これまで外国為替相場がPPP(購買力平価)で落ち着くことはなく、むしろそこから乖離させる何らかの力(例えば国際資本移動、バンドワゴン効果など)が作用していることについて書いてきました。これについてさらに詳しい説明をする前に、ISバランスと貿易収支について書いておくことにします。
初歩のマクロ経済学でも次の式は必ず出てきます。
Y=D=C+I+G+(XーM) 有効需要の構成
Y=W+R 所得分配
Y=C+S+T 総支出の構成
上の式は、一国(ここでは日本としておきます)の総生産=総需要(有効需要)の構成を示す式です。通常、企業は売れるという見込み(つまり有効需要の期待)のもとに生産します。したがって消費財に対する需要C、生産財に対する需要I、政府支出から生じる需要G、純輸出(XーM=外国からの純需要=外需)を合計したもの(D)が総生産(Y)に等しくなるはずです。ただし、企業は有効需要を見込んで生産するといっても、企業の期待(事前)と実際に生じた需要(事後)とは正確に一致するわけではありません。しかし、例えば企業が需要を見込んで生産した量が実際の販売量より多くなった場合、在庫が増えてきますので、企業は在庫をあまり増やさないように生産を抑制するでしょう。逆の場合は、逆です。したがって正確には上の式に在庫の変動を加えなければなりませんが、現在の経済学では普通在庫変動を投資(I)の中に含めています。
下の式は、中段の式が示す総所得(Y=W+R、つまり賃金と利潤)からの支出を示します。Cは消費財の購入のための支出、Tは政府に対する納税、Sは残差(つまり貯蓄)です。
上の式と下の式から次の式が導かれます。
SーI+(TーG)=XーM
ここでは政府の活動を考えることが目的ではないので、簡単のため政府の収入と支出を捨象します。すると式はさらに簡単になります。
SーI=XーM (1)
この式は恒等式であり、ISバランス(SーI)と純輸出(貿易収支、XーM)が等しいことを示しています。例えば日本の場合、貯蓄額が投資額を超えています(SーI>0)が、それに対応して貿易収支(正確には経常収支)も黒字(プラス)となっています。これが意味するのは次のようなことです。すなわち貿易収支の黒字国は、その黒字額と同じ金額だけ自国の資金を外国に(net、正味で)移動させている(例えば中国に在外子会社を設立するため、米国の国債や株式を購入するため、外国の銀行に預金する、など)という事実です。これは貿易収支の黒字(赤字)に資本収支の赤字(黒字)が対応していることを意味しています。
さて、ここで2、3の点を補足して置かなければなりません。
・しばしば恒等式(1)を因果関係の式と読みかえて、右辺が原因で左辺が結果としたり、逆に左辺が原因で右辺が結果だと主張する人々(経済学者)が現れます。しかし、事情はそれほど簡単ではありません。例えば1997年にアジア通貨危機が生じましたが、危機を経験した東アジア諸国の多くがそれまでに経常収支の赤字(および資本収支の黒字)の状態に陥っていました。その原因は、これらの国々が資本流入を実現した(資本収支の黒字)からなのでしょうか、それとも経常収支(特に貿易収支)を赤字にしてしまったからなのでしょうか?
確かに1990年代に東アジア諸国は金融・資本移動を自由化し、資本流入をはかったことは間違いありません。しかし、これらの国はそれと同時に自国通貨安を避けるためもあり、高金利政策や米ドルとのペグ(固定化)策を取りました。その結果、東アジア諸国の輸出が不調となり、貿易収支(したがって経常収支)の赤字は拡大しました。その上で1997年に一撃(資本の流出・逃避)があり、これら諸国の通貨は大幅に減価しました(激しい通貨安です)。
これを見ても、経済過程はきわめて複雑であり、何らかの相互作用を伴う調整の結果として式(1)が成立すると考える他ありません。
・上で、XーMに等しい(純)資本移動があると言いましたが、実際の(粗)国際資本移動はそれにとどまるわけではありません。いまXーM=Ktとします。実際にはこれまで繰り返し説明したようにその何十倍もの資本移動が繰り返されています。いま日本から外国(日本以外の世界)への資本移動(流出)をKt+Kpとすると、外国から日本への資本移動(流入)もKpだけ行なわれていることになります。ただその差が純資本移動(Kt)となるだけです。その結果、取引される日本円と外貨の量は、外貨買い(日本円の供給)がM+Kt+Kpに等しくなり、日本円買い(外貨の供給)がX+Kpに等しくなります。もちろん、外貨の総供給(円に対する総需要)と円の総供給(外貨に対する総需要)は等しくなります。
M+Kt+Kp=X+Kp (粗取引)
XーM=Kt (純取引)
繰り返しますが、Kpがきわめて巨額であり、為替相場に大きな影響を与えているときに、純取引(貿易取引、貿易フロー)にのみ視野を限定することが如何に現実離れしているかを上の2式は示します。
・かくして為替相場を決めるメカニズムの輪郭が見えてきました。国際資本移動、特にポートフォリオ投資の大きな役割を無視することはできません。したがってまた、資本移動に大きく影響する利子率の役割を正当に評価する必要があります。ただし、それは利子率平価の理論とはまったく異なるものとなります。
ちなみに、もう一つ大きな見通しを述べておくと、国際資本移動に大きな影響を与える要因として「期待」(予想形成)があります。ただし、この期待もおそらく「合理的期待」ではないはずです。むしろケインズや行動経済学に大きな影響を与えた心理学者(カーネマン、トゥヴァルスキー)が明らかにしたような「不確実性」や非合理性にもとづく期待です。そこで多くの人々が誤った期待を持って行動した場合でも、「自己実現的予言」が成就する可能性が高くなります。例えば米ドルを購入する人々が大勢のときには、ドル高となり、ドル安を予言した少数派は市場から罰を受けることになりますが、それはバンドワゴン効果が働いたことを意味しています。その際、大勢のそのような行動が合理的だったかどうかは、どうでもよいと考えられます。
最後に蛇足ながら、一言。最近、ガソリン価格がまた高騰してきました。その理由は、もちろん、円安・ドル高にあります。私の記憶では、まだ大学に入学して間もないころ、1971年8月15日に「ニクソン・ショック」という事件が生じました。つまり、米国がドルと金との交換という約束を停止しました。そして、その前後からドル安が始まり、アメリカのインフレーションが亢進しはじめました。念のため申し上げますが、まだ石油危機の前のことです。日本でも、その頃からインフレーションが亢進しはじめました。私が月々に得ていた奨学金は増額されず、バイト代も据え置かれたので、学生生活が苦しくなったことを今でも思い出します。その後に、1973年の第一次石油危機が来ました。
今現在生じているのは、円安・ドル高による輸入第一次産品の価格上昇ですが、1970年代と異なって、現在では(ほとんどすべての国における政府の反インフレ政策のため!)費用の上昇を価格上昇や賃金引き上げによって切り抜けるという調整方法が難しくなっていることです。
たしかに円安・ドル高によって米国向けの輸出企業は販売量・(円建ての)販売額を増やすことができるでしょう。しかし、外国に起因するインフレーションの「デフレ不況効果」と(トヨタなど一部の企業の)輸出拡大の効果を天秤にかけたとき、どちらが大きくなるかはアプリオリに決まっているわけではありません。
R・ボワイエ氏(フランス)やストックハマー氏(トルコ)などの有力な研究によれば、外需拡大策は内需を拡大する政策に比べて効果(特に大衆の富みを増やす効果)が期待できないとされています。安倍さん、どうしますか?
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