2015年10月12日月曜日

H・ゲーリングと G・ギルバート 戦争についてのやりとり 


 第二次世界大戦後、ドイツ・ナチスの軍人 H・ゲーリングは、ドイツ・ニュルンベルクで戦争責任を問われる裁判を受けたが、そのとき、米国の心理学者G・ギルバートが通訳、調査をするために、ニュルンベルクに派遣された。その後、ギルバートの著した著書(ナチスの心理学的分析)は、現在にいたるまでこの領域の研究上の意義を認められているようだ。
 次は、そのゲーリングとギルバートのやりとりの一部。

 ゲーリング:普通の人は、戦争を好まない。ロシアでも、イギリスでも、アメリカでも、その点ではドイツでも。それはわかっている。しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者たちであり、民主主義であれ、ファシスト独裁であれ、議会の独裁であれ、共産主義の独裁であれ、国民を引きずり出すのはいつも簡単なことだ。

 ギルバート:一つの違いがある。民主主義では、国民は選挙された代表を通じて問題について何かを語り、合衆国で宣戦布告できるのは議会だけだ。

 ゲーリング:それはまったく正しい。しかし、声があろうとなかろうと、国民はいつも指導者の命令に従うだけだ。それは簡単なことだ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けており、国を危険にさらしていると非難するだけでよい。

 戦後の1945年、今度はアメリカ合衆国が、あの「トルーマン・ドクトリン」を出したトルーマン大統領の下で、国連憲章第51条に「集団的自衛権」を認める条項を入れさせ、その後、現在にいたるまで、この「集団的自衛権」を根拠に、アメリカ合衆国が攻撃を受けているわけではないのに、様々な地域・国に軍事介入をしてきた。その中でも有名な事例はベトナム戦争(北爆など)である。現在までに米国が関与した紛争・戦争(必ずしも米軍の直接的な軍事攻撃でではないが)における死者は3千万人に達しているといわれている。

 さて、残念ながら、現在でも、ゲーリングの最後の言葉を完全に否定することは難しい状態ではないだろうか。

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