2014年2月18日火曜日

ユーロ圏の危機 10 ユーロは存続可能か? 国民の分断の危機

 現在、ユーロ圏諸国が直面している課題は一つではありません。
 その一つは、EU債務危機(金融危機、財政危機)およびそれと密接に関連している経済危機(不況、失業)を如何に克服するかという問題です。もう一つの大きな問題はユーロ圏の存続可能性の如何にあります。仮に当面の経済危機を解決できたとしても、その背景にある単一通貨のもたらす問題がなくなるわけではありません。
 そもそも単一通貨圏の創設が、中心国と周辺国との不均衡という特異な経済関係を生み出し、それが資産バブルのメカニズムを通じて問題を増長させていたのです。もう一度要約しましょう。一方で、マーストリヒトとSGPは、ユーロ圏の経済を停滞させます。勤労所得は増えなくなり、同時に失業率が上昇しました。しかし、他方で、中心国(ドイツ)は、輸出主導型の成長レジームを通じて周辺国に対する輸出超過を実現し、周辺国は自国の人々が生産する以上に消費(輸入超過)しました。この貿易差額は中心国からの国際資金移動によってまかなわれました。中心国は債権国となり、周辺国は債務国になりました。そして、この膨大な流入資金は、主に周辺国(スペイン、ポルトガル、アイルランド、ギリシャ等)に資産バブルを引き起こしました。そして、まず21世紀初頭に最初の金融危機が生じ、次に2007年以降に二度目の金融危機が生じました。

 さて、ユーロ圏の将来についてですが、まず (1) それを解体したり、一部の国がそこから離脱するとういシナリオが考えられます。しかし、それは大きな痛みなしに実現できるわけではありません。例えばギリシャのような周辺国がユーロから離脱すれば、新通貨(新ドラクマ)は、ユーロ(€)に対して大幅に減価することを免れません。しかし、それは一方でギリシャの輸出をどれほど促進するかは不明ですが、他方で輸入品の価格を大幅に上昇させることは間違いありません。人々がインフレーションの中で生活水準を低下させる危険性があります。
 もう一つは、(2) ユーロ圏を維持し、そこに残るという選択肢です。しかし、それも大きな問題を残すことを意味します。もしこれまで指摘してきたような状態があまり変らなければ、マーストリヒト条約と安定成長協定の制約が参加国全体を、しかし特に周辺国を苦しめることになるでしょう。

 ヨーロッパ銀行の外国に対する請求権(資産)

 ユーロシステムの金融状態(ECBの総資産)

 EURO12の成長寄与度

 さて、いま差し当たりユーロ圏が存続すると仮定しましょう。その場合でも、上にあげた(1)の問題がユーロ圏諸国を悩ましていることに注意しなければなりません。
 一番上のグラフ(ECBの統計による)は、ヨーロッパの(市中)銀行の対外請求権の総額(残高)を示していますが、2008年の9月以降、銀行貸付(F)を中心に現在まで縮小しつづけています。これは、2008年まで貸付を増やしていた多くの銀行が債務危機の中で現在にいたるまで返済を続けていることを意味します。
 これにヨーロッパ中央銀行システムは、低金利政策や量的緩和政策を通じて市中銀行に対する貸付額(総資産)を増やしてきました。特に2011年から12年にかけてその総額は急激に増加しています。しかし、緩和政策による市中銀行に対する資金供給拡大がすぐに市中銀行の貸付額を拡大したり「通貨供給」を増やすわけではありません。また仮に通貨供給が増えたとしても、それがGDPを増加させる効果は疑問です。実際、2006年から2013年までに、ユーロ圏、米国、英国および日本における貨幣の流通速度(M2/名目GDP)は、約2.05〜1.6以下に低下しています。フリードマン流のマネタリズムは、この点でも破綻しているのです。

 しかも、史上稀な緊急的な財政金融政策によって2010年に2%のプラス成長にまで回復したユーロ圏経済ですが、2012年、2013年には緊縮財政(およびECBによる量的緩和の縮小を加えてもよいでしょう)によってふたたびマイナス成長に転じ、それに応じて失業率も上昇しました。寄与度を見ると、この2年間は消費(民間消費+公的消費)も投資もマイナスになっています。

 これに対して多くの人々が不安を感じ、ユーロに反発するのは当然です。
 明石和博氏の『ヨーロッパがわかる 起源から統合への道のり』(岩波ジュニア新書)でも紹介されていますが、いまヨーロッパではEUに対して否定的な世論が強まっています。おそらくユーロに対する支持が強いのは、中心国のドイツくらいでしょう。注目されるのは、特にフランスの世論の急変(支持の大幅低下)です。
 世論調査では、また (1) ドイツと南欧とで欧州統合に関する評価がまったく異なり、後者では著しく低いこと、(2) 最大の経済問題が失業にあること、(3) その他に欧州統合のための政策(富裕者優遇政策)によって経済格差が著しく拡大したと多くの人が考えていることが明かにされています。(これについては、機会を見て紹介したいと思います。)

  Polsters Ifopの世論調査結果(2013年10月)

 選挙でもこの傾向は明白に現れています。
 フランスでは、昨年10月に南東部のヴァール県ブリニョールの地方議会補選で、ルペン氏の創設した極右政党の国民戦線(FN)が決戦投票で中道右派の国民運動連合(UMP)の候補を破って当選しました。得票率は54%でした。2012年の大統領選挙で政権についた社会党(フランソワ・オランド)がFNの勝利を恐れて、UMPの候補を支持したにもかかわらずです.
 しかし、それを単純にフランス国民が外国人排外主義的な運動に共鳴したと見ることはできません。E・トッド氏も述べていますが、国民のうちエリート(社会上昇の20%)が盲目的に(つまり「単一思考」「ゼロ思考」「貨幣ユートピア」から)「マーストリヒト」に賛成し、社会党でさえその動きに合流しているとき、それに反対するためには、共産党でなければ、FNに投票するしかありません。事実、勝利した候補(Laurent Lopez、48歳)は、党首のルペン氏の本来の意図とはかなりかけ離れた言葉「本当の社会党員はFNだ」を語っていました。
  またこの地方選挙ののちPolsters Ifop the Institut Français pollster for France’s Le Nouvel Observateur)の実施した世論調査では、今年5月に実施されるヨーロッパ選挙でFNはUMPと社会党を引き離して25%の得票を得るという予想を明らかにしました。これについて、FNの書記長(Steeve Briosis)は、それを「前例のない地震」と呼び、「抑圧的な欧州連合のウルトラ自由主義デモル」を党が批判してきたことを有権者が支持している証拠だと述べたといいます。 いまユーロ圏では、中心国と周辺国の間に分断が生じ、また各国の内部でも「マーストリヒト」を推進する20%のエリートとそれに反対する大衆とに分断されはじめています。これはきわめて危険な状態というしかありません。
 ユーロが存続するためには、こうした分断をなくす努力が必要です。そのためには、ドイツ側の態度の変化(支援と連帯)が必要です。しかし、それは可能でしょうか? ドイツの知識人の中にはそれを説く人もいますが、少なくともドイツ国民はそれを嫌っています。「何故われわれがギリシャなど支援しなければならないのか?」
 
 



2014年2月17日月曜日

ユーロ圏の危機 9 資産バブルの発生と崩壊

 資産バブル(asset bubble)は、何故、どのような時に、どのようにして生じるのでしょうか?
 私の意見では、人々の貨幣信仰(貨幣的ユートピア信仰)が始まるときに資産バブルにとって絶好の環境が生まれます。資産バブルとは、資産価格の上昇を意味しますが、それはキャピタル・ゲイン(資産の売買差益)を求める行為、つまりは貨幣を増殖させるという行為、聖書が厳しく非難した貨幣信仰、「黄金の子牛」の崇拝、「貨幣愛」(love of money)から生まれる結果に他なりません。
 それでは、どのような時、貨幣信仰は生まれるのでしょうか? それは人々を捉えていた他の事象に対する熱狂や情熱、信仰が冷めるときです。
 例えば16世紀のルターとカルヴァンによる宗教改革は、福音主義と予定説という新しい教えを広め、人々の間に宗教的情熱をかき立てましたが、17世紀から18世紀にはそのような熱狂は冷めてしまいました。プロテスタンティズムの運動は危機に陥り、イギリス(イングランド)でも予定説を否定して人間の自由意思を強調するアルミニウス派が現れます。バブル事件として歴史上名高い「南洋泡沫会社事件」は1710年の出来事でした。
 日本でも高度成長時代が終わり、人々が1970年代の一連の混乱を経験した後、1980年代に資産バブルが始まりました。ヨーロッパでも、黄金時代の終焉は人々に対して貨幣信仰への道を整備したと考えられます。石油危機、成長率の低下と経済停滞、インフレーションの後進、失業率の上昇、そして1979年代末から始まる反インフレのマネタリズム政策、新自由主義の政策による勤労所得の停滞、高失業は、人々の貨幣愛を強め、貯蓄性向を高めました。
 もちろん、資産バブルの発生に対して果たしたいわゆる経済的要因、例えば中央銀行による政策金利の引下げ、巨大企業の内部資金余剰と銀行離れ、金融自由化、金融革新などの一連の事情を無視するつもりはありません。しかし、それらの事情だけでは資産バブルを結果しないのではないでしょうか。

 さて、20世紀末から21世紀初頭のユーロ圏における状況は、資産バブル形成のための土壌を準備するという点で、こうした一般論によく適合しているように思います。
 先に触れた1980年代までの経過に加えて、1990年代以降のマーストリヒト条約、安定成長協定に起因する停滞と高失業、ポスト・ソビエト後の興奮からの覚醒、米国のITバブルの崩壊による景気後退、途上国との厳しい競争(および労働条件の低下。少なくとも国債競争を勝ち抜くために賃金の引下げが必要だという言説)、少子高齢化等々、数え上げればきりがなありません。
 さらにECB(トリシェ総裁)の金融政策がそれに加わります。つまり、21世紀初頭の金融危機のためにヨーロッパの物価上昇率(ただし実際上はドイツの物価上昇率であることに注意!)が 2 %を割り込み、緩和的な金融政策が採用されましたた。
 周知のように、フリードマンに由来するマネタリズムは、基本的に資金需要が商品流通を媒介するために生じると考えています。しかし、市中銀行に対する資金需要は、資産取引からも生じます。実際、1927年の米国(景気後退に喘ぐ英仏による低金利据え置きの要請)、1985年の円高不況に際しての日本の政策金利の引下げ、1987年の低金利維持(株価暴落を恐れた米国からの金利据え置き要求)のように、低金利政策がバブルを生みだしたり、亢進したりする例はいくつも知られています。

 ところで、資産インフレーションは、商品価格の上昇とは異なったメカニズムを持っています。つまり商品価格の上昇は、それを生産するのに必要な諸要素のための支出(つまり費用)の増加を伴っていますが、資産バブルは異なります。土地や株式などの金融資産は(流通費は必要ですが)生産費を必要としません。したがって、本質的にいって、その価格は人々の期待にもとづいており、価格が上昇すると多くの人々が期待(推測, speculate)すれば、多量の資金が資産市場に投入され、資産価格は上昇します。そして資産価格が上昇すれば、さらに多くの人がキャピタル・ゲインの取得を目的としてより高い値段でも購入しようとするでしょう。それは原因が結果を生み出し、結果が原因となるような累積的な過程を生みます。もちろん、人が資産を以前より高い相場で買うのは、後で別の人がより高く買うだろうという期待があるからです。つまり「あと馬鹿」(the greater fool)がいるだろうという想定からです。しかし、資産バブルは、バブルである限り、いつかは崩壊します。そして、バブル崩壊時に資産を保有している者が「最後の馬鹿」(the final fool)になります。そのような者は資産価格の暴落の中でキャピタル・ロスを蒙り、もし彼/彼女がレバレッジを用いていたならば(つまり銀行等から借金して資産を購入していたならば)、金融機関に利払い不能や返済不能な負債を負うことになり、逆に金融機関は不良債権を抱え込むことになります。

 どんな時代でも、こうした資産バブルと金融危機の基本構造はほぼ同じです。ただし、その具体的な様相は金融技術の進展によって変化します。この点で、現在のバブルについて注意しなければならないのは次の点です。
 ・人々は資産取引に伴うリスクを考えないわけではありません。むしろそれを最小限度にとどめようとするでしょう。しかし、リスクはなくなるわけではありません。
 例えば保険会社の開発したCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)なる金融商品は、リスクを回避するために開発された金融商品でした。本来、これは人が購入した金融商品(株式や社債、MBS・不動産抵当証券など)がデフォルトに陥ったとき、その損失を保険会社が保証する(「プロテクトを与える」)ものでした。しかし、CDSは、金融資産を保有していない人も購入できる(!)商品となりました。この場合、人は保険料の支払を避け、プロテクトを受けるためにむしろデフォルトを期待するよううなるでしょう。いずれにせよ、大量の資産について価格が暴落した場合、保険会社は応じることのできないような巨額の支払いを求められ破産の危険に瀕します。
 ・短期金融の一手法として知られる「レポ取引」(repo transactions)もリスクを免れることはできません。この取引は、住宅バブル期の米国で広範に普及していたものであり、米国ほどではないとしても、ヨーロッパでも大きな役割を演じました。
 この取引では、例えば「陰の銀行」(shadow banks)は、投資家からキャッシュを提供される見返りに、買い戻し(repurchase)条件付きで担保(国債、社債、MBS、場合によっては株式など)を与えます。これによって仮に陰の銀行が破産しても、投資家は担保を売却してリスクを回避できます。その際、もし€100の担保価値に対して貸し付けられる金額が€90であれば、「ヘアーカット(haircut,  欠け目)は10%である」といったことが行われていました。しかし、この場合、リスクが高ければ、投資家はより多くのヘアーカット率を求めるでしょう。そして実際に金融不安が亢進して資産価格が低下するリスクが高まるにつれてヘアカット率は次第に上昇し、最終的には投資家はどんなにヘアーカットが高くなっても資金供給を行わなくなります。陰の銀行の多くはこのレポ取引によって短期資金を集め、長期貸し(有価証券の購入等)を行っているのですから、レポ取引の縮小は一種の「取り付け」(runs)に他なりません。それはそのような金融技術に依存していた金融機関の綻を結果します。しかも、「陰の銀行」だけでなく、そのスポンサーであった(商業)銀行も大きな損害を蒙ることになります。

 ここでは、金融上の複雑な連関を詳しく描くことはできませんが、さしあたり次の点だけは指摘しておきたいと思います。
 ・2003年から2006年頃にかけてユーロ圏内では、特にドイツの投資家・金融機関が周辺国に巨額の貸付を行っており、しかも、その借り手は主に民間部門(企業および家計)でした。この時点では、政府は主要な借り手ではなく、むしろ(ギリシャを除き)債務を減らしています。(ここでは、ブログの文字数制限の関係で統計資料は省略します。)
 ・こうした家計の負債は、ユーロ圏内でも米国のケースと同様に、住宅バブルの亢進と並行して拡大しました。住宅価格の上昇が各国でどのように進行したかを、下の図から確認してください。ただし、米国の住宅バブルが2006年に頂点に達し、2007年に最初の金融危機の徴候(レポ取引などの「取り付け」(runs)が始まるのに対して、ヨーロッパの住宅バブルは、国によって多少の相違はありますが、2007、08年頃まで持続しました。


 出典)The Economist, http://www.economist.com/blogs/dailychart/2011/11/global-house-prices
                をもとに作成。(国名挿入。)
 

 ・価格が上昇したのは、住宅だけではありません。株価も1990年代に急上昇し、21世紀初頭にいったん暴落したのち、2003年頃から2007年にかけてふたたび急上昇していました。(上図参照。)

 このようにユーロ圏内でも資産バブルが発生していたことは明らかです。
 しかし、多くの人にとって、ユーロ危機は米国の金融危機と連動して生じたように見えたかもしれません。実際、ヨーロッパ諸国の人々(銀行や投資家)は、一方では米国の短期資金を受け入れながら、米国に長期資金を供給していましたが、その米国でサブプライム住宅ローンの破綻し、資金供給が突然減少したのですから、ヨーロッパの金融機関がショックを受けることは、ある意味では当然でした。まず2007年8月に表面化した米国の住宅ローン破綻による銀行危機(BNPパリバ銀行の破綻など)がヨーロッパを襲い、次に2008年9月の「リーマン・ショック」がヨーロッパにも大きなショックを与えました。この間にヨーロッパ諸国の資産バブルも崩壊します。
 2008年にはヨーロッパ諸国の金融危機は、誰の眼にも明らかになります。そして、まさにこの危機の中で政府の財政赤字が拡大しました。言うまでもなく、金融危機のもたらした景気後退によって歳入が減少する一方で、歳出は増加しました。ヨーロッパ諸国、特に周辺諸国の財政赤字(対GDP比)は、1990年代初頭における規模(比率)をはるかに超えるに至ります。政府の粗負債(対GDP)も2008年以降に急速に拡大します。
 ある意味では、この政府粗負債の増加は、2007年以降の民間(企業、家計)の債務の縮小を代替するものだったと言えます。
 ところで、このとき周辺国の発行する国債を購入したのは、ドイツ等中心国の金融機関でした。金融危機の初期の段階では、その後のソブリン危機(財政危機)の深刻さは理解されていなかったということができます。しかし、2009年以降に長期金利が上昇し、国債金利が上昇するにつれて、しだいに財政不安の火種が大きくなります。特に2009年10月に新たに発足したギリシャのパパンドレウ政権(社会主義運動、PASOK)が前政権の財政赤字の偽りを報告するや、金融危機はソブリン危機(国家財政危機)にまで発展します。このとき、ユーロ圏の周辺国の場合、国債のかなりの部分が外国(ドイツやフランス)の金融機関や投資家によって保有されるようになっていたことが大きな問題となってきます。




 しばしば財政赤字(および政府粗負債)が拡大すると、それを減らすために緊縮財政政策、つまり一方では増税し、他方では支出を削減すればよいという意見が出てきます。しかし、実は、このような緊縮政策は大きな問題をはらんでいます。というのは、それが一方で国民の可処分所得の低下を通じて有効需要を減らし、他方では政府支出も減らすため、実体経済を毀損するからです。それは景気を悪化させ、かつ財政収入のいっそう低下をもたらすことになります。実際、2012年以降にヨーロッパ規模で実施された緊縮政策は、そのことを事実をもって示しています。

 人はヨーロッパ債務危機から何を教訓として学ぶべきでしょうか。一つは、金融自由化がマネーゲーム(カジノ資本主義)をもたらし、実体経済を混乱に陥れている事実をあげることができるでしょう。金融資本主義または金融主導型成長体制の怖さと言い換えることもできます。
 しかし、それとともに単一通貨圏の形成、マーストリヒト条約、安定成長協定自体が大きな問題をなげかけていると私は考えます。多様なヨーロッパ諸国を「単一通貨圏」にまとめあげるためには必要な前提条件があります。それなしに暴走してきたというのが、この20年間のヨーロッパではなかったでしょうか?
 
 そこで、私たちは、金融危機の分析というやりがいのない仕事をひとまず措いて、単一通貨圏を構築するためにはどのような条件が必要かという点を再度検討したいと思います。そのような条件が構築されない限りユーロ圏は最終的に崩壊するしかないでしょう。


 

2014年2月15日土曜日

ユーロ圏の危機 8 貨幣的ユートピアとマネタリズムの作用

 ユーロ圏の債務危機、あるいはユーロ自体の存続の危機は、1990年前後からヨーロッパ諸国が追求してきた「貨幣的ユートピア」とそれを支えたマネタリズムに由来します。そのことを以下に示したいと思います。議論に際しては、欧米のいくつかの論文(Levy Economics Institute, Working Paper, The Journal of Post Keynesian Economics, The Cambridge Journal of Economics などに掲載)に依拠しているところが多々ありますが、それらの紹介は後に回します。
 トッド氏(E. Todd, 1999)が冷静に観察していたように、ヨーロッパでは多くの国の指導者たちがあたかもレミング(ネズミ)のように1990年前後から単一(ユーロ)通貨圏の創設の方向にいっせいに疾駆しはじめました。それらの国では(日本でも?)、それに疑問を呈することは変人であるかように見られていたと言ってもよいでしょう。イタリアでは「オリーブの木」(旧イタリア共産党)でさえその流れに合流しました。もちろん、イギリスのようにそれに対して冷ややかな態度をとっていた国もありましたが、・・・。しかし、貨幣的ユートピアはいま風前のともしびといってよい状態にあります。その理由は、・・・

 最初に述べたように、単一通貨圏の創設前には、参加国の社会経済状態は多様であり、インフレ率、金利、国際収支、産業構造、貯蓄性向などなど、どれをとって見ても大きく異なっていました。ところが、貨幣的ユートピアは、まずは表面上に過ぎないにせよ、そうした状況を一変させます。


   出典)Ameco on line database. (以下、特に断りのない限り同様。)

 上図は、消費者物価指数(1999年=100)の推移を示しますが、ここからいくつかのことが読み取れます。
 ・中心国(ここではドイツのみを示した)では、最も物価が安定しており、インフレ率が低い。ただし、前に言及したように、1990年〜1993年には東西ドイツ統一直後の好況時にインフレ率が上昇し、これに対してブンデスバンクが過剰に対応し、ヨーロッパ全体の景気後退をもたらしたことも指摘した通りである。
 ・一方、トレンドを見ると、1990年代の後半にインフレ率がしだいに低下していたことが読み取れる。
 ・しかし、全期間を通じて、フランス、イタリア、ポルトガル、スペイン、ギリシャのインフレ率はドイツを超えている。このようにインフレ率は一つの率に収束したわけではない。
 


 ところが、そうした差異にもかかわらず、通貨統合とともに金利政策は一元化され、1999年以降(ギリシャは2001年以降)短期金利(名目)のスプレッド(金利差)はなくなっています(上図)。もちろん、実質短期金利のスプレッドは存在しましたが、それは当然ながら物価水準を反映するものとなっていました。
 また長期金利(名目、実質)のスプレッドも大幅に縮小しました。これは、一部は統一的な金融政策が行われることによりますが、一部は、しばしば主張されるように、ユーロの導入までは存在した為替リスクがなくなったことによります。


 しかも、ここで次の点が注目されます。それは、1997年以降、中心国ドイツより、むしろフランスや周辺国(ギリシャ、スペイン、ポルトガル、イタリアなど)の実質長期金利が低下していることです(上図)。
 これは奇妙な事態といわなければなりません。が、(下図に示すように)名目長期金利のスプレッドがきわめて小さくなっているのですから、物価上昇率(インフレ率)の差によってもたらされたことは間違いありません。
  

 要約しましょう。きわめて注目されることに、単一通貨の導入の前後から、ユーロ圏では次の2つの傾向が明確になっていました。
 ・中心国(ドイツなど)では、以前同様、相対的に物価が安定しており、インフレ率は低かった。それに対して周辺国では、リフレ傾向が見られたとはいえ、相対的にインフレ率は高い水準にあった。こうした中心と周辺の対比は、ずっと以前から見られたものであり、それは基本的には、単位労働費用の相対的な動きによって説明される。後で示すように、単位労働費用はドイツでは抑制され続けており、逆に周辺国では相対的に上昇していたのである。(フランスは中間的に位置にいたが、ここではフランス問題は省略する。)
 したがって、ユーロ圏では、参加国相互間の「名目」為替相場に変化はなかったということはできますが、「実質」為替相場は大きく変化していたということになります。(下図参照。)ドイツ・ユーロ(このような名称はないと思いますが、あえて使います)が減価し、ドイツの輸出業者の「競争力」が増していることがこの図から明らかになります。一方、「周辺国・ユーロ」は増価し、輸出競争力を下げています。
 

 注)Euro15全体に対する「実質実効為替相場」を示します。

 ・一方、金利(長期、実質)は急速に低下しつつあり、特に周辺国でそうした低下は劇的であった。
 
 単一通貨圏が形成され、為替調整がなくなった世界でこのようなことが生じた場合に、どのような事態が想定されるでしょうか? もちろん次のようなことです。
 ・中心国(ドイツ、オランダ、ベルギー、オーストリアなど)から周辺国(かつてPIIGSと呼ばれた地域)への輸出の拡大。これは貿易収支の大きな不均衡をもたらす可能性がある。
 ・中心国から周辺国への国際資本フロー。金利の低下は、周辺国側の資金需要を拡大すると同時に、中心国側から周辺国への資金供給意欲を拡大する。その理由は、為替リスクの消失の条件下で、長期金利(名目)が相対的に高いことにある。これは中心国の債権国化と周辺国の債務国化を予測させる。

 実際、この予想は実現しました。1999年〜2006年という短期間に中心国と周辺国の実体経済に大きな変化など生じていないにもかかわらず、また両地域間の所得格差など縮小していないのに、貿易取引と国際資本フローは拡大しました。

 さて、こうした事態は、周辺国側の貿易収支の大幅赤字および債務国化という帰結を伴っていました。もちろん、経済学部の学生たちが国際(開放)マクロ経済学で学ぶように、理論上、貿易収支赤字(経常収支赤字)は資本収支の黒字を意味します。貿易収支赤字の国は、その額(例えば1000単位)を資本輸入によって埋め合わせなければなりません。
          XーM=SーI <0
 この式は恒等式であると理解されており、おそらく「均衡においては」または「事後的には」そうでしょう。しかし、この式はまた国際均衡が成立するためには、そうあらねばならないということを意味します。だから、実際には、1997年の東アジアや1998年のロシアのように、経常収支の赤字を抱えている国が資本逃避に見舞われるや、通貨価値の劇的な低下や金融危機を起こすことになります。
 ただし、ユーロ圏の場合、東アジアやロシアの場合と異なって、何しろ統一通貨なのですから、通貨安という形の通貨調整は生じません。しかし、債務危機が生じ、統一通貨圏を破壊する力を持つということはありえます。
 不均衡の拡大はいつの日か維持できなくなります。ユーロ危機は起こるべくして起きたということができます。要するに人々は、貨幣的ユーロピアの甘い夢を見ていたに過ぎません。
 
 しかし、少し先走りしたかもしれません。ユーロ危機について述べる前に、1999年〜2006年にこうした大きな不均衡が何故ユーロ圏で生じたのかをもう少し詳しく検討しなければならないように思います。そして、そのためにはEU全体で生じた資産バブルに触れる必要があります。

2014年2月13日木曜日

ユーロ圏の危機 7 ユーロ不均衡(Euro-imbalance)

 現在ユーロ圏で生じている経済危機は、一言で表現すれば、人口もきわめて大きく、産業・貿易構造も技術水準・所得水準も宗教・文化・言語・家族形態も異なる多様な国・地域が一つの「通貨圏」(currency area)を生み出したことに起因していると、私は考えています。
 もとより、多様だから単一通貨圏への統合が不可能だと最初からアプリオリに断定するわけではありません。しかし、様々な困難があると思うようになりました。その一つは貨幣ユートピアの幻想です。単一通貨が発明される前は、それらの国・地域間には大きな不均衡(imbalance)があり、そこから生じる問題が様々な方法による調整(adjustment)によって解決されてきました。そのような調整手段の一つは為替調整です。前々回も書きましたが、ドイツとフランスの経済には大きな制度的相違が存在しました。そして、それらの体質を異にする経済間の調整において大きな役割を演じていたのが為替相場です。ところが、単一通貨の導入はそのような調整の可能性をほぼ完全に廃止しました。
 もしかすると「それでいいではないか」と考える人がいるかもしれません。確かに調整を必要とするような本質的な「不均衡」を解消するような別の仕組みがあるならば、問題はないと言ってよいでしょう。しかし、ユーロ圏という単一通貨圏の創設は果たして問題となる不均衡をなくしていたのでしょうか?
 決してそうではありません。
 大きな不均衡が少なくとも2つ存在していました。
 一つは、中心国・周辺国を問わず、それぞれの国内における不均衡の存在・拡大です。これは、特にマーストリヒト条約や安定成長協定(SGP)によってもたらされたものであり、端的に言って、きわめて賃金の圧縮圧力の強化という事実に示されます。もう一つは、(core)と周辺国(periphery)の国内経済的、および国際経済的(例えば国際収支上の)不均衡の拡大です。
 しかも、これらの2つは相互に関係しあっていました。

 1 ケインズ・カレツキ問題
 これらの不均衡問題については、すでに触れましたが、いま一度簡単に要約しておきたいと思います。
 まず、現在のグローバル化した経済の下では、しばしば賃金に対する執拗な圧縮圧力がかかります。そして、その際、グローバル化の条件下における激しい競争(特に途上国の低賃金労働に由来する競争)を勝ち抜くためには、労働条件(賃金など)を引き下げなければならないという大合唱のような言説がそれを正当化します。人々は「底辺への競争」(race to the bottom)を強いられます。特に失業率が高くなると、労働者は交渉力を大幅に低下させ、巨大企業のいいなりになるしかありません(「君の代わりはいくらでもいるのだよ。」)。実際には、利潤とその分配分(経営者報酬、配当など)は増えているのですから、労働生産性に応じて賃金を引き上げることも可能なのですが、時流に乗じるエコノミスト諸氏は決してそれを認めません。また商品の価格は、賃金だけで決まるわけではなく、利潤、労働生産性、為替相場によっても左右されますが、巨大企業の利益をおもんぱかる御用学者はそれを意図的に隠します。
 しかし、貨幣賃金が引き下げられたからといって、雇用が増えるわけではありません。むしろ「合成の誤謬」(fallacy of composition)が作用します。つまり、実際には、企業は雇用を増やすために賃金を引き下げるわけではありませんので、社会全体の企業が賃金を引下げると、総賃金所得が低下し、そこからの消費支出総額も、人々の消費性向も低下します。その結果、企業も投資意欲を失い、経済全体が停滞します。
 これは、マルクス・ケインズ・カレツキといった優れた経済学者の見解から導かれる見解であり、悪名高い「セイ法則」(「供給は必ずそれ自らの需要を生み出す」という供給側の経済学)の誤りを暴露するものでもあります。ところが、1970年代の混乱の中から「セイ法則」(宇宙論における地動説ともいうべきもの)が復活してしまいました。
 さらにドイツの中央銀行(ブンデスバンク)の伝統的な反インフレ的・マネタリスト的金融引締め政策がECB(ヨーロッパ中央銀行)に引き継がれ、1990年代以降、こうした傾向が強化されてきました。(こうしたブンデスバンクの政策は、輸出主導型のレジームと親和的だったことも指摘した通りです。またそれが景気を悪化させ、ヨーロッパの失業率を高めたことも既に述べた通りです。)
 2 新重商主義=「近隣窮乏化政策」の推進力
 ところが、まさにこのように、国内需要が停滞し、景気が後退し、失業率が上昇すると、外需(輸出)によって事態を打開しようとする思想・政策が生まれてきます。たしかに開放マクロ経済学における均衡式 Y=C+I+G+(XーM)が示すように、B=XーMが純外需(Xが外需、Mが需要のもれ)であることは言うまでもありません。そこで、内需(C、I、)が不振であり、政府も支出(G)に消極的なとき、外需(B=XーM)を出来るだけ増やそうという発想が生まれてくるのは理解できないことではありません。
 しかし、用心しなければなりません。このような場合、<輸出を増やすためには、国際競争力をつけなければならず、そのためには人件費を削減しなければならない>というおなじみの議論が繰り返し出てくるからです。
 このような議論は、昔からよくある型の議論で、「新重商主義」(Neo-mercantilism)と呼ばれたり、「近隣窮乏政策」(beggar-thy-neighbour)と呼ばれたりしてしました。アダム・スミスが批判の対象としたのが、このような思想の一種、国内需要が狭小だった18世紀以前の「貿易差額主義」・「重商主義」だったということは経済学史の初歩的な知識です。ケインズも、『一般理論』(1936年)の最後の章で、それに言及し、本質的にはそれこそが世界市場をめぐる諸列強間の対立・紛争を生み出し、最終的に世界大戦の根本原因となったことを喝破しました。(彼は、アダム・スミスの批判した重商主義ではなく、自由貿易主義的な重商主義を批判したのです。)

 こうした「新重商主義」「近隣窮乏化政策」の問題性・誤謬は、次のことからも明らかになります。
 ・すべての国が同時に国際収支の黒字国になることはできません。簡単のために2国で説明すると、例えばA国とB国の2国間の貿易取引で、一方の黒字は必ず他方の黒字を意味しますす。世界全体の輸出が世界全体の輸入に等しく、全世界の国際収支がゼロとなることから考えても、一方の黒字が他方の赤字をもたらすことは当然の結論です。(借りる人がいないのに貸すことができないのと同じ理屈です。)
 ・ところが、次のように考える人がいるかもしれません。そうだとしても、われわれは「勝者」(勝者という理由は不明ですが、往々にして、国際収支の黒字国がそのように考えられます)になるべきであり、「敗者」(赤字国)になってはならない、と。
 しかし、これも決して正しい見解とは言えません。というのは、国際収支の不均衡は、必ず大きな問題をもたらすからです。例えば国際収支(貿易収支や経常収支)の赤字国は、理論上、巨額の負債を抱えることになりますが、それは必ず通貨危機・金融危機を導きます。その事例は枚挙にいとまありません。1992〜93年のヨーロッパ通貨危機、1997年のアジア危機、1998年のロシア危機、2006〜07年の米国の金融危機、ラテン・アメリカの一連の通貨・金融危機(*)をあげれば十分でしょう。

 (*)いまA国のB国に対する貿易収支(純輸出)が黒字(1,000単位)であるとします。これはA国が(例えば)B国に2000単位を輸出し、B国から1,000単位を輸入するといった取引から生じます。
 この差額がどのような意味を持つかを検討するために、A国が10,000単位を生産・販売し、それに等しい所得を得ていると仮定します。
 この例では、A国の人々は、10,000単位を生産しているのに、9,000単位しか消費していないことになります。せっかく10,000単位を生産したのに、そのうちの1,000単位は自国民ではなく、他国(B国)の人々の消費のために生産していることになります。
 逆にB国の人は、(例えば)8,000単位しか生産・販売しておらず、所得も8,000単位しかないのに、9,000単位を消費していることになります。
 この差額1,000単位は一体どこから来たのでしょうか?
 その答えは簡単です。A国の人々(個人、企業、または政府)が貯蓄し、B国の人々(個人、企業、政府)がその貯蓄を借りたことを意味します。つまり、A国の人々は、B国の人々から借金をして、そのお金でモノを余分に購入していることになるのです。逆にA国の人は、B国にお金を貸し、そのお金でA国の生産物を購入してもらることになります。
 たしかに人々(家計、企業、政府など)の負債がすべて危険だというわけではありません。しかし、負債が膨張し、返済不能な額が増加したとき、あるいは債務者が実は信頼されない人々であることがわったとき、つまり当該金融が利子も元金も返済不能ないかさまな「ポンツィ金融」だったことがわかったとき、それらは金融危機という悲惨な結果をもたらすことになります。(アメリカでは、金融債やレポ金融という、一見したところ保証されているかに見える金融取引において「取り付け」(runs)が生じたとき、潜在的な「ポンツィ金融」が本当の「ポンツィ金融」となりました。)
 その上、重要なことは、こうした金融危機が赤字国だけでなく、黒字国をも襲うという、今では常識となった事実です。

 ・一方、国際収支の黒字国でも、大きな問題が生じます。先に述べたように、輸出主導型の経済を達成するための賃金引下げがいっそう国内需要(有効需要)を損なうからです。その上、いったんこのような景気後退の状態に陥ると、今度は国内需要の不振をカバーするために、輸出を振興しようとして、いっそうの賃金引下げの圧力が強まります。こうして、賃金引下げ→国内需要の停滞・景気後退→外需(輸出)志向の強化→賃金引下げという悪循環の罠にはまりこみ、そこから抜け出ることができなくなるということが現実に生じてきました。
 しかも、往々にして、そのような罠にはまった人たちは、それを変えることのできない現実だと思い込み、抜け出すことを夢想だにしなくなります。それどころか、抜け出そうと提案する人々を非難することさえあります。

 さて、現実のヨーロッパ世界で、A国やB国に当たるのはどの国でしょうか?
 ヨーロッパでは、ドイツ、オーストリア、オランダなどの中心国がA国に相当し、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャなどの周辺国がB国に相当します。1999年のユーロランドの誕生から2006、07年にこれらの国々は2つの対照的な経済圏を創り出していました。
 そのことを具体的に示すことが次の課題になります。

<世界需要の構造的不足>と<不均衡> 現代経済の根本問題

 先日のNHKテレビで、熾烈な「グローバル競争」の展開を想起させるニュース番組が放映されていた。しのぎを削る国際競争の中で日本企業が苦戦している様子を映像を通して見せられた人々の多くは、あらためて国際競争の激しさを知り、日本の(つまり自分の)将来に対する不安にかられたであろう。またその渦中にいる人々(技術者、ビジネスマン、従業員)は自己の属する企業がこの熾烈な競争に生き残るべきかに思いをはせ、価格の引下げのための人件費の引下げや、新しい製品開発、生産性の引き上げの方策(日々自分たちが直面していること)を思い起こしたかもしれない。

 しかし、この姿を第三者(例えばーー私はそのような存在を信じていないけれどーーUFOに乗って地球にやって来た宇宙人)が客観的に見たら、事態はかなり変わったものに見えるはずである。そして、この見方は経済社会に生起していることを客観的・冷静に分析する経済学者や政治家も共有すべきものである。

<世界需要の構造的不足>

 そもそも何故熾烈な「グローバル競争」が生じるのか?
 その理由は、まず労働生産性(一人・時間あたりの産出量)が急速に上昇しているからである。この生産性上昇は、一つには、毎年行われる設備投資を通じた技術革新によって実現される。設備投資(マクロ経済学では記号 I で示される)は、景気後退時でも行われ、とりわけ粗投資(減価償却+純投資)ではそうである。1930年代に純投資がゼロの水準になった大不況時の米国でさえ、粗投資はかなりの額を維持していた。生産性上昇のもう一つの源泉は、労働密度の強化(労働強度ノルマの強化、スキルアップなど)である。現代の経済では、これらのチャンネルを通じて労働生産性は、(要注意!)不況下でも上昇する。ともかく、現在、先進国だけでなく、かつての途上国や旧社会主義国がこうした経路を通じて、生産性を急速に発展させていることもよく知られている通りである。

 だが、この時に何が生じるだろうか?
 19世紀生まれの古めかしい「セイ法則」(ジャン・バティスト・セイの唱えた一説)では、<供給は必ずそれ自体の需要を生み出す」とされているが、この考えが正しければ何の問題もない。
 しかし、残念ながら、これほど現実離れした「理論」はない。この考え方は、19世紀に(リカードゥやセイなどによって)生みだされ、定式化されたのち、マルサスとマルクスによって批判され、20世紀にはケインズ、カレツキなどによって徹底的に批判された。生産物は生産・供給されたからといってすべて需要される(販売されつくす)わけではなく、また労働力を供給したい人(つまり企業に雇われたい人)がいるからといってすべての人が需要される(雇用される)わけでもない。これは良識を持つ人ならば、誰でも知っていることであり、したがって経済学の課題は、セイに戻る(つまり物理学ならば、地動説に戻ること)ではなく、この不均衡を説明することだけである。

 さて、現実世界では、有効需要(消費需要 C と投資需要 I )に応じて、消費財と生産財の生産・販売がなされている。そして、実際の生産に必要とされる労働力だけが需要され、雇用される。セイ法則の世界、つまり(「特定の実質率で」という前提条件に注意)働きたい人が働きたい時間いつでも働ける(雇われる)というパラダイスはこの世には存在しない。それは虚構の世界である。

 需要側は供給側の事情とはまったく異なる事情によって決定され、かつ残念なことに、一連の事情によって需要側が供給側に常に遅れを取る。これが現実の世界である。
 ケインズやカレツキの天才は、「セイ法則」という裸の王様が裸だと素直に示し、二つの変数(供給能力と需要量、労働供給と労働需要)がまったく別の事情によって決定されること、また現代の経済体制には<需要の構造的不足>を引き起こす体質が組み込まれているいることを示したに過ぎない。「示したに過ぎない」といったが、これは経済学史上の革命的な出来事であった。
 
 そこで問題は、何故、<世界需要の構造的不足>が生じ、人々が雇用や所得について不安を抱かなければならないのか、その理由にある。
 いくつかの点に触れておこう。

 ・生産力の上昇と損益分岐点の上昇(過小消費と過剰生産)
 生産力が投資による技術革新によるほとんどすべての場合、固定資本ストック(資本装備量)の増加は、損益分岐点を右に移動させる(損益分岐点が大きくなる)。つまり、企業が以前より多くの利潤をあげるためには、生産量と販売量をよりいっそう拡大しなければならなくなる。このことは、有効需要(売れ行き)がそれに見合うだけ増えなければならないことを意味する。
 しかし、ここで経済は大きなアポリアに直面する。個々の企業としては、損益分岐点をなるべくあげないようにするために、費用、つまり設備投資額、賃金率や雇用量を抑制しようとする。しかし、経済全体では、そのような節約は、社会全体の需要を抑制する。それは個別の企業の産出量を抑制する。
 しかも、一定程度以上に満たされた社会に転換するにつれて、有効需要が成長するペースは低下してゆくだろう。
 かくして、「過小消費」または「過剰生産」と言われる事態が生じる。その意味は次の通りである。もし拡大した損益分岐点より多く生産しても、売れずに在庫が増加するならば、それは「過剰生産」と呼ぶにふさわしい。また企業は需要に応じて生産すると考える場合には、需要が利潤を実現するのに十分な規模に達しない場合(需要不足の場合)は、「過小消費」と呼ぶにふさわしいだろう。
 ケインズが述べたように、現代の(自由主義的な)企業者経済では、経済が完全雇用を達成する水準にあることは全くの偶然時でしかない。
 
・さらに1980年代以降の次のような変化も指摘しておかなければならない。
 それは、現代の一連の人々(エリートたち)は、エマニュエル・トッド氏風に表現すると、「単一思考」または「ゼロ思考」に陥っているという事実である。つまり、彼らは、「セイ法則」というコペルニクス以前的な地動説に逆戻りしてしまっており、生産力の上昇には執心するが、それに見合った有効需要の増加にはまったく関心を向けない。
 彼らの政策は、賃金の圧縮につながる一連の施策、法人税の減税を始めとする巨大企業の公的負担の低減と社会保障支出の削減、緊縮(健全)財政などである。

・さらに、自由貿易主義はこの傾向をいっそう促進する。特に停滞と景気後退の状況の中で、輸出(外需)を救いの神をあがめるようになった社会では、そうした傾向が顕著になってきた。
 トッド氏が述べるように、
 
 「国境の開放は、輸出にとりつかれたすべての社会で、退行的な心理状態を広める。つまり、費用や支出を出来るだけ、かつ絶えず切り詰めようとする切望が生まれるが、これはマルサスに従って人口まで抑制しようとする時代精神と共鳴する。賃金を切り詰め、子供を減らし、旅行を減らし、楽しみも減らそう、これが進む道である。国民の行政的中心である国家は、自由貿易の環境のせいでマクロ経済的意識をすべて奪われ、ついに企業のように行動しだす。そして、ここで財政赤字の削減にとりつかれたわが政治家の階層がグローバルな需要の圧縮に進んで協力する。その結果は、消費の削減、雇用者数の削減、失業の増大に帰着せざるを得ない。」(『経済幻想』藤原書店、1999年。ただし訳文を改変した。)

 とはいえ、実際に輸出の拡大によって国際収支(貿易収支または経常収支)の大幅黒字を実現することが出来るのは、一部の国にすぎない。何故ならば、世界全体ではゼロサムが成立し、一方の黒字は他方の赤字を意味するからである。
 そして、この赤字国の側は、彼ら自身の所得増加、特に賃金増加によって消費需要を拡大するのではなく、負債の拡大によってそうする。本質的には、これらの国(その代表は米国だが)は、黒字国からの借金(負債)によって超過輸入(つまり自分たちの所得を超えた消費。これは浪費に他ならない)を行う。
 この世界的な不均衡がもたらした悲劇(ユーロ債務危機、アメリカ発のグローバル金融危機など)は、よく知られた事実である。

 


2014年2月12日水曜日

ユーロ圏の債務危機 6 「ゼロ思考」への陥落と「失われた10年」

 ユーロ圏の登場は、人々に、特に国民の80%以上の人々に何を与えたでしょうか?。
 まずは私の作成した図(EURO圏12カ国における労働生産性と実質単位労働費用の推移)を見て欲しいと思います。(図はAmeco on line data よく作成しています。)
 」

 この図で、労働生産性としているのは、従業員一人あたりの実質GDP(指数、1991年=100)であり、(実質)単位労働費用は、生産物1単位あたりの人件費(物価指数を考慮済みの実質、指数、1991年=100)です。
 差し当たり、今回問題とする1990年代だけを取り上げると、この時期にも労働生産性は一貫して上昇しています。つまり、一人あたりの国民総生産は増加しています。ただし、経済の成長ペースは以前と比較すれば低下しています。一方、単位労働費用のほうは1980年頃から低下しており、1990年代にも低下は続いています。つまり、リストラ(昔風には合理化)が進行し、生産物1単位あたりの生産に必要な人件費が低下していたのです。本来、労働生産性に比例して人件費(つまり労働者の賃金所得)が増加しているならば、このようなことは生じません。これは明らかに賃金が抑制され、労働者の取分(賃金シェアー)低下してことを意味しています。

 それでは、このような労働側の犠牲の下に、雇用が拡大し、失業は縮小したでしょうか? (このように問うのは、主流派の経済学は、実質賃金が低下すれば雇用が増え、失業が減ると言うからでもあります。その根拠とされるのは、ご存知のように、マーシャリアンクロス(右下がりの労働需要曲線と右上がりの労働供給曲線)という現実場慣れした想定にもとづく労働市場論です。)

 ここで、私の分析ではなく、外国の著名な経済学者の分析を見ておきましょう。例えば、James K. Galbraith and Enrique Garcilazo, Unemployment, Inequality and the Policy of Europe 1984-2000, Empirical Post keynesian Economics  Looking at the Real World, M.E.Sharpe, 2007)をあげておきましょう。
 この論文は、次の2つのことを示している点できわめて重要です。
 1 西欧諸国を国単位ではなく、もっと小さな・多数(159)の地域に分割して賃金水準と雇用・失業の相関を検討したところ、高賃金が高失業を導くという想定はまったく実証されない。むしろ低賃金地域において高失業が見られる。(これは主流派の想定には反するが、その理由ははっきりしている。高賃金は、同時に高い有効需要を意味するからである。)
 2 このような同一時間における地理的な配列(賃金率と雇用・失業)ではなく、時系列(1984〜2000年)の変化について見ても、(私の上記のグラフが示すように)、1990年代はヨーロッパ規模で賃金が最も圧縮された時期に相当するが、ここで特に注目されるのは、1992年9月〜1993年7月、つまりマーストリヒト条約が調印され、ドイチェ・ブンデスバンクの金融引締め政策とマーストリヒト収斂基準(緊縮財政)が適用されはじめた時期(1992年以降)、さらに成長安定協定(GSP)が実施された1996年にヨーロッパの失業が異例の水準に到達している点である。

 私のブログでもたびたび言及しましたが、「現実世界」では、雇用は生産量(←総需要)の増加とともに増加するという増加関数であり、反対に労働生産性の減少関数です。ところが、マーストリヒトがリストラを通じて労働生産性を引き上げながら、総需要を抑制したのですから、失業が増えたのは、自明の理です。

 著者たちが、どのような統計データの処理を経てこの結論に達したのか、その詳細は省きますが、次の結論はきわめて重要です。

 「ヨーロッパの政策は1990年代に大陸規模の失業増加に強く貢献したことがわれわれの証拠から明らかになる。一言で言えば、マーストリヒトは悲惨と形容される5年間を開いたのであり、そこからの回復はまだ不完全である。最近のリーダーシップ下の大陸レベルでのマクロ経済政策の失政によってヨーロッパ全体に及んだ高失業を克服することが、われわれの分析から高い優先度を持つものとして現れている。1990年代にはいくぶんの進展があったように見えるが、1980年代中葉の決して最適ではなかった条件への復帰され、まったく十分とは言えないままにとどまっている。」

 このように、宣伝とは裏腹に、20世紀末〜21世紀初頭に「ユーロ圏」は混迷のきわみにありました。
 マーストリヒトと成長安定協定による賃金率の抑制と賃金シェアーの圧縮は、ヨーロッパ諸国、特に従来ドイツとは異なった政策スタンスと制度的条件の下にあった周辺国(フランスやイタリア、スペインなど)の経済を停滞的にしていました。しかも、これらの国がドイツのような輸出主導型の成長レジームにすぐに転換する能力を持っていると考えることはできません。一方、輸出主導型の中心国(ドイツやオランダ、オーストリアなど)にとっても周辺国の経済的な停滞(賃金、総需要の停滞)は決して好ましいことではありませんでした。中心国からの輸出の障害となるからです。
 かくして、トッド氏が述べるように、ドイツとフランスの指導者階級の「貨幣的ユートピア」(l'utopei monetaire)、「ゼロ思考」(la pensee zero)は、行き詰まっていたと言うことできます。
 しかしながら、それにもかかわらず、1999年における単一通貨圏の成立は、新しい可能性を生み出したように見えました。それがわずか数年しか続かなかったとしてもです。実際、すべでの人がというわけではないしても、かなり多くの人々が「為替リスクの消滅」を語り、ヨーロッパが新時代に入ったと騒ぎ立てました。しかし、このユーロランドという美しい夢がむなしい夢であることは、すぐに明らかになりました。

 そこで、1999年〜2008年に何が生じていたのか、それを検討することが次の課題となります。そしてそれを検討することは、①はたしてユーロは存続可能なのか、それとも解体を避けられないのか、②またもしそれが存続可能だとしたらなば、どのような条件が必要なのか、少なくともそのヒントをわれわれに示してくれることになるでしょう?

2014年2月11日火曜日

ユーロ圏の債務危機 5 1992年9月のヨーロッパ債務危機

 1992年9月〜1993年7月のヨーロッパ通貨危機(ERM危機)は、何故生じたのか?

 この時期に生じたポンド・スターリング(£)のERM(為替相場メカニズム)からの離脱、イタリア・スペイン・ポルトガル(リラ、ペセタ、エスクード)の通貨不安、フランス・フランの危機などが何故生じたのかを、詳細に描くことは難しい作業であり、特にこのようなブログでは不可能ですが*、ここで2、3の重要な点について(のみ)指摘して置きたいと思います。
 *David Cobhamの"Causes and Effects of the European Monetary Crisis of 1992-93, Journal of Common Market Studies, Vol.34. No.4, December 1996  で諸説が検討されています。

 この通貨危機(ERM)を検討することは、現在のヨーロッパ債務危機を見る上でもきわめて重要となりますが、そのことは後々説明したいと思います。

 さて、ここでも話を少しさかのぼらない訳にはいきません。
 よく知られているように、戦後の国際通貨体制は、協定が結ばれた地名にちなんで「ブレトンウッズ体制」と呼ばれており、<準固定相場ドル本位制>(John Harvey)とも言われるものでした。つまり、①中央銀行が要求すれば、米国が米ドル($)と金地金との交換に応じることが約束されており、②それにもとづいて為替相場は固定されていました。③ただし、国際収支の赤字国は、自国通貨を切下げることを求められていました(これが準の意味です)。実際、英国ポンドは、通貨危機のたびに切り下げ(devaluation)を余儀なくされました。
 しかし、1971年8月15日の米国ニクソン大統領の声明によって「金とドルとの交換」は停止されます。そして、同年末にスミソニアン体制が成立します。
 このとき、欧州でもEC6カ国が「スネーク制度」を開始します。これはEC域内の為替変動幅を縮小し、特に参加国の通貨が対ドル中心相場から上限2.25%の範囲内(ドルバンド)に納めるように為替介入するように義務づけるものでした。
 この制度は1978年までつづきますが、イギリス、フランスなど離脱国が多く、為替相場を安定することにも失敗します。
 しかし、1970年代末に離脱国を復帰させ、欧州通貨制度を充実させる動きが充実してきました。その背景の一つには、ドルにリンクしない通貨制度の必要性が認識されるようになってきたことがあります(前掲坂田豊光43ページを参照)。こうして1979年3月に、イギリスを除くEC8カ国が域内8通貨を一定変動幅内(上下2.25%、例外国あり)の固定相場に固定し、通貨安定を達成することを目的としてEMS(欧州通貨制度)が発足しました。ここで注意が必要ですが、中心相場となる為替平価は、変更することが可能でした。(その他に詳細な計算方法や規定がありますが、それらの詳細は省略します。)
 
 さて、ようやく制度的な説明が終わりました。
 それでは、現実の為替相場は、どのように変化したでしょうか? ここではEMS参加国の実質的な「基軸通貨」となったドイツ・マルク(1999年1月からユーロに統一。1€=1.996ドイツ・マルク、など)に対する相場に換算された為替相場(米ドル、ポンド、イタリア・リラ、スペイン・ペセタ、フランス・フラン)の変化を見ておきます。


 出典)Ameco on-line dataより作成。
    注)ユーロ圏の各国通貨は、1998年末の対ユーロ平価(例えばドイツの場合、1€=1.996マルク)に換算している。 

 この図で次の2つのことが注目されます。
 (1)  1971年から1987年まで、ドイツ・マルクに対してフランス、イタリア、ポルトガルの通貨が減価しつづけている。これをドイツ側から言えば、マルク高である。米ドルおよびポンド(£)についても同様である。
 (2)ところが、ヨーロッパ通貨危機の始まる前の数年間(1987年〜1992年にかけての時期)には、 EMS参加国のフランス、イタリア、スペインの通貨の減価は見られない。むしろそれらの通貨価値が高まってさえいる。
 実は、このグラフには示していないが、仏・伊・西の通貨と同様な動きは、オーストリア・オランダ・ベルギーなど中心国(core)を除く周辺国(ポルトガル、ギリシャ、フィンランド、アイルランドなど)でも見られる。

 このように為替相場の変化から見ると、EC諸国は2つのグループに分けられることがわかります。ここでは簡単のために、各グループからドイツとフランスを取り出して、そのような相違が現れてきた歴史的事情を検討しましょう。

 (以前のブログでも紹介したが)為替相場の一般理論を構築することはきわめて困難ですが、為替相場は、長期的には購買力平価にともなって変化し、短期的には資本移動による為替売買、期待などの心理的要因によって変化することが実証的研究から知られています(John T. Harvey, Currency, Capital Flows and Crisis, Routledge, 2010)。ここでは、まず前者に焦点をあててみておきましょう。

 結論的に言えば、フランス・フランとドイツ・マルクの為替相場に見られる長期持続的な傾向(マルク高、フラン安)は、両国におけるインフレ率の差を繁栄するものであり、されに突き詰めると、両国における金融政策や制度的な要因によるものと言うことができます。簡単に要点を示します。(J. Bibow, On the Franco-German Euro Contradiction and Ultimate Euro Battleground, Levy Economic Institute of Bard College, Working Paper No.762 がこの点で優れた分析をしています。)

 フランス 
 ドイツより高いインフレ率。これは、フランスの経済が内需主導型であり、貨幣賃金の引き上げを伴う経済であったことを意味します。またトッド氏(E. Todd、『経済幻想』など)が述べるように、フランスの出生率(合計特殊出生率が約2.0)・人口増加率が高いことも関係していると考えられます。中央銀行の金融政策もそれにそうものでした。
 ドイツ
 これに対して、ドイツでは、ドイチェ・ブンデスバンク(中央銀行)が常にインフレに対して警戒感を示し、インフレ抑制的な金融政策(ドイツ・マネタリズム)を行って来ました。これはまたドイツ経済が「輸出主導型」の経済を志向してきたことと関係しています。こうした金融政策は、均衡財政主義の政策と結びついていました。西ドイツの財政赤字、政府債務比率の少なかったことがそれを示しています。さらにトッド氏が述べるように、ドイツの合計特殊出生率がきわめて低い(人口減少に結びつく)ことと無関係ではないでしょう。ただし、1990年の東西ドイツの再統一までは、労働生産性の上昇に応じて賃金率も引き上げられており、そのため賃金総額の減少が国内消費需要を抑制するという(日本のような)事態はなかったと言うことができます。

 言うまでもないことですが、このような制度的な相違を持つ2つの国がそれぞれの為替相場の変動幅を狭い範囲内に抑えることは、きわめて困難な問題をもたらします。さしあたり次のような点を指摘しておきます。
 ・もし両国がそれぞれの政策スタンスを変更しないならば、また為替相場を固定しようとするならば、フランス・フランが実質的に高くなります(フラン高)。何故ならば、ドイツに比べてフランスの物価が高くなるからです。
 したがってフランスが実質的なフラン高を和らげるためには、フラン平価の切り下げを実施しなければなりません。
 実は、図が示すように、伝統的にフランスが行ってきたのは、1987年までは、このような政策でした。(図から、フラン価値の低下を確認してください。)
 ・しかし、もしそのようなこと避けるならば、フランスが政策を変更し、フランスの中央銀行はブンデスバンクの金融政策(インフレを抑制するためのマネタリスト的な金融引締め政策!)を採用しなければなりません。それはフランス経済をしだいに蝕み、失業率を引き上げることになるでしょう。実際、ミッテラン(大統領、フランス社会党)の選択は、その方向へのものでした。
 さらにフランスがこのような政策をとれば、金融引締め政策(高金利)の効果によって国内への資本流入が達成され、フラン高(あるいは少なくともフラン安へのブレーキ)を実現することになるでしょう。しかし、それはフランスの貿易収支を悪化させ、他方ではフランを不安定にさせる要因を生み出します。

 ここまで書けば、1992年9月に何故 EMS 危機が生じたのか、半ば以上は説明されたことになります。通貨危機の土壌は、1987年〜1992年の5年間に醸成されていたのです。

 しかし、通貨危機の要因として少なくとももう一つの点を指摘しておく必要があるでしょう。それは(経済にとって)外生的ショックとしての東西ドイツの統一であり、それがもたらした結果に対するブンデスバンクの対応です。
 周知のように、東西ドイツの統一は、1989年〜1991年に旧東ドイツへの援助のための巨額の財政支出を結果し、旧西ドイツに財政赤字をもたらしました。この短い期間にドイツでは、はじめて「ちょっとしたケインズ主義政策」が実施されたのです。そして、それはドイツ経済に好景気(1991年に5.1%の成長率!)とちょっとしたインフレーション(1991年に3.7%)をもたらしました(cf, Bibow, p.10)。
 しかし、この短期のちょっとした「逸脱」に対してドイツのブンデスバンクは、過剰に反応しました。伝統的なブンデスバンクの反インフレ的金融政策が発動され、金融が大幅に引締められ、緊縮財政政策が求められました。その結果、失業率は急上昇しました。いまドイツ中央銀行の伝統的な金融政策といいましたが、正確にはそれ以上だったと言えるでしょう。
 ドイツ・マルク高、一連の周辺国の通貨の減価、イギリスのEMSからの離脱、フランスの通貨危機は起こるべくして起こりました。(為替投機も起こるべくして起こったというしかありません。)
 もちろん、それらが1990年代に欧州全体に影響を及ぼしたことは言うまでもありません。これ以降、ドイツの「独善的な金融政策」に対する批判が様々なところで行われることになります。しかし、多くの人々の不信感にもかかわらず、ユーロ・ランドに向かう動きは、止まりませんでした。(この理由はそれ自体として興味を引くところですが、ここでは省略します。)
 
 以上見てきたように、1992年〜93年のヨーロッパ通貨危機の背景は複雑のように見えまるかもしれませんが、次のようにまとめられます。
 ・ドイツ(中心国)とフランス(周辺国)の金融政策、財政政策、制度的な相違
   (これは最終的にはインフレ率や為替相場の変動に現れる。)
 ・東西ドイツの統一という外生的な事件(一時的な「ケインズ主義政策」)
 ・政策的対応(フランス、ドイツの対応=緊縮的マネタリズム;失業問題の放置)
 
 さて、本日の最後ですが、実は、ここで述べた事情は1992年〜93年にだけ当てはまるものではありません。それは1990年代を通じて、また単一通貨圏が成立したのちの21世紀を通じて存続している問題群をはらんでいます。2006年以降のヨーロッパ債務危機の原因は、今日述べた時期から胚胎していたのです。