2017年2月6日月曜日

トランペンシュタイン(Trumpenstein)と米連邦高裁の決定

 アメリカ合衆国のネオリベラル政策や金融資本主義、プレデター主義の問題点をあげつらってきた本ブログだが、アメリカ人の行動に感心することもある。

 今回のトランプ大統領の入国を制限した大統領令の一時停止を命じたワシントン州シアトルの連邦地裁決定もそうだが、それを不服として命令の即時取り消しを求めて上訴を受けた連邦高裁もトランプ政権側の訴えを退けたことにも、感心する。

 これが日本だったら、日本の裁判所が政権に逆らう決定・命令を出すことができるか、おおいに疑わしい。というよりないだろう。戦後の一連の違憲訴訟、またごく最近の沖縄辺野古に関する福岡高裁の決定など、政権の顔色をうかがってばかりの日本の裁判所・裁判官には不可能なことではなかろうか。日本の裁判所の追随主義、付和雷同主義(コンフォーミズム conformism)は、日本人ならだれでも知っていることである。

 だが、この付和雷同(右むけ右)は、「和」(調和、harmony)、つまり美徳とさえ考えられている節があり、裁判官や、官僚、政治家など一握りのエリートに限らない。大学でも、自分の考えを素直に表現できず、教師に問われると、となりを観ながら、「やっぱり、・・・」と世間一般に流布している見解を言葉にする学生が多いように思う。世論調査や選挙でも同様である。

 このことは世界的にも知られているらしい。有名な小話に次のようなものがあることを知っている人も多いだろう。
 各国の人々、男女の乗っている小船が沈没しそうになった。男性が船から海中に飛び込めば、女性だけは助かる。このとき、船長は、各国の男性に次のように言う。
 イタリア人、「女性も飛び込んでいるよ。」
 フランス人、「飛び込むな。」
 イギリス人、「紳士なら、飛び込むはずだ。」
 ドイツ人、「飛び込め、という命令が出されている。」
 日本人、「みんなが飛び込んでいる。」

 これに反して米国では、人々は自分の考えにしたがって行動する。今回の米国大統領選挙戦でも、民主党では、若者たちが民主社会主義を唱えるバーニー・サンダースがヒラリーと接戦となり、共和党では、穴馬のトランプがこれまでの「新自由主義政策」の結果を否定するような政策をとると主張して新自由主義の犠牲となってきた有権者の多くに支持された。
 これは、エマニュエル・トッドが言うように、これまで「新自由主義」をリードしてきた米国で、アングロ・サクソン的、「自由市場的」資本主義で、それを拒否するような大きなうねりが現れたことを意味するものであり、これは諸個人の自由を大切にする「民主主義」の成果だたと言えなくもないだろう。ちなみに、アングロ・サクソンの本家、イギリスでも、昨年、金融の中心地ロンドンや高学歴・高所得の有権者ではない、庶民の(労働者workers)の多くがEUからの離脱(leave)に票を投じた。それはEUの非民主的運営、新自由主義・金融資本主義への奉仕に反対したからである。

 ただし、トランプ主義という怪物がアメリカ国民の救世主となることができるかどうかは、もちろんまったく別のことである。むしろ、アメリカが新自由主義を過去のものとして、かつて1930年代のルーズベルト以降、めざしたような「人間の顔をした資本主義(企業者経済)」を生み出すには、まだまだ一波乱も二波乱もありそうである。

 そして、その時には、日本もその流れに追随するだろうと予想することもできよう。
 
 だが、その前に米国の大波乱が米国や世界にひどい結果をもたらさないとも限らない。いまはそうならないように祈るばかりである。


2017年2月5日日曜日

なぜ格差は拡大したか? 税収構造の変化

 言うまでもないことですが、所得および富の格差(不平等)の要因の一つには、政府が以前は所得の再分配を行っていたのに、1980年代以降、それをやめたことにあります。もちろん、完全にやめたわけではなく、幾分かは現在でも行われています。

 それがどれほどの規模(magnitude)なのか、統計で確認しましょう。といっても、特段、格別の新資料を紹介するわけではありません。政府(財務省)のホームページに載っているような統計にすぎません。が、なぜか政府や自民党(公明党も)はそれを人々に広く宣伝しようとはしませんし、またよほど強い関心を持ち・ある程度の訓練を受けた人でなければ、わざわざサイトを開いてみようとする人は多くないでしょう。

 まず法人税ですが、これは以下の通りです。
 


 法人税はかつて基準税率が43.3%でしたが、1980年代から下げられはじめ、また20世紀末、現在と引き下げられてきました。現在の基準税率はかつての半分を少し超える程度の23.4%です。
 政府(勿論自民党も)は、しばしば「グローバル基準」を持ちだして、日本の企業負担が高いと言いますが、たしかに低いとは言えないかもしれませんが、決して高いわけではありません。ドイツの企業などは、社会保障関係で日本の2倍ほど負担していますから、はるかに高い負担を企業が担っています。これについては、以前のブログで述べたので、ここではこれだけにとどめて置きます。

 次は、所得税率ですが、所得税は累進課税制となっているので、すべて掲載するのは、難しいので、最高税率のみ示しておきます。

 

 
 これも1970年代には75%だったものが、現時点では45%に引き下げられています。1999年には37%まで引き下げられていたのが、その後、4000万円の所得を超える者について、わずかに引きあげられています。

 一方、これもご存じの通り、大衆課税の最たるものとなっている消費税は、1989年に導入されて以来、1997年、2014年と二回の増税により、8%に引きあげられました。しかも、日本の場合は、ヨーロッパ諸国と異なって、基本的な生活必需品に対する軽減税率なしで、画一的に税率が設定されています。

 要するに、1980年代以降、一方では、富裕者の減税を行い、他方では99%の庶民の増税・負担増を推進してきたわけですが、それが戦後の「資本主義の黄金時代」の所得再分配メカニズムを根底的に破壊してきたことは言うまでもありません。

 また問題は、それが財政均衡を大きく揺るがし、財政不安をあおっていることにもあります。

 消費税は、20世紀初頭には、10兆円前後の税収をもたらしていましたが、現在では17兆円を超える金額を政府にもたらしています。
 一般会計の税収が、1914年度に大幅に増加していますが、そのかなりの部分は、消費増税によるものです。ちなみに、「税収21兆円増」問題ですが、このうち、8兆円ほどは消費税の増収分であり、残りは13兆円ほどですが、伊東光晴氏が指摘しているように、これもアベノミクスの果実というにはほどとおいものです。つまり、
 1.バブル後の不良債権処理のための特典制度の終了にともなう企業利益全体が課税対象となったことによる税収増
 2.リーマンショックによる負債償却の終了と、法人税の支払い開始。このもっともよい例がトヨタであり、トヨタはしばらく巨額の利益に対して法人税を支払っていなかった(!!)が、ようやく支払い始めた。
 3.金融所得課税に対する10%の軽減措置の終了と、本則(20%)への移行。
 以前の10%というと、サラリーマンでもちょっとした所得の人なら、15%だった人もいるでしょうから、それより低いということになります。だから、何十億もの金融所得(利子、キャピタルゲイン)を得た人の支払う税金がごくわずかということもあり、本屋の経済書コーナーに並ぶ本の中にそれにt言及したものもありました。

 

 伊東氏は、「安倍氏は自分でやっていないことを自分の功績にしてしまう」と怒っていますが、まったくその通りです。

 それはさておき、所得税減税と法人税減税が政府収入の減少に大きく寄与(!!)していることもまた言うまでもありません。
 それがどれほどの額になるのか、正確な計算を行うのは、困難ですが、他の人の試算を観ても、百兆円単位の巨額に達するはずです。
 これらの詳しい試算はいつか紹介するとして、さしあたり、きわめてラフな計算ですが、1990年の一般会計収入60兆円がその後20年以上にわたって40~50兆円ほどに低下したのが、そのためだと想定すると(その間に消費増税10兆円分の効果もありますから)、ざっと400~500兆円ほどと見積もられます。(もちろん、これは正確な数字ではないので、あしからず。」)

 ちなみに、この間に巨大企業の内部留保が370兆円以上に達しているわけですから、政府はまさに貪欲な巨大企業の貨幣愛に奉仕してきたといっても過言ではありません。

 もうひとつ、私は「消費増税」に何が何でも断固反対というわけではありません。日本の社会福祉を充実させるためにも、それは必要財源となるかもしれません。しかし、それには絶対的な条件があります。
 一つは、消費増税を実施する前にやるべきこと(巨大企業や富裕者、金融所得などの不労所得に対する増税、所得再分配の復活)があるということです。
 二つ目は、消費増税は、軽減措置をともなうべきこと。
 三つ目は、政府支出が、軍事支出の拡大ではなく、文化国家、福祉国家のために行わなければならないことです。

 残念ながら、安倍首相のやっていることは、このすべてに当てはまりません。
 有権者もそろそろ安倍政権の経済政策(アベノミクス)の失敗に気づくべき時ではないでしょうか? 「どアホノミクス」の著者も言っているように、「失敗したわけではない」という言辞は、失敗したという言い訳に過ぎません。もし成功しているならば、「自分でやっていないことを自分の功績にしてしまう」安倍首相ですから、高らかに宣言していたに違いありません。



2017年1月31日火曜日

トランプの大統領令乱発について

 トランプ米国大統領が違憲の大統領令を乱発している。

 かつてロシアのエリツィン大統領が同じように大統領令を乱発し、ロシアの国有企業を民営化(私有化)したことがある。その結果、国民の共有財産たる多くの大企業が一握りのオリガーキー(財閥)に二足三文で、いやただ同然で売り渡されることとなり、後に「私有化」(privatizatiia)ではなく、「掠奪」(prikhivatizatsiia)だと非難されることとなった。この大統領令は、当時のロシアの法令に違反するものであることがロシア国内で議論されたことがある。
 それはまた革命前の帝政ロシアの皇帝=ツァーリが乱発した勅令(ukaz)に、しかも自らが制定した「国家基本法」にさえ違反する勅令に例えられたこともある。

 法とは、諸個人の自由と権利を、したがって社会を権力者の「恣意」からまもる普遍的な正義(justice)に他ならず、権力を持つ人々=政治家を縛る原理でもある。選挙で選ばれれば、何をしてもよいというものではない。 これは外国の問題というだけではない。日本の政治にもあてはまる。わが国の安倍首相が9条に違反する安保法制(日本の参戦を可能にした法律であり、本質的に戦争法である)を強行したことを、つまりわが国には意見の法律があることを忘れてはならない。

 

今朝の東京新聞より アベノミクスの目玉(第一の矢)の破綻をブレーンが認め、瞞着財政主義へ転換か?

 今朝の東京新聞にアベノミクスのブレーンの一人、浜田宏一氏のインタビュー記事が載っている。

 私に言わせてもらえば、浜田氏の話していることはかなりいい加減だが、それでもマスコミの絶賛で始まった「アベノミクス」が効を奏せず、失敗に終わったことは、はっきりと示している。本人も(また浜田氏以上に、それにのせられた黒田日銀総裁も)本当は困っており、黒田氏などは暗い表情になっているとの情報もある。

 さて、浜田氏のインタビューのどこがいい加減か?
 そもそも浜田氏だけでなく、岩田規久男氏、黒田氏などの「リフレ論者」(この言葉使いも本当は間違っているが)は、異次元の金融緩和が貨幣ストックを増やし、物価を2%ほど上げ、その効果によって、あるいは政府・日銀が景気回復に本気になって取り組むから、国民もそれをくみ取って景気が大幅に回復するはずだという、その「期待」によって、「デフレ不況」なるものから必ず回復すると主張していたはずである。
 ところが、インタビューでは、金融緩和がしだいに効かなくなってきたとして、為替相場の問題(円安から円高への転換)を要因としてあげている。
 しかし、金融緩和のターゲットは、そもそも為替相場を円安・外国通貨高に導くことにあったのだろうか? それなら最初から円高を是正すると言えばいいだけの話である。
 それに円安・ドル高になったときも、それは確かに一部輸出部門の輸出量を増加させたかもしれないが、他方では、輸入物価の大幅な上昇を招き、庶民のふところを直撃した。これは1970年代の石油危機の時に(より激烈な形だが)経験したことである。それに本来2パーセントの消費者物価がターゲットならば、庶民にとって最も重要な賃金所得もそれ以上に増えてしかるべきだが、それもなく、実質賃金が低下したことは説明するまでもないだろう。このような実質賃金の低下などは、リーマンショック時を除けば、安倍首相が「デフレ不況」と位置づけていた時期にさえ、なかったことである。
  また貨幣ストックの増加によって何時まで、どこまで円安誘導を続ける気だったのだろうか? そもそも金融緩和策が実施される以前から日本の貿易収支は、アメリカ合衆国に対してはプラス(黒字)だった。ここで経済学のイロハを論じるつもりはないが、もし貿易収支が赤字だったならば、為替相場が貿易収支の均衡をもたらさない点にあるから、是正するべきだという議論が出てくのは理解できよう。
 ちょうど今トランプ米大統領が日米貿易不均衡問題に言及し、日本の黒字・米国の赤字やそれをもたらしてる円安・ドル高を指摘している。トランプ氏の発言には様々な問題があるものの、この点は理解できないわけではない。

 次に移ろう。浜田氏は、金融緩和の効果が薄れたから、財政支出が必要だという主張する。これを氏は、米国の経済学者クリストファー・シムズ教授の財政理論に影響を受けたという。それによれば、<国民に当面(どれくらい?)増税はないと思わせておいて、財政支出を拡大すれば、国民は消費を拡大し、デフレから脱却できる>ということらしい。
 従来、マネタリスト(例えばフリードマン)や新古典派(合理的期待の理論)の財政理論では、人は完全な情報処理能力を持っているので、財政支出の拡大をしても、将来の増税を「期待」(予想)して消費支出を増やすことはないとしてきた。これは通俗的な、いわゆる「ケインズ政策」の否定である。ところが、シムズ氏は、どうやらマネタリストや合理的期待の理論を否定しているらしい。それはそれで新しい「理論展開」(といえるかどうかは分からないが)の如くである。金融政策ではマネタリズムの理論の一部を用い、財政理論ではそれに対立する理論を用いるなど、まったく無節操で、忙しいことだ。

 それはさて、当面は増税しないとしても、結局、いつかは増税するのだろうから、これは人々を一定期間瞞着しようという主張にも聞こえる。いやそうに違いない。日本の戦時中の「皇道経済学」が「天皇陛下に帰一し奉る心があれば、物価の安定を乱すことはない」(伊東光晴『アベノミクス批判』岩波書店より)と説いたように、この浜田流「シムズ経済学」は、どれほど財政赤字が増え、政府債務が累積しようと、安倍政権の経済成長を信じてより多くのお金を消費財の購入のために支出すれば、経済はきっと成長する、と説いているようだ。両者には、極度の精神主義という点で共通する。
 
  しかしながら、問題は、人々が様々な期待を持つことであり、かつ「アベノミクス」を心から信じている人がほとんどいないだろうということである。たしかに、ちょうど政府支出分の有効需要は生まれるかもしれない。また一部の人は消費を増やすかもしれないが、ほとんどの人々は消費を拡大しようとはしないであろう。戦時中には、政府・軍部を批判する人、それに従わないは「非国民」と非難された。現在、政府の意をくんで消費を増やさなくてもあからさまに「非国民」と非難されることはないであろうが、悪いのは、政府の「善き」意図をくみ取ることのできない、国民の方だといわれることになるかもしれない。こんなことを書く私などは政府から見ると、経済成長を妨害する悪人ということになることだろう。

 だが、現在の世界、日本の経済をおそっている病の正体は何なのだろうか?  
 この点を明らかにせずに、本当の処方箋は書けないはずであるが、残念ながら安倍首相(アベノミクス)には、まさにこの点についての分析が欠如している。だから、結局、処方箋も対処療法的にとどまり、効き目のない処方が行われることになる、というしかない。


東京新聞、2017年1月31日(1~2面)


2017年1月23日月曜日

ロバート・B・ライシュ『最後の資本主義』を読む

 最近、頭痛がひどくほとんど何もすることがでなかったが、昨日から少し回復し、雑誌 Facta を読み、今日は本屋でロバート・B・ライシュの『最後の資本主義』(東洋経済新報社)を立ち読みしてきた。
 本書の日本語タイトル「最後の資本主義」というのは、ちょっと見ただけでは、どういう意味かよく分からないが、英文タイトルの方はよく理解できる。

 Saving Capitalism: For the Many, Not the Few
  (資本主義を守る。少数者ではなく、多数者のために)

 現在のグローバル自由資本主義は、----ご存じの----あの少数者(the Few)のために機能しており、----これもご存じのはずですが----あの多数者(the Many)から富を収奪し、少数者に移転している。もちろん著者が守ろうとしているのは、このような資本主義ではなく、反対に多数者に平等に富を分かち合う経済システムに他ならない。つまり現在のグローバル自由資本主義は、結局のところ、多数派を反資本主義陣営に追いやり、その意味で資本主義を破壊してしまうことになるのではないか。これがライシュの意見の根本にある考えであり、これはすでに1950年代にあの偉大な、伝説的な米国の経済学者、ジョン・ガルブレイスの説いたところでもあった。

 ガルブレイスは、次のように述べていた。皮肉にも資本主義のもっとも熱心な擁護者が実際には資本主義を破壊するようなことを行っている、と。すなわち、この擁護者らは、一握りの少数者のために多数者からの富の移転を実現し、あくなき利得を追求するグローバル金融資本主義、掠奪資本主義(predatory capitalism)を生み出すような方策を追求し、結局、資本主義に本能的な反感を懐き、それに対立する多くの人々を生み出すことなる、というわけである。

 もちろん、もし資本主義という言葉を、例えばK・マルクスが『資本論』で用いた意味、つまり「資本主義的生産様式」(capitalist mode of production)、あるいは同じことだが、J・M・ケインズの「企業者経済」という意味で用いるならが、資本主義経済に代わる経済体制を生み出すことは、少なくとも短期的・中期的にはほぼありえないだろう。人々を雇用し、何かを生産し、提供する企業体制に代わるものが簡単に現れるとは想像しえない。あのソ連や中国の計画経済の時代の経済体制でさえ、企業によって支えられていたのであり、企業なしには存立しえなかった。

 しかし、同じ企業システムであっても、実際には様々な「体制」(regimes)が存在しうることは、経済史の示すところでもある。
 ふたたびガルブレイスに戻ると、彼は、20世紀中葉までの資本主義経済を支える「市場」において実際には人々が自由・平等な関係にはないことを強く意識していた。むしろ市場においては、多くの貨幣を所有する人々が絶大な力(power)を有しており、大衆に対峙していることを知っていた。この点では、彼は市場の自由・平等・公正を説く新古典派とは鋭く対立していた。彼の師匠となっていたのは、むしろK・マルクスであり、またT・ヴェブレン(「営利企業」「不在所有権と営利企業」など)であった。ガルブレイスの師はヴェブレンであり、特にヴェブレンの「不在所有権と営利企業」が彼に大きな影響を与えていたことは、本ブログでも後日紹介したい。
 
 ところで、このような中で、資本主義が多数者のために機能しうるためには、何が必要となるであろうか? この問に対してガルブレイスは、「対抗力」(あるいは「拮抗力」)=countervailing power に回答を求めた。このような対抗力(拮抗力)は、制度的なものであり、ここでは詳しく論じることのできないような様々な形で実現されるしかない。それには選挙(多数派の利益を守るグループへの投票、立法(労働保護立法など)、市民運動などが含まれるが、それよりも大事なことは、多数者がまずこのことを理解することであろう。

 さて、ライシュの著書も、結局は、この対抗力(本書では、「拮抗勢力」と訳されている)を多数者が得ることが「資本主義」を守ることになるというガルブレイスの結論につながっている。
 
 最後に予言的なことを一つ付け加えておこう。米国大統領選挙におけるトランプの勝利が上で述べた文脈の中で生まれたことは疑いなく、トランプ支持層の中に現在の資本主義のありかたに反感・不満をいだく人々が多数いたことも間違いないであろう。しかし、トランプ大統領がこれら支持者の期待するような政策を実施するかはまったく疑問である。むしろそうはならないであろう。
 なぜか?


2016年11月6日日曜日

安倍首相の頭の中のアベノミクス

 これまでアベノミクスについて、様々(というほどではないか)な観点から検討してきたが、一つの点についてはまったく検討していない。それは、安倍首相の頭の中ではどうなっているのかという点である。これは非常に興味深い問題だが、残念ながら、論じるための材料がほぼまったくないも同然である。したがって、まともな経済学者なら避けるにちがいない問題である。
 私が以下に述べることも、ほぼ仮定の話しとなる。本ブログを読みすすめる人は、その点を了解した上で、読んで欲しい。

 さて、最初から大きな仮定の話しだが、安倍首相は、(1)アベノミクスを心から信じていると考えていることも可能であろうし、(2)まったく逆に信じてはいないが、憲法改正等の政策を実現するために、有権者の票を期待しなければならず、そのためにたとえ有権者を瞞着するものであろうとも、人気取り政策を実施しなければならないと考えていると仮定することも可能であろう。もちろん、この両極端ではなく、中間のどこかのポジションにいると考えることも可能であり、さしあたりはそう考えるのが説得的であろう。

 さて、まず「異次元の金融緩和策」(質的・量的緩和)であるが、これは上記の(1)の可能性が高いように思われる。たとえそうでなくても、そう仮定しよう。
 周知のように、これは日銀が「2パーセントの物価上昇」を目指して、金融緩和を実施すれば、その通りになり、またその結果(またはそれに伴って?)、景気も回復するというシナリオである。

 しかし、このシナリオを支えるどのようなロジックがあるのだろうか?
 私がこれまで50年近く学んできた経済学には、そのような説得的なロジックはないのであるが、あえて考えてみよう。究極的には、それは多くの人々が<消費者物価が上昇し、景気がよくなる>という「期待」を持つことに帰着する。つまり、物価が恒常的・安定的に上がってゆくということは、貨幣価値が恒常的に低下するということであり(正確には、そういう期待を人々が持つということであり)、したがって人々は貨幣価値が前に消費財・サービスを購入しようとするだろう、と。消費支出の増加あるいは消費需要の増加が景気をよくすること自体は言うまでもない。またある人はこうもいう。政府や日銀が異次元の金融緩和策を実施し、景気をよくすると約束しているのであるから、将来賃金所得も増加するであろう。したがって人々はそうした景気回復、賃金所得の増加を「期待」(経済学的にはこれは「予想」を意味する)するであろう。いや、当然期待するべきである。そこで、もし人々がこのように政府・日銀のやる気を信じて消費を拡大すれば、景気は回復する、と。
このように主張する人は、白川日銀は、たしかに、欧米諸国に比べても、きわめて大きな規模の量的緩和を行ってきたが、そこには人びとに上記の「期待」をいだかせるに十分な「やる気」が欠けていた、と。
 
 ここまでくると、ほぼ戦前・戦中の精神論(竹やり訓練、大和魂など)と同類のものを感じるが、それは置いておこう。
 この点について、二点ほど補足する。
 一つには、経済現象が人々の意識と密接に関係している以上、精神論がいつも全面的に間違っているというわけではないが、上の議論では、日銀が異次元の金融緩和をしたら、多くの人がみな同じような「期待」を持つという点がまったく説得的でないというしかない。
 いま一つには、そもそも量的緩和といっても、日銀ができるのは、市中銀行から国債などを購入して、銀行に貨幣(マネタリーベースという)を供給することができるだけである。市中銀行が企業に無理に貸し付けを増やせるわけではない。(経済学者の中にさえ、この点を理解していないのではないかと疑われる人がいるが、この点は深く追及しないことにしよう。)
 
 そもそもケインズなどが明らかにしたように、企業の貨幣需要の中でも大きな設備投資のための資金需要は、大企業の場合、将来有効需要が拡大するという「期待」を持つ場合に行われる。しかもその期待は(企業者の本能的な「アニマルスピリット」を別とすれば)、経済の現状を基準にして持つことが多い。さらに現在の日本の大企業は、設備投資のための資金を内部資金からまかなっている。したがって日銀が市中銀行に対するマネタリーベースを増やしたところで、設備投資のための銀行融資が増えるとは到底思えない。同じ理由で、き企業の設備投資は金利に対しても敏感ではない。
 さらに、国民大衆はどうか? 彼らが消費支出を増やすとしたら、それは賃金所得が確実に増加するという期待を持てるときである。もしそのような期待を持てずに、物価だけ上昇するとしたら、どうであろうか? これについては、2013年春における私自身の経験がある。
 当時私はある理由で、社会人を相手に講師として経済学の勉強会を行っていた。その中で、あるいシニアの人が、「年金も増えない、賃金も増えるかどうかわからない、預金金利もほぼゼロの状態で、物価を上げるなどけしからん」と怒り心頭の様子であった。これはその通りである。もし自分の家計収入が増えるかどうかわからないという状況の中で、物価だけ上がるという期待(予想)が生じたら、庶民のとる道は一つしかない。消費を増やすどころか、減らす、つまり節約である。
 その勉強会で、私はなるべく予断を与えないように逆に参加者たちに質問した。日銀は2パーセントの物価上昇をターゲットにした量的緩和を行うそうですが、あなた方は物価について、また景気について、どのような「期待」(予想)を持ちますか?
 参加者たちは一様にとまどっていたが、物価が上昇し、景気がよくなるという期待を持つと明言した者はいなかった。
 その後しばらくして、ある女性の事務職員が私に質問しにきた。私たちの夫婦は、住宅ローンを組んで家を購入したが、将来物価はどうなるのか、金利はどうなるのか、という質問である。これはもちろん、住宅ローンを繰り上げ返済したほうがよいのか、それとも長く寝かせたほうがよいのかという判断をするための質問でもあった。私の回答はここでは述べないでおこう。ともかく、これが庶民の中における「期待」の実態である。

 さて、ここで述べたようなことを安倍首相がどのように頭の中で考えたか、あるいは考えなかったかは残念ながら不明である。
 私の推測では、彼は質的・量的緩和の理論や効果などどうでもよかったのではないように見える。ただ、票を集めるために使えそうだ、この一点ではなかったか。
 実際、普通なら、経済政策を説く場合、問題となる事象の理由・要因が何なのか、多少とも学問的に検討するはずであるが、安倍首相のあらわしたもののなかに、そうしたことを見つけることはできなかった。ただ、アベノミクスをしっかり実施すれば、「デフレ不況」を克服できますと繰り返すばかりである。
 ただし、一つ、彼にとっては、私のように言う経済学者が邪魔であることは間違いない事実であろう。つまり、人びとは政府・日銀がせっかく本気になって物価上昇期待、景気回復期待を醸し出そうとしているのに、その邪魔をする「悪い輩」がいる、といったところである。

 ところで、アベノミクスの効果については、物価が一時的によせ上がったではないか、名目賃金も上がったではないかという人がいるかもしれない。
 しかし、物価上昇は、円安・ドル高による輸入品物価の上昇によるものであり、このような輸入インフレは、1970年代のインフレと停滞が示すように、景気にとってはかえってよくない代物である。(それは、その他の事情が等しいならば、輸入額の増加分だけ国内の可処分所得を減らすことになるからである。石油危機の時は、可処分所得の減少は、世界の石油輸入国の3パーセントほどにも達し、国内景気をそれだけ冷却させた。)
 また安倍政権下の名目賃金の上昇は、金融緩和とはほぼ無関係である。それは、安倍首相が経団連との談合で、法人税の引き換えに経団連傘下の巨大企業に実施してもらい、かつNHKをはじめとするマスメディアによる宣伝によって広報したものである。しかも、その幅は、輸入インフレによって帳消しにされ、実質賃金率は低下さえした。

 近刊の『経済学のすすめ』(岩波新書、2016年)の中で、佐和隆光氏が述べているように、安倍のミクスには、国家主義的な要素が色濃く表れている。政府と経団連との談合、期待の強制という愚民政策、株価の官製相場などはその本の一例である。


 *アメリカでも、本ブログで扱ったようなことをジェームス・ガルブレイス氏が論じている。
James K. Galbraith, Bernankenstein's Monster, 'Mother Jones', January-February, 2006. 後日紹介したい。  

                                               (未完)
 

2016年11月2日水曜日

今日の「アベノミクス」

 日銀が五度目の「2パーセント達成」目標の延期を決めた。
 最初は、2014年度中にだったかな。それが達成約束期間が近づくと、いつも先に延期するということを繰り返してきた。
 世には、オオカミ少年の例えもあるが、そうはならずむしろ「百年河清を俟つ」ことになるのは必至の状況といえる。

 とはいっても、本当は、このまま物価が毎年2年も上昇したら、私たち庶民は困ってしまう。
 例えば年金が毎年3%とか4%ずつ上がるのならいいだろう。物価が2%上がっても、実質的には1%、2%ずつ増えてゆく。計算すると、毎年1%増えるだけでも、約67年で二倍になる。30年では、約1.4倍だ。毎年2%なら約33年で2倍になり、16年ほどで1.4倍になる。
 だけど、もし年金が増えずに、物価だけ上昇したら、年金支給額は、16年で、実質72%ほどに減ってしまう。それなのに、減ってしまったら、どうなるのか?
 一体、黒田日銀は何をとち狂っているのか?
 
 もっとも本当に狂っているのは、政府のほうであり、そもそも金融に景気対策を委ねるのが正気の沙汰ではない。
 このことは、これまでも何回も書いてきたので、今日はこれ以上書くつもりはない。

 それより、今日の東京新聞の記事を読んで唖然としたのは、賃金が下落したら、それに合わせて年金も下落するという年金抑制策の内容だ。
 例によって、政府は現役世代の負担を減らし、公平をはかりたいとか何とかのたまわっているようだが、そもそも「アベノミクス」をしっかりやって、景気をよくし、賃金を確実に上げてゆくと約束したのは、安部首相ではなかったか。「嘘はつきません。」これが彼の言葉だった。
 それも、物価を毎年2パーセントずつ上げる約束だから、もちろん賃金は2%を超える成長率ということになる。

 しかし、法人税の減税をするから、大企業も賃金をあげてくれといって成立した政府と経団連の「談合」に反して、かつ安部政権べったりの榊原経団連会長が「モメンタム」(勢い)がどうのこうのと言って、賃金の引き上げに慎重な姿勢をくずしていないとか(at 諮問会議)。

 有権者の皆様もそろそろ眼を覚まして、しっかり現実を見すえ、「アベノミクス」の欺瞞に声をあげましょう。「この道」(自民党ポスター)をしっかり歩んでもろくなことはありませんん。
 
 安部首相の国家主義(日銀支配・統制、株価の官制相場、政府と経団連の談合による法人税減税と賃上げのみせかけ、経済の軍事化、国家機密法、戦争法【この表現に反発する人がいるようですが、これは戦争=外国に対する軍事攻撃を行うための法整備であり、まさに戦争法です】の制定などなど)がうまくゆくわけがないことを知りましょう。