3番目の点に移ります。
物価水準の変化(インフレーションやデフレーション)と経済(雇用、景気、所得分配など)は実際には、どのような関係にあるのか?
この点も経済学の歴史の中で長らく議論されてきた問題なので、いくつかの論点があります。ここでは、さしあたり、次のような論点をとりあげることにします。
1 物価水準の変化と景気・雇用の現実の歴史統計上の関係
2 物価水準の変化と賃金との関係を説明する理論
3 物価水準の変化と景気、雇用の関係を説明する理論
ここでは、以上のうち、さしあたり1を説明します。この理解なくして、抽象理論だけで現在の状況を説明することが不可能だからです。
比較的高齢者の人はご記憶にあると思いますが、戦後の世界では、OECD諸国全体では1970年代まで、日本では1980年代まで、インフレーションが生じ、同時に景気がよいという状態が続きました。インフレーションは特に1960年代末〜1970年代に亢進しました。しかし、その後に状況が変化し、インフレーションが抑制される(ディスインフレーション、または1997年以降の日本のようなデフレーション)とともに、成長率が低下してきました。(だからといって、すぐにインフレーションが成長率を高めると即断しないでください。)
このような長期にわたる変動は、どのように説明されるのでしょうか?
現在、最も説得的な説明は、フランス起源のレギュラシオン派によるフォーディズム(Fordism)の理論モデルです。これは簡単に言えば、1950年代〜1970年代初頭の「資本主義の黄金時代」には、フォーディズムという成長体制が成立していたが、1970年代に終焉し、1980年代に別の成長体制に席を譲ったという把握です。
Fordismとは何か? それは次の2つの側面を持つ資本蓄積体制とそれに応じた経済の調整様式です。
1 大量生産方式(主に「同一単純労働の反復」にもとづく大量生産様式)
これは自動車生産などで一般的であるが、可能か限りで他の産業でも採用された。またこれは作業を単純化するため、機械化を容易にし、それを通じて労働の生産性を飛躍的に高める。
2 労働生産性に応じた貨幣賃金の上昇(労働生産性インデックス賃金)
労働生産性に応じた貨幣賃金の上昇を許容することは、従来の敵対的な労使関係を協調的な労使関係に変えたが、それにとどまらず労働者の購買力を拡大し、社会全体の総需要を拡大することによって景気を刺激し、成長率を高めるという効果を有した。また最初フォード社が貨幣賃金を引き上げたとき、同者は欠勤、労働意欲の減退などの問題を解決するための費用を大幅に縮減することができた。
つまり、Fordismは、経済成長のための好循環を生み出したのであり、それに加えて、協調的な労使関係(社会制度)を生み出しのです。また黄金時代には、成長率が労働生産性の成長率を超えていたため、雇用(労働需要)が拡大して失業率が低下し、完全雇用に近い状態が生み出されたことも見逃せません。
ところで、この完全雇用はしばしが貨幣賃金を労働生産性の上昇率以上に押し上げるための制度的要因となりました。1970年代にインフレーションが亢進した一つの要因は、その点にあったと考えられます。
しかし、1970年代にインフレーションが亢進したもう理由としては、少なくとも次の2つを考えなければなりません。
1 Fordism の限界
一つは、Fordism が限界に近づき、成長率が低下してきたことです。これは国内の所得分配をめぐる対立(賃金と利潤をめぐる紛争)を促しました。つまり、労働生産性があまり上昇しなくなる中で、労働生産性の上昇を超える貨幣賃金の引き上げは利潤圧縮をもたらし、労働生産性の上昇を超える利潤の引き上げは賃金圧縮をもたらししたのです。
2 国際的な資源(第一次産品)価格
所得分配をめぐる対立は国と国との間でも生じていました。
1973年と1979年の2度にわたる石油危機を記憶している人は多いでしょう。その背景には、資源価格が(工業製品価格に対して相対的に)低下してきたという開発途上国にとって苦い事実がありました。石油の場合について言えば、セブン・シスターズ(国際石油メジャー7社)が産油国の石油採掘権と(秘密カルテルを通じて)価格設定権を支配し、産油国から低価格で買いたたき、輸入国で高く売ることによって莫大な所得・利益を得ていたのですが、このことは産油国がわずかな所得しか得られなかったことを意味します。
要するに、石油危機はこうした状態にあった産油国の反乱でした。
そして、これらの出来事によって、Fordism は1970年代に終焉を迎え、1980年代以降、資本主義経済はまったく別の時代に入りますった。新しい時代の特徴は、貨幣賃金を抑制することによってインフレーションを抑制し(ディスインフレーションと賃金圧縮)、利潤を拡大することにありました。成りもの入りで登場したレーガン(米国)とサッチャー(英国)のネオリベラル政策も(また遅れて実施された日本の小泉首相の構造改革も)それを後押ししました。
しかしながら、賃金を圧縮することは、労働者の所得を、したがって貨幣賃金からの消費支出=需要を抑制することを意味します。1980年代のOECD諸国の経済が景気拡張期にもあまり景気がよいという実感を人々に与えない理由は、一つにはそのことが大きく影響しているのです。
実際、このことを実証するデータには事欠きません。例えば米国の議会予算局の資料によれば、米国の99%の人の所得はこの30年間にほとんど増えていませんが、上位1%の富裕階層の所得は3.75倍に増加しています。
そしてそれに代わって登場したのが、金融主導型の成長体制です。1980年頃から所得が増加しないという状況の中で、庶民が消費を拡大することのできる唯一の方法は金融機関からの借金でした。実際、2007年の金融バブル崩壊までに米国の家計の借金は家計所得の一年分と同じにまで急増していました。言うまでもなく、このような借金を可能にした金融の仕組みこそ住宅バブル・金融資産バブルの組み合わせに他なりません。日本もその罠に入り込み、「失われた20年」を経験することになったことに注意しましょう。
以上のような歴史的変遷を理解せずに、新古典派の現実離れした抽象理論をこねりまわしても、何の役にも立ちません。しかし、現在の新古典派の現実離れした理論を批判することなしには現実を正しく把握できません。そこで、次にこのやりがいのない作業を行ないつつ、1980年代から何が生じたのかをさらに説明することにします。
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