(続く)
前回は、ケインズの乗数(理論)は、決して「波及効果の理論」ではないことを述べました。
が、どうしてそのようなことをいまさら言わなければならないのか、それは次のような理由からです。
たまに、私の演習生の中に、例えば「オリンピックの波及効果」を、より一般的に言えば、「・・・の波及効果」を卒論のテーマに選びたいという学生がいます。学生がこのように言う背景には、テレビ等で「・・・の波及効果」が・・・億円などという発言があったりするからでしょうが、また近年の景気停滞(世間一般では「不況」と言っているようです)を身にしみているから、何とか明るい話はないかと思うからでしょうか。
それはさて、波及効果なるものを私も頭から否認するものではありませんが、その思想を広めたポール・サミュエルソン(故人)にしても、波及効果は急速に減衰することを認めていますし、また波及効果はどれほどの時間的スパンで続くのか述べていません。ただケインズの乗数(理論)をそのような方法で説明しているだけです。しかし、ケインズ自身は、あくまでも即時論的な(つまり一定期間を取るときに、その期間内における(設備)投資と総需要=総生産との乗数関係を指摘しているだけです。(ただし、貯蓄性向や消費性向が同じならばと仮定の下に、です。)また波及効果なるものが最後まで行き着かなくても、一次波及であろうが、二次波及であろうが、三次波及、四次波及、n次波及でも常に一定期間内では乗数関係が成立します。
しかも、t 期における投資がt+1 期の総需要=総生産にどのような影響を及ぼすかという段になると、おそろしく複雑(complicated)な、社会的、心理的、客観的、偶然的な要因を考慮しなければならず、さらに事態は複雑系(complex system)の様相を呈します。すべての世界事象は相互依存的に成立しているため、単純な決定システム系で説明することは絶望的に不可能です。
そこに財政支出という要素を含ませる場合には、さらに複雑な要素が加わることになるでしょう。
1)いま財政支出をG(例えば90兆円など)とすると、国民の総需要=総生産 Y は、
Y=D=C+I+G (1)
と書き加えられそうです。
しかし、それほで簡単ではありません。(1)式は、現実の社会の経済行動をかなり抽象化したものであり、そこには消費需要(消費財に対する需要)と投資需要(資本財に対する需要)しか含まれいません。つまり、消費財や資本財を生産する際に必要となる中間財(鉄や石炭、鉱物資源など)は除外されています。したがって G からも該当部分を除去しなければなりません。
すると、残りの Gc+i には、消費財と資本財に対する需要のみ含まれることになります。
現在の政府は、ほとんど生産企業を持ちませんので、これらの消費支出は、公務員の家計に対して給与として支払われたのち、それらの家計(民間部門です)から消費財を購入するために支出されるでしょう。これを Gc とします。(もっとも政府が消費財を購入し、それを何らかの形で家計(つまり人々)に支給することもありえます。)
残りが、資本財(つまり道路、橋、ダム、港湾、公共施設など)をストックするために、政府が(自分で建設する場合もあるかもしれませんが、これを省くと)を得るために、民間企業に支払いを行って建設させ、取得する部分になります。
これを考慮した式は、(1)式と比べると格段に複雑な式になります。
2)さて、財政支出のためのお金(貨幣、通貨)は、どこから来るのでしょうか? これも考えておかねばなりません。
もし財政が均衡しているのであれば、それはほとんどが租税収入(T)から来るはずです。式で表せば、
Y=C+S+T (2)
(ただし、Cは消費支出、Sは貯蓄、Tは租税収入です。海外は捨象しています。)
ここで注意しなければならない点の一つは、C、S、T 相互が密接に関係していることです。
例えば最近も実施されたような消費税の増税(3パーセントポイント、約8兆円)は、その他の条件が同じならば、それだけ可処分所得を減じることになりますから、消費支出を減らす方向に作用しそうです。(また実際、そうなりました。だからこそ、安倍首相に招待されたクルーグマンもスティグリッツもそれにはっきりと反対しました。)
では、政府が赤字国債を発行するなどして、借金で支出を行った場合はどうでしょうか?
その場合には、民間の有効需要は減少することがないかもしれません。これも、2008年のリーマンショックののち、米国およびヨーロッパ諸国の政府がみさかいのない財政支出を行なった理由です。ちなみに、ギリシャでは金融危機の前から民間の借金は大幅に増えていましたが、「政府」の財政赤字が増えたのは金融危機以降です。
しかし、このような経済運営が政府の(粗)債務を増やすことは間違いありません。ここで「粗」(グロス)というのは、政府は他方で資産(債権)を持っているからであり、その差額が「純」(ネット)の債務となります。しかし、純債務があったり、粗債務が増えることは、財政危機をもたらす(または煽る人や機関が現れる)こととなり、好ましいことではありません。現在のヨーロッパでもいったん経済が安定すると、今度は「緊縮」が実施され、景気が悪化するなどの現象が生じています。
さて、以上のことから結論します。
1)政府支出全体 G から見ると、それが経済規模全体(生産や所得、需要)に与える効果は、きわめて小さいということができます。乗数関係から言えば、1を超えることは間違いありませんが、投資乗数(1/s)からみればはるかに小さなものとなるでしょう。
ただし、2008年~2009年のような空前の大不況手前までいったようなときには、かりに財政支出の乗数が1を少し超える程度であっても、それが実施されなければきわめて深刻な事態に陥っただろうという意味では有効だったと思われます。
2)政府の設備投資 Gi による社会全体に対する乗数関係はどうでしょうか?
これは、民間投資 I による乗数関係とは、通常の統計で区別することができません。もちろん、ある種の統計学(回帰分析など)によって推計することはできるかもしれません。
しかし、民間投資による効果と公共投資による効果は、色で塗り分けられているわけではないので、あくまで推計にとどまります。両者の関係は量的というより、相互に補い合うものといえるでしょう。
また前回示したように、政府の財政乗数があるとしても、それもまた一定期間内の乗数関係であり、波及効果によるものではないことは言うまでもありません。
しばしば財政支出政策を「ケインズ政策」と呼ぶ人がいます。確かにケインズが不況時における財政支出を主張したことは間違いありませんが、彼は「財政支出」を行いさえすれば、それでよいと言ったのではなく、それが民間投資のポンプ役を果たすに過ぎないこと、またそうなるためには、所得の平等化政策や、様々な労働者保護政策を行うべきことを説いていたことを忘れてはなりません。 このことは『一般理論』はもちろん、1930年代に書かれた様々な論部に見ることができます。
(この項は、とりあえず終了。)
2016年10月8日土曜日
2016年10月5日水曜日
ケインズの乗数理論は、波及効果の理論ではない! 財政乗数の理論でもない!
ケインズの『一般理論』に乗数(multiplier)が出てくるのは、この著書を読んだことのある人ならもちろん、経済の専門的研究者でなくても多くの人が知っているだろう。
ところが、ケインズ自身が否定した乗数理論の「波及論的」な理解(誤解)があいかわらず続いているようだ。
しかし、かつて伊東光晴氏が指摘したように、ケインズ自身は、正しく、乗数を「即時論的」に理解していた。
両者はどのように異なるのか?
出発的となる式は、次の通り。
Y=C+I (C:消費需要、I:投資需要)
ΔY=ΔC+ΔI (Δは前期からの増加分を示す。)
ここで、貯蓄性向および限界貯蓄性向を s とすると、
I=S=sY
ΔI=ΔS=s・ΔY
したがって、
C=(1-s)Y+I
ΔC=(1-s)ΔY+ΔI
これらの式を最初の式に代入し、変形すると、
Y=I/s (1)
ΔY=ΔI/s (2)
さて、この(1)式は、ある時期(t)に関するものであり、したがって(2)式も前期(t-1)と比べて当期(t)に投資が増えると、同じ時期に需要=産出=所得がどれほど増えるかも示したものである。それは当期の変化が当期の需要等に与える影響を示すもの(乗数関係)に他ならない。この期間は、一ヶ月であろうと、四半期であろうと、半年であろうと、一年であろうと、二年であろうと、同じことである。
ところが、波及論者は、この式をもって、当期( t)における投資が次期(t+1)にどのように波及効果を与えるかを示す式だと考えたいらしい。
たしかに当期の投資が次期の経済活動にどのような影響を与えるのか、これは私たちの関心をそそる経済学上の重要問題かもしれない。しかし、残念ながら、上の(1)式も(2)式もそれに答えるものではない、ことだけは確かである。長期の変動を知るには、もっと複雑な諸条件を導入しなければならない。
このことは、物理学者がやるように、上式のY、C,I、ΔY、ΔC、ΔI などに、時間(期間)を示すtなどの添え字をつけてやれば、よくわかる。ΔYt はあくまで ΔIt の関数である。
もう一つのよくある誤解は、政府の財政支出にこの乗数関係を使おうというものである。
しかし、これも正しくない。(続く)
政権党の「国民分断策」
権力者は、自分の政策が失敗したと気づいたとき(例えば構造改革が失敗したり、アベノミクスの失敗に気づいたり、また昨年のように国民が安保法制の違憲性、危険性を知り、支持率が低下したときのように)、様々な方法に訴える。
その方法はいろいろあり、ナショナリズムに訴えるのも一つであり、「国民を分断させる」のも一つである。
もちろんナショナリズムに訴える場合には、外部の相手が必要である。例えば中国である。これについては、あの豊洲問題でも取りざたされている石原慎太郎氏であるが、彼が尖閣問題の火付け役であったことは、多くの人が記憶されているだろう。
石原氏は、日中国交正常化の過程で、その問題をあえて伏せておこうと決めた日中両国のナショナリズムに火をつけた張本人である。それ以後、「ナショナリズムの悪循環・昂進」ともいうべき事態が生じた。中国側の対応も問題だが、日本側の対応も問題である。
これについては、身内の恥をさらすようだが、個人的な話をするのがわかりやすいかもしれない。私の知り合いの一人(プライベートな事なので詳しくは、記さない)が、テレビを見ながら、まさに安部政権の喜びそうなことを一昨年から言い始めていた。
私はそばにいて、これは危険な「ナショナリズムの悪循環」であると諭し、「もし集団的自衛権(つまり日本を攻撃していない他国を攻撃する権利)を認め、安保法案を成立させたら、あとで後悔することになりますよ」とも、「あなたは本当に中国と戦争するつもりですか」とも、異見を言っていたことがある。私の言う、あるべき外交政策とは、ナショナリズムの悪循環を止める政策、軍事によらず平和を追求する政策に他ならない。
これは歴史的には経済的にも最も理にかなった策である。
これは歴史的には経済的にも最も理にかなった策である。
さて、政治家の悪用するもう一つの策は、国民分断策である。「分割して統治せよ」は、古来からの独裁的な権力者の便利な道具であることは、よく知られている。なぜ便利かと言えば、分割すれば、権力者に対抗する人々は、それぞれの部分問題に制限されるため、常に少数派となるからである。したがって対抗する方法は、団結(union)である。
現在、またこれまで自民党を中心とする政権が行ってきた分断策の分断線の一つは、年齢グループに関するものである。若年者と高齢者を分断し、特に高齢者の負担が若者にのしかかっていると主張する方法である。
このような方法は、アメリカ合衆国でも主に共和党によって行われてきた。しかし、実に驚くべきことに、先の大統領選の予備選挙で見られたように、アメリカの民主党内では、主に若者がそのような策に反対し、バーニー・サンダース氏の「民主的社会主義」に賛成の意思を示した。なお、イギリスでも同様な傾向が生じており、労働党内で、若者達が1990年代以降のブレアー以降に続いた「新自由主義」政策を拒否し、社会民主主義の新たな再建を支持している。これは長らく「新自由主義の牙城」であったアングロ・サクソン系の国における新しい変化の前兆ともいうべきものである。
それはさて、このような分断策にのせられないことが如何に重要かは、次に示すガルブレイス氏の論説からも見られる通りである。
The Daily Beast に載せられた彼の主張を読んでみて欲しい。
ジェームス・ガルブレイス「これは赤字のドローンにとって終わりとなるか?」
The Daily Beast (2013年1月23日)
戦争では、しばしば潮目の変わる瞬間がやってくる。1918年のルーデンドルフの攻勢の崩壊は、休戦の前兆であった。アーデンにおける敗北は1944のドイツにとって終わりを意味した。
今日私たちには同じような状態の2つのドローン戦争がある。一つは主にパキスタンにある。この戦争は約束したことを果たすことができない「トンデモ」技術にもとづいており、あまりにも小さな効果に対してあまりにも多くの犠牲を求めた。それは外交的な災難であり、そのため、ほぼ確実に終わりの日も近い。
他のドローン戦争はワシントンにある。それらのドローンは責任ある連邦予算および負債を固定するキャンペーンのための委員会のような名前のグループにある。彼らは、私たちが社会保障、メディケアおよびメディケイドを削減しなければ待ち受けているという災難に、次々とドローンを落としている。
赤字ドローンの目標が社会保障、メディケアおよびメディケイドを削減することにあることは、その運動のお金がどこから来るかを見る人には、何年も明らかであった。それは、主にピーター・G・ピーターソン(ニクソンの下にいた億万長者の元商業長官)であり、彼は社会保障のモビー・ディックに対するキャプテン・アハブである。またたとえば私有化(民営化)のような一つのトリックが失敗すると、彼の手先たちが退職年齢を引き上げるとか、COLAを変えるとか、他のトリックを使う。しかし、他のどんな名前でもまだ削減、またいつも削減というだけである。
ピーターソンの影響は大きい。実際、全DCマインド・メルドが彼のラインをある程度まで購入した。
先日、私は想像では負債の天井について議論するためにCNBCに出演したが、話題はずっと社会保障であった。私のホスト、アンドリュー・ロス・ソーキンは非常に鈍かった。彼は尋ねた。「もし今が資格を削減するときでないならば、いつでしょうか?」 私の答えは、一言でいえば、「決して(将来も削減しない)」だったが、これは彼が以前は可能と考えていなかったように思われるものである。
赤字ドローンの目標が社会保障、メディケアおよびメディケイドを削減することにあることは、その運動のお金がどこから来るかを見る人には、何年も明らかであった。それは、主にピーター・G・ピーターソン(ニクソンの下にいた億万長者の元商業長官)であり、彼は社会保障のモビー・ディックに対するキャプテン・アハブである。またたとえば私有化(民営化)のような一つのトリックが失敗すると、彼の手先たちが退職年齢を引き上げるとか、COLAを変えるとか、他のトリックを使う。しかし、他のどんな名前でもまだ削減、またいつも削減というだけである。
ピーターソンの影響は大きい。実際、全DCマインド・メルドが彼のラインをある程度まで購入した。
先日、私は想像では負債の天井について議論するためにCNBCに出演したが、話題はずっと社会保障であった。私のホスト、アンドリュー・ロス・ソーキンは非常に鈍かった。彼は尋ねた。「もし今が資格を削減するときでないならば、いつでしょうか?」 私の答えは、一言でいえば、「決して(将来も削減しない)」だったが、これは彼が以前は可能と考えていなかったように思われるものである。
だが、社会保障、メディケアまたはメディケイドを削減する適正な理由はない。それらは、保障プログラムである。それらは、高齢者、その遺族および被扶養者、そして障害者を極度の貧困から救うものである。私たちにはその力がある。また金融上の問題もない。もしあったならば、投資は3%で20年物の米国債を購入していないだろう。最近、ある経済学者たちが削減が必要であると言っており、そのとき、「信頼性」を確立するためのショーのためと言っている。昔からの人は、それはDCインサイダーたちがかつてベトナム戦争について言ったことだと覚えているだろう。
そして、ベトナムと同様に、この戦争は古くなっている。私たちは、それを必要としないことを理解しはじめている。もし合衆国が本当にある種の赤字危機または債務危機に直面したのならば、何かが今までに起きいただろう。シンプソンとボールズ――私たちを財政均衡に導こうとしていたこれらの勇敢な人たち――を、誰が覚えているだろうか? 超委員会? 財政の崖?すべては過去の話である。だが、社会保障、メディケアおよびメディケイドはまだここにある。経済はまだ安定している。また利子率はまだ低い。負債の天井? それについては大統領が立ち上がり、共和党は道を譲った。たしかに、接収および持続的な解決は先のことである。しかし、あなたが負債の天井をめぐるブラックメールを拒否するならば、なぜ、他の何かについてそれに譲歩するのか? ブラックメーラーは、公衆がどちら側を取るか今までに知っているはずである。
また次に月曜日に私たちはオバマ大統領から聞いた。彼の偉大な演説は、多くの問題を解決したが、その一部として、彼は小さな経済的教訓を与えた。以下に彼の言ったことをあげる。
「私たちが相互に――メディケアとメディケイド、また社会保障を通じて――行う関与、これらは、私たちのイニシアティヴを弱めない。それは私たちを強める。それは私たちを受取者(takers)の国民にしない。それはこの国を偉大にするリスクを取るように私たちを自由にする。」
これはまったく正しい。社会保障、メディケアおよびメディケイドは、単に若者からの移転なのではない。それは私たちの生活の基礎組織の一部である。それは私たちすべてを――若きも老いも、私たちの一人一人全員を――苦しみを減じ、恐れを減じ、少しでもより独立的にし、他の方法よりも少し安心させるために――自由にする。高齢者の生活は規則的な所得と健康保険を持つときには、確かによりよくなる。しかし、働く人々の生活もまた、毎日、直接、間接によりよくなる。これを好まないピーターソン氏とその仲間たちのような人もいる。彼らの動機は簡単である。しかし、いやま大統領が選択をしたように思われる。彼の使った言葉は、「関与」である。繰り返せば、まさにそうである。それが社会保障、メディケアおよびメディケイドというものである。オバマ大統領はこう言ったとき、大きな一歩を踏み出したのである。
「私たちが相互に――メディケアとメディケイド、また社会保障を通じて――行う関与、これらは、私たちのイニシアティヴを弱めない。それは私たちを強める。それは私たちを受取者(takers)の国民にしない。それはこの国を偉大にするリスクを取るように私たちを自由にする。」
これはまったく正しい。社会保障、メディケアおよびメディケイドは、単に若者からの移転なのではない。それは私たちの生活の基礎組織の一部である。それは私たちすべてを――若きも老いも、私たちの一人一人全員を――苦しみを減じ、恐れを減じ、少しでもより独立的にし、他の方法よりも少し安心させるために――自由にする。高齢者の生活は規則的な所得と健康保険を持つときには、確かによりよくなる。しかし、働く人々の生活もまた、毎日、直接、間接によりよくなる。これを好まないピーターソン氏とその仲間たちのような人もいる。彼らの動機は簡単である。しかし、いやま大統領が選択をしたように思われる。彼の使った言葉は、「関与」である。繰り返せば、まさにそうである。それが社会保障、メディケアおよびメディケイドというものである。オバマ大統領はこう言ったとき、大きな一歩を踏み出したのである。
いまや議会が彼と一緒に立ち、ブラックメールにノーを、事態を偽造することにノーを、偽装された削減にノーを、恐れにノーを、あの赤字ドローンにノーを言う時である。
注)アメリカ合衆国で「社会保障」(social security)というのは、日本で言う「年金制度」を意味する。またメディケア、メディケイドは、高齢者や低所得者のための公的医療保険制度を示す。
2016年10月3日月曜日
マーガレット・サッチャーの迷言 「社会といったものなどない。」
かつて(1980年代に)イギリスの首相を務めたマーガレット・サッチャー氏(故人)は、かずかずの名言(迷言?)を残しました。
「他の代替案はない。」(There is no alternative. 略してTINA)
「くやしかったらがんばりなさい。」
「社会というものなどない。」
(その他は省略します。)
「他の代替案」というのは、彼女の推進する「新自由主義政策」で、「くやしかったらがんばりなさい」というのは、これからは何でも「自助」でゆくから、貧しいひとは一生懸命頑張って豊かになりなさい、といった意味ですjが、そもそも社会では、スタートラインに大きな格差があり、誰でも頑張れば大金持ち(資産家)になれるわけではありません。
「社会というものなどない」(There is no such thing as society.) というのは、社会科学者なら挑戦をうけたわけであり、少々考えさせられる言葉でしたから、今でもよく覚えています。
社会学者なら、「社会とは諸個人の社会的関係のアンサンブル(総体)である」といって、答えるかもしれません。
私は詳しくはありませんが、仏教では、華厳教に「事事無礙の法界縁起」が説かれており、すべての世界事象は、相互に関係しており、相互に溶け合い、関係して存在している(dependent-rising)、と説いています。曹洞宗を開いた道元も『正法眼蔵』で法界縁起に時々触れています。
相互関係ですから、たしかに「物」ではないことは言うまでもありませんが、上記のような意味ならば存在していることは間違いありません。
ただし、サッチャー氏も、さすがにこれではまずいと思ったのでしょうか、「ただし家族を除いて」と補足しています。つまり、家族関係だけが社会関係だというわけです。
しかし、仏教の「法界縁起」を持ち出すまでもなく、私たちの住む世界では、家族以外の社会関係が満ちあふれるほど存在しています。
むしろ、人間は一人で孤独に暮らすことができないようになっているといってよいかもしれません。もちろん、いろんな人が暮らしているのですから、何らかの「妥協」(生物学でいう「共生」symbiosis)が必要となるでしょう。
経済の世界で現在もっとも基礎的で重要な社会関係をなしているのが「企業」、「会社」であることは、言うまでもありません。その多面的な分析は、経済学者の重要な仕事です。
ですから、マルクスも、ケインズも、ヴェブレンも、ガルブレイスも、そもそも偉大な研究をなしとげた一流の経済学者は皆企業(または会社、資本)に関する考察・分析を残しています。
ここで思い出しました。名前は売れているかもしれないけれど、企業や会社のことなどにほとんどまってく触れていない経済学者もいました。例えばミルトン・フリードマンやハイエクです。
彼らは、市場原理主義に偏執狂的にとりつかれた経済学者といっても過言ではなく、個人と個人との市場取引について多くを語っていますが、企業という組織の分析をしたことはありません。彼らは、企業を組織を持たない一つの点としか捉えず、その内部組織と性質を研究することはしませんでした。これは物理学で言えば、原子の中の構造を研究しないのと同じことではないでしょうか。
なぜ彼らが企業組織を研究しなかったかと言えば、そんなことをすれば現代の経済組織が「自由市場」からのみ成立しているのではないことがバレバレだったからと思われます。
サッチャー氏の頭の中も同様だったのでしょう。
ここまで書いて思い出しましたが、何年か前に新潟大学在職中に学内の研究会でアメリカ経済学会の会長(オルブロウ氏)に会うことができました。
彼はサッチャー氏の言葉にむしろ研究意欲をかき立てられたと書いています。
研究会が終わったあと、会長が問わず語りに、「日本はなぜアメリカ流の市場主義、訴訟社会をつくりだそうとしているのか? 理解に苦しむ。アメリカは、訴訟にお金がかかりすぎて大変だ。日本のように、訴訟に頼らずにやってゆける社会が最善なのに・・・。」といった趣旨の言葉を私に話しかけてまいりました。
「私もその通りと思います。」と答えたのを思い出します。
この訴訟というのも、社会関係の一つです。
社会は存在している。ただし、物質ではなく、その社会の成員一人一人の相互関係として、存在している。 しかも、現在の経済社会では、人は、相互に原子的な(atomic)な個人の集合としてではなく、市場で取引をするにすぎないのではなく、様々な仕方で、また領域で相互に社会的関係を取り持つ。
これが現実的な経済学の出発点でしょう。
「他の代替案はない。」(There is no alternative. 略してTINA)
「くやしかったらがんばりなさい。」
「社会というものなどない。」
(その他は省略します。)
「他の代替案」というのは、彼女の推進する「新自由主義政策」で、「くやしかったらがんばりなさい」というのは、これからは何でも「自助」でゆくから、貧しいひとは一生懸命頑張って豊かになりなさい、といった意味ですjが、そもそも社会では、スタートラインに大きな格差があり、誰でも頑張れば大金持ち(資産家)になれるわけではありません。
「社会というものなどない」(There is no such thing as society.) というのは、社会科学者なら挑戦をうけたわけであり、少々考えさせられる言葉でしたから、今でもよく覚えています。
社会学者なら、「社会とは諸個人の社会的関係のアンサンブル(総体)である」といって、答えるかもしれません。
私は詳しくはありませんが、仏教では、華厳教に「事事無礙の法界縁起」が説かれており、すべての世界事象は、相互に関係しており、相互に溶け合い、関係して存在している(dependent-rising)、と説いています。曹洞宗を開いた道元も『正法眼蔵』で法界縁起に時々触れています。
相互関係ですから、たしかに「物」ではないことは言うまでもありませんが、上記のような意味ならば存在していることは間違いありません。
ただし、サッチャー氏も、さすがにこれではまずいと思ったのでしょうか、「ただし家族を除いて」と補足しています。つまり、家族関係だけが社会関係だというわけです。
しかし、仏教の「法界縁起」を持ち出すまでもなく、私たちの住む世界では、家族以外の社会関係が満ちあふれるほど存在しています。
むしろ、人間は一人で孤独に暮らすことができないようになっているといってよいかもしれません。もちろん、いろんな人が暮らしているのですから、何らかの「妥協」(生物学でいう「共生」symbiosis)が必要となるでしょう。
経済の世界で現在もっとも基礎的で重要な社会関係をなしているのが「企業」、「会社」であることは、言うまでもありません。その多面的な分析は、経済学者の重要な仕事です。
ですから、マルクスも、ケインズも、ヴェブレンも、ガルブレイスも、そもそも偉大な研究をなしとげた一流の経済学者は皆企業(または会社、資本)に関する考察・分析を残しています。
ここで思い出しました。名前は売れているかもしれないけれど、企業や会社のことなどにほとんどまってく触れていない経済学者もいました。例えばミルトン・フリードマンやハイエクです。
彼らは、市場原理主義に偏執狂的にとりつかれた経済学者といっても過言ではなく、個人と個人との市場取引について多くを語っていますが、企業という組織の分析をしたことはありません。彼らは、企業を組織を持たない一つの点としか捉えず、その内部組織と性質を研究することはしませんでした。これは物理学で言えば、原子の中の構造を研究しないのと同じことではないでしょうか。
なぜ彼らが企業組織を研究しなかったかと言えば、そんなことをすれば現代の経済組織が「自由市場」からのみ成立しているのではないことがバレバレだったからと思われます。
サッチャー氏の頭の中も同様だったのでしょう。
ここまで書いて思い出しましたが、何年か前に新潟大学在職中に学内の研究会でアメリカ経済学会の会長(オルブロウ氏)に会うことができました。
彼はサッチャー氏の言葉にむしろ研究意欲をかき立てられたと書いています。
研究会が終わったあと、会長が問わず語りに、「日本はなぜアメリカ流の市場主義、訴訟社会をつくりだそうとしているのか? 理解に苦しむ。アメリカは、訴訟にお金がかかりすぎて大変だ。日本のように、訴訟に頼らずにやってゆける社会が最善なのに・・・。」といった趣旨の言葉を私に話しかけてまいりました。
「私もその通りと思います。」と答えたのを思い出します。
この訴訟というのも、社会関係の一つです。
社会は存在している。ただし、物質ではなく、その社会の成員一人一人の相互関係として、存在している。 しかも、現在の経済社会では、人は、相互に原子的な(atomic)な個人の集合としてではなく、市場で取引をするにすぎないのではなく、様々な仕方で、また領域で相互に社会的関係を取り持つ。
これが現実的な経済学の出発点でしょう。
マーガレット・サッチャーの迷言 「社会といったものなどない。」
かつて(1980年代に)イギリスの首相を務めたマーガレット・サッチャー氏(故人)は、かずかずの名言(迷言?)を残しました。
「他の代替案はない。」(There is no alternative. 略してTINA)
「くやしかったらがんばりなさい。」
「社会というものなどない。」
(その他は省略します。)
「他の代替案」というのは、彼女の推進する「新自由主義政策」で、「くやしかったらがんばりなさい」というのは、これからは何でも「自助」でゆくから、貧しいひとは一生懸命頑張って豊かになりなさい、といった意味ですjが、そもそも社会では、スタートラインに大きな格差があるのだから、誰でも頑張れば大金持ち(資産家)になれるわけではありません。
このうち「社会というものなどない」(There is no such thing as society.) というのは、社会科学者なら少々考えさせられる言葉ですから、今でもよく覚えています。
社会学者なら、「社会とは諸個人の社会的関係のアンサンブル(総体)である」といって、答えるかもしれません。
私は詳しくはありませんが、仏教では、華厳教に「事事無礙の法界縁起」が説かれており、すべての世界事象は、相互に関係しており、相互に溶け合い、関係して存在している(dependent-rising)、というかもしれません。曹洞宗を開いた道元も『正法眼蔵』で法界縁起に時々触れています。
相互関係ですから、たしかに「物」ではないことは言うまでもありませんが、上記のような意味ならば存在していることは間違いありません。
ただし、サッチャー氏も、さすがにこれではまずいと思ったのでしょうか、「ただし家族を除いて」と補足しています。つまり、家族関係だけが社会関係だというわけです。
しかし、仏教の「法界縁起」を持ち出すまでもなく、私たちの住む世界では、家族以外の社会関係が満ちあふれるほど存在しています。
むしろ、人間は一人で孤独に暮らすことができないようになっているといってよいかもしれません。もちろん、いろんな人が暮らしているのですから、何らかの「妥協」(生物学でいう「共生」symbiosis)が必要となるでしょう。
経済の世界で現在もっとも基礎的で重要な社会関係をなしているのが「企業」、「会社」であることは、言うまでもありません。その多面的な分析は、経済学者の重要な仕事です。
ですから、マルクスも、ケインズも、ヴェブレンも、ガルブレイスも、そもそも偉大な研究をなしとげた一流の経済学者は皆企業(または会社、資本)に関する考察・分析を残しています。
ここで思い出しました。名前は売れているかもしれないけれど、企業や会社のことなどにほとんどまってく触れていない経済学者もいました。例えばミルトン・フリードマンやハイエクです。
彼らは、市場原理主義に偏執狂的にとりつかれた経済学者といっても過言ではなく、個人と個人との市場取引について多くを語っていますが、企業という組織の分析をしたことはありません。彼らは、企業を組織を持たない一つの点としか捉えず、その内部組織と性質を研究することはしませんでした。これは物理学で言えば、原子の中の構造を研究しないのと同じことではないでしょうか。
なぜ彼らが企業組織を研究しなかったかと言えば、そんなことをすれば現代の経済組織が「自由市場」からのみ成立しているのではないことがバレバレだったからと思われます。
サッチャー氏の頭の中も同様だったのでしょう。
ここまで書いて思い出しましたが、何年か前に新潟大学在職中に学内の研究会でアメリカ経済学会の会長(オルブロウ氏)に会うことができました。
彼はサッチャー氏の言葉にむしろ研究意欲をかき立てられたと書いています。
研究会が終わったあと、会長が問わず語りに、「日本はなぜアメリカ流の市場主義、訴訟社会をつくりだそうとしているのか? 理会に苦しむ。アメリカは、訴訟にお金がかかりすぎて大変だ。日本のように、訴訟に頼らずにやってゆける社会が最善なのに・・・。」といった趣旨の言葉を私に話しかけてまいりました。
「私もその通りと思います。」と答えたのを思い出します。
この訴訟というのも、社会関係の一つです。
社会は存在している。ただし、物質ではなく、その社会の成員一人一人の相互関係として、存在している。 しかも、現在の経済社会では、人は、相互に原子的な(atomic)な個人の集合としてではなく、市場で取引をするにすぎないのではなく、様々な仕方で、また領域で相互に社会的関係を取り持つ。
これが現実的な経済学の出発点でしょう。
「他の代替案はない。」(There is no alternative. 略してTINA)
「くやしかったらがんばりなさい。」
「社会というものなどない。」
(その他は省略します。)
「他の代替案」というのは、彼女の推進する「新自由主義政策」で、「くやしかったらがんばりなさい」というのは、これからは何でも「自助」でゆくから、貧しいひとは一生懸命頑張って豊かになりなさい、といった意味ですjが、そもそも社会では、スタートラインに大きな格差があるのだから、誰でも頑張れば大金持ち(資産家)になれるわけではありません。
このうち「社会というものなどない」(There is no such thing as society.) というのは、社会科学者なら少々考えさせられる言葉ですから、今でもよく覚えています。
社会学者なら、「社会とは諸個人の社会的関係のアンサンブル(総体)である」といって、答えるかもしれません。
私は詳しくはありませんが、仏教では、華厳教に「事事無礙の法界縁起」が説かれており、すべての世界事象は、相互に関係しており、相互に溶け合い、関係して存在している(dependent-rising)、というかもしれません。曹洞宗を開いた道元も『正法眼蔵』で法界縁起に時々触れています。
相互関係ですから、たしかに「物」ではないことは言うまでもありませんが、上記のような意味ならば存在していることは間違いありません。
ただし、サッチャー氏も、さすがにこれではまずいと思ったのでしょうか、「ただし家族を除いて」と補足しています。つまり、家族関係だけが社会関係だというわけです。
しかし、仏教の「法界縁起」を持ち出すまでもなく、私たちの住む世界では、家族以外の社会関係が満ちあふれるほど存在しています。
むしろ、人間は一人で孤独に暮らすことができないようになっているといってよいかもしれません。もちろん、いろんな人が暮らしているのですから、何らかの「妥協」(生物学でいう「共生」symbiosis)が必要となるでしょう。
経済の世界で現在もっとも基礎的で重要な社会関係をなしているのが「企業」、「会社」であることは、言うまでもありません。その多面的な分析は、経済学者の重要な仕事です。
ですから、マルクスも、ケインズも、ヴェブレンも、ガルブレイスも、そもそも偉大な研究をなしとげた一流の経済学者は皆企業(または会社、資本)に関する考察・分析を残しています。
ここで思い出しました。名前は売れているかもしれないけれど、企業や会社のことなどにほとんどまってく触れていない経済学者もいました。例えばミルトン・フリードマンやハイエクです。
彼らは、市場原理主義に偏執狂的にとりつかれた経済学者といっても過言ではなく、個人と個人との市場取引について多くを語っていますが、企業という組織の分析をしたことはありません。彼らは、企業を組織を持たない一つの点としか捉えず、その内部組織と性質を研究することはしませんでした。これは物理学で言えば、原子の中の構造を研究しないのと同じことではないでしょうか。
なぜ彼らが企業組織を研究しなかったかと言えば、そんなことをすれば現代の経済組織が「自由市場」からのみ成立しているのではないことがバレバレだったからと思われます。
サッチャー氏の頭の中も同様だったのでしょう。
ここまで書いて思い出しましたが、何年か前に新潟大学在職中に学内の研究会でアメリカ経済学会の会長(オルブロウ氏)に会うことができました。
彼はサッチャー氏の言葉にむしろ研究意欲をかき立てられたと書いています。
研究会が終わったあと、会長が問わず語りに、「日本はなぜアメリカ流の市場主義、訴訟社会をつくりだそうとしているのか? 理会に苦しむ。アメリカは、訴訟にお金がかかりすぎて大変だ。日本のように、訴訟に頼らずにやってゆける社会が最善なのに・・・。」といった趣旨の言葉を私に話しかけてまいりました。
「私もその通りと思います。」と答えたのを思い出します。
この訴訟というのも、社会関係の一つです。
社会は存在している。ただし、物質ではなく、その社会の成員一人一人の相互関係として、存在している。 しかも、現在の経済社会では、人は、相互に原子的な(atomic)な個人の集合としてではなく、市場で取引をするにすぎないのではなく、様々な仕方で、また領域で相互に社会的関係を取り持つ。
これが現実的な経済学の出発点でしょう。
アメリカとイギリスで始まる若者の新しい動き 「新自由主義」批判の波
アメリカとイギリスの若者の間で、新しい動きがはっきりしてきました。
それは、新自由主義(ネオリベラル)政策と決別し、新たな社会主義を模索する動きです。
そもそも1980年頃まで、世界経済は現在とはかなり異なる状態にありました。
いわゆる「資本主義の黄金時代」(golden age of capitalism)といわれる時代にあって、経済の成長率もかなり高かったわけですが、それ以上に特徴的だったのは、労働生産性の上昇とともに、それに比例して、あるいはそれ以上に人々の雇用者報酬(賃金)が引き上げられていったことです。
そのため、最近日本でも注目されたサエズ、ピケッティの研究が示すように、戦中から戦後にかけて大幅に縮小した所得格差がふたたび拡大することはありませんでした。そして、この時代に大衆消費社会が到来し、中間階層といわれる階層が出現しました。
ところが、1979年のイギリスの総選挙、それに1980年のアメリカ大統領選挙によって、それぞれサッチャー(保守党)、レーガン(共和党)が首相、大統領に選ばれました。そして、彼らがはじめたのが、新自由主義政策です。これは当時、問題となっていたスタグフレーション(インフレと停滞)に対処する政策として正当化されました。
この政策は、両国において細部は異なりますが、マネタリズム(通貨主義)=高金利による金融引締策、供給側(サプライサイド)の経済学、緊縮財政、「柔軟な労働市場」などなどです。
アメリカでは、ウルトラ高金利によってたちまち不況に陥るとともに、失業率が上昇し、賃金が抑制されはじめ、その結果、インフレは収まりましたが、アメリカ経済は大打撃をうけました。
その上、高金利のためドル高、つまり円安・マルク安などとなり、アメリの輸出産業が大打撃を受けただけでなく、内需向けの産業(鉄鋼、自動者など)も日本・ドイツからの輸入によって大打撃を受けました。GMやフォードが従業員の解雇などのリストラを行ったという記事が当時の新聞に載っています。
ともあれ、高失業時代が到来し、これ以降、賃金は圧縮されはじめました。アメリカ議会予算局の報告(CBO)でも、連邦準備制度のデータでも、実質賃金は、労働生産性に上昇よりはるかに低い率でしか上がらなくなったことがわかります。
しかも、それだけではありません。レーガンは、供給側の経済学の立場から、法人税の大幅引き下げを実現し、また所得税の限界税率を大幅に引き下げました。これによって富裕者の可処分所得や大企業の可処分所得(税引後の利潤)が増えたことはいうまでもありません。
レーガンの理屈では、このように大企業・富裕者の所得が増えると、貯蓄が増え、(設備)投資が増え、生産力が上昇するため、経済がふたたび順調に成長する、「はず」でした。そして、「トリクルダウン」によって、所得上位者からはじまった所得増加が、次に低所得者の所得増加につながってゆく、「はず」でした。
しかし、これらの高成長やトリクルダウンは生じませんでした。成長率は以前のような高率にもどったわけではありません。(まあ、高度成長はいつまでも続くわけではないので、この点は問わないとしましょう。)
では、所得分配はどうなったでしょうか?
言うまでもありません。格差は広まる一方となりました。例えば男性の一人・一時間あたりの実質賃金を見ると、1970年代から現在までむしろ低下しています! 一方、所得上位者1%、あるいは0.1%、あるいは0.01%の人々の所得(可処分所得)は大幅に増えています。このことについては、すでに本ブログでも紹介しています。
イギリスでも似たりよったりですが、ここでは省略します。
さて、私がここで注目するのは、こうした状況の中で、アメリカやイギリス、つまりこれまで先頭に立って新自由主義の旗振りをしていたアングロ・サクソン系の国で、特に若い層を中心にこれに対する抗議運動が活発化し、方向転換を図ろうとしていることです。
イギリスでは、数年前に「暴動」(riots)がイギリス各地の都市で起きましたが、現在、労働党の内部では、ブレアーの下でもすすめられた新自由主義政策を否定し、社会民主主義に回帰する動きとそれを支持する動きが若者の間で支持されています。
アメリカでも数年前に「ウォール街を占拠せよ」(Occupy Wall Street)の運動が起きました。そしていま保守・共和党内部でもトランプという人気取り政治家が台頭し、従来の共和党とは少し異なることを主張しはじめました。(といっても、よく見ると、基本的には旧来の共和党の路線を継承しています。)一方、民主党の内部では、バーニー・サンダース氏の「民主的社会主義」が若者の間で大きな支持を得ました。ヒラリーも、サンダース氏に勝つために、少し、左旋回し、にじりよらなければならなかった程です。
こうしたアングロ・サクソン系の「自由市場経済」の国で、大きな転換が生じはじめていることは決して無視できません。
現在、それはまだ新自由主義の「終わりの始まり」、また新しいものの「始まりの始まり」の段階かもしれませんが、イギリスとアメリカは、フランスとならんで「自由と諸権利」を世界でも最も早い時期に実現した国です。空気(雰囲気)が大きく変わっていることは間違いありません。
それは、新自由主義(ネオリベラル)政策と決別し、新たな社会主義を模索する動きです。
そもそも1980年頃まで、世界経済は現在とはかなり異なる状態にありました。
いわゆる「資本主義の黄金時代」(golden age of capitalism)といわれる時代にあって、経済の成長率もかなり高かったわけですが、それ以上に特徴的だったのは、労働生産性の上昇とともに、それに比例して、あるいはそれ以上に人々の雇用者報酬(賃金)が引き上げられていったことです。
そのため、最近日本でも注目されたサエズ、ピケッティの研究が示すように、戦中から戦後にかけて大幅に縮小した所得格差がふたたび拡大することはありませんでした。そして、この時代に大衆消費社会が到来し、中間階層といわれる階層が出現しました。
ところが、1979年のイギリスの総選挙、それに1980年のアメリカ大統領選挙によって、それぞれサッチャー(保守党)、レーガン(共和党)が首相、大統領に選ばれました。そして、彼らがはじめたのが、新自由主義政策です。これは当時、問題となっていたスタグフレーション(インフレと停滞)に対処する政策として正当化されました。
この政策は、両国において細部は異なりますが、マネタリズム(通貨主義)=高金利による金融引締策、供給側(サプライサイド)の経済学、緊縮財政、「柔軟な労働市場」などなどです。
アメリカでは、ウルトラ高金利によってたちまち不況に陥るとともに、失業率が上昇し、賃金が抑制されはじめ、その結果、インフレは収まりましたが、アメリカ経済は大打撃をうけました。
その上、高金利のためドル高、つまり円安・マルク安などとなり、アメリの輸出産業が大打撃を受けただけでなく、内需向けの産業(鉄鋼、自動者など)も日本・ドイツからの輸入によって大打撃を受けました。GMやフォードが従業員の解雇などのリストラを行ったという記事が当時の新聞に載っています。
ともあれ、高失業時代が到来し、これ以降、賃金は圧縮されはじめました。アメリカ議会予算局の報告(CBO)でも、連邦準備制度のデータでも、実質賃金は、労働生産性に上昇よりはるかに低い率でしか上がらなくなったことがわかります。
しかも、それだけではありません。レーガンは、供給側の経済学の立場から、法人税の大幅引き下げを実現し、また所得税の限界税率を大幅に引き下げました。これによって富裕者の可処分所得や大企業の可処分所得(税引後の利潤)が増えたことはいうまでもありません。
レーガンの理屈では、このように大企業・富裕者の所得が増えると、貯蓄が増え、(設備)投資が増え、生産力が上昇するため、経済がふたたび順調に成長する、「はず」でした。そして、「トリクルダウン」によって、所得上位者からはじまった所得増加が、次に低所得者の所得増加につながってゆく、「はず」でした。
しかし、これらの高成長やトリクルダウンは生じませんでした。成長率は以前のような高率にもどったわけではありません。(まあ、高度成長はいつまでも続くわけではないので、この点は問わないとしましょう。)
では、所得分配はどうなったでしょうか?
言うまでもありません。格差は広まる一方となりました。例えば男性の一人・一時間あたりの実質賃金を見ると、1970年代から現在までむしろ低下しています! 一方、所得上位者1%、あるいは0.1%、あるいは0.01%の人々の所得(可処分所得)は大幅に増えています。このことについては、すでに本ブログでも紹介しています。
イギリスでも似たりよったりですが、ここでは省略します。
さて、私がここで注目するのは、こうした状況の中で、アメリカやイギリス、つまりこれまで先頭に立って新自由主義の旗振りをしていたアングロ・サクソン系の国で、特に若い層を中心にこれに対する抗議運動が活発化し、方向転換を図ろうとしていることです。
イギリスでは、数年前に「暴動」(riots)がイギリス各地の都市で起きましたが、現在、労働党の内部では、ブレアーの下でもすすめられた新自由主義政策を否定し、社会民主主義に回帰する動きとそれを支持する動きが若者の間で支持されています。
アメリカでも数年前に「ウォール街を占拠せよ」(Occupy Wall Street)の運動が起きました。そしていま保守・共和党内部でもトランプという人気取り政治家が台頭し、従来の共和党とは少し異なることを主張しはじめました。(といっても、よく見ると、基本的には旧来の共和党の路線を継承しています。)一方、民主党の内部では、バーニー・サンダース氏の「民主的社会主義」が若者の間で大きな支持を得ました。ヒラリーも、サンダース氏に勝つために、少し、左旋回し、にじりよらなければならなかった程です。
こうしたアングロ・サクソン系の「自由市場経済」の国で、大きな転換が生じはじめていることは決して無視できません。
現在、それはまだ新自由主義の「終わりの始まり」、また新しいものの「始まりの始まり」の段階かもしれませんが、イギリスとアメリカは、フランスとならんで「自由と諸権利」を世界でも最も早い時期に実現した国です。空気(雰囲気)が大きく変わっていることは間違いありません。
2016年10月2日日曜日
昨日の東京新聞の注目記事 アベノミクスの幻想を示す
先々月(8月)の22日に白内障の手術を受けてから、約5週間。やっと眼科の先生から仕事復帰の
許可がおり、運転免許証更新の際の視力検査もかるがると通過。世界がはっきりと見えるようにな
りました。
このブログは、書きかけのものが多く、為替相場、EU、英国のEUからの離脱(Brexit)など、中途
半端のまま終わっているものが多々ありますが、その理由は、書きながら調べ、調べながら書いて
いるので、また途中でウチナーグチ(沖縄語)やアイヌ語、日本古代史(近年のDND分析によるも
のなどと含む)、趣味的な事柄に関する本や(場合によっては)専門的な論文などを読みだすもの
だから、なかなか先に進まないという事情もあります。
それに昨年からは、「九条の会」の活動もあり、さらに日米欧の軍産複合体研究のことも加わり、
忙しくなりました。
さて、昨日(10月1日)の東京新聞からいくかをピックアップします。
1面 新電力契約伸び悩む 自由化半年、2.7%どまり
「利点を見いだせず様子見する家庭が依然として多いようだ。」
そりゃそうだ。うちも旧来のままです。
それより、原発の費用が電気料金に上乗せされる。こちらの方が大ニュース。
3面 97条で応酬 細野氏「なぜ削除」 首相「単なる整理」
自民草案「基本的人権巡り」
「単なる整理」の訳がない。これは安部政権のねらいそのものだから。
本来、現在の近代的な憲法(民主主義国、立憲制の国)は、どこの国でも、国家権力を制約する
ものであり、人々(国民)の自由と権利を国家権力が保障しなければならないと規定している。
それが「法の支配」の意味だ。法(right)とは正義(justice, jus)であり、自由と諸権利を意味する。
ところが安部君は、恥ずかしくもなく、「法律の支配」と公言してはばからない人だということからも
わかるように(また改憲草案にもそのことが明記されているが)、国家権力の側から人々の権利を
制限することをもくろんでいる。
古代の中国では、法律とは「律」であり「令」、つまりお上が明文により制定した行政法と刑法であ
った。それによって「臣」と「人民」を支配しようとした。これはもちろん近代の「法の支配」とは似て
非なるものである。
聞くところでは、安部君は、現代の中国の政治家に教えたいと言ったそうだが、本当に教えを請
わなければならないのは「あなた(安部君)です」。
5面 社説 配偶者控除 増税がねらいではないか
読んでみてください。社説の通りです。
いつか(後日)、コメントしたいテーマです。
7面 暮らしへの影響読めず 金融緩和策修正 長期金利上げ不発
「日銀が2月にマイナス金利を導入後、預金金利は極限まで低下。保険会社は国債での運用に
困り、貯蓄性の高い保険は次々に販売停止に。・・・
弊害が目立ち始めたため、日銀は長期金利を0%程度に誘導することを「検証後」に決めた。
しかし、長期金利は「検証後」もマイナス水準で推移。しびれを切らした日銀は「五年超十年以
下」の国債の買い入れ額を前回より減額。」
しかし、効果なく、マイナス金利は続く。
7面 将来不安大 実質賃金減 かみあわぬ経済政策
アベノミクスの「アベコベ」ぶりは、いまや知る人ぞ知る事実。
そういえば、安部政権が誕生し、「アベノミクス」が喧伝されはじめたとき、私はある場所で、主に
社会人を相手に日本経済の勉強会を行っていましたが、その時、ある年金生活者が2%のインフ
レーションをターゲットにすると聞いて、大いに怒っていました。
なぜかって? そりゃそうでしょう。毎年支給される年金額は、減ってゆくのに、消費者物価が上
昇したら、実質年金額はもっと減るわけですから。それに虎の子の貯金も(預金利子がほぼゼロ%
では)実質的に減少します。これが庶民の「期待」(expectation)=予測です。
当時、2%のインフレをターゲットにすれば、景気がよくなると断言した御仁もいたようですが、「責
任を取れ!」と言いたい気持ちです。
記事には、配当に対する税率が【何十億円、何百億円でも】20%であり、きわめて不公正である
ことが書かれています。
私が本ブログで前に示したように、大企業の「実際の」法人税もきわめて低く、また安部政権によ
ってこっそりと引き下げられてきました。私の所得税の昨年の限界税率より低い!
26面 安保法施行後で初 17年度防衛予算概算要求 5兆1685億円を読む
「無駄 空中給油機・大量の水陸両用車」
本文中のグラフには、「安部政権で増え続ける防衛予算」が示されています。
これも私なども含め、多くの人がブログ等で言っていたこと。
やれ財政赤字だ、財政健全化といいながら、この放漫ぶり、散布は許されないでしょう。
でも、安部政権が軍産学共同を推進していることは、よくわかります。
ちなみに、「集団的自衛権」とは、日本を攻撃していない国の軍隊を攻撃するといったきわまりな
い危険なものであり、本来、好ましくないものであることは戦後の国連でも議論されていた通りで
す。もちろん、90%の憲法学者はそれを認めている安保法制を違憲としています。
実は、戦後米国は、それに反対していましたが、後にそれを理由にベトナムやイラクを攻撃。
現在の米国では、参加した兵士の中から毎日何人もの精神疾患で苦しむ人が続出。それに加
え、イラク攻撃では死者の70%は民間人(市民)でした。これがIS(イスラム国家)という欧米(日も
か)がおびえる組織を生みました。
米国の伝説的な経済学者ジョン・ガルブレイスの最後の遺言的著作も経済にとっての軍事=軍
産学複合体の有害性・危険性を指摘しています。
昨日の東京新聞だけで、これだけのことが示されています。(まだあるのですが、これくらいにし
ておきます。)
安部政治を放置したらろくなことはありません。
選挙で自民党・公明党などに投票した人も、今からでも遅くありません。今度は、民進、共産、社
民、生活、緑など、はっきり(または一応)安部政治に反対している政党に投票しましょう。
許可がおり、運転免許証更新の際の視力検査もかるがると通過。世界がはっきりと見えるようにな
りました。
このブログは、書きかけのものが多く、為替相場、EU、英国のEUからの離脱(Brexit)など、中途
半端のまま終わっているものが多々ありますが、その理由は、書きながら調べ、調べながら書いて
いるので、また途中でウチナーグチ(沖縄語)やアイヌ語、日本古代史(近年のDND分析によるも
のなどと含む)、趣味的な事柄に関する本や(場合によっては)専門的な論文などを読みだすもの
だから、なかなか先に進まないという事情もあります。
それに昨年からは、「九条の会」の活動もあり、さらに日米欧の軍産複合体研究のことも加わり、
忙しくなりました。
さて、昨日(10月1日)の東京新聞からいくかをピックアップします。
1面 新電力契約伸び悩む 自由化半年、2.7%どまり
「利点を見いだせず様子見する家庭が依然として多いようだ。」
そりゃそうだ。うちも旧来のままです。
それより、原発の費用が電気料金に上乗せされる。こちらの方が大ニュース。
3面 97条で応酬 細野氏「なぜ削除」 首相「単なる整理」
自民草案「基本的人権巡り」
「単なる整理」の訳がない。これは安部政権のねらいそのものだから。
本来、現在の近代的な憲法(民主主義国、立憲制の国)は、どこの国でも、国家権力を制約する
ものであり、人々(国民)の自由と権利を国家権力が保障しなければならないと規定している。
それが「法の支配」の意味だ。法(right)とは正義(justice, jus)であり、自由と諸権利を意味する。
ところが安部君は、恥ずかしくもなく、「法律の支配」と公言してはばからない人だということからも
わかるように(また改憲草案にもそのことが明記されているが)、国家権力の側から人々の権利を
制限することをもくろんでいる。
古代の中国では、法律とは「律」であり「令」、つまりお上が明文により制定した行政法と刑法であ
った。それによって「臣」と「人民」を支配しようとした。これはもちろん近代の「法の支配」とは似て
非なるものである。
聞くところでは、安部君は、現代の中国の政治家に教えたいと言ったそうだが、本当に教えを請
わなければならないのは「あなた(安部君)です」。
5面 社説 配偶者控除 増税がねらいではないか
読んでみてください。社説の通りです。
いつか(後日)、コメントしたいテーマです。
7面 暮らしへの影響読めず 金融緩和策修正 長期金利上げ不発
「日銀が2月にマイナス金利を導入後、預金金利は極限まで低下。保険会社は国債での運用に
困り、貯蓄性の高い保険は次々に販売停止に。・・・
弊害が目立ち始めたため、日銀は長期金利を0%程度に誘導することを「検証後」に決めた。
しかし、長期金利は「検証後」もマイナス水準で推移。しびれを切らした日銀は「五年超十年以
下」の国債の買い入れ額を前回より減額。」
しかし、効果なく、マイナス金利は続く。
7面 将来不安大 実質賃金減 かみあわぬ経済政策
アベノミクスの「アベコベ」ぶりは、いまや知る人ぞ知る事実。
そういえば、安部政権が誕生し、「アベノミクス」が喧伝されはじめたとき、私はある場所で、主に
社会人を相手に日本経済の勉強会を行っていましたが、その時、ある年金生活者が2%のインフ
レーションをターゲットにすると聞いて、大いに怒っていました。
なぜかって? そりゃそうでしょう。毎年支給される年金額は、減ってゆくのに、消費者物価が上
昇したら、実質年金額はもっと減るわけですから。それに虎の子の貯金も(預金利子がほぼゼロ%
では)実質的に減少します。これが庶民の「期待」(expectation)=予測です。
当時、2%のインフレをターゲットにすれば、景気がよくなると断言した御仁もいたようですが、「責
任を取れ!」と言いたい気持ちです。
記事には、配当に対する税率が【何十億円、何百億円でも】20%であり、きわめて不公正である
ことが書かれています。
私が本ブログで前に示したように、大企業の「実際の」法人税もきわめて低く、また安部政権によ
ってこっそりと引き下げられてきました。私の所得税の昨年の限界税率より低い!
26面 安保法施行後で初 17年度防衛予算概算要求 5兆1685億円を読む
「無駄 空中給油機・大量の水陸両用車」
本文中のグラフには、「安部政権で増え続ける防衛予算」が示されています。
これも私なども含め、多くの人がブログ等で言っていたこと。
やれ財政赤字だ、財政健全化といいながら、この放漫ぶり、散布は許されないでしょう。
でも、安部政権が軍産学共同を推進していることは、よくわかります。
ちなみに、「集団的自衛権」とは、日本を攻撃していない国の軍隊を攻撃するといったきわまりな
い危険なものであり、本来、好ましくないものであることは戦後の国連でも議論されていた通りで
す。もちろん、90%の憲法学者はそれを認めている安保法制を違憲としています。
実は、戦後米国は、それに反対していましたが、後にそれを理由にベトナムやイラクを攻撃。
現在の米国では、参加した兵士の中から毎日何人もの精神疾患で苦しむ人が続出。それに加
え、イラク攻撃では死者の70%は民間人(市民)でした。これがIS(イスラム国家)という欧米(日も
か)がおびえる組織を生みました。
米国の伝説的な経済学者ジョン・ガルブレイスの最後の遺言的著作も経済にとっての軍事=軍
産学複合体の有害性・危険性を指摘しています。
昨日の東京新聞だけで、これだけのことが示されています。(まだあるのですが、これくらいにし
ておきます。)
安部政治を放置したらろくなことはありません。
選挙で自民党・公明党などに投票した人も、今からでも遅くありません。今度は、民進、共産、社
民、生活、緑など、はっきり(または一応)安部政治に反対している政党に投票しましょう。
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