2022年12月5日月曜日

物価について 5 所得分配をめぐる紛争

  しばしばインフレというと、やれ「コスト・プッシュ」だ、やれ「デマンド・プル」だという人が出てきます。そのように語っている人自身が自分の言うことをどれだけ自覚的に認識しているかは不明ですが、なんとなくそう言っているだけかもしれませんし、あるいはここでも言及した需給曲線の均衡点「理論」を念頭に置いているのかもしれません。しかし、すでに述べたように、需給均衡理論は、所与の環境が同じという状態のもとで、何らかの偶発的な撹乱要因が作用した場合に、どうなるかを示す努力もしてはいますが、終局的には、事態が均衡点(p、Q)にどのようにして収束するかを示すものであり、本質的にインフレ(やデフレ)といった均衡を壊すような事態を説明することができるような理論体系ではありません。その上、例えばコスト・プッシュはただ単に生産費用が上がるということ、つまりインフレが生じているからインフレが生じるということを示すにすぎず、要は同義反復にすぎません。デマンド・プルの場合も、人々の所得=購買力が増加したので、需要量が供給量をオーバーする結果として、インフレが生じると言われると、何となく説明しているようにも見えますが、通常はインフレが生じると、経済における調整が進行し、人々の(名目)所得も増えるので、それが次のステップのインフレを持続させるという面がなくもありません。

 誤解のないように言っておきますが、私は供給側や需要側の要因がまったくないと言っているわけではありません。ただ、その具体的な様相をはっきりさせずに、抽象的にコストだデマンド(需要)だといっても無意味だと言いたいだけです。おそらく、インフレ(そしてデフレ)の一般理論を構築するとしたら、ポスト・ケインズ派の人々が語るように、「所得配分をめぐる紛争」が根底にあると言えるでしょう。そこで、ずっと後で、新古典派の均衡理論をディスする前に、 簡単に所得分配をめぐる紛争(conflicts)とはどのようなものかを説明しておきましょう。(ここで、「紛争」という言葉が何か資本主義の欠陥を指し示すように思えるため、気にくわないという人がいたら、そうした人のためには、「競争」と言い換えてもよいと思います。

  「所得分配をめぐる紛争(競争)」ということのイメージをはっきりさせるために、1970年代のインフレーションを取りあげます。このインフレーションは、日本などの原油輸入国にとっては、輸入する原油価格の高騰によって進行したので、輸入原料(原油)の値上げによるコスト・プッシュとも輸入インフレとも言ってよいでしょう。フリードマンの言うように、決して通貨増発が原因だったわけではありません。当時は、フリードマンを神のように崇める人もいましたが、今そのようなことを言ったらただのおバカさんです。

 が、そもそもなぜ原油の価格げ突然急激に引き上げられたのでしょうか? そのためには、戦後の国際経済体制を概観しておく必要があります。つまり戦後、日本、ドイツを含む欧米社会が産業的発展を謳歌する中で、第一次産品の生産と輸出に特化していた産油国を含む途上国は、輸出品の価格低迷に苦しんでいました。このことは、いわゆる交易条件に関する各種の統計を見れば一目瞭然です。(ここでは面倒なので、示しませんませんが、興味のある人はググって確認してください。)

 なぜか? 力、すなわち市場支配力の差です。欧米日の主要国は圧倒的な資本力を持ち、途上国の製品(第一次産品)を安価に買いたたくことができました。例えばコーヒ豆の生産者は多数ではあっても、資力の乏しい分散した小規模な農夫であり、一方、買う側は巨大な独占的企業です。彼らにとってはあたかも赤子の手をひねるようなもの、勝負あったです。ついでに私が大学のゼミ報告大会で経験したことにもふれておきます。私の学生は、なぜか報告テーマにコーヒー豆に関連した「フェアトレード運動」を選びました。そして、当日、報告すると、ある大学の若い教師が「自由市場に介入するのは、公正な市場を歪めるのではないか」と問うたしだいです。この後の展開は省略しますが、質問した教師は、どうやら自由で公正な市場が存在すると本気で信じていたようです。

 原油については、1960年代まで欧米の石油メジャーが中東の油田を支配しており、原油をやすく買い取り、欧米日に輸出して巨万の富を築いていたことは言うまでもありません。 「石油メジャー」、今では懐かしい言葉になりました。

 ところが、そんな中東の産油国にとって絶好の機会が訪れました。それは第四次中東戦争です。この機会を捉えて、彼らは国際石油カルテルを結成し、自国の原油販売価格を何倍にも上げることに成功しました。これは、原油を輸入している国にとっては、これまでの代金の何倍も支払わなければならないことを、つまり巨額のオイルマネーが輸入国から輸出国に移転したことを意味します。ロシアがウクライナと戦争している今現在も、本質的にはまったく同じことがおきていますが、これは日本の統計も認めている通り、巨額の所得(マネー)が原油(+ガスなど)の輸出国に流れていることを意味しています。

 イギリスの著名な経済学者のN・カルドア卿は、1980年代に書かれた本の中で、このオイルマネーの総額を推計していますが、いまは本棚をひっくり返して調べるのが面倒なので、詳しい紹介は省略します。ともかく、輸入国の景気を例えば3%も悪化させるほどの、所得流出だったわけです。そして、当時(1970年代初頭)すでに3%の経済成長を実現することが難しくなっていた欧米諸国はGDPの低下を伴う激しい不況に陥りました。ちなみに、日本の成長率は5,6%ほどはあったので、プラス成長は維持したように思います。

 この出来事は、振り返って見ると、戦後の世界経済体制の枠組みはがらっと変わる転機をなしたことは間違いありません。途上国は、また中国も、ひたすら第一次産品の輸出国の状態からの脱却をめざし、工業化の政策を推進してきました。一方、欧米諸国では、それまでの福祉体制から脱却しようとして、新自由主義政策(自己責任の強調、リストラ、金融の自由化など)を進めるとともに、工業分野を安価な労働力の途上国に移転させてきました。現在の国際経済体制が1970年代と1980年代に生じた大転換の余波の中にあることは、否定できないと思います。

 少し脱線気味になりましたが、元に戻り、もう一つ1991年のロシアのハイ・インフレについて述べたいと思います。きちんとした統計資料をあげながら書くのがおっくうなので、記憶にもとづいて大雑把な話しをしますが、大体の筋は間違っていないと思います。

 習知のように(?)、ゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長に就任し、ペレストロイカをはじめてから、ソ連経済にもかなり大きい変化が生じました。その全てに言及することはできませんが、インフレに関連する限りで言うと、ソ連のゴスバンクが国有企業に与えた貸付額も巨額に膨れ上げっていました。建前上、ソ連企業は、利潤を国庫に納めることとなっており、また損失を自己負担することになっていましたが(独立採算制)、実際には、ゴスバンクが融資によって補塡していました。また経済発展のための設備投資が推奨され、そのための資金もジャブジャブと供給されていました。こうした潤沢な資金は、様々な経路を通じて従業員の貨幣所得(労働報酬、給与・賃金)を大幅に増やしたとされています。私は正確な統計を持っていませんが、ごく短期間のうちに倍になったとも言われています。しかも、この間も供給側の要因はほとんど改善されていなかったわけですから、末期の旧ソ連では、激しい需給不均衡が生じていたことは間違いありません。またかなりのインフレーションが避けられないという見透しもありました。したがって人々は、給与を手にすると買物競争に 走り、その結果、「モノ不足」「行列」が日常茶飯事となりました。テレビでこうした報道を見て、ソ連は「貧しくて、モノ不足」という印象を持った人が多かったはずです。

 ちなみに、ゴスバンクが融資した貸付が企業によって、また給与として受け取った従業員によって返還されることはありませんでした。これは、アベノミクス(異次元の金融緩和、事実上の日銀の国債引受)によって政府に巨額のマネーが渡っている日本に似ていなくもありません。この国債は、近い将来償還される当てもなく、むしろ今後増えていくだろうことは誰もが予想していることです。そして、もはや日本人はMMTという神様のような存在にすがりつくしかない状態にあるようです。かつてハンガリーの経済学者ヤノシュ・コルナイは、「ソフトな予算制約」(銀行がいくらでも求めに応じて資金を提供する)という用語を用いて、ソ連経済の作動様式に批判的見地を示しましたが、日本がそれに近づいていることは、不気味な限りです。

 また脇道にそれました。ロシアに戻ると、すでに1990年には、ロシアを自由な市場経済にすれば、激しいインフレが生じるであろうことは多くの識者には明らかになっていました。それに加えて、ロシアでは1991年に激しいインフレに道を開く本質的な「改革」が実施されました。その中でも最も重要な施策の一つは、私有化(privatizatsiia)です。多数の国有企業が二束三文で旧経済官僚の手に売却されました。

 ここで旧ソ連の国有企業の多くが独占的な、つまり競争相手を持たない巨大企業だったことを思い出す必要があります。二束三文で独占的な巨大企業を手に入れたオリガーキーは、思う存分所得(利潤)を増やすために、何の気兼ねもなく、自社製品の販売価格を上げはじめました。ここには、前に欧米企業ビジネスマンを価格粘着性に固執させる動機はまったくありません。ロシアの消費者は、値上げされた商品を買うしかなかったのです。もちろん、インフレとともに、賃金の引き上げを求める声も高まります。かくしてインフレのスパイラルはとどまるところなく、進行します。現象としては、「コスト・プッシュ」も「デマンド・プル」も生じることになるのです。

 そして、このインフレを止める最後の手段としては、中央銀行の金融引き締め策しかないことに人々は気づきます。別に貨幣量の拡大がインフレの原因ではなくても、そうせざるを得ないというジレンマがここには見られることになるわけです。

 さて、ここまで書いてきましたが、近年(ここ30年?)の日本では、インフレではなく、デフレに見舞われてきたが、こちらはどうなのかという疑問もあるかと思います。そこで、つぎにこの点をいくぶん詳しく見ておきたいと思います。

 (続く)

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