2017年7月21日金曜日

安倍氏の経済政策の経済的帰結 19 焦点は安倍・黒田後のことに

 アベノミクスの限界、「物価2%」6度目の先送り、黒田日銀での達成断念。
 
 今日(7/21)の東京新聞一面の見だしにはこのように書かれている。
 黒田総裁は、「デフレ心理が根強く残っている」とし、物価の伸び悩みは企業が商品・サービスの値上げや賃上げに慎重なためと繰り返した、そうな。また短期金利をマイナス0.1%とし、長期金利を0%に抑える現行の金融緩和策を据え置き、という会見のポイントも示されたようである。

 このような「リフレ論」が効果をあげることができない理由は、再三指摘してきたので、ここでは多くを繰り返さないが、「物価2%」目標について、あらためて次の2点を指摘しておきたい。

 1,もはやお題目とかした「物価2%」だが、これがアベノミクスの目標全体にとってどういう位置づけになるかを考えてみよう。安倍氏は、政権につくにあたって「長期停滞」「デフレ不況からの脱却」を政策目標としてあげていた。しかし、1990年代初頭からの日本の実質成長率は平均しても1%を超えていた。もしそれを「不況」と規定し、それを超える成長率、例えば2%ないし3%の成長率をターゲットとするならば、それは物価2%プラス実質成長率2ないし3%で、名目4%~5%もの成長率を目標としたことになるだろう。
 かりに低めに4%の名目成長率を実現していたとすれば、2013年初から2017年末の5年かにかけて、実に22%の国民粗所得の上昇をもたらしたことになる。もし賃金がそれと比例して増加したら、月収30万円の水準が36、7万に上昇したことになる。5%の名目成長率なら38万円を超える。これはすばらしいパフォーマンスというしかない。確かに安倍氏は「アベノミクスによって歴史に名を残す」ことになったであろう。
 もちろん、現実はミゼラブルであり、物価上昇のほとんどは、消費増税と輸入インフレによるものである。しかも、それらは両方とも、国内家計の可処分所得を減少させる方向に作用させるものであり、その限りで、またその程度におうじて成長にとってはマイナス要因である。これまで述べたことの繰り返しになるが、輸入インフレがなぜ国内家計の可処分所得を減少させるかと言えば、輸入インフレは外国商品の価格の上昇を意味し、それはとりもなおさず、日本人の支出増による外国人の所得の増加を意味する。
 このような輸入インフレによる可処分所得の減少は、かつて1970年代の石油危機に際してもっとも激しく生じた。それは、原油価格の激しい上昇を通じて、石油輸入国の可処分所得を2%ほど引き下げる結果をもたらした。その結果は激しいデフレ効果である。もちろん、石油輸出国では逆の効果が生まれたことは言うまでもない。
 ともあれ「物価2%」・「所得4%」という数字は、夢のまた夢というしかない。「黒田殿、ご乱心めされるな」とでも言いたくなうような数字、殿の正気さを疑わせるに十分な数字である。

 2,しかし、黒田氏は言うかもしれない。それこそ「デフレ心理が根強く残っている」ということに他ならない、と。また黒田氏は次のように考えているかもしれない。自分は絶対に正しい。間違っているのは、企業、家計(個人)の「期待」や「心理」であり、その心理さえちょとと変わるだけで、事態はよくなるはずだ、と。またこうも考えているかもしれない。人々(企業や個人)の正しい「期待」形成を邪魔するような経済学者が悪い、と。その場合、言うまでもなく、私のような人は悪い経済学者に入れられてしまうだろう。
 これは私の勝手な想像であり、そうではないかもしれないが、もし黒田氏がそう考えているとしたら、合理的な「期待」の形成を阻止する大きい力を一部の経済学者が持ったことになる。
 しかし、思い返してみると、2013年には、マスメディアでは、アベノミクスがどのような経路を通じて経済をふたたび力強く成長させるに到るかを解説するエコノミストたちが大活躍していた。彼らは、マスコミに登場することもなく、日影で活動していた経済学者よりはるかに人々の「期待」に影響を与えることができたはずである。しかるに、人々の「期待」が変わることはなかった。なぜか? 
 人々は、金融の領域における政策はそれだけでは「所得」「賃金」という実体経済の領域における制度・環境を変えることがありえないということを経験から感覚的に知っていたからである。家計が「デフレ心理」を抜け出すこともなく、消費を拡大することもなかったのはそのためである。他方、企業はそのような人々の心理と行動を織り込んで、経営を行い、賃金を決定する。たしかに、業を煮やした安倍首相の要請にもいったんは応えた。しかし、背に腹は変えられない。「その他の事情が同じならば」(other things being equal)、利潤の縮小を意味する賃金の引き上げなどにはそうそう簡単には応じられないからである。また賃金の引き上げを余儀なくさせるような力(例えば労働組合)も著しく弱い。こうして賃金所得が増加しないから、人々は(実質)消費を増やすこともない。かくして人々の「デフレ期待」が再生産される。

 さて、幻想は幻想にしかすぎないことが多くの人に知れわたってしまった。裸の王様は裸だということが広く知られたのである。
 安倍首相も終わり、黒田日銀も終わる。だが、その後に何が来るのであろうか?
 現在日本の経済政策をめぐる焦点はそこに移りつつある。 
 そして、その際、アベノミクスが終われば、それでよしというわけではない。その負の遺産が残されているからである。


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