2013年3月30日土曜日

IMFと国際通貨体制の混乱 その4

 ケインズ案にとって国際資本移動は、きわめてやっかいな問題でした。このことは、1930年代の世界恐慌が国際間の大規模な資本移動と深く関連していたことからも明白です。いずれにせよ「資本移動の統制」が戦後の制度における恒久的な特徴でなければならないと広く主張されていました。
 もちろん、ケインズは資本移動の管理を擁護することは「国際投資の時代は終焉すべきである」ことを意味しないと言います。その上で、彼は、「浮動資金の移動」と「世界の資源を開発するための純粋な新しい投資」を区別しなければならず、また経常収支の赤字国から黒字国への資本移動(投機的移動)と黒字国から赤字国へのへの資本移動(均衡維持的な移動)を区別しなければならないと主張し、前者を問題視します。
 この視点も現在きわめて重要です。なにしろ、1980年代から3年おきに行なわれるようになったBISの外国為替統計調査でも、実に実需取引のおよそ40倍にものぼるポートフォリオ投資(ケインズの浮動投資)が行なわれているのですから。また米国が経常収支の赤字国(資本の受入国)でありながら、対外投資(例えばヨーロッパへの短期貸し)を行なっていることもよく知られている事実です。現在のグローバル金融危機は、このような資本移動(マネーゲーム)の土壌の上に発生していることも言うまでもありません。

 しかし、結局、ケインズも「普遍的な資本移動の統制体制の確立は、清算同盟の運営にとって不可欠であると見なすことはできない」として、「このような統制の方法とその寛厳の程度は、各加盟国の決定にゆだねられるべきである」と結論しました。

 戦後、資本移動の管理・統制は各国で実際に行なわれてきました。しかし、1970年代、ブレトンウッズ体制が崩壊するとともに実施された金融・資本移動の自由化の波の中でほとんどすべげの統制手段は奪われました。そして、それと同時に金融危機が再発しはじめたことは周知の通りです。

2013年3月27日水曜日

IMFと国際通貨体制の混乱 その3

 ケインズは、第二次世界大戦後、隣人窮乏化政策(通貨安競争)とブローバル・マネーゲーム(FX取引やポートフォリオ投資)が生じないようにするための制度=国際通貨体制
を構築する必要性を考えていました。隣人窮乏化政策というのは、(例えば現在の日本のように賃金を抑制して)国内需要を疎かにしながら、外国(隣人)に輸出攻勢をかけ、外需依存の発展をはかるものです。後者のマネーゲームについては、説明する必要もないでしょう。
 そのためにケインズは、「国際清算同盟」という一種の国際銀行とバンコールという国際通貨の創出を計画していました。その概要は、次の通りです。
 1)割当額の決定。まず各加盟国には「貸越残高の最高額」が決定されますが、それを「割当額」(Quota)と呼びます。(IMFの割当額と意味が異なりますので、注意。)この最初の割当額は、各国の輸出入額の戦前の三年間の平均を参考にして決められ、過渡期間が経過した後は、過去三年間の実際の貿易量の移動平均によって改訂されます。
 2)清算同盟に対する加盟国の平均残高が、貸方・借方のいかんを問わず、割当額の25%を超える場合には、超過額に対して年率1%の課金を課します。また50%を超える場合には、その超過額に対して2%の課金を課します。
 3)加盟国は、借方残高を一年間に割当額の25%を超えることはできず、超えた場合は、その通貨のバンコール建て価値を5%を超えない範囲で切り下げることができます。
 借方残高を50%を超えて増加させることを許される場合、理事会は次の措置を要求することができます。i)通貨価値の切り下げ、ii)資本流出の規制、iii)保有する金等からの妥当な部分の提供。
 借方残高を75%を超えて増加させる場合、理事会は改善勧告を行う等の特別の措置を講じることができます。
 4)貸方残高が一年間の平均で割当額の50%を超える場合は、国際収支の均衡を達成するために、理事会と協議して次の措置をとります。
  (a)国内信用・需要を拡大するための措置
  (b)自国通貨の切り上げ、または貨幣賃金の引き上げ
  (c)関税その他の輸入抑制手段の軽減
  (d)低開発国の開発のための国際貸付

 この後にまだ「資本管理」の問題が続きますが、ここでひとまず、以上を要約しておきましょう。
 見られるように、ケインズ案は基本的に固定相場制を採用しています。しかし、為替相場は、ひとまず確定されたのち、(バンコールに対して、またバンコールを介して金に対して)ずっと固定されるというわけではありません。つまり、国際収支が割当額の25%を超えて赤字や黒字となる国が現れた場合には、「課金」というペナルティを課すことによって各国が是正措置をとることを想定しています。また国際収支が割当額の50%を超える赤字や黒字となった場合には、(バンコールに対する)通貨価値の切り下げまたは切り上げをすることを提案しています。さらに注目されるのは、割当額の50%を超える赤字国が資本流出の規制を行なうだけでなく、割当額の50%を超える黒字国も(自国通貨の切り上げだけでなく)内需を拡大するための諸措置、貨幣賃金の引き上げ(注意!)を含む措置や、輸入促進のための措置、開発途上国の開発のための資金貸付といった措置を取ることを求められていることです。
 このように、国際収支の不均衡を赤字国・黒字国の両者の責任とし、不均衡を是正するために両者に課金(ペナルティ)を課し、通貨価値の切り下げ・切り上げを初めとする諸措置を義務づけるという規定は、ホワイト案にはなく、もちろん1945年に発効したブレトンウッズ協定にも、IMF規定にもありませんが、戦後の国際通貨体制の混乱の歴史を見ると、きわめて重要の点であったといわざるをえません。ケインズ案を英国(大英帝国)の利害という視点からのみ見てはいけないのです。
 現実には、ケインズ案に比べて為替相場をより厳しく固定化し、国際収支の均衡のための(自動的な)措置を講じていなかったブレトンウッズ体制は、しばしば躓くことになります。しかも、1971年8月15日のニクソン・ショック後に変動相場制に至ってからは、まったく国際収支の均衡のメカニズムを欠くことになります。(新古典派の購買力平価説では、国際収支の均衡が説かれますが、それが現実離れした理論であることは、すでに紹介ずみです。)
 しかし、このことをよく理解するためには、もう一つ資本移動の問題を考えておくことが必要になります。

2013年3月26日火曜日

景気と賃金・給与への補足 効率賃金仮説

 前回のブログに補足します。
 社会全体で賃金・給与を引き上げると、所得が増え、その結果、総支出=総需要が増えて景気がよくなる(あるいは逆は逆)という説明をすると、次のような質問を受けることがあります。もちろん、それはまっとうな質問です。

 質問)貨幣賃金が増え、需要が増えるということですが、もし企業がそれに応じて労働時間を増やす(あるいは雇用される人を増やす)のであれば、貨幣賃金率は一定ですね? またもし労働時間が一定という条件の下で貨幣賃金が増える(つまり労働時間あたりの賃金率が上昇する)という意味ならば、労働者一人あたりの生産性(労働生産性)が上昇しなければならなくなりますね? それは労働密度の強化を意味しませんか?

 その通りです。社会全体での貨幣賃金の上昇は、総需要の増加を通じて、A)労働時間(または雇用)を増やすか、B)賃金率および労働生産性の上昇のいずれかを通じて、経済的調整をもたらすことになります。
 逆に言うと、社会全体での貨幣賃金率の低下は、総需要の低下を通じて、A)労働時間(または雇用)を減らすか、B)賃金率および労働生産性の低下のいずれかの結果をもたらします。これは近年の日本で実際に生じた出来事です。具体的に言えば、例えばサービス業では、店員は店にいてもお客さんが来ないので、無為に労働時間を過ごし、結果的に労働生産性が低下するということが生じました。もうこれ以上雇い続けることができないという時点に至れば、解雇が行なわれます。
 貨幣賃金の引き上げは、それを逆転させ、労働生産性を引き上げ、それでも従業員が対応できなければ、経営者に雇用を拡大するという選択を行なわせるでしょう。

 もちろん、産業や企業によって事情が異なることは確かです。しかし、もう一度言いますが、内部留保を貯めている企業は、それだけの需要があって儲けることができたということを意味します。少なくとも、そうした企業は賃金の引き上げを行なう余裕があり、またそうした責務を負っています。

景気と賃金・給与

 これも先日のことですが、テレビを見ていたら、エコノミストらしき人が、景気がよくなってから3年くらいすれば賃金・給与が上がり始めますと発言(解説?)していました。
 これを聞いた人がどのように感じたか分かりませんが、かなり問題の言説であることは間違いありません。どうして景気と賃金引き上げの間にタイム・ラグがあるのか? 彼の発言はどのような意図を持っているのか? もちろん景気がよくなることを期待している人は、自分たちの所得が増えることを期待しているのですから、3年先に賃金が上がると聞いて喜んだ人は少なく、むしろがっかりしたのではないでしょうか?
 そこで、次にこの問題について考えることにします。
 まず景気がよくなりGDPが成長するのに、賃金が2年ほど上がらないというのは、どういうことなのかを検討しましょう。
 GDPは国民総(粗)生産であるというのは、よく知られています。生産物は販売され、その売上げから粗付加価値(所得)が生まれます。もちろんGDPと粗付加価値は同じ金額です。いま、それをYとします。次にYは労働者に対する賃金と(資本機能に対する報酬の)利潤に分かれます。記号で示すと、
 Y=W+R
この式から明らかなように、景気がよくなりYが増えれば、当然、W+Rも増えます。しかし、それなのに賃金(W)が増えないというのは、利潤(R)が増えることを意味します。つまり、3年くらいすれば、賃金が上がるといった人は、それまでは利潤だけが増えますと言っていることになるのです。
 歴史上、確かにそのような時はありました。例えば大不況の後がそうです。というのは、大不況(例えば1930年代の米国の大不況)の時には、利潤が極度に低下します。したがって企業の投資資金調達もままならない状態になります。そのような時には、確かに景気が回復してゆく途中で最初に利潤が回復し、さらに景気がよくなるときに、賃金が再び上昇することになるのです。それは理解できないわけではありません。
 しかしながら、現在の日本ではどうでしょうか? 21世紀に入ってからずっと(貨幣)賃金は低下しっぱなしでした。しかも、その間に企業の粗利潤(減価償却費を含む)は徐々に拡大し、企業の内部留保も巨額(100兆円以上)に達しました。つまり、日本の企業は全体として賃金圧縮の犠牲の上に内部資金を貯めてきたのです。しかし、賃金が圧縮されるので、庶民は消費を増やすことができず、景気は沈滞し、その結果、企業も国内投資をしません。そこで、企業は内部留保を国外投資に向けたり、投機資金として利用するしかありません。
 端的に言って、賃金の上昇は3年後という言説には根拠はないのです。
 
 そこで、私などは、発言の「意図」を疑いたくなります。忖度すれば、発言には、1)現在の日本企業に対する批判的な意図が隠されている可能性があります。つまり、景気がよくなっても、現在の強欲資本主義の下では、労働者の所得を増やそうとはしませんよ、というわけです。しかし、私が聞いた説明では、批判的な調子は感じられませんでした。ということは、2)企業に対する「ぽち」的な態度が考えられます。もっともらしく、「景気が回復しても企業経営が苦しいので、従業員の所得にまで回せるようになるのは、3年後ですよ。それまで我慢してくださいね」というわけです。
 
 3年というのは長い時間です。私など3年後は退職です。むかしケインズは言いました。「長期的には、人はすべて死ぬ。」名言です。

 私の主張は、次の通りです。
 国内需要を喚起するためにも、すぐに全企業が一斉に賃金を引き上げなさい。そうすれば、人々の勤労所得(W)が増え、その結果、消費支出(C)が増え、企業は急にモノが売れ始めるので、将来のための設備投資(I)を行なうようになり、いっそう景気がよくなる、と。もう一つ、所得を増やしても、貯蓄され、消費にまわされないという反対論を勘案して、特に低賃金労働者の所得を増やすようにしなさいという提案も付け加えておきます。彼らは何といっても貯蓄する余裕などないのですから。その他、ぐだぐだ言う人が必ず出来てきますが、そういった事の細かい検討は後でじっくりやります。
 はっきり言えば、世の中には、とにかく賃金を引き上げたくないという人々がいること、これは間違いありせん。

安倍のミックス

 先日、ある飲み会に出席したところ、参加者から「アベノミックスはどうなの?」と質問されました。簡単に答えられる質問ではありませんが、話しているうちに、彼ら・彼女らの関心が一つには住宅ローンの問題にあることが判明しました。つまり、インフレが生じると、住宅ローンの金利がどうなるのだろうかとか、2%のインフレにとどまらず、ハイ・インフレになるのではないかとか、それなら今のうちに返済したほうがいいかとか、そういったことです。
 テレビ、新聞、ネット等で様々なエコノミスト、アナリスト、経済学者の発言に注目されている様子です。専門家の皆さん、庶民の期待を裏切らないように、責任をもって発言してください。
 
 さて、経済は複雑系の世界、不確実性の世界です。簡単に将来予測ができるなら、苦労はしません。しかし、物理学でもある程度のシュミレーションが可能なように、経済学でも様々な限定つきである程度のことは言うことができるかもしれません。
 例えば先日、白川日銀前総裁が発言したように、金融緩和策にしてもそれがインフレにつながるというリンクは存在しないというのは、私の意見でもその通りと思います。リフレ派の主張は、ヘリコプターマネー論や貨幣数量説に依拠していますが、そんなものは絵に書いた餅に過ぎません。
 ただし、本ブログでも書いたように、金融緩和策が為替相場(の「期待」)に影響を与える経路は存在します。実際は、円安となり、輸入品の価格が上昇して、私たちの生活を直撃していることは周知の事実です。
 しかし、インフレが生じると、それが「原因」となって経済が好況に転じるという「結果」がもたらされるという(まともな)経済学を、少なくとも私は知りません。何しろ、マネタリズム(貨幣数量説)も貨幣の中立性を前提としているのですから、それに頼ることはできません。昔、フィリプスという人がフィリプス曲線なるものを考え、失業率の低いとき(つまり好況時)には貨幣賃金が上昇すると言いましたが、物価が上昇するとは言っていません。かりに物価版のフィリプス曲線を考えるとしても、物価上昇が原因で、失業率の低下(好況)が結果するということでは決してありません。相関は因果関係ではありません。
 先日、テレビを見ていたら、物価が上昇する期待があると、人々は物価上昇前にモノを購入するので消費が増えるといっているエコノミストがいました。これなどは、インフレによる強制的消費の経済学と言えるでしょうか? そういえば1997年の消費税増税の時にも似たようなことがありました。その時は、増税前に駆け込みの需要増があり、その後、経済は急速に冷え込みました。恐ろしい限りです。
 ただし、安倍氏の経済政策は「安倍のミックス」です。彼は何としてでも夏の参院選挙に勝って改憲したいのでしょう。あらゆる手(財政支出増を含む。ただし賃金の大幅引き上げは決してしない)を駆使して景気を回復させようとしています。政治的背景を何も知らないスティグリッツ教授が安倍氏にあってほめたとか。これも困ったことですが、ともかく、小泉構造改革と異なって、景気をよくする要素がないわけではありません。
 良心的な経済学者である限り、経済の領域に限っても予測不能というしかないのではないでしょうか?

IMFと国際通貨体制の混乱 その2

 戦後の国際通貨体制をどう構築するべきか? ケインズはこの問題を考えるとき、次の2点を基本的なビジョンとしました。
 1 貿易収支(経常収支)の均衡を達成しながら、貿易(輸出入)の拡大を可能とするような体制を構築する。
 2 資本移動(とりわけ直接投資の動き)を禁止してはならないが、その管理は必要である。特に「投機」を目的とするポートフォリアオ投資(証券投資)の有害な作用を抑制しなければならない。

 1に関連して特に触れておかなければならないのは、戦前の恐慌の中で、多くの国が「隣人窮乏化政策」を採用したことです。これは、市場(販路)を確保するために、外国への輸出を拡大し、それと同時に外国からの輸入を抑制しようとする政策を意味します。
 この政策は、具体的には、しばしば政府の保護主義(輸入関税率の引き上げ)によって実現されたと主張され、保護主義の攻撃材料としてしばしば利用されます。例えば米国の1930年6月17日に制定されたスムート・ホーリー法がその一つであり、それは米国の完全率を記録的な高さに引き上げたとされます。例えば先ほど確認してみましたが、ウィキペディア(「スムート・ホーリー法」の項目)でも、そのように説明されています。
 しかし、これはまったくの間違いです。米国は19世紀初頭以来ずっと後発国として英国などに対抗するために高関税率を採用してきたのであり、1930年に突然記録的な高さに引き上げたのではありません。その引き上げ率はごくわずかにとどまっています。(よく調査もせず、誰かが広めた「通説」を盲信する人がいるのは、本当に困ったことです。)米国が1930年代に輸入額を縮小させた最大の理由は、関税法の作用というよりは、不況により需要が急速に収縮し、輸入需要も大幅に低下したために他なりません。
 そして、この大不況をもたらしたものこそ、野放しにされていた国際的なマネーゲーム=資産バブルとその崩壊、金融危機に他なりません。世界貿易の縮小の主犯を関税法に求めるのは決して正しくありません。ともかく、この点に対する配慮から、上記の2が出て来ました。
 さて、隣人窮乏化政策のもう一つの政策手段は、為替相場の利用です。現在でも、輸出を拡大し、輸入を抑止するために各国政府が自国通貨安を導こうとする傾向があることは、よく知られています。現に日本でも、何故か円安・ドル高になると安心したり、安倍政権が円安・ドル高を実現したと賛美する人が多いことはご存知の事実です。
 ちなみに、これが「隣人窮乏化政策」であることは、よく理解されていないようです。しかも、自由、自由といって自由貿易を賛美する人々(経済学者、政治家)の中に自国通貨安という隣人窮乏化政策の推進派がいるのは、注目される点です。
 ケインズは、もちろんこうした傾向に気づいていました。つまり彼は、各国が良好な・均衡の取れた対外経済関係を維持しながら、自国経済を安定化させることが如何にして可能かという根本問題を考えていたのです。
 
 それでは、これらの点を配慮して、どのような国際通貨体制が好ましいのか? これこそケインズが1941年頃から1943年にかけて考え抜いた点でした。
 前回、書いたように、この案は事実上アメリカ側から完全に無視されました。それが米国に利害に沿わなかったからです。しかし、このことが戦後の国際通貨体制のつまずきの石となり、その影響は現在まで続いています。
 ケインズの案は、国際清算同盟という一種の国際銀行の設立と「バンコール」という国際通貨の創設をめぐる案でした。それが混迷を深めている現在でもきわめて示唆的なものであることを次に説明します。

ローソンの社長の不誠実

 ローソンの社長が従業員の給与を引き上げると公表しました。新聞記事では、20代後半から40代の「社員」の年収を平均で3%引き上げるとされています。
 結構なことです。給与を引き上げれば、それだけ人々の所得も増え、消費支出も増えるでしょうから、景気もよくなるはずです。もしローソンに続いて多くの企業、産業が給与を引き上げれば、長い間続いた「賃金デフレ」も終わるかも知れません。

 しかし、気になることがあります。ローソンに限らず、コンビニでは多数のバイト、パート従業員が働いているように思いますが、彼ら・彼女らも「社員」に入るのでしょうか?
 社長さんの話では、2%のインフレを期待して3%の給与引き上げ(つまり実質1%の引き上げ)ということですから、当然、論理的には従業員の多数を占める非正規雇用も増えないとおかしいですよねえ。そうしないと、(もし彼らの賃金が据え置かれるのであれば)実質的にマイナス2%の低下となるわけですから。

 ところが、これも新聞報道ですが、対象となるのは、全社員5120人のうち約65%とか。あれおかしいですねえ。ローソンの店舗が全国にいつくあるか知りませんが、全従業員がそんな少数のはずがありません。

 もし4000人弱の「社員」の給与を平均3%ほど引き上げても、その額の全費用に対する割合は、おそらく0.1%ほどのはず。つまり、それを全部価格に転嫁しても、価格上昇に対する効果は微々たるものであるということです。

 しかも、本当に引き上げなければならないのは、低賃金労働の多くのバイト、パートの人たちでしょう。その部分を仮に5%引き上げたとしても、その額の全費用に対する割合は、(私の計算では)どんなに高くても1%以下でしかありません。

 私は、前回のブログで「生活保障賃金」の運動を始めようと書きましたが、その時念頭にあるのは、低賃金労働の部分の生活のことです。ローソンが本当に誠実であるならば、率先してバイト、パートの賃金をせめてなりとも(例えば)5%引き上げると言うべきであり、そうでない限り、不誠実なものを感じざるをえません。





 

IMFと国際通貨体制の混乱 その1

 現在、資本主義経済が暴走中であることは、多くの人が実感している事実です。
 そのことは、例えば 2006 年以降のグローバル金融危機の発生、2008年のリーマン危機以降の深刻な景気後退に象徴されています。
 もっとも、次のことには注意しなければなりません。それは危機が「100年に一度」と言われた割には深刻にならなかったことです。私も、ある飲み屋さんで女将さんから、「先生、100年に一度の危機と言われたけど、大した事ありませんねえ。どうしてですか?」と言われたことがあります。
 いいですね。現代人は幸せで・・・。
 さて、私は、危機が100年に一度クラスのものだったことは間違いないと思います。それが1930年代のようにならなかったのは、一つには、現代人がある意味ではそこから教訓を得ていたから(つまり賢くなっていたから)であり、もう一つは、米国の政府・FRBがなりふり構わずに、「モラルハザード」(これは彼らが他人を批判するときの常套文句でした)をものともせずに、遮二無二、財政支出を行い、金融緩和や破綻した金融機関の救済を行なったからに他なりません。FRBなどは、自己の管轄下にない投資銀行(証券会社)まで不法に救済しています。
 もし、それが行なわれなければ、どうなっていたかは神のみぞ知るです。
 実際、米国輸出向けに生産していた日本の企業も、突然、注文がぱったと来なくなり、生産の大幅縮小を余儀なくされ、底知れぬ不安と恐怖心とをいただいたのです。しかし、「喉元過ぎれば、暑さを忘れる」です。まるで何のなかったかのようです。住宅・資産バブルでぼろ儲けをした挙げ句、破綻し救済された金融機関も知らぬ顔の半平。また金儲けにいそしもうとしています。
 しかし、すべてが問題なく元に戻ったわけではありません。巨額に膨らんだ政府の粗債務(国債など)、ヨーロッパの債務危機、高失業率、ユーロ危機など、一部の人(1%)の金儲けのつけが「 99 %の人」にまわされています。恐ろしい限りです。
 
 どうしてこのようなことになったのか? 
 一つの理由は、戦後、成立した国際通貨体制に大きな欠陥があったからです。特に1944年に米国のニューハンプシャー州の田舎町で成立したブレトンウッズ体制が大きな問題をはらんでいました。
 このブレトンウッズ体制は、米国で作成された「ホワイト案」によってデザインされたものです。よく知られているように、1941〜43年には英国でも「ケインズ案」が作成されましたが、米英両国で実際に検討され、実際に採用されたのは、「ホワイト案」でした。しかし、それは米国の利益にそうものであり、残念なことに、きわめて大きな欠陥を有するものだったのです。

 次回からしばらく戦後の国際通貨体制の歴史をみつめ、現在の混乱がどのようにしてもたらされるに至ったのかを私流に「つぶやく」こととします。

外国為替相場 その12 PPPと利子率

 ブログを更新するのはしばらくぶりとなりました。

 さて、新古典派の主張と異なって、外国為替相場は、PPP(購買力)平価から乖離するのが普通であることをたびたび説明してきました。
 端的に言うと、その乖離の方向は2つの国の金利差によって決まります。例えば、今、米国の金利が日本の金利より低い、または低くなると想定しましょう。すると、証券投資の方向は米国から金利のより高い日本へ向かい、ドル売り・円買いが発生します。それは当然ながら、ドル安・円高を導きます。実際、これは2008年のリーマン危機ののち、米国の中央銀行にあたるFRBが超金融緩和・低金利政策を採用した時に生じました。
 しかし、安倍氏が首相に就任することが決まり、日本が超金融緩和・低金利政策を採用することが確実となり、日本の金利が米国の金利より低くなるという「期待」が生じると、逆転が生じます。ドル買い・円売りが生じ、ドル高・円安が生まれます。
 このことからいくつかのことが分かります。
 1. 若干単純化して定式化すると、経常収支または貿易収支の黒字国(資本収支の赤字国)の通貨は、PPPに比べて減価する傾向(自国通貨安の傾向)があります。何故ならば、もしPPPが経常収支(または貿易収支)を均衡させる水準であるならば、資本収支が赤字ということはその国からの資本の流出を意味し、したがって自国通貨売り・外国通貨買いが生じるからです。
 2. その際、金利差が大きな役割を演じていることが注目されますが、新古典派の主張する金利平価説とはまったく逆になっています。
 3. 現在では、通常、金利が高い(または高くなる)のは、その国の経済が好調な時です。このことは、もし不調であれば中央銀行が金融を緩和させる政策を取ることからも、簡単に理解できます。
 4. しかし、必ずしも現実の金利差が為替相場の変動をもたらすとは限らないことに注意しなければなりません。単なる「期待」が為替相場の変動をもたらすことは、FX取引をしたことのある人なら知っているはずです。最近のドル高・円安も安倍政権時に生まれたある期待から発生しています。しかし、その期待が「自己実現的予言」に変化することがあります。(必ずそうなると言っているのではありませんが、ある条件や出来事と組み合わさって、そうなることがあります。)つまり、日米の金利差の逆転、ドル買い・円売り、ドル高・円安の「期待」が生じると、多くの人がドル買い・円売りを行います。その動きはさらに多数の追随者を生み出すでしょう。こうして株式市場と同様に外国為替市場でも「バンドワゴン効果」が生まれ、「ケインズの美人投票のアナロジー」が成立することになります。

 ところで、外国為替市場では、しばしば取引参加者が為替相場の「決定要因」として様々な「ファンダメンタルズ」に言及しますが、誤解を恐れずにあえて言うと、そうしたファンダメンタルズは為替相場に直接影響しているわけではありません。それはむしろ参加の「期待」に影響することを通じて影響しています。
 しかも、ケインズが述べたように、多くの人は知らず知らずのうちにその時々の支配的な経済学の影響を受けています。ですから、例えば1970年代後半から1980年代初頭の「マネタリズム」(貨幣数量説の一種)が流行したときには、貨幣量が基礎的なファンダメンタルズとして尊重されました。しかし、その流行はすぐに終わり、その後は、別のファンダメンタルズが注目されました。どのファンダメンタルズを選ぶかは、その時々の人々の思想・趣味・嗜好によるのです。ケインズの美人投票が成り立つ所以です。
 このように現実の為替相場の変化を説明するためには、「期待」という心理学的な現象を論じる必要があります。ここでは、それを詳しく説明する余裕はないので省略しますが、いずれにせよ、為替相場を決定するのは、経済合理的なファンダメンタルズではなく、むしろそれらを「自分の経済学」に照らして適当に解釈する・それほど合理的でもない人間の行動心理だという点に注意する必要があります。

2013年3月21日木曜日

Living Wage (生活保障賃金)運動を日本でもはじめよう!

 近年(1980年代から現在まで)、欧米日の諸国では強い賃金圧縮圧力がかかり、貨幣賃金も実質賃金も抑制されてきました。特に第三次産業では低賃金労働が著しく拡大し、それが大きな社会問題となってきています。
 しかし、1994年に米国のボルティモア市で「生活賃金」(Living Wage)運動が功を奏し、生活賃金条例(Living wage ordinance)が制定されてから、米国でも、ヨーロッパ(英国、ドイツなど)でも、生活賃金運動が拡大・深化してきました。
 今日は、日本で生活賃金運動を始める際の参考になると考え、欧米の状況について紹介することとします。
 最初に欧米と日本で低賃金労働がどのように広まってきたかを示します。
 下図は、平均賃金(正確には中位の人の賃金、時給)の3分の2未満の低賃金労働者の割合が時間の経過にともなって変化してきた様子を示します。ここから、米国では、もともと低賃金労働者比率が高かったのに、1980年代から1990年代前半に(レーガン・ブッシュ期に)上昇したことが分かります。また英国では、1980年頃から1998年にかけて低賃金労働者比率が急速に上昇し、ドイツでも1992年頃から上昇したことが分かります。ただし、デンマークのようにずっと低率のところもあり、フランスのように低下してきた国もあることがわかります。


 こうした相違が様々な要因にもとづいていることは間違いありませんが、一つの理由は、労働市場制度の相違にあり、その中でも最低賃金制度の有無と差異にあります。
 そこで下図を見てください。いくつかの注目される点があります。
 第一は、フランスですが、平均賃金に対する最低賃金の割合がずっと増加してきました。これは、フランスが1970年にSMIGと呼ばれる最低賃金制度をしいたことと関係しています。この制度の法制度化以降、フランスは、インフレ率だけでなく成長率にも比例して最低賃金を引き上げてきました。
 第二は、アメリカですが、レーガン以降、インフレにもかかわらず、最低賃金はずっと据え置かれたままでした。そのせいで最低賃金(実質の値)は大幅に低下してきました。
 第三は、イギリスです。ここでは、サッチャー・メージャーの保守党政権時代に最低賃金制度は事実上(1986年、1993年の法改定で)廃止されました。しかし、1998年に労働党(ブレアー)の下で最低賃金制度が復活し、それはきわめて大きな役割を果たすことになります。
 第四は、日本です。最低賃金の比率は1990年代の後半から上昇していますが、これは最低賃金が引き上げられたのではなく、むしろご存知のようにに低賃金労働が拡大し、中位の人の平均給与が低下したため、相対的に最低賃金の割合が上昇したに他なりません。それでも低下してきた米国と同じほどの低水準です。



 こうした状況の中で、米国、英国、ドイツでは1990年代から新しい動きが生まれてきました。それが「生活賃金」(Living Wage)の運動です。
 まず1994年に、米国のボルティモア市で教会や市民団体、労働組合の協同の下に市議会が「生活賃金条例」を制定し、ボルティモア市の公共財政と関連を持つ企業(補助金対象企業、業務委託企業、公共事業を請け負う企業など)の労働者の賃金を「相場賃金」とすることを決めました。
 後で詳しく述べるように、最低賃金を引き上げることや、「公契約条例」により「相場賃金」を義務づけようとすると、失業者が生まれるとか、企業が流出するとかいった批判が必ずなされます。しかし、米国では、そのような(一見正しそうに見えても実は)根拠のない非難に対してRobert Pollin氏のようなまともな経済学者が実証研究をしてきちんと反論しました。現在までに、ボルティモア市に続いて百数十もの州・郡・市が最低賃金条例を制定することに成功しています。
 英国では、1998年の法律で「低賃金委員会」が最低賃金を計算し、政府が定めることになりました。最初、この法律が制定される前にも、それが失業者を増やすという激しい批判がなされましたが、実際には、そのようなことは一切ありませんでした。イギリスでも様々な研究者が新最低賃金制の効果の実証的な調査・研究を行なっています。
 イギリスの経験は、米国やドイツの運動にも大きな影響を与えました。また経済学者による研究のレベルでは、David Card & Alan Krueger(1995年)の研究も影響を与えています。彼らの研究は、賃金水準の高低、労働市場制度(柔軟か硬直か)、所得格差の大小は失業率と何ら相関しないというものです。
 こうした生活賃金運動の経験や、低賃金労働の拡大という現実、研究者の実証研究は、ドイツにも大きな影響を与えています。ドイツでは、従来、国民的な重要性を持つ製造業における労使協議慣行の重要性もあり、最低賃金制度に対して労働組合、市民、各種団体が否定的な態度を取る傾向がありましたが、低賃金労働の拡大や第三次産業の拡大とともに、最低賃金制の必要性が認識されるようになってきました。最低賃金を引き上げると失業者が増えるという脅しも、イギリスの実例に照らして、虚仮威しに過ぎないことがわかりました。2006年以降、ついにSPD(ドイツ社会民主党)や労働組合が最低賃金制の導入にむけて舵をきり、ついに保守派のCDUも有権者の態度を見ると反対できないような状況になりました。
 次のドイツ総選挙では、生活賃金の考えにもとづく最低賃金制が争点になると予想されます。

 日本でも、生活賃金にもとづく最低賃金の引き上げが大きな課題になっています。
 それは公正な社会を実現するはずです。また多くの低所得者の所得を増やすことは、有効需要を増やすという効果もあります。

 ただし、世の中には、必ずそれに反対する人々がいます。
 彼らの批判の手口はいくつかありますが、その中で最も中心的なものは、賃金を引き上げると、企業はそれを価格に転嫁しなければならなくなるが、そうすると需要が減り、企業は生産を縮小しなければならなくなるので、雇用を減らす(失業者を増やす)ことになるという紋切り型の言説です。
 それは新聞、テレビ、ラジオ、雑誌など様々な媒体で流されます。そして、もちろん、それが正しいか否かに関係なく、それを聞いた普通の人々は不安になります。なんどもなんども聞かされると、頭の中に刷り込まれてしまうのは、よくある事です。
 しかし、日本と違って、米国や英国、ドイツ等では、まともな経済学者が要所要所にいて、実際はどうなのかを調査研究しており、上の批判に答えています。
 このブログでも、そうした調査研究の成果を随時紹介することにします。