2013年2月22日金曜日

外国為替相場 その11 変動の方向と水準

 これまで様々なことを書いてきましたが、今日は、その中で次の3つのことからスタートしたいと思います。
 1 為替相場は、中期・長期においても、購買力平価(PPP)に落ち着かない。またそれは購買力平価より上または下の水準に乖離しているため、貿易収支(純貿易)は不均衡、すなわち黒字または赤字となる。
 2 為替相場を購買力平価、または貿易均衡水準から乖離させる力の中で最も大きな要因は、国際資本移動、特にポートフォリオ資本(証券投資)フローを引き起こす利子率の差異である。金利差が如何に強力な要因である(あった)かは、現状と過去の分析によって明白となるが、ここではその事実を指摘するにとどめる。ほとんどの場合、相対的に高金利の国に向う資本移動(流入)が生じ、当該通貨に対する需要が拡大するため、当該通貨高が生じる。例えば21世紀初頭の米国への資本流入とドル高・円安、2008年のリーマン危機後のバーナンキFRB下の超金融緩和(量的緩和と超低金利政策)の下でのドル需要の低下とドル供給の増加がもたらしたドル安・円高がそうである。昨年末以降の反転については、後日、触れることにする。これは利子率平価が成立しないことを端的に示す。
 3 貿易収支の不均衡と国際資本移動との関係は、フローの水準では、次式で示される。 SーI=XーM さしあたり、この式の左辺(SーI)と右辺(XーM)は恒等式であり、アプリオリに右辺から左辺への、あるいは左辺から右辺への因果関係を示すことはできない。その際、はっきりしていることは、米国のような貿易収支の赤字国(資本収支の黒字国)の通貨は、購買力平価と比べて「増価」(ドル高)となっており、逆は逆(例えば少なくとも2008年以前の円安)であるということである。

 そこで、われわれに残された課題の一つは、為替相場を購買力平価、利子率平価から乖離させ、さらに SーI=XーM の左辺と右辺をゼロにしないようなメカニズムを明らかにすることになります。その際、もちろん、ISバランス、貿易収支を決定するのは、対外経済関係を含む一国経済全体の調整メカニズムであり、単に金利や通貨量(M2など)などの決定要因を取り出せばよいということではない点に注意しなければなりません。そもそも中央銀行は何故通貨量や金利を変更しようとするのか、それを理解せずに、経済を分析できるはずがありません。
 もう一つ注意して置かなければならないことは、われわれが行なおうとしていることは、すでにケインズ等の一流の経済学者が1930年代から国際経済関係(今様に言えば、グローバル化)の問題として取り扱っていたことです。特にケインズは、経営と所有が分離して実物資本と投機資本の流れが分離してしまった現代では、また国際資本移動の完全な「自由」を実現してしまった後では、各国の安定化(完全雇用など)がひどく脅かされることに気づいていました。
 要するに、外国為替相場を論じるということは、現代のグローバル化された国際経済全体の問題性を論じることになります。
 新古典派は、国内では賃金の変動を通じて完全雇用が実現され、また金利の変化を通じてISが均衡し、国際間では為替相場の変化(購買力平価、金利平価、ドーンブッシュ・モデルなど)を通じてXとMが均衡すると想定していましたが、それが成立しないことは今では誰の眼にも明らかであり、特に為替取引の実務家は最後の点をよく知っているはずです。
 私たちは、むしろ現代経済の不均衡と不確実性を想定して、取りかからなければなりません。現代国際経済の不均衡をもたらす為替相場の変動の方向とその水準は、どのように決まるのか、これが次に課題となります。




2013年2月19日火曜日

外国為替相場 その10 奇妙な信条

 ある時期から(1980年代以降であることは間違いありません)多くの日本人の間に広まってきた奇妙な思考習慣の一つに「円高恐怖症」とでもいうべきものがあります。あるいは、もう少し広く言うと「輸出不能恐怖症」といったらよいでしょうか。市民向けの話しをした後でも、話しを聞かれた人たちから必ずといってよいほど出て来る質問があります。大体、次のような趣旨の質問です。
 ・身のまわりを見ると、中国製・東アジア製の工業製品だらけになっている。日本は、資源希少な加工貿易の国で、外国から第一次産品・原材料を輸入しなければならないのに、日本の人件費が高いため(あるいは海外への技術移転や在外生産が進んでいるため)、外国との競争に負けて輸出できない(あるいは輸出できなくなる)のではないか?
 ・円高になると、日本の輸出が減って、景気が悪くなるのではないか。(あるいは、日本の景気をよくするには、輸出を増やすしかないが、そのためには円安が好ましく、円高は好ましくないのではないか。)
 こうした質問をしたくなる気持ちは、(この十数年に及ぶ賃金所得の低下を考えると)分からなくなくもありません。しかし、少なくとも次のような決定的な事実を忘れていることは否定できません。
 その一つは、日本は経常収支の黒字国(一昨年の震災後はちょっと事情が異なりますが、同様に貿易収支の黒字国)であり、輸出が輸入を超過している国であるという事実です。しかも、国際収支は世界全体ではゼロになるという事実があります。つまり一つの国が貿易収支を大幅黒字にしたならば、外国(世界全体の残り)は必ず赤字になるため、すべての国が黒字を達成することは原理的に言って不可能なのです。そのため、昔から、為替相場や関税率の操作などによって貿易相手国の貿易収支を赤字にしてまで自国の輸出を拡大し(つまり外国から需要を奪い)自国の経済成長をはかることを「隣人窮乏化政策」と呼んできました。
 もちろん、日本が外国から輸入できないほど外貨の不足している国であるならば話は別です。しかし、繰り返しますが、日本は経常収支の黒字国です。輸入するための外貨がない訳ではありません。
 とはいえ、質問をした人が以上の指摘で納得することはありそうにありません。そもそもそのような人は外国への輸出の拡大なしに景気を良くすることができないと一途に思い込んでいるのですから。しかし、本当にそうならば、論理的には、世界のどの国も同じ状況にあるはずです。したがって日本が輸入を拡大する以外に世界の景気を良くする方法はないことになります。
 二番目に重要な事実は、日本は決して輸出依存度の高い加工貿易の国ではないということです。私も小学生の時、先生から日本はオランダと同じように資源の乏しい加工貿易の国であると教わった経験があります。しかし、自分で経済学を学んでから、それが事実ではないことに気づきました。確かに日本がある種の資源に不足していることは間違いありません。しかし、日本にも沢山の資源はあります。しかも、何より日本はきわめて多種多様なセットの産業を持つ国であり、その輸出依存度もきわめて低い水準にあります。もちろん、アメリカのようにより大きな、より資源の豊富な国はもっと輸出依存度が低くても済みます。これに対して開発途上国、特に小さな途上国は、経済成長のために大量の資本財や中間財を輸入しなければならず、そのためにも輸出依存度を上げなければなりません。しかし、日本はそんな国ではありません。
 日本は、領土は小さいながら豊かな自然と技術、優秀な人材を持ちます。その内需を拡大し、賃金所得を増やすことによって、もっと内需を拡大し、安定した経済を造り出すことが可能です。
 ところが、輸出しなければならない、そのためには競争力をつけなければならない、そのためには賃金を縮小しなければならない、といって人々の所得=購買力=内需を圧縮してきたというのが事実なのです。
 
 しかし、このように言うと必ずといってよいほど、次のような言説がなされます。その一つは<日本の物価が高い>という宣伝まがいの言説です。しかし、日本の物価が高いという言説は実は事実に即してきちんと実証されたことがありません。
 繰り返しますが、そもそも日本の貿易収支が黒字だったことに注意してください。このことは、貿易収支を均衡させる為替相場を基準として見ると、円安(つまり日本の商品価格が安い)を意味しています。あるいは、百歩譲っても、日本製品の価格は割高かもしれないが品質がそれをカバーして余あるということに他なりません。
 もちろん、日本が輸入しているモノの中には日本製品より安価な商品が多数あります。(例えばオーストラリアの牛肉など。)しかし、それはどこの国でも同じことです。各国にはそれぞれ比較優位の財と比較劣位の財があることは経済学の初歩の知識です。だからこそ、貿易(輸出・輸入)が行なわれるわけです。
 非貿易財については、どうでしょうか? 例えば(私は乗ったことがありませんが)エジプトのタクシー運賃が日本のタクシー運賃より安いことは疑いありません。仮にエジプトと日本の間でまったく自由に(言語、文化、宗教、法律、移動などの障害がなく)行なわれるようになれば、日本のタクシー運賃はエジプトなみに低下することになるでしょう。もちろん、その時はタクシー運賃だけでなく、あらゆるサービス業の料金が低下し、その結果、日本人の大多数の人の所得も低下します。(このことが示すように、価格の安価さは所得の低さと結びついていることに注意しましょう。)
 もう一つの問題は、販売を拡大するには個々の企業がリストラ(賃金圧縮)、円安などを通じて製品価格を引き下げなければならないというミクロの「事実」が邪魔をしてしまうために、雇用の拡大・内需の拡大は総生産=総所得の拡大を必然的に伴うというマクロ経済の真実を理解できない点にあるように思います。これはケインズが「合成の誤謬」として定式化したことにかかわっています。
 マクロ的には、いま価格を一定とすると、雇用Nは所得Yの増加関数です。
   N=αY÷ρ   (ρは労働生産性)
 また Y=W+R=C+I+(XーM) です。
 この式からも分かるように、企業がリストラをして労働生産性を上げれば、より少ない労働者で生産できるのですから、雇用量(労働需要)は減ります。一方、生産量は必ず所得増加をもたらし、それは賃金Wか利潤Rかの増加を導きます。このような制約下で、しかも賃金の上昇なしで経済成長が可能かどうかは、それこそ小学生でも理解できます。
 実際には、個別企業がリストラを行い賃金を引き下げたならば、しかもすべての企業または産業がそうしたならば、総所得=総購買力は減少し、総生産も低下します。これが「合成の誤謬」です。
 先日もあるテレビ番組で、浜矩子同志社大学教授とニトリ社長が対談していましたが、結局、浜氏が「合成の誤謬」を指摘したのに、ニトリ社長は理解できなかったようですね。
 そりゃそうだろうなと思いました。浜氏は、多くの企業がニトリ化すると<社会全体の有効需要が低下する>でしょう、と言いたいのですが、社長の方は自分の企業の事情しか考えていないわけですから。安価なものをつくれば売れる。これかし考えていません。皆が同じようにリストラしげ賃金を引き下げて同じ事をやっても、最初から<社会全体の有効需要は一定>と前提してやっているわけです。

 昔、フォード社の社長、ヘンリー・フォードは、労働者の賃金が社会の最大の所得であり、購買力をなすと考え、生産性を上げつつ、それに比例して賃金を上げるシステムを普及させようとしました。いわゆるフォーディズムです。

 いまニトリ社長のやっていることは、それとはかなり違います。それは日本の総有効需要を拡大するのではなく、それを一定と前提して、安価な製品を供給しようとしています。しかし、その過程で日本国内の従業員の給与を引き下げているならば(私は詳しく調べたわけではないので、このような言い方にとどめておきます)、そしてそれが日本企業全体のやり方になるならば、総所得=総購買力=総需要を減少させることにつながるでしょう。いわゆるデフレ圧力の拡大です。
 

2013年2月17日日曜日

外国為替相場 その9 J.T.Harveryのメンタル・モデル


これまで述べてきたことからも明らかなように、外国為替相場の決定メカニズムを説明するには、一種のメンタル・モデルが必要になります。
 その一つとして、J.T.Harveyのメンタル・モデルを次に示します。
 図の左側から諸指数(indicators)、ベース要因(base factors)、過程(processes)があり、それらの結果として為替相場の期待が生まれます。しかし、期待された為替相場は実際の為替相場に等しくなるわけではありません。それは純証券投資の変化をもたらし、それを通じて為替相場を変動させます。しかし、為替相場は、バンドワゴン効果を通じて、またキャッシュインの欲求を通じて純証券投資に影響し、為替相場に影響を与えます。換言すれば、為替相場は単純な因果関係によって決定されるのではなく、「複雑系」(complex system)の一部であるということになります。
 図の意味を符合、→、+、− の意味を含めて説明します。
 例えば相対利子率(日本の利子率ー米国の利子率)が上昇したとします。日本の金利が相対的に上がるわけですから、日本への証券投資が増えると期待できるでしょう。つまり、金利の増加が証券投資(流入)の増加を期待させるわけですから、→の記号は「+」となります。すると日本の証券を買うための円需要が増加し、ドル供給が減るため、円高・ドル安を期待させます。(証券投資の増加の期待が円高・ドル安の期待をもたらすので、記号は「−」となります。なお、為替相場は邦貨建て、つまり1ドル=何円という表示法となっていることに注意してください)。為替相場の低下(円高・ドル安)の期待は証券投資(流入)を拡大させるでしょう。そして証券投資(流入)の実際の拡大は、期待通りに為替相場を低下させます。
 しかし、高金利と為替相場の低下(円高・ドル安)で利益を生んだ外国の投資家は利益を確定するためにキャッシュインを欲するでしょう。しかし、実際のキャッシュインは為替相場の動きを反転させる方向に作用します。一方、バンドワゴン効果は、まったく逆に作用します。
 その他に、まだ上で説明していない項目がいくつかありますが、図を見ながら、よく考えてみてください。(後日、説明します。)

 さて、2008年のリーマン・ショック以降、昨年末までドル安・円高が続いてきましたが、これはある程度まで米国の金融政策によって説明できます。米国の(日本に対する)相対利子率は低下してきましたが、それは下の図の通り、円高・ドル安をもたらしてきました。
 問題は、昨年末、安倍政権成立時からの逆転ですが、麻生氏が言うように「まだ安倍政権は何もしていない」のにどうしてなのかと問うことも可能です。しかし、安倍政権が日銀の中立性をおかしてまで金融緩和・低金利政策を実施することを決定したことは間違いありません。それが先行的に純証券投資と為替相場の期待を変え、実際の為替相場を変えている可能性はあります。
 



外国為替相場 その8 予想者たち

 かなり重度の風邪を引いてしまい、何日か寝こんでしまいました。
 さて、外国為替相場については、Ustream や Youtube などでも様々な予想者がFX取引について解説をしたり、自分の予想法のCMをしたりしています。例えばラジオNIKKEIの「夜トレ」などもその一つです。そのいくつかを聞いてみて、思ったことを書いてみます。
 ・まずFX相場の予想について、購買力平価(PPP)を基準にしている者は皆無です。これは言うまでもなく、ほとんどのFX取引が短期取引を想定しているのですから、当然といえば当然です。すべての人は為替相場が購買力平価から乖離していることを前提としているか、そもそも問題としていません。
 ・金利については、多くの予想者が重要視していますが、金利平価説の観点から重要視している者は皆無です。これも本ブログで説明した為替相場決定要因からすれば、当然です。そもそも金利の高い方にポートフォリオ資本移動が起こるのですから、金利平価説は謬説というべきでしょう。
 ・多くの予想者は、不確実性の支配を前提としています。これも当然です。確実な合理的期待が可能ならば、苦労しないはずです。そもそも、確実な合理的期待が不可能なのでFX取引を収益チャンスと捉えて参加する右人々が増え、ある人にはキャピタル・ゲインの取得が可能となり、反対にキャピタル・ロスを蒙る人も生まれるのですから。
 そこで、誠実な予想者は、自分たちの予想とその根拠を質問されると、「それは難しいのですが、・・・」という前置きを置き、その上で、もっともらしくファンダメンタルズ(と彼らが考えるいくつか事情)、例えば貿易収支の動向、失業率、成長率、金融政策や財政などに触れます。しかし、彼らも決定的なことは言いません。それはファンダメンタルズは、FX相場に影響する要因であっても、決定要因ではないからです。それにファンダメンタルズとされている個々の要因が一方向を示しているのではなく、相互に矛盾していることは通例です。
 ・はっきりしていることは、為替相場がある一定期間は一定のトレンド(上昇または下降)を示したあと、逆転するだろうということだけです。しかし、トレンドがどれほどの期間、どれほどのペースで持続し、いつ反転するかは不明です。
 ちなみに、トレンドはバンドワゴン効果によって増幅されます。例えばバンドワゴンがドル高を予想した「円売り・ドル買い」のとき、それに従う人々の流れは、ドル高の流れを増幅することになるでしょう。しかし、それにもかかわらず、いつかは必ず反転が生じます。
 ・そこで、心理学にもとづいた行動経済学の重要性に言及する者もいます。23歳のある予想者は、人は儲けている時には儲けを確実に確定しようと考えて、キャッシュイン(利益の確定)を図り、逆に損をしているときには、いつまでも損切り(損失の確定)を行なうことができずに、ずるずると損失を拡大させてゆくという愚をおかす、と言います。これは確かにその通りでしょう。しかし、自分が投機の渦中の中にいるとき、人はどこまで自己の置かれた状況について冷静に判断できるような合理的経済人でありうるのでしょうか。
 ともあれ、言うまでもなく、キャッシュインを行なう人が多ければ、それは相場を反転する要因の一つになります。
 今、円安・ドル高で利益を上げた人の中には、次に(3月から4月にかけて)さらに同じ傾向が続くのか、それとも反転するのか不安で不安でしょうがなく感じている人がいることでしょう。そのような人は自分の予想に中期の信任を持てないことを意味しています。しかし、中にはG20で日本の円安(ドル高、ユーロ高)がどのように取り扱われようと、強気でありつづける人もいるでしょう。総じて自分の予想を信任している人は、予想に反する要因を無視または軽視しようとします。
 問題は、様々な人がいるという状況の中で、どのような行動を取る人が多数になるかです。
 ・要するに、FX相場を直接決定しているのは、人々の「期待」(expectation)であり、しかも、人々が自分の予想に対する「信任」(confidence)を強く持っているわけではないということ、また人々のこうした期待が現実の国際資本移動(特にポートフォリオ投資フロー)を引き起こす原因となり、通貨に対する需要と通貨の供給の変動をもたらし、為替相場を変動させるという事実に他なりません。

 さて、とりとめのない話しになってしまったような気もしますが、予想を売り物とする人々(エコノミスト)の中には、それを出汁に自分が儲けたり、自社(証券会社)の利益を企んでいる人も多いので注意しましょう。

2013年2月14日木曜日

インフレーションとはどのような現象か?

 インフレーションとは、普通、物価水準が持続的に上昇することをいいます。「物価水準」というのは、特定の商品に限らずに、様々な商品の平均価格のことを指し示します。また季節変動や短期的な変動の上昇局面を除外するために「持続的に」という限定後を付しています。
 さて、このインフレーション、略してインフレですが、日本では1990年代に終息し、むしろデフレーション(物価水準の持続的な低下傾向)が続いてきましたので、現在20歳以下の人にとっては経験したことのないものとなっています。ところが、ごく最近、安倍首相の「リフレ論」(2%のインフレ目標、そのための金融緩和策)が注目されてから、インフレとは何かが注目されるようになりました。
 そこで、ちょっととりとめもない話になるかもしれませんが、インフレにまつわる話をしてみます。その際、1980年代以前と1990年代以降では、インフレの取り上げられ方がまったく異なっていること、また地域・国によってもまったく異なっていることに注意してください。
 まず1980年代以前には、あるいは今でもロシアのような国ではそうですが、インフレは好ましいものではなく、抑制されるべきものと考えられていました。当然といえば当然です。物価水準が一年で何倍にも上昇するのは異常です。またそこまでいかなくても一年に30%も物価水準が上昇するのは正常と言えないでしょう。したがってインフレ率を一定の限度内に抑えたいと思うことは不思議なことではありません。例えばインフレ率を3%以内に抑えることが目標(ターゲット)であれば、「3%インフレ目標」ということになります。
 ところが、日本の「2%インフレ目標」というのは、インフレ率を抑えるのではなく、デフレの状態からそこまで引き上げるというのですから、少なくとも戦後はほとんど例がありません。
 ともあれ、そこで次に、インフレは何故生じるのか、あるいはどうしたら実現できるのか、という問題が出てきます。この問題については、現代の経済学の混迷を反映してか、経済学者の中に意見の一致はありません。
 一つの見解は、貨幣数量説にもとづくものですが、この説の誤りについては本ブログでも詳しく説明しています。
 それ以外には、1970〜80年代に流行った説にコスト・プッシュ説やディマンド・プル説というのがあります。前者は生産費用が上昇するので、企業が販売価格を引き上げるといった風のものです。それはその通りかもしれませんが、どうして生産費用が上昇するのかを説明しない限り、説明したことになりません。あるいはよく考えると、生産費用が上がるので、生産費用が上がるという同義反復、インフレだからインフレになるという同義反復に陥っているようにも思われます、事実、そのように批判した人がいました。これに対して後者の説は、需要が供給を超過しているという点にインフレの理由を求めようとする点に特徴があります。要するに景気がよいからインフレが生まれるということになります。しかし、新古典派の議論では、需要が供給を超過したときは、物価が上昇し、再び均衡(equilibrium)が回復するはずですが、この説では、ずっと需要が供給を超過しつづけていることになります。またディマンド・プル説はコスト・プッシュ説と矛盾するわけではありません。というのも、コスト・プッシュがあるから(費用が上がるから)、名目購買力が、したがって名目需要が拡大するわけです。また需要が供給を超過すると(ディマンド・プルがあると)価格が上昇するから、コスト・プッシュが生じるわけです。
 もしディマンド・プルとコスト・プッシュの意見が正しいならば、1990年代の日本はデフレですから、供給が需要を超過するという不況状態がずっと続いていたことになります。日本政府が2002年から2008年まで戦後最長の「景気拡張期」が続いたと喧伝したのに(!)、です。いずれにせよ、実証不能な説であり、今では誰もこうした説を持ち出さないように見えます。
 
 さて、これらの見解が見逃している点が2つほどあります。
 1)よく物価水準という言葉が使われますが、現実の経済に物価水準というものがあるわけではありません。現実には、様々な生産部門があり、またセーター、帽子、靴下、卵、肉、日本酒、等々、無数の商品があり、それらの価格があるに過ぎません。物価水準やその変化率を使うのは、経済分析を行なう経済学者だけです。
 しかも、よく観察すると、個々の商品の物価は一律のペースで上昇しているのではなく、それぞれに異なっています。どうしてでしょうか?
 実はすでにアダム・スミスは『諸国民の富』(1776年)の中でこの点に気づいていました。簡単なことですが、価格は人々の所得と密接に関係しています。いま、次のような簡単な例を考えましょう。例えばいま2種類の商品x、yが生産されているとします。商品xは工業製品であり、この部門の労働生産性は一年に10%ずつ上昇します。他方、消費yはサービスであり、この部門の労働生産性がまったく上昇しません。簡単のために、その他の条件(労働時間、販売価格など)が変化しないとすると(ceteris paribus)、10年後にxの生産に従事している人々の所得は約2.6倍に増えます。しかし、yの生産に従事した人々の所得はまったく変わりません。
 現実にはこのようなことは生じるでしょうか? もしyが人々にとってどうでもよい商品であり、その生産者がいなくなっても困らなければ、y商品を生産する産業は衰退するでしょう。しかし、もしyがその社会にとって重要であり必要不可欠であれば、その衰退を防ぐために、所得を保証すること、すなわち価格を引き上げることが必要になります。これがアダム・スミスのいう「労働価値説」です。
 実は、戦後、インフレが生じていたときには、製造業の労働生産性は毎年20%以上も上昇していました。一方、それに比べると労働生産性の上昇率がかなり低い産業が存在したのです。しかも、その産業は日本人・日本社会にとってどうでもよい産業ではありませんでした。そうした産業を存続させるためにインフレが調整役となっていたのです。
 つまり要約すると、インフレは人々(産業間)の「所得分配をめぐる紛争」から生じていたのです。もちろん、戦後かなり長期にわたって所得分配をインフレによって調整することが制度的に(法律、慣習、道徳などの制度の束によって)容認されていました。
 しかし、1970年代のインフレの亢進の時代を経てから、主要国の多くの政府がインフレを容認しなくなってきました。したがって、インフレを考えるときには、その制度的背景が問題となります。

 2)実は、「所得分配をめぐる紛争」は産業間で生じただけではありません。もう一つ、労働者と企業(経営者・株主)、あるいは賃金と利潤の間でも生じていました。さらに先進国と開発途上国の間でも生じていました。
 もう一度1970年代に戻ります。この時期は、スタグフレーション(またはスランプフレーション)の時代でした。つまり、先進国でも黄金時代が終わりかけ、成長率が急速に低下しはじめていました。このような時には、労働生産性の上昇によって生まれた所得を誰が(労働者か企業家か)得るかという紛争が激しくなります。ちょうど、子供たちが大きなパイを分配するときには自分の取り分と他の子の取り分について寛容だったのに、小さなパイを分配するときにはケーキを切る母親の切り方に厳しくなるのと同じです。
 さらに戦後、開発途上国の交易条件が低下する(第一次産品の相対価格が低下する)傾向にありましたが、それは途上国からの抗議(その端的な現れが石油危機です)をもたらしました。それが原因で、1970年代に石油を含む第一次産品の価格が上昇し、巨額のオイルマネーが産油国に流入したのです。
 問題は、この時からの政府の政策スタンスにあります。主要国(特に米英)の政府はインフレの責任を主に労働者に負わせるようになりました。
 その証拠にOECDが公表している統計にNAIRU(インフレを加速しない失業率)という数値があります。つまり、NAIRUより失業率を低くすると、労働者が賃金の引き上げを要求し、それがインフレをもたらし、さらに加速するから、<一定の以上の失業率を維持するべき>(!!!)という(一般には知られていないが、周知の)見解です。
 最近バーナンキが米国の失業率が6.5%を超えている限り、米国は金融緩和策を継続するという声明を出しましたが、この6.5%がNAIRUを意識した数字であることは間違いありません。また2%のインフレ目標も維持するようですから、インフレ率が2%を超えない限り、またそのとき失業率が6.5%以上であれば、金融緩和策を続けるという意味です。逆に言うと、失業率が6.5%になれば、あるいはそれ以上でもインフレ率が2%以上になれば金融緩和策をやめるということです。
 
 いやはや、世界の労働者もなめられたものです。「失業率は高くて当然だ。政策的に下手に低くするとインフレを加速するから。」と公然と責められているのですから。
 1990年代にいったん評価の低められたマルクスですが、今頃、ロンドンのお墓のかげで、「それ見ろ、<世界の労働者よ団結せよ>という標語は今こそ実現しなければならない」と言っているかもしれません。 
 
 3)というわけで、新古典派(+マネタリスト、ニューケインジアン)は、彼らの依拠している自然失業率やNAIRUの理論の中では、失業率を引き下げ、賃金を引き上げないとインフレは生じないと主張しているのですが、日本の政策担当者はいかがお考えでしょうか。もっとも彼らはその時々で自説に都合のよいピースを選び、ミックスし、ジグソーパズルを完成させるのは朝飯前ですから、今度は何を選ぶのか、私としては興味津々ですが、・・・


外国為替相場 その8 日米為替紛争

 為替相場をPPPから乖離させる要因・メカニズムを説明する前に、近年の円・ドル関係について一言。
 これまで述べたことから明らかとなるように、ドル安または円安を導く最も確実な方法(政策)は、円に対する需要またはドルに対する需要を喚起することです。つまり、米国からすれば日本の金融資産を購入する動きを生み出すことであり、日本からすれば米国の金融資産を購入する動きを促すことです。そして、そのための最も効果的な政策手段は、国内金利を引き下げることによって相手国との相対金利を引き下げることです。
 また多くの人に自国通貨安に適合的な「期待」を持たせることも手段となりえます。
 実際、バーナンキ議長の下にあるFRBは、近年、なりふりかわまず、QE1〜3(量的緩和)、預金準備率の引き下げ、政策金利の引き下げを通じてそれを行なってきました。円買い・ドル売りの為替取引のトレンドは、おそらくそれと関連していたと思われます。
 一方、安倍首相は、日本銀行の「独立性」を侵しながら、金融緩和策を通じて通貨供給を増やし、金利を引き下げようとしています。日本側からの逆襲が始まったとでも言えるでしょうか。
 この経過の詳しい説明は、もう少し為替相場の決定要因・メカニズムを説明したあとで、1971年以降の為替相場(特にドル価格)について説明するときに、行いたいと思います。

 最後に一言。
 しばしば新古典派の経済学者は、自由市場に介入してはいけないと主張します。そして、TPPやらWTOのドーハランドなどを「自由貿易」の実現として賛美します。そこで、当然のことながら、上記のような日米為替紛争(自由市場に対する日米政府や中央銀行の介入)にも反対なのかと思いきや、そうでもないようです。その辺はかなりいい加減なのですね。

外国為替相場 その7 ISバランスと貿易収支

 これまで外国為替相場がPPP(購買力平価)で落ち着くことはなく、むしろそこから乖離させる何らかの力(例えば国際資本移動、バンドワゴン効果など)が作用していることについて書いてきました。これについてさらに詳しい説明をする前に、ISバランスと貿易収支について書いておくことにします。
 初歩のマクロ経済学でも次の式は必ず出てきます。
   Y=D=C+I+G+(XーM)       有効需要の構成
   Y=W+R                所得分配
   Y=C+S+T                                                     総支出の構成
 上の式は、一国(ここでは日本としておきます)の総生産=総需要(有効需要)の構成を示す式です。通常、企業は売れるという見込み(つまり有効需要の期待)のもとに生産します。したがって消費財に対する需要C、生産財に対する需要I、政府支出から生じる需要G、純輸出(XーM=外国からの純需要=外需)を合計したもの(D)が総生産(Y)に等しくなるはずです。ただし、企業は有効需要を見込んで生産するといっても、企業の期待(事前)と実際に生じた需要(事後)とは正確に一致するわけではありません。しかし、例えば企業が需要を見込んで生産した量が実際の販売量より多くなった場合、在庫が増えてきますので、企業は在庫をあまり増やさないように生産を抑制するでしょう。逆の場合は、逆です。したがって正確には上の式に在庫の変動を加えなければなりませんが、現在の経済学では普通在庫変動を投資(I)の中に含めています。
 下の式は、中段の式が示す総所得(Y=W+R、つまり賃金と利潤)からの支出を示します。Cは消費財の購入のための支出、Tは政府に対する納税、Sは残差(つまり貯蓄)です。
 上の式と下の式から次の式が導かれます。
   SーI+(TーG)=XーM
ここでは政府の活動を考えることが目的ではないので、簡単のため政府の収入と支出を捨象します。すると式はさらに簡単になります。
   SーI=XーM      (1)
この式は恒等式であり、ISバランス(SーI)と純輸出(貿易収支、XーM)が等しいことを示しています。例えば日本の場合、貯蓄額が投資額を超えています(SーI>0)が、それに対応して貿易収支(正確には経常収支)も黒字(プラス)となっています。これが意味するのは次のようなことです。すなわち貿易収支の黒字国は、その黒字額と同じ金額だけ自国の資金を外国に(net、正味で)移動させている(例えば中国に在外子会社を設立するため、米国の国債や株式を購入するため、外国の銀行に預金する、など)という事実です。これは貿易収支の黒字(赤字)に資本収支の赤字(黒字)が対応していることを意味しています。
 さて、ここで2、3の点を補足して置かなければなりません。
 ・しばしば恒等式(1)を因果関係の式と読みかえて、右辺が原因で左辺が結果としたり、逆に左辺が原因で右辺が結果だと主張する人々(経済学者)が現れます。しかし、事情はそれほど簡単ではありません。例えば1997年にアジア通貨危機が生じましたが、危機を経験した東アジア諸国の多くがそれまでに経常収支の赤字(および資本収支の黒字)の状態に陥っていました。その原因は、これらの国々が資本流入を実現した(資本収支の黒字)からなのでしょうか、それとも経常収支(特に貿易収支)を赤字にしてしまったからなのでしょうか?
 確かに1990年代に東アジア諸国は金融・資本移動を自由化し、資本流入をはかったことは間違いありません。しかし、これらの国はそれと同時に自国通貨安を避けるためもあり、高金利政策や米ドルとのペグ(固定化)策を取りました。その結果、東アジア諸国の輸出が不調となり、貿易収支(したがって経常収支)の赤字は拡大しました。その上で1997年に一撃(資本の流出・逃避)があり、これら諸国の通貨は大幅に減価しました(激しい通貨安です)。
 これを見ても、経済過程はきわめて複雑であり、何らかの相互作用を伴う調整の結果として式(1)が成立すると考える他ありません。
 ・上で、XーMに等しい(純)資本移動があると言いましたが、実際の(粗)国際資本移動はそれにとどまるわけではありません。いまXーM=Ktとします。実際にはこれまで繰り返し説明したようにその何十倍もの資本移動が繰り返されています。いま日本から外国(日本以外の世界)への資本移動(流出)をKt+Kpとすると、外国から日本への資本移動(流入)もKpだけ行なわれていることになります。ただその差が純資本移動(Kt)となるだけです。その結果、取引される日本円と外貨の量は、外貨買い(日本円の供給)がM+Kt+Kpに等しくなり、日本円買い(外貨の供給)がX+Kpに等しくなります。もちろん、外貨の総供給(円に対する総需要)と円の総供給(外貨に対する総需要)は等しくなります。
   M+Kt+Kp=X+Kp    (粗取引)
   XーM=Kt        (純取引)
 繰り返しますが、Kpがきわめて巨額であり、為替相場に大きな影響を与えているときに、純取引(貿易取引、貿易フロー)にのみ視野を限定することが如何に現実離れしているかを上の2式は示します。
 ・かくして為替相場を決めるメカニズムの輪郭が見えてきました。国際資本移動、特にポートフォリオ投資の大きな役割を無視することはできません。したがってまた、資本移動に大きく影響する利子率の役割を正当に評価する必要があります。ただし、それは利子率平価の理論とはまったく異なるものとなります。
 ちなみに、もう一つ大きな見通しを述べておくと、国際資本移動に大きな影響を与える要因として「期待」(予想形成)があります。ただし、この期待もおそらく「合理的期待」ではないはずです。むしろケインズや行動経済学に大きな影響を与えた心理学者(カーネマン、トゥヴァルスキー)が明らかにしたような「不確実性」や非合理性にもとづく期待です。そこで多くの人々が誤った期待を持って行動した場合でも、「自己実現的予言」が成就する可能性が高くなります。例えば米ドルを購入する人々が大勢のときには、ドル高となり、ドル安を予言した少数派は市場から罰を受けることになりますが、それはバンドワゴン効果が働いたことを意味しています。その際、大勢のそのような行動が合理的だったかどうかは、どうでもよいと考えられます。
 
 最後に蛇足ながら、一言。最近、ガソリン価格がまた高騰してきました。その理由は、もちろん、円安・ドル高にあります。私の記憶では、まだ大学に入学して間もないころ、1971年8月15日に「ニクソン・ショック」という事件が生じました。つまり、米国がドルと金との交換という約束を停止しました。そして、その前後からドル安が始まり、アメリカのインフレーションが亢進しはじめました。念のため申し上げますが、まだ石油危機の前のことです。日本でも、その頃からインフレーションが亢進しはじめました。私が月々に得ていた奨学金は増額されず、バイト代も据え置かれたので、学生生活が苦しくなったことを今でも思い出します。その後に、1973年の第一次石油危機が来ました。
 今現在生じているのは、円安・ドル高による輸入第一次産品の価格上昇ですが、1970年代と異なって、現在では(ほとんどすべての国における政府の反インフレ政策のため!)費用の上昇を価格上昇や賃金引き上げによって切り抜けるという調整方法が難しくなっていることです。
 たしかに円安・ドル高によって米国向けの輸出企業は販売量・(円建ての)販売額を増やすことができるでしょう。しかし、外国に起因するインフレーションの「デフレ不況効果」と(トヨタなど一部の企業の)輸出拡大の効果を天秤にかけたとき、どちらが大きくなるかはアプリオリに決まっているわけではありません。
 R・ボワイエ氏(フランス)やストックハマー氏(トルコ)などの有力な研究によれば、外需拡大策は内需を拡大する政策に比べて効果(特に大衆の富みを増やす効果)が期待できないとされています。安倍さん、どうしますか?


2013年2月8日金曜日

外国為替相場 その6 BTEXとAEX(図版修正)

  明日からしばらく居所を不在にしますので、しばらくブログの更新ができなくなります。今日は、外国為替相場の決定メカニズムを本格的に構築するための準備作業をしておきたいと思います。
 まず前に説明した新古典派によるPPP(購買力平価)の理論ですが、それがいくつかの国・地域では長期のケースで成り立つことがあると述べました。一つの理由としては、それは国際資本移動(外国直接投資とポートフォリオ投資(証券投資)の合計)が貿易取引(フロー)に比べてかなり小さい時期と地域だからという事情があります。
 そこで、まず外国資本移動がゼロか、または貿易取引に比べてかなり小さい場合を考えてみます。そして、その場合には購買力平価が為替相場を決定すると想定します。さらにそれによって決まる外国為替相場をBTEXと表示することにします。(BTEXは、Balanced -Trade Exchange Rate、つまり貿易収支を均衡させる為替相場の省略形です。)
 さて、例えば日本の輸入業者が米国から商品を輸入すると、米ドルを以て米国の輸出業者に支払いをしなければなりませので、米ドルに対する需要が生まれることになります。そのとき日本の輸出業者は代わりに日本円を供給することになります。同様に、米国の輸入業者が日本の輸出業者から輸入すると、日本円に対する需要が生じ、それと交換にドルの供給が行なわれることになります。貿易収支の均衡がとれる場合には、米ドルの供給=米ドルに対する需要(および日本円の供給=日本円に対する需要となります。
 ここで、その時のBTEXを(¥/$)*(この表示のしかたを邦貨建てといいます)、または($/¥)*(この表示法を外貨建てと言います)と表示します。普通、日本では邦貨建てを使うので、ここでは前者の表示法を使います。
 次に、現実の為替相場(¥/$)がBTEXから乖離する場合を考えます。まず、その数値が(¥/$)*より高くなる場合ですが、それにつれて(つまり円安・ドル高になるにつれて)、ceteris paribus(他の事情が変わらないならば)、日本から見て輸出が増えてゆき、輸入が減ってゆくでしょう。つまり、貿易収支は黒字になり、その黒字が拡大してゆきます。逆に為替相場の数値が(¥/$)*より低くなる(つまり円高・ドル安)になる場合には、逆のこと(貿易収支の赤字の拡大)が生じます。
 ここまでは、新古典派の説明と本質的に同じです。
 しかし、この後、新古典派の議論では、例えば日本の貿易収支が黒字(輸出超過)の場合、米ドルの供給が米ドルに対する需要より大きくなり(あるいは日本円に対する需要が日本円の供給より大きくなり、といっても同じです)、その結果、ドル安・円高への反転が生じ、為替相場は最終的には均衡点BTEXに戻ろうとします。(もちろん、逆の場合は逆ですが、為替相場がBTEXに戻ることは同じです。)
 ところが、繰り返すと、現実は決してそうはなっていません。日本の貿易収支黒字(輸出の超過)は1980年代から今日までずっと続いていました(ただし一昨年・昨年は違いますが、ここでは問題が複雑になるので、その事情は考えないことにします)。ということは、新古典派の論理を徹底させると、BTEXの水準から見て、為替相場は、まだまだかなりの円安・ドル高の水準にあるのです。
 そこで、新古典派の経済学者は頭を抱え込みます。
 でも、ちょっと考えれば分かるはずです。新古典派の人たちも、米ドルや日本円の<需要と供給>の関係が為替相場を調整すると認めているのです(上記を参照)。ところが、米ドルや日本円の<需要と供給>を生み出すのは、貿易取引だけではありません。国際資本取引(貿易取引の40倍以上の金額です)があります。それさえ認めれば、あとは比較的簡単です。
 例えば日本の投資家が米国の資産(国債や株式)を購入するときには、米ドルに対する需要が生じ、それと交換に日本円の供給が行なわれます。米国の投資家が日本の株式を購入する場合も、仕組みは同じです。もし貿易取引に伴う通貨の需要と供給が為替相場を決定すると考えるならば、資本取引に伴う通貨の需要と供給も同じ作用を及ぼすと考えていけない理由はありません。(それを妨げているのは、どうしても貿易均衡理論を導きたいと欲している理論家の「思想・信条」だけです。)
 そこで、いま貿易取引と国際資本取引(直接投資とポートフォリオ投資)の両者による通貨の需要と供給によって決まる為替相場(つまり現実の為替相場です)をAER(Asset Exchange Rate の略)と呼ぶことにします。
 ここまで書けば、読者にはおわかりのように、現在では、BTEXとAEXが乖離しているというのが国際経済の真相だということになります。
 ただし、ここで次の疑問が生じます。それは、日本から見ると、貿易収支が黒字(輸出超過)だったことが示すように、現実の為替相場(¥/$)はBTEXの基準から見て円安・ドル高となっています(もちろん米国から見ても、貿易収支は赤字ですから、BTEXの基準から見てドル高・円安となり、同じです)が、このように(¥/$)>(¥/$)*となるのはどうしてだろうか、という点です。
 この点の説明は後日にまわします。差し当たりは、国際資本移動に大きく左右されているAEX(現実の為替相場)がBTEX(貿易収支を均衡させる為替相場)から乖離しているのが、むしろ通常だということを理解することが肝要です。
 参考のために、下に説明のための図を示します。この図では、日本を自国としています。また EO が説明中の AEX、E1 が BTEX に相当します。Q2ーQ1は貿易収支(黒字)です。また国際経済学を学んだことのある人にとっては常識かもしれませんが、Q1ーQ2は資本収支(赤字)です。貿易収支(経常収支)と資本収支との合計はゼロになります。Q0 は為替の取引量であり、それは貿易取引(Q1、Q2)の少なくとも10倍以上はあるはずですが、下は模式図ですので、遠く引き離すわけにもいかず、現実よりもかなり近くに描いています。
 問題の焦点は、いまや下図の右側にあることに注意してください。
 (2月8日の図版に誤りがありましたので、訂正します。)






2013年2月7日木曜日

外国為替相場 その5 ランダムウォーク

 1983年に、IMFの若いスタッフだった ミーズとロゴフ(Richard Meese and Kenneth Rogoff)が、ある論文(Empirical Exchange Rate Models of the 1970s: Do They Fit Out of Sample?, The Journal of International Economics, 1983, Volume 14)を書きました。それは、どのモデルが外国為替相場を最もよく予想するかを検証したものでした。彼らは、それをAmerican Economic Review誌に投稿しましたが、「ゴミ」として拒絶されたと言われています。
 さて、彼らの論文の結論ですが、最もパフォーマンスのよかったモデルの前提とされていた考え方は、「今日のスポット相場が明日のスポット相場を最良に予想させる」(ランダムウォーク)というものでした。
 これはいわゆる「テクニカル分析」(過去の移動平均値などからトレンドを導く方法)が有効であることを示す材料の一つでもあり、またFX(外国為替)相場には「バンドワゴン効果」が働いていることの一つの証拠でもあるように考えられます。ちなみに、バンドワゴンというのは先楽隊というような意味であり、そこからバンドワゴン効果というのは、「時流に乗る」とか「大勢に組する」というほどの意味です。政治の世界でも、例えばマスコミが首相候補者としてある人物の名前をあげると、人々がそれにのってくるというのと同じです。彼らの判断が正しい(合理的、根拠がある)かどうかにかかわりなく、一つの流れが生まれてしまうと、そのこと事態が結果的に正しいということになってしまいます。
 ですから、American Economic Review誌の編集者が研究者生命を失わせるような「ゴミ」と言った気持ちが分からないではありません。
 しかし、どうしてミーズとロゴフのいうように今日のスポット相場が明日のスポット相場を決めるのでしょうか、バンドワゴン効果が生じるのでしょうか。それを、きちんと理解するためには、もう一つFX相場のメカニズム(制度的側面)を知っておく必要があります。
 一つの重要な点は、商品価格と資産価格・為替相場とでは、価格形成メカニズムが異なるという点です。まず前者ですが、商品は(近年の米国の石油などの例外を除いて)投機の対象とはならず、その価格は費用(プラス利潤)、つまりマークアップによって決まり、いくつかの価格変動しやすい商品(農作物など)を除くとあまり変動しません。商品は産業によって毎年生み出される商品です。
 しかし、資産や外国為替は異なります。それは産業によって毎年生み出される商品ではなく、古典派経済学風に言えば、使用価値を持ちません。またその価格はそれを生み出す費用とはほとんど関係ありません。その価格は、費用以外の別の要因、特に(仮に供給を所与のものとすると)それらを購入するのに支出された貨幣量(需要)に依存します。簡単に言えば、買いたいと欲する人が多いほど、そのために支出される貨幣量が多いほど、資産・為替価格は上昇します。バンドワゴン効果が作用するのは、そのためです。
 このことは、外国為替相場を考えるとき、貨幣フローがきわめて重要であること、したがってまた貨幣フローをもたらす要因として貿易の他に、外国直接投資、ポートフォリオ投資が重要であることを示唆しています。特に、繰り返しますが、BISの調査が明らかにしてきたように、外国為替取引が貿易取引とそれに関連する取引の40倍以上に達する現代では、そうです。
 そこで、われわれの課題は、貿易以外の国際資本移動の為替相場に対する影響を分析し、またバンドワゴン効果のような心理学的な(あるいは場合によっては、非合理な)要因を検討することにあるということになります。

2013年2月6日水曜日

外国為替相場 その4 利子率平価

 国際資本移動が貿易取引の40倍以上にも達しており、またグローバルな貿易不均衡が存在している現在、貿易収支の均衡をもたらすPPP(購買力平価)が外国為替相場を決定する要因であるという新古典派の見解が現実離れしていることを強調してきました。
 しかし、新古典派には、利子率平価の理論、およびそれと近い関係にある「ドーンブッシュ・モデル」などがあることに言及しなければ、不公正となるでしょう。これらの理論、特にドーンブッシュ・モデルは、ともかく為替相場の決定要因を(利子率を介してであれ)国際資本移動に関係させ(かけ)たという点で、評価されるべきかもしれません。
 しかし、あらかじめ指摘しておけば、これらの理論も、結局のところ、為替相場が完全雇用や貿易収支の均衡など、国内・国際的な実体経済の均衡を実現する点に落ち着くことを示そうという呪縛から抜けきれていません。
 ドーンブッシュ・モデルは若干複雑なので、その説明は他日を期して、今日は「カバーされない利子率平価」(uncovered interest  rate parity)の基本的な考え方を説明しておきます。
 いま日本における「利子生み証券」の利子率をRj、アメリカにおける利子率をRaとします。また初期(投資時点)における為替相場(円/ドル)が(y/$)とします。すると1単位の証券投資の一定期間(例えば1年)後の元利合計は、(日本の居住者が)日本で投資した場合は(1+Rj)となり、アメリカに投資した場合は(1+Ra)($/y)となります。もしアメリカの金利が日本の金利より高ければ(つまり、Ra>Rjならば)、また(名目)為替相場が変わらないと仮定すれば、もちろん、アメリカの利子生み証券を購入する方が有利であることは言うまでもありません。
 しかし、言うまでもなく、為替相場は変動します。もし一年後の期待為替相場が(y/$)e
(注意:記号のeは為替相場が期待される数値であることをいみします)であれば、アメリカで購入した利子生み証券(元利合計)を円に換算したときに期待される金額は、次のようになります。
  Ea=(1+Ra)($/y)(y/$)e     
はたして、この金額が日本の利子生み証券を購入したときに得られる金額Ej=(1+Rj)と比べて大きくなると言えるでしょうか?
 本当のところは、何とも言えないというところかと思います。しかし、利子率平価の考え方では、基本的に両者が同じになるように為替相場が決定されるということになります。
 ここでさしあたり問題が2つほど出てきます。第一は、どうしてそのような力が作用すると考えられるのか、であり、第二は、それは経験的なデータによって実証されるのか、です。
 このうち、第一の点は、後日説明したいと思いますが、新古典派の説明では、結局、国際資本移動が中心的な役割を演じることはありません。役割を演じるのは、またしても合理的期待と実体経済の均衡(貿易均衡、完全雇用など)に関する限りでの利子率です。
 第二の点についてですが、まず「期待される為替相場」に関するデータは存在しません。それは(多分)人々の頭の中にある(あった)はずですが、当然ながら統計資料として公表されることはありません。それでは、一定期間が経過したのちの事後的(ex-post)な事実に即して見ればどうでしょうか? 昨年、私の勤務する大学でも、卒論のテーマとして日米間の為替相場決要因を検証した学生がいましたが、結果はよくありませんでした。専門家の研究でもそのパフォーマンスはよくありません。
 それもそのはずです。まったく逆なのですから。上の例を続けると、利子率平価の説では、アメリカの高金利は米ドル安を期待させることになります。しかし、現実には、例えば1980年〜1985年の場合がよく示すように、米国の高金利(FRBの金融引締め策による)が米国への資本流入をもたらし、それが米ドル為替に対する需要を拡大してドル高をもたらし、資産価格を引き上げ、さらに(ドル高の期待による)バンドワゴン効果を通じてドル高(dollar appreciation)を亢進させていたのですから。
 そろそろ、何が問題か気づくべき時期とは思いますが、やはりケインズが鋭く見抜いたように、「信条」か、さもなければ「権益」が災いしているようです。
 

2013年2月4日月曜日

外国為替相場 その3 貿易取引と国際資本取引

 もし国際資本取引が存在しないか、それとも貿易取引に比べて非常に小規模にとどまっていれば、現実の外国為替相場は、購買力平価(PPP)に近いものになる可能性があります。その理由は、外国為替取引の動機が貿易を中心とする実需取引によってほとんど説明されるからです。また、その場合には最初に(その1)で述べたように、輸出と輸入を均衡させるような力が作用すると考えることができます。
 しかし、BISの調査(最新の調査は2010年4月)が定期的に明らかにしているように、実際には貿易取引の40倍以上の外国為替取引が行なわれています。このことは、貿易の何十倍もの(例えば)米ドル為替や円為替の売買が行なわれていることを意味しています。
 このような状態を考えたときに、貿易取引(輸出と輸入)は為替相場に影響するけれども、国際資本取引は為替相場に影響しないとアプリオリに(先験的に、apriori)に判断する根拠はあるでしょうか? もちろん、ありません。そこで、前回述べたように、この点を一切考慮しない新古典派の見解には、この点で大いに問題があることになります。
 問題の所在を明らかにするために、次のような簡単な例を考えます。いまA国とJ国の2つの国があり、それぞれの通貨をドルと円とします。またA国はJ国から1000ドルを輸入し、J国に800ドルを輸出しているとします。つまり2国間の貿易収支はA国が200ドルの赤字、j国が200ドルの黒字となります。次に資本移動(すべてポートフォリオ投資)がA国からJ国に49800ドル、J国からA国に50000ドルとします。つまり資本収支はA国が200ドルの黒字、J国が200ドルの赤字となっています。(以上の数字は、あくまでも説明のための便宜的なものですので、その真偽は問わないでください。)
 この場合、貿易収支と資本収支の各々に不均衡が生じていますが、ドル需要=ドル供給=50000ドル(および円需要=円供給)の等号は成立しています。この時の為替相場を仮に1ドル=100円としておきます。
 しかし、この1ドル=100円という相場は、貿易収支を均衡させる為替相場を基準としてみると円安・ドル高になっていると考えられます。というのは、J国の貿易収支は黒字ですから(同じことですが、A国の貿易収支は赤字ですから)、貿易収支を均衡させる為替相場はもっと円高・ドル安(例えば1ドル=80円など)と想定されるからです。
 この乖離はどうして生じたのでしょうか? この理由は、貿易収支や購買力平価(PPP)によっては決して説明できません。
 この乖離は、短期的なホワイト・ノイズや一時的なエラーと考えることも不可能ではないように思われるかもしれません。しかし、1980年代からずっと長期にわたってグローバル不均衡(米国の巨額の貿易収支赤字、資本収支の黒字)が続いてきたことを考えると、そうした想定は非現実的です。したがって、それは国際資本移動またはそれをもたらした要因の中に求めるしかありません。
 そこで、次に国際資本移動と為替相場がどのように関連しているか、(新古典派がかたくなに拒否してきた)そのメカニズムをどうしても検討しなければならなくなります。 

外国為替相場 その2 新古典派の信条

 為替相場の決定理論に限らず、新古典派には絶対に譲ることのできない「信条」とも呼ぶべきものがあります。それは、市場均衡と市場効率性の理論、合理的期待、セイ法則と呼ばれるものなどです。
 彼らは、それらの原理を必死に護ろうとします。私などは「現実世界の経済学」を明らかにすることを目標としているので、ポスト・ケインズ派や制度派の見解(不均衡の存在、不確実性、市場以外の制度の重要性、有効需要の固有の原理など)を現実的なものとして何の抵抗もなく受け入れることができますが、おそらく特に米国の主流派・新古典派・正統派と称する人々は、それらを受け入れたら現代経済体制の正当性を基礎づけられなくなるという宗教的な使命感を持っているのでしょうか、とにかく必死になるのです。
 もちろん、経済学が宗教であれば、信仰箇条を護るのは立派な態度と言えるでしょう。しかし、残念ながら経済学は宗教ではありません。社会科学です。J・M・ケインズは、『一般理論』(1936年)で、現実離れした前提から出発した誤った理論が「悲惨な結果」をもたらすといい、彼の経済学を構築しましたが、ケインズが述べたことを現在の経済学者も繰り返さなければならないのは悲しいことです。
 さて、このようなことを述べたのは、新古典派の「思想」・「信条」(市場均衡、市場効率性、合理的期待、セイ法則、完全雇用など)から自由にならない限り、現実経済の動きを見極めることができず、もちろん外国為替相場の動きの背後にあるものを理解できないからです。現実には、貿易収支の不均衡があり、それに対応した資本収支の不均衡があり、非自発的雇用があり、社会慣習と諸個人の時に非合理ともいえる行動様式、市場と私的所有以外の諸制度が存在しています。
 特に前回示したように、現実の国際経済が貿易取引の40倍以上の国際資本移動によって特徴づけられている(ということは、外国為替取引のほとんどは国際資本取引にともなうものとなっている)ときに、国際資本移動に言及しないような理論は欠陥理論であるに違いないと想像できるでしょう。実際、新古典派の中にも定期的に資本フローの重要性に触れる良心的な研究者が現れます。しかし、そうした場合、彼らは無視されるか、辺境に追いやられるか、どちらかの扱いを受けます。かつて、米国の偉大な経済学者、J・K・ガルブレイスはそのような事実を揶揄して、現代の経済学者の住む村には真実ではないことを真実として扱う社会的風習があると指摘し、それを「制度的真実」と呼びました。
 まずは、そのような風習から自由になることが肝要です。そのような自由な態度を持たない人には、為替相場の決定要因は決して理解できないはずです。何故ならば、そのような人は現実に不均衡が生じているのに、均衡理論にもとづいて説明するという不可能事をなさなければならないからです。これに対して、自由になれる人にとっては、以下で行なう外国為替相場の決定要因の説明は受け入れ可能となるはずです。ただし、サルにも分かるほど易しいとはいいません。小学生でも無理かもしれません。

外国為替相場 その1 購買力平価説

 これから外国為替相場について何回か説明することにします。

 まず外国為替相場に関する主に新古典派的な見解を紹介し、その後にポスト・ケインズ派・制度派の理論を紹介しますが、今回は第1回目として新古典派の「購買力平価」説(英語のpurchasing power parityからPPPと略称されます)を取り上げます。
 これは、次の3つの主張から成ると言ってもよいでしょう。
 1 自由な国際商品市場では、同一商品の価格は同じになる(一物一価の「法則」)。
 2 したがって外国為替相場は、各国の商品の相対価格の変化に応じて変化する。
 3 上の価格メカニズムを通じて貿易収支は均衡(balance)を達成する。

 これだけのことですが、若干解説しましょう。
 まず簡単のためにA国とB国があり、一種類の商品xしか生産・取引されていないとします。いまその商品の価格(一単位あたりの単価)がA国で20ドル、B国で2000円であるとします。この場合、上記の1により、20ドル=2000円、つまり1ドル=100円となるように為替相場が決まる、というのが購買力平価(PPP)説です。
 もちろん、上の説明をそのまま現実に当てはまるわけには行きません。いくつかの修正が必要です。
 第一に、商品の種類は一種類ではありません。現実には、何千、何万種類という商品(財とサービス)がありますので、購買力平価の導出は簡単ではなく、きわめて複雑です。しかも、同じ商品でも詳しく見ると、品質やスペックが異なるので、現実に計算するのは難しいのですが、様々な計算の試みが行なわれています。簡単に言えば、(加重)平均値を計算するということになります。
 第二に、商品には、貿易財と非貿易財があり、両者を区別しなければなりません。例えばタクシーの運賃は日本とエジプトでは非常に異なっていますが、それはタクシー・サービスが非貿易財であり、上記の1が当てはまらないからです。ただし、世の中には、貿易財と非貿易財という風に単純な二分法を許さない商品も多数あります。
 そのような訳で、購買力平価説は商品の中でも、概ね貿易財にしか適用することができません。簡単に言えば、貿易財の(加重)平均値が為替相場の背後にあるということになります。

 さて、もちろん物価は変化します。それぞれの国で変化するだけでなく、それぞれの商品が思い思いに変化します。そこで、購買力平価説は、為替相場も主に貿易財の(加重)平均値の変化率(これを貿易財インフレ率と言うことにします)に応じて変化します。上の例(一財xの例)を続けると、一定期間ののち、A国のインフレ率が10%であり、22ドルになったのに、B国では10%のデフレが発生しており1800円になったとします。この時、新しい為替相場は、22ドル=1800円、つまり1ドル=81.8円となります。
 この場合、名目の(市場における本当の)為替相場は円高・ドル安になっていますが、実質的な為替相場はまったく変化していません。

 第三の新古典派の命題は、為替相場がこのように決まっていれば、為替相場の自動調節機能によって貿易収支は均衡すると説きます。上の例(1ドル=100円)で、仮に均衡が破れ、ドル高になると、A国の商品xの価格が高くなってB国からの輸入が増えてしまい、貿易収支は赤字になります。しかし、この時、貿易均衡を達成する力が作用し、ドル安・円高の傾向が生まれると考える(ドル安・円高の場合も同様)と考えるわけです。

 さて、以上の説明は、一見したところ、現実をかなりよく説明している申し分のない理論であるように思われるかもしれません。しかし、この理論が現実を説明するパフォーマンスは意外によくないのです。これについて3点だけ指摘しておきます。
 1 現実の為替相場は、貿易財だけをとっても、ある一時点では購買力平価からかなり離れています。またその変化を見ても、いくつかの国・地域の長期の変動を説明してはいますが、いくつかの国・地域についてはそうでもありません。特に短期については、パフォーマンス(上記の1と2の説明力)はかなり悪い結果です。
 2 現実には貿易収支のグローバルな不均衡が生じていることは、ちょっとでも世界経済について学んだことのある人なら知っているはずです。つまり、現実の為替相場には貿易不均衡を是正する力はありません。これは上記の3が成立していないことを示しています。
 3 それもそのはずです。現在の国際市場では、BIS(国際決済銀行)の3年に一回の調査が明らかにしているように貿易取引の40倍もの資本移動のために外国為替取引市場が働いているのです。したがって、貿易取引だけで説明しようとしてもうまく行く訳がありません。それを大幅に超過している資本移動(外国直接投資、ポートフォロ投資)を視野に入れなければならないのです。

2013年2月3日日曜日

安倍さん! 企業家は賃金をあげないといっていますよ!

 安倍首相が「リフレ論者」となって、インフレ率を2%にあげると言っています。本ブログもこれに非難的な見地から言及してきました。

 しかし、今日は百歩譲って、インフレ率が2%上昇し、それと同時に経済が好調になり、人々の所得が実質で(例えば)3%上昇するとしましょう(景気を良くするといっているのですから、まさか1、2%ではないでしょうね?)。簡単のために、労働力の総数や就業率は変化しないとします。
 そうすると、もし労働者(どう控えめに見ても国民の80〜90%を占めるでしょう)が実質的に所得を3%拡大するためには、2%のインフレ率を含めると約5%の貨幣(名目)賃金を引き上げることが必要になります。
 ところが、です。テレビを見ると企業家の中には賃金引き上げなどとんでもないといっている者がかなりいます。
 安倍さん、どうしますか? 安倍さんの「やる気」を無視し、景気拡大の「期待」などをさらさら持つ気などない経営者が多数いるのです。ここは、是非、「リフレ派」の諸君と同じように、「期待」を持つことが如何に重要かを日本の経営者諸氏、特に日本の経営者団体やそれらに加盟している会社に説得させて、給与の大幅アップを実現させて欲しいものです。
 もし5%の賃金上昇が実現されれば、日本の消費水準は大幅に拡大し、デフレ不況など一挙にふっとぶはずです。もちろん、そのように消費財の有効需要が拡大すれば、企業も将来の期待利潤を大幅に拡大し投資をするでしょう。そうすれば、生産財(道具、機械、設備など)の生産も拡大し、景気はよくなるでしょう。
 安倍さん、本当はそのように考えているんでしょう? だったら、是非、財界の人々に説得して勢いよく賃金引き上げを実現させて欲しいものです。
 それとも、賃金の引き上げを実現せずに、GDPだけ上げようというのですか? その場合は、利潤だけが上昇して、巨額の配当を得る巨大株主や経営者の所得が増えるだけで、日本はさらなる格差社会に突入することになりますが、まさかそうではないですよね?



 

為替相場を決めるメカニズムと要因は?

 John T. Harvey という米国の経済学者の書いた Currency, Capital Flows and Crises, A Post Keynesian Analysis of Exchange Rate Determination,  Routledge, 2010. という本を読み、翻訳する作業を進めています。(直訳すると、『通貨、資本移動および危機 為替相場決定のポスト・ケインズ派による分析』となります。)
 外国為替相場というと、新古典派の理論は、貿易取引(フロー)に焦点を置いた「購買力平価」説、市場均衡、合理的期待などにもとづいて理論を構築しようとしており、ことごとく失敗しています。これに対して、ジョン・T・ハーヴェイの著書は、ポスト・ケインズ派の見解にもとづいて為替相場決定のメカニズムと要因を明らかにしようとしています。特に貿易フローの40倍にも達する資本移動(その中でもとりわけポートフォリオ資本移動)に焦点を置き、貿易不均衡、ケインズも試みた心理学の応用(美人投票、バンドワゴン効果など)にもとづいて理論を構築しており、きわめて現実世界を説明するものとなっています。
 このブログでも、折をみて、その内容をかいつまんで説明し、またその理論にもとづいて現実をどのように説明できるか、解説したいと思います。