代の認識である。しかも、冷戦の最中ではあったが、ソ連は凋落しつつあった。フルシチョフの「改革」はソ連の計画経済を立て直すことができず、この後、ブレジネフの時代=「停滞の時代」(period zastoya)を迎える。

 しかし、この米国の絶頂期も終わりを迎えた。
 一つの理由は、日本とドイツの台頭である。冷戦体制の中で米国は西側の一員として日独の経済発展を後押ししてきた。しかし、それは結果的には米国の(相対的な)凋落を促進する。

 さらに1979年に始められたヴォルカーとレーガンの「マネタリズム」と「新自由主義政策」が米国経済を破滅させる。これはもちろんヴォルカーとレーガンの本意ではなかっただろう。しかし、結果的には凋落は加速化した。2つの経路で、・・・
 1)まず1979年から始まるFRBの引き締め=超高金利政策が米国企業を破滅に追いやった。たしかにハイ・インフレーションは進行していた。1980年のインフレ率は14%だった。しかし、20%を超える超高金利(実質金利6%!)が米国企業を直撃しないわけがない。そもそもこの高金利政策は、貨幣供給を抑制することによってインフレーションを沈静化するだけであり、実態経済(企業活動)を傷めないという「ミルトンおじさん」(ミルトン・フリードマン)のお墨付きの下に始められたことに注意しよう。しかし、残念ながらそうではなかった。マネタリズムの実験は、大失敗に終わったのだ。
 2)その上、高金利は、米国への資本移動を促し、ドル高、しかも一挙に外貨(マルクや円)に対して60%も通貨価値を引き上げるという結果をもたらした。これがすでに凋落させられていた米国経済をいっそう破滅の瀬戸際に追い込んだことは言うまでもない。
 米国は巨額の貿易収支の赤字国に転落し、滔々たるドイツ製品と日本製品の流入の前に米国の2大産業(鉄鋼と自動車)はリストラを余儀なくされた。

 もちろん、これが政策の失敗であることは言うまでもない。しかし、それを「自分の誤りでした」というFRB議長でも、大統領でもない。彼らは別のシナリオをもって日本やドイツを非難しはじめた。これが貿易摩擦問題である。(ここでは、本来の筋からそれるので、この点については、ここまでにしておこう。)
 ここで一言補足しておこう。これらすべてが「自由市場」の復活をスローガンとして掲げて行なわれたことを、当時のことを知っている人は覚えているだろう。「自由市場」、これは「小さい政府」、「規制撤廃」、「民営化」を一言で言い換えたものである。

 さて、「自由市場」のスローガンは置いておき、政策の帰結にもどろう。
 「コーポレート危機」(corporate crisis)。これが1980年代の米国で生じたことを一言で表現する言葉である。
 
 問題は、これによって、あるいはこれ以後、米国の巨大会社がどのように変質したか?である。
 一言でいえば、現在までに、きわめて少数のプレデター(捕食者)たちが会社を乗っ取り、政府(国家)を乗っ取ったというのが、ジェームス・ガルブレイスの結論である。このプレデターたちとは、どのような階層なのか? それはこれから詳しく紹介することとしよう。

 さて、本書のサブタイトルは「保守派はどのように自由市場を捨てたのか、またなぜリベラル派もそうするべきか」となっているが、このことにも注意しなければならない。

 しばしば「訓練を受けた保守派」は今でも「自由市場」を語り、「改革」「構造改革」を語っている。しかし、実際には、「プレデター国家」における保守派は「自由市場」をとうの昔に捨て去っている。
 
 つまり、現代のリベラル派=民主派は、一方では「自由市場」を賛美する保守派に対抗し、他方では国家を乗っ取っている保守派に対抗しなければならない。これがガルブレイスの根本的なメッセージである。

 ついでに、スティグリッツ(Joseph E. Stiglitz)の書評中の言葉も載せておこう。

 「(本書は)リベラル派(および他の誰であれ)の心に長年かけられてきた呪文をいかに解くかを示している。」

 この呪文とは、もちろん「自由市場」という言葉である。保守派は「自由市場」という言葉を(訓練を受けた保守派に)使わせながら、一方では、国家(政府)から利益を受けている。
 
 それでは、その実態とは如何なるものか? (続く)
 

ジェームス・ガルブレイス『プレデター国家』(2008年) 1

 ジョン・ケネス・ガルブレイスは、『新しい産業国家』(1967年)、『不確実性の時代』(1977年)をはじめとする多数の著書を著したアメリカ合衆国の伝説的な経済学者だ。J・F・K(ケネディ大統領)の時代には、経済顧問を勤めたこともあり、アメリカ経済学会会長をつとめたこともある。
 ジェームス・ガルブレイスは、ジョンの息子であり、現在、テキサス大学の教授をつとめている。『現代マクロ経済学』の共著者の一人であり、現在の米国のすぐれた経済学者の一人であることは、(日本ではともかく)米国ではよく知られている。最近では、ギリシャ政府債務危機の問題に取り組み、前ギリシャ財務相ヤニス・ヴァルファキス氏(同じくテキサス大学教授だった)とともに「トロイカ」(欧州委員会、ECB、IMF)やユーログループを相手に交渉に参加した。

 さて、話しは2006年にまでさかのぼる。その年の4月26日(水)、ジェームス・ガルブレイスは入院している父親をたずねた。これが100歳近い父親との最後の面会となったようである。父親は息子ジェームスに対して、現在何を研究しているのかと尋ね、「コーポレートの補食(corporate predation)について短い本を書くべきだ。そうすればお前は同世代の指導的な経済学上の声となるだろう。・・・もし私にそれができるなら、お前の陰は薄くなるだろうが。」

 おそらく父子は以前からずっとこの「コーポレートの補食」について語りあっていたのであろう。しかし、このエピソードは、ジョン・ガルブレイスが『新しい産業国家』で描いた経済のありかたがその後現在までに大きく変容し、まったく別のものになっていることを当人が認めていたことを示している。
 ともかく、その後、ジェームス・ガルブレイスは父親の遺言にそって『プレデター国家』(2008年)を世に問うた。それは1970年代から現在までに経済社会に何が生じたか、その歴史を深く分析した点で、またそのための経済理論的・経済学説史的思考を深化させた点で、優れた書物であると思う。

 『新しい産業国家』(1967年)から『プレデター国家』(2008年)までの40年間に何があり、現代の資本主義経済はどのように変貌したのか、「真実の経済学」(Robert B.Reich)を探求する者にとって最も示唆的な書がジェームス・ガルブレイスの本書である。

 残念ながら、本書は和訳されておらず、日本ではあまり知られていないようだ。私自身も本書の存在に気づいたのが一昨年であり、少し遅かった。遅ればせながらだが、時間を見て少しずつ紹介してゆきたい。

藻谷浩介『金融緩和の罠』の所説とケインズ・ハロッドの議論 4

 結局、ケインズとハロッドの議論は、現代経済の長期動態に関係することになります。
 その要点をもう一度まとめておきます。


 長期の意味。
 ここでは文字通り、短期・中期と比べて長期の時間を意味するが、以下に述べるように、長期では(設備)投資によって技術革新(労働生産性の上昇)が達成されるので、理論上は、投資によって技術革新が生じる長さの時間(統計上は一年以上か)と考えればよい。
 
 供給側と需要側
 現実の経済動態を見るには、政策、制度の進化などを見なければならないが、ここでは(時間の関係で)それらを捨象し、供給側と需要側の変化に限定する。
 供給側とは、現代の資本主義経済では、もちろん営利企業が生産能力を生み出す/拡大する側の要因であり、いかなる時代でも成立するように、「生産する能力のないモノは生産できない」。
 ハロッドやドーマーは、一国全体では、資本装備(資本ストック)の量(実際には金額)が生産能力(その資本装備を使って生産できる量。実際には金額)と比例関係にあることを発見した。
  Y*=K/Cr  またはY*=σ・K    σ=1/Cr
  (ここでは前者の式を用いる。)
 例えばσ=0.3なら、Cr=3.3に等しい。
 ここでCr(資本係数)は、時期や地域・国によってわずかに異なるが、ここでは説明の都合上、一定とする。(わずかに変化しても議論に支障はないが、説明が複雑になるので、そのように想定する。)
 一方、有効需要の側だが、教科書経済学でも教えられるように、
  Y=C+I+G+XーM   (有効需要→実際の生産)
 ただし、やはり以下の説明を簡単にするために、政府Gと貿易X−Mは捨象する。 

 現代の資本主義経済(企業者経済)では、この両者が一致するのは偶然にしかすぎない。しかも、通常は、Y*>Y である。(なぜならば、企業経営者は、生産能力に余裕を持たせてプラントを設計させている。)
 したがって通常 U=Y/Y* 利用率は1より小さい。 U=Y/Y*<1
   
 投資の二重性
 以上から容易に分かるように、(設備)投資の役割は二重である。一つは生産能力を拡大する役割、もう一つは有効需要の一項目。投資需要 I は、注文を受けた企業の機械生産を可能とするとともに、注文し投資した企業の生産能力を高める。
 ただし、通常、企業が投資するのは、消費財の生産が増えており、将来も増えると期待されるときである。このとき企業は生産能力を拡大するために投資する。
 要するに、長期動態を見るとには、供給側だけでなく、有効需要の側もみなければならない。

 自然成長率の概念(ケインズとハロッド)
 以上では、長期動態を考える場合に必要な労働力を見なかった。しかし、むしろ労働力の変化こそ長期動態を考える場合に最も重要な要素である。
 
 ただし、ここでは労働力がどのような要因によって変化するかという大問題を取り上げることはできない。あまりに複雑すぎるからである。(これは別の機会に論じる。)
 そこで以下では労働力の変化を所与のもの(外生的なもの)と考え、かつまた日本で生じているように人口(→労働力)が停滞・減少するものと仮定する。
 また社会全体の生産能力ではなく、一人あたりの潜在的な労働生産性も一定と仮定する。(この仮定もはずしてもよいが、簡単に説明するため。)ケインズは、長期統計から一人あたりの労働生産性上昇率が一年に1%と推計した。
 すると、人口(=労働力)の変化から考えると、社会全体の長期にわたって可能な成長率=自然成長率は、次のように示されることになる。
 Yn=N'+ρ    自然成長率=労働力の増加率+労働生産性の上昇率
 もし人口が毎年1%ずつ減少し、労働生産性が1%ずつ成長するならば、合計(可能な成長率)はゼロ成長である(つまり定常経済)。また労働生産性が2%ずつ成長しても、合計は1%である。これ(自然成長率)が現実の成長率が可能となる限度である。
 補足を一点。かりに失業者がかなりいれば、失業者を雇用し自然成長率を高めることは可能となる。しかし、それは長期的には(失業者がいなくなれば)不可能である。

 企業の求める成長率が現実の成長率(=<自然成長率)より高い場合
 しかし、もし企業が利潤の急速な増加を求めた場合はどうなるだろうか?
 例えば現実の成長率(自然成長率に等しいとする)が1%であり、企業が3%の成長率を求めるような場合である。
 この場合、3%の成長率を長期的に達成するためには、企業(社会全体)はそれに相応の(設備)投資を実現しなければならない。もし生産能力に余裕があれば、それほどの設備投資は必要ないが、長期的には生産能力は枯渇する。
 要するに、資本ストックの3%に等しい投資(したがって貯蓄)が必要となる。
 計算すると、I=S=0.03×K 
 ところが、Y*=K/Cr=K/3.3 とすると、I=0.03×K=0.03×3.3×Y*=0.1×Y*
 つまり、国民所得の10%の貯蓄が必要となる。
 
 さて、この貯蓄=投資が実現されたとしよう。それは年に3%ずつ生産能力を高める。しかし、実際の生産(←有効需要)は1%しか増えていない。これは明らかに投資が過剰だということを意味する。巨額の費用を投じたのに売れないという事態である。
 この時、企業は過剰投資を修正するために、次期に投資支出を減らさなければならない。それは機械類に対する需要の縮小を余儀なくする。景気は悪化するだろう。
 では、逆に、貯蓄=投資が1%の生産能力しかもたらさない規模(国民所得の3.3%)でしかなかった場合はどうであろうか? 
 このときは、もし企業がその状態に満足すれば、特段の問題は生じない。だが、企業がもっと多くの貯蓄=投資を実現しようして、利潤の増加のために賃金を圧縮するような場合は別である。このときには、(社会全体の)労働者の賃金所得が圧縮されるにつれ消費需要が低迷・縮小して、景気が悪化するだろう。
 社会全体の行動が不変であるときに(ceteris paribus)個別企業にとって成立することでも、社会全体で合成されると(ceteris paribusは成立せず!)誤った結果がもたらされることは言うまでもない(合成の誤謬)。

 実は、1997年以降に日本経済に生じたことは、以上で説明したことと大いに関係している。またそれは藻谷氏の指摘・問題提起と重なりあう。
 ケインズ、ハロッド、ドーマー、カレツキなどがかつて指摘(危惧)したことを古いなどとあなどってはならない。


参考文献
 ジェームス・ガルブレイス、他『現代マクロ経済学』第4章(TBSブリタニカ、1998年)。
 根井雅弘『経済学とは何か』(中央公論者、2008年7月)。
 伊東光晴『アベノミクス批判』第4章「人口減少下の経済」(岩波書店、2014年7月)。
 藻谷浩介、他『金融緩和の罠』第1章(集英社新書、2013年)。
 ケインズとハロッドについてバックナンバー。


2015年7月30日木曜日

米国の主流派はなぜケインズを嫌うのか?

 書きかけの項目がいくつかありますが、もう少しで定期試験が終了し、やっと少し時間が取れるので、その時にいくつかを終わらせることにします。
 またジェームス・ガルブレイスの『プレデター国家』の紹介も8月〜9月に予定。
 今日は、若干ツイートめいたことを書いて終わりにするつもり。


 米国の主流派経済学者(新古典派、サプライサイダー、マネタリスト、新しいケインズ派! など)は、どうしてジョン・メイナード・ケインズをあれほどまでに嫌うのでしょうか?
 一つの理由は簡単です。世紀の天才的な経済学者によって根本的に批判され、「ゴミクズ」同様に捨て去られた恨み(ルサンチマン)が今でも残っているからです。

 そこで彼らは、ケインズ殺し(「ケインズは死んだ」と唱える)を行なうか、新しいケインズ派を名乗りながらほぼケインズの主張と対立する命題を繰り返し唱えます。

 そのいくつかの事例
 1)「セイ法則」(供給がそれ自らの需要を創出する)の復活
 供給側の経済学が典型。この「理論」では、供給側がすべてですから、需要側の要因を考えることはまったくないという主張につながります。
 今日、グローバル競争が激しいから、多国籍企業の留保利潤を増やすために、法人税率を引き下げようとする提案などは、ほぼこれです。
 逆に言うと、需要側の要因(C+I+G+XーM)は、輸出を除き、ほぼ考慮外。
 輸出について語るときは、貿易収支が全世界ではゼロサムになること、黒字国の対極に赤字国が生まれること、赤字国が債務国であり、累積した巨額の債務が当該国の信用を低下させ通貨危機が生じることなど、を無視する傾向があります。また国内需要(C+I)を無視して、競争力をつけるため賃金を引き下げるべきなどという過激な主張をする人もいます。

 2)貨幣数量説(マネタリズム)
 貨幣供給は外生的であり(中央銀行が裁量的に決定できる)、中央銀行の供給するマネタリーベースを増やせば、市中銀行が企業等に供給する貨幣ストック(貸付額)も自然に増加するという主張。
 さすがに現実の銀行システムを知っている人は、それだけではまずいと考え、「インフレ期待」が生じ消費支出が増えるので、投資も増え、融資額も増え、実際にインフレが生じるなどと「精神論」に頼ったりします。しかし、「期待」は人によってまちまちです。そこで事実によって破綻。
 実際には、貨幣供給が増えるのは、銀行から融資を受けたいという企業・家計からの資金需要があるときだけ。しかも、その資金需要も(設備)投資のための需要だけとは限りません。その他に<投機>(speculation)、つまりキャピタル・ゲインを得るための資産購入のための需要も存在します。しかし、なぜかマネタリストは、これを隠したがる。

 3)特にかく失業を「高賃金」と「平等な所得分配」のせいにする「理論」
 古い新古典派の理論(高賃金が失業を生むという主張)、マネタリズムの主張(自然失業率というものがあり、現実の失業率をそれ以下には引き下げられないという主張+政府が失業を低下させようとしても無駄という主張)、OECDが1994年の公表した「職の研究」の主張(「統一理論」と自称)、市場における技術革新論(現代のコンピュータ化などの技術革新が低熟練者の失業をもたらしたという主張)などなど。
 最後の主張など、1980年代初頭の高失業(ITC革新前!)と1990年代のITCの進展(米国の低失業!)に見られるようにまったく時期が食い違っていますが、とにかく嘘も繰り返せば本当になると言ったらよいのでしょうか。
 また一時(1990年代〜21世紀初頭)、主流派は米国の低失業vs欧州の高失業という一般化を行い、その上で、欧州の高失業を高賃金と平等主義のせいにし、さらに高賃金と平等主義を欧州の福祉国家や労働保護立法のせいにしました。
 しかし、それがまったく事実に反することは、例えばジェームス・ガルブレイス氏が明らかにした通り(翻訳あり)。
 ・欧州の高失業は、単一通貨(ユーロ)の創出過程と創出後の「緊縮政策」(マーストリヒト条約・安定成長協定)による不景気が原因。
 欧州は、このために(連邦政府なしに通貨統合を行なうというケインズに反する事業を行ってきたため)現在でも高失業から脱却できない。
 ・欧州の各国・地域では、高所得・平等なほうが失業率が低く、低所得・不平等なほうが失業率が高い。これは米国内でも同じ。

 実際に主流派の主張の通りに、労働市場を柔軟化し、賃金を引き下げ、格差の拡大を許したら、労働条件が低下するばかりで、失業は減らないでしょう。(むしろ増えるかもしれない。これは ILO が真剣に心配しているところです。)

 4)その他

 今日はこれくらいにしておきます。(この項、続く)

2015年7月14日火曜日

ギリシャ前財務相ヤニス・ヴァルファキス、ドイツの意図を語る



明日[713日、月曜日]のEUサミットは、ユーロ圏におけるギリシャの運命を定めるだろう。この文章を書いているときも、私の友人にして同志、ギリシャ財務大臣の後継者のユークリッド・ツァカロトスはギリシャと債権者の間の最後の溝をうめる合意が達成されるか、またこの合意がギリシャ経済をユーロの内部に存在できるようにするかを決定することになるユーログループ会合に向かっている。ユークリッドは、中庸な、よく考え抜かれた債務再構成案を持ってゆく。それはギリシャと債権者の双方の利益に疑いなく適っている。(その詳細は、いったん落ち着いたら、月曜日にここで公開するつもりだ。)

ドイツの蔵相が事前に示したように、この控えめな債務再構成の提案がもし却下されるならば、日曜のEUサミットはギリシャをユーロ圏からいま放り出すか、それとも将来のいつか離脱するまで、深まる窮乏状態の中でもう少し内部にとどめておくかを決めることになるだろう。ここで疑問は、ドイツ財務相のヴォルフガング・ショイブレ博士がなぜ分別のある、穏健な、相互に利益をもたらす債務再構築に抵抗するのか、という点にある。(私の)署名入りの論評が今日のガーディアン紙にちょうど公表されたが、私の答えはそこに書いてある。[ガーディアンのタイトルは私の選んだものではないことに注意。私のタイトルは、「ドイツがギリシャ債務救済を拒否する背景」となっている。]ここをクリックして論評を開くか、それとも・・・
 ギリシャの金融劇は、<債権者が根本的な債務軽減を提供することをかたくなに拒否する>という一つの理由のために5年間もニュースの見出しを占めてきた。なぜ常識に反して、IMFの判断に反して、またストレスを与えられている債務者に直面している銀行家の日々の実践に反して、彼らは債務再編成に抵抗するのか? 答えは、ヨーロッパの迷路のように複雑な政治に深く根ざしているため、経済学の領域には見いだされない。
 2010年にギリシャは支払い不能となった。ユーロ圏の構成員を続けることと整合する2つの選択肢が提案された。まともな銀行家ならば誰でも勧める、分別のある選択肢は債務を再編成し、経済を改革するものであり、有害な選択肢は破産した存在にまだ支払い能力があるように見せかけて、それに新しい貸付を拡大するものだった。
 公的なユーロッパは第二の選択肢を選び、ギリシャの社会経済的生存能力よりもギリシャの公的債務で破綻したフランスとドイツの銀行の救済を優先した。もし債務再構築を実施していたら、彼らのギリシャ債務保有にかかる銀行家の損失を意味しただろう。納税者が維持不可能な新しい貸付によって銀行のためにもう一度支払いをしなければならないことを議会に説明するのを避けたくて、EUの高官たちは、ギリシャ国家の支払い不能を流動性不足の問題として説明し、「救済」をギリシャ国民との連帯のケースとして正当化した。
 取り返しのつかない民間の損失を「愛のむち」として納税者の肩にシニカルに転嫁する枠組みをつくるために、記録的な緊縮がギリシャにおしつけられ、その結果、ギリシャの国民所得は4分の1以上も減少した。この国民所得から新・旧の債務が返済されなければならないのにである。この過程がよい結果で終わらないことを知るには、頭のよい8歳の子の計算練習で十分である。
 このあさましい操作が終わるころには、ヨーロッパは自動的に債務再構築を論じることを拒否する別の理由を自動的に準備していた。それはいまやヨーロッパ市民のポケット(財布)をおそうだろう、というわけである。そして、それほどまでに拡大する緊縮策の服用が実施される一方、債務はますます大きくなり、もっと厳しい緊縮と引き換えにもっと多くの貸付を拡大するように債権者に強要した。
 この無限ループを終わらせるために、つまり債務再編成を求め、壊滅的な緊縮に終わりを求めるために、私たちのギリシャ政府は有権者の権限によって選ばれた。交渉は一つの理由のために、頻繁に公表された行き詰まりに達した。つまり、債権者がどんな実質的な債務再構成をも排しつづけ、一方、われわれの支払い不能な負債がギリシャ人の最も弱い人々、彼らの子供たちと孫たちによって「パラメーター的に」支払われると主張したためである。
 財務大臣としての最初の週、私はユーログループ(ユーロ圏の財務相たち)の総裁、Jeroen Dijsselbloemの訪問を受けた。彼は私に硬直的な選択肢を提示した。つまり、救済の「論理」を受け入れ、債務再構成のどんな要求もおとすようにせよ、さもなければあなたがたの貸付合意は「崩壊する」というものであり、その言外の意味は、ギリシャの銀行が閉鎖されるだろうということだった。
 5ヶ月に及ぶ交渉は、欧州中央銀行によって監督・実施された貨幣の窒息と、それによって誘発された銀行取り付けの条件の下で続いた。壁に書いたものがあった。それに従わなければ、私たちはすぐに資本管理、機能しているかに見せかける現金マシーン、銀行の休日の延長、そして最終的にはギリシャの離脱に直面しただろう。
 ギリシャ離脱の脅しは、短い歴史上のジェットコースターのようなものだ。2010年に金融業者の銀行がギリシャの債務でいっぱいになったとき、彼らのハートと心に神の恐れがもたらされた。ドイツ財務相のヴォルフガング・ショイブレがギリシャの離脱の費用はフランスやその他に規律をもたせる方法として「投資」の価値があると決定した2012年にさえ、生きている昼光を脅して他のほとんど誰からも切断するという展望が続いた。
 シリーザが昨年の一月に政権に就いたときまでに、そして「救済」がギリシャを救済することとは何も関係がない(また北欧を囲い込むこととすべて関係する)という私たちの主張を確認するためであるかのように、ユーログループ内の大多数は —— ショイブレの監督下で —— ギリシャの離脱を彼らの選好する結果か、それともギリシャの政府に対立する選択の武器として採用していた。
 ギリシャは、正当にも、通貨同盟からの切断の思想に震えた。単一通貨から離脱することは1992年に英国が行なったように、ペグを切り離すようなことではない。有名な話しだが、このときノーマン・ラモントはスターリングが欧州為替相場メカニズム(ERM)を去る朝のこと、シャワーで歌を歌った。悲しいことに、ギリシャはユーロとのペグを断ち切ることのできる通貨を持っていない。通貨はユーロであり、わが国民の持続不能な負債を再構成することに敵意を持っている債権者によって完全に管理されている外国通貨である。
 離脱するには、私たちは新しい通貨をゼロから創り出さなければならない。占領されたイラクでは、新しい貨幣の導入にほとんど一年、20機ほどのボーイング747型機、米国の軍事力の動員、3つの印刷会社、数百台のトラッックを要した。そのような支援がないまま、ギリシャの離脱は、18ヶ月以上も前に大きな通貨切り下げを声明するのと同じことになる。それはすべてのギリシャの(資金)ストックを消滅させ、可能などんな手段を使ってでもそれを海外に移転するというレシピである。
 ギリシャの離脱はECBの誘導した銀行取り付けを強要することになり、債務再構築を交渉のテーブルに戻すための私たちの試みは聞いてもらえなくなった。再三再四、私たちは、これは「プログラムの成功に終わる完遂」——これは「プログラム」は債務再構築なしには決して成功しないから素敵な「キャッチ22」(ジレンマ) だ —— に従う不確定な将来のための事柄だと言われた。
 今週末、私の後任者、ユークリッド・ツァカロトスがふたたび馬車の前に馬を置こうと努力し、債務再構築がギリシャを改革するための成功の前提条件であり、成功に対する事後的な報酬ではないことを敵対するユーログループに確信させようとするとき、会談は頂点に達する。なぜこれがそんなにも実現困難なのか。私には3つの理由が見える。
 ヨーロッパは、金融危機に対していかに対応するかがわからない。それは排除(ギリシャの離脱)か、それとも連邦のために準備するべきなのか?
 一つは、制度的な慣性を克服することが困難なことである。第二は、持続不可能な負債が債務者に対する巨大な権力を債権者に与えていることである。そして、よく知っているように、権力は最もふさわしいものをも腐敗させる。しかし、私にとってより執拗で、また実際、より興味深く思えるのは第三である。
 ユーロは、1980年代のERMのような固定相場制か1930年代の金本位制と、国家通貨とのハイブリッドである。前者は共にいだく排除の恐れに依拠しており、国家通貨は構成国間の余剰(例えば連邦予算、共通の国債)を再利用するためのメカニズムを内包している。ユーロ圏は、これらの腰掛けの中間物である。それは為替相場体制以上であり、国家以下である。
 そして障害がある。2008/9年の危機ののち、ヨーロッパはどのように対応するか分からなかった。それは規律を強化するために、少なくとも一つの排除(つまり、ギリシャの離脱)のための基盤を準備するべきなのか? それとも連邦制への動きか? いままでのところ、そのどちらも行っておらず、その実存主義的な怒りはますます拡大している。ショイブレは、物事が先にすすむように、空気を綺麗にするためにはどんな方法でもギリシャの離脱が必要だと確信している。ギリシャの公債がなくなれば、ギリシャの離脱のリスクは消滅することになるが、ずっとは維持できないギリシャ国債はショイブレにとって新たな有用性を獲得した。
 これは何を意味するのか? 何ヶ月もの交渉にもとづいて私は確信している。つまり、ドイツ財務相は、神の恐れをフランス国民におしつけるためにギリシャが単一通貨から排除されることを欲しており、彼の規律あるユーロ圏というモデルを彼らに承認してもらいたいと思っている、と。

2015年7月11日土曜日

公的部門と民間部門の給与格差 イギリスの事例から明らかになること

 日本でもそうですが、公的部門と民間部門の給与格差がしばしば問題とされます。その際、よく主張されるのは、公的部門、つまり公務員の給与が高い(高すぎる)のではないかということです。そこで、今日は、その実態にせまりたいと思います。ただし、ここで取り上げるのはイギリスの事例です。その理由はデータの問題など様々です。

 さてとにかく最初に全般的な統計数値をあげておきましょう。2002年〜2011年の国民統計局のデータでは、給与額(年収、週あたり給与)が両者とも増えてきています。各年ごとの格差を見ると、メディアン(中央値)、つまり給与額から見てちょうど真中にいる人々にはそれほど大きな相違はありません。ただ年によって公的部門の高いときもあれば、民間部門の高いときもであります(最後の3年間には公的部門が高くなっています)。
 しかし、ミーン(平均値)の週あたりの給与額では、この期間中、公的部門(公務員)の給与が民間部門の給与より高く、2011年には、7.7〜8.7パーセントほど高くなっています。
 このようい公的部門(公務員)の平均給与額が民間部門の労働者の給与より高いというのは、ネオリベラル派(新自由主義者、新保守主義者)にとっては、公的部門の労働者(公務員)に対する絶好の攻撃材料になりそうです。 

 しかし、早まってはいけません。この統計で、注意するべきことがいくつかあります。その一つは、日本国民にとっても大きく関心をひく事柄ですが、イギリスの給与額(貨幣賃金)が公的部門、民間部門を問わず、ずっと上昇してきたことです。名目賃金も実質賃金も低下してきた日本と比べて何とうらやましいことでしょうか。しかし、今はこの点については触れないでおきます。

 もう一つ注意しなければならない点があります。実は、公的部門と民間部門の給与を比較するのはかなり難しいことです。というのは、両者における従業員の構成は、性別、学歴、職種・職位、年齢、スキル(熟練)、労働時間など様々な点で異なっています。それは民間部門内部の給与格差についても同じです。両部門の給与格差をきちんと調べるためには、この点を正確にふまえる必要があります。

 さて、英国ではサッチャーの新自由主義(マネタリズム)政策以降、「低熟練」の職の多くが外注(アウトソーシング)に出されるようになるという公的部門の大きな変化がありました。そして、それによって低賃金労働が急速に広まりました。サッチャー時代に最低賃金制が廃止されたこともこの低賃金労働を広めることに大きく貢献しました。
 それでもまだ2002年には低熟練の職は公的部門と民間部門にほぼ等しく存在していました。公的部門の従業員の約12パーセントが低熟練の職にあり、その比率は民間部門では13パーセントでした。また当時は公的部門の従業員の23パーセントが高熟練の職であり、民間部門の従業員もほぼ同じ割合が高熟練の職でした。
 しかし、その後に大きな変化が生じます。民営化・外注がさらに拡大し、民間部門における低熟練の職の比率が大幅に上昇し、その結果、公的部門の高熟練の職は2011年までに31パーセントに増加しました。一方、(産業構造の高度化といいながら)民間部門の職は微増しただけです。 
しかし、同じ年で比較すると、高熟練の職についている人が受け取る給与は、公的部門のほうが民間部門より4.1パーセントも低くなっています。
 つまり、何がこの間に生じたかは明らかです。

 一方では、外注の拡大によって低熟練の職が公的部門から追い出され、民間の低賃金労働に委ねられるようになった。(これは誰が利得を得たかをよく示します。)
 他方では、公的部門に残されている高熟練の従業員は、一人一人を見れば、民間部門より低い給与に甘んじてますが、その比重が民間部門より高い(公的部門31%>民間部門2%)ので、また中熟練・低熟練の職に就いている公的部門の従業員は、民間部門の低賃金労働のために、比較的高いので、ミーン値をとると(平均すると)公的部門のほうが高く見える。
 実際のからくりはこのようなところです。

 まだ熟練の他に、年齢、在職期間、性別、職位・職種、労働時間などの相違などが残っていますが、今日は、とりあえずここまでにしておきます。


国民統計局(the Office for National Statistics) のデータ
https://docs.google.com/spreadsheets/d/15rl1tyUTppKWMS8JjOMGoov7s8LzPaCgFzPe1tUUmiQ/edit?pli=1#gid=0

2015年7月10日金曜日

ギリシャへの支援(貸付)は誰のために役立ったのか?

 ギリシャが2010年から2014年までに EU や IMF から受け取った「支援」(という名の融資貸)は、総額2100億ユーロ(約30兆円近く)に達する。
 この融資はいったいどのように使われたのだろうか?
 ギリシャ危機の真相を理解するには、これを知ることも必要となる。
  
 だが、この点についてもとんでもない誤解が広まっている。そのことを指摘するサイトを見つけたので、紹介しておこう。


 広まっている誤解というのは、「融資がギリシャ政府を破綻させず、その基本的な活動を維持し、医師、教師および警察官への給与を支払うために使われた」というものである。
 しかも、この誤った誤解を(悪意から意図的にか、無知のせいか)広める政治家もいる。例えば2014年末には、スペインの財務大臣がこの線に沿った主張をした。

 「ギリシャは、例えばスペインからの260億ユーロをはじめとして2100億ユーロを受け取った。ギリシャが金融市場からは得ることのできなかったこの資金調達のおかげで、ギリシャはすべての公共サービスを維持し、・・・医師、警察、退職者に支払うことが可能だった。」

 しかし、統計はこうした発言が虚偽にすぎないことを示している。
 統計によれば、ギリシャ政府が自国の医師、教員、警察官の給与を支払い、その他の公共サービスのために使うことができたのは、約11パーセントにすぎない。ギリシャ政府は、その大半を返済と利子の支払い、その他、国民のための支出ではない目的のために支出しなければならなかった。
 しかも、それと引き換えに、ギリシャ経済は破滅し、GDPの25%もの縮小が生じてしまったのである。ギリシャ経済は借金を返すために借金しなければならない状態に陥ってしまった。

 このことは、融資が誰のためであったかを如実に示している。あえて言うまでもなく、債権者=「投資家」の金融的な利益のためである。

ギリシャ政府による融資の使途

http://www.macropolis.gr/?i=portal.en.the-agora.2080

スペイン財務大臣の発言
http://www.thelocal.es/20141231/spain-reminds-greeks-what-they-owe-europe

ガルブレイス、EU債務危機と緊縮の殺伐とした風景を描く

 EU債務危機について説明するとき、債権者はなぜ「緊縮」を求めるのか、また世界の指導的な経済学者(クルーグマン、スティグリツ、ガルブレイスなど)が「緊縮」に反対するのか、質問されることがあります。

 一見したところ、緊縮というのは当然の正しい要求のように見えるかもしれません。たしかに単純な算術計算上では、そのように思えます。例えば政府の収入(歳入)が100、歳出が200ならば、赤字は100ですから、その他の条件が等しいならば(ceteris paribus)、歳出を 50 削減すれば、赤字は 50 に減少します。

 しかし、この ceteris paribus という呪文のような言葉が問題です。というのは、経済の世界では、ある変化が生じると、前提条件自体が変わるからです。例えば、上の削減額の 50 が GDP の15%に等しいと仮定しましょう。この削減は政府支出による有効需要を総需要の少なくとも15%ほど削減する危険性を持つからです。それは総生産を激しく収縮させる効果を持ちます。つまり、ceteris paribus はまったく成立しません。

 ここでギリシャで実際に生じたことに移りましょう。
 2010年に当時のギリシャ政府は、IMFから救済融資を受け、その際、2010年〜2013年にGDPの16%に等しい財政調整に同意しました。このとき、IMF は、当初、GDPは2011年にかけて5%低下し、2012年に安定し、2013年に成長に転じると「予測」しました。また政府債務・GDP比は2013年までにいったん150%に上昇するものの、その後は低下するとも「予測」しました(いったいこの予測がどのようにして出されたのかは問わないことにします)。しかし、実際は、実質GDPは累積的に25%も低下し、現在も回復していません。また債務・GDP比は180%ほどに上昇しています。
 かくしてガルブレイスが述べるように、「改革」(緊縮)と成長とのリンクは崩壊しています。実際には、「改革」を実行するほど、経済が破滅してゆき、失業率も上昇してゆきました。(全体で25%以上、若年者65%ほどになっています。)
 政府債務について言えば、GDPが収縮しているのですから、仮に債務総額が同じでも、債務・GDP比は上昇します。また同じくGDPが縮小しているのですから、政府の歳入も縮小してしまい、政府債務はさらに拡大せずにはすまされません。
 しかも、このような時に新たな救済(貸付)はどのような意味を持つでしょうか? それは債権者が貸付相手に返済と利子の支払いをせまると同時に、相手をいっそう貧窮化させ、それに対して貸付を増やすようなものです。
 まさに悪魔の循環とでもいうしかありません。

  この悪循環から逃れるためには、債務の延期と(ギリシャ国民投票で示された)緊縮の中止(ノー)しかないという結論が導かれる所以です。
 
 それではギリシャに貸付を行なった債権者は、なぜ、そのような「改革」という名の下に緊縮を強要するのでしょうか? これは難しい設問ですが、ケインズなら「思想」と「利害」と答えたでしょう。

 これに対するガルブレイスの答えは、フリードリヒ・フォン・ハイエクを哲学上の祖とする市場原理主義の思想と、スターリンを政治上の祖とする全体主義との混合物、すなわち「市場スターリン主義」であるというものです。私は、ここに1930年代に見られたケインズやジョン・ガルブレイスとハイエクとの対立がいまだに続いていると感じられてなりません。はたして私たちはハイエクが支持したような「自由市場」(労働組合の禁止、最低賃金制や失業保険制度の廃止、解雇規制の撤廃、あらゆる社会保障の停止、あらゆる金融規制の撤廃など)を強制されなければならないのでしょうか? ハイエクはどのような規制も人を隷属に導くという独自の教義を唱えました。しかし、それは「個人の自由」ではなく、巨大企業・金融利害の自由、それに隷属する自由でしかないのではないでしょうか?
 それは「悪い信念」(bad faith)であるとしか言えません。

 Bad faith, June 6, 2015.
    Greece has made tough chooses. Now it's the IMF's turn, June 17, 2015.
    The great Greek hope, January 25, 2015.
    Greece: Only the 'No' can save the Euro, July 1, 2015.
    The IMF's "Tough choices" on Greece, June 16, 2015.
    What is reform? The strange case of Greece and Europe, June 12, 2015.

ガルブレイス氏、ギリシャ危機、トロイカと債権者の混乱について語る

 ジェームス・ガルブレイス(テキサス大学教授)は、伝説的な米国の経済学者、ジョン・ケネス・ガルブレイスの子であり、自身も優れた経済学者ですが、ギリシャ問題にかかわり、ギリシャで現在政権についている 政党、Syriza(シリーザ)の財務大臣、ヤニス・ヴァロウファキスと一緒に「トロイカ」との交渉に参加してきました。そのガルブレイスが今年2月に行なわれた交渉の内実を語っています。(Fortune, Feb.20, 2015, Greece's fate: In Angela Merkel's hands?)

 「それ(ギリシャに対する態度)は、まったくメルケル次第です。私たちは、否定的なスタンスを取っている財務大臣と、話したがっている副首相から話しを聞きました。私たちが話しを聞いていない人物はメルケルです。彼女が必要となるまで話さないことを私たちは知っています。彼らはきわめて強硬であり、次に2つの譲歩をしなくてもよいように、最後の瞬間に一つの譲歩をします。」

 メルケルが一つのジレンマを抱えていることは言うまでもありません。このジレンマとは、ドイツの当面の利益を優先すればギリシャに対する強硬姿勢を崩すことはできず、かといって、もし強硬姿勢を貫いたときに「ユーロ圏の分解」を導いた人物となってしまうかもしれないという根本的な矛盾です。

 しかも、この矛盾のために、欧州財務大臣のユーログループ会議(2月11日〜17日)が「混沌としたマヌーバー(工作)」の場となっていたというのが実情のようです。

 例えば Pierre Moscovici(ピエール・モスコヴィチ、欧州経済財務委員)は、ヴァロウファキス財務大臣に「ギリシャのための新しい成長プログラムを議論するための時間を与えるために 債務の延長を許すコミュニケ草案」を提示しました。ところが、ユーログループのチーフ、Jeroen Dijsselbloem (ディーセルブレーム)  はまったく別の強硬案をヴァロウファキスに提示しました。
 ガルブレイスとヴァロウファキスはこの2つの草案を検討し、一つの妥協案を作成しました。しかし、ドイツの財務大臣ヴォルフガング・ショイブレは妥協案を拒否し、会議を閉会させました。
 その後、2月18日に欧州委員会議長のジャン・クロード・ユンカーが、この妥協案を「よいスタート」だと述べ、ドイツ副首相のガブリエル氏も「交渉のための出発点」となると述べました。ところが、ドイツ財務大臣のショイブレがそれを拒否しました。

 このような経験を経て、ガルブレイスは言います。「これを見て、私は眼玉が飛び出るほどでした。これがドイツ、ヨーロッパで最も強力な政府だ。」またガルブレイスは、「(EUの)機関的プレイヤー(欧州委員会、IMF、ECB)は建設的だったけれども、債権団という活動的なプレイヤーは財務大臣たちであり、かつ彼らは分裂しており、敵対している」とも述べます。

 ガルブレイス氏によれば、特に強硬姿勢を示している陣営が、(意外にも、ギリシャ同様に深刻な債務危機にみまわれている)スペイン、ポルトガル、そしてフィンランドであり、その理由は、彼らが選挙で(ギリシャと同じように)反緊縮派に負けるのを恐れていることにあったといいます。つまり、彼らにとっては、ユーロ圏を救うより自分の選挙が重要というわけです。

 EUが「ドイツ帝国」の支配のための装置になっているというE・トッドの結論がガルブレイスによっても確認されているといってよいでしょう。
 このような中で最終的には、ドイツ政府メルケルが決断する。これが最初に引用したように、ガルブレイスの結論です。言うまでもなく、その後彼女は強硬な結論をくだしました。そして、先日のギリシャ国民投票はそれに対するギリシャ国民の態度表明でした。
 メルケルは再度決断しなければなりません。そして、彼女の決断しだいでは、ユーロ圏は結局分裂にむかうことになるでしょう。

何故、安倍政権の下で円安になったのか? その3

 2013年の前半に何故円安(・ドル高)になったのか、を調べてきましたが、為替相場の変動をもたらす理由の一つが購買力平価(PPP)にあることを指摘しました。これと密接に関係しているのが、貿易収支や経常収支の変化です。もし為替相場を購買力平価に等しくする国際市場の力が作用するなら、経常収支の黒字を計上している国は、通貨高(=当該国商品の国際価格高)となって貿易収支(→経常収支)の黒字を減らすという結果をもたらすことになり、逆は逆となるでしょう。
 日本の場合、そのような関係は見られるでしょうか?
 下図は、1980年から2013年までの実質実効為替相場と経常収支(対GDP比)の相関を示したものです。これを見ると確かに、<円安→経常収支の黒字拡大→円高→経常収支の黒字縮小>というサイクルが4〜5回ほど繰り返されてきたことがわかります。
 特に1911年と1912年に経常収支の黒字が1997年の水準をしたまわるほどに低下しており、その後の1913年に実質実効為替相場が円安・外貨高に変わったことがわかります。 



 
 しかし、これも前に述べたように、現在では外国為替取引のほとんどは実需取引のためではなく、投機(資産取引)を目的としたものになっています。そこで、円安・ドル高の要因を調べるためには、そちらの側も調べることが必要となるでしょう。
 2012年2013年頃の資本収支を見ると、FDI(外国直接投資)が大幅なマイナスとなっていることに気づきます。これは日本企業が余剰資金(内部資金ー国内設備投資>0)を外国への進出のために外国に持ち出したことを意味しており、もしそのための円売り・外貨買い(ドル買いなど)をしたのであれば、円安の一要因となったと考えられます。
 とはいえ、同じ時期に証券投資の収支は大幅なプラスであり、外国人による日本の証券(株式)が買われています。これはむしろ円高の要因(外貨売り・円買い)につながるはずです。実際、当時、日本株式の購入を目的とする大規模な円買いが行なわれたようです。
 ところが、それと並んで、どこからか大規模な円売り・ドル買いがあったともいわれます。
 そこで、もう一つの重要な点、つまりこの当時日本政府(財務省の担当部署)が為替市場に対してどのような態度をとっていたか、つまり財務省の為替市場への介入があったのかなかったのかを確認しておかなければならないでしょう。  (続く)

2015年7月8日水曜日

藻谷浩介『金融緩和の罠』の所説とケインズ・ハロッドの議論 3

 いよいよ、ケインズとハロッドが問題とし、最近藻谷氏が議論してきた人口静止または減少の「経済的帰結」について紹介します。

 まずケインズですが、講演「人口減少の若干の経済的帰結」(1937年)では、今風にいうと過去の出生数の変化から「生産年齢人口」が将来減少するだろうと予測します。そのときに何が生じるのか、また問題となるのかですが、それを論じるためには、過去の実態を知ることが必要になります。
 ケインズによれば、資本主義経済が生まれてから当時までのイギリスで、人口は毎年平均1パーセントの率で増加してきました。また一人あたりの所得は毎年平均1パーセント増加してきました。つまりイギリス全体では毎年2%の所得増加があったことになります。この2%の所得増加を実現するためには、投資によってが必要であり、それによって資本装備の総量も(ラフにいって)毎年2%増加することが必要でした。(ここでは資本装備の総量が問題となっているので、投資は純投資となります。)
 ところで、ハロッドやドーマーが指摘したように、国全体の生産能力(設備を適正に稼働して生産できる量)は資本装備(資本ストック)の3〜4倍に等しいと考えます。これは、「資本係数」が3〜4ということです。この数値には地域差がありますが、時間が経過してもほとんど変化しないことが知られています。ここでは説明と計算の簡単のために4としておきます。
 すると、成長率 G=ΔY/Y=0.02、かつ Y=K/4、 ΔY=I/4 ですから、
 I = 0.08 × Yとなり、
毎年2パーセントの成長を達成するのに必要な純貯蓄(=純投資)は国民所得の8パーセントほどとなります。
 
 これを実現するのは、簡単そうに見えるかもしれません。しかし、実はこれはほとんど不可能なほど大変なことです。特に人口が静止または減少しているときにはそうです。
 1)いま人口(=労働力)が毎年1パーセントずつ減少する場合を考えます。このとき、経済が2パーセント成長するためには、一人あたりの労働生産性が毎年3パーセント増加しなければなりません。これはほんの短い期間なら多分可能でしょう。しかし、長期にわたって3パーセントというのはありえない、高い数字です。
 おそらくケインズが過去のイギリスから割り出した1パーセントが妥当な線でしょう。しかし、これは人口が毎年1パーセント減少する経済では、経済成長率が0パーセント(ゼロ成長)となるような水準です。
 なお、ハロッドは、この人口(=労働力)増加と一人あたりの労働生産性の成長の合計を「自然成長率」とよびGnで示しており、ここでもその用法に従います。つまり、すぐ上の例は、自然成長率がゼロとなることを示しています。

 2)しかし、この自然成長率も必ず達成されるというわけでもありません。ケインズが『一般理論』で明らかにしたように、実際の成長には、それに応じた有効需要の変化が必要だからです。
 すぐ上の自然成長率ゼロの例では、それに等しい現実の成長率を達成するためには、人口が毎年1パーセントずつ減少するのですから、それを補う人口一人あたり1パーセントの有効需要の増加がなければなりません。
 つまり現実の成長率G=ΔY/Y=0 ですから、経済は静止状態にあるように見えるかもしれませんが、実際には、人口の1パーセント減少、一人あたりの生産・所得1パーセント増加という大きな動態的変化が生じることになるはずです。
 1パーセントの有効需要の増加など簡単だと考えてはなりません。もし簡単なら何故労働者の平均の実質賃金率も、日本全体の賃金総額も減少してきたのでしょうか?
 もう一つ大きな難問があります。そして、それこそケインズとハロッドが注目した大問題です。

 3)それは、人口が減少しているという状態の中で、人々、とりわけ企業が従来のように大きな利潤の増加、したがって貯蓄の増加(つまり、資産の増加や企業の資本設備の拡大)を望んだときに生じる逆説的な事態です。
 記号と言葉の説明だけでは難しくなるので、上記のように経済全体の2パーセントの成長を人々(特に企業)が実現しようと望んでいるとします。特に企業は利潤の高成長を期待し,高い成長率を望む傾向があります。この場合、これまで述べたように、資本係数が一定(4)とすると、人々が実現しようとする貯蓄率(投資率)は8パーセントとなります(上記参照)。人々は2パーセントの成長とそれに対応する8パーセントの貯蓄を望んでいると言い換えることもできます。
 ハロッドはこのように人々の願望を実現するような成長率を保証成長率と呼びました。
 しかし、(上記の通り)現実の成長率は自然成長率を超えず、せいぜい0パーセントです。つまり、必要な貯蓄率(純投資率)はゼロです。
 このように保証成長率と実際の成長率にギャップが生じたときに何が生じるでしょうか? 
 ケインズとハロッドの危惧は次のようなものでした。
 1)人々、特に企業は期待された成長率が達成されず、したがって利潤も増加しないので、貯蓄率を引き上げるために、賃金圧縮を行なうかもしれません。それによって利潤を増やし、配当と企業の内部留保を増やすことがねらいです。また家計の側でも、もっと貯蓄を増やそうとして消費を切り詰めるかもしれません。それは消費需要を抑制する効果を持つことになります。
 2)一方、特にハロッドの『経済動学』では、仮に企業がそれでも新規の純投資を行なった場合、有効需要の停滞に直面して資本装備の稼働率(利用率)が低下していること、つまり設備投資が過剰であることに気づき、新規投資を縮小せざるを得なくなることを指摘します。
 要するに1)と2)のいずれの作用によっても、有効需要(消費需要+投資需要)が停滞する可能性が高くなることが危惧されます。

 しかも、これは単なる机上の理論、空想ではありません。実際に1997年以降の日本で生じてしまった事態です。日本企業は、利潤・貯蓄(投資資金)を拡大するためにリストラと賃金圧縮を行なってきました。しかし、その結果、消費が抑制され、投資需要も停滞したことはよく知られています。また国内投資を実施しても、過剰投資をもたらしました。これは景気動向指数の中の「稼働率」の変動を見れば一目瞭然です。

 これに対する対策は、どうあるべきでしょうか?
 ここで最初に戻ります。よくある言説、つまり人口が減少するのだから、労働生産性を上げよう、そのために投資を増やそう、貯蓄を増やそう、そのためには賃金の圧縮もやむを得ない、企業が投資しやすい環境を創り出すために法人税を引き下げよう、などどいう言説がいかに誤りであるか、が理解されるはずです。
 求められているのは、こうした供給側の経済学ではなく、消費需要を重視する経済学と政策です。この点で、藻谷さんの主張は正しく評価されるべきです。

 著書における自身の自己紹介では、藻谷さんは経済理論をきちんと勉強したことはないそうですが、もしそうだとしたらなかなかの観察力と直観、洞察量を持った人として高く評価したいと思います。
(続く)

2015年7月6日月曜日

藻谷浩介『金融緩和の罠』の所説とケインズ・ハロッドの議論 2

 2回目です。

 ここまでの説明で、有効需要が如何に重要であるか、また日本経済が有効需要の不足から如何に深刻な病にかかっているかが、よく分かるはずです。くりかえすと、1997年頃をピークに日本の生産年齢人口が低下しはじめ、その時に賃金率(実質と貨幣の両方)が低下し、賃金からの消費支出が激減してきたという現実をわすれてはなりません。。(これは以前述べたことの繰り返しになりますので、統計は省略します。)

 この現実に対して、投資率、特に純投資率が低下したことを理由に、生産性の停滞を日本経済の低迷の根本理由と考える人がいます。確かに純投資率(I/Y)が低下していることは否定できません。しかし、そもそも企業が投資を行なうのは、特に消費財を生産する企業が投資を行なうのは、将来消費需要が拡大するという予測(期待)が成立するときであり、結局、その判断基準は現在の消費需要の状態です。もし期待が楽観的ならば、資本財に対する需要(純投資需要)が生じ、資本財の需要に対する将来の期待も拡大することでしょう。したがって、やはり(もし成長が必要ならば)成長にとって最も大切なのは消費需要ということになります。(日本の現在の粗投資と内部資金の状態については、前のブログで説明しました。)

 さて、前置きはこの辺にとどめ、ハロッドの説明に入ります。
 前回の1)で説明した式から出発します。
 いま、一国の全企業がある水準の成長率を達成したいと考え、そのために人々(個人や企業)がある水準の貯蓄率(貯蓄性向)を社会全体で維持したいと考える、と想定します。またこの時、成長した生産能力を適正に利用することができる(それに対応する有効需要が生じる)という想定をします。
 するとそれに対応した(企業等にとって好ましい)成長率が存在することになりますが、その成長率をGwで示し、「保証成長率」と呼びます。またその時の貯蓄性向をsdという記号で示します。さらに生産能力の増加と純投資の関係ですが、それは、技術水準が同じため、一定であると仮定して、今度はCの代わりに Cr という記号で示します。この仮定は、生産能力の成長が有効需要の成長に対応しているため、資本装備をフルに稼働して生産した商品がすべて売れることも意味しています。
 つまり、  Gw=ΔY*/Y*=sd/Cr
    何故ならば、 sd=Sd/Y*   ΔY*=I/Cr  また、ΔY*=ΔY またY*=Y
 
 繰り返しますが、これは人々(企業など)の実現したいと望む成長率と、その条件を示すものです。
 もし成長軌道がこの線にそって行なわれれば、貯蓄Sdは、投資Iにまわされ、生産能力を期待通りに成長させることになり、しかも定義上、生産された商品は市場ですべて売却されます。(つまり、ΔY=ΔY*、Y=Y*)
 前回の例では、2%がその成長率でした。

 しかし、現実にはこの保証成長率が必ず実現されるという保証はどこにもありません。
 理論上の可能性としては、現実の成長率GがGwに等しいことも、Gwを超えることも、Gwを下回ることもありえる、というのがハロッドの主張です。
   G=ΔY/Y
   G>Gw G=Gw またはG<Gw

 ここで、有効需要の成長に応じる現実の成長率を G 、その時の実際の貯蓄率をs、実際の資本係数 C (ただし、ΔY=I/C)とすると、 G=s/C となります。
 念を入れておきますが、現実の成長率ですから、実際、これらの値は、現実の有効需要(Y=C+I、ΔY=ΔC+ΔI、s=S/Y 、C=I/ΔY)に応じて変化します。

 このとき3つの可能性があります。
 1)もしG=Gwならば、経済社会の実際の変化が企業の望む通りになったことを意味します。
 2)G>Gw またはG<Gw の場合はどうでしょうか?
 ・ここでは、まずG<Gw の場合を考えます。
 このとき、(s/C)<(sd<Cr)ですから、次の2つのいずれか、または両方が生じることになります。
      s<sd and/or C>Cr  σ<σr
 これらは、①実現された貯蓄が期待された貯蓄に比べて小さい(s<sd)か、あるいは②有効需要が小さいために生産能力が過剰となっていること(C<Cr)を示しています。これはいずれも景気を悪化させる方向に作用することになります。①の場合、より貯蓄を増やそうとして、消費を縮小しようとする動きが生じるでしょう。②の場合、設備が過剰ですから、企業は設備投資額をいっそう減らすでしょう。
 つまり、G<Gwがいったん生じると、その傾向(GがGwよりさらに低下する傾向)が強くなると結論することができます。
 ・G>Gwの場合。これは上と逆ですので、省略します。
 
 ハロッドのこの主張は、「不安定性原理」と呼ばれています。実は、この動学理論が公表されたとき、このような不安定性を「ナイフエッジ」と呼ぶ人が現れ、少しでもGがGwをそれると、経済が急速に好況に向かうか、不況に向かうか、きわめて不安定であるとハロッドが主張しているという人々があらわれました。
 しかし、ハロッドはそれが極端であるとし、「ナイフエッジ」という表現を嫌いました。彼の比喩では、「ひっくり返したサラダボーブ」のイメージですが、まあ比喩ですから、それでいいと思います。
 ここでいくつかの問題が出てきます。その一つは、不況や好況が進んだとき、それを反転させる力は生じないのか、という問題です。しかし、この点はここではスルーしておきましょう。

 さて、ここでの問題は、ハロッドの場合、人口が減少したときに何が生じるか、です。
 結論的に言うと、ハロッドの場合は、自然成長率Gnという概念が重要になってきます。つまり、人口が減少すると自然成長率は低下し、現実の成長率もずっと自然成長率を超えることはできないので、定義上Gwより低くなるといったことが生じます。
 つまり、Gw>Gn=>G となりますが、したがって上の「不安定性原理」により、場合によっては景気が悪化しかねません。
 次回は、この点をもう少し詳しく検討し、それに対応するにはどうすべきかも検討することにします。(この項目、続く)

2015年7月5日日曜日

緊急にギリシャ危機について

 マスコミがギリシャ危機を論じるとき、しばしばギリシャ人の「怠惰」、「身の丈にあった生活をしていない」こと、「放漫財政」のせいにします。
 しかし、これはまったくの誤った俗説にすぎません。

 本当のところは、どうでしょうか?
 もし上に挙げた「怠惰」などが債務危機の理由ならば、なぜ2009年頃になって突然生じたのでしょうか? 思考力のある人なら、ちょっと考えるだけでおかしいと思うはず。

 論より証拠、実際の統計とニュース情報を紹介して、真相を示したいと思います。

 1)債務危機は、ギリシャがユーロ圏に参加し、ドイツ等の銀行から巨額の融資を受けるところから始まりました。
 下の図は、ヨーロッパ委員会(EC)の統計データから作成したものです。純借入なので、返済等は差し引いてあります。1997年以降、借入額が激増していますが、その際、2007年頃までの借入主体は基本的に民間部門(企業、家計)です。
 

 巨額の資金がギリシャに流れたことがわかります。それが資産インフレ(バブル)をもたらしたことは言うまでもありません。

2)しかし、2006年〜2007年にかけて雲行きが怪しくなります。2007年には、欧米の金融機関で取り付け(runs)が生じます。2009のリーマンショックの2年ほど前です。
 このとき、EU、IMF、ECBなどに役員を送り込んでいたゴールドマンサックスは、債務危機が「脆弱な欧州の周辺部に波及する、まずい」と考えて、ギリシャ政府財政の不正会計操作を支援します。要するに、政府粗負債がGDPでそれほどの割合になていないようにとり繕い、ドイツの銀行等からの負債を増やし、政府支出を膨張させました。このことは下図からも明らかです。何故か Ameco のデータには2007年以前の政府債務データが掲載されていませんが、政府債務が2008年から2011年にかけて急増することが分かります。4年で700億ユーロという巨額です。債務GDP比率も100%を少し超える程度から170%を超えるまでに急上昇しました。
 なお、マーストリヒト基準では、粗債務残高・GDP比率は60%以内、毎年の財政赤字・GDP比は3%以内とされていましたが、ギリシャは参加条件として、それより高くてもよいと認められていました。



 出典)Ameco on-line data. Net borrowing, government gross debt の項目。

 ゴールドマンサックスの不正会計処理への関与は、2010年にEUでも問題となり、ヨーロッパ議会がゴールドマンサックスの調査を命じています。

 繰り返しになりますが、「怠惰」を理由とする債務危機はありません。ヨーロッパをも捉えている金融化が原因です。金融化は、人々(企業、家計、政府部門)が負債を増やす装置を創り出しては、キャピタル・ゲインを得るというしくみです。その中にギリシャが巻き込まれたにすぎません。

 金融機関に関心があるのは儲けだけです。
 彼らは債務危機が顕在化すると、ECBに巨額の不良債権を買い取らせる一方,損失をこうむらないように、ギリシャ(やアイルランドやポルトガル、スペインなど)には緊縮をおしつけることにしか関心がありません。しかも、それにEU全体、ECB、IMF、債権団すべてが関与しています。
 もし緊縮がギリシャ経済を立ち直らせるのなら、それもよいでしょう。しかし、そのようなことはありえず、むしろギリシャ経済をいっそうの破綻に導きます。
 いまトロイカ(EC、ECB、IMF)や債権団は、ギリシャの国民と政治家に緊縮に反対しないよう脅し(blackmailing)をかけることに懸命です。反対なら、彼ら自身の利益に響きますし、最悪の場合、ユーロ圏全体の崩壊がすぐに始まるかもしれません。
 もっとも、いまユーロは死に体であり、まったく機能していません。それはR・マンデルの言うような「最適通貨圏」ではなく、そもそも無理だったのです。結局、トッド氏や多くの良識的な経済学者が正しく指摘したように、ユーロ圏はドイツの金融的利害と新重商主義のための制度に他ならなかったというのが正しい見方でしょう。
 ユーロ圏を存続させたいなら、金融化の利益にそった緊縮ではなく、「最適通貨圏」となるような政策を取らなければなりません。さもなければ、今のユーロ圏は持続不能です。
 そのことにギリシャ人はもちろん、ヨーロッパ全体が気づき始め、声を出しはじめています。
  



2015年7月3日金曜日

藻谷浩介『金融緩和の罠』の所説とケインズ・ハロッドの議論

 今日は、私の講義(現代政治経済学)を聴講している学生を念頭におきながら、昔、ケインズとハロッドが問題とした「人口減少の経済的帰結」について、少し理論的な話をしておきたいと思います。

 ケインズの講演「人口減少の若干の経済的帰結」(1937年)
 ハロッド『動態経済学』(1947年)

 当時のハロッドとケインズの間でやり取りされた書簡を見ても、二人が人口の変化について関心を抱いていたことがわかります。
 当然でしょう。人口は、経済にとって最も重要な労働力(就業者人口)に密接に関係しているのですから。また人口(労働力)は、賃金所得の取得者であり、賃金からの消費は有効需要のうち最も大きな項目です。

 人口P → 労働力L → 賃金所得W → 賃金からの消費CL

 1)生産能力
 さて、人は労働することによってモノを生産しますが、そのとき労働手段(資本装備)を用います。ここでは、一人の労働者が一定期間(とりあえず一年)労働して生産することができるモノの量を労働生産性と呼びます。例えば一人の農夫が一年間労働して小麦10トンを生産することができれば、労働生産性は100トン/人・年となります。
 ただし、普通、一社会には多数の(数万種類ともいわれます)の商品があるので、社会全体の平均的な労働生産性を計測するとき、物理量(重量、体積)では計測できません。そこでやむを得ず、金額(value)で計測します。上の農夫の例では、小麦1トンの金額(より正しくは農夫の創り出した付加価値額)が10万円ならば、100トンは1000万円になります。

 ここで、ハロッドとドーマーという経済学者に登場してもらいます。
 この二人は、社会全体の生産能力Y*が資本装備の量(やはり金額で計測するしかありません)Kにだいたい比例することを発見しました。→ハロッド=ドーマー・モデル
 社会全体の生産能力というのは、社会全体の資本装備を適正に利用したとき、生産できる量(付加価値の金額)を意味します。
 つまり、ハロッド=ドーマー・モデルでは、次式が成立します。

    Y*=σ・K または Y*=K/C   (1)
 
 ここで、簡単のために、σ=0.3、またはC=3.3と仮定しておきます。(現実にもだいたいそれに近い値です。)
 すると、2000兆円の資本装備を持つ社会では、600兆円ほどの生産が可能となるでしょう。これはあくまで可能性です。
 さらに仮定を重ねます。σ、C の値が変化しないと想定します。(無理な想定ではありません。)すると、式(1)は、次の式が成立することを示します。

    ΔY*=σ・I   または ΔY*=I/C
 ここでΔは増加分を示す記号です。また I は資本装備の増加分です。ということは、純投資を示すといってもよいことになります(厳密に言うと、難しいのですが、ラフな議論にとどめておきます。純投資=粗投資ー減価償却費)
 式を変形して、C=I/ΔY*   1/σ=I/ΔY* とも記述できます。

 これは生産能力を1兆円増やすのに、3.3兆円の純投資が必要となることを意味します。

2)有効需要と実際の生産
 さて、ここで注意点ですが、潜在的な生産能力は必ず実現されるとは限りません。
 これは常識的な議論と一致します。
 もし潜在的な生産能力が必ず実現されるのであれば、景気が悪化することはないでしょう。もしあるとすれば、生産能力が停滞するか、低下するときだけということになります。
 
 実際には、景気が悪化するのは、資源(労働力を含む)や生産能力が適正に利用されずに、放置されるときです。
 これがどのような時かは、正常な判断力を持つならば、子供でも分かります。つまり、有効需要(貨幣支出の裏付けのある需要)が不足するときに、資源や生産能力が適正に利用されないことが生じることになります。
 実際、資本財の生産をする企業は、ほとんど注文生産によって行なっています。また消費財を生産する企業は、短期的には見込み生産を行ないますが、在庫の増減をみながら生産量を調整しています。つまり、ある程度以上の期間については、有効需要が実際の生産量を決めていることになります。

  実際の生産量Y  ← 有効需要Y
 (厳密には、有効需要と実際の生産量には差があり、それは在庫変動に等しい。)

 有効需要の構成は、次の通りです。
  Y=C+I+G+XーM  消費需要+投資需要+政府支出+輸出ー輸入
  Y=C+I  (政府と外国を捨象する場合)

3)中間のまとめ
  生産能力  Y*=K/C   ΔY*=I/C
  有効需要  Y=C+I  (簡単のために、政府と外国を捨象する)
 もう一つ、投資のためには、貯蓄Sの供給が必要であり、それは、次のように定義されます。
  貯蓄の定義 S=YーC
 (上の2式から、S=I という恒等式が導かれます。ただし、政府と外国を捨象。)
  ここで次の数値も定義しておきます。
   s=S/Y  貯蓄性向 (国民所得に対する貯蓄の割合)
   c=C/Y  消費性向 (国民所得に対する貯蓄の割合)

 普通、Y<Y*が成立し、その比Y/Y*を生産能力の利用率といいます。
 簡単に理解できると思いますが、利用率は、0と1の間にあり、好景気のとき高く、不景気のとき低くなります。
   0<(Y/Y*)<1
 例えば2009年のリーマンショックのあと、米国への輸出が激減し、製造業の生産量が大幅に低下し、利用率(稼働率)も低下しました。

 以上がケインズとハロッドの議論を理解するために必要な予備知識です。

 4)人口(=労働力)が定常化するか、減少する場合

 さて人口が静止状態になったり、減少する場合にどんな問題が生じるかを、ケインズとハロッドの議論に従って考えてみましょう。

 その前に、よくある議論を考えてみます。
 それは、人口(=労働力)が減るのだから、大変だ。経済を成長させ続けるには、一人あたりの生産量、つまり労働生産性を上げなければならないという議論です。
 この議論は、一見すると正しそうに見えますが、実はある問題をはらんでいます。
 仮にこの議論にそって、労働生産性を上げ続けるとします。具体的な数字のほうが分かりやすいでしょうから、例えば労働生産性が毎年3%成長すると仮定します。人口(労働力)は毎年1%ずつ減少すると仮定します。
 しかし、上記の説明から導かれるように、このことを実現するためには、社会全体の生産能力を毎年2%ずつ成長させる必要があります。
 つまり、ΔY*/Y*=0.02
 そしてそのためには、資本装備も毎年2%ずつ増加しなければなりません。
 つまり、I/K=0.02  または I=0.02×K

 さて、まず、これらの条件を満たすには、社会はどれほどの割合を貯蓄と投資にまわさなければならないでしょうか?
 上の説明から、だいたい K=Y*×3.3 ですから、
    I=0.02×Y*3.3=0.066×Y* 
 これは資本装備を正常に稼働させたときの生産高=所得高の6.6%を純貯蓄と純投資にまわさなければならないことを示します。(粗投資、粗貯蓄ではありません。)
 実際の所得額を基準とすれば、もっと高い比率(例えば8%など)になるでしょう。また粗貯蓄と粗投資に換算すれば、もっと高い比率(例えば16%など)になるでしょう。

5)続く(有効需要の要件)
 次に有効需要の条件を考えます。
 ここでも、考える順序として、まず次の式を見てください。
   Y=W+R  国民所得=賃金+利潤

 当然のことですが、生産能力だけ成長しても、実際の生産は増加しません。有効需要が増加しなければなりません。そして、それは国民所得の増加に比例します。ところが、上の式のように、国民所得は賃金と利潤の和です。
 ここでは、考えるための順序として賃金が総需要=国民所得に比例して増えると仮定します。
 これまでの説明から分かるように、経済が不況に陥らずに、順調に成長するためには、毎年2%の国民所得の成長があり、賃金もそれに応じて増えてゆく必要があります。もちろん、人口(労働力)が毎年1%ずつ減少するのですから、一人あたりの実質賃金は毎年3%の増加が必要となります。

 ここまで説明すれば、普通の理解力のある人なら次のことが容易に分かるはずです。
それは、生産能力の成長・拡大には、国民所得の増加、有効需要の増加が伴わなければならないという事実です。
 さもなければ、投資(という費用)にもかかわらず、消費需要(販売量!)が成長せず、企業は苦境に陥ることになります。このとき生産能力の利用率(稼働率)は、毎年低下してゆくでしょう。

 この説明に対して、労働生産性の成長に応じた賃金の引き上げは必ずしも必要ではないという人がいるかもしれません。たしかに、その通りです。
 しかし、その場合には、必然的に利潤が拡大することになります。それは所得格差を拡大することになるでしょう。
 しかも、賃金からの消費性向はかなり高いのに対して、利潤からの消費性向はかなり低くなります。したがって過小消費、あるいは過剰生産の問題が生じる危険性が高くなります。念のために付け加えますが、ここで過剰生産というのは、実際に企業が売れないモノを生産するという意味ではありません。生産能力の拡大のために実施した追加の投資費用を回収しなければならないので、以前と同じ利益を売るために、もっと生産量=販売量を増やさなければならなくなるという意味です。

 なるほど、個別産業または個別企業の観点から見ると、リストラを行なって賃金を圧縮することは、合理的な態度に思われるかもしれません。
 しかし、「合成の誤謬」が生じることを知らなければなりません。つまり、多くの産業や企業がリストラを行なった場合、総賃金顎→総需要が減少し、景気が悪化するという結果がもたらされます。
 ケインズが『一般理論』で指摘したように、論理的には次のことを区別する必要があります。
 ・社会全体の企業は、貨幣賃金を引き下げず、一企業または一産業だけが賃金と価格を引き下げる場合、前提条件(総需要=一定)は変わらないので、その企業は販売量を増やすことができるであろう。
 ・社会全体が貨幣賃金を引き下げた場合、前提条件(総需要=一定)自体が変化する。つまり「合成の誤謬」が成立する。

 とりあえず、生産能力だけでなく、有効需要がいかに決定的な役割を演じているか、理解することが必要です。

 さて、ここからが本論ですが、だいぶん長くなったので次回にまわします。

2015年7月1日水曜日

日本経済の深層・真相を示す一統計 企業の内部資金と設備投資

 ここに法人企業統計から作成した図を上げます。
 この図ほど、現在の日本経済の状態を示すものはない、というと大げさかもしれませんが、少なくともいくつかの重要な側面は示しています。
 1)企業は、内部資金をかなり蓄えているが、投資需要が減退しているため、設備投資額をずっと減らしている。
 2)そのため企業には、余剰資金が生じている。
 3)この余剰資金が生まれている時期と、日本企業が在外子会社を作り・拡大するためのFDI(外国直接投資)を増やしている時期が一致している。
 4)余剰資金の発生は、賃金圧縮の結果であり、それは賃金からの消費支出を抑制し、企業の製品売れ行きを悪化させている。
 5)したがって企業の利潤は賃金圧縮をしてもそれほど増えない。
 6)また消費支出が増加するという期待(予測)も生まれず、設備投資をしない。
 7)日銀が「異次元の金融緩和」を行なっても、余剰資金を持っている企業への銀行貸付は増えない。
 8)こんな状況では法人税の減税をしても無駄。むしろ賃金圧縮をやめさせる方策が有効となる。

 以上のことを示す統計データ(図、複数)もありますが、ここでは直接投資額の推移だけ示しておきます。それ以外の図表は、後日お示しすることにします。いずれにせよ、論より証拠、黒田日銀総裁・安倍首相コンビのリフレ策(アベノミックス第一の矢)は大失敗ということです。
 なお、円安・ドル高の秘密は別に連載中。輸入された物価高が生じているおり、実質賃金を引き下げる要因になっています。


出典)財務省「法人企業統計調査」より作成。
 注)全産業(金融を除く)、全規模。

 

 出典)財務省「国際収支状況」表(総括表)より作成。



 出典)厚生労働省「毎月勤労統計調査」より作成。
 注)5人以上企業。「決まって支給する額」とボーナスなどを含めた「総額」。

何故、安倍政権の下で円安になったか? その2

 為替相場を説明する理論は、いろいろ考案されてきましたが、実証的なテストに耐えることのできたものはほんとんどありません。このことは、米国の専門家、John T. Harveyの著書(下記)でも説明されているところです。比較的説得力のあるのは、<長期的なトレンドとしては>という限定がつきますが、購買力平価(PPP)説*です。しかし、あくまでトレンドであり、購買力平価とぴったり一致するわけではありません。

 *2つの国を例にとると、A国とJ国の平均物価が等しくなるように為替相場が決まるという説。この説は、貿易収支が均衡するという傾向を持つことをを主張します。例えば両国でハンバーガーしか生産されていないとかりに仮定し、1個が日本で360円であり、米国で3ドルならば、1ドル=120円となるはずです。

 もう一つかなり確実に言えるのは、自国通貨(例えば円)売り、外国通貨(例えばドル)買いが行なわれば、自国通貨の減価(切り下げ)が生じ、外国通貨の増加(切り下げ)が生じるというものです。また、ここから外貨高の期待(予想)が生まれると、輸入業者などは、外貨高になる前に外貨を買おうとして、結果的に外貨高を促進するというようなことが生じ得ます。(下図参照)

 さて、現在、世界ではどのような要因により為替取引を行なうのでしょうか? 
 実は、これについては、BIS(国際決済銀行)が3年に一度(1ヶ月間)だけ世界の為替取引高を集計するという作業をしています。1980年代から行いはじめたものです。
 この統計調査によると、外国為替取引の総額は、1980年代から現在までずっと激増してきました。ただ1998年〜2000年の間だけは、米国における例のITCバブル崩壊の影響におり減少しています。
 この統計はまた、外国為替取引のうち、実需取引(つまり貿易などです)のために必要な部分はごく一部であり、実に実需取引の30倍ほどが非実需取引となっていることを示しています。
 非実需取引とは何でしょうか? 言うまでもなく、投機のための外貨需要を満たすための取引です。もっと端的に言えば、マネーゲームです。

 このことからも分かるように、現在では過去(戦後の20〜30年間)、特にブレトンウッズ体制の時期と異なって、為替相場を決めるのは、投機のためのマネーの移動です。

 さて、前置きが長くなりましたが、安倍政権下で円安(ドル高)が進行してきたわけでうが、以上のことからは、巨額の<円売り・ドル買い>が行なわれたに違いないという推測が可能です。もしそうだとしたら、それは政府や日銀の関知しないところで<自然に>生じたものか、それとも公的機関が介入したのか、という疑問も生まれてきます。
 実際のところはどうなのでしょうか? (この項続く)




 参考文献:  John T. Harvey, Currency, Capital Flows and Crises, Routledge, 2010.