2015年11月18日水曜日

諸国民間の金融緩和、通貨安戦争と不和 英国・ガーディアン紙の挿絵は語る

 私が学生だったころには、マネタリズム(貨幣数量説)は、まともな経済学者なら相手にしない「カルト信仰」だった。もちろん、いまでもそれは本質的にはカルトに他ならない。何故か?
 それは、「他の事情が不変ならば」(ceteris paribus, other things being equal)(という呪文のような言葉から始めまり)、物価は貨幣量(貨幣ストック)に比例すると述べる。数式を使えば、次のような式で示される。
 P=MV/Q   P:物価水準、M:貨幣量、V:貨幣の流通速度、Q:生産量

 この式は、「他の事情が不変ならば」というのは、VとQが一定ならば、という意味である、ことを示している。
 また物価は貨幣量に比例するという表現は、物価が従属変数(結果)であり、貨幣量が独立変数(外生的に決まる変数、つまり原因)ということを含意する。

 しかし、人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい、と言いたい。
 まず貨幣量が原因(独立変数)であり、物価が結果(従属変数)だという論理は、どのようにしたら証明されるのだろうか? 彼らは黙して語らない。
 なるほど、最も抽象的な思考実験を頭の中で行い、頭の中で上の数式中のMを変化させれば、それに応じて価格Pは変化するだろう。もっとも頭の空想世界でも、様々な商品があり、それぞれ物価は異なるはずである。そこで、頭の中では、(例えば)貨幣量を2倍に増やすと、A商品の価格x円は2x円になり、B商品の価格y円は2y円になる、・・・などなど一律に上昇することになるのだろう。
 しかし、それは頭の中の世界のことであり、現実世界ではない。

 では、現実世界ではどうなのか? 
 私たちは、現実世界では、諸物価がそれぞれ異なった率で上がったり、下がったりしていることを知っている。何故か? 物価は、当該商品を生産する費用を反映しているからである。そしてその費用は商品ごとに異なった要因によって様々に変動している。しかも、ある人にとっての費用は別の人にとっての所得である。つまり、商品価格は本当は、誰がどれだけの所得を得るのかという問題を離れて論じることができないのである。
 いま一つ、貨幣量の変化について。貨幣ストックは、中央銀行が恣意的に決定できないことは、実は、マネタリストでも知っている。もし知らなかったならば、完全に馬鹿である。中央銀行が直接影響を与えることのできるのは、マネタリーベース(銀行の中央銀行に対する預金+中央銀行券)と言われる部分についてであり、銀行が市中に供給する貨幣量ではない。しかも、銀行が市中に供給する貨幣は、貸付を通じて行なわれる。要するに、貨幣ストックは、人々(企業、政府を含む)が借りなければ増加しない。決してヘリコプターからバラまかれるのではない。
 その貨幣に対する需要は、様々な要素(商品取引のための需要、資産への投機需要、その他、手元に置いておく必要など)からなっている。つまり、貨幣ストックは、(中央銀行が勝手に決めることのできる)外生的な独立変数ではなく、内生的変数である。そこで、もちろん貨幣の流通速度は諸要因によっても変化する。さらに、貨幣量が増えても、それは通常の商品の流通のために使われるのではなく、株式や国債、土地などの資産の売買に使われる場合もある。
 
 議論はここまでにして、論より証拠、事実を見てみよう。黒田日銀の涙ぐましい「異次元の金融緩和」政策によって、たしかに安倍・黒田後、マネタリーベースは恐ろしく増えたことは否定できない。しかし、市中銀行の貸付額はといえば、それはわずかしか増えていない。その結果、<貸付額/マネタリーベース>の値は大幅に低下した。
 
 これはあたり前の結果に過ぎない。
 そういえば、ジョン・ガルブレイスは、(1980年頃の米国のFRBのように)中央銀行が高金利政策(金融引締政策)をとって企業の財務状況を悪化させ、景気を悪くすることは可能だが、低金利(金融緩和策)によって景気をよくすることはできないと論じたが、もちろん、これは正しい。つまり、「紐で引っ張ることはできるが、押すことはできない」ということである。この「ひも理論」の発言は、ジョン・ガルブレイスよりずっと以前、1930年代の世界大不況のとき、米国FRBのお偉いさん(議長?)が漏らした言葉のようだ。つまり、<金融緩和策は景気をよくすることができない>というのは、1930年代の金融専門家の経験に裏づけられたものだったのである。
 マネタリズムが「カルト信仰」だということは、昔、私が学生だったころには、よく知られた事柄に属していたのは、理論的に確証されていただけでなく、経験によって裏打ちされていたのである。

 ただし、少し困ったことに、マネタリズムには一つだけ無視できない点がある。それは低金利・金融緩和策が当該国の通貨安(通貨切り下げ)を実現する可能性があるという点である。もしそうならば、各国はそのような金融政策を通じて相互に通貨安戦争をしかけ、輸出を拡大する道(新重商主義)を模索するかもしれない。

 だが、注意しよう。歴史的には、そのような方策こそが世界戦争を引き起こした経済的原因のうち元と重要なものであり、またそれゆえケインズなどの憂慮した事態であった。
 そして、世界は一度はそのことを理解し、そして反省し、比較的まともな資本主義を修正することに成功した。
 だが、それも一時のことであった。
 思えば、今日の事態を招いたのは、1980年代に始まる新自由主義(ネオリベラル政策)・マネタリズムの思想であり、その結果実施されてきた労働の規制撤廃、民営化(私有化)、金融・資本移動の自由化、等々の市場原理主義の政策である。それは賃金、そして消費需要を圧縮し、経済的パフォーマンスを悪化させ、金融危機を引き起こし、今日の事態を招いてきた。

 今日の殺伐とした風景。資産バブルと金融崩壊後の景気後退。そして金融の量的緩和と通貨安戦争。英国紙・ガーディアンの一枚の風刺画は、それをよく示している。
 私たちの眼の前にあるのは、各国通貨のバーゲンセールというおぞましい風景である。
 

 Guardian, January 25, 2015.

0 件のコメント:

コメントを投稿