2014年2月28日金曜日

ヨーロッパの伝統的家族と相続 4 帝政ロシアの農業共産主義的伝統

 フランスの家族と相続に移る前に、もう少しロシアの事情について触れておきます。
 前回、ロシアの均分相続を伴う共同体家族と土地割替を伴う村落共同体について触れましたが、実は後者は19世紀から現在にいたる歴史学のきわめて大きな主題でした。
 土地共有制というのは、世界的に見て決して珍しいものではありません。例えば古代中国の「均田制」やそれに倣ったとされている古代日本の「班田収受の法」は、国家の土地(公地)を公民に分与し、それに対して王朝国家が労役や生産物を徴するという制度(マックス・ヴェーバーは「ライトゥルギー」と呼び、そのような国家をライトゥルギー国家と呼びました)でした。したがって労働能力を失った人からは土地は収公されます。現代に近いところでは、近世沖縄の土地割替慣行が知られていますし、インドネシアのデサ共同体(desa)や、オスマン・トルコ治下のエジプトの土地制度がそれに類似しています。
 しかし、ともかくヨーロッパ人の常識から見て、このような土地制度は奇習でした。というのも、少なくもとヨーロッパの西半分(西欧)では、封建制の時代から土地(耕地)は農民の私有地(Hufe、virgate、mansusなど)だったからです。
 ロシアの共産主義的土地制度は、一般的にはハクストハウゼン(August von Haxthausen)の『ロシア研究』(1848)によって知られてから、その起源が西欧における知的興味の対象となりました。ちなみに、ハクストハウゼンは、その「太古的(uralt)起源」について語りましたが、決して実証研究をしたわけではありません。すでに19世紀中頃には先駆的な研究書が現れますが、本格的な実証的歴史研究は19世紀末から始まったといってよいでしょう。研究は20世紀に入り密度を増し、ソ連時代にも続けられました。
 その結果、現在までに多くのことがはっきりとしています。
 まずどのように古くさかのぼっても16世紀以前には、土地割替を伴う土地共有制は存在しなかったことがわかっています。つまりそれは起源的にはきわめて新しいものです。
 そのことは16世紀頃のロシアの農村事情を知れば、自ずと理解されます。
 当時、ロシア(1917年以前の用語法では大ロシア)では、農民(村落住民、krest'iane)は、セロー(selo)と呼ばれる村落か、ジェレーヴニャ(derevnia)と呼ばれる小部落に居住していました。ここでは仮に前者を村、後者を部落と訳しておきますが、それらのほとんどは1世帯または2、3世帯からなる集落であり、多少とも大きな集落をイメージするのは誤っています。むしろ散居制に近い状態でした。
 ところで、その頃の状態を示した史料には、「村と諸部落」(selo s dervniami)という表現が繰り返されていますが、もちろん、この表現は村落間に何らかの結びつきがあったことを示しています。端的に言うと、普通、村にはキリスト教(正教会)の教会があり、周辺の諸部落から日曜日に信徒(農民)たちが参集していました。つまり、村と諸部落というのは教区でした。
 ロシアの多くの歴史家は、いくつかの史実を根拠にして、この「村と諸部落」が同時に広域的な行政団体であり、かつ土地共同体(郷、volost')を構成していたと考えています。ただし、土地割替が行われていたというわけではありません。むしろ、逆です。この点について、ソ連の多くの研究者は、帝政末期の歴史家、クーリッシャー(Iosif Kulisher)の研究(『ロシア経済史』)に従っているように思います。
 そもそも16世紀の時点では、広大な領域内に多数の部落が存在していたとはいえ、土地に比して人口は圧倒的に少数でした。開墾されていない「自由な土地」(広大な森林)が広がっていました。このような状態のもとで、郷の領域内では部落、つまり農民世帯(またはその少数の集合)による土地の「自由占取」(freie Okkupation)が行われていたと考えられます。当時の史料に頻繁に出現する「鋤、鍬、鎌のゆくところ」(自由に占取できる)という表現がそのことを示します。またいったん開墾された土地がしばしば放棄されて荒廃地(pustosh)に変じていたという事情もそのことを支持します。

 しかし、変化は徐々に、しかし確実に生じてきました。一つの顕著な変化は、郷内の人口と世帯数が16世紀から18世紀にかけて急速に増加したことです。すでに17世紀から18世紀に、村や部落がかなり多数の農家世帯を数えるほどに大規模化していたことが分かります。そして、それとともに注目されるのが、各郷内の部落間において土地紛争が発生しはじめていたことです。部落(農民世帯の近所)から始まった森林開墾(自由占取)の動きは次第に部落の周辺部に向かい、そこで部落と部落との土地をめぐる接触と紛争がはじまったと考えられます。このことは自由占取の時代が終わったことを意味していました。
 あらためて言うまでもありませんが、新たに開墾する土地がなくなったとき、村落内の人口増加に対処するためには、すでに開墾した土地を住民間で再配分するしか方法はありません。そして、史料はまさにこの頃に土地割替が始まったことを明示しています。
 1861年の農奴解放令では、こうして土地を共有し、ときおり割替を行う団体(村、部落またはそれらの連合体)は、「共同体」「村団」(obshchestvo、obshchina)の名称を与えられ、正式に「農民法」の一部として承認されるに至ります。

 ただし、ここで注意しなければなりませんが、自由占取の時期が終われば、自動的に土地割替を伴う土地共有制度に移行するというわけではありません。実際、西欧の多くの地域では、11世紀〜13世紀の森林開墾の終了時にフーフェ制(形式的平等原則にもとづく私有制)に移行し、それにもとづく村と土地制度の再編成を行っています。しかも、こうした変化の波は、ロシアの西側、または西欧の東側に位置するポーランドやリトアニアでは16世紀〜17世紀に及んでいます。

 一体、ロシアでは如何なる事情が土地割替を伴う土地共有制度をもたらしたのでしょうか? これはかなり難しい問題であり、簡単に答えのでる問題ではありません。少なくとも、次のような点を合わせ考えないとならないでしょう。
 1 それまでの農民世帯・家族のありかた(農家の家族形態や相続戦略)
 16世紀以前の状態はよく知られていませんが、少なくとも近代にはロシアは男子間の均分相続制度を伴う典型的な共同体家族の国になりました。
 2 政治的条件(イワン雷帝からピョートル大帝にいたる政治史)
 ロシアの専制国家化(家産官僚制国家の成立)と、ロシア国家・ツァーリ=皇帝の対農村租税政策などの作用が分析されなければならないでしょう。特に農民階層に重くのしかかった人頭税の作用が考慮されなければなりません。
 また西欧の多くの国・地域と異なって、ロシアでは、16世紀以前の旧分領制時代の支配階層だった公とボヤールは、半ば強制的に半ば自発的に実施していた均分相続制の下で零細化し、没落しました。それに代わって16世紀以降に登場してきたのが、公とボヤールの家臣からツァーリの家産官僚に転じ、国家から秩録として一代限りで土地を与えられた宮廷貴族(ドヴォリャーニン)でした。彼らは少なくとも出発点においては、ツァーリ=皇帝の徴税請負人の役割を演じました。(その退廃的な姿は、ゴーゴリの小説『死せる魂』の中に見ることができます。)
 3 ロシア正教の作用
 (これについては、機会をみつけて論じます。)


 最後に一言。
 ロシアでは、以上に示したような土地制度の中で、各農家に対して概ね男性人口(納税人口)を基準として「平等に」耕地が配分されたため、また当然ながら土地配分時の各農家の男性人口が異なっていたために、農家に配分され・耕作される土地面積がバラバラになりました。土地台帳から見ると、農家の男性人口は零から10人を超えるものまで様々でした。
 これは、一見して、どのような時点でも農民階層の両極への分解が生じているかのような外見を呈する理由になりました。
 しかし、ロシアの経済学者(例えばA・チャヤーノフ)は、この点でも大きな仕事をしました。つまり、ある時点(例えば1900年)に大家族であり経営面積も広い農家が10年後(1910年)には家族分割(財産分割)によってより小さな経営に移行しており、逆に最初に小経営だった家族が後により大きな経営に移行するということが見られました。(この点でトゥーラ県の統計はきわめて貴重な統計的貢献を行いました。)

 ともあれ、こうしてロシアでは1930年頃まで、共同体的土地所有と均分相続制度の下で農村人口・農業人口が急速に増加してゆく、という西欧諸国ではあまり見られなかったような事態を経験することになりました。しかも、ロシアの西側に隣接するほとんどの諸国が工業化と都市化を達成し、経済発展を遂げているときにです。
 ある意味ではスターリンの経済政策をそれに終止符を打とうとするものであったということができます。
 

2014年2月27日木曜日

ヨーロッパの伝統的家族と相続 2 不平等相続・一子相続制の帰結

 家族類型がどのような経済事情と関係していたかを深く知るためには、それを静態的にではなく動態的に考える必要があります。つまりライフ・サイクルや人口動態の中で家族の問題を考える必要があります。

 まず出発点として人口が一定の場合を考えましょう。例えば合計特殊出生率が3〜4(つまり一人の成人女性が平均して出産する子供の数が3、4人)であり、そのうち2人が成人し結婚するような人口の長期的な定常状態を考えます。この場合、社会全体では、人口は長期的にほぼ一定となり、男女比もほぼ50対50になると考えることができます。もちろん、このような状態の下では、どのような相続規則であっても、子の世代は親の世代から同じ面積の土地(耕地)を受け継ぐことができます。
 ただし、これは平均すればということであり、個別の場合には必ずしもそうはいきません。特に平等な相続の場合はそうです。しかし、不平等相続・一子相続の場合は、着実に土地を次の世代に引き渡すことができます。例えば複数の男子を持つ親は一人に全財産を譲り渡すことできます(ただし、その他の兄弟は相続を断念しなければなりません)また子供のいない親は養子(または養女)をもらい、それに配偶者を迎えさせることになります。また娘だけの親は他の家族から婿養子を迎えることになります。これらのいずれの場合も、土地=経営は分割されずに次の世代(養子、婿養子など)に伝えられることになります。
 これに対して平等相続の場合は少々やっかいです。われわれの想定している平均的に2人の子供という前提のもとでさえ、個々の家族にとって子供の数が多いことは土地=経営の細分化という危険性を意味します。その際、財産の相続に参加できるのが男子だけなのか、それとも女子を含むのかによって個別農家にとっての結果は異なってきます。

 次に、人口が増加しているような社会(16世紀以降、西欧はそのような地域になりました)を考えます。西欧でもこの時期には森林開墾の時代はすでに終わっており、新しい耕地を開墾することはほぼできなくなっていました。教会は聖職者の独身主義(celibacy)のために絶えず外部から聖職者が供給されることを必要としていましたが、それにも限度があります。また工業が人口増加を吸収できるほどにはまだ工業化は進展していませんでした。

 このような条件の下では、次の2つのケースしか考えることはできません。
 1 不平等相続または一子相続制の場合
 兄弟のうち一人(長男など)が親からの財産相続を通じて農業者となるが、その他の成員は何らかの種類の農村下層民に転落する。
 2 平等相続の場合
 兄弟(姉妹)は親から平等に財産を相続するが、それに応じて相続する土地面積を減らしてゆく。(ただし、土地市場が成立している場合には、人は土地を購入するか、借地することによって経営面積を拡大することができることは言うまでもありません。)

 問題は、こうした事が実際に生じていたかにあります。
 ここで1に関連してすぐに思い出されるのは、近代のイングランドやドイツなどを始めとする多くの地域で、農業者(英:farmers、独:Bauern)と並んで奉公人(英:servants, 独:Knechte, Magte)や小屋住み(英:cottagers、独:Hausler)などと呼ばれる農村内の階層が生まれていた事実です。その数は決して少数とは言えず、かなり多数に達していました。多くの場合、奉公人は富裕な農民の屋敷に住み、様々な労働に従事していました。また小屋住みは、共同地(農家の私有地となっていない総有地)の中に狭い土地(屋敷地)を分け与えられ「小屋」を建てて住んでいた階層を意味しています。
 これらの階層はどのようにして生じたのでしょうか?
 
 かつては、これらの農村下層階層は近代になってから農民層分解によって現れたと考えられていました。つまり近代のある時点で、自由な土地(売買・借地)市場が成立すると、中間的な農民たちの中から、一方には土地を集積する少数の富裕な農民たちが現れ、他方には土地を失ってゆく貧しい農民たちが現れるというわけです。これは何らかの史料にもとづいて実証的に明らかにされたというわけではありません。その証拠に、昔私は西洋経済史を学んだとき、そのような学説は知りましたが、それを示すような史料を教えられたことはありませんでした。
 
 しかし、近年の家族史、特に個人レベルのライフ・サイクルまで追跡した実証研究によって、イングランドでもドイツでもバルト地域でも、これらの階層(奉公人や小屋住み)が最初農民の子女から現れて来たことは否定しえなくなりました。もちろん、19世紀になってもこの階層には農民の子女からリクルートされた人々が付け加わり、膨れ上がりつつありました。当時の農村の内部事情を直接に観察した人々は、このことを当然のこととして取り扱い、それに疑問を持ちませんでした。ちなみに、これらの人々は、農村にあって富裕な農民たちのために働き生活の資を得るか、農村工業(近年「プロト工業」と呼ばれるもの)に従事して給金を得るような階層でした。それはいわば農村過剰人口の現実的な存在形態でした。
 
 ところが、19世紀にイングランドでもドイツでもバルト地域でも急激な経済変化が生じます。いわゆる産業革命=工業化です。われわれにとって注目すべきことは、この激動のの中で農村下層民たちがあっというまに姿を消し、農村からは消えてしまったことです。その理由は明白です。例えばバルト地域や東部ドイツでは、これらの農業労働者たちが高賃金の都市・工業中心地に流出してしまい、農村部で「労働力不足」が生じ、農業労働者の賃金が高騰して困るといった農業経営者の嘆きの声がしばしば新聞等で報じられていました。

 しかし、これは19世紀末のことです。20世紀に入ると、中世から近代・19世紀末までの歴史的事情はまったく忘れ去られてしまいました。
 
 考えてみると、奇妙な歴史ではあります。
 そもそも西欧中世の農村社会では形式主義ともいわれるほどの平等原理が支配していました。しかも、その形式的平等主義は、1フーフェ(=33エーカー)の土地面積をきちんと測量して同じ村の中の各農家に平等に配分するするほど徹底していました。また地味による差異をなくすために耕地(三圃制のため3つの圃場)を地味・その他の土地条件に応じてブロックに分け、各農家が各ブロックに1つの土地片(strip)を保有するような工夫さえ講じていました。ちなみに、各農家にひとたび配分された土地片は各農家の私有地となっており、近現代の耕地整理の時まで古い状態を残していました。
 ところが、こうした形式的な平等主義のもとで、イエ(家族、世帯)の内部では経営的観点・経済的合理主義が作用し、兄弟間の不平等さえも許容されていたわけです。言い換えれば、企業者と労働者は「イエ」の内部を誕生の地としていたことになります。かつてM・ヴェーバーは、<形式は自由の産みの母である>といいましたが、このような精神的態度なくして近代の経済発展はなかったのかもしれません。
 また偶然か、または何らかの偶然的ならざる結びつきがあったのか、議論の分かれるところですが、イングランドやドイツ、バルト地域はまた宗教改革(ルター派、カルバン派などプロテスタンティズム)の広まった地域でもあります。

 しかし、不平等相続・一子相続制はヨーロッパのある地域に広まっていたとはいえ、ヨーロッパ全体がそれ一色に染まっていたわけではありません。前回述べたように、西欧に限っても、フランス北部・パリ盆池やイタリア、スペインなどでは平等主義的な相続制度が広まっていました。フランスはまたプロテスタンティズムではなく、カソリシズムの牙城でもありました。
 そこで次にフランスの事情も含めた平等主義の経済的影響を検討することにします。


2014年2月26日水曜日

ヨーロッパの伝統的家族と相続 1 19世紀以前の状態

 家族(家計、世帯)は、現代の経済学でも重要な経済主体として扱われています。
 しかし、今日では主に企業が生産と流通の活動を担っているため、分析対象としての家族(=家計、世帯)の重みは低下しているように思われます。
 とはいえ、家族は現在でも依然として消費の主体であり、また労働力を育て上げる上で決定的に重要な役割を演じています。
 さらに時代をさかのぼると、家族は生産の主要な担い手であり、その理解なしに経済を論じることはできません。家族史研究は経済史研究のもっとも重要な部分であると言えます。

 ところで、家族というと、多少の相違はあるとしてもどこでも似たりよったりと思われるかもしれません。夫婦がいて、その子供たちがいて、さらに場合によっては、夫婦の年老いた親(父や母、またはその両方)がいる、といったところでしょうか? また近代化・工業化・都市化とともに大家族が崩壊し、それとともに核家族が進行してきており、現在も進行中であるといったことも考えられます。
 しかしながら、戦後の多くの国・地域で実証的な家族史研究が行われてきましたが、このような観念は間違いであることがわかってきました。
 一言で言えば、家族のありかたは地域によって異なっており、またどんな地域でも大家族から小家族に移行してきたという図式も必ずしも正しくはないということが明らかにされてきました。

 ここでは、さしあたりヨーロッパ(ウラル以西)の「伝統的家族」(19世紀以前の農村社会に存在した家族)に限定して見ておきましょう。
 これまでの研究は、ヨーロッパだけで少なくとも4つの家族類型が存在していたことを明らかにしています。
 この4類型を理解するためには、家族関係を次の基準から見ておくことが必要です。
 1 親と子の関係 親と結婚した子供が同居するか否か?
  これによって、まず単純家族(核家族)と(上下への)拡大家族が区別されます。
 2 兄弟(姉妹)の関係 結婚した兄弟(姉妹)が同居するか?
  単純家族(核家族)にあっては結婚した兄弟(姉妹)が同居することはありませんので、複合家族が2つの類型、つまり兄弟(姉妹)が同居しないパターンと兄弟(姉妹)が同居するパターンに分かれることになります。ここでは、E・トッド氏(『新ヨーロッパ大全』、『世界の多様性』など)にならって、前者を複合家族(トッド氏は、直系家族、権威主義家族とも言います)、後者を共同体家族と呼ぶことにします。
 3 相続制度
  親の財産をどのように相続するかという視点から見た場合、財産を兄弟(または姉妹)が平等に相続する(均分相続)か、それとも不平等に相続するかが問題になります。さらに後者は、大陸の一部やイングランドの多くの地域におけるように、親の遺言(will)、つまり意志が大きな役割を演じるか、それともドイツなどの地域のように長子相続(primogeniture)が制度化されているか、に区別されます。

 こうした3つの基準からみて、ヨーロッパの家族は次の4類型に分類することができます。(すべての組み合わせがあるわけではありません。)
 A 単純家族+不平等相続(親の意志にもとづく相続)
 B 複合家族(直系家族、権威主義家族)+不平等相続(一子相続)
 C 単純家族+平等相続
 D 共同体家族+平等相続

 トッド氏は、従来の研究を総合し、(さしあたり西ヨーロッパでは)この4類型が次のような地理的な分布を示していることを明らかにしました。
 A ベルギー、オランダからイングランドにかけての地域
 B スカンジナビア半島からドイツを通り、フランス南部(いわゆるオック・ロマン語=南フランス語の地域)からスペイン北部、ポルトガルにつながる地域
 C フランスの北部(パリ盆地)、イタリア北部、スペイン南部など
 D イタリア中部

 なお、Dの平等相続制度を伴う共同体家族の類型の最も広まっていたのが東欧・ロシア(バルカン半島、旧ロシア帝国領)だったことは、様々な研究によって示されています。ただし、同じロシア帝国領でも、バルト海沿岸のエストニアやリーフランド(サモギティア地域)ではドイツと同様なBの類型が広まっていました。しかし、東欧の事情についてはあとで触れることとします。

 西欧の5カ国(イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン)における支配的な類型の分布を次に示しておきます。(A:青、B:緑、C:赤、D:橙。)なお、旧東ドイツは、モノグラフィー等から全体をBの類型の地域と推測し、濃い緑色で示しています。










          E・トッド『新ヨーロッパ大全」藤原書店より作成。
 
 ここに示したように西欧といっても多様であり、一つの国の内部にも異なった類型が存在していたことがわかります。
 ちなみに、日本では2の類型(直系家族+不平等相続)が支配的であることはよく知られています。この家族形態では、親と結婚した子(普通は長子)が同居することは通常のことですが、結婚した兄弟が同居することはまずありません。また遺産相続は、多くの場合、一子相続であり、家督を受け継いだ長子(男の子がいない場合は、養子または婿養子)が相続人となりました(川島武宣『日本社会の家族的構成』)。したがって類型上、日本の家族はドイツの主要な家族類型と類似しているということになります。

 さて、こうした家族類型の相違はいったいどのような経済的な意味を持っていたでしょうか?
 特に気になるのは、相続上の相違です。この点では西欧はまったく異なる2つの地域に分かれていました。繰り返しになりますが、
 まず不平等な相続の地域ですが、これはイギリスからドイツ、スカンジナビア半島にかけて広がっていました。
 一方、平等な相続の地域ですが、これはフランス(北部パリ盆池)、スペイン(南部)、イタリア(全域)に広まっていました。この他に、東欧、つまり現在のポーランド、ウクライナ、ロシア、ベラルーシやバルカン半島には均分相続の慣行を持つ単純家族や共同体家族の地域が広がっていました。したがって、ウラル以西のヨーロッパ全体では、平等相続=均分相続の地域のほうがはるかに広かったということができます。

 これらの2地帯ではまったく異なる経済事情が存在していました。 

2014年2月25日火曜日

米国・労働統計局による「代替的失業率」の計算

 米国では今年1月になってようやく失業率が6.6%にまで下がってきました。その要因として経済回復があることは否定できないでしょう。
 しかし、もう一つ大きな要因として、求職意欲喪失者、および「周辺的に労働力に編入される他のすべての者」の存在があります。
 つまり、求職活動をしていないか、かつてはしていたが、求職意欲を喪失した者が相当数いるため、見かけ上、失業率が低く見えているいるのです。そのことは下記の米国労働統計局のデータが示しています。通常の方式で算定した失業率(U-3)と求職意欲喪失者を加えた代替的失業率(12.7パーセント)を比べてみると、よくわかります。実にその差は6.1%にも達します。
 
 米国の代替的な失業統計(Bureau of Labor Statistics)




 注)「周辺的に労働力に編入される」とは、労働しておらず、求職していないが、過去1年間に求職活動をしたことがある者。

 実は、日本でも従来から求職意欲喪失者がかなりの割合でいました。特に主婦のパート・アルバイトの中にです。しかし、彼女らは、失業しても景気が悪化している間は求職活動をしませんので、失業者のカテゴリーには含められませんでした。 
 そこで欧米人から見ると日本の失業率の変化には不思議な点が2つあるということになりました。
 一つは低い失業率です。もう一つは、景気が悪化しても失業率が上昇しなかったことです。むしろ後者の方が外国人には不思議だったかも知れません。
 しかし、実は不思議でも何でもありませんでした。ただ失業した人が求職活動を断念していたため、失業者とされなかっただけです。
 このことを欧米人が知ると、次にどうして職を喪失した人が求職を断念するのかという質問が出てきます。
 これに答えるのもそれほど難しくありません。彼女たちは家計補充的低賃金労働に甘んじていたので、職を失ってもそれほど切実ではなかったためです。
 しかし、近年状況は変化してきました。われわれはきちんと現在の状況を認識し、公正な所得分配を実現しなければならないと思います。

失業とは何か? 需要不足・構造・摩擦? 1

 われわれは、しばしば「失業率」とか、「完全失業率」という言葉に出会います。それは働く人に対する失業している人の割合を表す言葉であり、何の疑問もない言葉のような気がします。しかし、本当にそうでしょうか?

 まず働く人とは何でしょうか?
 働く人について考える場合、15歳以下で修学中の子供を除いてもよいでしょう。もちろん中にはテレビドラマの子役のように15歳以下でも働いている子はいますが、それは例外として考えないことにします。
 15歳を超えても20歳台までは、多くの高校生・専門学校生・大学生がおり、彼らは働く人にカウントる場合(バイトなど)もあれば、働く人としてカウントされない場合もあります。
 逆に65歳を超えた人の場合も、退職したのち働く気のない人も入れば、働きたいと思う人もいるでしょう。
 さらに15歳〜65歳の人の場合、労働に対して様々な関係にある人を区別できあす。
 第一に、その中には疾病・怪我・障害などのために労働したくても働けない人もいるでしょう。もちろん、障害をおっていても労働する人もいます。また疾病・怪我から回復した後に仕事に就きたいと考える人も出来てきます。
 第二に、特に女性の場合に多いのですが、結婚・出産・育児をきっかけに(家事以外の)職業から退く人が少なくありません。
 このように、15歳〜65歳の人々の中には、修学、疾病・怪我・障害、出産・育児(家事)など様々な理由によって、少なくもと統計上、働く人のカテゴリーに含められない人々がいます。
 このあたりは統計上それほど問題ではないでしょう。
 しかし、例えば次のような場合はどうでしょうか?
 例1)高校・専門学校・大学を卒業し、就職活動もしたけれど企業・国・地方公共団体に採用されなかった。
 例2)企業に雇われていたが、不況により解雇されてしまった。
 この2つの場合は、さらにそれぞれ次の2つに分かれます。
 ①(再)就職するためにハローワークなどを使って就職活動をしている。
 ②(再)就職したいが、なかなかうまくゆかず、就職活動をあきらめた。

 このように失業率を算定するためには、分母となる働く人を確定しなければなりませんが、その中にはどのような人が含まれているでしょうか?
 現在の多くの国統計では、実際に働いているか、または失業者のいずれかに限られます。しかも失業者とは、職を持っていない(働いていない)が就職活動をしている人しか含みません。つまり、働く能力があっても何らかの形で就職活動をしていない人は失業者にはカウントされないことになります。
 しかし、実際にはこのように就職活動を断念してしまった人(the discouraged)は実はかなり多いのではないでしょうか。もしそうだとすると、実質的な失業率は公表値よりかなり高いことになります。米国の次の漫画は、それを皮肉ったものです。しかも、欧米ではなく、特に日本では、これらの人々がかなり多いと推測される根拠があります。(後述します。)

労働者「求職を断念。」オバマ「(失業率を下げる)支援をありがとう。」

 失業統計の問題は、実は、それだけではありません。
 就業している人の中にも、実質的には失業している人がなりの割合います。日本の統計では、一週間のうち1時間でも就業した人は失業者の中に含められません。しかし、こうした短時間労働者は、総所得も低く実質的に失業者であることは疑いありません。
 主流派の労働経済学では、例の図(労働需要曲線と労働供給曲線)で2曲線が交わったところで賃金と労働時間(雇う側も雇われる側も満足する賃金と労働時間!)が決まるという説明がなされますが、それは絵空事。学生バイトならともかく、例えば短時間・低賃金の非正規雇用で満足している人などそういないでしょう。
 
 また同じ失業者でも、比較的短期間(失業保険の効く半年以内または1年以内)で再就職できる人もいれば(その時労働条件が以前と同じ程度であるという保障はありませんが)、1年以上たっても就職できない長期失業者もいます。

 したがってわれわれが労働市場の本当の姿を確認するためには、単に失業統計を見るだけではまったく不十分です。一言で言えば、隠れた失業が存在するからです。
 アメリカ合衆国の労働統計局は、この点では良心的であり、それらを明らかにしようとしています。

 実は、失業をめぐる話はこれにつきません。われわれは、しばしば失業の要因として次の3つがあるという説明を受けることがあります。
 例えば厚生労働省のサイトでは、失業には次の3種類があるとしています。
  1 有効需要の不足によるもの
  2 摩擦的失業
  3 構造的失業
     http://www.stat.go.jp/data/roudou/pdf/point11.pdf

 このうち、1は説明するまでもなく、有効需要の不足による生産量の不足によるものです。われわれの社会では、労働需要は生産量に比例し、労働生産性に反比例しますから、これは十分なっとくにゆく説明です。
 2。これは労働需要側と労働供給側のミスマッチによるものであると説明されます。例えばある企業(産業・地域)がある技能Kを持った人を求めるているのに、職を求める人は別の技能Lしかもっていない。あるいはある企業はH県にあるのに、職を求めている人はJ県で働きたいと思っている、等々。これは概念的には理解できますが、実際に統計的検証が出来るかどうか、かなり難しいでしょう。
 3。失業率は景気変動に応じて上下すること、景気回復時に低下することはよく知られています。しかし、景気回復によっても失業率が必ずしも完全雇用水準にまで低下するわけではなく、一定の水準にあることがありえます。そこで、労働経済学者の中のある人々は、景気回復時の失業率水準(長期的・慢性的な失業率)を構造的失業と呼びました。
 厚生労働者は、21世紀初頭の失業率5%のうち、実に3.9%(80%弱)がこの構造的失業であると言っています。
 しかし、構造とは一体何を意味するのでしょうか?
 この「構造」の意味を明かにしない限り、この説明は経済学を不可思議な形而上学的な領域にとどめおくことになります。もっとはっきりと言うと、「構造」という言葉を使って人々を騙すに過ぎません。
 はっきりといいます。「構造的失業」とされているものも有効需要の不足(あるいは労働生産性の過剰)から生まれたものに過ぎません。

 ここでは、2つの問題を提起しました。
 1 失業率の公表値と実質的な失業率の差
 2 構造的失業とは何か? 

 次に日米の統計からもう少し詳しく見ておきたいと思います。

フランスの最低賃金 SMIC 1970年の SMIG 法


 現行のフランスの最低賃金法は、1970年に旧法を改訂して制定されたもの(SMIG)をベースにしています。その最低賃金率は 、SMIC (Salaire Minimum Interprofessionnel de Croissance) と呼ばれています。
  
 この最低賃金を定めた法律は、民間企業であれ、公企業であれ、(訓練中の徒弟以外の)18歳以上のすべての従業員に適用されます。最低賃金率は、インフレーション率および労働生産性を考慮して決定されることとされています。2010年からは前年のインフレ率および労働者の平均給与の上昇率の半分にもとづいて1月1日に自動的に上昇します。もし年度途中に2%を超えるインフレ率が生じたときには、自動的に引き上げられます。その他に政府は最低賃金を引き上げることを決定することも可能です。(E. Caroli and J. Gautie, Low Wage Work in France, Russell Sage Foundation, 2008 を参照。)

 こうした制度のために、フランスでは最低賃金が国全体の平均給与(メディアン)の60%を超えるに至りました。通常の統計では、低賃金労働というのは、平均(メディアン)の50%以下ですから、一応、フランスの最低賃金水準はそれを超えていることになります。これは日本の最低賃金の水準が40%に達していないのとは大きく異なっています。
 2011年の数字では、フランスの最低賃金率は9ユーロでしたから、現在の為替相場では1260円/時間ほどということになります。

 さて、最低賃金の引き上げるというと必ずでてくるのは、それが失業の増加をもたらすという反論です。
 たしかに企業家が賃金を引き上げたくないと思っているということなら、その通りでしょう。しかし、希望と現実は異なります。
 むしろ近年、失業は「マーストリヒト条約」の要請するマネタリスト・デフレ政策とその後の金融危機によって景気が悪化し、有効需要=生産が低下した時にこそ増加しています。もちろん景気が悪化しても、投資と技術革新、労働強化によって労働生産性は上昇します。ですから労働需要は2つの要因で縮小し、失業者が増えるという結果になっています。

 往々にして賃金の引き上げが失業をもたらすと主張する人は、何故か(もちろん理由は分かっています)マーストリヒト条約についても、金融資本主義のもたらす金融危機・景気後退についても言及しない傾きがあります。
 
 その上、実際には、フランスの国内でも高賃金の地域・県で失業率(9%以下)がかなり低く、低賃金の地域・県で失業率がかなり高い(12%以上)という傾向があります。これなどどのように説明するのでしょか?

 「何があろうとも高賃金は雇用を縮小させる。理論も研究もそのように言っている。」彼らは批判にはまともに答えずに、別の、批判される危険性のない人々に、こっそりと理論や実証結果がそうなっていると語るだけです。
 OECDの『職の研究』(1994年)もそうでした。しかし、OECDの内部からも批判され、また多くの国の研究者によって理論的・実証的に批判されると、あれはOECDの公式見解ではなかった(2006年)と言い訳する始末です。労働条件の悪化をもたらしておいて、失業率を引き下げるという結果を実現することもない。困ったものです。

2014年2月23日日曜日

補足 貧困を許容している日本の最低賃金

 昨日、日本の最低賃金率が世界的に低い水準にあることを書きましたが、そのとき平均(中位)の賃金率に対する割合で40%を大きく切っている図を示しました。

 ところが、通常、(相対的)貧困の指標として平均の50%以下という基準が利用されていることはよく知られています。つまり、日本の最低賃金は貧困線以下に設定されているということになります。

 これも前に書きましたが、たしかに旧来は夫が大黒柱として稼ぎ、妻がパート・バイトで家計を補充するというパターンが広まっており、この家計補充型では問題が少なかったことは間違いないと思います。しかし、男女間のあるべき関係、社会的公正・正義の立場からは大いに問題がありました。また。また近年、非正規雇用者が増加してくるとともに問題はかなり深刻になってきました。
 
 日本の政治家、それに国民自身の多くがこの問題に消極的にしか取り組んでこなかったことをきわめて残念に思います。

 ちなみに、外国では、宗教者が運動で大きな役割を演じているようです。例えば米国では、プロテスタント、カソリック、イスラームを問わず、牧師・司祭、指導者が公正・正義をこの世に実現しようとして(もしかすると、脱宗教化の流れの中で、人々を宗教にとどめようとしてというのが本当かもしれませんが、理由はともかく)運動に加わり、政治家や企業者を説得し、生活保障賃金を実現しようとしています。
 これに対して日本の仏教徒は概して個人の安心立命に閉じこもり、社会活動には消極的というしかありません。仏教が葬式仏教になり、影響力を失うのもさもありなんと一人で心の中で納得しています。

2014年2月22日土曜日

最低賃金の引き上げ イギリス・ロンドン市長の試み

 イギリスでは、1979年に政権についたM・サッチャー氏が露骨な反労働者的な(anti-labour)政策を取り、その一環として最低賃金制度を事実上崩壊させました。
 いわゆる低賃金労働者が増えてきたのは、まさにこの頃からです。1990年代末にアメリカのRussell Foundationが資金を提供して欧米の経済学者に低賃金労働に関する調査を委託し、その結果が出版されていますが、それによれば、ブレアー労働党政権が1990年代に誕生してから、低賃金労働の比率は増加しなくなっているようです。しかし、低賃金労働が縮小したわけではありません。(Low Wage Work in the Wealthy World, Russell Foundation, 2006.)
 それでも、とにかく労働党政権の下で最低賃金制度が再導入されました。
 その際、例によって反対陣営から最低賃金を設定すると、雇用が失われ失業が増加するという大合唱が聞こえてきました。しかし、実際には1997年の導入後も失業率が増加するということはありませんでした。

 その後、21世紀になってから大ロンドン市では、市長のボリス・ジョンソン氏(B・Johnson)が Living Wage     運動を始めています。これはある大学と恊働して「生活保障賃金」を計算し、それを実行しようという企業を募るというものです。いわゆる強制力はありませんが、公正な社会をつくるために、一定額以上の生活保障賃金を支払うという企業を募り、表彰することによって次第に生活保障賃金以下で働く人を少なくしてゆくという方向を示すものです。
 2005年にこのキャンペーンが実施されたとき、その基準額(時給)は8.30ポンドでしたが、2012年末には8.55ポンドに引き上げられています。またそれによって11,500人の低賃金労働者が450万ポンド分以上の所得を増やしたとされています。
 こうした取り組みは、もちろん市の財政負担(貧困者への給付)を軽減します。
 それは協力企業にとっても決して悪い結果をもたらしていません。例えば一部の低賃金労働者の賃金率を10%ほどあげても、価格にはせいぜい1〜2%程度しか影響しません。むしろ「効率賃金仮説」の説く通り、労働生産性が上昇し、レストラン等の食材費も節約されるようになったため、価格引き上げは必要なく、利潤圧縮もなかったという調査報告があります。売上げも低下しませんでした。
  もちろん、マクロ的観点から言うと、賃金の引き上げは貨幣所得を増やし、貨幣表示の有効需要を増やしますから、景気を拡大する効果をもたらします。

 それでも価格が上がり、需要が減るのではないかと心配する人にも一言。先日のブログでも書きましたが、アベノミックスは、物価上昇が好景気をもたらすとさえ主張しました。私はこれは本末転倒であり、貨幣所得の増加をともなう好景気がインフレをもたらすというのが本当です。

 http://www.london.gov.uk/media/mayor-press-releases/2012/11/mayor-reveals-new-london-living-wage-and-urges-more-employers-to#sthash.4xsVvHzf.dpuf 

 ロンドン市の試み、日本でもどうでしょうか?
 どこかでいまの状況を変えないと、いつまでも世界的に恥ずかしい水準のままにとどまり、公正な所得分配は実現しません。
 ちなみに、正規と非正規にすさまじい格差があるのはOECDでは日本と韓国のみ。ヨーロッパでは格差はもっとモデレートです。

日本の最低賃金 「先進国で最低レベル」 ILO統計より

 日本の最低賃金は、いわゆる先進国でも最低の水準にあります。
 第一に平均値(メディアン)に対する比率で最低の水準にあります。
 第二に、絶対値(購買力平価)でスペインとポルトガルの水準を少し超える程度でしかありません。いま金融危機・財政危機で騒がれているギリシャより低い水準でしかありません。日本の政治家は、このような数値を公表されて恥ずかしくないのでしょうか?
 日本の政治家(菅元首相、安倍現首相など)と言えば、その多くは口を開くといつもといってよいほど日本の法人税が高いから下げるべきだと主張します。この主張も問題です。確かに法人税率自体は高いかもしれませんが、例えばドイツの企業は社会保障費負担が日本の2倍くらいであり、企業の公的負担はドイツのほうがずっと高い水準にあります。
 グローバル・スタンダードを主張する政治家は、すぐに公正な社会をつくるため、日本の最低賃金を引き上げるべく努力するべきです。

 ちなみに下図にはドイツが掲載されていませんが、これまでドイツは、ある事情から企業経営者だけでなく、労働組合も最低賃金制が不要だと考えており、存在しなかったためです。しかし、そのドイツでも労働組合、ドイツ社会民主党とキリスト教民主同盟の2大政党が合意し、最低賃金制が導入されます。

 またアメリカ合衆国では、オバマ大統領の下で連邦レベルの最低賃金が引き上げられています。その上、州・市のレベルでもLiving Wage 運動が功を奏し、次第に連邦以上の水準に引き上げられる州・市が増えています。


 ILOのデータベースから


 http://www.ilo.org/global/about-the-ilo/newsroom/news/WCMS_193581/lang--en/index.htm

EUROSTAT 賃金が高いほど失業率は低い!

 しばしば人件費(賃金率)が高いと低賃金の国に企業が逃げるので、失業率が高くなるという脅しともとれる言説が流されることがありますが、現実の統計はそれとはまったく異なった状態を示しています。
 
 EUROSTATの Statistical Atlas (統計地図)でそのことを確認してみましょう。
 次のサイトで簡単に見られます。 
   http://ec.europa.eu/eurostat/statistical-atlas/gis/viewer/

 ここから Labour market を選択し、次にUnemployment rate (失業率)または 時間賃金(Hourly Wage)を選択すれば、NUTS1〜NUTS3のいずれかの地域区分方法に応じた統計地図が見られます。

 まず最初に失業率です。大まかにいうと、ドイツの失業率が一番低く、ついでフランスやイギリス、周辺部(スペイン、イタリア南部、ポルトガル、ギリシャ、アイルランド、トルコなど)ではかなり高くなっています。



            失業率(単位%)、時間給(単位ユーロ)

 次は時間給です。スカンジナビア半島からドイツ、フランスの南部にかけて高賃金の地域が広がっており、そこから周辺部に行くにしたがって賃金水準が下がってゆきます。(目につく一つの例外はアイルランドです。)



 このように高賃金の国は失業率が低く、低賃金の国は失業率が高いというかなり強い相関が直感的に感じられます。
 実際、統計処理をしてもそのような相関が検出されます。
 またフランス、イギリス、ドイツ、イタリア、スペインといったそれぞの国の中でも地域をもう少し細分化して失業率と賃金水準の相関関係を分析しても同じ結果が得られます。

 高賃金が高失業の原因であるという『常識」が如何に誤っているかがよくおわかりいただけるかと思います。

 でも、どうしででしょうか?
 一つの最も重要な理由は明白です。前にも書きましたが、費用=収入だからです。高い賃金は高い所得を意味し、それは大きな有効需要を意味します。


2014年2月21日金曜日

賃金主導型レジームへの転換 1

 賃金主導型という意味は、貨幣賃金を抑制するのではなく、むしろ引き上げることによって経済発展・成長・(不況からの)復興を実現しようという意味である。もちろん、この言葉の背景には所得分配の問題がある。
 ところが主流派の経済学は何故か所得分配について沈黙する傾きがある。何故だろうか?

 所得分配は最も簡単には、次式で示されるように賃金と利潤の分配関係を意味する。

   Y=W+R  ただし、W:貨幣賃金、R:利潤

 もちろんR(利潤)は、最終的には経営者報酬、利子・地代、配当、内部留保、法人税等に分かれる。その他に粗利潤には減価償却費も含まれる。しかし、概して言えば、これらお主要部分は所得階層の上位1%の人々(富裕者)の重要な所得源となる。他方、賃金も可処分所得や所得税・社会保障費の負担分などに分かれるが、それは99%の人々にとっての主要な所得源をなす。
 したがって第一に、賃金と利潤の配分比率(賃金シェアーと利潤シェアー)が所得分配における平等・不平等と密接に関係していることは明らかである。米国の主流派経済学者が所得分配に触れたがらないのは、この点に対する配慮からにある。つまり、それに触れると、近年の米国社会における激しい不平等度の拡大=不公正について語らなければならなくなるからである。それは市場経済(資本主義経済)の欠陥を指摘することになる。
 もとより、賃金もすべての勤労者間で平等・公正に分配されているわけではない。むしろ最近の傾向は、高賃金の階層と低賃金の階層の間の格差が拡大することにある。例えば1980年代以降の英米、1990年代以降のドイツなどで特にそうである。(米国の Russell Foundation の資金援助で行われた欧米6カ国に関する国際研究がそれを示している。)
 要するに、現在所得分配の不平等が拡大しており、一方では利潤シェアーが拡大し、他方では賃金格差も拡大しているという事実があることは間違いない。

 現在、世界の経済学者の間で一大論争となっているのは、このような傾向が人々の福祉にとってどのような意味を持っているかという問題にある。一方の論者は、こうした格差を様々な方法で正当化する。そのうちの一つは、グローバル化の下で一国の輸出競争力を強化しなければならないという主張である。しかし、これが国際価格を決定する要因として貨幣賃金しか見ていないという欠陥理論であることは、本ブログでも何度も指摘してきたところである。国際価格を決定する要因としては、他にも利潤、労働生産性、為替相場、輸入原料価格などがある。つまり賃金は一要因に過ぎず、しかも賃金の変化は他の要素の変化の誘因、しかもしばしば賃金変化の効果を逆転させる誘因となることを忘れてはならない。他のすべての条件を一定と仮定しておいて、賃金だけ取り上げるのはよくあるトリックである。
 賃金主導型のレジームが成立するという見解は、こうした見解に対する代替的な見解である。上述の主張がしばしば「代替案はない」(There is no alternative, TINA)と主張するのに対して、後者は「代替案はある」と主張する。

 その理論的・現実的な根拠は、ケインズやカレツキが1930年代に提示した一連の経済理論の核心にある。次の点が特に重要である。
 ・現実政治的には、1%の階層の所得だけが増加しても、99%の人々の所得が低下するような経済では、多くの人にとって意味がない。
 ・そもそもTINAの論者は費用の低下を主張するが、経済学を学んだ者ならば誰でもしっているように、費用=収入である。利潤(資本費用)であれ、賃金(人件費)であれ、その他の物的費用であれ、最終的には所得(利潤所得と賃金所得)に等しい。したがって費用の縮小を語るひとは、収入の縮小を語ることになる。
 ・現代の発達した経済では、景気の悪化は低い生産能力に起因するわけではない。むしろ高い生産能力に比して有効需要が小さいからである。いわゆる「セイ法則」(供給が需要を創り出す)と言われているものが成立しないことははるか昔に明らかにされており、この点ではケインズ=カレツキの見解が正しい。しかし、主流派が「セイ法則」に戻ったことは知的退廃である。
 ・そこで貨幣賃金の引き上げ(または引き下げ)は経済にどのような影響を与えるかが、最大の焦点になる。ただし注意しなければならないのは、あくまで社会全体で貨幣賃金水準を変更した場合にどうなるかが問われているのであり、個別企業や個別産業が行う貨幣賃金の変化について議論しているのではないことである。
 この問題は、まず理論的次元では、主流派の経済学者が考えるような静態的な仮想空間を想定することによっては解決されない。現実の経済は、貨幣賃金率以外にも物価、労働生産性、有効需要=産出、為替相場などの諸条件が変化する動態的な(dynamic)経済だからである。
 さらに、多くの人々は、「その他の条件が等しいならば」(ceteris paribus)という魔法に囚われており、他のすべての条件が変わらないという想定下で個別企業・個別産業について成立する論理を、社会全体について当てはめようする。(ケインズはこれを「論点先取の誤謬」と語った。)
 例えば一人の企業家が自社の労働者の貨幣賃金率を引き上げる場合を考える。彼は、自社だけがそうした場合、きわめて不利であることを知っている。もし販売価格を引き上げなければ、(ceteris paribus !)人件費が拡大し、利潤が圧縮される。だが、利潤圧縮を避けるために販売価格を引き上げるならば、(ceteris paribus !)需要量が低下し、生産を縮小しなければならない。まさにその通りである。

 しかし、もしすべての(または多くの)企業が(まずは価格を変えずに)貨幣賃金をいっせいに引き上げたらどうだろうか? それは貨幣額で表示された社会全体の有効需要を引き上げる。つまり、この場合、前提条件が変わるので、ceteris paribus は成立しない。企業は(労働者からの支出が増えるので)需要拡大の恩恵を受け、生産量を増やすことができるようになる。このとき、多くの企業は労働生産性を引き上げることができる(効率賃金仮説)。何故ならば、一つには労働のインセンティブが高まるからであり、第二にはそれまでの低需要の下で弱まっていた労働ノルマを強めることができるからである。
 この場合、仮に(同じくすべて、または多くの)企業が等しく価格を引き上げたらどうであろうか? この場合にも、企業にとって価格の引き上げがもたらす心配はない。すべての企業が同様に行動するからである。これはマルクスのいわゆる「社会的総資本」の観点に相当する。

 しかし、理論の世界から現実の世界にもどろう。
 仮に社会全体の企業が貨幣賃金を引き上げることによってよい結果が得られると理解したとしても、企業家が必ずいっせいに賃金を引き上げることはないだろう。
 企業は相互に競争しており、自ら好んで(貨幣賃金引き上げの)リスクを冒すことはない。彼らの希望は一致している。他の企業が貨幣賃金を引き上げて社会的総需要を拡大したり、価格を引き上げることは大歓迎である。しかし、自社は出来れば貨幣賃金を抑制し、価格も引き上げずに済ますことで、自社製品に対する需要を拡大し、かつ利潤の増加を期待したい、と。
 
 かくして、貨幣賃金を引き上げるというインセンティブは企業内部からは生まれない。
それが実現するためには、何らかの条件=力が必要である。
 ・労働組合などの労働側の賃金交渉力
    昔は日本でも「春闘」があり、給与がいっせいに引き上げられた。
 ・最近の米国における living wage 運動などの市民・教会・労働運動
    米国では、教会の牧師・司祭が悪徳経営者に対して、「死後、天国に行けません   よく。きちんと従業員の給与を上げましょう」と説得することがあるようだ。
    日本の坊さんが個人の涅槃・悟り・安心立命を説くのとは少し違う。
 ・有権者からの政府、議会を通じた政治圧力
    賃金がいつまでも下がりつづけると、有権者がある種の政党に票を投じなくなる   というような圧力。この力は現在の日本でも多少は感じられる。
 ・その他 良心的な企業家の存在など。

 以上の様々な複雑な条件を念頭に置きながら、次から「賃金主導型レジーム」に関する研究を紹介してゆきたい。


2014年2月20日木曜日

ILO 『賃金主導型成長:経済復興のための公正な戦略』を推薦する


 賃金主導型の成長
 これこそ私が主張している戦略に他なりません。
 しかも、それは現在世界の多くの優れた研究者によって主張されています。
 以下は、現在世界で最も注目されている経済学者(Marc Lavoie とEngelbert Stockhammaer 氏の編著、ILO)の出版した本の紹介の紹介です。
 Marc Lavoie to Engelbert Stockhammer 氏は、これまで精力的に研究を公表してきましたが、それをまとめたものです。


 「本書は、資本(大企業)を優遇する分配への移行と所得不平等の拡大が経済成長を抑制し、経済的な不安定性を増したことを主張しています。それは賃金の抑制のリスクが現実のものとなっており、また負債主導型(欧米日のバブル型のこと)および輸出主導型の戦術(日本やドイツを始めとして)が多くの国で追求されているが、これらの経済問題と結びついていることを示しています。
 一方、本書は、賃金主導型の復興のための政策インプリケーションと戦術を分析し、賃金主導型の復興が、消費支出を維持するために必要な家計債務の拡大と、また賃金抑制に基礎を置く新重商主義的政策と結びついたグローバルな問題を軽減することを示しています。その発見は、機能的な所得分配の「バランスを回復する」必要を示しています。賃金を優遇したこの「バランスの回復」は公正で持続可能な成長の本質的な要素であり、強固な政策調整を求めます。賃金主導型成長は、現在および将来の研究者ならびに政策担当者にとって有益な共通の枠組みを提供しています。  
 Palgrabe Macmillan社との共同出版であり、労働研究における進展シリーズの一部です。
 目次
  序論
  1 賃金主導型成長:概念、理論および政策
  2 賃金シェアーの低下の原因。機能的所得分配における決定要因の分析 
  3 総需要は賃金主導的か利潤主導的か? グローバルモデル。
  4 賃金主導型または利潤主導型供給。賃金、生産性および投資
  5 大不況とグローバル不均衡の原因としての所得不平等の役割
  6 金融化、金融・経済危機、および賃金主導型復興のための要件と潜在的可能性」

アベノミックスというお伽話し 物価と賃金との本当の関係

 アベノミックスが喧伝され、物価上昇が経済成長と賃金引き上げを実現するというお伽話を信じた人々が実にたくさんいたようです。マスメディアがこぞって提灯記事を書いたり放送したことも理由の一つでしょう。
 また物価を上昇させるためには、日銀が異次元の金融緩和策を取り、通貨を大量に発行すればよいという議論も喧伝されました。貨幣ユートピアも極まれりといった感じです。
 しかし、これらの化けのかわははがれています。
 何故なら、・・・

 今日のNHKニュースでも、企業、特に中小企業における賃金引き上げは難しいという内容の報道が行われていました。物価は(主に円安による輸入品価格の上昇によって)上がるけど、賃金(正確には貨幣賃金)による費用の増加を価格に転嫁することは難しいというわけです。
 しかし、まさにこれこそ本末転倒の議論に他なりません。
 何故なら、・・・

 本当はこうです。企業、特に中小企業が賃金を引き上げると、確かに人件費は増加します。しかし、人件費の増加は、勤労者の所得増加を意味します。そして勤労者の所得増加は消費支出の拡大を促し、次に消費財を生産している企業の投資意欲を促し、生産財に対する需要を促進します。こうして消費財と生産財の生産が拡大するので景気がよくなるのです。
 一方、人件費を拡大しなければならなかった企業、特に中小企業は、それを価格に転嫁しなければならなくなりますが、実際に需要量を減らさずに価格に転嫁できたとき、物価上昇が生じます。
 
 まさにこの点が現実の経済の理解にとって重要です。この点というのは、人件費等の増加を価格に転嫁することが可能な状態・環境にあるときに(輸入インフレではなく、国内的な需要増加要因による)物価上昇がはじめて可能となるという点です。そして、またその時に貨幣所得の増加と支出の増加によって景気がよくなるという点です。
 まさに経済政策の役割とは、そのような社会経済環境・状態を実現することだということができます。

 一般的な形で説明しましょう。
 いまある国の経済にA部門とB部門の2部門があるとします。A部門は労働生産性の上昇が大きい部門であり、例えば製造業や大企業によって代表されます。B部門は労働生産性の上昇が小さい(または生じない)部門であり、例えば農業や多くのサービス業、中小企業によって代表されます。
 いまA部門とB部門に例えば3%の労働生産性格差があるとしましょう。すると10年間では生産性格差は34%ほどになります。また20年間では84%にもなります。
 この時、物価(A部門の製品、B部門の製品)が変化しないとすると、B部門の生み出す貨幣所得はA部門の生み出す貨幣所得より大幅に少なくなります。貨幣賃金水準にも大きな差が生じます。
 このとき何が生じるでしょうか?

 価格調整です。もしB部門がその国にとって必要不可欠な産業であれば(もちろん、そのような場合が圧倒的です)、B部門が生き残るような価格調整が生じ、所得分配がなるべく平等になるようなメカニズムが作動して、実際にB部門の製品価格の引き上げが可能となります。さもなければ、B部門の利潤も賃金も(絶対的に減少しないとしても)A産業に比べて大幅に低下します。
 こうしてB部門の物価は例えば毎年3%増加し、経済全体では(例えば)2%の物価上昇が生じるということになるわけです。
 賢明な読者諸氏には簡単に理解していただけるように、価格調整は所得分配とも関係しており、現実の物価上昇は人々(大企業と中小企業、農業・製造業・サービス業、賃金所得者とその他の人々)の間の所得を平等化するか、それとも格差を拡大するのかという問題とも関係しています。

 ところがこのような価格調整メカニズムの意味も分からず、ただ単に中央銀行が通貨を大量に供給すれば、物価が上がり景気がよくなるという人は、そもそも金融の仕組みを理解していないばかりか、物価上昇と景気と関係も理解していないというしかありません。特に彼らは商品によって物価の上昇率が何故異なるのかを説明できません。せいぜい需要と供給によって変化するという高校の教科書程度の一般論を思い出すのが関の山です。

 物価は上昇するのに貨幣賃金の引き上げが許されないような状況に直面して、多くの人々はアベノミックスがまやかしであることに気づいてきます。

 ところが、・・・。今度はエコノミストなる人々があらわれ、景気回復が2、3年続けば賃金の引き上げも可能になる(つまり賃金は当面あがりません)と言い出す始末。何をかいわんや、です。

 このようなつまらない(また低水準な)議論は措いておき、もっとまともな議論を最後に紹介しましょう。
 ILO(国連)がいま世界的に有名な優れた経済学者の次のような優れた本を出版しています。そのまま和訳して紹介します。

 『賃金主導型成長:経済回復のための公正な戦略』
 Marc Lavoie and Engelbert Stockhammer (eds.)

 紹介文の大意は次の通りです。
 「この独創的で包括的な研究は、賃金シェアーの低下と所得分配の不平等の拡大に関して原因と結果を研究し、それらが総需要と労働生産性の両者に関係していることを示している。それは変化する所得分配の経済的原因と潜在的な影響に関する新しい実証的および計量経済学的証拠を提示する。」
 
http://www.ilo.org/global/publications/ilo-bookstore/order-online/books/WCMS_218886/lang--en/index.htm

 ちかじかこの本の内容を紹介したいと思っています。





2014年2月18日火曜日

ユーロ圏の危機 11 欧州の、欧州による、ドイツ人のための統合?

 このようなタイトルを付けたからといって、私は決してドイツ人を非難しようとしているのではありません。
 ドイツ人は勤勉・堅実であり(貯蓄性向が高く)、規律を重んじます(別の表現では、団体・コルポラツィオーン、Korporation の精神に富んでいます)。比喩的に言えば、ドイツはイソップ寓話における勤労意欲に満ちた蟻であり、彼らから見れば、フランス人を含む南欧人は遊び好きなキリギリスのように見えるのかもしれません。
 しかし、もしそうだとしたら、蟻とキリギリスたちが家計(財政)は別々にしたまま家連合をつくろうとするのがそもそも無理だったというべきです。もっとも蟻の世界でも家の内情は少し複雑で、金融と輸出産業部門を管理している家長(Herr im Hause)蟻が優遇され、働き手(Arbeiter)蟻が少し冷遇されている様子も垣間見え、それが世論調査結果にも現れています。

 前置きはそれくらいにして、米国のPew Research Center の世論調査結果(昨年10月公表)を見ておきましょう。


 欧州プロジェクトに対する低い支持率


出典)最後に示してあります。(以下同様。)

 欧州統合の評価さらに低下



 経済統合は経済を強化したか?
 これに対して、半数を超えているのはドイツだけであり、イタリア、ギリシャ、フランスの支持率の極端な低さが目立ちます。
 2012年から2013年にかけて評価はいっそう低下しました。


 ドイツと異なるフランスの暗いムード


 フランス:悪い経済状況 91%、EUに否定的 58%。
 ドイツ:悪い経済状況 25 %、EUに否定的35%。
 隣国でありながら、これほどの相違が生まれています。


 異なった大陸に住むドイツ人


 自国の経済状態、自国の指導者の評価、EU統合の評価、その帰結の評価といった各項目について、肯定的な意見が多いのはドイツのみ。その他の国の平均値はおしなべてかなり低い水準にあります。
 ドイツ人は同じヨーロッパ大陸に住んでいるのだろうか、という疑問が出てくる程の相違です。


 現在、克服するべき最重要課題は何か?


 ドイツ以外の国:失業(51〜72%)。以下は政府債務、所得格差、インフレの順
 ドイツ:所得格差(42%)。以下は、失業、政府債務。

 ただし、実際にユーロ圏の存否を問われると、解体派は少数になります。それは昨年のギリシャの選挙でも同様でした。
 つまり、ユーロ圏にとどまるも地獄、しかしユーロ圏から離脱するも地獄という現実はよく理解されていると考えられます。
 経済統合に対する低い評価にもかかららず、自国通貨に戻るべきであるという意見は、フランスでも37%に過ぎず、逆に存続派は63%に達しています。むしろ意外なのはドイツでもユーロ圏を離脱し、自国通貨に戻るべきという意見が3分の2(32%)に達していることです。

 ユーロ圏の存続に関する意見



Pew Research Center のサイトより
     http://www.pewglobal.org/2013/05/13/the-new-sick-man-of-europe-the-european-union/







ユーロ圏の危機 10 ユーロは存続可能か? 国民の分断の危機

 現在、ユーロ圏諸国が直面している課題は一つではありません。
 その一つは、EU債務危機(金融危機、財政危機)およびそれと密接に関連している経済危機(不況、失業)を如何に克服するかという問題です。もう一つの大きな問題はユーロ圏の存続可能性の如何にあります。仮に当面の経済危機を解決できたとしても、その背景にある単一通貨のもたらす問題がなくなるわけではありません。
 そもそも単一通貨圏の創設が、中心国と周辺国との不均衡という特異な経済関係を生み出し、それが資産バブルのメカニズムを通じて問題を増長させていたのです。もう一度要約しましょう。一方で、マーストリヒトとSGPは、ユーロ圏の経済を停滞させます。勤労所得は増えなくなり、同時に失業率が上昇しました。しかし、他方で、中心国(ドイツ)は、輸出主導型の成長レジームを通じて周辺国に対する輸出超過を実現し、周辺国は自国の人々が生産する以上に消費(輸入超過)しました。この貿易差額は中心国からの国際資金移動によってまかなわれました。中心国は債権国となり、周辺国は債務国になりました。そして、この膨大な流入資金は、主に周辺国(スペイン、ポルトガル、アイルランド、ギリシャ等)に資産バブルを引き起こしました。そして、まず21世紀初頭に最初の金融危機が生じ、次に2007年以降に二度目の金融危機が生じました。

 さて、ユーロ圏の将来についてですが、まず (1) それを解体したり、一部の国がそこから離脱するとういシナリオが考えられます。しかし、それは大きな痛みなしに実現できるわけではありません。例えばギリシャのような周辺国がユーロから離脱すれば、新通貨(新ドラクマ)は、ユーロ(€)に対して大幅に減価することを免れません。しかし、それは一方でギリシャの輸出をどれほど促進するかは不明ですが、他方で輸入品の価格を大幅に上昇させることは間違いありません。人々がインフレーションの中で生活水準を低下させる危険性があります。
 もう一つは、(2) ユーロ圏を維持し、そこに残るという選択肢です。しかし、それも大きな問題を残すことを意味します。もしこれまで指摘してきたような状態があまり変らなければ、マーストリヒト条約と安定成長協定の制約が参加国全体を、しかし特に周辺国を苦しめることになるでしょう。

 ヨーロッパ銀行の外国に対する請求権(資産)

 ユーロシステムの金融状態(ECBの総資産)

 EURO12の成長寄与度

 さて、いま差し当たりユーロ圏が存続すると仮定しましょう。その場合でも、上にあげた(1)の問題がユーロ圏諸国を悩ましていることに注意しなければなりません。
 一番上のグラフ(ECBの統計による)は、ヨーロッパの(市中)銀行の対外請求権の総額(残高)を示していますが、2008年の9月以降、銀行貸付(F)を中心に現在まで縮小しつづけています。これは、2008年まで貸付を増やしていた多くの銀行が債務危機の中で現在にいたるまで返済を続けていることを意味します。
 これにヨーロッパ中央銀行システムは、低金利政策や量的緩和政策を通じて市中銀行に対する貸付額(総資産)を増やしてきました。特に2011年から12年にかけてその総額は急激に増加しています。しかし、緩和政策による市中銀行に対する資金供給拡大がすぐに市中銀行の貸付額を拡大したり「通貨供給」を増やすわけではありません。また仮に通貨供給が増えたとしても、それがGDPを増加させる効果は疑問です。実際、2006年から2013年までに、ユーロ圏、米国、英国および日本における貨幣の流通速度(M2/名目GDP)は、約2.05〜1.6以下に低下しています。フリードマン流のマネタリズムは、この点でも破綻しているのです。

 しかも、史上稀な緊急的な財政金融政策によって2010年に2%のプラス成長にまで回復したユーロ圏経済ですが、2012年、2013年には緊縮財政(およびECBによる量的緩和の縮小を加えてもよいでしょう)によってふたたびマイナス成長に転じ、それに応じて失業率も上昇しました。寄与度を見ると、この2年間は消費(民間消費+公的消費)も投資もマイナスになっています。

 これに対して多くの人々が不安を感じ、ユーロに反発するのは当然です。
 明石和博氏の『ヨーロッパがわかる 起源から統合への道のり』(岩波ジュニア新書)でも紹介されていますが、いまヨーロッパではEUに対して否定的な世論が強まっています。おそらくユーロに対する支持が強いのは、中心国のドイツくらいでしょう。注目されるのは、特にフランスの世論の急変(支持の大幅低下)です。
 世論調査では、また (1) ドイツと南欧とで欧州統合に関する評価がまったく異なり、後者では著しく低いこと、(2) 最大の経済問題が失業にあること、(3) その他に欧州統合のための政策(富裕者優遇政策)によって経済格差が著しく拡大したと多くの人が考えていることが明かにされています。(これについては、機会を見て紹介したいと思います。)

  Polsters Ifopの世論調査結果(2013年10月)

 選挙でもこの傾向は明白に現れています。
 フランスでは、昨年10月に南東部のヴァール県ブリニョールの地方議会補選で、ルペン氏の創設した極右政党の国民戦線(FN)が決戦投票で中道右派の国民運動連合(UMP)の候補を破って当選しました。得票率は54%でした。2012年の大統領選挙で政権についた社会党(フランソワ・オランド)がFNの勝利を恐れて、UMPの候補を支持したにもかかわらずです.
 しかし、それを単純にフランス国民が外国人排外主義的な運動に共鳴したと見ることはできません。E・トッド氏も述べていますが、国民のうちエリート(社会上昇の20%)が盲目的に(つまり「単一思考」「ゼロ思考」「貨幣ユートピア」から)「マーストリヒト」に賛成し、社会党でさえその動きに合流しているとき、それに反対するためには、共産党でなければ、FNに投票するしかありません。事実、勝利した候補(Laurent Lopez、48歳)は、党首のルペン氏の本来の意図とはかなりかけ離れた言葉「本当の社会党員はFNだ」を語っていました。
  またこの地方選挙ののちPolsters Ifop the Institut Français pollster for France’s Le Nouvel Observateur)の実施した世論調査では、今年5月に実施されるヨーロッパ選挙でFNはUMPと社会党を引き離して25%の得票を得るという予想を明らかにしました。これについて、FNの書記長(Steeve Briosis)は、それを「前例のない地震」と呼び、「抑圧的な欧州連合のウルトラ自由主義デモル」を党が批判してきたことを有権者が支持している証拠だと述べたといいます。 いまユーロ圏では、中心国と周辺国の間に分断が生じ、また各国の内部でも「マーストリヒト」を推進する20%のエリートとそれに反対する大衆とに分断されはじめています。これはきわめて危険な状態というしかありません。
 ユーロが存続するためには、こうした分断をなくす努力が必要です。そのためには、ドイツ側の態度の変化(支援と連帯)が必要です。しかし、それは可能でしょうか? ドイツの知識人の中にはそれを説く人もいますが、少なくともドイツ国民はそれを嫌っています。「何故われわれがギリシャなど支援しなければならないのか?」
 
 



2014年2月17日月曜日

ユーロ圏の危機 9 資産バブルの発生と崩壊

 資産バブル(asset bubble)は、何故、どのような時に、どのようにして生じるのでしょうか?
 私の意見では、人々の貨幣信仰(貨幣的ユートピア信仰)が始まるときに資産バブルにとって絶好の環境が生まれます。資産バブルとは、資産価格の上昇を意味しますが、それはキャピタル・ゲイン(資産の売買差益)を求める行為、つまりは貨幣を増殖させるという行為、聖書が厳しく非難した貨幣信仰、「黄金の子牛」の崇拝、「貨幣愛」(love of money)から生まれる結果に他なりません。
 それでは、どのような時、貨幣信仰は生まれるのでしょうか? それは人々を捉えていた他の事象に対する熱狂や情熱、信仰が冷めるときです。
 例えば16世紀のルターとカルヴァンによる宗教改革は、福音主義と予定説という新しい教えを広め、人々の間に宗教的情熱をかき立てましたが、17世紀から18世紀にはそのような熱狂は冷めてしまいました。プロテスタンティズムの運動は危機に陥り、イギリス(イングランド)でも予定説を否定して人間の自由意思を強調するアルミニウス派が現れます。バブル事件として歴史上名高い「南洋泡沫会社事件」は1710年の出来事でした。
 日本でも高度成長時代が終わり、人々が1970年代の一連の混乱を経験した後、1980年代に資産バブルが始まりました。ヨーロッパでも、黄金時代の終焉は人々に対して貨幣信仰への道を整備したと考えられます。石油危機、成長率の低下と経済停滞、インフレーションの後進、失業率の上昇、そして1979年代末から始まる反インフレのマネタリズム政策、新自由主義の政策による勤労所得の停滞、高失業は、人々の貨幣愛を強め、貯蓄性向を高めました。
 もちろん、資産バブルの発生に対して果たしたいわゆる経済的要因、例えば中央銀行による政策金利の引下げ、巨大企業の内部資金余剰と銀行離れ、金融自由化、金融革新などの一連の事情を無視するつもりはありません。しかし、それらの事情だけでは資産バブルを結果しないのではないでしょうか。

 さて、20世紀末から21世紀初頭のユーロ圏における状況は、資産バブル形成のための土壌を準備するという点で、こうした一般論によく適合しているように思います。
 先に触れた1980年代までの経過に加えて、1990年代以降のマーストリヒト条約、安定成長協定に起因する停滞と高失業、ポスト・ソビエト後の興奮からの覚醒、米国のITバブルの崩壊による景気後退、途上国との厳しい競争(および労働条件の低下。少なくとも国債競争を勝ち抜くために賃金の引下げが必要だという言説)、少子高齢化等々、数え上げればきりがなありません。
 さらにECB(トリシェ総裁)の金融政策がそれに加わります。つまり、21世紀初頭の金融危機のためにヨーロッパの物価上昇率(ただし実際上はドイツの物価上昇率であることに注意!)が 2 %を割り込み、緩和的な金融政策が採用されましたた。
 周知のように、フリードマンに由来するマネタリズムは、基本的に資金需要が商品流通を媒介するために生じると考えています。しかし、市中銀行に対する資金需要は、資産取引からも生じます。実際、1927年の米国(景気後退に喘ぐ英仏による低金利据え置きの要請)、1985年の円高不況に際しての日本の政策金利の引下げ、1987年の低金利維持(株価暴落を恐れた米国からの金利据え置き要求)のように、低金利政策がバブルを生みだしたり、亢進したりする例はいくつも知られています。

 ところで、資産インフレーションは、商品価格の上昇とは異なったメカニズムを持っています。つまり商品価格の上昇は、それを生産するのに必要な諸要素のための支出(つまり費用)の増加を伴っていますが、資産バブルは異なります。土地や株式などの金融資産は(流通費は必要ですが)生産費を必要としません。したがって、本質的にいって、その価格は人々の期待にもとづいており、価格が上昇すると多くの人々が期待(推測, speculate)すれば、多量の資金が資産市場に投入され、資産価格は上昇します。そして資産価格が上昇すれば、さらに多くの人がキャピタル・ゲインの取得を目的としてより高い値段でも購入しようとするでしょう。それは原因が結果を生み出し、結果が原因となるような累積的な過程を生みます。もちろん、人が資産を以前より高い相場で買うのは、後で別の人がより高く買うだろうという期待があるからです。つまり「あと馬鹿」(the greater fool)がいるだろうという想定からです。しかし、資産バブルは、バブルである限り、いつかは崩壊します。そして、バブル崩壊時に資産を保有している者が「最後の馬鹿」(the final fool)になります。そのような者は資産価格の暴落の中でキャピタル・ロスを蒙り、もし彼/彼女がレバレッジを用いていたならば(つまり銀行等から借金して資産を購入していたならば)、金融機関に利払い不能や返済不能な負債を負うことになり、逆に金融機関は不良債権を抱え込むことになります。

 どんな時代でも、こうした資産バブルと金融危機の基本構造はほぼ同じです。ただし、その具体的な様相は金融技術の進展によって変化します。この点で、現在のバブルについて注意しなければならないのは次の点です。
 ・人々は資産取引に伴うリスクを考えないわけではありません。むしろそれを最小限度にとどめようとするでしょう。しかし、リスクはなくなるわけではありません。
 例えば保険会社の開発したCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)なる金融商品は、リスクを回避するために開発された金融商品でした。本来、これは人が購入した金融商品(株式や社債、MBS・不動産抵当証券など)がデフォルトに陥ったとき、その損失を保険会社が保証する(「プロテクトを与える」)ものでした。しかし、CDSは、金融資産を保有していない人も購入できる(!)商品となりました。この場合、人は保険料の支払を避け、プロテクトを受けるためにむしろデフォルトを期待するよううなるでしょう。いずれにせよ、大量の資産について価格が暴落した場合、保険会社は応じることのできないような巨額の支払いを求められ破産の危険に瀕します。
 ・短期金融の一手法として知られる「レポ取引」(repo transactions)もリスクを免れることはできません。この取引は、住宅バブル期の米国で広範に普及していたものであり、米国ほどではないとしても、ヨーロッパでも大きな役割を演じました。
 この取引では、例えば「陰の銀行」(shadow banks)は、投資家からキャッシュを提供される見返りに、買い戻し(repurchase)条件付きで担保(国債、社債、MBS、場合によっては株式など)を与えます。これによって仮に陰の銀行が破産しても、投資家は担保を売却してリスクを回避できます。その際、もし€100の担保価値に対して貸し付けられる金額が€90であれば、「ヘアーカット(haircut,  欠け目)は10%である」といったことが行われていました。しかし、この場合、リスクが高ければ、投資家はより多くのヘアーカット率を求めるでしょう。そして実際に金融不安が亢進して資産価格が低下するリスクが高まるにつれてヘアカット率は次第に上昇し、最終的には投資家はどんなにヘアーカットが高くなっても資金供給を行わなくなります。陰の銀行の多くはこのレポ取引によって短期資金を集め、長期貸し(有価証券の購入等)を行っているのですから、レポ取引の縮小は一種の「取り付け」(runs)に他なりません。それはそのような金融技術に依存していた金融機関の綻を結果します。しかも、「陰の銀行」だけでなく、そのスポンサーであった(商業)銀行も大きな損害を蒙ることになります。

 ここでは、金融上の複雑な連関を詳しく描くことはできませんが、さしあたり次の点だけは指摘しておきたいと思います。
 ・2003年から2006年頃にかけてユーロ圏内では、特にドイツの投資家・金融機関が周辺国に巨額の貸付を行っており、しかも、その借り手は主に民間部門(企業および家計)でした。この時点では、政府は主要な借り手ではなく、むしろ(ギリシャを除き)債務を減らしています。(ここでは、ブログの文字数制限の関係で統計資料は省略します。)
 ・こうした家計の負債は、ユーロ圏内でも米国のケースと同様に、住宅バブルの亢進と並行して拡大しました。住宅価格の上昇が各国でどのように進行したかを、下の図から確認してください。ただし、米国の住宅バブルが2006年に頂点に達し、2007年に最初の金融危機の徴候(レポ取引などの「取り付け」(runs)が始まるのに対して、ヨーロッパの住宅バブルは、国によって多少の相違はありますが、2007、08年頃まで持続しました。


 出典)The Economist, http://www.economist.com/blogs/dailychart/2011/11/global-house-prices
                をもとに作成。(国名挿入。)
 

 ・価格が上昇したのは、住宅だけではありません。株価も1990年代に急上昇し、21世紀初頭にいったん暴落したのち、2003年頃から2007年にかけてふたたび急上昇していました。(上図参照。)

 このようにユーロ圏内でも資産バブルが発生していたことは明らかです。
 しかし、多くの人にとって、ユーロ危機は米国の金融危機と連動して生じたように見えたかもしれません。実際、ヨーロッパ諸国の人々(銀行や投資家)は、一方では米国の短期資金を受け入れながら、米国に長期資金を供給していましたが、その米国でサブプライム住宅ローンの破綻し、資金供給が突然減少したのですから、ヨーロッパの金融機関がショックを受けることは、ある意味では当然でした。まず2007年8月に表面化した米国の住宅ローン破綻による銀行危機(BNPパリバ銀行の破綻など)がヨーロッパを襲い、次に2008年9月の「リーマン・ショック」がヨーロッパにも大きなショックを与えました。この間にヨーロッパ諸国の資産バブルも崩壊します。
 2008年にはヨーロッパ諸国の金融危機は、誰の眼にも明らかになります。そして、まさにこの危機の中で政府の財政赤字が拡大しました。言うまでもなく、金融危機のもたらした景気後退によって歳入が減少する一方で、歳出は増加しました。ヨーロッパ諸国、特に周辺諸国の財政赤字(対GDP比)は、1990年代初頭における規模(比率)をはるかに超えるに至ります。政府の粗負債(対GDP)も2008年以降に急速に拡大します。
 ある意味では、この政府粗負債の増加は、2007年以降の民間(企業、家計)の債務の縮小を代替するものだったと言えます。
 ところで、このとき周辺国の発行する国債を購入したのは、ドイツ等中心国の金融機関でした。金融危機の初期の段階では、その後のソブリン危機(財政危機)の深刻さは理解されていなかったということができます。しかし、2009年以降に長期金利が上昇し、国債金利が上昇するにつれて、しだいに財政不安の火種が大きくなります。特に2009年10月に新たに発足したギリシャのパパンドレウ政権(社会主義運動、PASOK)が前政権の財政赤字の偽りを報告するや、金融危機はソブリン危機(国家財政危機)にまで発展します。このとき、ユーロ圏の周辺国の場合、国債のかなりの部分が外国(ドイツやフランス)の金融機関や投資家によって保有されるようになっていたことが大きな問題となってきます。




 しばしば財政赤字(および政府粗負債)が拡大すると、それを減らすために緊縮財政政策、つまり一方では増税し、他方では支出を削減すればよいという意見が出てきます。しかし、実は、このような緊縮政策は大きな問題をはらんでいます。というのは、それが一方で国民の可処分所得の低下を通じて有効需要を減らし、他方では政府支出も減らすため、実体経済を毀損するからです。それは景気を悪化させ、かつ財政収入のいっそう低下をもたらすことになります。実際、2012年以降にヨーロッパ規模で実施された緊縮政策は、そのことを事実をもって示しています。

 人はヨーロッパ債務危機から何を教訓として学ぶべきでしょうか。一つは、金融自由化がマネーゲーム(カジノ資本主義)をもたらし、実体経済を混乱に陥れている事実をあげることができるでしょう。金融資本主義または金融主導型成長体制の怖さと言い換えることもできます。
 しかし、それとともに単一通貨圏の形成、マーストリヒト条約、安定成長協定自体が大きな問題をなげかけていると私は考えます。多様なヨーロッパ諸国を「単一通貨圏」にまとめあげるためには必要な前提条件があります。それなしに暴走してきたというのが、この20年間のヨーロッパではなかったでしょうか?
 
 そこで、私たちは、金融危機の分析というやりがいのない仕事をひとまず措いて、単一通貨圏を構築するためにはどのような条件が必要かという点を再度検討したいと思います。そのような条件が構築されない限りユーロ圏は最終的に崩壊するしかないでしょう。


 

2014年2月15日土曜日

ユーロ圏の危機 8 貨幣的ユートピアとマネタリズムの作用

 ユーロ圏の債務危機、あるいはユーロ自体の存続の危機は、1990年前後からヨーロッパ諸国が追求してきた「貨幣的ユートピア」とそれを支えたマネタリズムに由来します。そのことを以下に示したいと思います。議論に際しては、欧米のいくつかの論文(Levy Economics Institute, Working Paper, The Journal of Post Keynesian Economics, The Cambridge Journal of Economics などに掲載)に依拠しているところが多々ありますが、それらの紹介は後に回します。
 トッド氏(E. Todd, 1999)が冷静に観察していたように、ヨーロッパでは多くの国の指導者たちがあたかもレミング(ネズミ)のように1990年前後から単一(ユーロ)通貨圏の創設の方向にいっせいに疾駆しはじめました。それらの国では(日本でも?)、それに疑問を呈することは変人であるかように見られていたと言ってもよいでしょう。イタリアでは「オリーブの木」(旧イタリア共産党)でさえその流れに合流しました。もちろん、イギリスのようにそれに対して冷ややかな態度をとっていた国もありましたが、・・・。しかし、貨幣的ユートピアはいま風前のともしびといってよい状態にあります。その理由は、・・・

 最初に述べたように、単一通貨圏の創設前には、参加国の社会経済状態は多様であり、インフレ率、金利、国際収支、産業構造、貯蓄性向などなど、どれをとって見ても大きく異なっていました。ところが、貨幣的ユートピアは、まずは表面上に過ぎないにせよ、そうした状況を一変させます。


   出典)Ameco on line database. (以下、特に断りのない限り同様。)

 上図は、消費者物価指数(1999年=100)の推移を示しますが、ここからいくつかのことが読み取れます。
 ・中心国(ここではドイツのみを示した)では、最も物価が安定しており、インフレ率が低い。ただし、前に言及したように、1990年〜1993年には東西ドイツ統一直後の好況時にインフレ率が上昇し、これに対してブンデスバンクが過剰に対応し、ヨーロッパ全体の景気後退をもたらしたことも指摘した通りである。
 ・一方、トレンドを見ると、1990年代の後半にインフレ率がしだいに低下していたことが読み取れる。
 ・しかし、全期間を通じて、フランス、イタリア、ポルトガル、スペイン、ギリシャのインフレ率はドイツを超えている。このようにインフレ率は一つの率に収束したわけではない。
 


 ところが、そうした差異にもかかわらず、通貨統合とともに金利政策は一元化され、1999年以降(ギリシャは2001年以降)短期金利(名目)のスプレッド(金利差)はなくなっています(上図)。もちろん、実質短期金利のスプレッドは存在しましたが、それは当然ながら物価水準を反映するものとなっていました。
 また長期金利(名目、実質)のスプレッドも大幅に縮小しました。これは、一部は統一的な金融政策が行われることによりますが、一部は、しばしば主張されるように、ユーロの導入までは存在した為替リスクがなくなったことによります。


 しかも、ここで次の点が注目されます。それは、1997年以降、中心国ドイツより、むしろフランスや周辺国(ギリシャ、スペイン、ポルトガル、イタリアなど)の実質長期金利が低下していることです(上図)。
 これは奇妙な事態といわなければなりません。が、(下図に示すように)名目長期金利のスプレッドがきわめて小さくなっているのですから、物価上昇率(インフレ率)の差によってもたらされたことは間違いありません。
  

 要約しましょう。きわめて注目されることに、単一通貨の導入の前後から、ユーロ圏では次の2つの傾向が明確になっていました。
 ・中心国(ドイツなど)では、以前同様、相対的に物価が安定しており、インフレ率は低かった。それに対して周辺国では、リフレ傾向が見られたとはいえ、相対的にインフレ率は高い水準にあった。こうした中心と周辺の対比は、ずっと以前から見られたものであり、それは基本的には、単位労働費用の相対的な動きによって説明される。後で示すように、単位労働費用はドイツでは抑制され続けており、逆に周辺国では相対的に上昇していたのである。(フランスは中間的に位置にいたが、ここではフランス問題は省略する。)
 したがって、ユーロ圏では、参加国相互間の「名目」為替相場に変化はなかったということはできますが、「実質」為替相場は大きく変化していたということになります。(下図参照。)ドイツ・ユーロ(このような名称はないと思いますが、あえて使います)が減価し、ドイツの輸出業者の「競争力」が増していることがこの図から明らかになります。一方、「周辺国・ユーロ」は増価し、輸出競争力を下げています。
 

 注)Euro15全体に対する「実質実効為替相場」を示します。

 ・一方、金利(長期、実質)は急速に低下しつつあり、特に周辺国でそうした低下は劇的であった。
 
 単一通貨圏が形成され、為替調整がなくなった世界でこのようなことが生じた場合に、どのような事態が想定されるでしょうか? もちろん次のようなことです。
 ・中心国(ドイツ、オランダ、ベルギー、オーストリアなど)から周辺国(かつてPIIGSと呼ばれた地域)への輸出の拡大。これは貿易収支の大きな不均衡をもたらす可能性がある。
 ・中心国から周辺国への国際資本フロー。金利の低下は、周辺国側の資金需要を拡大すると同時に、中心国側から周辺国への資金供給意欲を拡大する。その理由は、為替リスクの消失の条件下で、長期金利(名目)が相対的に高いことにある。これは中心国の債権国化と周辺国の債務国化を予測させる。

 実際、この予想は実現しました。1999年〜2006年という短期間に中心国と周辺国の実体経済に大きな変化など生じていないにもかかわらず、また両地域間の所得格差など縮小していないのに、貿易取引と国際資本フローは拡大しました。

 さて、こうした事態は、周辺国側の貿易収支の大幅赤字および債務国化という帰結を伴っていました。もちろん、経済学部の学生たちが国際(開放)マクロ経済学で学ぶように、理論上、貿易収支赤字(経常収支赤字)は資本収支の黒字を意味します。貿易収支赤字の国は、その額(例えば1000単位)を資本輸入によって埋め合わせなければなりません。
          XーM=SーI <0
 この式は恒等式であると理解されており、おそらく「均衡においては」または「事後的には」そうでしょう。しかし、この式はまた国際均衡が成立するためには、そうあらねばならないということを意味します。だから、実際には、1997年の東アジアや1998年のロシアのように、経常収支の赤字を抱えている国が資本逃避に見舞われるや、通貨価値の劇的な低下や金融危機を起こすことになります。
 ただし、ユーロ圏の場合、東アジアやロシアの場合と異なって、何しろ統一通貨なのですから、通貨安という形の通貨調整は生じません。しかし、債務危機が生じ、統一通貨圏を破壊する力を持つということはありえます。
 不均衡の拡大はいつの日か維持できなくなります。ユーロ危機は起こるべくして起きたということができます。要するに人々は、貨幣的ユーロピアの甘い夢を見ていたに過ぎません。
 
 しかし、少し先走りしたかもしれません。ユーロ危機について述べる前に、1999年〜2006年にこうした大きな不均衡が何故ユーロ圏で生じたのかをもう少し詳しく検討しなければならないように思います。そして、そのためにはEU全体で生じた資産バブルに触れる必要があります。

2014年2月13日木曜日

ユーロ圏の危機 7 ユーロ不均衡(Euro-imbalance)

 現在ユーロ圏で生じている経済危機は、一言で表現すれば、人口もきわめて大きく、産業・貿易構造も技術水準・所得水準も宗教・文化・言語・家族形態も異なる多様な国・地域が一つの「通貨圏」(currency area)を生み出したことに起因していると、私は考えています。
 もとより、多様だから単一通貨圏への統合が不可能だと最初からアプリオリに断定するわけではありません。しかし、様々な困難があると思うようになりました。その一つは貨幣ユートピアの幻想です。単一通貨が発明される前は、それらの国・地域間には大きな不均衡(imbalance)があり、そこから生じる問題が様々な方法による調整(adjustment)によって解決されてきました。そのような調整手段の一つは為替調整です。前々回も書きましたが、ドイツとフランスの経済には大きな制度的相違が存在しました。そして、それらの体質を異にする経済間の調整において大きな役割を演じていたのが為替相場です。ところが、単一通貨の導入はそのような調整の可能性をほぼ完全に廃止しました。
 もしかすると「それでいいではないか」と考える人がいるかもしれません。確かに調整を必要とするような本質的な「不均衡」を解消するような別の仕組みがあるならば、問題はないと言ってよいでしょう。しかし、ユーロ圏という単一通貨圏の創設は果たして問題となる不均衡をなくしていたのでしょうか?
 決してそうではありません。
 大きな不均衡が少なくとも2つ存在していました。
 一つは、中心国・周辺国を問わず、それぞれの国内における不均衡の存在・拡大です。これは、特にマーストリヒト条約や安定成長協定(SGP)によってもたらされたものであり、端的に言って、きわめて賃金の圧縮圧力の強化という事実に示されます。もう一つは、(core)と周辺国(periphery)の国内経済的、および国際経済的(例えば国際収支上の)不均衡の拡大です。
 しかも、これらの2つは相互に関係しあっていました。

 1 ケインズ・カレツキ問題
 これらの不均衡問題については、すでに触れましたが、いま一度簡単に要約しておきたいと思います。
 まず、現在のグローバル化した経済の下では、しばしば賃金に対する執拗な圧縮圧力がかかります。そして、その際、グローバル化の条件下における激しい競争(特に途上国の低賃金労働に由来する競争)を勝ち抜くためには、労働条件(賃金など)を引き下げなければならないという大合唱のような言説がそれを正当化します。人々は「底辺への競争」(race to the bottom)を強いられます。特に失業率が高くなると、労働者は交渉力を大幅に低下させ、巨大企業のいいなりになるしかありません(「君の代わりはいくらでもいるのだよ。」)。実際には、利潤とその分配分(経営者報酬、配当など)は増えているのですから、労働生産性に応じて賃金を引き上げることも可能なのですが、時流に乗じるエコノミスト諸氏は決してそれを認めません。また商品の価格は、賃金だけで決まるわけではなく、利潤、労働生産性、為替相場によっても左右されますが、巨大企業の利益をおもんぱかる御用学者はそれを意図的に隠します。
 しかし、貨幣賃金が引き下げられたからといって、雇用が増えるわけではありません。むしろ「合成の誤謬」(fallacy of composition)が作用します。つまり、実際には、企業は雇用を増やすために賃金を引き下げるわけではありませんので、社会全体の企業が賃金を引下げると、総賃金所得が低下し、そこからの消費支出総額も、人々の消費性向も低下します。その結果、企業も投資意欲を失い、経済全体が停滞します。
 これは、マルクス・ケインズ・カレツキといった優れた経済学者の見解から導かれる見解であり、悪名高い「セイ法則」(「供給は必ずそれ自らの需要を生み出す」という供給側の経済学)の誤りを暴露するものでもあります。ところが、1970年代の混乱の中から「セイ法則」(宇宙論における地動説ともいうべきもの)が復活してしまいました。
 さらにドイツの中央銀行(ブンデスバンク)の伝統的な反インフレ的・マネタリスト的金融引締め政策がECB(ヨーロッパ中央銀行)に引き継がれ、1990年代以降、こうした傾向が強化されてきました。(こうしたブンデスバンクの政策は、輸出主導型のレジームと親和的だったことも指摘した通りです。またそれが景気を悪化させ、ヨーロッパの失業率を高めたことも既に述べた通りです。)
 2 新重商主義=「近隣窮乏化政策」の推進力
 ところが、まさにこのように、国内需要が停滞し、景気が後退し、失業率が上昇すると、外需(輸出)によって事態を打開しようとする思想・政策が生まれてきます。たしかに開放マクロ経済学における均衡式 Y=C+I+G+(XーM)が示すように、B=XーMが純外需(Xが外需、Mが需要のもれ)であることは言うまでもありません。そこで、内需(C、I、)が不振であり、政府も支出(G)に消極的なとき、外需(B=XーM)を出来るだけ増やそうという発想が生まれてくるのは理解できないことではありません。
 しかし、用心しなければなりません。このような場合、<輸出を増やすためには、国際競争力をつけなければならず、そのためには人件費を削減しなければならない>というおなじみの議論が繰り返し出てくるからです。
 このような議論は、昔からよくある型の議論で、「新重商主義」(Neo-mercantilism)と呼ばれたり、「近隣窮乏政策」(beggar-thy-neighbour)と呼ばれたりしてしました。アダム・スミスが批判の対象としたのが、このような思想の一種、国内需要が狭小だった18世紀以前の「貿易差額主義」・「重商主義」だったということは経済学史の初歩的な知識です。ケインズも、『一般理論』(1936年)の最後の章で、それに言及し、本質的にはそれこそが世界市場をめぐる諸列強間の対立・紛争を生み出し、最終的に世界大戦の根本原因となったことを喝破しました。(彼は、アダム・スミスの批判した重商主義ではなく、自由貿易主義的な重商主義を批判したのです。)

 こうした「新重商主義」「近隣窮乏化政策」の問題性・誤謬は、次のことからも明らかになります。
 ・すべての国が同時に国際収支の黒字国になることはできません。簡単のために2国で説明すると、例えばA国とB国の2国間の貿易取引で、一方の黒字は必ず他方の黒字を意味しますす。世界全体の輸出が世界全体の輸入に等しく、全世界の国際収支がゼロとなることから考えても、一方の黒字が他方の赤字をもたらすことは当然の結論です。(借りる人がいないのに貸すことができないのと同じ理屈です。)
 ・ところが、次のように考える人がいるかもしれません。そうだとしても、われわれは「勝者」(勝者という理由は不明ですが、往々にして、国際収支の黒字国がそのように考えられます)になるべきであり、「敗者」(赤字国)になってはならない、と。
 しかし、これも決して正しい見解とは言えません。というのは、国際収支の不均衡は、必ず大きな問題をもたらすからです。例えば国際収支(貿易収支や経常収支)の赤字国は、理論上、巨額の負債を抱えることになりますが、それは必ず通貨危機・金融危機を導きます。その事例は枚挙にいとまありません。1992〜93年のヨーロッパ通貨危機、1997年のアジア危機、1998年のロシア危機、2006〜07年の米国の金融危機、ラテン・アメリカの一連の通貨・金融危機(*)をあげれば十分でしょう。

 (*)いまA国のB国に対する貿易収支(純輸出)が黒字(1,000単位)であるとします。これはA国が(例えば)B国に2000単位を輸出し、B国から1,000単位を輸入するといった取引から生じます。
 この差額がどのような意味を持つかを検討するために、A国が10,000単位を生産・販売し、それに等しい所得を得ていると仮定します。
 この例では、A国の人々は、10,000単位を生産しているのに、9,000単位しか消費していないことになります。せっかく10,000単位を生産したのに、そのうちの1,000単位は自国民ではなく、他国(B国)の人々の消費のために生産していることになります。
 逆にB国の人は、(例えば)8,000単位しか生産・販売しておらず、所得も8,000単位しかないのに、9,000単位を消費していることになります。
 この差額1,000単位は一体どこから来たのでしょうか?
 その答えは簡単です。A国の人々(個人、企業、または政府)が貯蓄し、B国の人々(個人、企業、政府)がその貯蓄を借りたことを意味します。つまり、A国の人々は、B国の人々から借金をして、そのお金でモノを余分に購入していることになるのです。逆にA国の人は、B国にお金を貸し、そのお金でA国の生産物を購入してもらることになります。
 たしかに人々(家計、企業、政府など)の負債がすべて危険だというわけではありません。しかし、負債が膨張し、返済不能な額が増加したとき、あるいは債務者が実は信頼されない人々であることがわったとき、つまり当該金融が利子も元金も返済不能ないかさまな「ポンツィ金融」だったことがわかったとき、それらは金融危機という悲惨な結果をもたらすことになります。(アメリカでは、金融債やレポ金融という、一見したところ保証されているかに見える金融取引において「取り付け」(runs)が生じたとき、潜在的な「ポンツィ金融」が本当の「ポンツィ金融」となりました。)
 その上、重要なことは、こうした金融危機が赤字国だけでなく、黒字国をも襲うという、今では常識となった事実です。

 ・一方、国際収支の黒字国でも、大きな問題が生じます。先に述べたように、輸出主導型の経済を達成するための賃金引下げがいっそう国内需要(有効需要)を損なうからです。その上、いったんこのような景気後退の状態に陥ると、今度は国内需要の不振をカバーするために、輸出を振興しようとして、いっそうの賃金引下げの圧力が強まります。こうして、賃金引下げ→国内需要の停滞・景気後退→外需(輸出)志向の強化→賃金引下げという悪循環の罠にはまりこみ、そこから抜け出ることができなくなるということが現実に生じてきました。
 しかも、往々にして、そのような罠にはまった人たちは、それを変えることのできない現実だと思い込み、抜け出すことを夢想だにしなくなります。それどころか、抜け出そうと提案する人々を非難することさえあります。

 さて、現実のヨーロッパ世界で、A国やB国に当たるのはどの国でしょうか?
 ヨーロッパでは、ドイツ、オーストリア、オランダなどの中心国がA国に相当し、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャなどの周辺国がB国に相当します。1999年のユーロランドの誕生から2006、07年にこれらの国々は2つの対照的な経済圏を創り出していました。
 そのことを具体的に示すことが次の課題になります。

<世界需要の構造的不足>と<不均衡> 現代経済の根本問題

 先日のNHKテレビで、熾烈な「グローバル競争」の展開を想起させるニュース番組が放映されていた。しのぎを削る国際競争の中で日本企業が苦戦している様子を映像を通して見せられた人々の多くは、あらためて国際競争の激しさを知り、日本の(つまり自分の)将来に対する不安にかられたであろう。またその渦中にいる人々(技術者、ビジネスマン、従業員)は自己の属する企業がこの熾烈な競争に生き残るべきかに思いをはせ、価格の引下げのための人件費の引下げや、新しい製品開発、生産性の引き上げの方策(日々自分たちが直面していること)を思い起こしたかもしれない。

 しかし、この姿を第三者(例えばーー私はそのような存在を信じていないけれどーーUFOに乗って地球にやって来た宇宙人)が客観的に見たら、事態はかなり変わったものに見えるはずである。そして、この見方は経済社会に生起していることを客観的・冷静に分析する経済学者や政治家も共有すべきものである。

<世界需要の構造的不足>

 そもそも何故熾烈な「グローバル競争」が生じるのか?
 その理由は、まず労働生産性(一人・時間あたりの産出量)が急速に上昇しているからである。この生産性上昇は、一つには、毎年行われる設備投資を通じた技術革新によって実現される。設備投資(マクロ経済学では記号 I で示される)は、景気後退時でも行われ、とりわけ粗投資(減価償却+純投資)ではそうである。1930年代に純投資がゼロの水準になった大不況時の米国でさえ、粗投資はかなりの額を維持していた。生産性上昇のもう一つの源泉は、労働密度の強化(労働強度ノルマの強化、スキルアップなど)である。現代の経済では、これらのチャンネルを通じて労働生産性は、(要注意!)不況下でも上昇する。ともかく、現在、先進国だけでなく、かつての途上国や旧社会主義国がこうした経路を通じて、生産性を急速に発展させていることもよく知られている通りである。

 だが、この時に何が生じるだろうか?
 19世紀生まれの古めかしい「セイ法則」(ジャン・バティスト・セイの唱えた一説)では、<供給は必ずそれ自体の需要を生み出す」とされているが、この考えが正しければ何の問題もない。
 しかし、残念ながら、これほど現実離れした「理論」はない。この考え方は、19世紀に(リカードゥやセイなどによって)生みだされ、定式化されたのち、マルサスとマルクスによって批判され、20世紀にはケインズ、カレツキなどによって徹底的に批判された。生産物は生産・供給されたからといってすべて需要される(販売されつくす)わけではなく、また労働力を供給したい人(つまり企業に雇われたい人)がいるからといってすべての人が需要される(雇用される)わけでもない。これは良識を持つ人ならば、誰でも知っていることであり、したがって経済学の課題は、セイに戻る(つまり物理学ならば、地動説に戻ること)ではなく、この不均衡を説明することだけである。

 さて、現実世界では、有効需要(消費需要 C と投資需要 I )に応じて、消費財と生産財の生産・販売がなされている。そして、実際の生産に必要とされる労働力だけが需要され、雇用される。セイ法則の世界、つまり(「特定の実質率で」という前提条件に注意)働きたい人が働きたい時間いつでも働ける(雇われる)というパラダイスはこの世には存在しない。それは虚構の世界である。

 需要側は供給側の事情とはまったく異なる事情によって決定され、かつ残念なことに、一連の事情によって需要側が供給側に常に遅れを取る。これが現実の世界である。
 ケインズやカレツキの天才は、「セイ法則」という裸の王様が裸だと素直に示し、二つの変数(供給能力と需要量、労働供給と労働需要)がまったく別の事情によって決定されること、また現代の経済体制には<需要の構造的不足>を引き起こす体質が組み込まれているいることを示したに過ぎない。「示したに過ぎない」といったが、これは経済学史上の革命的な出来事であった。
 
 そこで問題は、何故、<世界需要の構造的不足>が生じ、人々が雇用や所得について不安を抱かなければならないのか、その理由にある。
 いくつかの点に触れておこう。

 ・生産力の上昇と損益分岐点の上昇(過小消費と過剰生産)
 生産力が投資による技術革新によるほとんどすべての場合、固定資本ストック(資本装備量)の増加は、損益分岐点を右に移動させる(損益分岐点が大きくなる)。つまり、企業が以前より多くの利潤をあげるためには、生産量と販売量をよりいっそう拡大しなければならなくなる。このことは、有効需要(売れ行き)がそれに見合うだけ増えなければならないことを意味する。
 しかし、ここで経済は大きなアポリアに直面する。個々の企業としては、損益分岐点をなるべくあげないようにするために、費用、つまり設備投資額、賃金率や雇用量を抑制しようとする。しかし、経済全体では、そのような節約は、社会全体の需要を抑制する。それは個別の企業の産出量を抑制する。
 しかも、一定程度以上に満たされた社会に転換するにつれて、有効需要が成長するペースは低下してゆくだろう。
 かくして、「過小消費」または「過剰生産」と言われる事態が生じる。その意味は次の通りである。もし拡大した損益分岐点より多く生産しても、売れずに在庫が増加するならば、それは「過剰生産」と呼ぶにふさわしい。また企業は需要に応じて生産すると考える場合には、需要が利潤を実現するのに十分な規模に達しない場合(需要不足の場合)は、「過小消費」と呼ぶにふさわしいだろう。
 ケインズが述べたように、現代の(自由主義的な)企業者経済では、経済が完全雇用を達成する水準にあることは全くの偶然時でしかない。
 
・さらに1980年代以降の次のような変化も指摘しておかなければならない。
 それは、現代の一連の人々(エリートたち)は、エマニュエル・トッド氏風に表現すると、「単一思考」または「ゼロ思考」に陥っているという事実である。つまり、彼らは、「セイ法則」というコペルニクス以前的な地動説に逆戻りしてしまっており、生産力の上昇には執心するが、それに見合った有効需要の増加にはまったく関心を向けない。
 彼らの政策は、賃金の圧縮につながる一連の施策、法人税の減税を始めとする巨大企業の公的負担の低減と社会保障支出の削減、緊縮(健全)財政などである。

・さらに、自由貿易主義はこの傾向をいっそう促進する。特に停滞と景気後退の状況の中で、輸出(外需)を救いの神をあがめるようになった社会では、そうした傾向が顕著になってきた。
 トッド氏が述べるように、
 
 「国境の開放は、輸出にとりつかれたすべての社会で、退行的な心理状態を広める。つまり、費用や支出を出来るだけ、かつ絶えず切り詰めようとする切望が生まれるが、これはマルサスに従って人口まで抑制しようとする時代精神と共鳴する。賃金を切り詰め、子供を減らし、旅行を減らし、楽しみも減らそう、これが進む道である。国民の行政的中心である国家は、自由貿易の環境のせいでマクロ経済的意識をすべて奪われ、ついに企業のように行動しだす。そして、ここで財政赤字の削減にとりつかれたわが政治家の階層がグローバルな需要の圧縮に進んで協力する。その結果は、消費の削減、雇用者数の削減、失業の増大に帰着せざるを得ない。」(『経済幻想』藤原書店、1999年。ただし訳文を改変した。)

 とはいえ、実際に輸出の拡大によって国際収支(貿易収支または経常収支)の大幅黒字を実現することが出来るのは、一部の国にすぎない。何故ならば、世界全体ではゼロサムが成立し、一方の黒字は他方の赤字を意味するからである。
 そして、この赤字国の側は、彼ら自身の所得増加、特に賃金増加によって消費需要を拡大するのではなく、負債の拡大によってそうする。本質的には、これらの国(その代表は米国だが)は、黒字国からの借金(負債)によって超過輸入(つまり自分たちの所得を超えた消費。これは浪費に他ならない)を行う。
 この世界的な不均衡がもたらした悲劇(ユーロ債務危機、アメリカ発のグローバル金融危機など)は、よく知られた事実である。

 


2014年2月12日水曜日

ユーロ圏の債務危機 6 「ゼロ思考」への陥落と「失われた10年」

 ユーロ圏の登場は、人々に、特に国民の80%以上の人々に何を与えたでしょうか?。
 まずは私の作成した図(EURO圏12カ国における労働生産性と実質単位労働費用の推移)を見て欲しいと思います。(図はAmeco on line data よく作成しています。)
 」

 この図で、労働生産性としているのは、従業員一人あたりの実質GDP(指数、1991年=100)であり、(実質)単位労働費用は、生産物1単位あたりの人件費(物価指数を考慮済みの実質、指数、1991年=100)です。
 差し当たり、今回問題とする1990年代だけを取り上げると、この時期にも労働生産性は一貫して上昇しています。つまり、一人あたりの国民総生産は増加しています。ただし、経済の成長ペースは以前と比較すれば低下しています。一方、単位労働費用のほうは1980年頃から低下しており、1990年代にも低下は続いています。つまり、リストラ(昔風には合理化)が進行し、生産物1単位あたりの生産に必要な人件費が低下していたのです。本来、労働生産性に比例して人件費(つまり労働者の賃金所得)が増加しているならば、このようなことは生じません。これは明らかに賃金が抑制され、労働者の取分(賃金シェアー)低下してことを意味しています。

 それでは、このような労働側の犠牲の下に、雇用が拡大し、失業は縮小したでしょうか? (このように問うのは、主流派の経済学は、実質賃金が低下すれば雇用が増え、失業が減ると言うからでもあります。その根拠とされるのは、ご存知のように、マーシャリアンクロス(右下がりの労働需要曲線と右上がりの労働供給曲線)という現実場慣れした想定にもとづく労働市場論です。)

 ここで、私の分析ではなく、外国の著名な経済学者の分析を見ておきましょう。例えば、James K. Galbraith and Enrique Garcilazo, Unemployment, Inequality and the Policy of Europe 1984-2000, Empirical Post keynesian Economics  Looking at the Real World, M.E.Sharpe, 2007)をあげておきましょう。
 この論文は、次の2つのことを示している点できわめて重要です。
 1 西欧諸国を国単位ではなく、もっと小さな・多数(159)の地域に分割して賃金水準と雇用・失業の相関を検討したところ、高賃金が高失業を導くという想定はまったく実証されない。むしろ低賃金地域において高失業が見られる。(これは主流派の想定には反するが、その理由ははっきりしている。高賃金は、同時に高い有効需要を意味するからである。)
 2 このような同一時間における地理的な配列(賃金率と雇用・失業)ではなく、時系列(1984〜2000年)の変化について見ても、(私の上記のグラフが示すように)、1990年代はヨーロッパ規模で賃金が最も圧縮された時期に相当するが、ここで特に注目されるのは、1992年9月〜1993年7月、つまりマーストリヒト条約が調印され、ドイチェ・ブンデスバンクの金融引締め政策とマーストリヒト収斂基準(緊縮財政)が適用されはじめた時期(1992年以降)、さらに成長安定協定(GSP)が実施された1996年にヨーロッパの失業が異例の水準に到達している点である。

 私のブログでもたびたび言及しましたが、「現実世界」では、雇用は生産量(←総需要)の増加とともに増加するという増加関数であり、反対に労働生産性の減少関数です。ところが、マーストリヒトがリストラを通じて労働生産性を引き上げながら、総需要を抑制したのですから、失業が増えたのは、自明の理です。

 著者たちが、どのような統計データの処理を経てこの結論に達したのか、その詳細は省きますが、次の結論はきわめて重要です。

 「ヨーロッパの政策は1990年代に大陸規模の失業増加に強く貢献したことがわれわれの証拠から明らかになる。一言で言えば、マーストリヒトは悲惨と形容される5年間を開いたのであり、そこからの回復はまだ不完全である。最近のリーダーシップ下の大陸レベルでのマクロ経済政策の失政によってヨーロッパ全体に及んだ高失業を克服することが、われわれの分析から高い優先度を持つものとして現れている。1990年代にはいくぶんの進展があったように見えるが、1980年代中葉の決して最適ではなかった条件への復帰され、まったく十分とは言えないままにとどまっている。」

 このように、宣伝とは裏腹に、20世紀末〜21世紀初頭に「ユーロ圏」は混迷のきわみにありました。
 マーストリヒトと成長安定協定による賃金率の抑制と賃金シェアーの圧縮は、ヨーロッパ諸国、特に従来ドイツとは異なった政策スタンスと制度的条件の下にあった周辺国(フランスやイタリア、スペインなど)の経済を停滞的にしていました。しかも、これらの国がドイツのような輸出主導型の成長レジームにすぐに転換する能力を持っていると考えることはできません。一方、輸出主導型の中心国(ドイツやオランダ、オーストリアなど)にとっても周辺国の経済的な停滞(賃金、総需要の停滞)は決して好ましいことではありませんでした。中心国からの輸出の障害となるからです。
 かくして、トッド氏が述べるように、ドイツとフランスの指導者階級の「貨幣的ユートピア」(l'utopei monetaire)、「ゼロ思考」(la pensee zero)は、行き詰まっていたと言うことできます。
 しかしながら、それにもかかわらず、1999年における単一通貨圏の成立は、新しい可能性を生み出したように見えました。それがわずか数年しか続かなかったとしてもです。実際、すべでの人がというわけではないしても、かなり多くの人々が「為替リスクの消滅」を語り、ヨーロッパが新時代に入ったと騒ぎ立てました。しかし、このユーロランドという美しい夢がむなしい夢であることは、すぐに明らかになりました。

 そこで、1999年〜2008年に何が生じていたのか、それを検討することが次の課題となります。そしてそれを検討することは、①はたしてユーロは存続可能なのか、それとも解体を避けられないのか、②またもしそれが存続可能だとしたらなば、どのような条件が必要なのか、少なくともそのヒントをわれわれに示してくれることになるでしょう?

2014年2月11日火曜日

ユーロ圏の債務危機 5 1992年9月のヨーロッパ債務危機

 1992年9月〜1993年7月のヨーロッパ通貨危機(ERM危機)は、何故生じたのか?

 この時期に生じたポンド・スターリング(£)のERM(為替相場メカニズム)からの離脱、イタリア・スペイン・ポルトガル(リラ、ペセタ、エスクード)の通貨不安、フランス・フランの危機などが何故生じたのかを、詳細に描くことは難しい作業であり、特にこのようなブログでは不可能ですが*、ここで2、3の重要な点について(のみ)指摘して置きたいと思います。
 *David Cobhamの"Causes and Effects of the European Monetary Crisis of 1992-93, Journal of Common Market Studies, Vol.34. No.4, December 1996  で諸説が検討されています。

 この通貨危機(ERM)を検討することは、現在のヨーロッパ債務危機を見る上でもきわめて重要となりますが、そのことは後々説明したいと思います。

 さて、ここでも話を少しさかのぼらない訳にはいきません。
 よく知られているように、戦後の国際通貨体制は、協定が結ばれた地名にちなんで「ブレトンウッズ体制」と呼ばれており、<準固定相場ドル本位制>(John Harvey)とも言われるものでした。つまり、①中央銀行が要求すれば、米国が米ドル($)と金地金との交換に応じることが約束されており、②それにもとづいて為替相場は固定されていました。③ただし、国際収支の赤字国は、自国通貨を切下げることを求められていました(これが準の意味です)。実際、英国ポンドは、通貨危機のたびに切り下げ(devaluation)を余儀なくされました。
 しかし、1971年8月15日の米国ニクソン大統領の声明によって「金とドルとの交換」は停止されます。そして、同年末にスミソニアン体制が成立します。
 このとき、欧州でもEC6カ国が「スネーク制度」を開始します。これはEC域内の為替変動幅を縮小し、特に参加国の通貨が対ドル中心相場から上限2.25%の範囲内(ドルバンド)に納めるように為替介入するように義務づけるものでした。
 この制度は1978年までつづきますが、イギリス、フランスなど離脱国が多く、為替相場を安定することにも失敗します。
 しかし、1970年代末に離脱国を復帰させ、欧州通貨制度を充実させる動きが充実してきました。その背景の一つには、ドルにリンクしない通貨制度の必要性が認識されるようになってきたことがあります(前掲坂田豊光43ページを参照)。こうして1979年3月に、イギリスを除くEC8カ国が域内8通貨を一定変動幅内(上下2.25%、例外国あり)の固定相場に固定し、通貨安定を達成することを目的としてEMS(欧州通貨制度)が発足しました。ここで注意が必要ですが、中心相場となる為替平価は、変更することが可能でした。(その他に詳細な計算方法や規定がありますが、それらの詳細は省略します。)
 
 さて、ようやく制度的な説明が終わりました。
 それでは、現実の為替相場は、どのように変化したでしょうか? ここではEMS参加国の実質的な「基軸通貨」となったドイツ・マルク(1999年1月からユーロに統一。1€=1.996ドイツ・マルク、など)に対する相場に換算された為替相場(米ドル、ポンド、イタリア・リラ、スペイン・ペセタ、フランス・フラン)の変化を見ておきます。


 出典)Ameco on-line dataより作成。
    注)ユーロ圏の各国通貨は、1998年末の対ユーロ平価(例えばドイツの場合、1€=1.996マルク)に換算している。 

 この図で次の2つのことが注目されます。
 (1)  1971年から1987年まで、ドイツ・マルクに対してフランス、イタリア、ポルトガルの通貨が減価しつづけている。これをドイツ側から言えば、マルク高である。米ドルおよびポンド(£)についても同様である。
 (2)ところが、ヨーロッパ通貨危機の始まる前の数年間(1987年〜1992年にかけての時期)には、 EMS参加国のフランス、イタリア、スペインの通貨の減価は見られない。むしろそれらの通貨価値が高まってさえいる。
 実は、このグラフには示していないが、仏・伊・西の通貨と同様な動きは、オーストリア・オランダ・ベルギーなど中心国(core)を除く周辺国(ポルトガル、ギリシャ、フィンランド、アイルランドなど)でも見られる。

 このように為替相場の変化から見ると、EC諸国は2つのグループに分けられることがわかります。ここでは簡単のために、各グループからドイツとフランスを取り出して、そのような相違が現れてきた歴史的事情を検討しましょう。

 (以前のブログでも紹介したが)為替相場の一般理論を構築することはきわめて困難ですが、為替相場は、長期的には購買力平価にともなって変化し、短期的には資本移動による為替売買、期待などの心理的要因によって変化することが実証的研究から知られています(John T. Harvey, Currency, Capital Flows and Crisis, Routledge, 2010)。ここでは、まず前者に焦点をあててみておきましょう。

 結論的に言えば、フランス・フランとドイツ・マルクの為替相場に見られる長期持続的な傾向(マルク高、フラン安)は、両国におけるインフレ率の差を繁栄するものであり、されに突き詰めると、両国における金融政策や制度的な要因によるものと言うことができます。簡単に要点を示します。(J. Bibow, On the Franco-German Euro Contradiction and Ultimate Euro Battleground, Levy Economic Institute of Bard College, Working Paper No.762 がこの点で優れた分析をしています。)

 フランス 
 ドイツより高いインフレ率。これは、フランスの経済が内需主導型であり、貨幣賃金の引き上げを伴う経済であったことを意味します。またトッド氏(E. Todd、『経済幻想』など)が述べるように、フランスの出生率(合計特殊出生率が約2.0)・人口増加率が高いことも関係していると考えられます。中央銀行の金融政策もそれにそうものでした。
 ドイツ
 これに対して、ドイツでは、ドイチェ・ブンデスバンク(中央銀行)が常にインフレに対して警戒感を示し、インフレ抑制的な金融政策(ドイツ・マネタリズム)を行って来ました。これはまたドイツ経済が「輸出主導型」の経済を志向してきたことと関係しています。こうした金融政策は、均衡財政主義の政策と結びついていました。西ドイツの財政赤字、政府債務比率の少なかったことがそれを示しています。さらにトッド氏が述べるように、ドイツの合計特殊出生率がきわめて低い(人口減少に結びつく)ことと無関係ではないでしょう。ただし、1990年の東西ドイツの再統一までは、労働生産性の上昇に応じて賃金率も引き上げられており、そのため賃金総額の減少が国内消費需要を抑制するという(日本のような)事態はなかったと言うことができます。

 言うまでもないことですが、このような制度的な相違を持つ2つの国がそれぞれの為替相場の変動幅を狭い範囲内に抑えることは、きわめて困難な問題をもたらします。さしあたり次のような点を指摘しておきます。
 ・もし両国がそれぞれの政策スタンスを変更しないならば、また為替相場を固定しようとするならば、フランス・フランが実質的に高くなります(フラン高)。何故ならば、ドイツに比べてフランスの物価が高くなるからです。
 したがってフランスが実質的なフラン高を和らげるためには、フラン平価の切り下げを実施しなければなりません。
 実は、図が示すように、伝統的にフランスが行ってきたのは、1987年までは、このような政策でした。(図から、フラン価値の低下を確認してください。)
 ・しかし、もしそのようなこと避けるならば、フランスが政策を変更し、フランスの中央銀行はブンデスバンクの金融政策(インフレを抑制するためのマネタリスト的な金融引締め政策!)を採用しなければなりません。それはフランス経済をしだいに蝕み、失業率を引き上げることになるでしょう。実際、ミッテラン(大統領、フランス社会党)の選択は、その方向へのものでした。
 さらにフランスがこのような政策をとれば、金融引締め政策(高金利)の効果によって国内への資本流入が達成され、フラン高(あるいは少なくともフラン安へのブレーキ)を実現することになるでしょう。しかし、それはフランスの貿易収支を悪化させ、他方ではフランを不安定にさせる要因を生み出します。

 ここまで書けば、1992年9月に何故 EMS 危機が生じたのか、半ば以上は説明されたことになります。通貨危機の土壌は、1987年〜1992年の5年間に醸成されていたのです。

 しかし、通貨危機の要因として少なくとももう一つの点を指摘しておく必要があるでしょう。それは(経済にとって)外生的ショックとしての東西ドイツの統一であり、それがもたらした結果に対するブンデスバンクの対応です。
 周知のように、東西ドイツの統一は、1989年〜1991年に旧東ドイツへの援助のための巨額の財政支出を結果し、旧西ドイツに財政赤字をもたらしました。この短い期間にドイツでは、はじめて「ちょっとしたケインズ主義政策」が実施されたのです。そして、それはドイツ経済に好景気(1991年に5.1%の成長率!)とちょっとしたインフレーション(1991年に3.7%)をもたらしました(cf, Bibow, p.10)。
 しかし、この短期のちょっとした「逸脱」に対してドイツのブンデスバンクは、過剰に反応しました。伝統的なブンデスバンクの反インフレ的金融政策が発動され、金融が大幅に引締められ、緊縮財政政策が求められました。その結果、失業率は急上昇しました。いまドイツ中央銀行の伝統的な金融政策といいましたが、正確にはそれ以上だったと言えるでしょう。
 ドイツ・マルク高、一連の周辺国の通貨の減価、イギリスのEMSからの離脱、フランスの通貨危機は起こるべくして起こりました。(為替投機も起こるべくして起こったというしかありません。)
 もちろん、それらが1990年代に欧州全体に影響を及ぼしたことは言うまでもありません。これ以降、ドイツの「独善的な金融政策」に対する批判が様々なところで行われることになります。しかし、多くの人々の不信感にもかかわらず、ユーロ・ランドに向かう動きは、止まりませんでした。(この理由はそれ自体として興味を引くところですが、ここでは省略します。)
 
 以上見てきたように、1992年〜93年のヨーロッパ通貨危機の背景は複雑のように見えまるかもしれませんが、次のようにまとめられます。
 ・ドイツ(中心国)とフランス(周辺国)の金融政策、財政政策、制度的な相違
   (これは最終的にはインフレ率や為替相場の変動に現れる。)
 ・東西ドイツの統一という外生的な事件(一時的な「ケインズ主義政策」)
 ・政策的対応(フランス、ドイツの対応=緊縮的マネタリズム;失業問題の放置)
 
 さて、本日の最後ですが、実は、ここで述べた事情は1992年〜93年にだけ当てはまるものではありません。それは1990年代を通じて、また単一通貨圏が成立したのちの21世紀を通じて存続している問題群をはらんでいます。2006年以降のヨーロッパ債務危機の原因は、今日述べた時期から胚胎していたのです。

2014年2月9日日曜日

ユーロ圏の債務危機 4 1990年代=ヨーロッパの「失われた10年」

 マーストリヒトがヨーロッパ諸国民に決して幸福をもたらさなかったことは、様々な統計から知ることができますが、その中でも最もよいのは失業率のデータでしょう。下の図は、ユーロ12カ国の失業率を示す図です。(Ameco on line より作成。)
 
 

*若干の補足説明をします。1973年頃まで低い水準にあった失業率が1974年頃から急上昇し、1988年頃にピークに達しているのが分かりますが、この一つの理由が二度(1973年と1979年)にわたる石油危機にあったことは言うまでもありません。石油価格の数倍への高騰と巨額のオイルマネー(オイルダラー)の流出、それに伴う石油輸入国の実質可処分所得の低下は(カルドア氏、Nicolas Kaldor の推計では)世界全体の可処分所得の4%にも及び、有効需要の縮小をもたらしました。つまり輸入されたインフレーションと景気後退の同時発生(スタグフレーション)です。
 しかし、1980年代に入っても続く景気後退と失業率の上昇は決して石油危機によって説明されるものではありません。
 この新しい景気後退は、カルドア氏(Causes of Growth and Stagnation in the World Economy, 1996)の明らかにしたように、1979年に成立した英国サッチャー政権のマネタリズム政策によるものです。サッチャー首相は、反インフレーション政策を看板に掲げつつ、その緊縮政策(大衆増税+福祉支出の大幅削減)によって消費需要を縮小し、さらには投資需要を大幅に縮小させてしまいました。これについて詳しくは以前のブログで説明しましたので、省略します。ここでは、次の図(Ameco より作成)から1980年代にイギリスで景気後退が生じ、その影響がヨーロッパ全体に及んだことを読み取っていただきたいと思います。そのデフレ効果(景気後退の効果)は1980年代中頃まで続き、石油危機を上回るものでした。なおサッチャー首相のマネタリズム政策(デフレ政策)が失業率を引き上げることによって「労働者階級の交渉力を弱体化させ」、賃金を抑制する意図を持っていたことについては、当時政策アドバイザーだったアラン・バッド氏(Alan Budd)が後日回顧しており、「利用された」と述べています。イギリスの最低賃金制度が事実上廃止されてしまい、低賃金労働が拡大したのがこのサッチャー政権の時代だったことも指摘しておきたいと思います。
http://cheltenham-gloucesteragainstcuts.org/2013/04/09/former-thatcher-adviser-alan-budd-spills-the-beans-on-the-use-of-unemployment-to-weaken-the-working-class-sound-familiar/




 しかし、1991年から1997年にかけてヨーッパ全体を覆った景気の停滞は、サッチャー不況と比べてもかなり長く、その規模も深刻なものでした。上の失業率を示す図と合わせてみると分かるように、ユーロ圏(12カ国)全体の失業率は、この時期にずっと10パーセントを超えています。そして、まさにこの時期に公的消費支出の寄与度も、民間消費支出の寄与度も急速に低下しています。
 もちろん、景気後退が激しくなった原因が1992年9月以降の欧州通貨危機にあったことは言うまでもありません。しかし、この通貨危機自体が単一通貨圏(ユーロ圏)を生み出そうとする政策、つまりドロール報告とマーストリヒト条約にあったことを忘れてはなりません。
 そもそも欧州通貨危機は如何にして発生し、その後、如何にして景気後退は長期化したのか、これが問題となります。(続く)

ユーロ圏の債務危機 3 マーストリヒト条約と安定成長協定

 政治経済統合や通貨統合の理念は、ヨーロッパではかなり早くからあったことは間違いないとしても、それが現実化したきっかけをなしたのはドイツ統一という歴史的事件であったことは間違いないでしょう。
 フランスのミッテラン大統領は、ドイツの勢力的拡大を恐れ、単一通貨圏の中に封じ込めることを意図し、ドイツのコール首相がそれを受け入れたという経過は、おそらく間違いない事実と思われます。
 しかしながら、こうしたミッテランの目論みが実現したかというと、決してそうではありません。むしろそれはドイツの勢力拡大に寄与したとさえ言えるように思います。

 さて、このことを示すためには、欧州通貨統合に関する最低限の制度設計を説明しなければなりませんが、ここではそれについて詳しく説明することは省略します。ただ念のために、1989年に「ドロール報告」が発表され、翌年にEMU(経済・通貨同盟)の第一段階が始まったこと、また1991年に「マーストリヒト条約」草案が合意に達し、この「報告」と「条約」を基礎にしてEMUの三段階スキームが成立し、1999年1月に単一通貨(€、ユーロ)が導入されたことだけを示しておきます。(欧州通貨統合について詳しくは、飯田豊光『欧州通貨統合のゆくえ』(中公新書、2005年)をおすすめします。)

 さて、私は、欧州通貨統合の歴史の中で、「マーストリヒト」(Maastricht)が(そしてその後に続く安定成長協定SGP)が果たした役割・影響は、どんなに強調しても強調しすぎることはないと思います。また諸外国の多くの経済学者もそのように考えています。
 何故でしょうか?
 これについて語るためには、やはりマーストリヒト条約の内容を見ておく必要があります。その内容はここで紹介する必要もないほど、よく知られているかもしれませんが、念のために簡単に記しておきます。(後で必要に応じて詳しく説明します。)

 1 1990年代における第一段階から第三段階に関する規定
 2 第三段階に移行するための経済収斂基準
     物価安定 物価上昇率の最低の3カ国からの1.5%ポイント以内の乖離の原則
     適度な金利水準 最低3カ国からの2%以内の政府長期債利回りの原則
     為替相場の安定 直近2年間のERM変動幅の維持、かつ平価切下げなし
     健全財政    政府赤字3%(GDP比)以内、政府債務60%(GDP比)以内

 なお、この経済収斂基準は、第三段階に移行するための基準であるばかりでなく、「安定成長協定」(SGP)として統一通貨に参加した国をその後も縛るものとなっています。

 この他に、新しい金融システムでは、欧州中央銀行(ECB)が統一的な金融政策をとること、各国の中央銀行は欧州中央銀行の政策に従う(業務委託と報告義務)ことなどがありますが、これについては周知のこととして、省略します。

 さて、このような欧州通貨統合にかかわる制度的な話は、無味乾燥で何の興味も引き起こさないのではないでしょうか? 私の演習に参加する学生にもたまに欧州通貨統合をやりたいという者が出てきますが、最初は意気込んでいても、教科書の制度的な説明を読んでいるうちに飽きてくるようです。
 しかし、そのような学生に対して、次のような多少とも具体的な(数字は必ずしも現実の数字ではありません)話をすると、少し元気を取り戻します。

 例1)ある国(例えばイタリア)で物価上昇率が高く(例えば3%)、さらに財政赤字がGDP比3%を大幅に越えており、また政府債務も60%を超えているとします。しかし、この国は景気が停滞・悪化していて、失業率がかなり高くなっています。
 この場合、この国の経済(イタリア経済)や政策はどうなるのでしょうか?

 もちろん通常の経済政策では、景気後退を治癒し、失業率を引き下げるために、イタリアの中央銀行は名目金利を引下げる政策(金融緩和政策)を取り、政府は財政支出を拡大し、失業率を引き下げるということになるでしょう。(最後の点には、主流派からの反論もあるかもしれませんが、・・・。)
 しかし、マーストリヒト条約では、そうはいきません。もしユーロ圏全体(ということはドイツやフランス!)が同じような苦境にあれば別の可能性もありますが、そうでなければ金利は必ず引き上げられることになります(不況時の金融引締め)。また好況であろうが不況であろうが、財政基準を満たすために政府は緊縮財政政策を取ることを求められます。もちろん(1998年まで存在した)イタリア・リラを切り下げ、輸出(外需)を拡大することによって景気を好転させるという方策も禁じられています。

 私がここであげた例は、まったく現実離れしたといったものではありません。むしろ、多くの国が1990年代に経験した当の問題でした。そこに次のように2重の問題がありました。
 1 多くの国は、多様な経済状況にあり、その政策課題も別々なのに、統一的な金融・財政基準を課せられている。
 2 全体的にも、マーストリヒトの収斂基準は、有効需要を抑制する傾向をもち、失業率を高める傾向がある。
 
 これに加えて通貨統合のための金融・通貨政策は、1990年代の初頭に通貨・金融危機という思わぬ贈り物をヨーロッパにプレゼントしました。1990年代にヨーロッパでは、失業率が異常に上昇しますが、それがマーストリヒトと無関係だとは決して言えません。そして、ここにこそヨーロッパ通貨統合に「一部のエリートたち」が積極的に関わりながら、人々の多くが反感と不信感を抱いてきた最大の理由がありました。
 それを検討するのが次の課題となります。

ユーロ圏の債務危機 2 多様なヨーロッパの単一通貨

 昔、岡倉天心(たしか)が「アジアは一つ」といったことは有名です。しかし、現実のアジアはいろんな意味で一つどころではありません。ヨーロッパはどうでしょうか? ヨーロッパも多様です。
 試しにエマニュエル・トッド氏(Emmanuel Todd)の『新ヨーロッパ大全』や『世界の多様性』(どちらも藤原書店の出版)を見ると、宗教、家族形態や相続慣行、イデオロギーなどの点で、ヨーロッパが実に多様であることがわかります。すべての国・地域を見る余裕はありませんが、イギリス(連合王国)、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ギリシャだけでも、ざっと次の通りです。

          優勢な宗派/(伝統的な)相続慣習・家族
 連合王国  旧教(カソリック)、新教(カルバン派)の諸教派、イングランド国教会       /不平等相続と核家族、不平等相続と直系家族
 フランス  旧教(カソリック)、カルバン派の諸教派・核家族と平等相続、直系家族
 ドイツ   新教(ルター派)の諸教派/一子相続と直系家族
 イタリア  旧教(カソリック)/平等相続と核家族、共同体家族
 スペイン  旧教(カソリック)/平等相続と核家族、一子相続と直系家族
 ギリシャ  ギリシャ正教:平等相続と核家族

 もちろん、人口統計学的相違や雇用率・失業率・参加率、一人あたり国民所得の水準、教育、産業構造などの相違など数えあげれば、きりがありません。(ここでは、具体的な統計データは省略します。)

 そのような多様な国・地域が経済統合を成し遂げ、さらには単一通貨(Euro、€)を使うようにすることにどのような意味があるでしょうか?

 よく行われた言説(レトリックというほうがよいかも知れません)は、たくさんありましたが、主要なものが次の2つに要約できるでしょう。
 ・人・モノ・お金の国境を越えた自由移動は、経済を効率化し、経済を成長させる。
   (規模の経済、周辺国のより高い成長率とヨーロッパの高水準への収斂)
 ・(単一通貨の場合)為替リスクの消滅;為替業務コストの低下

 その他に、米国に対抗できる広域的な市場の創設、米ドル($)に対抗できるヨーロッパ単一通貨の創設の意義、(フランスからは)東西ドイツの統一によるドイツの勢力拡大に対するバランスの維持など、さまざまな思惑があったことも間違いないでしょう。

 しかし、このような様々な利点は、抽象的な言辞としては、きわめてよく理解できます。しかし、それが本当に実現するか否かは、まったく別の問題です。
 しかも、「ユーロ圏」(ここでは主に通貨統合を検討します)は、決して政治・財政統合を伴いつつ創設された通貨圏ではありません。今では昔となってしまいましたが、以前、「最適通貨圏」(optimun currency areas)の議論を展開した経済学者(R.A.Mundell*)がいましたが、現実に生まれたユーロ圏がこの「最適通貨圏」であるか否かが、きわめて大きな問題となります。
 
 ここで、回り道になりますが、ちょっと昔のことを思い出しみましょう。戦後成立・発足したブレトンウッズ体制は、「準固定相場ドル本位制」とでも名づけられるものでした。ここで、ドル本位制という意味は、純金1オンス=35米ドルという平価にもとづいて、各国の中央銀行が米国の連邦準備銀行にドル為替の金との交換を要求できるという約束がなされていたことに関係しています。また固定相場制が採用され、例えば1ドル=360円とされていたことは、よく知られている通りです。各国は、それを維持するような政策を行うことを求められていました。
 しかし、固定相場は絶対に維持しなければならないものではありませんでした。戦時中の米英仏間の交渉でも大きな問題となりましたが、戦後に構築されるべき国際通貨体制においては、貿易収支(または経常収支)は均衡すべきという理念がありました。ケインズ案(ケインズ全集、第40巻)では、国際収支の赤字国だけでなく、黒字国にもペナルティが課され、黒字のかなりの部分を途上国支援に差し出すことが求められていたほどです。ところが、実際に実現されたブレトンウッズ協定では、赤字国だけが、自国通貨の切下げによって国際収支の均衡を達成するべきことが求められました。
 詳細は略しますが、戦後、英国はしばしば国際収支の赤字に陥り、彼らのプライドを大いに傷つけることになりました。つまりIMFから厳しい条件をつけられながら、貸付を受け、かつポンド(£)を切下げることを余儀なくされたのです。(詳しくは、宮崎義一氏の『現代の資本主義』(岩波新書)を参照。)

 このエピソードは、政治・財政統合を果たしていない諸国間では、国際収支の不均衡が通貨危機をもたらしたとき、「為替調整」が国際収支の不均衡の問題を処理するための最終的な手段の一つであることを示しています。
 しかし、上で示したように、ユーロという単一通貨を用いるユーロ圏では、為替調整自体が存在しません。(少なくとも名目為替相場についてはそうです。)そこで、例えばある国(G)の国際収支が赤字となり、その赤字(債務)を基本的にその国(G)の政府が負っているようなケースを考えます。その場合、通貨危機は、すぐに政府の財政危機(ソブリン危機)に直結します。しかし、為替調整は、少なくとも統一通貨圏の内部では、ありえません。それに同じ統一通貨圏の別の国の政府が支援する義務もありません。それぞれの国が責任をもって政策を行うしかないのです。

 かりに日本が統一通貨(円)を持つけれども、財政は地方ごとに完全に独立しているといった仮想の事例を考えましょう。あるとき、何らかの事情で、ある地方(H)が何らかの事件(金融危機・経済危機でも自然災害でもかまいません)のために歳入の減少や支出の増加などで財政的に破綻したとします。しかし、他の地方やその財政、中央政府からの支援の義務はありません。H地方は、緊縮財政政策を取ることを余儀なくされ、さらなる苦境に陥ることになります。これは、現在、ギリシャなどの置かれたのと同じ状況です。もちろん、現実の日本はこのような世界ではありません。中央政府が存在し、(十分かどうかは別として)それなりに再分配の機能を果たしています。

 しかし、話が先ばしりしすぎたかもしれません。
 多様な地域・国が単一通貨(ユーロ)に統合されるための準備を始めたとき、さらに実際に統合がなったとき、何が生じたのかをきちんと見極める必要があります。はたして経済統合・通貨統合は「ユーロ圏」の周辺諸国の経済を発展させ、収斂を実現したのでしょうか?
 
 ヨーロッパにおける現実の単一通貨圏(ユーロ圏)の形成は、1989年頃、つまりドイツ統一(西ドイツによる東ドイツの併合)の前後にまでさかのぼります。その中で出て来たのが、「マーストリヒト条約」でした。(続く)

 *Mundell, R. A. A Theory of Optimum Currency Areas, American Economic Review,  1961, 51 (4).
 

ユーロ圏の債務危機 1 怠惰と放漫財政のためではない

 ユーロ圏、特にギリシャ、スペイン、ポルトガル、アイルランドなど周辺諸国を中心としてヨーロッパ諸国が近年深刻な経済危機(債務危機、財政危機、景気後退、失業など)に見舞われていることは、マスコミ等でも周知のところです。失業率は危険水域に達し、特に若年者の失業率にいたっては40%を超えている地域もざらにあります。
 (日本では、ヨーロッパ債務危機など昔の話という雰囲気もありますが、決してそうではありません。ヨーロッパでも米国でも大問題でありつづけています。これは日本のことを考えればよく分かるでしょう。1990年代の初頭の金融危機から日本は「失われた20年」(lost two decades)を経験しました。また、欧米日などでバブルが再発すれば、ふたたび同じことが繰り返される危険性があります。)
 
 どうしてこのようなことになったのか?
 
 よく広まっている意見の一つは、簡単に言うと、「ギリシャ人は怠惰(lazy)だから」といった怠惰説や、国民が怠け者なのに政府が赤字をおして放漫な財政支出を通じて消費を支えていたという放漫財政支出説などでしょう。英語の twitter などによく出てきます。マスコミの報道でも、そうだと断定しているわけではありませんが、それを示唆するスタンスのものが多いように思います。

 確かにギリシャ人(失礼!)は怠惰なのかもしれません。私の知っているギリシャ出身の経済学者(N.Lapavitsas、金融論、ロンドン大学)も、「ギリシャ人は怠惰だ」ということを否定はしていません(もちろん、これは比較の問題であり、ギリシャ人はドイツ人や日本人に比べて勤勉ではないという意味です)。しかし、金融危機は怠惰から生じるわけでも何でもありません。もしそうならば、世界中にギリシャ人より怠惰な国民はいるでしょうから、そこではいつも金融危機に見舞われることになりますが、決してそうではありません。それに金融危機はアメリカ合衆国でも発生していますが、アメリカ人は果たして怠惰なのでしょうか? 米国の労働分析局のデータでは、平均的な勤労者の労働時間は、フランス人やドイツ人のそれよりはるかに長いことが知られます。

 放漫財政支出説のほうはどうでしょうか? 統計(EUROSTAT, AMECO, OECDなどが簡単に利用できます)からは、たしかに21世紀に入ってからヨーロッパ諸国における財政赤字(単年度)と政府の粗債務(ストック)の対GDP比が急激に増えてきました。しかし、注意しなければならないのは、こうした財政赤字と政府債務の上昇は、金融危機が生じ、景気後退が始まった2006〜2007年頃から始まったことです。(この点で、ギリシャのケースは、少し異なる点もありますが、そこでも財政赤字と政府債務は、2006年以降に急激に増えています。)要するに財政支出の拡大は、金融危機の原因ではなく、むしろ結果です。

 たしかに次のようなことは言えます。金融危機・経済危機の結果であれ、財政赤字と政府債務の拡大は、しだいに政府に対する信頼を損ねてゆき、ソブリン危機(財政危機)をもたらす、と。しかし、だからといって、増税と支出削減という緊縮財政政策(austerity)を実施しようとすると、今度は、人々の可処分所得=購買力=有効需要を減じることになり、デフレ不況の効果を強めることになります。かつての日本、現在の米国やヨーロッパ諸国が苦悩しているのは、こうした状況をめぐってです。

 さて、どうしてこうなってしまったのでしょうか?
 われわれはどうしても金融危機・債務危機をもたらした真相を探る必要があります。
 そこで、しばらくは、こうした問題をもたらした歴史的事情をめぐる真相・深層を検討することとしたいと思います。それよって、怠惰説や放漫財政支出説などでは決して明らかにされることのない根本的な問題があったことを明らかにしたいと思います。
 その問題とは、単一通貨圏(ユーロ圏)の創設です。それがどのような事態をヨーロッパにもたらしたのか、ヨーロッパや米国の有力な経済学者の分析、見解を紹介しながら、明らかにしてゆく予定です。

2014年2月8日土曜日

無理難題 人件費を下げたい、でも需要は増えて欲しい

 カール・マルクスの『資本論』(たしか1868年)は、今から150年も前の本。古めかしいという人も多いと思います。たしかにその通りです。しかし、古くても、現代経済の特質をずばり指摘している鋭い経済分析の本であることは事実です。
 その一つが、個別資本(企業)の立場と社会的総資本(一国の企業全体)の立場の区別と対立です。これは1936年にケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』で展開したこととも共通する論点です。簡単に言えば、次のようなことです。
 個々の企業は、社会全体の総需要が一定(不変)という仮定の下では、賃金(人件費)を引下げ、自社製品の価格を引き下げれば、売れ行きが増えるため、生産量を増やし、雇用も拡大し、利潤も増やすことができます。これは正しい命題です。
 しかし、一国のすべての企業が同じことをやったらどうでしょうか? 例えばすべての企業が貨幣賃金率を(例えば5%)引き下げるのです。もちろん、国全体の貨幣賃金総額が減少します。このとき、かりに製品価格が同じ率で(つまり5%)低下するとします。この場合、総需要は拡大するでしょうか?
 この答えは必ずしもはっきりと断定できませんが、総需要が必ず拡大するとは決して言えません。現代の主流派(新古典派)の経済学でも、実質賃金率(貨幣賃金率÷物価水準)が変化していないので、(貨幣)総需要は低下し、(実質)総需要は不変である、ということになります。
 しかも、もし貨幣賃金率が5%低下したのに、製品(販売)価格が(例えば)3%した低下していなければ、実質賃金率は低下したことになり、賃金からの(実質)消費支出は縮小することになります。
 ここでの問題の要点は、個別企業(だけ)の行動の結果と、社会全体の企業の行動は論理的に区別しなければならないということにあります。前者の場合、個別企業の行動(賃金率の引下げ、製品価格の引下げ)は、前提条件(つまり社会全体の総需要)を変化させないのに、後者の場合には前提条件(社会全体の総需要)を変化させるからです。
 ケインズは、それを「論点先取の欺瞞」と呼びました。考える能力さえあれば、子供(中学生や高校生)でも分かることです。しかし、これを理解しない経済学者がいることは嘆かわしいことです。

 さて、個々の企業は、<人件費を下げたい。でも需要は増えて欲しい>と願います。特に景気がよくないときや、市場競争が激しいときには、なおさらそうでしょう。
 その時、企業はどのような行動をとるでしょうか? これは必ずしも明確に回答できる問いではありませんが、2000年に日銀が行った調査(この前後に世界各国の中央銀行が同様な調査を実施しています)では、日本企業は製品価格を引き下げるために、非正規雇用の拡大を通じて人件費を圧縮したことが明らかにされています。(欧米の企業の対応は若干異なります。)
 しかし、その結果は、今では多くの人が知っているように、日本社会全体における賃金所得の低下であり、総需要(消費、投資)の縮小でした。
 しかし、企業は総需要が拡大するという願望を捨てたわけではありません。そして、それは次の2つの政策期待となって現れます。
 1 金融政策。ゼロ金利政策、量的緩和政策といわれるものです。
 2 円安誘導による輸出拡大。

 1と2の政策の主張は、日銀批判となって爆発することもありました。企業が自分たちで自分たちの首を絞めていることを棚に上げて、日銀がきちんと仕事をしていないと非難するわけです。
 ただし、2については、ここ3年間に日本の貿易収支が赤字だったことを考えると、まったく理解できないわけでもありません。(詳しいことは省きますが、従来も、貿易収支の大幅黒字が続くと、円高になって輸出が抑制されて貿易収支の黒字幅が小さくなり、すると日本の輸出企業が「涙ぐましい」努力(リストラを含む)をしたり、円安になったりしてふたたび輸出が増えるというサイクルが繰り返されてきました。この点で、昨年からの円安は必ずしも理解できないわけではありません。)しかし、大幅な黒字でなければ不安を感じるというのは、貿易赤字不安症の症状に他なりません。
 
 さて、量的緩和政策というのは、日銀が市中銀行に対してマネタリーベースを増やすということであり、ただちに市中銀行の企業等に対する貨幣供給が増えるということを意味するものではありません。それが増えるためには、銀行の貸出態度の改善も重要ですが、何よりも企業の投資(特に内部資金が不足しているために銀行貸付を不足している企業の投資)が増えることが必要です。しかし、そのためにはーー前に書いたようにーー消費需要が将来拡大するという企業の期待がなければなりません。
 
 端的に言いましょう。現在、円安による物価上昇率が1.4%にまで上がっています。その上、4月からは3%ポイントの消費税率の引き上げがあります。合計で最低4.4%の賃金引き上げがなければ、勤労者は実質的に賃金率が低下したと感じることになります。
 もとより消費税率の3%分が多数の、特に所得の低い人々の個人的支出を補うような形で政府によって使われるならば(例えば、教育費や医療費、年金など)、事情は異なります。しかし、それを期待している人々はどれほどいるでしょうか?
 
 先日、某テレビ局の放送を見ていたら、某エコノミストがインフレ率を超える貨幣賃金の引き上げは3ないし4年後になると述べていました。唖然としました。つまり、ほとんどすべての日本の勤労者にとって3、4年は景気の悪い状態が続くという結論になるわけです。

 人件費を下げたい。でも需要は増えて欲しい。この虫のよい、しかし切実な要求は、資本主義経済が誕生したときからの企業家の切なる願いでした。しかし、財政負担はしたくないので、財政政策には期待しない、という。(あるいは国際競争が厳しいという理由をつけて、法人税を引き下げ、消費税を引き上げるべきだという雰囲気をマスコミを通じて流す。)また金融政策が効くとエコノミストに言ってもらう。(特に株価が上がるとうれしいという雰囲気をかもしだす。)

 昔、まだ私が学生の頃は、多くの経済学者がマルクスやケインズを読み、個別資本の立場と社会的総資本の立場の区別、ケインズの有効理論のエッセンスを理解していました。また当時の企業家の多くも現代経済のしくみをそれなりに理解し、勤労者所得の引き上げと言う「妥協」が必要なことを知っていたように思います。

 バーゲート墓地のマルクスやケインズが聞いていたら、さぞかし嘆くことでしょう。もちろん企業家の虫のいい要望に対してではなく、エコノミスト諸氏の理論的なレベル低下に対して・・・。