2022年12月6日火曜日

物価について 6 日本のデフレ プラス企業の価格設定方式

  今回もつらつらとですが、デフレについて書くことにします。

 本当は、研究書を参照しながら正確に書きたいのですが、鴨長明ではありませんが、わが家はとても狭く、私の部屋も方丈さながらの4.5畳、他の部屋にも本を置いていますが、置ききれずに段ボール箱に入れている始末、いちいち出して読む気になれません。ということで、頼りになるのは記憶のみ。

 さて、日本では長らくデフレ(物価水準の低下)が続いていると言われてきました。本当にデフレかというと怪しい点もあるのですが、まあ、デフレということにしておきましょう。最もデフレといっても、あらゆる商品の価格が低下してきたわけではなく、上がるモノがあれば、下がるモノもある、といった体(態)であり、ただ平均すると下がっているということです。価格が下がるのは、主に工業製品であり、その理由は単純に生産性が上昇するからに他なりません。もっとも生産性が上昇しても価格が安定している場合もあれば、上がる場合もあるわけですが、昨今の日本では下がり気味でした。一方、サービス産業の場合、あまり生産性は上がりません。(なぜかって、例えば教師や床屋さんなどを考えてください。彼らは十年一日のごとく、同じペースで生徒を教えたり、髪を整えています。)そこで、ほおっておくと、製造業における人々の平均所得と比べて相対的に少しずつ所得水準が低下してきます。もしその職業が社会的に不必要なものであれば、やがていつかは姿を消すでしょう。しかし、もし社会的に有用なものであり、需要があれば、彼らが生きていくための所得(living income)を保障しなければなりません。言っておきますが、彼らが怠けているわけではありません。それはその産業の性質によるものです。

 前置きが長くなりましたが、「日本のデフレ」と言われているものを調べるには、少し歴史を遡って見る必要があります。それに加えて、企業というものがどのようにして自社製品に価格をつけているのか、つまり価格設定方式なるものを知る必要があります。

 後者から見ておきましょう。おそらく猿は分からないでしょうが、おそらく中学生や高校生ともなれば理解すると思いますが、モノを作るには費用がかかります。 そして、その費用は、1)プラント(工場や機械など)の減価償却費、2)製品の原材料・エネルギー代、3)賃金・給与(従業員への支払い)、4)利潤(これは株主への配当、経営者報酬、企業の内部留保、法人税などに分かれます)です。この他に雑多な支出があるかもしれませんが、取るに足らない額ですので、略します。これを見て、4)利潤は費用ではなく、売上げから費用を差し引いた企業所得(利得)ではないかという人がいるかもしれませんが、そのように考えることも可能ですし、いや、それも社会的に見れば生産するための費用に違いないと考えることもできるでしょう。私はどちらでも構わないと思います。

 さて、企業はこれらの費用を回収し、もちろん4)の所得を実現するために、複式簿記をつけており、そのための計算を実施します。そのとき、普通一般に行われていることが知られている方式は、「マークアップ方式」(mark-up)と言われているものです。実例としてよく知られているのは、小規模飲食店のそれです。そこでは、材料費を計算し、その2倍になるように値段を設定するというものです。例えば材料費400円かけて作ったラーメンは800円也というわけです。そして、付加価値(800円-400円=400円)から従業員の所得やその他の費用を捻出することになります。普通の企業の場合には、もう少し複雑で、少なくとも原材料費やエネルギー代(電気ガス石油代など)に人件費(主に従業員の給与)を加えて、その額に一定の率をかけて、総額を計算し、それを生産量で割って算出する。これが普通のやり方です。

 p=(c+w) m / q

 価格=(原材料費・エネルギー代+人件費)×マークアップ率÷数量

 1,800円=(1,000,000円+500,000円)×1.2÷1000単位

 この場合、粗利潤は総額300,000円となり、それがプラントの減価償却費と利潤に相当する部分ということになります。ここで理論上問題となるのが、マークアップ率がどのように決められるのかという点ですが、これが必ずしもきちんと説明されているわけではありません。多くの場合には、これまでの経験から過去に実際に実現されたマークアップ率を計算し、それを新たな価格付けに際しても適用することが多いようです。(この問題をさらに追求すると、かなり複雑で、複合系の問題になってしまうので、ここでは断念します。)

 さて、もしあなたが会社の経営者だったならば、利潤(利得)を増やすために、どのような方策を考えるでしょうか?

 競争的な環境の中で長期的な観点から考えれば、設備投資を通じて技術革新を行い生産性をあげればよいというのは一つの有力な考えであり、実際、高度成長期には、またその後も欧米に比べて比較的高い成長率を実現していた1980年代まで日本企業はそのように行動してきました。

 ところが、1991年が日本企業にとって一つの大転換になりました。シニアの人ならば誰でも覚えているはずの、バブル崩壊と金融危機です。戦後経験したことのなかったような景気後退も生じました。しかも、その年は、戦後のベビーブーム期の最高点(1947年)に生まれた人々が44歳になった時です。40代といえば企業でも入社後20年以上たち給与がかなり高くなった時期です。会社経営者にとっては、不況の中で増えてゆく人件費が頭痛の種だったはずです。

  悪魔が彼らの耳元でささやいたに違いありません。「賃金を圧縮せよ! さらば救われん」というわけす。

 もっとも私もそうですが、会社経営をやっている人ならば、戦後の高度成長期に大学でケインズ経済学を学んだはずであり、彼らがきちんと理解していると仮定するならば、「合成の誤謬」なるものを知っていたはずです。 それは、「もし賃金圧縮をあなたの会社が行うだけならば、あなたの会社の製品価格を引き下げることができ、その結果、あなたの会社の売上げ、そして利潤は大きく増えるであろう」が、しかし、「もし賃金圧縮をあらゆる会社が行ったならば、日本国民の総給与所得は減少することになり、その結果、彼らの購買力は低下し、有効需要は減少し、不況となる危険性が高い」と教えたはずです。

 ところが、いかなる偶然か、1992年に日本も加盟しているOECD(先進国の仲良し経済クラブ)の企業者グループが「ケインズ殺し」を行いました(ケインズは1950年になくなっているので、ここで言うのは、当時盛んに「ケインズ(理論)は死んだ」ということです)。

 彼らはケインズから、アメリカで流行していた新古典派または90%以上が新古典派経済学である「新ケインズ派」へと鞍替えし、新しい「理論」を唱えるようになっていました。その主たる主張というのは、高賃金は(あるいは労働者を簡単に解雇できないような硬直的な労働市場を持つ国は)、高い失業率という代償を支払わなければならないというものでした。その上、その主張の矛先が日本に向けられたのです。1992年にOECDが日本に対してなされた対日勧告は、なぜかこの国ではよく知られていませんが、その後の政策変更を決定づけた点で、きわめて重大な意味を持つものです。さすがに当初は日本政府も躊躇しましたが、結局のところそれを受入れ、あまつさえ積極的に推進するようになります。

 一方、経済界でもそれに同調する動きが活発化します。こちらは覚えている人が多いと思いますが、『新時代の日本的経営』なる本が1993年に出版され、その中で、非正規雇用と期限付き雇用を日本は推進するべきことがはばかることなく謳われました。

 こうして<高賃金>、<労働者を保護する日本的労働制度>が積極的に宣伝されるようになり、その動きはマスコミや労働組合(もちろん連合です)にまで広がってゆきます。これに反対する主張や運動はあたかも「反動」であるかのような論調が広がっていったのが1990年代という時期でした。そして、その施策は、はやくも1997年から実施に移されます。

 ただし、 ことわっておきますが、その被害者となったのは、ベビーブーム期生まれの年代ではなく、むしろこれから新たに労働市場に入ってゆく新卒世代でした。はっきりしているのは、40代50代を敵にまわせば、政治的に持たないことが分かっていたからです。昔から「分断して統治せよ」(divide and rule)と言います。多数者を敵にまわすのではなく、分断された少数者を従わせるのは、古来からの政治家の常套手段です。

 「失われた世代」(lost generation、ロスジェネ)なる言葉が生まれたのは、これより後のことでしたが、 その因はすでに1990年代に生まれていたわけです。

 ここで書いた90年代の経過や、その後の帰結などについては、まだ書くべきことがたくさんありますが、今回は以上にとどめておきます。いずれにせよ、デフレもまた「所得をめぐる紛争」と深くかかわっていることははっきりしています。 

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