2013年10月2日水曜日

地球温暖化? 似非科学と宣伝を超えて

 個人的な経験から話をします。
 昔、私がまだ子供だった頃、つまり保育園や小中学校に通っていただった頃の話です。西暦では1950年代〜60年代です。私の育った田舎(現在の新潟県糸魚川市)では、真冬になると沢山雪が降りました。一月、二月には晴れ間がなく毎日のように大雪が降り、子供心に「毎日雪が降り続け、降りやまなかったらどうなるんだろうか」と不安になったことを覚えています。あまりに雪が多くて、二階から出入りしなければならなくなるほどの大雪だった年もあります。
 ところが、大学に進学し、田舎を離れた頃から、つまり1970年代以降ですが、かつてのように雪が降らなくなり、年によっては雪が少し降ってもすぐに消えてしまい、「根雪」にならないことさえありました。「暖冬」という言葉が聴かれるようになったのはこの頃です。
 これはまさに「地球温暖化」を実感させる出来事だったと言えるでしょう。人間が経済発展とともに大量に放出しはじめた二酸化炭素が「地球温暖化」(global warming)をもたらしているという言説を実感的に納得させる経験だったと言ってもよいかもしれません。
 
 ところが、1990年代に入ったある年に、私の祖父が20歳の頃から70数歳までの間に書き残し、納屋に放置してあった日記(70年分)や書き物を日干ししながら、整理し、その中身を拾い読みすることがありました。その中には、東京、横須賀の他に、1920年に私の出身地に移転したあとは、そこ生じた災害(洪水、地震、火事)や、様々な出来事を記したものがありましたが、私の注意を引いたのは、暖冬化の記録です。例として昭和七年(1932年)の冬における降雪の記事の一部分をあげておきます。

 1月1日 地上雪ナシ無類ノ好天気 我軍錦州入城 ラジオ放送
 1月24日 地上雪ナク春ノ如ク日中室内温度華氏40度
  2月   4日 近隣ノ梅咲ケリ 蕗ノ玉モ出デタリ
      (以下略)

 1932年は、いわゆる満州事変の年です。
 言うまでもなく、私が1950年代や1960年代に一度も経験したことのない暖冬の記事です。<この頃にも暖冬があったのか。しかし、それは新潟県だけだったのだろうか、世界的にも温暖化があったのではないだろうか?> これは誰でもいだく疑問といってよいでしょう?
 私はしばらくして調べてみました。そして、1920年代から1930年代にかけての時期に「地球温暖化」があったことが間違いないことを発見しました。例えば北太平洋、北大西洋の海水温は、1920年頃から1930年代にかけて上昇していたことが知られており、日本海沿岸でも同様な傾向があったようです。(例えば http://www.climate4you.com/ ) 
 
 ところが、その後、1950年頃から1970年頃にかけて地球規模の寒冷化がありました。それはちょうど私の幼年時代に重なっています。根津順吉という人が『寒冷化する世界』という本を1974年に出版しています。
 
 この事はこの数十年の間だけでも気候の大きな上下変動があったことを示しています。もとより私は、ここに示した事だけで地球の気温変化について何か科学的に意味のあることを言おうとしているわけではありません。ただし、自分の狭い経験だけで、何かあることを盲信することの危険性を示しているということはできるでしょう。
 次のような言葉があります。
 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。」
 ともあれ、上のことは、私が「地球温暖化」という言説を盲信するのではなく、様々な見解とその根拠を調べようと思ったきっかけです。その頃、ある人(元名大教授ですが、ここでは名前を伏せておきます)から人間が化石燃料の燃焼によって放出した二酸化炭素が地球温暖化の犯人であることを科学の名前の下に明言することはほとんど不可能であること、地球はこれまでもまだ科学的に明確には解明できていない何らかの要因(太陽黒点や地球との位置関係の変化、地球大気など)によって変動を繰り返して来たこと、を教えられもしました。
 
 日本では、<地球温暖化二酸化炭素犯人説>を自明のこととして信じている人が多い(ほとんど?)のようにも見えます。アル・ゴア氏のノーベル平和賞を受ける理由になったにもかかわらず、きわめて問題の多い著書(『不都合な真実』)が影響しているのかもしれません。もちろん科学は相異なる見解の切瑳琢磨によって発展します。もしかすると、二酸化炭素説が政治的理由(つまり「権益」)から主張されている可能性もあるかもしれませんが、もしそうならば何をかいわんや、です。

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