2015年6月20日土曜日

毎月勤労統計調査にみる賃金の低下

 厚生労働省の「毎月勤労統計調査」(2014年4月と2015年4月、確定値)から実質賃金の増減(従業員5人以上、前年同月比、増減、%)を示しておきます。
 政府・日銀の希望的観測を見事に裏切って、実質賃金は消費増税以降、ずっと低下して来ました。



 出典)厚生労働省、「毎月勤労統計調査」より作成。

 パソコンの動きがよくないので、今日はここまでにとどめておきます。


2015年6月19日金曜日

ユーロ圏における高失業を生み出したゼロ思考/単一思考 (1)

 EU総選挙で、特にユーロ圏の有権者がEUと通貨統合に拒否反応を示したことは、理由なくして生じたことではない。またルペンの率いるフランスの国民戦線(極右政党)などが票を伸ばしたことも偶然ではない(私自身は決して支持しているわけではない。念のため)。フランス社会党までが、これから説明する・国民大衆にとって好ましくない政策にのめり込んでしまったときに、それに反対する人々が取りうる選択肢は限られているからである。ちょうど1932年のドイツの総選挙で(失業政策を放棄した昼ファーディング率いる)SPDに多くの労働者が幻滅したようにである。

 ヨーロッパでは、ユーロという単一通貨を創出することは、バンコールという世界貨幣を創出するという戦後通貨体制に関するケインズ案の精神にそうものだと主張する人々がいある。しかし、それはまったく誤りである。

 そもそもケインズ案は、各国政府が「完全雇用」をめざして、それぞれの国内で完全雇用の達成に必要な有効需要を創出することをめざすために考え出されたものであり、したがって次のことを求めていた。
 1)新重商主義の放棄
 自国内の不況・高失業を輸出(外需)の拡大によって解決しようとする政策、つまり「近隣窮乏化政策」または新重商主義をやめること。
 2)国際収支の均衡の達成
 そのために、特定の国が貿易収支の黒字をターゲットにしたり、その対極に赤字国を生み出すことを許さない。
 3)バンコールと準固定相場制、国際清算同盟、黒字国のペナルティー
 そのためにバンコールという世界貨幣を創出する。しかし、これは(ユーロと異なり)国際的決済のための通貨であり、各国は自国通貨とバンコールを適正な平価でリンクさせる。国際的な清算を行う機関として清算同盟を設置する。また国際収支の不均衡が生じた場合、赤字国は最終的に通貨の切り下げを行うことが期待されるが(つまり準固定相場制)、黒字国もペナルティを課せられる。すなわち、黒字国は、黒字額の相当額を途上国の開発援助に向けなければならない。また国内需要を拡大するための方策(貨幣賃金率の引き上げなど)を実施する義務を負う、などである。

 残念ながら、ユーロの導入のためにEU諸国が採用した方策は、ほとんどすべて(!)、こうした精神に反している。
 1)ドイツによる新重商主義的政策志向
 もちろん、すべての国が新重商主義政策を取りえたわけではないが、これについては、後に説明する。
 2)ユーロという為替調整不能な単一通貨の創出
 ケインズのバンコールと異なり、ユーロは為替調整を不可能とした。しかも、ヨーロッパにはドイツのようなインフレ率の低い中心国もあれば、ギリシャやスペイン、ポルトガルのようなインフレ率の高い周辺国もあるという状態の中においてである。
 3)完全雇用政策の放棄、むしろ失業を創出する政策
 しかも、ケインズ案の精神にあった「完全雇用」は完全に放棄されてしまった。多くの国(特に中心国)は為替相場を固定化するために、緊縮的な財政政策と非常に引締的な金融政策を強要された。言うまでもなく、1993年に批准された「マーストリヒト条約」とその後に批准された「安定成長協定」(SGP)によってである。
 さらに注意しなければならないのは、このような経済政策の中で賃金が強く抑制されたことである。
 ユーロ圏の人々がそれでもそれに耐えたのは、エルドラド(黄金郷)が約束されていたからに他ならない。それはエマニュエル・トッド氏が言うように「ゼロ思考」または「単一思考」としかいえない代物である。しかも、この約束は果たされなかった。また今後も果たされるようには思われない。何故だろうか?
 さらに詳しく見ていこう。

失業の諸見解

 そもそも失業とは何であり、何故生じるのか?
 最も抽象的なレベルでは、一方に労働供給(働きたいと思う人、L)があり、他方に労働需要(企業が雇いたいと思う人の数、N)があり、両者の差 (U =LーN)が失業者である。
 現在では、普通、15歳〜64歳の人が生産年齢人口が考えられているが、もちろん、この人口すべてが労働供給ではない。その中には、就学者、専業主婦、働きたくても働けない病人・ケガ人・障碍者がいる。また現在の統計では、会社を解雇されたのち、就職活動をあきらめた人(discouraged people)も労働供給から除かれている。これらの人々の数は、長期的には、歴史的要因によって大きく変化するが、ラフに言うと、短期的には一定と考えることができる。これが実質賃金率によって大きく変化することがないことは、以前のページで説明してある。
 一方、労働需要は、企業が生産のために雇いたいと考える労働力(人数)であり、これは最も簡単なモデルでは、生産量に比例し、労働生産性に反比例する。つまり、
   N=Y/ρ   雇用量=生産量÷労働生産性
 そこで、簡単のために、労働供給を一定とすると、雇用量が増えれば失業者が減り、雇用量が減れば失業者が増えることは言うまでもない。 

 これらを前提とした上で、雇用と失業を変化させる要因を考えることとするが、現在の経済学では、次の4つの見解があるといえよう。

1)構造的失業論(技術=労働生産性論者)
 この見解では、失業、特に景気循環を通して長期にわたって持続する失業は、構造的失業と呼ばれ、その理由は技術発展、すなわち労働生産性の上昇に求められる。
 この見解は、近年の高失業、失業率の上昇を技術革新、特に近年のITC技術の発展に求めようとする。上の式から見ても、正しいと思えるかもしれない。
 しかし、例えば1980年代前半の急速な失業率の高騰や、その後、1990年代に生じた再度の高失業率を、それぞれの時期に生じた労働生産性の旧上昇に求めることには無理がある。これらの時期は労働生産性の上昇率が相対的に低かった時期であり、むしろ生産性の上昇率が高かったのは1960年代であったが、言うまでもなく、この時期は「資本主義の黄金時代」であり、完全雇用の時代であった。
 もう一言付け加えておこう。もし高い技術進歩が高失業の原因ならば、そろそろこの辺で人々の一人一人の労働時間を減らすという方策、ワークシェアリグを実施したらどうか、というのが私の提案である。
 ところが、このように言うと、必ずとってよいほど、それでは一人一人の賃金所得が減少してしまうではないかという反論がやってくる。でも、そのように言うということは、やはり(少なくとも)失業者の部分については所得=有効需要が不足しているということを意味していることになる。つまり、これは以下の(4)の正しさを示すことになるわけである。

2)マネタリズム
 現在の欧米日の保守政権に影響力を及ぼして来たのは、マネタリズムの思想であり、この見解では、それぞれの国・地域の労働市場の構造(柔軟性や硬直性、労働組合の労働条件に関する交渉力など)によって「自然失業率」なるものが存在すると説く。そして、政府は、どんなに政策的に努力しても、この「自然」失業率よりも低い失業率を実現することができない、と主張する。あるいは、仮に政府が一時的に失業率を「自然」失業率以下に引き下げることができたとしても、政府の財政支出はインフレーションをもたらすだけでなく、結局のところ、再び失業率を「自然」失業率(以上)に戻す、と主張する。
 この教説は、さらに進んで、NAIRU(「失業率を加速しない失業率」の意味)という議論にまで行き着いた。つまり、何らかの政策によって失業率を「自然」失業率より低くしてしまうとインフレーションを起こすだけでなく、加速してしまい収束不能にするので、一定率以上の失業率を維持するべき、というものである。いやはや、凄まじい「理論」が出てきたものである。しかも、驚いてはいけない。これを主張しているのは、OECDに加盟している多くの国の政府であり(!)、また「新しいケインズ派』と呼ばれている人々なのである。ケインズが聞いたら、「私はケインズ派ではない」というだろう。
 一体、どこからこのような「理論」が生まれるのだろうか?
 この理論が次に述べる(3)新古典派の議論の系論の一つであることは、以下の説明から簡単に理解できるだろう。ここでは、何故、政府の活動が失業率を引き下げることができないという結論がどのように導かれたのかを説明し、それが奇妙な議論であることを示すにとどめておこう。
 結局、本質的には、マネタリストの議論は、クラウド・アウト(crowding-out)の主張につきる。すなわち、政府の支出(財と金融の2側面から考えられる)は、民間企業の活動を閉め出してしまう(crowd out)、というものである。例えば、今政府が何かの目的のために(例えばオリンピックでも社会福祉でもよい)のために借金をして10億円を支出すると、それは民間部門の経済活動をちょうど10億円分縮小するとされる。つまり差し引きゼロであり、効果はない、ということになる。
 しかし、何かおかしいと思わないだろうか? もし私(民間人)が借金して10億円を(オリンピックのためでも、福祉の目的のためでもよい)支出すると想定しよう。この場合には、マネタリストは、クラウド・アウトが生じるとはいわない。何故だろうか? 私が政府ではなく、民間人だからである。しかし、市場では、政府の支出したカネと民間人の支出したカネを区別するのだろうか? 
 たしかに、すべての資源(モノ、労働力)がフルに利用されているケースであれば、追加の支出(有効需要)は、市場を圧迫してクラウド・アウトが生じるかもしれない。しかし、今問題としているのは、それとまったく異なり、失業(不完全就業)が生じている時・地域である。(念のため、私はいわゆる波及効果のことは論じていないので注意。)
 マネタリストの議論でさらに奇妙な点は、「自然」失業率やNAIRUの数値がきわめて短い間に著しく変化する点である。そもそも定義上、労働市場の特徴は短期的には変化するはずもないので、自然失業率もNAIRUもほとんど変化しないはずである。もちろん、定義上、長期的には(政府の雇用柔軟化政策によって)労働市場の構造が変化すれば、それらの自然失業率やNAIRUも変化するであろう。しかも、近年の保守政権の下での雇用柔軟化政策によって低下傾向を示すはずである。
 ところがである。アメリカの統計でも、ヨーロッパの統計でも、OECDの統計でも、NAIRUが示されている限り、それらはめまぐるしく(つまり景気変動に応じて)変化している。いうまでもなく、こうした事実は、マネタリズムが破綻していることを如実に示すものである。

3)新古典派の高賃金が高失業の原因という議論
 この議論はケインズ等によって批判済みであり、理論的にも実証的にも成立しないことは、私の以前のブログで書いた通りであり、ここでは省略する。

4)有効需要の不足
 かくして失業を説明する有効な議論は、(1)か、さもなくば(4)有効需要の不足に由来する生産量が不足しているという理論となる。繰り返すが、(1)が成立するのは、もうこれ以上にモノ(財とサービス)の産出が不要とされる場合である。さもなければ、(4)が成立する。
 実際、これによってヨーロッパ、特にユーロ地域の高失業が説明されることを示しておこう。(続く)

何故EU圏、特にユーロ地域は失業率が高いのか?

 1990年代〜21世紀初頭にかけて経済学者に問いかけられた大きな問題があります。それは近年の諸地域、例えばヨーロッパ諸国(EU地域)、とりわけユーロ圏の失業率が高いのは何故かというものです。しばしば、これに関係して米国の失業率が相対的に低い理由は何かという問題も問いかけられていました。実際には、ヨーロッパにも失業率の低い地域があり、また米国でも常に失業率が低かったわけではありません。しかし、<ヨーロッパの高失業vs米国の低失業>という、いわば定型化された質問がしばしば投げかけられていました。

 しかも、1994にOECDのEconomic Outlook に「職の研究」(Job Study)が掲載され、「統一理論」(Unified Theory)なるものが主張されるに至り、この問題は世界中の多くの経済学者の関心をひきました。
 この「職の研究」(統一理論)によれば、ヨーロッパ諸国の高失業は、①高賃金と②所得分配の平等のせいであり、さらに、それをもたらした③政府による労働保護政策や労働市場の硬直性のせいである、とされ、反対に米国の低失業は、雇用の柔軟化と規制撤廃、所得分配の不平等によるとされました。これを一般化すると、人々は高賃金と雇用のどちらも享受することはできず、どちらかを選ばなければならないことになります。

 ちょっと考えると、こうした説明がかなり疑わしいものであることがわかります。そもそもヨーロッパでも米国でも、失業率が上昇しはじめた時期に賃金抑制が進行してきました。統一理論によれば、賃金抑制が行われたのだから失業率は低下したはずです。しかし、そうはなっていません。あるいは失業率が上昇したのだから、実質賃金が上がったはずです。しかし、実際には、失業率が上昇したときに、貨幣賃金が抑制される傾向が強く、その結果、実質賃金も抑制されています。
 それにヨーロッパ諸国の諸地域を詳しく見てみると、失業率の高いのは低賃金の地域であり、失業率の低いのは高賃金の地域であるという強い相関があることが分かっています。
 以上の指摘だけでも、OECDの「職の研究」の説明が誤りであることがすぐに分かりますが、実は、当該論文自体が、<自分たちの見解は統計的に実証されているわけではない>と認めていました。実に奇妙な話です。

 しかし、この奇妙な説は、経済学の発展にとっては多少役にたったかもしれません。というのは、多くの経済学者が雇用の理論的・実証的研究を行い、OECDの「統一理論」なるものの誤りを明らかにしたからです。

 しかしながら、「職の研究」が高失業の原因を正しく説明していないことが明らかであっても、それだけでは不十分です。何故、ヨーロッパ諸国、特にユーロ地域は高失業になったのでしょうか? 近年の研究成果を踏まえて、もう少し詳しく検討しておきたいと思います。


金融化 金融の支配する経済

 英国のエリザベス女王が2008年11月5日、つまりあのリーマン・ショックが起きたあと、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスを訪問したとき、「そんなに大きな出来事なら、どうして誰も気づかなかったの?」と質問したというのは有名な話しです。

 それに対してどのような回答があったかは知りませんが、確かなことは女王の質問は精確ではなく、気づいている経済学者はかなり多くいたというのが事実です。
 もちろん、主流派の経済学者の多くは、そのような危機(金融崩壊)が生じないと思っていたのですから、質問が主流派に向けられたと考えれば、質問は成立します。

 さて、気づいていたのは、例えば英国では、Susan Strange 氏(『カジノ資本主義』の著者)をはじめとする非主流派(マルクス派、ポスト・ケインズ派)の決して少なくない経済学者、米国ではガルブレイスや、ハイマン・ミンスキーの伝統を受け継いで「金融脆弱性」を研究していたLevy Economics Institute of Bard Collegeのスタッフ諸氏、クルーグマン等でしょうか。

 金融がきわめて脆弱な(不安定な)領域であることは、かなり早い時期からよく知られていました。金融が脆弱な(不安定な)理由は、それ自体に内在しています。
 一つは、銀行が無から貨幣(お金)を創り出すことができるという特性に由来しています。
 お金とは何かというのは、古くからの哲学的な難問でしたが、ここでは簡単に、さしあたり①交換手段・支払手段、②度量単位、③富の蓄蔵手段としての3機能を備えているものを貨幣(お金)と考えておきます。
 このように定義された貨幣は、現在では、①正貨(金貨など)、②中央銀行券(現金、紙幣)、③預金通貨の3種類しかありません(少額のコイン=補助貨幣を除きます)。しかも、このうち①正貨は、1930年代にほぼ消滅しました。

 さて、よく銀行は人々から受け入れた預金を人々に貸し付けると理解されていますが、これは誤りです。銀行が一方で預金を集め、他方で貸し付けていることは事実ですが、預金を貸し付けているわけではありません。
 銀行は、人々の預金口座に貸付額を記帳することによって貸し付けることが可能です。1億円なら1億円と記帳するだけです(現在ではパソコン端末で処理するのみ)。また貸付を受けた人は、その預金を利用して支払を行うことができます。難しい話しではありません。多くの人々は、給与の受け取りを預金通貨を使って行っており、電気料やガス代を口座振替で行っています。
 それでは、銀行は何故預金を集めるのでしょうか? 一つの最も大きな理由は、現金準備に備えるためです。預金者は、その預金が自分の預金によるものであれ、貸付によるものであれ、現金(銀行券)を引き出すことができます。銀行はその準備をしておかなければなりません。銀行は、理論上、準備さえしておくことができれば、不良債権がどんなにたまっても(節度を失って)営業を続けることができます。
 もちろん、それでは困るので、現実には様々な規制(BIS規制など)がしかれます。
 ともあれ、銀行は規制の範囲内で貸付という形で巨額の貨幣を創出することができます。
 つぎに取り上げなければならないのは、貨幣需要です。銀行は、貨幣を供給するわけですが、貨幣に対する需要があってはじめて供給することができます。したがって銀行も、いわんや中央銀行も「外生的に」(ある目的から裁量的に)貨幣供給を行うことはできません。貨幣は「内生的」であり、経済の内部から生じる貨幣需要に応じて生まれます。
 それでは、その貨幣需要とは何でしょうか?
 第一に、そもそも貨幣がなければ、市場取引は不可能ですから、現代の経済社会では、本源的な貨幣需要があると考えなければなりません。モノを買う時、労働者を雇うとき、貸借のとき、などのための需要です。
 第二に、設備投資のための需要です。現在の経済では、企業は内部資金(減価償却費、内部留保)、株式の新規発行の他に、銀行からの借入によって投資資金を調達することが行われています。意外と知られていないかもしれませんが、特に大企業では、このうち内部資金が設備投資資金のほとんどを占めています。
 第三に、貨幣に対する投機需要です。土地や株式、その他の有価証券などを購入するための貨幣需要が投機需要です。最近では、金融機関が「投機」という言葉を避けるために投資という言葉がよく使われますが、新規発行株式を購入する場合ならともかく、インカムゲイン(配当)やキャピタルゲイン(資産の売買差益)を得るために金融資産を購入するのを「投資」と呼ぶべきではありません。

 ここで第二の投資需要と、第三の投機需要を比較考量してみます。
 投資需要を決定するのは何かというと、これまでも説明してきたように、基本的には将来における有効需要の期待です。もし消費財であれ生産財であれ、売上げが伸びると期待されれば、企業は生産能力を拡大するために設備投資を実施します。
 ここで注意点を一つ。それは1920年代〜1930年代のオックスフォード調査以来知られているように、銀行借入額が金利の変化に対して敏感ではないことです。その理由はいくつかありますが、一つは上記の事情(投資資金のほとんどが内部資金から)によると考えられます。また景気循環の中で、景気後退期に金利を下げても借入が増えず、逆に好況時は金利が上がっても借入が増えるということもあるでしょう。これは低金利(高金利)が借入額を増やす(減らす)という傾向を帳消しにします。
 次に投機需要ですが、こちらは金利に敏感に反応します。しかも、普通の財やサービスと異なって、金融資産の価格は需要供給関係の変動に応じて著しく変化するという傾向を特徴としています。
 最近の株価の上昇を見てもそうですが、政府が年金基金を株式市場に投入するや、株価が急激に上昇したことがその一例です。さらに、資産市場では期待がもっと資産価格の変動性を激しいものにします。われわれの例を続けると、日本政府・日銀の金融政策を見た外国人「投資家」が株価の上昇を期待すると、彼らは日本株を購入し、それがさらに株価を押し上げるといったことが生じます。
 ここに金融脆弱性の原因の一端があります。つまり、資産市場では「バンドワゴン効果」や「自己実現的期待」といったことが成立しやすく、多くの人々が株価が上昇すると期待すると、資産購入の動きが拡大され、資産価格を押し上げます。すると、それは巨額のキャピタル・ゲインをもたらし、資産インフレーションのスパイラルを生むことになります。
 さらにこれに金利の作用が加わります。もし資産インフレーションが進行しだすと、それはキャピタル・ゲインを含めた期待利子率を引き上げるでしょう。例えば10億円で購入した株式が一年で20%上がると期待されるならば、期待利子率は20%+配当率になります。このとき、銀行の貸し出し金利が低いならば、銀行ローンを用いない手はないでしょう。
 ここで、21世紀初頭のECB(欧州中央銀行)の金融政策を確認しておきます。19世紀末以来、ECBは、(財とサービスの)物価だけを判断基準として金利を決定してきました。その判断基準は、物価上昇率を2%以下に抑えるが、できるだけ2%に近い値に誘導するというものです。ずいぶん乱暴な話しです。各国の失業率が高かろうが低かろうが、とにかく物価だけで金利を決めるというのですから。
 さて、21世紀初頭の米国ITバブルの崩壊による金融危機の影響はヨーロッパにまで及び、ECBは物価上昇率が基準値以下になったのを見て、金利を引き下げました。それに対して実体経済が反応したでしょうか? そうではありません。反応したのは、資産市場です。住宅価格が上昇し、住宅市場にマネーを供給する分野が拡大し、株式市場が拡大し、負債の拡大によって消費ブームが実現しました。

 私はちょっと先走りすぎたかもしれません。というのは、もちろん、ヨーロッパやアメリカの金融危機は単に中央銀行の低金利政策によってもたらされたものではないからです。それを説明するには、別の側面に触れる必要があります。しかし、ここで強調したいのは、金融が資産市場に大量のマネーを供給するとき、それがバブル=資産インフレーションを引き起こし、ついでそれがピーク(ミンスキー・モメント)に達した時に、金融崩壊が生じる、という事実です。
 バブルが崩壊したのち、資産デフレーションが生じ、キャピタル・ロスが生まれ、資産を売り逃げしようとする流れの中で資産デフレのスパイラルが生じることは、日本人も身をもって知ったことです。もちろん、その中で銀行が巨額の不良債権を抱えるにいたることは言うまでもありません。
 
 さて、それでは、戦後、1970年代まで比較的なりをひそめていた金融危機が1980年代から再頻発するようになったのは何故でしょうか? 
 答えはある意味では簡単です。一つは、戦後、金融脆弱性が発現しないように様々な規制がなされていたのに対して、1970年代以降、特に1980年代から20世紀末にかけて規制が撤廃されたことであり、もう一つは、金融化が進展し、金融の支配する経済(finance-led economy)が成立したことです。
 それを説明するには、米国では1980年代のレーガン時代にまで、ヨーロッパでも1980年代のサッチャー時代にまで、そしてEU (EC) とユーロ圏の成立史にまでさかのぼる必要があります。EUとユーロは決してヨーロッパの人々にエルドラド(黄金郷)をもたらしたわけではないことを知らなければなりません。

何故TPPに反対するべきか? 賃金主導型の成長のために

 ほとんどの経済が「賃金主導型」(wage-led type)となっていることは、今日、少なくとも専門家の間では、よく知られています。が、一般的には知られていないかもしれません。
 賃金主導型というのは、労働生産性の上昇に応じて賃金率を引き上げる方が経済発展にとって有利だという意味です。それはまた、労働生産性の上昇があっても賃金を抑制すると、経済的な沈滞や高失業を招くということを意味しています。
 このような意見は、いまや国民の「常識」ともなってしまった見解(思想、教義、信条)に反するかもしれません。というのは、高賃金(高負担)が企業の流出を招き、雇用と職の喪失を招いているという言説が流布されてきているからです。

 しかし、それは誤りです。ちょっと検討してみましょう。
 第一に、理論的に。賃金率の抑制(引き下げ)は、ただちに雇用の拡大を伴わない限り(そして実際には伴わない)、社会全体の賃金所得を抑制(縮小)します。それはもちろん、賃金からの消費支出を抑制(縮小)します。もっとも、利潤が拡大すれば、それを補うことができるではないかという反論があるかもしれません。しかし、利潤からの消費支出はかなり限られています(消費性向が低い、と言います)。これに対して貯蓄が増え、そのため投資も増えるという再反論があるかもしれません。しかし、これも成立しません。というのは、投資は消費需要が拡大しているときに、企業が招来も消費が拡大すると期待して、生産能力を拡大するために行うものです。また、消費が停滞しているときに投資を行うと過剰投資・過剰生産・固定の拡大を招き、企業業績が悪化する危険性が大きくなります。

 第二に、しかも、これは私の単なる想像ではありません。1990年代末から日本経済が経験してきた事柄そのものに他なりません。貨幣賃金の抑制、史上最大の企業利潤の実現、しかし消費の低迷、投資の低迷と技術の低迷、企業(ただし巨大企業のみ)の巨額の内部留保、しかし国内投資の低迷と海外への流出(高賃金ではなく、投資機会の不足による!)、等々。
 それに、もし高賃金が企業の流出の理由であり、高負担国には資本が流入しないという法則があるならば、例えばドイツに米国企業が進出することはないはず。しかし、ドイツは世界最大の直接投資受け入れ国です。
 何故でしょうか? それはドイツが高賃金・高負担・高率課税でも、企業が利潤をあげることができてきたからです。もちろん、企業は利潤から租税を支払うのを嫌うでしょう。もし仮に私が経営者でも、ある時はグローバル競争のため苦しいと泣き、ある時は高負担だと逃げますよと脅すでしょう。泣きと脅しを同時に行えばばれますが、別々に行うと受け入れてくれます。(ちょっと言葉は悪いのですが、養老氏の「馬鹿の壁」というものでしょうか。人は壁をつくってしまい、人の意見を聞かなくなってしまうことがあります。それをケインズは「思想」(idea)という言葉で説明しました。)

 このように、多くの賃金主導型ですが、もしかすると米国だけは、利潤主導型になっている可能性があります。その理由は、米国があまりに自由化・規制撤廃を実現しすぎて、利潤の変化に敏感になっているからだという可能性があります。
 もしそうだとすると、それは米国の99%にとっては不幸なことです。
 また他の国にとっては、それは米国のようになってはいけない(少なくとも99%にとっては)という教訓ともなります。

 TPPが人々の富と所得を増やすという言説にまどわされてはなりません。
 人々と言っても、せいぜい1%、または0.1%の人々にすぎないのですから。もしあなたが確実に 0.1%の上位所得者・資産家なら話しはまったく別ですが・・・。

賃金主導型の成長を擁護する

 マルク・ラヴォア(Marc Lavoie1)の編著になる『賃金主導の成長』(2013年)が ILO (国際労働機構)の支援を得て、出版されています。また今年、トニー・サールウォール(A, Thirlwall)の『ケインズ派とカルドア派の経済学』、パルグレイブ社から出版されています。

 マルク・ラヴォアは、カナダの経済学者で、著名なポスト・ケインズ派の理論家。サールウォールもイギリス生まれの著名なポスト・ケインズ派の経済学者です。ここにポスト・ケインズ派というのは、ケインズの研究・問題提起を真面目に受け止め、それをさらに発展させた経済学を志向する人々の総称であり、出発点は、1930年代のイギリス、ケインズを中心に経済学研究をすすめてていた一群の人々(ケインズ・サーカス)にあるといっても間違いではないでしょう。具体的には、ハロッド、ジョウン・ロビンソン、カルドア、カレツキなどのそうそうたる経済学者ですが、その後、イギリスだけでなく、他のヨーロッパ諸国や、大西洋を渡って米国やカナダ、中南米にも、また日本にもその共鳴者が現れます。米国では、制度派・オーストリアン派の影響を受けていたジョン・ガルブレイスもケインズの強い影響を受けるようになりました。さらにフランスのレギュラシオン学派も、ケインズ派、ポスト・ケインズ派から多くの要素を取り入れています。
 これらの人々に共通しているビジョンは、資本主義経済(企業者経済、貨幣的生産経済)では、完全雇用が必ず実現されるという保証はなく、むしろ逆であるというものです。したがって、非自発的失業をなくし、完全雇用を実現するためには、政策的努力(つまり資本主義の修正)が必要となるという結論が導かれます。
 ちなみに、米国を中心にしげ「ニュー・ケインジアン」なる学派があり、一見すると、ケインズの思想を受け継いでいるかのように思われるかもしれませんが、それは誤りです。彼らはケインズ派どころか、ケインズの基本的な主張に反したことを主張している「反ケインズ派」ですが、これについては後に触れます。

 さて、賃金主導とは何でしょうか?
 このことを知るには、経済学の歴史を少しさかのぼる必要があります。
 実はケインズが『一般理論』(1936年)で展開した理論は、それまでの(新)古典派といわれる人たちの雇用理論(労働市場論)を根本的に批判し、新しい理論を準備するためのものでした。
 ケインズが直接批判の対象としたのは、ピグー(Pigou)という人のあらわした『雇用の理論』(1930年)ですが、このピグーの本は、簡単に要約すると、高い実質賃金(または実質賃金の上昇)が失業を拡大する、と主張するものでした。ケインズは、このピグーの結論を支える2つの公準があると指摘していました。
 2つの公準のうち一つは、実質賃金が高いほど労働供給(労働者が働きたいと考える時間)が多く、実質賃金が低いほど労働供給が少ないという傾向があるというものですが、これが成立しないことは、ちょっと考えれば誰でもわかります。もし賃金率が低いのに、わずかな時間しか働かなければ、所得はものすごく少なくなるでしょう。普通は逆です。一定の所得を得るためには、より長い時間は働く必要があります。また賃金率が上がれば、人はより短い労働時間で以前と同じ所得を実現することができます。(これは、アメリカのダグラス大佐『賃金の理論』(1936年)で実証されています。)
 それによく考えると、労働供給は、ほとんど長期の歴史的・社会的・文化的条件によって決まっています。例えば今年22歳になって働き始める人は、22年前に生まれているのです。現在の賃金率が高いから22年前にさかのぼって生まれたわけではありません。ま昔はた多くの人が15歳には働いていましたが、現在の日本では20歳で働いている人の方がはるかに少ないことは誰でも知っています。
 そこで、ラフに言うと、短期には労働供給は一定と考えてもよいでしょう。いずれにせよ、ピグーの公準の一つは崩れました。

 もう一つの公準はどうでしょうか? これは労働需要(企業による雇用量=時間)実質賃金率の増加関数だというものです。つまり、企業は、賃金率が低ければ多く雇い、賃金率が上がれば雇用量を減らすという関係です。
 これは何だか正しそうな気がするかもしれません。実際、個々の企業にとっては、低賃金は費用を抑えることを可能とするわけですから、その点に関する限り魅力的で、実行してみたいという思いに駆られるかもしれません。しかし、それは企業家の願望であって、本当にそうかは、じっくり検討する必要があります。

 実は、ケインズは不覚にもこの公準を認めてしまいました。しかし、それでもケインズは、この公準が短期の公準(つまり時間のない静態的世界で当てはまる公準)にすぎず、現実の動態的な世界には当てはまらないと考えていました。
 簡単に言えば、現実の経済(貨幣的生産経済)では、人々が意識しているのは実質額ではなく、貨幣額(賃金の場合には貨幣賃金率)です。もしピグーの言うように、失業率を下げるためにと称して、社会全体・企業全体(個別企業を問題としているのではなく、社会全体を問題としていることに注意!)が貨幣賃金を下げた場合、実質賃金は低下するでしょうか? もちろん、頭の中の思考実験で<もし物価水準が同じならば>という仮定をおけば、そうなりますが、これはトートロジーであり、現実とは関係ありません。実際には、もし貨幣賃金の引き下げが、諸物価の低下をもたらすならば、実質賃金は、①変わらない、②下がる、③上がる、の3つの可能性があります。
 さて、19世紀から1930年代にかけて現実はどうだったでしょうか? が、これについては、いつか詳しく論じます。

 ケインズにとってもっと問題だったのは、現実の動態的な世界では、雇用量は直接に実質賃金率に関係しているのではなく、生産量に関係しているという事実です。簡単な例で説明しましょう。いま、ある会社がある期間に製品1000単位を生産しようとしています。また、その期間に一人あたりの生産能力(労働生産性)が100単位/人だとします。この場合、必要な労働力は10人(=1000単位÷100単位/人)となることは子供でも分かります。
 また生産量は、その生産物に対する有効需要(貨幣のうらづけのある需要)によって決まります。もちろん、企業は需要を予測して生産に踏み切るかもしれませんが、売れ行き不振で在庫が増えれば、生産を縮小します。つまり、最終的には、企業は有効需要に王位て生産することに疑いはありません。
 それでは、貨幣賃金率を引き下げた場合、この実質有効需要(生産量)は本当に増えるのでしょうか?
 これに対して「増加する」と答える人は、どのような根拠をもってそのように言えるのでしょうか? ケインズは、このように答える人に対してまず論理的な誤りを指摘します。
 もし貨幣賃金率が引き下げられたとき、ceteris paribus(その他の条件が等しいならば)、つまり社会全体の貨幣表示の総有効需要(金額)が不変という仮定を置くならば、確かに雇用は増えるかもしれません。それは貨幣賃金率の引き下げと雇用量の拡大が瞬時に行われることを意味しており、wN=w’N’ (N’>N、w’>w)となります。もちろん、その際、新しい雇用量に応じた生産量(実質有効需要)が即座に生まれるということも前提=仮定されていることになります。
 しかし、これは特定の仮定を置いたから成立するトードロジーに他なりません。あらかじめ結果が成り立つという仮定の上で結果を導いているだけですから、成り立つのは当たり前です。これを同義反復(tautology)と言い、ケインズは冷笑したわけです。
 リアルタイムの中で経済諸活動が営まれている現実の世界では、貨幣賃金率の引き下げが決して実質有効需要(生産量)を増やすことはない、むしろこれがケインズの推論であり、実証することに成功した事実でした。

 しかも、後日談ですが、ケインズが不覚にも認めた公準自体が誤りであることが、次々に明らかになりました。
 先ず1930年代以降に実施されたオックスフォード経済調査が「規模(労働)に関する収穫逓減」の法則を否定し、短期においても、実質賃金率が雇用量の減少関数だと主張する根拠が失われました。この事実は、その後米国で行われた調査(1950年代のアイトマンとガスリー、1990年代のアラン・ブラインダー他の調査)でも確認されています。
 さらにケインズの『一般理論』の刊行後、彼の教え子・弟子だったターシス、他、それにケインズとは独立に有効需要の原理にもとづく経済学を樹立していたカレツキなどが、貨幣賃金率と実質賃金率の関係について、『一般理論』の想定には反するけれども、むしろケインズの主張にとっては有利な(あるいはピグーの主張にとっては不利な)発見を行います。現在のポスト・ケインズ派は、こうした事実を前提としています、
 
 さて、長々とした説明になりましたが、結論を言うと、経済は貨幣賃金を引き上げた方が活性化するように出来ている(つまり賃金主導)というのが、経済社会の実相だということです。(もちろん、労働生産性の上昇率をはるかに超えるような極端な引き上げは別です。念のため。)
 しばしば世間では、失業(つまり雇用の不足)を労働者の高賃金のせいにし、賃金を抑制するために、雇用の柔軟化(最低賃金の引き下げや廃止、失業保険制度の廃止や縮小、労働組合の団体交渉権の縮小、解雇規制の撤廃など)を求める保守的な政治家で一杯ですが、そうした主張には根拠がなく、逆に悲惨な結果を招くだけで終わってしまう、というのが実相です。実際、近年、多くの国で賃金が抑制され、かつ高失業となっています。

 マルク・ラヴォアやサールウォールの著書もこうした見解を批判し、ケインズ以降の正しい経済学にもとづいて事態を説明し、適正な政策提言を行うために書かれています。同書は、雇用柔軟化の政策と賃金抑制が消費需要を抑制し、またそのため生産能力を拡大するための投資需要を抑制し、その結果、雇用の縮小と高失業、技術の停滞をもたらしていることを説得的に論じています。
 次にその内容をかいつまんで紹介することにします。