2013年10月3日木曜日

マルクス 1

 元IMFのエコノミスト、Nouriel Roubini がグローバル金融危機の勃発に際して、「マルクスは正しかった」と発言したことは、その道の人ならばよく知っているだろう。
 マルクスが資本主義経済の科学的分析の点で偉大な経済学者であったことは、言うまでもない。20世紀の最も偉大な経済学者がケインズとカレツキであったとするならば、資本主義的生産様式の包括的な制度分析を行った『資本論』(Das Kapital, 1868〜)の著者は、19世紀を代表する経済学者である。
 これに対して人は言うかもしれない。彼の構想した「共産主義」は失敗し、崩壊したではないか、と。しかし、その言説は正しくない。彼はソ連圏や中国で建設された計画経済や国家社会主義を推進者ではなかった。むしろ彼はそれの批判者であった。そのことは、彼の影響下にあったSPD(ドイツ社会民主党)の綱領的文書を読むことでもすぐに理解できる。計画経済(国家社会主義)体制は、資本主義経済よりも労働者にとって抑圧的であるがゆえに彼らの目標ではないことが明示されている。計画経済がマルクスの思想でるかのように宣伝したのは、ソ連・中国の政治的指導者であり、したがってソ連・中国の共産主義の失敗をマルクスの失敗だと単純に考えている人は、知らずに、ソ連・中国の宣伝を受け入れていることになる。
 それでは、マルクス本来の思想とは何であったか? 彼は資本家のもとに従属している労働者がより多くの自由を得ることを考えており、その方法とは協同組合的な経済社会、労働者が同時に所有者・経営者でもあるような自主管理的な社会であった。
 もちろん、そのような自主管理的社会、協同組合的社会はこれまで実現されてこなかった。むしろ多くの人々は、資本主義を完全に廃止するのではなく、現存する資本主義経済を間的なものに改善する方向をめざすことに同意してきたからである。西欧諸国における社会民主主義、福祉国家とはそのようなものである。
 ここで注意しなければならないことは、資本主義、特に19世紀〜20世紀初頭に存在していたような粗野な自由資本主義もまた20世紀に失敗・崩壊したことである。(1930年以降の世界恐慌を思い出そう。)
 ところが、20世紀末の国家社会主義の崩壊時に、資本主義が勝利したという誇大宣伝が様々な場でなされ、それと同時に、社会民主主義や福祉国家を否定し、19世紀の粗野な資本主義、つまり「自由市場」の純粋資本主義に戻るのが正しいかの言説が横行した。また実際にもそうした志向を持つ「改革」が行われた。いわゆる「民営化」「小さい政府」「規制緩和」「民間活力」などのキャッチコピーに示される構造改革、マネタリズム政策がそれである。
 しかし、そのような動きはふたたび悪夢を再現しはじめた。2006年〜2008年の金融危機、大不況、ヨーロッパ債務危機などは決して偶然に生じたのではない。
 マルクスは偉大であった。もちろん、われわれは原理主義者・教条主義者になる必要はない。ケインズが偉大であっても、カレツキの経済学の方により合理的な核心があることがあるように、マルクスも絶対視する必要はない。実際、フランスのレギュラシオン理論は、マルクス、ケインズ、カレツキ、制度派の理論の最良の部分を接合し、資本主義経済の実相を明らかにする点で成功をおさめている。
 結論しよう。マルクスは資本主義経済分析において当時の経済学者をはるかに超える偉大な貢献をした。資本主義経済が本来的に持っている問題性は、現代でも未解決であり、それゆえマルクスは今でも意義を失っていない。とりわけ彼が、巨大な多国籍企業の自由や利害などではなく、むしろそれに押しつぶされそうになる多くの人々の自由(個人的自由と権利)を考えていたことは、忘れてはならない。
 われわれにとって重要なのは、「常識」として繰り返される政治的プロパガンダ(宣伝)ではなく、真実、学問的真実である。

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