2017年8月11日金曜日

2010年以降の自殺者の減少は本当か?

【厚生労働省人口動態統計より】
 少し物騒な話しだが、人口動態統計から自殺に関する統計について疑問点を示すこととする。どこの国でも、自殺者の増減は経済状況と密接に関連していることが指摘されてきた。
 実際、日本では、自殺者は、低賃金・非正規雇用の急速に増加しはじめた1997年頃に急増した。しかし、2009年頃からはすこしづつ減少してきた。もちろん減少するのはよいことである。だが、現実が本当にそうなのか疑わせる証言やデータがある。証言とは、自殺とは遺書を残したケースに限られるというものである。
 厚生労働省のデータでは、自殺率の低下と対照的に「変死」(下図参照)に結びつくと思われる死因がずっと上昇してきている。しかも、「不慮の事故(交通事故を除く)」はリーマンショック直後の2010年に増加し、翌年に2万人(3.11被災者数にほぼ等しい)ほど増えたのち、2012年に低下しているが、その後は2011年頃の水準にとどまっている。このように「不慮の事故」等が徐々に増加してきた理由とは何だろうか?
 警察は、2010年頃に自殺者を減らす運動をはじめている。しかし、それが統計上の「操作」ではないと断定するには多くの疑問が残る。



2017年8月7日月曜日

加計学園 疑惑の構図 2 獣医学教育改革の方向性に関する文科省の意見(2012年、他)

 加計学園問題を考えるとき、これまで文科省が獣医学教育についてどのように考えていたかが大いに参考になります。
 これに関係する文書は、多数存在しますが、例えば次の文書(2012年)を参照してもらえば、文科省の考え方がよく分かります。(それの是非はここでは詳しく問いませんが、おそらく文科省のいう通りだったのでしょう。)この種の文書は、獣医学部を持つ大学と文科省との間で頻繁に交わされていたこと、間違いありません。

http://plaza.umin.ac.jp/~vetedu/files/kaikakusympo-3kakizawa.pdf

 こうした文書に共通して見られるのは、現状を改革する必要への言及であり、特に現在の教育が国際的レベルの獣医師を育てるには不足しており、そのために(国際的レベルの獣医師を教育するために)いつつかの施策を実現する必要があるという意見です。またそのために、例えば大学間連携の必要性がるという指摘です。
 いずれにせよ、獣医師が不足しているなどという認識はまったく見られません。まったく逆であり、これは構造改革特区への今治市の認可申請(2007年~2011年)に際して文科省が反対意見を表明している文書でも明らかです。
 まさに愛媛県・今治市、加計学園にとっては、どうしても崩すことのできない「岩盤」が存在したわけです。

 そして、それを崩すには、まず国家戦略特区で今治市の獣医学部を先行して認可しておいて、後から文科省に認可するように圧力をかけるという方法しか残されていなかったということもよく理解できます。国家戦略特区制度には、本ブログでも示したように、構造改革特区とは異なって、「総理の主導」「トップダウン」が決定されていました。<特区で認可しておき、公募で事業者(加計学園)に申請させれば、文科省も拒絶はできないだろう。> これうした目論見、構図がさらにはっきりと見えてきます。
 まさに「男たちの悪巧み」に他なりません。


加計学園 疑惑の構図 1 「男たちの悪巧み」の意味 作戦変更

 加計学園をめぐる疑惑について調べてきましたが、私なりに分かったことがあるので、少し疑惑の構図について触れてみることとします。

 まず2015年のクリスマス・イブ(12月24日)に昭恵氏(安倍首相夫人)がフェイスブックで「男たちの悪巧み・・・(?)」とつぶやいたことを取りあげます。ネットでは、広く知られているので、詳しくはそちらに譲ることにしますが、安倍首相と加計孝太郎(加計学園理事長)の他に、高橋精一郎(三井住友銀行副頭取)、増岡聡一郎(鉄鋼ビルディング専務)の4人が酒を飲んでいる写真が掲載されています(下図)。


 これは4人のネポティズム(縁故関係)を示すものに相違ありませんが、私が注目するのは、「悪巧み」という表現です。実際、これは「悪巧み」に違いないでしょう。あるいは、作戦変更というべきかもしれません。そのことは、今治市の獣医学部開設に関する経過を時系列的に追うことによって、自ずから明らかになってきます。

 さて、現在、問題となっているのは、2014年にはじまる国家戦略特区に関わっていますが、その前に構造改革特区の制度がありました。小泉「構造改革」とともに始まった制度です。
 この構造改革特区に2007年度(第12次申請)から2013年度(第24次申請)にかけて今治市が獣医学部開設の新設申請を行っています。これは周知の事柄であり、今治市のホームページに提出資料が掲載されています。また2007年(第12次)から2009年(第17次)については、はっきりと予定事業者として岡山理科大学(加計学園運営)の名前を出して申請しており、これは文書に記されています。2007年というと、安倍晋三氏が首相(総理大臣)に就任した年です(9月26日)。

  http://www.city.imabari.ehime.jp/kikaku/kouzoukaikaku_tokku/
 
 ちなみに、構造改革特区の側の資料では、2007年~2007年の「申請状況一覧」が現在削除されています。「ページは移動しました」となっていますが、指示通り他のページをみても、ぐるぐる回るだけで、文書は出来てきません。しかし、これについては、措いておきましょう。


 加計学園を予定事業者とした申請はすべて却下されました。
 その理由を示す文書がやはり先に紹介した今治市のサイトに載っています。
 その一部をあげておきます。
 
 「現在、政府においては、6月を目途に取りまとめられる「新成長戦略」のなかで、ライフ・イノベーションによる健康大国戦略等を検討するとしています。 獣医師は、感染症の予防・診断、医薬品の開発、食の安全性の確保等において重要な役割を担っており、上記の検討の中で、獣医師養成の在り方についても、新たな視点から対応を検討してまいります。
 文部科学省としては、獣医関係学部・学科の入学定員について、獣医師養成が6年間を必要とする高度専門職業人養成であり、他の高度専門職と同様に全国的見地から、獣医師養成機能をもつ大学全体の課題として対応することが適切であります。
 このため、ご提案を特区制度を活用して実現することは困難であると考えます。」

 実際、政府(文科省を中心に)既存大学の獣医学部を活用した獣医師の新たな、ハイレベルな養成方法について検討し、実現しようとしていました。というのは、岡山理大が獣医学部を開設した場合、レベルの低下を招くことはあっても、国際化に対応した獣医師の養成など不可能と判断していたからです。(これらの詳細については、後に詳しく触れる機会を持ちたいと思います。)
 今治市は、繰り返し繰り返し同じ要望書を提出し、今治市を中心とする広域的な地域に獣医師養成大学・学部が存在しないこと、これが数十年来の今治市の要望であると主張しましたが、認可基準・設置基準を満たしていないという政府や文科省の判断を変えることはありませんでした。

 ところが、です。安倍晋三氏が再度首相(総理大臣)に返り咲き、しかも特区制度も「総理の主導」・「トップダウン」で「異次元のスピード」で岩盤規制を掘り崩すという「国家戦略特区」の制度に変わりました(2014年)。しかも、新制度では、国・自治体・民間が「対峙せず」、一体となって進めるということも決定されています。

 ここで作戦が変更されたわけです。その要点は、(1)最初に国家戦略特区で今治市に獣医学部開設の特区地域として認定する。その際、あえて岡山理大(加計学園)の名前を予定事業者とあげることはしない。それは作戦上どうでもよい。今治市に獣医学部開設の特区を認定することが重要である。そして(2)次に特区事業者の公募をする。これも出来レースだから、公募期間は短期間の方がよい。他の大学が公募してきては困るから。もちろん、応募するのは岡山理大だけにしたいが、他の大学が応募してきてもつぶせばよい。最後に(3)文科省の設置審にかけ、認可させればよい。文科省が難色を示すだろうが、首相官邸からの圧力をかける。こんなところでしょう。

 実際、この作戦通り事は進行しましたーーただし、途中まで。
 しかし、まず第一に、京産大が公募してきました。しかし、これは例の「広域的云々」(云々を国会で「でんでん」と読んだアホ首相がいますが、これも別の機会に詳しく)でつぶされました。第二に、予想通り、文科省(前川次官など)が難色を示しました(国家戦略特区の文書「日本再興戦略」の表現では、「対峙」しました。)そこで、設置審の応募期日(2017年3月31日)に間に合うように、2016年8月~10月にかけて、和泉、萩生田、木曽などの諸氏が文科省にさかんに圧力をかけました。「首相の御意向」だから聞けというわけです。
 そして、前川次官は辞任させられましたが、ついに内情を暴露する文書が公表され、前川氏の爆弾発言(いわゆる前川砲)がありました。
 文科相は、文書を隠匿するために必死になり、虚偽の答弁を繰り返しました。
 菅官房長官は、「怪文書」発言をしました。
 読売新聞は、前川氏の個人攻撃をしましたが、これは前川発言の価値をおとしめるために行ったことであり、官邸との相談なしには出来なかったことと推測できます。(警察出身の官邸の当局者が関与していたでしょう。)
 安倍首相は、もちろんすでに2007年から事情をよく知っていました。また事情に通じている人は誰でもそのことを知っていました。そこで、当初は、「急な質問」でもあり、より「整理せずに」答えたため、2015年6月の特区申請の段階で知っていると答えるしかありえませんでした。(当然でしょう。もし知らなかったと言ったら、皆が「嘘つき」と言ったでしょう)。しかし、その後、2016年夏に行われた「首相の御意向」を文科省に伝え、圧力をかけたという事実はない(かりに圧力があったとしても、それは自分の知らないところで他の人によって忖度によって行われたものだ)という趣旨のシナリオに変更せざるをえなくなりました。しかし、そのために、さらに嘘の上塗りをしなければならなくなりました。今年(2017年)1月20日まで予定事業者が加計学園と知らなかったという閉会中審査の答弁です。このシナリオ変更は、国会の閉会中審査の直前に首相秘書官によって念入りに作成され、首相にレクチャーされたという情報もあります。

 これが時系列を追って見た加計学園問題の展開の要点です。
 この裏には安倍首相とその周辺、加計学園、愛媛県・今治市、その他のネポティズム(縁故関係)と利権の構図が見え隠れしています(下図参照)。
 この利権の構図をより詳しく見ながら、上記の作戦がどのように進行したかを、さらにこの問題を追求していきたいと思います。

 

 (この項目続く)
 

2017年8月2日水曜日

破綻にむけて東芝の背中を押した人物 今井尚哉

 
 東芝がなぜ不良企業のWHを購入したのか、またWHがこれまた7000億円もの損失を出していた不良企業のS&Wを高い「のれん」代まで出して買ったのか?
 その裏には経産省があり、ある人物がいた。また「原発輸出」を推進してきた安倍首相がいた。

 今井尚哉 経産省出身・首相秘書官
  今井敬(元経団連会長)の甥
  今井善衛(元経産事務次官)の甥
  安倍首相の片腕・最も信頼する人物

https://www.businessinsider.jp/post-100588

2017年8月1日火曜日

国家戦略特区とは? そもそも総理大臣の「トップダウン」で進める歪んだ制度+ネポティズム

 国家戦略特区とは何か?
 それは前のブログでも書いたように(また2013年6月14日の日本経済生産本部の会議資料、『日本再興戦略(案)』に記されているように)、そもそも総理大臣(首相)の主導により、また総理大臣のトップダウン方式により、「異次元のスピード」で、国・自治体・民間の三者が一体となって、進める制度だった。最初からそのように設計されていたのである。
 三橋氏も言うように、最初から歪んだ制度設計にもとづいていたというしかない。
 
 それでも、それは公式にオーソライズされていたのだから、安倍首相は、やましいところがなければ、「私の主導により特区会議で決定し、スピード感をもって、かつ三者が対峙するのでなく、一体となって進めました」といえばよい。
 
 ところが、いったん2015年6月に知ったといいながら、国会の閉会中審査では、それを否定し、今年1月20日まで知らなかったと訂正した。「急な質問で」とか、「整理して」とか余計に疑われるような言葉を使ってまで、今年1月まで知らなかったことにしている。
 これは、やましいことがあったことを自ら表明しているようなものだ。
 どんなやましいことがあったのだろうか?
 もちろん、ネポティズム(縁故関係)にもとづく利権だろうということは容易に想像できる。実際、国会の審議からも、新聞報道や市民の情報などから、様々な疑惑が次々に明らかになってきている。
 その関係を整理すると、国(首相、内閣府、特区会議、官邸など)、自治体(今治市)、加計学園(千葉科学大学、岡山理大など)の三者間の関係にまとめられる。
 
 1,国と自治体
 2,自治体(今治市)と加計学園
 3,加計学園と国(首相、内閣府、官邸、特区会議)
 
 まだ全容は明らかになっていないが、それぞれについて材料はそろってきている。問題となるのは、言うまでもなく、2と3であるが、1も2と3を明らかにする傍証として重要となる。

破滅的インフレが生じたとき  1 ドイツ 1921~1923年のハイパー・インフレーション

 日本の金融・財政が破綻したならば、すさまじいインフレーションが生じ、金融資産(預金や株式、国債など)が失われてしまうのではないかと心配する人が多いかもしれません。実際にどうなるかは措いておき、過去のハイパー・インフレーション、ハイ・インフレーションがどのように生じ、どうなったかを、検討しておきましょう。

 まずは、1921年~1923年にかけて生じたドイツのハイパー・インフレのケース。
 
 話しをさかのぼればキリがありませんが、とりあえず1919年にパリのベルサイユ宮殿で結ばれたヴェルサイユ条約を出発点にとります。
 この会議では、ドイツが英仏をはじめとする連合国側に巨額の賠償金を支払うことを約束させられました。その額は、なんと66億英ポンド(£)であり、当時(1920年~1921年初)の為替相場では、1ポンド=240マルクほどでしたから、1兆5840億マルクに相当しました。仮に戦前の平価(1£=20マルク)で計算しても、132億英マルクです。この天文額的数字を支払うことは不可能でしたが、一年に1億英ポンドを支払い続けても、1921年から1987年(!)まで支払いつづけるなければなりません。これが想像を絶する額だったことは、多くの研究によって明らかにされています。

 もちろん、これがドイツ経済を破滅に追いやり、後にドイツにナチス(全体主義)を台頭させる要因の一つになることはよく知られていると思います。ヴェルサイユ講和交渉にイギリスの委員として参加したジョン・ケインズがこれに反対し、警鐘をならし、後の世にとんでもない災いをもたらすと批判したことは有名な話しです。
 当時、ドイツでは、社会民主党(SPD)・カトリック中央党・民主党の3党が「ワイマール連合」を形成しており、世界でもっとも民主的といわれた「ワイマール憲法」の下で、当初は国民多数の支持を得ていましたが、しだいに信頼をうしなってゆきます。
 1920年代には、このワイマール連合の他に、ドイツ共産党(KPD、左派)、国家人民党(帝政派)、ナチス党がありました。このうちドイツ共産党は、第一次世界大戦の勃発に際して社会民主党がそれまでの反戦の主張をくつがえし、戦争に協力したことを批判した人々が抜け出して結成して党です。これに対して国家人民党とナチスは、協力関係にあった党派(極右派)でした。
 さて、ハイパー・インフレですが、それは1921年にドイツが賠償金を支払いはじめたことから始まります。1921年、ドイツは20億金マルクの支払いを実施します。もちろん、それを行うためには、支払いのためにマルクを売り、外貨(£やフランやドル)を買わなければなりません。そのために、ドイツ・マルクの価値はしだいに減価していきます。(下表を参照。)1921年1月に1£=215~262マルクだった相場は、1922年1月には790~862にまで減価しています。しかし、それでもドイツ政府は、外貨では支払うことができずに、現物(石炭、鉄、木材)で支払いをしました。
 こんな状況では、第2回の支払いが行えるはずもありませんでした。ドイツが価値の下がったマルクを売り、外貨を得ようと涙ぐましい努力をしている間に、マルクの対外価値はさらに下がってゆきます。1922年12月には、ついに1ポンド=31,000~ 39,000マルクになりました。ドイツが支払いをすることができないことは誰にとっても明らかでした。この間、ドイツは賠償金の500億マルクへの減額を求めますが、フランスによって拒否されます。ここで事件が起きます。1923年1月、フランスとベルギーは、ルール地帯(ドイツ領)を占領しました。これに対して、政府の国民に対する訴えもあり、ドイツ国民は抵抗し、132人が殺され、15万人が追放されたとされています。
 このような状況の中で、それまでドイツ経済に期待を持っていた外資(外貨)も流出し、ドイツマルクの減価はいっそう進みました。1923年末には、実に1£=15~25兆マルクになっています。マルクの価値は、1000億分の1に低下したことになります。


http://www.history.ucsb.edu/faculty/marcuse/projects/currency.htm

 このように1923年のドイツのハイパー・インフレーションは、戦争とそれにともなう巨額の賠償金支払い、外国軍による軍事的占領によって、もたらされたものでしたが、ここで注意しなければならないことがいくつかあります。
 その一つは、このような外からもたらされたインフレであっても、それが実体経済を破損し、いっそうインフレーションを加速するということです。占領と受動的抵抗運動、一揆、生産の低下にもかかわらず、ドイツ政府は、ルール地域の労働者に生活のための資金を提供しなければなりませんでした。つまり、生産の縮小と、それにもかかわらず、貨幣量(→名目購買額)が増加したのであり、それが賠償金支払いに加えて、インフレをいっそう加速する要因になりました。もちろん、政府がそのために使ったお金は、ドイツの中央銀行によって供給されたものです。
 ただし、ひとたびハイパーインフレーションが生じてしまうと、貨幣供給とインフレーションとの因果関係は逆転してしまいます。つまり、貨幣量が増えるから、インフレーションが進行するのではなく、インフレーションが進行し、貨幣量を増やさなければ対応できないという関係に変わるのです。その証拠はいくつかありますが、名目貨幣量(総額)急激に増えているにもかかわらず、多くの人には不思議にみえる「貨幣不足」が生じることです。そのため、「バーター取引」(つまり貨幣を介さない現物取引)があちこちで生じることになります。こうした現象は、ロシア革命後のソヴェト・ロシアでも生じましたし、1989年のソ連崩壊後のロシアでも生じており、「謎」とされていました。
 しかし、このことは、統計的には、Y=名目GDP、M=貨幣量(貨幣ストック)としたとき、その比 M/Y がしだいに低下してゆくことによって示されます。これはもはや中央銀行が貨幣供給量を増やすからインフレーションが進行するのではなく、むしろ中央銀行はそれを抑えようとしても、物価が激しく上昇するとともに貨幣需要が急速に拡大するので、貨幣を供給せざるを得なくなる、ということです。見方を変えると、これは貨幣の流通速度(V)が速くなるということもできる現象です*。
 *かりに資産取引を無視すると、Y/M(M/Yの逆数)は、流通速度の定義に他なりません。「貨幣不足」の現象は、V=Y/Mの式に、時間の要素を取り入れれば、簡単に説明できますが、ここでは省略します。ただし、ある時期tにおけるVt=Yt/Mt を考え、仮にこの時期に均衡が成立しても、次の時期までに物価が上昇し、Yt+1が激しく増加するのに対して、Mt+1がその率(ペース)で上昇しないので、Vt+1が増加すると考えれば理解可能となります。
 このことは、ハイパーインフレーションの中で、中央銀行が実質的には「タイトな金融政策」をとることになることにもつながってきます。 

 もう一つ重要なことは、しかし、ドイツの中央銀行がこの経験をいまでも引きずっており、インフレーションに対して極度に警戒的であり、また(彼らがインフレーションの原因と考える)貨幣量の増加に対して大きな注意を払っていることです。特に名目賃金の増加に対する警戒感にはかなり強いものがあります。これについては、別の文脈で触れたことがあるので、ここでは割愛します。
  

安倍政権 毎日のように出てくる、これだけの大問題

安倍政権が誕生してから、毎日のように、これでもかこれでもかと、次々に出てくる大問題。
 私も「整理」するために列挙してみました。
 よくこんな政権が日本で生まれ、カラクリはあったものの、長らく高支持率を得てきたものと思います。


アベノミクスの終焉 日銀金融緩和の「出口」について 1 

 黒田日銀による「異次元の金融緩和」の結果、日銀の総資産が異常に増加し、そのGDPに対する割合がほぼ100パーセントに達している。東京新聞(昨日)の数値では、93.6%とされている。
 これは、日銀が市中銀行にマネー(ベースマネー)を供給するために、国債を購入したことが最大の要因だが、その他に日銀はETFなどの株式の購入を行っている。日銀ではないが、GPIF(公的年金基金)も株式による資産運用を行っており、日銀資金とGPIFによる「官制相場」が形成されてきたことは、本ブログでも紹介してきたところだ。
 金利もぎりぎりのところまで引き下げられている。
 
 安倍首相や黒田日銀総裁の最初の約束では、こうした「異次元の金融緩和」は「インフレターゲット」と呼ばれる政策目標によるものであり、この政策目標を2015年4月までに実現すれば、政策の役割は終わるとしていた。
 「インフレターゲット」とは物価が毎年2パーセントずつ上がるように貨幣量(貨幣ストック)を増やして行き、また人々がそれを「期待」して(実質)消費支出を増やしてゆけば、景気がよくなり、賃金も利潤も増え、景気の「好循環」が生じるというアイデアである。

 しかし、 このようなことは絵空事であり、実際には生じなかった。物価上昇率に限ってみても、下図(東京新聞より)のように、物価は最初の2013年~2014年に最高時で1.5パーセントほど上昇しているが、これとて円安・ドル高による輸入品価格の高騰、そして消費増税によるものであり、「インフレターゲット」論の主張とは真逆に、物価上昇は庶民の財布のひもを堅くし、消費(実質)は減少し、物価上昇率もマイナスになった。すでに、この時点で「インフレターゲット」論も、「異次元の金融緩和」政策も終わっていたのである。

東京新聞、2015年7月31日より。 

 だが、政治生命のかかった安倍首相はもちろん、日銀も政策をやめず、約束をやぶって継続し、目標実施を6度も延期してきた。2016年には「マイナス金利」政策を実施している。
 
 さて、問題は、これまでの金融政策(主に貨幣政策)が効果をあげなかったので、やめますといって済むわけではないという点にある。例えれば、体調不良だからといって薬を飲んできたけれど、「効かないから今日からやめます」といってただやめれば、服薬の場合はそれでもよいかもしれないが、金融政策の場合は、それで終わりというわけではないのと同じである。
 
 さて、いわゆる「出口」(金融緩和の終了)問題といわれる問題があり、数々のリスクが指摘されてきた。
 もちろんリスクは不確実なものであるから、「必ずこうなります」と言って指摘できる性格のものではない。が、リスクが存在するのは厳とした事実である。
 そうしたリスクは、金融緩和政策の関係主体、日銀、市中銀行、政府のそれぞれにあるが、それを通じて経済全体に及ぶ。かりに日銀、銀行、GPIF、政府が危機的な状況に陥れば、日本経済が無傷では済まないことは、誰にでもわかるだろう。

 「出口」(金融緩和政策の終了)がどのような出来事をもたらすかを考えるには、少し想像力が必要である。それはさしあたり、日銀が国債購入も、ETF等の株式投資をやめる、あるいは国債や株式を売却することと並んで、金利(日銀当座預金の金利)引き上げを行うと想定する。それらが何をもたらすか、である。周知のように、2016年1月に日銀は、「マイナス金利」を導入したが、市場経済で、国債の利回りはもちろん、日銀当座預金でも金利がゼロ、あるいはマイナスということは異常である。質的・量的な緩和の終了は、金利の引き上げにつながると想定しなければならない。

 まず日銀であるが、少し金利が上がれば、たちまち日銀は赤字に陥る。というのは、金融緩和で市中銀行に供給された巨額のマネーは、日銀当座預金の勘定に積み上げられている(6月360兆円以上)。


 
 仮にごくわずか、例えば 0.1 パーセントの金利上昇でも、36兆円の金利負担増につながる。日銀は債務超過の状態に陥り、その穴埋めを誰が行うのかという問題が生じる。債務超過とは、負債が資産を超える状態(マイナスの純資産)であり、企業にとっては危機的な状態である。
 ちなみに、日銀は国有銀行ではないかと思っている人がたまにいるようだが、「銀行の銀行」、公的銀行であることは確かだが、民間銀行であり、株式(1億円)も発行している。
 もしその穴埋めを銀行が行う場合は、企業等に対する貸付金利をいっそう引きあげざるを得ないだろう。まさか、市中銀行に預金している人に「マイナス金利」を課すわけにはいかないだろう。そんなことをすれば市中銀行発の金融大混乱をひきおこすに違いないし、社会的に許されないだろう。
 一方、政府が穴埋めを行う場合には、結局、政府はそれを国民に租税負担の形で転嫁するしかない。しかし、政府にはそれ以上の大きな問題が生じることになる。というのは、日銀が政府の巨大な借金(国債)の引き受けをやめると、「市場」からもう借金を返せない(国債)を償還できないとみなされれば、新たな国債発行が不可能となり、金利の急騰、国債価格の低下、円の暴落、激しいインフレーションなど、経済的大混乱が生じる懸念がある。言うまでもなく、実体経済(生産、所得、雇用)にも大混乱が生じることになる。また国債を日銀に売却してきたとはいえ、市中銀行も保険会社もまだ大量の国債を持っている。国債価格が下がれば、損失が生まれ、こちらの経路からも混乱が生じる懸念がある。本当になれば、恐ろしい限りである。
 
 こうした事態は現在のところ「懸念」にとどまっている。
 しかし、これは次のことを明確に示している。
 1、「異次元の金融緩和」は、いったんはじめてしまったら、簡単にはやめられないということである。麻薬中毒のようなものである。続ければ、身体をむしばんでゆく。といって、やめれば身体中を塗炭の苦しみが襲う。
 2、それでも、こうした金融緩和政策(アベノミクス)が表面上何の問題もないかのように維持されているのは、情報の不完全性、経済現象の本質的な「不確実性」のためである。もし人々が完璧に正確な情報を手にし、それにもとづいて将来の姿を合理的に期待するならば、国債を保有することの危険性を知り、合理的に行動する(つまり、国債を購入することをやめ、保有する国債を売る)ことによって、問題が露呈するだろう。

 しかし、確かに日銀も政府も、生身の人間(個人)と違って、永続的な組織であり、(多分)死ぬことはない。したがって(いま利子の問題を考えないとすると)政府や日銀を信頼して、借りる人さえいれば、借金を先送りすることができる。理論上(?)は、100年だろうが、1000年だろうが先送りすることができることになろう。ただし、どのような出来事がその信頼を失わせることになるかは不明である。周知のように、日本の戦前・戦時中の政府の赤字財政が破綻したのは、1945年の敗戦をきっかけとしていた。破綻をもたらすきっかけがどのようなものかを予測することはできない。
 
 (この項目、続く)