2016年10月19日水曜日

「トリクル・ダウン」理論の歴史、というほどではないが・・・

 世に「トリクルダウン」という語句があるが、この語句の意味するところにもそれ相応の歴史があるようである。

 私の知る限りでは、この語句は、最初--かどうかわからないが、とにかく1930年代初頭という早い時期に--ウィル・ロジャース(Will Rogers)という人物(humorist)によって使われたようである。1930年代初頭というと世は、「大不況」の真っただ中。当時、アメリカの大統領だったハーバート・フーバーがある種の政策を取っており、それをロジャースが皮肉った。

 「お金が、お金を持たない人々にしたたり落ちるという希望の中で、ほとんどすべてが上位階層(top)のために横取りされてきた。」(money was all appropriated for the top in hopes that it would trickle down to the needy.)

 ここに見られるように、「トリクルダウン」の比喩は、最初は、批判的な意味を持っていた。

  また「トリクルダウン」と同じような意味で、「馬と雀」の経済学と呼ばれるものもあったようである。ジョン・ケネス・ガルブレイスの若い頃、というから、やはり1920年代か1930年代の頃だろうか? 話は次の通りである。

 「もしあなたが馬に十分なオート麦のえさを与えるならば、その一部が馬からこぼれて、道に落ち、雀のえさになる。」( If you feed a horse enough oats, some of It will go through the horse and then fall on the road for the sparrow.)

  これも「トリクルダウン」と同じで、当時の政策を批判するものだった。

 これに対して、「トリクルアップ」という意見もあったとされている。
 これは、最初、お金(所得)が低所得者に分配されても、最終的に上位の高所得者に吸い取られてしまうという内容らしい。しかし、一時的であれ、低所得者にお金が行くからよいではないか、という主張だったともいう。

 世は変わり、ふたたび1980年代。英米の「新自由主義」政策、供給側の経済学とともに、「トリクルダウン」が復活した。しかし、一度目は、皮肉・批判だったのに、今度は言い訳として、政策当事者または政策の擁護者によって堂々と言われたのが特徴。まず最初、富裕者がよりいっそう豊かになれば、いつの日にか「貧民」もおこぼれを頂戴するでしょう、と。

 しかし、それは「百年河清を俟つ」ようなもの。いつまでたっても、黄土を含んだ黄河の水が清くならないのと同様、99%の人々、労働者の雇用者所得は上がらなくなりました。
 
 それはそうだろう。
 国民所得は、次式で示される。
    Y=W+R     国民所得=賃金+利潤
 これは恒等式であり、簡単に言えば、新自由主義政策とは、賃金を抑えて、利潤を増やす政策のことであり、また増えた利潤や所得にかける租税(法人税や所得税の限界税率)も減税するというもの。それが続く限り、賃金が上がらないのは当たり前の話。
 賃金をあげるには、新自由主義をやめて、ジョン・ガルブレイスのいう「対抗力」を99%の人々につけさせることが必要。 
 でも、そのためにはどうしたらよいか?

 これは私が女性のための集会で話したとき、質問された内容でもある。質問は、特に非正規雇用者の低賃金をいかに引き上げるか、最低賃金をいかに引き上げるか、に関係していた。
 私の答えは、
  1)労働運動の強化(完全雇用は労働側の力を強めるから、それを求める)
  2)市民運動の強化(アメリカやイギリスの例を見習おう)
  3)新自由主義政策(構造改革など)を実施している政党(はっきり言えば自民党)に投票する
    のをやめ、親労働者の政党に投票する。
という3点に要約できる。

 その質問の前に、私は、賃金を引き上げても、失業が増えないことを理論的に、また英米の経験を踏まえて話していた。
 ところで、たまたまその会に自民党の衆議院議員が一人いて、その議員氏から「賃金を上げたら、失業が増えるのではないかと思うが、そうではないと言われる。英米で失業率が上がらなかったのは、たまたま景気がよかったからではないのか?」と言った趣旨の質問を受けたことを思い出す。

 これはきわめて重要な論点をなしている。なぜ賃金の引き上げが失業を増やさないのか? 高賃金は失業を増やすという「思想」にとりつかれている人に、是非とも説明する必要があろう。

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