2013年10月5日土曜日

マルクス その4

 人間は労働しなければ生きてゆけない。これは経験的事実であり、たとえ個々の人間は労働を免れることができても、誰かが労働しなければ、人間社会は成り立ちません。
 しかし、労働時間を短くすることは可能です。また労働をアダム・スミスや他の古典派の人々が捉えたような「労苦」(toil and trouble, or toil and moil)ではなく、楽しい人間の仕事(work)に変えることも、決して不可能ではないはずです。これを実現することがモラルサイエンスとしての経済学の本来の課題のはずです。
 しかし、現実の経済社会では事態がそのような方向に変化するとはとは限りません。むしろ、それを押しとどめようとする力学が働いているのではないでしょうか?
 ケインズが指摘したように(『ケインズの講義 1932ー35年、東洋経済新報者、1992年)、現代の経済は「企業家経済」です。企業家は投資し、人々を労働者として雇用し、利潤を得ようとする経済です。現実の経済社会では、企業家も人間であり、個人としては(例えば家庭では)それぞれ良き夫・父・子でしょう。しかし、優秀な企業家としては、彼/彼女はより多くの利益を実現しなければなりません。そこで、企業家経済では、大きな問題が生じます。それは所得分配、すなわちその企業によって生み出された所得(付加価値)を賃金と利潤の間でどのように分配するべきか、という問題です。
  Y=W+R
もちろん、すでにアダム・スミスが明確に述べたように、企業家(「主人」)は利潤をより多くすることに利益を感じ、労働者(奉公人)は賃金をより多くすることに利益を感じるでしょう。もちろん、利潤はすべてが企業家(古典派の表現では資本家)の狭い意味での個人的な所得として個人的な目的のために支出されるわけではありません。投資は、生産能力を拡張するという機能を通じて、社会全体のために貢献すると言えなくもありません。しかし、投資は資本家の所得を増やすための「回り道」(detours)であるという面も持っています。

 さて、端的に言って、所得(付加価値)を賃金と利潤にどのような比率で配分するか、そのメカニズムはどのようなものでしょうか? 
 私の見た限り、現在の日本の大学の経済学部でそれを明確に説明した教科書は、少なくとも新古典派・主流派のもののなかには見られませんでした。確かに、直接には説明していないが、価格決定論、利潤の極大化理論、その他の理論を通じて間接的には説明しているという声があがってきそうな気もします。しかし、このブログで何度も説明したように(それがケインズの強調点でもありましたが)、主流派の議論は「あいにく経済社会の実相」を説明していないというべきです。

 これに対して、マルクスやカレツキの流れを汲むポスト・ケインズ派は、それに正面から取り組もうとしています。彼らの経済学における貢献はまさにこの点にあると言えるでしょう。
 まずマルクスは、現代の資本主義経済では、労働力という擬制商品が売買されていることを前提に、その価値(価格)がどのように決定されるかを問いました。その要点は、労働力の価値は、その労働力の生産=再生産に必要な費用(つまり労働力を生産・維持するのに必要な消費財の総価値)であるというものです。
 もちろん、企業に雇われる普通の人々が所属する家計の消費する財は、時の経過とともに種類・量ともに変化します。しかし、それらの家計の賃金所得は、ほとんどすべて消費財の購入に当てられるという意味では、マルクスの指摘は間違っていません。(一時的に貯蓄すること(プラスの貯蓄)はありますが、その貯蓄は最終的には取り崩され(つまりマイナスの貯蓄)、最終的には貯蓄はなされません。
 
 しかし、この指摘に満足できる人は多くはないでしょう。それは経済発展・成長にともなう動態的仮定を説明していません。またY=W+Rの式における賃金と利潤のシェアーの変化にも言及しません。
 マルクスは、剰余価値論でこの問題に取り組みます。ただし、労働価値論に固執し、価値=価格を労働タームで取り扱いますので、その説明はちょっと厄介です。しかし、労働タームではなく、普通の価格タームで表現すれば、簡単です。
 企業家は、利潤を増やすためには、⑴賃金シェアー(W/Y)を減らし、利潤シェアー(R/Y)を拡大するか、⑵利潤シェアーの一定のもとでは、生産量を増やすしかない。この自明の真理です。もちろん、賃金シェアーを減らすためには、賃金率一定の下で労働時間を増やす方法や、労働時間一定の下で賃金率を下げる方法などがあり、生産量を増やすには、より多くの労働者を雇用する方法や、一人あたりの労働生産性を引き上げることなどがあります(この場合、賃金率を据え置けば、賃金シェアーは低下します)。

 結局、賃金と利潤の分配関係を決めるのは、企業家と労働者の力関係(労使関係)であり、それに影響を与える制度的与件に他なりません。
 ケインズよりはカレツキの方をより評価する現代のポスト・ケインズ派やレギュラシオン派は、この制度的与件の分析において多くの貢献を行いました。
 マルクスの『資本論』は決して時代遅れの古めかしい経済学ではありません。その証拠に現在雨後の竹の子のように簇生しはじめている「ブラック企業」は、人々に長時間労働と低賃金率、低い賃金シェアーを強要し、(マルクスの言葉を用いれば)剰余価値率を引き上げようとしており、(ポスト・ケインズ派の言葉を用いれば)利潤シェアーを引き上げようとしています。その結果は、利潤の増加、その他であることは言うまでもないでしょう。
 マルクスの提起した問題は、ケインズやポランニーなどの提起した問題とともに、現代経済の大問題として残されています。

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