2015年10月29日木曜日

ケインズによる『一般理論』の解説(1937年論文) 1

 今から78年ほど前に、ケインズは、雑誌 Quarterly Journal of Economics, February, 1937. に,
『雇用、利子および貨幣の一般理論』の解説を掲載しました。英語版の全集には掲載されていますが、日本語訳はまだ出版されていないようです。そこで私の訳を3回にわけて載せておきます。(誤訳、不適切訳があると思いますが、適宜改訂したいと思います。)


 要約
 『一般理論』における以前の論点にかかわる四つの議論に関するコメント


                    一
 一九三六年十一月に刊行された私の『雇用、利子および貨幣の一般理論』に関する四つの寄稿についてクォータリー・ジャーナルの編集者に感謝する。これらの寄稿には批判が含まれており、その多くを私は受け入れ、そこから便益を受けることを望んでいる。タウシッグ教授のコメントに私が同意しないことはない。レオンチェフ氏は、彼が「同次性の公準」と呼ぶものに対する私の態度と、「正統派」理論の態度とを区別する点で正しい、と思う。しかしながら、私は、この公準に矛盾する経験上の豊富な証拠があり、またともかく、それは一般的な負〔の関係〕を証明することを放棄する人よりもむしろそれを証明するために高度に特殊な想定をなす人々に対してであると考えるべきだった。私はまた、利子率を決定する際に貨幣量が果たす役割と関連させたならば、彼の思想はもっと実り多く、またもっと理論的に正しく適用できたのではないかと提案する。というのは、私が思うに、同次性の公準が主に正統派の理論的スキームに入り込むのはこの点だからである。
 ロバートソン氏との私の実際の相違点は、彼も私も〔正統派に対する〕彼の敬信が許す以上にもっと根本的に私たちの先行者と異なるという私の確信から主に生じている。彼の論点の多くに私は同意するが、ただし、何か異なることを言った(またはともかく意味した)いくつかの例を意識しないならば、である。彼が貨幣の流通速度をばかにする人々は乗数理論と多くの点を共有すると考えていたとは驚きである。私は、活動の増加から生まれる貨幣需要の増加が利潤率を引き上げる傾向のある余波を持つという、彼のあげている重要な点(一八〇〜一八三ページ)に完全に同意する。また、実際、これはどうしてブームがそれ自体の破壊の種を内包するかという私の理論における重要な要素である。しかし、これは本質的に利子率の流動性理論の一部であり、「正統派」理論の一部なのではない。私の理論は「貸付可能資金の需要と供給のタームで出来事を常識的に説明することへの反駁ではなく、その代替版」と見なされる(一八三ページ)と彼が述べるところでは、私は、同意する前に、この常識的な説明がどこに見られるのかという点に少なくとも一つの参照を請わなくてはならない。
 四つのコメントのうち最も重要なもの、ヴァイナー教授のコメントが残っている。私の非自発的失業の定義と取り扱いに対する彼の批判について、私は自著のこの部分は特に批判に対して開かれていることに同意する用意がある。すでに私自身が改善する立場にあると感じており、私がそうするときには、特にこの点で私たちの間に何か根本的な相違があるとは思わないので、ヴァイナー教授はもっと満足を感じるだろうと希望する。しかしながら、「貯蔵〔貯蓄〕性向」と題した第二節の場合には、彼の論点に反論する用意がある。ヴァイナー教授は実際に貯蔵された貨幣量というより知られているタームであまりに多くを考えていることを、また貯蔵しない誘因としての利子率に対して私がなそうと努めた強調点を見逃していることを示す文章がある。流動性選好が主に利子率を引き上げることによって働くのは、まさしく貯蔵にとっての容易さが厳しく制限されているからである。私は、「現代の貨幣理論では、貯蓄性向は、貨幣の「速度」を減じるように作用する要因として、ケインズの結果と本質的には実質的に同じ結果を伴って、取り扱われている」ことに同意できない。反対に、それをこのように取り扱おうとしている貨幣理論家はおしなべて間違ったコースにいる。繰り返すと、ヴァイナー教授は、ほとんどの人々は自分たちの貯蓄を彼らが得ることのできる最善の利子率で投資すると指摘し、また私が流動性選好に付した重要性を正しいとすることを統計に求めるとき、貯蔵のために利用可能な現金の狭い制限内で現実の貯蔵への欲求をもたらすために、利子率によって満足しなければならないのは限界的な潜在的貯蔵者であるという点を見逃している。危機の中で生じるように、流動性選好が急激に上がるとき、これ自体は、利子率の急激な上昇、すなわち以前の〔証券〕価格で流動性を得ることができるならば、そうしたいと考えている人々がその思想を合理的にはもはや実践不可能なものであるとして放棄するように説得されるまで続く証券価格の上昇におけるほどには、貯蔵の上昇を示すものではない。というのは、もしそうだとしても、貯蔵可能な現金は以前より少し多いだけだからである。利子率の上昇は、増加した流動性選好を満足させるための貯蔵増加に対する代替手段である。私の議論は、異なったタイプの資産は異なった程度に流動性に対する欲求を満たすという認められた事実によっても影響されない。ある資産の流動性の程度に照応する利子率が生産費以下となる当該資産の市場資本化をもたらすとき、その損害が生まれる。
 私が議論する用意のある他の批判もある。しかし、私は私自身の言語を正当化することが出来るかもしれないが、あまりに詳細に正当化することによって、私の取り扱いが、それにもかかわらず、私の批判者の心に産み出した反応の根底にあるかもしれない本質的なポイントを見逃すように導かれないように配慮したい。私は私の思想の根底にある比較的単純な本質的な思想を具体化した特殊な形態よりも、その思想のほうにもっとこだわりたいと思っており、また私には、後者〔形態〕が論争の現在の段階で結晶化されるべきという欲求はない。もし単純な基礎的思想がよく知られ、受け入れられるものとなることができれば、時間と経験、そして多数の頭脳の恊働がそれらを表現する最善の方法を発見するだろう。そこで、私はジャーナルの編集者が私に許すことのできるような以下のスペースを不毛となるかもしれない詳細な論争にあてるよりも、これらの思想のいくつかを再現することに努めることにあてたいと思う。また、もし私が以前の諸理論から最も明確に離れているように自分自身にとって思われる特定の限られた点に関して言わなければならないことを討論の形で表現するならば、それはある者には、私が論争的な雰囲気を避けようといいながら、まっすぐにそこに飛び込むかのように思われるかもしれないが、私としては最善を尽くすつもりでいる。

2015年10月24日土曜日

世界戦争はなぜ起こったのか? 1 ケインズはかく考えた


 第一次世界大戦は、欧米主要国だけに限ると、独墺土vs英仏露伊米の間で戦われた「総力戦」(total war)だったことは、言うまでもない。その直接のきっかけとなったのがセルビア人によるオーストリア皇太子の殺害事件だった。そして、この事件に対して、オーストリアはセルビアに10箇条の最後通牒をたたきつけ、セルビアはほぼこれをのんだものの、殺害事件の調査・裁判をオーストリアが行なうことだけは、主権の侵害として拒否した。ここから事態は急速に展開し、あっというまに同盟国(ドイツとオーストリア)と協商国(ロシア、フランス、イギリス)の総動員体制、宣戦布告合戦へと突入した。さらに同盟国でありながら、中立をきめこんだイタリアが協商国側に参加し、1917年のロシア革命・帝政崩壊後にアメリカ合衆国が協商国側に参戦した。
 戦争開始当時(1914年 8月)、ロシアもドイツもどの国も遅くとも秋までには、戦勝の報に接することができると楽観、豪語していた。が、・・・そうはゆかず、まず1917年にロシアが反戦・革命運動により事実上戦線から離脱し、1918年末には今度はドイツが革命により事実上戦線から離脱した。この間、英仏伊は、戦費を調達するために自国民から租税を取り立てただけでは済まず、米国から巨額の借金をしなければならなかった。(その額は、英仏伊の米に対する債務だけで 7 億ドルと見積もられている。)
 この第一次世界大戦の戦死者はほぼ1,100万人と見積もられている。(ホブズボーム『20世紀の歴史』)
 ところで、1919年のヴェルサイユ講話条約で、英仏が強行に独に賠償金の支払いを求めたのは、必ずしも理解不能というわけではない。独が支払った賠償金は、少なくともその一部は、英仏によって米国への返済にあてられた。
 しかし、この独からの賠償金取り立てに異議を申し立てたのが、ジョン・M・ケインズだったことはよく知られている。彼は、イギリス代表の一員ながら、英仏は理不尽なことをしており、それは将来世界に不幸をもたらすことになるであろうと、イギリス代表委員の辞表をたたきつけることとなった。この予言は、はからずもあたることになるが、それはここではおいておこう。
 さて、このような悲惨な第一次世界大戦はなぜ起こったのだろうか? 一人(オーストリア皇太子)の死の代償としてはあまりに大きいではないか? 戦死者1,100万人、国際的な借金18億ドルという数字がそれを示している。また当時は、グローバル化が進展しており、国際間の資本移動・貿易額(対GDP比)もきわめて高かった。もし総力戦が始まれば、すべての秩序が崩壊し、その経済的ダメージもはかりしれないことは知られていたはずである。また実際、戦争前には戦争は起きないだろうという意見が優勢であり、戦争を避けるための外交交渉も行なわれた。
 だが、当時であっても常識を超えたといわざるをえない総力戦ははじまった。
 やはり、セルビアで生じた一事件だけでは理解できない何かがあったのではないかと考えるのが、妥当というものだろう。
 事件に先行して何かがあったはずである。
 1936年に刊行した主著『雇用、利子および貨幣の一般理論』でケインズは、その理由を説明しようとした。彼は、この著書の最初から22章にいたるまでは、経済をほぼ国内経済(閉鎖経済)を前提として転換し、国際関係については一切言及しない。ところが、一転して23章と24章では、対外経済関係あるいは開放経済に転じる。その際の最も大きな論点は、新重商主義、すなわち他国を犠牲にした市場獲得競争(あるいは「近隣窮乏化政策」と呼ばれるもの)である。
 ケインズは、「戦争がスリル満点の楽しみとなっている独裁者やそれに類した人間」の存在とともに、これこそがはるかに重要な「戦争の経済的原因」であるという。(下の引用文を参照のこと。)
 なるべく簡潔に説明すれば、次のようになろう。現代の資本主義経済では、雇用は次の式で示される。(実際はもう少し複雑だが、最も簡単なデモルで示す。)
   N=Y/ρ   雇用=産出高÷労働生産性
 つまり、雇用量は産出高に比例し(あるいは産出高の増加関数であり)、労働生産性に反比例する(労働生産性の減少関数である)。
 ところで、いま労働生産性を所与とすると、雇用量はY(産出高)によって決まる。もし産出高が少なければ、雇用は労働供給に比べて不足し、失業が生まれる。
 では、産出高Yは、どのように決まるのか? いま政府を捨象すると、それは次式で示される。
   Y=D=C+I+XーM   D:有効需要、C:消費支出、I:投資支出、
               X:輸出(外需)、M:輸入(需要のもれ)
 この式が端的に示すように、国内需要(C+I)が不振のときに、輸出を増やし、輸入を抑制すれば(つまり新重商主義政策をとれば)、有効需要 D が増加し、産出高は増えることになるだろう。
 だが、二つの理由からまさにこれが大問題となる。
 第一に、すべての国が 輸出>輸入(または輸出ー輸入>0)の状態を実現することはできない。したがってある国がこの方策を取り、それに成功すれば、残余の国は(必ずしもすべての国ではないが、全体としては)貿易収支を悪化させ、産出高を減らし、雇用を減らし、失業を増やすことになる。(まさに他国の犠牲である。)そして、もし他国がそれに対抗しようとすれば、それは市場獲得競争を、したがって当時の国際関係上は、植民地・勢力圏の分割競争を激化することになる。
 第二に、ケインズはあきらかに次にことを意識していた。つまり、19世紀末から当時にかけて、国内需要が不振だった原因の一つが賃金の抑制にあったことである。ケインズの時代には必ずしも実証的に明らかにされていなかったかもしれないが、この点は現在では完全に明らかにされている。つまり、イギリスでもドイツでもロシアでも労働生産性の上昇に比して貨幣賃金率は圧縮されていたのである。このことは、もちろん賃金シェアーが低下し、利潤シェアーが増加していたことを意味する。
 簡単な数値例を用いて説明しよう。
 よく知られているように、Y=W+R である(国民所得=賃金+利潤)。
 いま出発点(例えば1870年)で Y(100)=W(60)+R(40)だったとしよう。それから30年後に産出高=所得が倍(200)に増加したとする。もちろん労働者数も増えているだろう(例えば35%)。しかし、賃金率がほとんど上昇しなかった場合、所得の分配は次のようになる。(ここでは簡単のため、物価は上がらないと仮定する。)
   Y(200)=W(82)+R(118)
  さて、この時に何が生じるかは、もちろん正確には不確定である。しかし、きわめてラフには次の想定が成立する。まず賃金はほとんどすべてが(賃金財の)消費のために支出される。一方、利潤は、かなりの部分が貯蓄される。その貯蓄性向はかなり高い(いま 一定であり、 0.5 としておく)。そこで、例えば、
   1870年  Y=C(60+20)+S(20)    S/Y=0.2
   2000年  Y=C(82+59)+S(59) S/Y=0.3
 これはどのような事態を意味しているだろうか? 
 もし、利潤(企業と富裕者)からなされた貯蓄(S)がすべて設備投資に向けられるならば、そして同じ金額の投資が同じ金額の商品を生産する能力を産み出すと仮定するならば、明らかに過剰生産能力が生まれることになる。それは相対的には過小消費と言い換えることも可能である。このような事態にはなるのは、もちろん消費性向の高い労働者の賃金所得を抑制したためである。
 しかし、必ずこのようなことが生じるわけではないかもしれない。というのは、貯蔵された資金を海外に投資することが可能だからである。しかし、この場合には、今度は、海外への余剰資金の投資先を確保することが必至となる。
 だが、実際に生じたのは、これら両者の中間であっただろう。
 もう一つ重要な点がある。それは(ケインズは『一般理論』では検討しておらず、別の論文で行なっていることだが)投資が労働者一人あたりの労働生産性をかなり引き上げるという事実である。上の例では労働人口が30年間に35%(年に1%ずつ)増加し、この間に産出高が 2 倍に増えたと仮定したが、それはーー均衡においてはーー労働生産性が48%ほど上昇したことを意味している。この場合、雇用状況(失業)が悪化することはない。だが、この均衡が必ず達成される保証はない。実際の統計データが示すところでは、この時期の労働生産性はかなり急速の上昇している。そして、これは長期にわたり失業が生まれやすい構造があったことを意味している。ただし、実際には、失業者は数年〜10年ほどの周期で発作的に生じる不況時に急増し、その後の景気回復時に再び徐々に低下してくるというサイクルを描いていたこともよく知られている。

 ケインズが1936年から1937年にかけて直接・間接に述べたことは、以上にように説明される。だからこそ、戦争(の根本的経済要因)を避けるためには、新重商主義の克服、所得分配の改善、そして(これについては更に説明が必要となるが)国際通貨体制の改善が必要であった。(1943〜1944年の国際通貨体制に関するケインズ案は、以上の文脈の中ではじめて明らかになる。)
 ケインズにとって戦争を避けるために何よりも重要なことは、「国々がみずからの国内政策によって完全雇用を達成するすべを学ぶこと」であった。

 ここで、学問上の問題が一つある。それは以上の想定が経済史学によって実証されるかどうかである。
 これについては、ここではドイツ、イギリス、いずれの経済史の研究成果も以上の想定の妥当性を示している。ここでは簡単に示すにとどめておこう。一方では、英独では、労働者の間に政治的民主主義と産業民主制を求める社会主義運動(労働党、SPDなど)の高揚があった。しかし、他方では、それに対抗しつつも、それらを体制内に統合しようとする複合的な動きが生まれ、また何よりも国内の不満を外にそらそうとする運動(英・チェンバレンの帝国関税同盟、独・ヴィルヘルム二世の新航路政策)があったことが知られている。(イギリスについては多数。ドイツについては、さしあたりH・ヴェーラーの『ドイツ帝国』参照。)
 
 私たちにとっての問題は、ケインズの指摘が過ぎ去った過去のものだと楽観できないことである。197Ⅰ年以降にブレトンウッズ体制が崩壊し、ケインズの危惧した「新重商主義」が新しい条件の下に現れてきたことがそれを示している。実際、失業率が高くなり、景気が悪いと感じられるときに、必ず現れる言説は「外需」「輸出」である。 


ジョン・M・ケインズ『一般理論』第24章「一般理論の誘う社会哲学 一般的結語」
 (『雇用、利子および貨幣の一般理論』(岩波文庫版、間宮陽介訳より)

一 われわれが生活している経済社会の際だった欠陥は、それが完全雇用を与えることができないこと、そして富と所得の分配が恣意的で不平等なことである。・・・・

四 戦争にはいくつかの原因がある。戦争が、少なくとも戦争を頭に思い浮かべることが、スリル満点の楽しみとなっている独裁者やそれに類した人間にとって、国民の中に眠る好戦気質を目覚めさせることなど、なんの造作もないことである。だがそれよりもはるかに重要なのが戦争の経済的原因、すなわち人口圧力や市場獲得競争であって、これは人々の〔心中の〕炎を煽るという彼らの仕事をたやすくするのである。ここでの議論と深いかかわりをもつのが、おそらく十九世紀において主導的な役割を演じ、ふたたび主導的役割を演じようとしている、この第二の要因である。
前章で指摘したよ.つに、十九世紀後半を風廓していた国内における自由放任と国際聞の金本位制という体制の下では、国内の経済的困難を緩和するために政府にできることといえば、市揚獲得競争以外に何もなかった。というのは、慢性的あるいは間歇的な過少雇川状態〔を克服するのに〕役立つあらゆる手段が、貿易収支の改善という手段を例外とすれば、締め出されていたからである。
こうして当時布かれていた国際体制を国際分業の効験をあらたかにすると同時に国々の利害に調和を与える体制として称揚するのが経済学者の慣わしとなる一方で、彼らはあまり芳しくない影響は胸底に収めてしまった。旧大国が市場獲得競争から超然とするようなことがあれば繁栄は傾き萎んでいくと信じていた政治家は、常識と、そして出来事の推移に関する正しい理解とによって衝き動かされていたわけである。だがもし国々がみずからの国内政策によって完全雇用を達成するすべを学ぶことができるなら(そしてまた、もしも国々が人ロ趨勢における均衡を達成することができるとしたら、という仮定を付加しなければならない)、そのときには、一国の利害を近隣諸国の利害と擦り合わせることざらの経済諸力はなんら必要とされない。むろんその場合でも国際分業と妥当な条件での国際金融の余地はなお存在するであろう。だが一国が自国の商品を他国にごり押しし隣国の商品はこれを突っぱねる強迫的な動機は――そうする必要があるのは、そうしなければ買いたい商品への支払いができないからではなく、自国の貿易収支をひたすら有利にするために収支の均衡を覆すという明白な目的があるためである――もはや存在しなくなるだろう。今日、国際貿易は外国市場で販売を強い購入を制限することによって国内の完全雇用委を維持するための捨て鉢の手段とな,ているが、たとえそれが奏功したとしても、それはただ失業問題を競争に敗れた隣国に転嫁するだけである。だがそれも終わりである。外国貿易は自発的でなんの妨げもない、相互利益を旨とする財・サーヴィスの交換となるであろう。

2015年10月18日日曜日

労働報酬(賃金)の増えないGDPの増加はない

 前回、社会全体の生産額(付加価値額)あるいは所得額が(個人経営を考えないと)賃金プラス利潤(W+R)に等しくなることを示した。
 したがってGDP(国内粗生産)や国民所得(National Income)が利潤も賃金も増えずに増加することはありえない。また、現実の経済的メカニズムを考えると、賃金の増加なしに、利潤だけが増えることは考えずらい(まずない)。
 よく、「景気が回復してくれば、(例えば)1年後か2年後に賃金も増えてくるでしょう」などと言うエコノミストがいた(現在でもいるかもしれない)が、その人たちは、まず利潤が十分に増えたあとで、次に賃金が増えるとでも考えているのだろうか? そのようなことを頭の中で想定することは勝手だが、現実にはほぼありえない。

 論より証拠。アメリカ合衆国と日本の統計を比べれば、そのことがわかるだろう。
 図は、国民粗所得の最も重要な構成部分をなす雇用者報酬(賃金の他に経営者報酬が含まれる)、営業純利潤、固定資本減耗(減価償却費)を示す。米国では賃金も粗利潤も1994年から現在まで拡大しているのがわかる。(ただし、2008年から2009年にかけては金融崩壊のインパクトによりいずれも若干低下している。)
 これに対して、日本では、1997年から現在(図では2013年まで)雇用者報酬は低下してきた。(2014年、2015年も実質賃金率は低下している。)ただし、利潤は、大企業による賃金圧縮のために、若干増加ぎみだが、かといってそれほど増えているわけではない。



出典)BEA(米国)および国民経済計算統計(日本、財務省)から作成

 いったい、この差はどこから来るのか?
 経済学の常識的知識から言えば、有効需要が増えないから、消費財の生産が増えず、したがって企業の設備投資が行なわれず、機械・設備の生産がふるわないことになろう。しかし、なぜ消費支出が増えないかといえば、雇用者報酬が増えず、家計の可処分所得が増えないし、その上、現在日本国民の多くは将来不安でいっぱいである。現役世代は、所得を抑ええ貯蓄しようとし、高齢者も欲しいものがあっても、貯蓄を思いっきり消費にまわすことはできない。
 要するに<賃金抑制><将来不安><消費低迷>という景気の悪循環の存在が背景にあることは疑いない。
 多くの人は忘れているかもしれないが、1995年、経団連は『新時代の日本的経営』なる雇用戦略を打ち出し、非正規雇用の拡大、任期制・能力給によって賃金圧縮をはかることを宣言した。1997年の橋本金融危機がそれを実現する上で大きな力となった。政府も構造改革とか、雇用の柔軟化とか口当たりのいいことを言いながら、低賃金労働の拡大に大いに貢献した。
 しかも、藻谷浩介氏が指摘しているように、1997年頃は、生産年齢人口の持続的低下が生じはじめた時期である。つまり、賃金率が一定不変でも労働者(国民の多数)の可処分所得が減るのに、大企業が中心となって賃金圧縮を行なっているのでは、なおさらである。そして、2007年前後についに団塊の世代が60歳を越えていっせいに退職した。それは個別企業にとっては人件費の大幅縮小を実現するよい機会だったかもしれないが、日本経済全体では、可処分所得を大幅に減らすことになり、いっそう国内需要を中心にGDPを縮小した。
 アベクロノミクスは、この問題に根本的に取り組んだか?
 ノーである。問題は第一の矢(異次元の金融緩和)などとは何の関係もない。それに人々に不安を与える第二の矢、第三の矢は毒矢である。最近は、菅氏のように女性に出産を強要するような発言もある。

 現在、必要なことは、人々の将来不安をなくす、あるいはせめて出来るだけ軽減することである。また企業も人口減少社会でやみくもに利潤(配当、内部留保など)を増やそうとするのではなく、労働生産性の上昇にふさわしい賃金の引き上げを実施するべきである。もちろん、最低賃金の引き上げ、「同一労働同一賃金」の実現(嫌韓の右翼には刺激的な言説かもしれないが、日本と韓国はきわめて不平等だという点で同じである)、フルタイム雇用を希望している人が正規雇用に移ることのできる制度改革、子供を育て易い環境の整備、などが必要である。それは社会全体にとって好ましい結果をもたらす。
 
 とりわけ賃金を引き上げることが経済にとって好ましい影響を与えることは、世界の多くのまともな経済学者によって明らかにされている。
 例えばMarc Lavoie(カナダ)とStockhammer(トルコ)の『賃金主導型成長』(ILO, 2014)は、賃金を抑制する経済が全体といていかに悲惨な結果をもたらすか、反対に賃金を増やす経済がいかによい経済発展をもたらすかを実証的に示している。現在の日本が直面している問題の根本を理解しなければならない。

2015年10月17日土曜日

労働側に「対抗力」を! ジョン・ガルブレイス

 先のブログでも書いたが、資本と労働が分離している現代の経済体制では、資本(大企業、経営者、株主)の「力」は強力であるが、個々の労働者はその大企業体制の前に無力である。
 しかも、企業は「競争」を理由に(もちろん、その競争が現実のものである場合もあるが、単なる「泣き」や「脅し」の場合もある)、労働条件の引き下げ(あるいは引き上げの拒否)を強要する。さらに政府がそれに同調して雇用の柔軟化(労働市場の規制緩和)を押し進めている。
 近年、「ワタミ」「ユニクロ」などブラック企業が横行しているのは、こうした状況のためである。

 したがって、働く人々が安心して働き、住むことのできる社会をつくるためには、労働側に「対抗力」(アメリカの伝説的な経済学者ジョン・ガルブレイスの言葉)をつけなければならない。
 対抗力は、完全雇用の実現、最低賃金の引き上げ、失業保険制度の充実、解雇規制(の撤廃反するたたかい)、低賃金・非正規雇用者の待遇改善、そうじて労働保護立法やそのための制度の拡充によって実現される。

 このように言うと、必ず次のような反論が出てくるだろう。
 日本の企業は「競争」の中で苦しんでいる。労働条件の改善は、企業の人件費を引き上げ、競争力をなくす、と。

 しかし、これこそが根拠のない主張である。
 1)国内では、すべての企業が従う普遍的なルール(規制)をしけば、企業はそれに従うだけであり、競争上の不利益はない。むしろ、労働条件を下げれば、その下げた条件で企業活動を行なう企業、ブラック企業が出現し、それは経済社会を崩壊させる。人口ももっと減るだろう。企業はお互いの首を絞め合うことになる。
 2)対外的にも、人件費の高い国がひどい経済状態に陥ることはない。豊かな国は、消費も投資も拡大し、利潤が増加する。したがって輸入も輸出も増加する。対内直接投資額も増える。その一例はドイツである。

 近視眼的には労働条件を引き下げることが国際競争にかなうように見えるかもしれないが、事実は逆である。日本のひどい経済状態は労働条件の低下に起因している。労働側の「対抗力」を!。これが近年の保守政治に対する代替案に他ならない。

所得分配を論じない主流派の経済学 社会科学の「裸の王様」

 世に経済学の教科書や入門書は多数ある。中には「サルでも分かる」と銘うったものもあるが、サルに分かる経済学など大した内容ではないだろう。
 それはさて、不思議なことに、現在の経済では、人々は所得を、しかもほとんどの場合、貨幣所得を得ることを目的としているにもかかわらず、所得分配を実相に即して論じていない経済学の教科書や入門書があるのが驚きである。
 いったい何のための経済学なのかと、驚くばかりである。

 さて、所得とは何か? 出発点のところで、簡単に言えば、それは収入(売上げ)から物的費用を差し引いたものである。付加価値と言い換えてもよい。

 所得=付加価値=収入ー物的費用

 ここで経済学の父といわれるアダム・スミス『諸国民の富』の説明を取り上げよう。
 スミスは、彼が想定したような古い時代、つまり人々が労働者(職人)と資本家・企業者(主人)に分かれる以前の時代には、資本(道具や原材料など)も自分で生産したと想定している。したがって、すべての収入は自分の所得(付加価値)となった。
 ただし、分業(商品交換)が想定されているので、モノには値段(価格、物価)があり、交換(販売)が生産者の所得を実現する。
 
 所得=価格 × 生産(販売)数量  Y=p・Q    (1)

 ところで、生産するには、労働が必須であり、一定期間(年、月、日など)にある時間の労働を行なわなければならない。いま、期間に年をとり、労働時間を T とする。また労働生産性を ρ (ロー)とする。すると、生産物の量(金額)=所得 Y は、次式で示される。

 所得=労働時間 × 労働生産性   Y=T・ρ     (2)

 ここで、スミスは考えた。いますべての人々が様々な点で、平等であり、ただ生産物の種類が異なるだけであれば、等しい労働時間によって得られる所得も等しくなるはずであると。年に2000時間のある労働の産物は2000時間の別の労働の産物と交換される。
 例えば2000時間の産物(ムギ200kg)は、2000時間の労働の産物(布20単位)と交換される。労働の生産性は、それぞれ1kg/10時間、1単位/100時間である。(これがアダム・スミスの素朴な、しかしリアリティのある投下労働価値説である。)

 だが、近代の「商業社会」では、この単純な関係は存在しない。まず世の中が職人(労働者)と資本家(主人、企業者)に分かれているからである。ここでは職人に支払う賃金は自分の所得ではなく、人件費となる。また資本家は生産を組織するが、その際、道具や機械、それに原材料も市場で購入してきたものであり、自分の生産物ではない。だから、費用は、自分の所得ではない。
 そこで、個々の作業場・工場で、生産と販売によって実現される所得は、次のように変形される。

  A=E+M+W+R  Y=減価償却費+原材料費+賃金+利潤

 詳しい説明は省くが、この作業場で実現される付加価値は、このうち賃金と利潤である。つまり、 Y=W+R
 しかも、この付加価値 Y がすべて資本家の所得(利潤)となるわけではない。利潤 R は、付加価値から賃金 R を差し引いたものである。
  R=YーW      (3)
 さて、アダム・スミスは考えた。この場合でも、上記の原理は成立するだろうか、と。
 もちろん成立しない。何故ならば、第一に、職人と主人とは、同じ時間労働しても(主人の仕事も労働と考えて)同じ所得を得ることはない。スミスは、より具体的に観察し、労働者たちが生活のためにやむを得ず団結し(労働組合を結成し)、労働条件のために運動しても、当時の法律(団結を禁止する法律)によって弾圧されているのに対して、資本家(主人)たちは陰でこっそり団結していることを指摘している。ともかく、同じ人間ではあるが、所得額が桁外れに違う。その背後には、資本家は、一定の金額(賃金)で多数の労働者を支配しているという関係がある。決して対等な権利・力を持つ人々の交換関係ではない。20世紀にジョン・ガルブレイスは、労働側に「対抗力」を付ける必要があると主張したが、ある意味でスミスはその主張の先行者である。
 第二に、個々の作業場における R と W の関係ではなく、作業場と作業場との間における所得額は、どうか? つまり、小麦粉を生産する作業場Aと布を生産する作業場Bでは、(資本家+職人)一人あたりの付加価値は、同じになるだろうか? スミスは、この点については、明示的に示していないが、いくつかの点から、大きい乖離が生じていることを認めているように思われる。つまり、企業間には、労働生産性、資本規模、労働者数によって大きい差があるのであり、それは労働時間による等価交換を(ある程度は反映しているかもしれないが)実現してはいない。

 現実世界をきちんと観察した上で成立する現代の経済学も、上のスミスの想定をほぼ認めている。
 しかも、マルクス、マルサス、ケインズの天才は、所得分配(賃金と利潤)を、有効需要(D=C+I+X-M)と結びつけるという点で、大きい貢献をなした。

 賃金(W)→ ある時期・年齢の個人はともかく、社会全体では、ほぼ消費のために支       出される。CL=W
 利潤(R)→ 経営者報酬、配当、利子・地代、内部留保、減価償却費(粗利潤の場合)
       社会全体では、消費支出 Cと貯蓄 S に分かれる。R=CK+S
        もちろん、(閉鎖経済の前提では)I = S である。
  
 したがって Y=W+R=Q(生産)=D(有効需要)=(CL+CK)+I
 この式は、個々の企業が(厳しい競争などを理由として)賃金を圧縮すると、社会全体では、1)結局のところ消費支出・消費需要を圧縮し、2)さらに消費需要の停滞を企業に「期待」させることになり、企業の投資計画を萎えさせ、投資需要も縮小することを示している。
 この式はまた、所得分配について論じることなしには、経済(成長、発展、構造など)について語ることができないことを示している。 
 現代の主流派経済学者が所得分配に触れたがらないのは、まさしくケインズが言う「思想」と「権益」のためであろうが、それは経済学を「裸の王様」にする行為に他ならない。



2015年10月12日月曜日

自民党 迷言の数々 


 自民党政治家の面々の迷言をまとめてみました。
 ジョン・ガルブレイスも言うように「忘れることほど政治家にとって都合のよいことはない」。忘れないようにしましょう。様々なサイトを利用させてもらいました。典拠は示しませんが、ほとんどが報道されたものなので、間違いないと思います。
 このようにブログに迷言を載せるというのは、実になさけなく、やりがいのないことですが、政府がここまで劣化した以上は、しかたありません。( )内に私の感想付き。

礒崎陽輔・首相補佐官「法的安定性は関係ない。」(安保法案に関連して。これから日本は不安 定な国になりそうですが、それでもよいそうです。)
礒崎陽輔・首相補佐官「時々、憲法改正草案に対して、「立憲主義」を理解していないという意 味不明の批判を頂きます。この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代の憲法講義で は聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか。」

柴山昌彦「私も弁護士なのでその批判は承知。しかし当該概念が絶対普遍的とは言えず、エジプ トなどに見られるとおり平和の危機を単純に「権力の乱用」と捉えられない現状がありますよ ね。」
柴山昌彦「自民党の改正憲法草案を「世界の非常識」と主張する人がいるが、70年近く憲法が指 一本触れられず、堂々と明文に反する解釈が行われている現状の方がよほど世界の非常識だ。」
柴山昌彦「ですから、左に落ちかけた旧来の価値から常識的と言われる方が問題なのです。」
柴山昌彦「現行憲法は価値相対主義に立脚している。しかし噛み付いてくる人は、その価値相対 主義が絶対的に大事で普遍的だと言い張るところで矛盾を犯していることに気付かない。ケル ゼンの「船を沈める自由」を思い出す。」
柴山昌彦「明文を無理に守って国益をズタズタにしたのは民主党でしょ?」

高村正彦「その最高裁の判決の法理に従って、何が国の存立をまっとうするために必要な措置か どうか、ということについては、たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はあ る。」

石破・幹事長「特定秘密反対デモはテロと同じ。主張を通りしたいのなら、民主主義に従うべき だと思う。」(違憲の法律は許されるらしい。)

某一年生議員(衆議院特別委員会)「生産者と消費者、双方がウイン・ウインとなるような数値 にすべき。」(食品における放射能規制について。何かと勘違いしているのでは?)

菅・官房長官「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる。」(どれほど?)

森嘉朗「日本の国は、まさに神の国であるということを国民にしっかりと承知していただくという 思いで(神道政治連盟は)活動してきた。」

NHK(安倍首相のヤジについて)「自席発言」(ということは正式な発言か?)

平沢勝栄(安倍首相の元家庭教師)「俺が見たからあんなに馬鹿になったんじゃない。俺が見た からあの程度の馬鹿で済んだんだ。」

衛藤晟一・首相補佐官「米国が『失望』と言ったことに我々のほうが失望だ。米国は同盟関係の 日本を何でこんなに大事にしないのか。」

萩生田光一・自民党総裁特別補佐(安倍晋三首相の靖国参拝に対する米政府の「失望」という批 判に対して)「共和党政権時代にこんな揚げ足をとったことはない。民主党政権だから、オバ マ大統領だから言っている。」(その通りですが・・・)

本田悦朗・内閣官房参与(首相の経済ブレーン)「(靖国参拝した)首相の勇気を評価する。」 (19日付けウォール・ストリート電子版でのインタビュー)

籾井勝人・NHK会長「従軍慰安婦は今のモラルでは悪いんですよ。戦争をしているどこの国にも あった」「日本だけが強制連行したみたいなことを言っいるから話がややこしくなる。お金を よこせ、補償しろと言っている。しかしすべて日韓条約で解決している。なぜ蒸し返されるん でしょう。おかしいでしょう」「国際放送で明確に日本の立場を主張するのは当然。政府が右 ということを左という訳にはいかない」(就任会見)

高市早苗(ヘイトスピーチ対策等に関する検討プロジェクトチームの会合)「ヘイトスピーチ規 制を国会周辺デモなどにも適用できるようにしよう。」(ヘイト・スピーチの意味を知らない らしい。)

中谷元・防衛相(安全保障関連法案について)「現在の憲法をいかにこの法案に適応させるか。」(・・・・)

高村正彦・自民党副総裁「十分に理解が得られなくても決めないといけない。」

安倍晋三(無関係な発言。約束は破られ、下手な言い訳がなされる。)
「日教組—! 日教組—!」(ヤジ自席発言、NHK流に言うと「自席発言」)
「健康問題については今までも現在もそして将来も全く問題がないことをお約束します。」
「憲法上はね原子爆弾だって問題ではない。小型であれば。」
「世界で一番企業が活躍しやすい国の実現。それが安倍内閣の基本方針です。」(残念なことに、この約束だけは実現されそうだ。)
(TPPに関する選挙ポスター)「TPP交渉断固反対。ブレない。自民党」
「私たち自由民主党は、「聖域なき関税撤廃を前提とする限り、TPP交渉参加に反対する」と明 確にしました。そのほかにも国民皆保険制度を守るなど五つの判断基準を掲げています。私た ちは国民との約束は必ず守ります。」(TPP交渉参加表明記者会見)
「私は、皆さんの不安や懸念をしっかり心に刻んで交渉に臨んでまいります。あらゆる努力によ って、日本の「農」を守り、「食」を守ることをここにお約束をします。」TPP交渉参加表 明記者会見)
「TPPへの反対は、自民党を支持した皆さんにもありました。私は、全力で、説得しました。そ のうえで、交渉参加に断を下しました。」(あれ?)
TPPをつくるのは、歴史の必然です。」(だったら何故「断固反対」という。)
(「基本合意」の報道を受け)「新たなアジア・太平洋の世紀の幕開け。」
「固い、岩盤のような日本の規制を、私自身をドリルの刃(やいば)として、突き破ろうと思っています。」(安心して生活するための規制を破壊か? こわい。)
「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている。」
汚染水は完全にブロックされている。世界で最も厳しい安全基準がある。」(どのような根拠 ・基準があるのでしょうか?)
「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されていま  す。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすこと はありません。 」(IOC総会プレゼンテーション)
(東京オリンピックに対する原発影響について)「健康問題については、〝今までも、現在も、 そして将来も!全く問題はない!!〟という事をお約束いたします。」(IOC総会プレゼンテ ーション)
「消費税収は、社会保障にしか使いません。当然、歳出の無駄は不断に削減していきます。」  (2013101 消費増税決定記者会見)
「私が考えを述べるのは言論の自由だ。」(民放のテレビ番組に出演中、内容に注文をつけたこ とを批判され。考えを述べるのは自由ですが、圧力をかけるのは・・・) 

安倍晋三
国会討論から(意味不明の発言をじっくり堪能ください。)
志位(日本共産党)「他国の武力行使と一体でない後方支援ならば武力の行使とみなされない」 という国際法上の概念が存在するのか否か、端的にお答えください。国際法上の概念です。
安倍晋三(首相)「一体化」論についてはですね、これは、国際法上の観点から議論しているこ とではなくて、憲法との関係において概念を整理したものであります。それはもう、委員長も ご承知のとおりでありまして、憲法の、いわば禁止する武力の行使に当たらないという、いわ ば後方支援、一体化しない後方支援というものを憲法との関係の概念で申し上げているわけで ありまして、国際法との関係ではないわけであります。
志位「いま、総理は、国際法上の概念ではないという答弁をおっしゃいました。さらに明確に聞 いていきたいと思います。」
志位「武力行使との一体化」論こそ、世界で通用しない議論ではないか

首相 (答弁できず)兵 站は安全な場所を選んでおこなう

志位 兵站は軍事攻撃の格好の標的、自衛隊が兵站をやって いる場所が戦場となる
志位「この問題で、政府は、明確な答弁をしております。
 たとえば、1999年2月の衆議院外務委員会で、当時の外務省・東郷(和彦)条約局長は、 次のような答弁をしております。
 「武力行使との一体化、これは、我が国がみずから直接武力行使をしていないとしても、個々の具体的状況によっては我が国も武力行使をしたとの法的評価を受ける場合があり得るとする考え方でございますが、自衛のための必要最小限の範囲を超える武力の行使を禁じている日本国憲法との関係で用いられている概念でございます。
 したがいまして、国際法上はこのような武力行使との一体化という確立した概念が存在するわけではございません…、…武力行使との一体化の英訳についても確定したものがあるわけではないわけでございます」
  国際法上は、概念そのものが存在しない、英訳すら確定したものがない(と言っている)。 総理は、私に対して、「世界で通用しないといったご指摘は当たらない」と答弁されたんです ね。しかし、「武力行使と一体でない後方支援」という議論こそ、世界で通用しない議論では ありませんか(「そうだ」の声)。いかがですか。世界で通用しないとお認めください。(拍 手)
安倍「先ほどですね、私はまさに、国際法上の概念ではなくて、憲法との関係で一体化しないと いう話について申し上げたわけでありますから、東郷局長もその考え方と同じ答弁をされてい るわけでございます。
  そこで、志位委員長とですね、私は、この世界の常識等々について議論したということは、 必ず兵站は狙われるという議論のなかにおいて、必ず、いわば戦闘に巻き込まれるという議論 の中において、質問があったわけでございますから、私はそうではなくてですね、兵站という のは極めて重要であり、いわば兵站においていろんな物資を届けるわけでありますから、そこ がもちろん脆弱(ぜいじゃく)性があるわけでありまして、だからこそ安全な場所を選んで、 そしてその届ける物資が奪われてしまってはですね、まさにこれは大変なことになるわけであ りますから、だからこそ、われわれはそうはならない場所を選んで後方支援をしていくという ことについてお話をさせていただいたわけでございます。
志位「兵站は安全な場所を選んで行うとおっしゃいましたけれども、兵站は軍事攻撃の格好の標 的になる。軍事の常識です。そして、自衛隊が兵站をやっている場所が戦場になるんですよ。
  私が聞いた質問にお答えになっていない。「一体化」論というのは、世界で通用しない議論 だとお認めください。いかがですか。」
安倍首相「つまりこの、この、「一体化」論というのはですね、これはもう従来から答弁をして いるように、憲法との関係において「一体化」論をわれわれはとっているということは申し上 げているとおりでありまして、これは国際法上、それが「一体化」論というのが通るというこ とを私が申し上げたことは一回もないわけでございます。
  その中においてですね、その中において、このいわば後方支援をどのように実施をするかと いうことについて、これは必ず戦闘に巻き込まれるわけではない、必ず戦争に巻き込まれると いうご議論がございましたから、そうではなくて、われわれは、むしろ、こうした物資を届け る場所、大切な業務ではありますが、大切な物資を届けるからこそですね、安全な場所で相手 方に渡す、これがいまや私は常識ではないかと、このように申し上げたわけでございます。」
志位「国際法上は(「武力行使と一体でない後方支援」という)概念そのものがないということ について、総理は否定できませんでした。これは、世界で通用しない議論なんです。」
志位「世界のどこにも通用しない議論を盾に、憲法違反でないと詭弁を言い募ることは断じて許 されない。」
志位「総理の諮問機関である安保法制懇に参加したただ一人の憲法学者である西修氏は、「武力 行使との一体化」論について、「不明確性、非現実性、非論理性、非国際性、無責任性という 5点において、基本的な問題がある」と批判し、先の外務省の答弁を引用して「政府自身が国 際的には説明できないと告白している」と指摘しております。
  自衛隊の活動地域を世界的規模に拡大し、地球の裏側までの派兵を可能にしながら、「武力 行使と一体化しない」などという世界のどこにも通用しない議論を盾に、自衛隊が行う「後方 支援」はあくまで武力の行使に当たらない、憲法違反ではないなどという詭弁(きべん)を言 い募ることは断じて許されるものではありません。
  憲法9条に違反する戦争法案を即時廃案にすることを強く求めて終わります。(大きな拍  手)」

櫻井・参院議員(民主党)「追加緩和の影響で円安が進行している。円安はアベノミクスの副作 用だ。」
安倍首相「日銀の追加緩和は概ね良い。株が上がれば、資産効果で株を持っていない人にも経済 効果がある。」(私には、ありませんでした。)
櫻井・参院議員「十数ヶ月も連続して実質賃金が低下している。」
安倍首相「だんだん物価上昇に賃金が追い付いてきている。」
 (残念ながら、賃金は追い付かず、実質的には低下しました。)