2017年7月16日日曜日

安倍氏の経済政策の経済的帰結 13 金融資本主義/マネー資本主義は資本主義経済の本性

 安倍氏の経済政策の一つの帰結は、金融資本主義/マネー資本主義を煽ったことにある。
 日本社会は、1980年代末の資産バブル、1990年代初頭以降のバブル崩壊、度重なる金融危機、長期停滞(といっても成長率が1980年代よりは低かったとしても、いまよりははるかに高かった)、不良債権処理、失業率の上昇、非正規雇用の拡大、名目賃金の低下、等々の出来事に見舞われ、すっかり自信を失ってしまったようである。
 本来ならば、(1)資産バブル→金融危機(金融崩壊)の要因、(2)実体経済の毀損(賃金低下、高失業、非正規雇用拡大など)の要因をきちんと分析し、生来にむけてきちんとしたビジョンを提示しなければならないはずである。
 ところが、そうはならず、相も変わらず、金融資本主義/マネー資本主義の幻想にとらわれ、金融資本主義をすすめることが実体経済の成長を促進すると信じている人が多い。国民にビジョンを提示するべき政治家の中にもそのような人は多くいる。安倍首相もその一人である。
 一体、どうして金融資本主義の幻想にとらわれてしますのだろうか?
 それに答える前に、イソップ寓話から「サソリと蛙の話」を紹介しておこう。それは、こんな内容である。 

 サソリが川岸で蛙に出会い、背中に乗せて向こう岸まで運んでと頼んだ。「でも君は僕を刺すんじゃないか?」と蛙が言うと、サソリは「そんなことをしたら、二人とも沈んでしまうよ」と答えた。そこで蛙はサソリを背中に乗せて川を渡りはじめたが、川の真ん中まで来ると、サソリは蛙を刺した。「どうしてそんなことをするんだ! 二人とも死んでしまうじゃないか」と蛙が言うと、サソリは答えた。「しかたないんだ。それが僕の性質(本性)なんだ。」

これは、米国で金融資本主義/マネー資本主義を研究している人たちの間では知れ渡っている寓話だが、まさに上記の問いに対する答えとなっている。金融資本主義は、いかに有害であっても、
資本主義社会(生産様式)から取り除くことが難しく、その上、実体経済に害を与える「性質」「本性」(nature)のものである。すなわち「貨幣愛」や「強欲」に根を持つ金融資本主義は、歴史上、繰り返し台頭するが、それが暴走し危機におちいると、金融資本主義を支えている実体経済も沈没し、ともに崩壊の危機を迎える。
 資本主義は、こうしたやっかいな性質を持つにもかかわらず、それを抑制するのが困難である。これがヴェブレン、ケインズ、ガブルレイス、ミンスキーなどの一致した結論だった。
 実際、戦後しばらくの間、つまりまだ戦前の悪夢を知っている人たちがいた頃は、金融資本主義はかなりの程度に抑制されていた。しかし、それを解き放ったのは、米英の政治家たち(レーガン、サッチャーなど)である。もちろん安倍首相をはじめとして、現在の保守政治たちはその影響から解き放たれていない。
 その上、金融資本主義の利益関係を持つ人たちは、マネーの力を持つがゆえに、政治家に対して多大な影響力を行使することができる。とりわけ保守派の政治家たちが選挙前には有権者に対して低姿勢でありながら、選挙が終わってしまえば、サソリのように国民を刺すのは、そのためである。どの国でも「金権政治」(plutocracy)はややもすると「民主主義」のように見えてしまうという性質を持っている。
 このことを米国人は現実から学んでおり、よく理解できるようだ。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿