2017年6月13日火曜日

偉大なるヴェブレン 

 ヴェブレンの大著『不在所有権と営利企業 アメリカのケース』の粗訳がようやく四分の三ほど終了した。まだまだ先は長い。
 
 ところで、ヴェブレンは、旧制度派の祖としてよく知られており、いわゆるアングロサクソン系の理論経済学というより社会学者としての側面が強調されることが多い。
 しかし、ヴェブレンには、その後に続くスラッファ、ケインズやカレツキなどの超ビッグな経済学者の発想を先取りする事柄が多く含まれていることが明らかになってきた。
 その一例として「収穫逓増」「費用低減」。ちなみに、もちろんこれは新古典派の非現実的、仮想的想定にまったく反する。
 ここでは、とりあえず一節のみ紹介したい。 

 「ある一定の、変動するが有効な限度まで、産出量の増加は大量生産の方法によって一単位あたりの逓減する費用で生産されるかもしれないことは経済学者にはよく知られている。この収益逓増または費用逓減の法則は、大規模機械産業一般におけるとまったく同様に、大規模な広告における顧客の生産にも当てはまる。」(307ページ)

ここで「経済学者によく知られている」という節に注意してもらいたい。アダム・スミス(『諸国民の富』1776年)をはじめとする多くの経済学者は。「収穫逓増」の事実をよく知っていた。アダム・スミスが特に経済発展の途上にある国にとって外国貿易の利益を説明したことは、その点と関係している。つまり、増加する輸出需要によって生産量が拡大すると、規模に関する収穫逓増によって、費用が逓減し、その国の産業はより有利な状態になる。経済発展の途上にある国を特に強調するのは、そのような国は、国内市場が狭く、生産量が制限されているからに他ならない。
 
 だが、もちろん、ヴェブレンも忘れずに指摘しているように、すべてのケースで「収穫逓増」が当てはまるわけではない。一部の産業、特に農業のような土地に制約されている産業では、普通に見られる条件下では、「収穫逓減」が成立する。これがリカードゥなどの経済学者にとっては、地代発生の理由を説明する条件であった。とはいえ、これは大量生産を特徴とする近現代の機械制生産には当てはまらない。それにもかかわらず、新古典派経済学は、その理論的要請から、非現実的な収穫逓減を一般化し、彼らの仮想的理論を組み立ててきたのである。

 

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