2019年3月4日月曜日

T・ヴェブレン(4)

 最後は、ふたたび日本。
 日本の政治家たちは、第一次世界大戦中にドイツに対する期待(ドイツが敗戦し、大国として復活することはないという展望)を失い、敵対的な態度を取り始めた背景(冷静な、抜け目のない計算)を示す。
   
 The New Republic, Vol.XI, June 30, 1917 に掲載。


日本人はドイツに対して希望を失う

  日本軍が協商国を支援してヨーロッパの海域に送られることとなった最近の動きは、ドイツの最高司令部と協調して、またドイツの大義の究極的な勝利のために実施されるべく計画された計略ではないと想定すると、ヴェルダンへの攻勢の失敗以来のヨーロッパにおける最も辛酸で得心のゆくエピソードである。辛酸というのは、ドイツの見地から見てのことである。たったいま語ったように、それがベルリンの疑似東洋的政治術と歩調を合わせて東洋の政治術によってなされた計略ではないといつも想定すると、それは極東の帝国の政治家たちが今日まで説明を投げ出し、ヨーロッパの参戦国をもてあそび、敵対的態度を終わらせるか、それとももっと追求しながら適当な段階における帝政ドイツとの同盟の機会をあけておくことによって天皇制日本にとって得るべき利益はないと結論したことを明白に示している。天皇制日本は、ドイツとの攻撃的同盟の事実上の利用による日本の外的な利益が(日本のさらなる拡大のスキームに対する協商国の側における敵対的態度の確実性に対立するものであり)もはやまじめに注意するに値しないという確信に明らかに達した。

 極東の見地によって生じ、帝政(天皇制)体制に対する将来的な損得の点でまったく冷静に評価される長期的で冷静な展望から見ると、ヨーロッパの戦況は必然的にやがて「代替的な利用」という大問題となるだろう。日本の政策を統御してきた保守的な、すなわち帝国主義的で反動的な政治家たちは、ドイツに対するどんな回避できる攻撃も避けるべきと一貫して考えてきた。抜け目のない帝政の政策ならば、幸運な時局が生じるときにはいつも、現在の敵対関係が終わるともに協商国の中で生じると期待されている脆弱さと崩壊の時期の間に生じるどんな利益でも得るために、ドイツおよびその追随者との緊密な同盟を交渉することもまた明らかである。しかし、そのような政策は、ドイツ帝国が現在の困難から本質的に完全に抜け出すはずだと想定している。完全に、というのは、少なくともプロイセンの政治家の支配と政策の下にあるドイツ帝国としていまだにビジネス(商売)をする程度による。日本軍の現在の動きは、恥知らずな政治術のあらゆる達人の中でこうした最も抜け目のない、最も冷淡な、そして最も警戒するべき者がドイツ帝国軍にとってきわめて幸運な結果の機会がまじめに考慮するに値するにためはいまや小さすぎると決めたことを示すように思われるだろう。換言すれば、それは、日本の帝政政治家の理解では、しばらくして引きなおされるヨーロッパ地図にドイツ帝国が現れることはないことを意味する。またそれは、彼らの理解では、たとえ天皇制日本の軍隊がドイツ帝国とその同盟者の側に無制限に投入されるとしても、この辛辣な運命に救済策がないことを意味する。この推測からはまた、この日本の「代替的な利用」の勘定にそのような結論を与えたのは、アメリカの参戦かもしれないことが示される。

 

 

 

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