今回の参院選挙については、まだこれから分析し、明らかにしなければならない点がある。
ただ今日、言いたいことはただ一つである。
それは有権者が近い将来自分たちが自民・公明に投票したことを後悔する日が来ないことをただただ願うのみだということである。
安部首相は、選挙前にはアベノミクスが選挙の争点だといっていった。しかし、選挙によって3分の2あるいはそれに近い議席を得られそうになったとたんに、前文から含めて憲法を変えたいといいだしている。もちろん、世論上は反対派が多数派である。
前回の選挙のときもそうだったが、この政権は政権の名前にあたいしない。そもそも選挙は、政策を問うものであり、政策によって有権者から選んでもらうものである。ところが、例えばTPPに反対するといっておきながら、選挙が終わると、いつかまにか積極的に推進するという。これなどは、悪質な犯罪行為に等しい。ちょっと前に桝添氏が都知事を辞職せざるをえなくなったが、彼の場合は「せこい」の一言で特徴づけられるようなことであるが、安部政権は不誠実であり、政治家としてはいっそう悪質である。
もう一つ言いたいのは、安部政権は、前回同様、今度の選挙でも決して有権者のあっとうてき支援を得ているわけではない。ただ小選挙区制という--私の意見では違憲のーー選挙制度のおかげで多数票を得ているに過ぎない。
2016年7月11日月曜日
2016年7月6日水曜日
アベノミクスは本当の目的(戦争立法、改憲、戦争出来る国、武器輸出など)を隠す「隠れ蓑」に過ぎない!
来月、左眼の手術を受けることになり、近くの眼科医院に検査にいってきました。
「わずか10分ほどで終了し、痛みもなくなく、何も心配いりません」と言われましたが、出来れば手術は受けたくないものです。
さて、7月10日の参院選が直前にせまりましたが、当方は、4月に新潟市から神奈川県の横須賀市に移転したので、不在者投票をすることになり、昨日、済ませました。今回は、選挙区の投票では野党が統一候補をたてましたので、迷うことなく投票することができました。もちろん、反安部(=反自民・公明の野合政権)の立場の人にです。
投票日を前に本ブログでも一言いっておきたいことがあり、更新することにしました。
簡単に言えば、言いたいことは一点のみ。鳴り物入りで始められた「アベノミクス」なるものは、安部個人および安部政権の目的(解釈改憲、戦争立法などにより戦争ができ、武器輸出できる国にすること)を隠すための隠れ蓑に過ぎないということです。
これまで(昨年11月まで)も「アベノミクス」については、何度もその欺瞞性について書いてきたので、ここで改めって全面的に問題とすることはしませんが、2、3の点に触れておきたいと思います。
1 円安で輸出量はまったくふえていない。
日本のマスメディアは、何かあると、円安によって日本の輸出が増え、景気が回復するという「シナリオ」を垂れ流してきましたが、事実はまったくことなります。
驚く人が多いかもしれませんが、2012年から現在まで日本の輸出量(物価変動を考慮した輸出額の実質値)はほとんどまったく増えていません。自動車にいったっては、輸出台数は減ってさえいます。一方、輸入量(同実質値)は増えていますので、貿易収支(同実質値)は拡大してきました。今日は、都合により、グラフを省きますが、嘘だと思う人は、日本銀行のホームページや日本自動車工業会『自動車統計月報』などをみてください。(これについては、仙台経済学研究会編『経済学の座標軸』2016年、社会評論社270~271ページを参照。)このような推移の理由は、後日詳しく説明することとして、今は省略します。
しかも、注目されることに、円安による企業倒産が2013年から増加しているという事実があります(帝国データバンクのデータ。前掲書273ページも参照)。
理由ははっきりしています。円安はドル高であり、輸入品の価格が上昇したからです。しかし、安部・黒田氏の金融緩和政策でも、力の弱い企業はこの価格上昇を販売価格の上昇として転嫁することができません。本当の(国内)インフレとは、このような価格上昇を許容する性質のものですが、それはできないしくみになっているわけです。
もう一つ補足すると、安部・黒田は異次元の金融緩和が2パーセントほどの物価上昇をもたらし、景気をよくするといいましたが、輸入インフレの場合は決してそうはなりません。
それは1970年代の石油危機と狂乱物価を経験したシニア世代なら実感的に理解できるはずです。(もちろん、経験していない人も理論的に理解可能です。)
輸入インフレとは、外国人に有利な所得分配が行われるということです。要するに、物価上昇分だけ外国人の所得取り分が増えます。その分を日本人は外に支払わなければなりません。もちろん、それだけ日本人は可処分所得を減らします。そしてそれは(それ自体としては)景気を悪化させる効果を持ちます。わかりやすい例で言えば、(例えば)ガソリン価格が100円から150円に上がり、月々5000円の支出が7500円になったとき、人は2500円分の支出増加をなんとか工面しなければなりません。多くの人は支出を減らそうとするでしょう。それは国内需要を縮小するように働きます。もちろん、安部・黒田氏もこれくらいの経済学的知識は持っているでしょう。しかし、彼らは口がさけてもそれを公言することができません。
ともあれ、1970年代に高インフレと不景気が同時に生じたのは、現実世界の経済学では簡単に理解できるのです。しくみは今も同じであり、ただ混乱の水準が異なるだけです。
2 実質賃金は低下した
NHKをはじめとするマスメディアが必死に垂れ流している情報があります。それは賃金率が上昇したというものです。しかし、残念ながら、財務省の法人企業統計でも、厚生労働省の毎月勤労統計調査でも、実質賃金率は低下しています。確かに名目賃金率は若干上昇したかもしれません。しかし、それから消費者物価上昇率を引いた実質賃金率は低下しています。(こちらも今日はグラフを省略します。)
ちょっとした計算でも、このことはわかるはずです。第二次安部政権が発足したのちの「春闘」(といえるようなものかしら?)で、2000円のベスアップ実現などと喧伝されましたが、かりに平均賃金が500万円(年)、つまり40万円(月)で物価上昇率が2パンセントなら8000円(月)のベースアップがないと追いつかないはず。もちろん個人ベースでは一歳あたりの賃金差が4000円なら、合わせて6000円となるはず。しかし、それでも国民一人あたりの実質賃金はダウンです。けっしてアベノミクスの成果です、などと褒められた数値ではありません。
ちなみに、この間も企業の内部留保は着実に増えました。(法人企業統計に載っています。)しかし、1パーセント(富裕者)の富が増えても99パーセントの所得が増えるトリクルダウンは生じてきません。格差は拡大しただけです。2年たっても、3年たっても同じこと、待つだけ無駄です。
浜矩子さんなどが「アホノミクス」の破綻したことをきちんと述べているように、多くの良心的な経済学者はその欺瞞性を明らかにしてきまたが、それでも騙されつづける有権者は多いようです。安部・黒田のアベノミクス、自公政権、マスメディアのトライアングルの支配から日本が解き放たれるのはいったい何時なのでしょうか?
「わずか10分ほどで終了し、痛みもなくなく、何も心配いりません」と言われましたが、出来れば手術は受けたくないものです。
さて、7月10日の参院選が直前にせまりましたが、当方は、4月に新潟市から神奈川県の横須賀市に移転したので、不在者投票をすることになり、昨日、済ませました。今回は、選挙区の投票では野党が統一候補をたてましたので、迷うことなく投票することができました。もちろん、反安部(=反自民・公明の野合政権)の立場の人にです。
投票日を前に本ブログでも一言いっておきたいことがあり、更新することにしました。
簡単に言えば、言いたいことは一点のみ。鳴り物入りで始められた「アベノミクス」なるものは、安部個人および安部政権の目的(解釈改憲、戦争立法などにより戦争ができ、武器輸出できる国にすること)を隠すための隠れ蓑に過ぎないということです。
これまで(昨年11月まで)も「アベノミクス」については、何度もその欺瞞性について書いてきたので、ここで改めって全面的に問題とすることはしませんが、2、3の点に触れておきたいと思います。
1 円安で輸出量はまったくふえていない。
日本のマスメディアは、何かあると、円安によって日本の輸出が増え、景気が回復するという「シナリオ」を垂れ流してきましたが、事実はまったくことなります。
驚く人が多いかもしれませんが、2012年から現在まで日本の輸出量(物価変動を考慮した輸出額の実質値)はほとんどまったく増えていません。自動車にいったっては、輸出台数は減ってさえいます。一方、輸入量(同実質値)は増えていますので、貿易収支(同実質値)は拡大してきました。今日は、都合により、グラフを省きますが、嘘だと思う人は、日本銀行のホームページや日本自動車工業会『自動車統計月報』などをみてください。(これについては、仙台経済学研究会編『経済学の座標軸』2016年、社会評論社270~271ページを参照。)このような推移の理由は、後日詳しく説明することとして、今は省略します。
しかも、注目されることに、円安による企業倒産が2013年から増加しているという事実があります(帝国データバンクのデータ。前掲書273ページも参照)。
理由ははっきりしています。円安はドル高であり、輸入品の価格が上昇したからです。しかし、安部・黒田氏の金融緩和政策でも、力の弱い企業はこの価格上昇を販売価格の上昇として転嫁することができません。本当の(国内)インフレとは、このような価格上昇を許容する性質のものですが、それはできないしくみになっているわけです。
もう一つ補足すると、安部・黒田は異次元の金融緩和が2パーセントほどの物価上昇をもたらし、景気をよくするといいましたが、輸入インフレの場合は決してそうはなりません。
それは1970年代の石油危機と狂乱物価を経験したシニア世代なら実感的に理解できるはずです。(もちろん、経験していない人も理論的に理解可能です。)
輸入インフレとは、外国人に有利な所得分配が行われるということです。要するに、物価上昇分だけ外国人の所得取り分が増えます。その分を日本人は外に支払わなければなりません。もちろん、それだけ日本人は可処分所得を減らします。そしてそれは(それ自体としては)景気を悪化させる効果を持ちます。わかりやすい例で言えば、(例えば)ガソリン価格が100円から150円に上がり、月々5000円の支出が7500円になったとき、人は2500円分の支出増加をなんとか工面しなければなりません。多くの人は支出を減らそうとするでしょう。それは国内需要を縮小するように働きます。もちろん、安部・黒田氏もこれくらいの経済学的知識は持っているでしょう。しかし、彼らは口がさけてもそれを公言することができません。
ともあれ、1970年代に高インフレと不景気が同時に生じたのは、現実世界の経済学では簡単に理解できるのです。しくみは今も同じであり、ただ混乱の水準が異なるだけです。
2 実質賃金は低下した
NHKをはじめとするマスメディアが必死に垂れ流している情報があります。それは賃金率が上昇したというものです。しかし、残念ながら、財務省の法人企業統計でも、厚生労働省の毎月勤労統計調査でも、実質賃金率は低下しています。確かに名目賃金率は若干上昇したかもしれません。しかし、それから消費者物価上昇率を引いた実質賃金率は低下しています。(こちらも今日はグラフを省略します。)
ちょっとした計算でも、このことはわかるはずです。第二次安部政権が発足したのちの「春闘」(といえるようなものかしら?)で、2000円のベスアップ実現などと喧伝されましたが、かりに平均賃金が500万円(年)、つまり40万円(月)で物価上昇率が2パンセントなら8000円(月)のベースアップがないと追いつかないはず。もちろん個人ベースでは一歳あたりの賃金差が4000円なら、合わせて6000円となるはず。しかし、それでも国民一人あたりの実質賃金はダウンです。けっしてアベノミクスの成果です、などと褒められた数値ではありません。
ちなみに、この間も企業の内部留保は着実に増えました。(法人企業統計に載っています。)しかし、1パーセント(富裕者)の富が増えても99パーセントの所得が増えるトリクルダウンは生じてきません。格差は拡大しただけです。2年たっても、3年たっても同じこと、待つだけ無駄です。
浜矩子さんなどが「アホノミクス」の破綻したことをきちんと述べているように、多くの良心的な経済学者はその欺瞞性を明らかにしてきまたが、それでも騙されつづける有権者は多いようです。安部・黒田のアベノミクス、自公政権、マスメディアのトライアングルの支配から日本が解き放たれるのはいったい何時なのでしょうか?
2016年6月28日火曜日
連合王国(イギリス)のEU離脱を考える(2)
昨日から今日にかけて私の身のまわりで小さなできごとがいくつかありました。
その一つ。亡くなった義母が家の庭に放置してあったサボテンを、今春、私が大きめのポットに植え替え、土を替え、毎日水やりをしていたところ、すくすくと成長しはじめ、3日ほど前からきれいな黄色い花をつけ始めました。ところが、昨日の朝、見るとポットごとなくなっていました。
二つ目は、私の眼のこと、三つ目は老齢年金のことですが、こちらは省略します。一言だけ書くと、私も高齢化し、あちこち故障が出てきたと実感せずにはいられません。
さて、イギリスのEU離脱ですが、次に進む前に、前回の補足を一言。誤解されないようにもう一度繰り返すと、私にとっても今回の国民投票の結果はとても残念です。しかし、すべての事象には様々な原因があります。仏教でも、「法界縁起」(dependent-rising)と言う通り、すべての事象はすべての事象と関連しると理解されています。
といっても、説明したことにならないので、重要な点だけを指摘すると、まず前回の話は、EU地域統合が多くの人々にとっては、自分たちの職と所得を損なうものと感じられていたという形に要約できるでしょうか。巨大企業の活動から利益を得る1パーセントの人々にとってはともかく、多くの人にとってはそれらの利益が自分たちの職と所得を犠牲にして得られたものと考えられているという事実が重要です。要するに<1パーセントと99パーセント>の対立。ちなみにマスメディア人は、1パーセントと利益を一にしているといったら言い過ぎでしょうか?
第二に、日本のマスコミの場合に特に感じるのですが、人は2008年以降のEU債務危機を忘れているように思えてなりません。イギリスを中心とする多くの経済学者が指摘するように、分断はEU内部で、しかも国境を越えて生じています。これについては、これまでも指摘したことがあるので、ここでは簡単に記しておきます。
そもそもなぜあの深刻なEU債務危機は生じたのでしょうか? ギリシャ人やポルトガル人、イタリア人がなまけものだから? これは世界中のマスメディアが垂れ流した説ですが、謬論です。この意見には、働き者でまじめなドイツ人が怠け者のギリシャ人などの生み出した財政赤字を補填してあげる必要などないというおまけまでついています。
真相はそうではありません。むしろ働き者でまじめなドイツが金融危機の種をばらまいたというしかありません。まずドイツの金融は周辺国に大量の資金を散布しました。その時の謳い文句は、<通貨統合によって為替リスクはなくなった>、<市場統合は効率的な大規模経済を生み出した>、<周辺国も低金利という経済成長のための有力な手段を得た>などなど。そして周辺国(主に企業や住宅を購入する個人など)はその資金を大量に借りました。その金はどのように使われたでしょうか? ドイツからの輸入です。しかも、ドイツの輸出企業は(単一通貨という固定相場制の下で)いっそう輸出を促進するために、賃金の抑制をはかり、「単位労働費用」を抑えました。これがどのようなマクロ的効果を生み出すかは、経済学をかじったことのある人には明らかです。その効果とは、内需抑制と輸出志向型の成長戦略です。(ちなみに、日本も1997年以降、同じような罠にはまりこんでしまい、賃金圧縮→デフレ→国内市場の縮小→輸出拡大待望論という連鎖が人々のマインドになっています。安部・黒田氏が「デフレマインドからの脱却」といっても定着しているので、そう簡単に脱却できません。)ヨーロッパは、イギリスも含めて、金融資産バブルにはまりこみました。しかし、すべてのバブルはいつかはじけます。そして実際はじけました。きっかけは2006年にはじまる米国の金融不安の進展です。
ここで一つ補足のための余談。何年か前に大学の市民講座で、EU債務危機を取り上げ、上で述べた金融危機のメカニズムに触れたところ、後の質問時間に、低賃金のギリシャと高賃金のドイツが同じ土俵で競争したら、ドイツ企業が敗れるのではないかという若いサラリーマン(ビジネスマン?)風の人から質問がありました。まあ教科書経済学ではそうなるのかもしれません。しかし、現実はそうではありません。どうしてかというと、技術水準があまりにことなるからです。決してギリシャ人をあなどっているわけではありませんが、ドイツ人の生産するような高度な機械類を現在のギリシャが生産できるわけではありません。たしかに現在ではマニュアルと機械、部品などがあれば、ボーイング社の飛行機のようなものはどこでも生産できるでしょう。しかし、それはそのような条件が整えばの話です。
ということで、短期間でギリシャが技術水準(労働生産性)のレベルでドイツに追いついたわけではなく、ドイツ企業の「単位労働費用」抑制戦略のために、ドイツと周辺国の輸出競争力は縮小するどころか、むしろ拡大してゆきました。
さて、その際、EUが単一通貨を導入していなければ、あるいは導入したとしても、それがかつてケインズが唱えたような世界通貨(決済通貨)であれば、為替調整が行われるので、ドイツの物価(賃金)が抑制され、周辺国の物価(賃金)が上がれば、不均衡が生じても、最終的には為替調整が生じ、均衡を是正することになるでしょう。これは実際、戦後イギリス(ポンド危機)やフランス(フラン危機)が、そして1970年代に米国(ドル危機)が経験したことです。
しかしながら、単一通貨の下では、為替調整はありえません。そして現実に生じたのは債務危機です。
しかも、この債務危機に際して、最終的にそれを抑える役割を負っているのは各国財政です。
ここで、EUのしくみが大きな問題となってきます。ここでは2点だけあげておきましょう。
第一に、ECB(欧州中央銀行)は、本来的には欧州全体の中央銀行であり、したがって「銀行の銀行」として機能するという役割があり、本来は、量的緩和(不良債権の購入など)によって金融危機をおさめることは反則です。実際にはこの反則行為を通じて何とかECBはEU債務危機をおさめようとしてきましたが、それが違法行為であることに変わりはありません。
第二に、本来、各国の債務危機は各国の政府・財政にまかせられることになります。ここで重要な点は、欧州政府といったものが存在しないことです。あまり適切な例ではないかもしれませんが、日本政府と、3.11地震で被災した東北3県の例をかんがてみます。もし日本政府が被災し財政危機におちいった東北3県に対して自力更生せよという態度を取ったら、どうなるでしょうか? 収入が減り、支出の増えた自治体は債務危機に陥り、増税と緊縮(支出カット)をせざるを得なくなるでしょう。もちろん、日本には統一政府があり、そのようなことにはなりません。しかし、ヨーロッパはまさくしくそのような状態です。増税と緊縮。これがその国の国民経済にどのような苦悩を与えるか、私などは想像するだけで身震いするほどです。
という次第で、現在、協働と連帯の「一つのヨーロッパ」が存在するわけでは決してありません。もしそのように考えている人がいるとしたら、それは幻想です。むしろ現在ほどヨーロッパが分断されている時はないと、私などは考えます。(ちなみに、ここではいちいちヨーロッパの経済学者の名前はあげませんが、ここで述べているのは私だけの考え方というわけではありません。後日、そのうちの何人かについては触れることになるかと思います。)
それでは、ヨーロッパはどこに向かうべきなのでしょうか? 前に進むには、一つのヨーロッパを建設するためのビジョンと現実的な手段が必要ですが、現実の分断状態を考えると難しいといわざるをえません。しかし、かといってEUや単一の解体は簡単ではありません。それは激しい痛みを伴うでしょう。この点では、単一通貨に参加しなかったイギリスは幸いだったというべきかもしれません。EUを離脱しても、ポンド通貨を新たにつくることは必要なく、また鎖国体制を建設するわけではありません。現在ではどこでも関税率はきわめて低く、貿易を阻害する要因としてはあまり機能していません。 (続く)
その一つ。亡くなった義母が家の庭に放置してあったサボテンを、今春、私が大きめのポットに植え替え、土を替え、毎日水やりをしていたところ、すくすくと成長しはじめ、3日ほど前からきれいな黄色い花をつけ始めました。ところが、昨日の朝、見るとポットごとなくなっていました。
二つ目は、私の眼のこと、三つ目は老齢年金のことですが、こちらは省略します。一言だけ書くと、私も高齢化し、あちこち故障が出てきたと実感せずにはいられません。
さて、イギリスのEU離脱ですが、次に進む前に、前回の補足を一言。誤解されないようにもう一度繰り返すと、私にとっても今回の国民投票の結果はとても残念です。しかし、すべての事象には様々な原因があります。仏教でも、「法界縁起」(dependent-rising)と言う通り、すべての事象はすべての事象と関連しると理解されています。
といっても、説明したことにならないので、重要な点だけを指摘すると、まず前回の話は、EU地域統合が多くの人々にとっては、自分たちの職と所得を損なうものと感じられていたという形に要約できるでしょうか。巨大企業の活動から利益を得る1パーセントの人々にとってはともかく、多くの人にとってはそれらの利益が自分たちの職と所得を犠牲にして得られたものと考えられているという事実が重要です。要するに<1パーセントと99パーセント>の対立。ちなみにマスメディア人は、1パーセントと利益を一にしているといったら言い過ぎでしょうか?
第二に、日本のマスコミの場合に特に感じるのですが、人は2008年以降のEU債務危機を忘れているように思えてなりません。イギリスを中心とする多くの経済学者が指摘するように、分断はEU内部で、しかも国境を越えて生じています。これについては、これまでも指摘したことがあるので、ここでは簡単に記しておきます。
そもそもなぜあの深刻なEU債務危機は生じたのでしょうか? ギリシャ人やポルトガル人、イタリア人がなまけものだから? これは世界中のマスメディアが垂れ流した説ですが、謬論です。この意見には、働き者でまじめなドイツ人が怠け者のギリシャ人などの生み出した財政赤字を補填してあげる必要などないというおまけまでついています。
真相はそうではありません。むしろ働き者でまじめなドイツが金融危機の種をばらまいたというしかありません。まずドイツの金融は周辺国に大量の資金を散布しました。その時の謳い文句は、<通貨統合によって為替リスクはなくなった>、<市場統合は効率的な大規模経済を生み出した>、<周辺国も低金利という経済成長のための有力な手段を得た>などなど。そして周辺国(主に企業や住宅を購入する個人など)はその資金を大量に借りました。その金はどのように使われたでしょうか? ドイツからの輸入です。しかも、ドイツの輸出企業は(単一通貨という固定相場制の下で)いっそう輸出を促進するために、賃金の抑制をはかり、「単位労働費用」を抑えました。これがどのようなマクロ的効果を生み出すかは、経済学をかじったことのある人には明らかです。その効果とは、内需抑制と輸出志向型の成長戦略です。(ちなみに、日本も1997年以降、同じような罠にはまりこんでしまい、賃金圧縮→デフレ→国内市場の縮小→輸出拡大待望論という連鎖が人々のマインドになっています。安部・黒田氏が「デフレマインドからの脱却」といっても定着しているので、そう簡単に脱却できません。)ヨーロッパは、イギリスも含めて、金融資産バブルにはまりこみました。しかし、すべてのバブルはいつかはじけます。そして実際はじけました。きっかけは2006年にはじまる米国の金融不安の進展です。
ここで一つ補足のための余談。何年か前に大学の市民講座で、EU債務危機を取り上げ、上で述べた金融危機のメカニズムに触れたところ、後の質問時間に、低賃金のギリシャと高賃金のドイツが同じ土俵で競争したら、ドイツ企業が敗れるのではないかという若いサラリーマン(ビジネスマン?)風の人から質問がありました。まあ教科書経済学ではそうなるのかもしれません。しかし、現実はそうではありません。どうしてかというと、技術水準があまりにことなるからです。決してギリシャ人をあなどっているわけではありませんが、ドイツ人の生産するような高度な機械類を現在のギリシャが生産できるわけではありません。たしかに現在ではマニュアルと機械、部品などがあれば、ボーイング社の飛行機のようなものはどこでも生産できるでしょう。しかし、それはそのような条件が整えばの話です。
ということで、短期間でギリシャが技術水準(労働生産性)のレベルでドイツに追いついたわけではなく、ドイツ企業の「単位労働費用」抑制戦略のために、ドイツと周辺国の輸出競争力は縮小するどころか、むしろ拡大してゆきました。
さて、その際、EUが単一通貨を導入していなければ、あるいは導入したとしても、それがかつてケインズが唱えたような世界通貨(決済通貨)であれば、為替調整が行われるので、ドイツの物価(賃金)が抑制され、周辺国の物価(賃金)が上がれば、不均衡が生じても、最終的には為替調整が生じ、均衡を是正することになるでしょう。これは実際、戦後イギリス(ポンド危機)やフランス(フラン危機)が、そして1970年代に米国(ドル危機)が経験したことです。
しかしながら、単一通貨の下では、為替調整はありえません。そして現実に生じたのは債務危機です。
しかも、この債務危機に際して、最終的にそれを抑える役割を負っているのは各国財政です。
ここで、EUのしくみが大きな問題となってきます。ここでは2点だけあげておきましょう。
第一に、ECB(欧州中央銀行)は、本来的には欧州全体の中央銀行であり、したがって「銀行の銀行」として機能するという役割があり、本来は、量的緩和(不良債権の購入など)によって金融危機をおさめることは反則です。実際にはこの反則行為を通じて何とかECBはEU債務危機をおさめようとしてきましたが、それが違法行為であることに変わりはありません。
第二に、本来、各国の債務危機は各国の政府・財政にまかせられることになります。ここで重要な点は、欧州政府といったものが存在しないことです。あまり適切な例ではないかもしれませんが、日本政府と、3.11地震で被災した東北3県の例をかんがてみます。もし日本政府が被災し財政危機におちいった東北3県に対して自力更生せよという態度を取ったら、どうなるでしょうか? 収入が減り、支出の増えた自治体は債務危機に陥り、増税と緊縮(支出カット)をせざるを得なくなるでしょう。もちろん、日本には統一政府があり、そのようなことにはなりません。しかし、ヨーロッパはまさくしくそのような状態です。増税と緊縮。これがその国の国民経済にどのような苦悩を与えるか、私などは想像するだけで身震いするほどです。
という次第で、現在、協働と連帯の「一つのヨーロッパ」が存在するわけでは決してありません。もしそのように考えている人がいるとしたら、それは幻想です。むしろ現在ほどヨーロッパが分断されている時はないと、私などは考えます。(ちなみに、ここではいちいちヨーロッパの経済学者の名前はあげませんが、ここで述べているのは私だけの考え方というわけではありません。後日、そのうちの何人かについては触れることになるかと思います。)
それでは、ヨーロッパはどこに向かうべきなのでしょうか? 前に進むには、一つのヨーロッパを建設するためのビジョンと現実的な手段が必要ですが、現実の分断状態を考えると難しいといわざるをえません。しかし、かといってEUや単一の解体は簡単ではありません。それは激しい痛みを伴うでしょう。この点では、単一通貨に参加しなかったイギリスは幸いだったというべきかもしれません。EUを離脱しても、ポンド通貨を新たにつくることは必要なく、また鎖国体制を建設するわけではありません。現在ではどこでも関税率はきわめて低く、貿易を阻害する要因としてはあまり機能していません。 (続く)
2016年6月26日日曜日
連合王国(イギリス)のEU離脱を考える(1)
昨年の11月にブログを更新してからあっという間に半年あまりが過ぎてしまった。
この間、退職と移転を前に身のまわりを整理したり、引っ越しをしたり、体調をくずしたり、退職後にちょっとした国内旅行をしたり、しているうちに、(数えるとちょうど)7か月が過ぎている。
さて、先日はイギリスのEU残留・離脱を問う国民投票があり、また国内では7月10日の選挙をまじかにひかえ、マスコミも様々な視角から取り上げているので、私も、経済および経済学を研究しているものとして、それらについて若干の雑感じみたものを書いてみることとする。
まずは、イギリスのEU離脱について。
これについて、私の気持ちはアンビバレントである。一面で、イギリスがEUから離脱することは、いうまでもなく「一つのヨーロッパ」(one Europe, eine Europa)の理念からすれば、後退であろう。残念という気持ちがなくはない。しかし、他面では、それでよかったのではないかとも思う。残念ながら、日本のマスコミ(というよりテレビ報道)では、ほとんどまったく取り上げられていないが、現代のEUには様々な問題が存在する。あるドイツの経済学者の述べるように、「一つのヨーロッパ」などもともと存在せず、実際には、ばらばらに分断された国々があり、そして各国内には分断された人々がいるというべきであろう。欧州統合が先に進むためには、それらの問題を解決することが前提条件である。
というと、人々(特にヨーロッパの状況にそれほど詳しいわけではないが、ヨーロッパ旅行をしたことのある日本人など)の中には、EU内では国境が存在せず、ヒト・モノ・カネの移動が自由なのではないか、と考える人も多いかもしれない。確かに、その通りである。しかし、ヒト・モノ・カネの移動が自由ということは、決して人々が協働・連帯し、それに満足しているということではない。
よりわかりやすく説明するために、より具体的に述べるべきかもしれない。
これはイギリスのケンブリッジ大学で教えている韓国出身の経済学者(ハジュン・チャン氏)のあげている例だが、イギリスのタクシー運転手とエジプトのタクシー運転手の所得は著しくことなる。前者は後者より一けた多くを稼いでいるだろう。その理由は何か? 決してイギリスの運転手の労働生産性が高いからではない。むしろ逆でさえありうるだろう。つまりエジプトの運転手の方がより多くの客を、より長距離運んでいるかもしれない。格差の本当の理由は2つある。一つは、イギリスの製造業の労働生産性が著しく高いからであり、多くのサービス業従事者がその恩恵を受けているからである。もう一つの理由は言語や文化、国境の存在が人の自由な移動を妨げており、そのためエジプトの運転手は所得の高いイギリスに容易には移住できないからである。もちろん、このことはイギリスのタクシー運転手に限らない。開発途上国のサービス産業従事者は、国境(ヒト・モノ・カネの自由移動を制限する壁)によって所得の上昇を阻止されており、逆に先進国の側の人々は開発途上国並みの所得水準に低下することを阻止されている。先進国のサービス産業従事者は、ヒトの移動を制限する国境によって所得低下をまぬがれているのである。
さて、EUの内部には、イギリス・エジプトほどではないとしても、西側・北側の相対的に高所得の国・地域と東側・南側の相対的に低所得の国がある。この内部で労働力の移動が自由となった場合、何が生じるか(あるいは何が生じていると人々が考えるか)は、ほぼ自明である。そして、もし人が、低所得地域出身の労働者によって職と所得を侵されていると考えた場合、どのような態度をとるだろうか?
確かに、この場合、マクロ的に考えると、人口が増えるのだから、社会全体の総所得・総生産(GDPなど)が増え、購買力(有効需要)も拡大し、景気がよくなると考えることもできなくはない。しかし、ここで次の問題が生じる。
その一つは所得分配の問題である。本格的に経済学をかじった人なら必ず学ぶはずだが(もっとも米国流の主流派経済学では、なぜか教えない)、簡単に言うと、人びとの所得Yは賃金Wと利潤Rに分かれる(Y=W+R)。賃金は、普通の労働者が稼ぐ所得であり、利潤は会社(内部留保)、株主(配当)、経営陣(役員報酬)などの受け取る所得である。問題は、近年、どの国でも賃金が抑制され、その分、利潤が増える傾向にあることである。端的に言えば、99パーセントの人々(賃金所得者)の所得が抑制され、1パーセントの富裕層が大幅に増加している。
なぜか? 端的に言えば、この理由は利潤所得取得者の力が相対的に強くなったためというしかない。しばしば市場経済優先主義者は、多数の競争者からなる「自由市場」が公正に資源配分・所得配分を決めるという。アメリカで主流派の経済学を学んで帰った日本の経済学者もそのようなお題目を唱える。しかし、偉大な経済学者が明らかにしたように、実際にはそうではない。現実に存在するのは、何万人、何十万人もの従業員を雇用する巨大企業(big business)であり、その株主とトップ経営者が巨大な権力を持っている。これがガルブレイスの明らかにした「現代の産業国家」というものである。
たしかにヨーロッパ諸国が米国と異なって手厚い社会保障制度を有することは事実である。アングロサクソン系の自由市場経済(英米など)と大陸ヨーロッパの社会的経済が対比的に論じられる所以である。だが、このことは、私がすぐ上で述べたことと矛盾しない(専門の経済学者の中にも、この点を誤解している人がいるので、この点は特に強調したい)。イギリスでもフランスでもドイツでも(!)、利潤を優遇した賃金抑制は近年のはっきりした傾向である。1990年代以降のEU経済を見る場合、この点を無視して通ることはできない。1997年以降の日本では、平均賃金の下落(主に非正規雇用者の増加による)を経験してきているので、この点は容易に実感できるだろう。
実は、第二の問題もこの点に関連していると考えられる。しかし、この点については日を改めて触れることとしたい。 (続く)
この間、退職と移転を前に身のまわりを整理したり、引っ越しをしたり、体調をくずしたり、退職後にちょっとした国内旅行をしたり、しているうちに、(数えるとちょうど)7か月が過ぎている。
さて、先日はイギリスのEU残留・離脱を問う国民投票があり、また国内では7月10日の選挙をまじかにひかえ、マスコミも様々な視角から取り上げているので、私も、経済および経済学を研究しているものとして、それらについて若干の雑感じみたものを書いてみることとする。
まずは、イギリスのEU離脱について。
これについて、私の気持ちはアンビバレントである。一面で、イギリスがEUから離脱することは、いうまでもなく「一つのヨーロッパ」(one Europe, eine Europa)の理念からすれば、後退であろう。残念という気持ちがなくはない。しかし、他面では、それでよかったのではないかとも思う。残念ながら、日本のマスコミ(というよりテレビ報道)では、ほとんどまったく取り上げられていないが、現代のEUには様々な問題が存在する。あるドイツの経済学者の述べるように、「一つのヨーロッパ」などもともと存在せず、実際には、ばらばらに分断された国々があり、そして各国内には分断された人々がいるというべきであろう。欧州統合が先に進むためには、それらの問題を解決することが前提条件である。
というと、人々(特にヨーロッパの状況にそれほど詳しいわけではないが、ヨーロッパ旅行をしたことのある日本人など)の中には、EU内では国境が存在せず、ヒト・モノ・カネの移動が自由なのではないか、と考える人も多いかもしれない。確かに、その通りである。しかし、ヒト・モノ・カネの移動が自由ということは、決して人々が協働・連帯し、それに満足しているということではない。
よりわかりやすく説明するために、より具体的に述べるべきかもしれない。
これはイギリスのケンブリッジ大学で教えている韓国出身の経済学者(ハジュン・チャン氏)のあげている例だが、イギリスのタクシー運転手とエジプトのタクシー運転手の所得は著しくことなる。前者は後者より一けた多くを稼いでいるだろう。その理由は何か? 決してイギリスの運転手の労働生産性が高いからではない。むしろ逆でさえありうるだろう。つまりエジプトの運転手の方がより多くの客を、より長距離運んでいるかもしれない。格差の本当の理由は2つある。一つは、イギリスの製造業の労働生産性が著しく高いからであり、多くのサービス業従事者がその恩恵を受けているからである。もう一つの理由は言語や文化、国境の存在が人の自由な移動を妨げており、そのためエジプトの運転手は所得の高いイギリスに容易には移住できないからである。もちろん、このことはイギリスのタクシー運転手に限らない。開発途上国のサービス産業従事者は、国境(ヒト・モノ・カネの自由移動を制限する壁)によって所得の上昇を阻止されており、逆に先進国の側の人々は開発途上国並みの所得水準に低下することを阻止されている。先進国のサービス産業従事者は、ヒトの移動を制限する国境によって所得低下をまぬがれているのである。
さて、EUの内部には、イギリス・エジプトほどではないとしても、西側・北側の相対的に高所得の国・地域と東側・南側の相対的に低所得の国がある。この内部で労働力の移動が自由となった場合、何が生じるか(あるいは何が生じていると人々が考えるか)は、ほぼ自明である。そして、もし人が、低所得地域出身の労働者によって職と所得を侵されていると考えた場合、どのような態度をとるだろうか?
確かに、この場合、マクロ的に考えると、人口が増えるのだから、社会全体の総所得・総生産(GDPなど)が増え、購買力(有効需要)も拡大し、景気がよくなると考えることもできなくはない。しかし、ここで次の問題が生じる。
その一つは所得分配の問題である。本格的に経済学をかじった人なら必ず学ぶはずだが(もっとも米国流の主流派経済学では、なぜか教えない)、簡単に言うと、人びとの所得Yは賃金Wと利潤Rに分かれる(Y=W+R)。賃金は、普通の労働者が稼ぐ所得であり、利潤は会社(内部留保)、株主(配当)、経営陣(役員報酬)などの受け取る所得である。問題は、近年、どの国でも賃金が抑制され、その分、利潤が増える傾向にあることである。端的に言えば、99パーセントの人々(賃金所得者)の所得が抑制され、1パーセントの富裕層が大幅に増加している。
なぜか? 端的に言えば、この理由は利潤所得取得者の力が相対的に強くなったためというしかない。しばしば市場経済優先主義者は、多数の競争者からなる「自由市場」が公正に資源配分・所得配分を決めるという。アメリカで主流派の経済学を学んで帰った日本の経済学者もそのようなお題目を唱える。しかし、偉大な経済学者が明らかにしたように、実際にはそうではない。現実に存在するのは、何万人、何十万人もの従業員を雇用する巨大企業(big business)であり、その株主とトップ経営者が巨大な権力を持っている。これがガルブレイスの明らかにした「現代の産業国家」というものである。
たしかにヨーロッパ諸国が米国と異なって手厚い社会保障制度を有することは事実である。アングロサクソン系の自由市場経済(英米など)と大陸ヨーロッパの社会的経済が対比的に論じられる所以である。だが、このことは、私がすぐ上で述べたことと矛盾しない(専門の経済学者の中にも、この点を誤解している人がいるので、この点は特に強調したい)。イギリスでもフランスでもドイツでも(!)、利潤を優遇した賃金抑制は近年のはっきりした傾向である。1990年代以降のEU経済を見る場合、この点を無視して通ることはできない。1997年以降の日本では、平均賃金の下落(主に非正規雇用者の増加による)を経験してきているので、この点は容易に実感できるだろう。
実は、第二の問題もこの点に関連していると考えられる。しかし、この点については日を改めて触れることとしたい。 (続く)
2015年11月27日金曜日
インフレの理論とデフレの理論 2
インフレーションという現象が費用=所得と関係しており、また所得分配をめぐる紛争に関係しているならば、デフレーション(デフレ)のほうはどうであろうか?
もちろん、デフレも所得分配をめぐる紛争に関係していることを示す事実(facts)および証拠(evidence)は存在する。ただし、インフレが所得を増やそうとする各経済主体の行動に直接関係しており、比較的簡単に説明しやすいのに対して、デフレの場合は若干複雑である。
ここでは簡単のために外国を捨象した閉鎖経済(closed economy)を仮定する。また以下の説明は素描であり、さらに詳しい説明が必要となるだろう。
まず出発点として確認しなければならないのは、価格設定(pricing, price setting)を行なうのが消費を生産・販売する企業であることである。
この問題を考えるとき出発点となるのは、価格設定に関するこれまでの主要な企業調査が示すように、企業は「マークアップ方式という「目の子算」によって価格を設定するか、あるいは同業他社、とりわけプライス・リーダーの役割を果たしている大企業の価格を参考にしているという事実である。このようなプライス・リーダーは、基本的にマークアップ方式により価格設定を行なっている。ここで、マークアップ方式とは、ラフに言えば、所与の生産設備の下で期待される需要量=生産量の下で、どれだけの費用が必要かを大まかに(目の子算的に)計算し、製品単位あたりの費用を計算し、次にそれに共通費や利潤を実現するための一定の比率(マークアップ率)を乗じて価格(単価)を導く方法である。
ところで、通常、企業はこうして得られた価格を変えることを欲しない。何故ならば、1)もしより多くの利潤シェアーを期待して価格を引き上げたとき、ライバル社(競争相手)が価格を据え置けば、自社製品に対する需要が減少するおそれがある。経済理論では、しばしば価格の弾力性が説かれているが、企業者は、一定の価格引き上げによってどれほどの需要減少があるかをあらかじめ(ex ante)知ることができない。2)他方、価格を引き下げてライバル社から需要を奪おうとしても、ライバル社もまた対抗して価格を引き下げるかもしれない。ライバル社がどのように行動するかも事前に正確に知ることはできないが、いずれによせ、重要な点は、両者とも利潤を減らすこと(共倒れ)に終わる危険性が高いことである。この二つの危惧は、近年(1990年代)では、米国の経済学者 A. S. Blinder を中心とする経済学者の企業調査によっても確認されている。また欧州でも類似の調査が行なわれている。
ただし、これはあくまでも一般論であり、経済がブームにあるか、あるいはスランプであるとしても、それほどひどくない場合には、企業の価格設定は、近年のようにマイルドな物価上昇(上記の1のケース)を生みやすい。所得分配をめぐる紛争は、所得を増やそうとする直接的手段としての物価引き上げをもたらしやすいのである。しかしながら、1997年以降の日本のような(そしてつい現今の欧米諸国のような)かなり深刻なスランプの場合には、上記の2のケースが生じうる。もっとも、その際には、企業は単純にマークアップ率(利潤のための率)を引き下げることによって販売価格を引き下げるのではなく、賃金圧縮をはかる可能性が高い。
実際、2000年に日銀が実施した日本企業の価格設定行動に関する調査では、賃金圧縮を前提とした価格引き下げが行なわれたことが明らかにされている。また企業も(日銀の調査報告書も)価格引き下げが決して好ましくないことを認めている。
ここであえて詳しく説明するまでもなく、1997年頃から目に見える形で始まった賃金圧縮がまずは非正規雇用の拡大という形で実現されたことは様々な統計から明らかである。このことは、日本社会に様々な軋轢をもたらした。
ともあれ、こうした事実は、「デフレ」がまさに所得分配に関する紛争(コンフリクト)に関係していることを示している。
だが、こうした個別企業の経済行動が社会全体で期待された結果をもたらすか否かは別の問題である。むしろ、実際には、賃金圧縮は社会全体の賃金所得を圧縮し、その結果、購買力・有効需要が減少する傾向を導く可能性が高い。いわゆる世に言う「賃金デフレ」である。
最後にもう一言。以上のように「インフレ」と「デフレ」の背後に所得分配の問題が存在するとしたならば、それに影響を与えないような政策には意味がないことになる。「異次元の金融緩和」に効果がないことが明らかになった今、安倍政権(と、その経済顧問)および黒田氏は、企業家団体に直接政治的圧力をかけている。しかし、私には、そのような国家主義的方策が実を結ぶようには到底思えない。
もちろん、デフレも所得分配をめぐる紛争に関係していることを示す事実(facts)および証拠(evidence)は存在する。ただし、インフレが所得を増やそうとする各経済主体の行動に直接関係しており、比較的簡単に説明しやすいのに対して、デフレの場合は若干複雑である。
ここでは簡単のために外国を捨象した閉鎖経済(closed economy)を仮定する。また以下の説明は素描であり、さらに詳しい説明が必要となるだろう。
まず出発点として確認しなければならないのは、価格設定(pricing, price setting)を行なうのが消費を生産・販売する企業であることである。
この問題を考えるとき出発点となるのは、価格設定に関するこれまでの主要な企業調査が示すように、企業は「マークアップ方式という「目の子算」によって価格を設定するか、あるいは同業他社、とりわけプライス・リーダーの役割を果たしている大企業の価格を参考にしているという事実である。このようなプライス・リーダーは、基本的にマークアップ方式により価格設定を行なっている。ここで、マークアップ方式とは、ラフに言えば、所与の生産設備の下で期待される需要量=生産量の下で、どれだけの費用が必要かを大まかに(目の子算的に)計算し、製品単位あたりの費用を計算し、次にそれに共通費や利潤を実現するための一定の比率(マークアップ率)を乗じて価格(単価)を導く方法である。
ところで、通常、企業はこうして得られた価格を変えることを欲しない。何故ならば、1)もしより多くの利潤シェアーを期待して価格を引き上げたとき、ライバル社(競争相手)が価格を据え置けば、自社製品に対する需要が減少するおそれがある。経済理論では、しばしば価格の弾力性が説かれているが、企業者は、一定の価格引き上げによってどれほどの需要減少があるかをあらかじめ(ex ante)知ることができない。2)他方、価格を引き下げてライバル社から需要を奪おうとしても、ライバル社もまた対抗して価格を引き下げるかもしれない。ライバル社がどのように行動するかも事前に正確に知ることはできないが、いずれによせ、重要な点は、両者とも利潤を減らすこと(共倒れ)に終わる危険性が高いことである。この二つの危惧は、近年(1990年代)では、米国の経済学者 A. S. Blinder を中心とする経済学者の企業調査によっても確認されている。また欧州でも類似の調査が行なわれている。
ただし、これはあくまでも一般論であり、経済がブームにあるか、あるいはスランプであるとしても、それほどひどくない場合には、企業の価格設定は、近年のようにマイルドな物価上昇(上記の1のケース)を生みやすい。所得分配をめぐる紛争は、所得を増やそうとする直接的手段としての物価引き上げをもたらしやすいのである。しかしながら、1997年以降の日本のような(そしてつい現今の欧米諸国のような)かなり深刻なスランプの場合には、上記の2のケースが生じうる。もっとも、その際には、企業は単純にマークアップ率(利潤のための率)を引き下げることによって販売価格を引き下げるのではなく、賃金圧縮をはかる可能性が高い。
実際、2000年に日銀が実施した日本企業の価格設定行動に関する調査では、賃金圧縮を前提とした価格引き下げが行なわれたことが明らかにされている。また企業も(日銀の調査報告書も)価格引き下げが決して好ましくないことを認めている。
ここであえて詳しく説明するまでもなく、1997年頃から目に見える形で始まった賃金圧縮がまずは非正規雇用の拡大という形で実現されたことは様々な統計から明らかである。このことは、日本社会に様々な軋轢をもたらした。
ともあれ、こうした事実は、「デフレ」がまさに所得分配に関する紛争(コンフリクト)に関係していることを示している。
だが、こうした個別企業の経済行動が社会全体で期待された結果をもたらすか否かは別の問題である。むしろ、実際には、賃金圧縮は社会全体の賃金所得を圧縮し、その結果、購買力・有効需要が減少する傾向を導く可能性が高い。いわゆる世に言う「賃金デフレ」である。
最後にもう一言。以上のように「インフレ」と「デフレ」の背後に所得分配の問題が存在するとしたならば、それに影響を与えないような政策には意味がないことになる。「異次元の金融緩和」に効果がないことが明らかになった今、安倍政権(と、その経済顧問)および黒田氏は、企業家団体に直接政治的圧力をかけている。しかし、私には、そのような国家主義的方策が実を結ぶようには到底思えない。
インフレの理論とデフレの理論 1
その昔、インフレーションが大きな問題だったとき(特に1970年代)には、インフレが何故生じるのかが、経済理論上の大きな論点をなしていた。
思いつくままに、その当時唱えられた「理論」を並べてみると、
<デマンド・プル論>
<コスト・プッシュ論>
<貨幣数量説>
などがあった。しかし、これらはすべて説明理論として失格である。何故か?
<デマンド・プル論>
これは需要側にインフレ発生の原因を求める考え方であり、一見したところ、非のうちようのない理論に思えるかもしれない。が、よく考えると奇妙である。まず需要側という意味を、需要量が供給量より超過しているという意味に取った場合、これは事実に反している。何故ならば、当時、とりわけ1970年代にインフレーションが亢進したときには、需要量が供給量(生産能力)を超えることは決してなかったからである。むしろ1970年代は停滞と景気後退によって特徴づけられていた。言い換えると、設備の稼働率(生産能力の利用率)は、決して需要に応じることができないほどではなかった。
しかし、需要という意味を<名目需要総額>という意味に取ればどうだろうか? 当時はインフレーションが進行していたのであるから、この<名目需要総額>は確かに増加していた。石油危機の年などには、名目需要総額は年30パーセント以上も増加したことがある。だが、よく考えてみよう。名目需要総額が増加したのは、インフレの結果である。したがってそれはインフレーションの要因を説明したことにはならない。単なるトートロジー(同義反復)にすぎない。インフレが起きたからインフレが起きた!
<コスト・プッシュ>
これはコスト(費用)の増加がインフレの原因だというものである。これも一見したところ正しい見方のように思われるかもしれない。事実、個別の企業者の立場から見れば、自社の製品を生産するための費用(機械・設備・原材料などの価格や賃金)が上がったから、自社の製品価格を引き上げなければならない、というの真実である。しかし、これも社会全体から見れば、トートロジーである。A社の製品価格が上がったから、B社の製品価格が上がり、C社の製品価格が上がった、等々。この連鎖は無限に続く。つまりこの「理論」は、費用が上がったから費用が上がったという説明でしかない。
<貨幣数量説>
これについては本ブログでも何回も触れたので、省略しよう。ただし、次の点だけは指摘しておきたい。すなわち、現実の経済では、諸物価があり、インフーションの中で、諸物価は一様に上がるのではなく、様々に変化することである。しかるに、貨幣数量説はすべての物価が一様に上がることを想定している。現実離れした想定である。
これらの「理論」が実際には何も説明しないなら、インフレは説明できない現象なのだろうか? いや、一つだけ真剣に検討するべき理論が存在していた。それは、物価を費用=所得に関係づけた上で、所得分配をめぐる人々の紛争(コンフリクト)がインフレーションの背後にあるという思想である。
これは経済学の初歩的な知識であるが、モノの生産には費用がかかる。そしてその費用は社会における誰かの所得となる。その費用は一般的には次のように示される。
A=M+D+W+R 費用=原材料費+減価償却費+賃金+利潤
社会全体では、原材料費も減価償却費も賃金と利潤に還元されるから、費用は次のように示される。
Y=W+R 総費用=総所得=賃金+利潤
この費用=所得は、実際の社会では、経済成長とともに年々増加してきた。また賃金も利潤も増加することが可能であり、多くの場合には増加してきた。しかし、その増加率には自然的なルールがあった(ある)わけではない。そして、そのために紛争(コンフリクト)が生じることは決して稀というわけではなかった(ない)。
もし出発点(の年)で、100Y=60W+40R であり、その後、Yが120まで増加したと想定しよう。このとき、120Y=72W+48R となれば、すべてが20%ずつ増加したことになる。しかし、必ずそうなるという保障はない。もし企業が賃金を抑制し、利潤として60を得れば、賃金は60のままである。それは労働側の不満を引き起こすであろう。一方、労働側が交渉力を発揮して80の賃金を得れば、企業は40の利潤に甘んじなければならない。
もちろん別の結果も考えられる。もし(例えば)労働側が80の賃金を得、企業が60の利潤を得ることになれば、その合計140は、名目所得(付加価値)が増加したことを意味する。しかし、この場合、実質的な生産額は120なのであるから、20パーセント弱の物価上昇が必至となる。もちろん、賃金および製品価格を決定するのは、最終的にはそれを生産した企業である。だが、それは一方では名目需要総額を上昇させ、デマンド・プルの様相をもたらし、他方では費用を増加させ、コスト・プッシュの様相をもたらすことになる。
いずれにせよ、インフレーションの背後には、所得分配をめぐる紛争(コンフリクト)が介在していることになる。この所得分配をめぐる紛争の理論は、例えば米国の経済学者、Sidney Weintraub の説くところであった。彼は、所得分配論なしのインフレーションの理論が無意味であることを明らかにした経済学者として特筆されるべきである。
ところで現在の私たちにとっては、インフレーションではなく、デフレーションが問題となる。(1997年頃から現在までは日本だけが特殊な「デフレ経済」とされてきたが、金融危機後の米国や欧州もその仲間入りをし始めている。)
このデフレーションも<所得分配をめぐる紛争(コンフリクト)>によって説明できるだろうか?
私は、可能だと考える。というよりも本質的には、所得分配の問題なしにデフレも説明できない。もちろん、インフレもデフレは貨幣的現象である。しかし、現代における人々の所得は貨幣所得であり、そのためにインフレもデフレも貨幣的現象となっていることを理解しなければならない。
(続く)
思いつくままに、その当時唱えられた「理論」を並べてみると、
<デマンド・プル論>
<コスト・プッシュ論>
<貨幣数量説>
などがあった。しかし、これらはすべて説明理論として失格である。何故か?
<デマンド・プル論>
これは需要側にインフレ発生の原因を求める考え方であり、一見したところ、非のうちようのない理論に思えるかもしれない。が、よく考えると奇妙である。まず需要側という意味を、需要量が供給量より超過しているという意味に取った場合、これは事実に反している。何故ならば、当時、とりわけ1970年代にインフレーションが亢進したときには、需要量が供給量(生産能力)を超えることは決してなかったからである。むしろ1970年代は停滞と景気後退によって特徴づけられていた。言い換えると、設備の稼働率(生産能力の利用率)は、決して需要に応じることができないほどではなかった。
しかし、需要という意味を<名目需要総額>という意味に取ればどうだろうか? 当時はインフレーションが進行していたのであるから、この<名目需要総額>は確かに増加していた。石油危機の年などには、名目需要総額は年30パーセント以上も増加したことがある。だが、よく考えてみよう。名目需要総額が増加したのは、インフレの結果である。したがってそれはインフレーションの要因を説明したことにはならない。単なるトートロジー(同義反復)にすぎない。インフレが起きたからインフレが起きた!
<コスト・プッシュ>
これはコスト(費用)の増加がインフレの原因だというものである。これも一見したところ正しい見方のように思われるかもしれない。事実、個別の企業者の立場から見れば、自社の製品を生産するための費用(機械・設備・原材料などの価格や賃金)が上がったから、自社の製品価格を引き上げなければならない、というの真実である。しかし、これも社会全体から見れば、トートロジーである。A社の製品価格が上がったから、B社の製品価格が上がり、C社の製品価格が上がった、等々。この連鎖は無限に続く。つまりこの「理論」は、費用が上がったから費用が上がったという説明でしかない。
<貨幣数量説>
これについては本ブログでも何回も触れたので、省略しよう。ただし、次の点だけは指摘しておきたい。すなわち、現実の経済では、諸物価があり、インフーションの中で、諸物価は一様に上がるのではなく、様々に変化することである。しかるに、貨幣数量説はすべての物価が一様に上がることを想定している。現実離れした想定である。
これらの「理論」が実際には何も説明しないなら、インフレは説明できない現象なのだろうか? いや、一つだけ真剣に検討するべき理論が存在していた。それは、物価を費用=所得に関係づけた上で、所得分配をめぐる人々の紛争(コンフリクト)がインフレーションの背後にあるという思想である。
これは経済学の初歩的な知識であるが、モノの生産には費用がかかる。そしてその費用は社会における誰かの所得となる。その費用は一般的には次のように示される。
A=M+D+W+R 費用=原材料費+減価償却費+賃金+利潤
社会全体では、原材料費も減価償却費も賃金と利潤に還元されるから、費用は次のように示される。
Y=W+R 総費用=総所得=賃金+利潤
この費用=所得は、実際の社会では、経済成長とともに年々増加してきた。また賃金も利潤も増加することが可能であり、多くの場合には増加してきた。しかし、その増加率には自然的なルールがあった(ある)わけではない。そして、そのために紛争(コンフリクト)が生じることは決して稀というわけではなかった(ない)。
もし出発点(の年)で、100Y=60W+40R であり、その後、Yが120まで増加したと想定しよう。このとき、120Y=72W+48R となれば、すべてが20%ずつ増加したことになる。しかし、必ずそうなるという保障はない。もし企業が賃金を抑制し、利潤として60を得れば、賃金は60のままである。それは労働側の不満を引き起こすであろう。一方、労働側が交渉力を発揮して80の賃金を得れば、企業は40の利潤に甘んじなければならない。
もちろん別の結果も考えられる。もし(例えば)労働側が80の賃金を得、企業が60の利潤を得ることになれば、その合計140は、名目所得(付加価値)が増加したことを意味する。しかし、この場合、実質的な生産額は120なのであるから、20パーセント弱の物価上昇が必至となる。もちろん、賃金および製品価格を決定するのは、最終的にはそれを生産した企業である。だが、それは一方では名目需要総額を上昇させ、デマンド・プルの様相をもたらし、他方では費用を増加させ、コスト・プッシュの様相をもたらすことになる。
いずれにせよ、インフレーションの背後には、所得分配をめぐる紛争(コンフリクト)が介在していることになる。この所得分配をめぐる紛争の理論は、例えば米国の経済学者、Sidney Weintraub の説くところであった。彼は、所得分配論なしのインフレーションの理論が無意味であることを明らかにした経済学者として特筆されるべきである。
ところで現在の私たちにとっては、インフレーションではなく、デフレーションが問題となる。(1997年頃から現在までは日本だけが特殊な「デフレ経済」とされてきたが、金融危機後の米国や欧州もその仲間入りをし始めている。)
このデフレーションも<所得分配をめぐる紛争(コンフリクト)>によって説明できるだろうか?
私は、可能だと考える。というよりも本質的には、所得分配の問題なしにデフレも説明できない。もちろん、インフレもデフレは貨幣的現象である。しかし、現代における人々の所得は貨幣所得であり、そのためにインフレもデフレも貨幣的現象となっていることを理解しなければならない。
(続く)
2015年11月26日木曜日
安倍黒ノミクスの嘘 輸入されたインフレが有害な理由
安倍政権・黒田日銀は、日本が「デフレ脱却」を果たしつつあると主張しているが、それは単純な嘘にすぎない。ここでは、次の2つの点を指摘しておきたい。
1)そもそもリフレ論が立脚する貨幣数量説(マネタリズム、通貨主義)が単なる「信仰」であり、成立しないことは前に述べた通りである。
中央銀行(日銀)が市中銀行に貨幣供給(マネタリーベース)を増やしたところで、市中銀行の人々(企業、家計等)に対する貸付が増えるとは限らない。また貸付が増えても物価水準が上がるとは限らない。さらにまた物価水準が上がることと、景気がよくなることはまったく別のことである。
現実世界の経済をよく説明するポスト・ケインズ派の経済理論が示す通り、物価は、費用に、したがって所得に関係しており、費用=所得の側から説明されなければならない。
そのことを示す一例をあげよう。例えば1992年の市場移行期のロシアで生じたように、旧ソ連の多くの巨大独占企業がてっとりばやく利潤を増加させようとして、販売価格を引き上げとき、当然ながら一般物価水準が上がり、それに対して(例えば)労働者が賃金率の引き上げを要求した。これは企業間、そして企業と労働者との間の所得分配をめぐる激しい紛争(コンフリクト)をもたらし、ハイパー・インフレーションを導いた。
現在の欧米におけるもっと温和なインフレでも、理屈は同じである。(各経済主体が自己の所得を増やそうとして)労働生産性の上昇率以上に賃金または利潤を引き上げようとして力を発揮するならば、その結果はインフレとなる。
そしてインフレーションは、通貨の膨張の原因となる。
つまり、因果関係はリフレ派の主張とは逆であり、通貨の膨張がインフレーションをもたらすのではなく、インフレーションが通貨の膨張をもたらすのである。1990年代のロシアでも、通貨当局がインフレーションに対応して通貨供給を増やそうとしながら、それと同時にインフレーションを抑えるために通貨供給の増加を抑制しようとしたため、名目GDPに対する通貨量(M/Y)が極端に低下し、インフレの中の通貨不足になったことは周知のところであり、因果関係が<インフレーション→通貨の膨張>だったことを端的に示している。
2)しかし、これに対して、安倍黒金融政策の中で、物価は上昇したではないかという異論があるかもしれない。確かにその通りである。だが、これについては、次の2点を指摘すれば済むだろう。
第一に、「異次元の金融緩和」(量的緩和)の実施およびその宣伝は、円売り・ドル買いを通じて、円の切り下げ(円安)を招来した。(ちなみに、この通貨切り下げ競争は、現在、日本にとどまらず、米国、中国、欧州で進行している。)しかし、言うまでもなく、円安は、外貨高を、したがって外国からの輸入品価格の上昇を意味している。日本円のバーゲンセールは、日本製品の価格下落と輸入品の価格上昇を意味することは、経済学の常識、イロハである。
第二に、このようにして実現された輸入インフレは、はたして日本の景気を好転させるだろうか、疑問である。たしかに輸出企業は輸出量を増やし、円建ての輸出額を増やすことができるだろう。(事実、トヨタなどは収益を増やしているようである。)しかし、それは事柄の一面にすぎない。むしろ結論的に言えば、輸入インフレは景気を悪化させる危険性がきわめて高い。なぜならば、輸入品の物価上昇は、国民の可処分所得を物価上昇分だけ海外に流出させる(漏れさせる)ことによって国内需要を減らすからである。
それを端的に示すのが、1970年代の2度に渡る石油危機の経済的帰結である。当時、凄まじいインフレーションが進行し、それと同時に景気が著しく悪化した。何故か? 一方では、原油の輸入価格が短期間に数倍に上がり、それがまず生産者物価の上昇を、次いで消費者物価の上昇を結果し、つまりは「輸入インフレ」をもたらした。他方、原油価格の上昇は、その分だけ世界の原油輸入国の可処分所得を産油国に移転させ、つまりその金額だけ消費需要を縮小させ、景気を悪化させた。これが、当時、「スタグフレーション」といわれた現象である。
イギリスの著名な経済学者、ニコラス・カルドアは、実に世界全体の可処分所得の4パーセントに等しい金額が産油国の銀行口座に流れ、その分だけ「デフレ効果」をもたらしたことを明らかにしている。これは石油危機前に(例えば)2パーセントの成長率を実現していた国民経済をマイナス2パーセントに引き落とす効果を持つものだった。(『世界経済の成長と停滞の原因』)
もちろん、現在の輸入インフレによるデフレ効果は、これよりは小さい。しかし、それが景気をよくするように作用するのではなく、逆であることは変わらない。
実際、安倍晋三首相・黒田日銀総裁の「約束」に反して、景気はよくなっていない。名目賃金はわずかに上昇したが、実質賃金率は低下している。もちろん実質賃金率の低下をともなうような「デフレ脱却」はありえない。安倍黒ノミクスはとっくに破綻しており、彼らは現在狼狽していることだろう。彼らが国民に「古い約束」を思い出させないように、次々に実現可能性のない「新しい約束」をしては、「嘘」の情報を垂れ流しているのはそのためである。
1)そもそもリフレ論が立脚する貨幣数量説(マネタリズム、通貨主義)が単なる「信仰」であり、成立しないことは前に述べた通りである。
中央銀行(日銀)が市中銀行に貨幣供給(マネタリーベース)を増やしたところで、市中銀行の人々(企業、家計等)に対する貸付が増えるとは限らない。また貸付が増えても物価水準が上がるとは限らない。さらにまた物価水準が上がることと、景気がよくなることはまったく別のことである。
現実世界の経済をよく説明するポスト・ケインズ派の経済理論が示す通り、物価は、費用に、したがって所得に関係しており、費用=所得の側から説明されなければならない。
そのことを示す一例をあげよう。例えば1992年の市場移行期のロシアで生じたように、旧ソ連の多くの巨大独占企業がてっとりばやく利潤を増加させようとして、販売価格を引き上げとき、当然ながら一般物価水準が上がり、それに対して(例えば)労働者が賃金率の引き上げを要求した。これは企業間、そして企業と労働者との間の所得分配をめぐる激しい紛争(コンフリクト)をもたらし、ハイパー・インフレーションを導いた。
現在の欧米におけるもっと温和なインフレでも、理屈は同じである。(各経済主体が自己の所得を増やそうとして)労働生産性の上昇率以上に賃金または利潤を引き上げようとして力を発揮するならば、その結果はインフレとなる。
そしてインフレーションは、通貨の膨張の原因となる。
つまり、因果関係はリフレ派の主張とは逆であり、通貨の膨張がインフレーションをもたらすのではなく、インフレーションが通貨の膨張をもたらすのである。1990年代のロシアでも、通貨当局がインフレーションに対応して通貨供給を増やそうとしながら、それと同時にインフレーションを抑えるために通貨供給の増加を抑制しようとしたため、名目GDPに対する通貨量(M/Y)が極端に低下し、インフレの中の通貨不足になったことは周知のところであり、因果関係が<インフレーション→通貨の膨張>だったことを端的に示している。
2)しかし、これに対して、安倍黒金融政策の中で、物価は上昇したではないかという異論があるかもしれない。確かにその通りである。だが、これについては、次の2点を指摘すれば済むだろう。
第一に、「異次元の金融緩和」(量的緩和)の実施およびその宣伝は、円売り・ドル買いを通じて、円の切り下げ(円安)を招来した。(ちなみに、この通貨切り下げ競争は、現在、日本にとどまらず、米国、中国、欧州で進行している。)しかし、言うまでもなく、円安は、外貨高を、したがって外国からの輸入品価格の上昇を意味している。日本円のバーゲンセールは、日本製品の価格下落と輸入品の価格上昇を意味することは、経済学の常識、イロハである。
第二に、このようにして実現された輸入インフレは、はたして日本の景気を好転させるだろうか、疑問である。たしかに輸出企業は輸出量を増やし、円建ての輸出額を増やすことができるだろう。(事実、トヨタなどは収益を増やしているようである。)しかし、それは事柄の一面にすぎない。むしろ結論的に言えば、輸入インフレは景気を悪化させる危険性がきわめて高い。なぜならば、輸入品の物価上昇は、国民の可処分所得を物価上昇分だけ海外に流出させる(漏れさせる)ことによって国内需要を減らすからである。
それを端的に示すのが、1970年代の2度に渡る石油危機の経済的帰結である。当時、凄まじいインフレーションが進行し、それと同時に景気が著しく悪化した。何故か? 一方では、原油の輸入価格が短期間に数倍に上がり、それがまず生産者物価の上昇を、次いで消費者物価の上昇を結果し、つまりは「輸入インフレ」をもたらした。他方、原油価格の上昇は、その分だけ世界の原油輸入国の可処分所得を産油国に移転させ、つまりその金額だけ消費需要を縮小させ、景気を悪化させた。これが、当時、「スタグフレーション」といわれた現象である。
イギリスの著名な経済学者、ニコラス・カルドアは、実に世界全体の可処分所得の4パーセントに等しい金額が産油国の銀行口座に流れ、その分だけ「デフレ効果」をもたらしたことを明らかにしている。これは石油危機前に(例えば)2パーセントの成長率を実現していた国民経済をマイナス2パーセントに引き落とす効果を持つものだった。(『世界経済の成長と停滞の原因』)
もちろん、現在の輸入インフレによるデフレ効果は、これよりは小さい。しかし、それが景気をよくするように作用するのではなく、逆であることは変わらない。
実際、安倍晋三首相・黒田日銀総裁の「約束」に反して、景気はよくなっていない。名目賃金はわずかに上昇したが、実質賃金率は低下している。もちろん実質賃金率の低下をともなうような「デフレ脱却」はありえない。安倍黒ノミクスはとっくに破綻しており、彼らは現在狼狽していることだろう。彼らが国民に「古い約束」を思い出させないように、次々に実現可能性のない「新しい約束」をしては、「嘘」の情報を垂れ流しているのはそのためである。
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