2017年7月24日月曜日

安倍氏の経済政策の経済的帰結 21 ポスト・アベノミクスを考える

 例え話しをしよう。
 いま人が道を歩いており、途中で道を間違えたことに気づいた。どうするべきだろうか? 一つの方法は、来た道を引き返して正しい道にまで戻ることである。これは着実だが、時間も労力もかかる。もう一つは、いまいる場所から目的地に到着する経路を探すことである。これは時間と労力を省くかもしれないが、迷う可能性も高い。またもう一つ、これまで来た道を歩き続けることもありうる。さらに、現在の場所にとどまるという選択肢もありうるかもしれないが、「不思議の国のアリス」ではないが、一箇所にいるためには、走り続けなければならないというのが、資本主義経済の一つの特徴である。(これについても、以前ブログで説明した。)

 もう一つの例え話しをしよう。日本経済は病気にかかっていると考える。「日本病」(Japanese disease)となづけておく。病気といっても軽いものから重篤のものまで様々だが、かなり重篤ということにしておこう。
 この重篤患者には、これまでも様々な種類の治療が試みられたが、どれも効果がなかった。ところが、ある医者が現れて、それらすべての治療法をミックスし、しかもそれまでの治療とは「量的・質的に異次元」の治療をすればなおるかもしれないと考えて、治療を行った。抗生剤などの投薬量は格段に増えた。しかし、医療の現場ではよくあることだが、従来の長期にわたる治療薬の投与のせいで、効果はなくなっており、耐性菌がうまれていたため、副作用だけが拡大してしまった。
 例え話しはあくまで例え話しでしかないが、あえて比喩的に言えば、日本経済の現状は上のようなものだろう。
 
 ところで、金子勝・児玉龍彦『日本病』(岩波新書、2016年)は、まさに日本の経済社会が「日本病」にかかっていることを示した本だが、学ぶべきことが多い。
 その中でも「エピゲノム」という生化学上の概念からの類推(アナロジー)を用いて、日本経済の特定方向への迷走を示していることが興味深い。複雑系に属する経済や経済学の世界では、従来もしばしば生物学からの類推によって複雑な経済社会の動きを説明するこがよくあったが、たしかに経済と生物という複雑な有機体には共通性がある。
 さて、エピゲノムであるが、それは生物個体の発生に関連している。生物学では初歩的なことだが、人の身体は数十兆個もの細胞からできており、その一つ一つに核DNA(X染色体とY染色多)や複数のミトコンドリアDNAが含まれている。そこには遺伝情報が書き込まれている。
 しかし、不思議なことに、人は最初の一つの細胞(受精卵)から細胞分裂を繰り返して、複雑な有機体を構成するに到る。最初の細胞は、出発点となる「万能細胞」である。しかし、不思議なことに、細胞分裂を繰り返すうちに、ある部分は(例えば)胃となり、他の部分は骨となり、心臓となり、肺となり、その他諸々の臓器などになる。
 これは細胞分裂を繰り返す中で、特定の細胞にはその細胞の分裂の履歴(記憶、情報)が書き込まれており、その履歴情報にしたがって次の分裂時の、その細胞の位置づけ・機能が決定される。胃が胃となるのは、こうした制御系(エピゲノム)のおかげである。

 実は、現実の経済世界でも、このエピゲノムに類似した機能が大きな役割を果たすと言えそうである。つまり、現実の市場経済(資本主義経済)では、いつでも同じ環境がずっと続いているのではなく、様々な履歴情報がどこかに記憶されており、それが次の経済状態(状態、秩序、レジームなど)を生み出すと考えられる。
 こえと関係している系論(コロラリー)は次のようなものである。
 それは、経済社会は、こうした履歴情報によってしだいに、または(時には)急速に変化してゆくが、必ずしも好ましい方向にゆくとは限らないことである。生物体でも、エピゲノムの状態しだいでは「死」を導くことがありうるように、経済社会が破滅的に方向にむかって進むこともありうる。実際、特定の経済社会が比較的長期にわたって、特定の方向にむかって、「破滅」に到るまで進みつづけることは、しばしば見られたことである。これは、従来の制度派経済学の「経路依存」(path dependency)と関係づけられるようにも思われる。

 しかし、例え話しや類推をいくらしても、あまり意味がないかもしれない。
 一つだけ、現実の経路をできるだけ簡潔に説明しよう。
 1980年代、米国のレーガン新自由主義政策、特に高金利政策によって米国はドル高を招来してしまった。米国への国際資金フローとともにドル高・円安が生じ、(当時の状況では)ドイツと日本の輸出攻勢を招いた。米国から見ると、資本収支の黒字、貿易収支の大幅赤字である。このとき、レーガンは、日本経済社会の閉鎖性が米国製品の輸入ブロック、資本移動ブロックをもたらしているというシナリオを武器に、日本に金融・資本移動の自由化を強要した。
 しかし、これが1980年代後半、とりわけ80年代末の「真性バブル」を惹起したことはよく知られている通りである。そして、それが1990年代の金融危機を発生させてしまった。この時、銀行は大量の不良債権をかかえたため、その処理に追われ、大企業も利潤の相当部分を不良債権の処理に使用しなければならなくなった。この記憶は、よくもあしくも、まだ日本社会に残っている。その処理が最終的に宣言されたのは、2006、07年頃である。
 しかも、1990年代には、賃金を圧縮・抑制することによって国際競争に耐え、利潤を拡大し、(企業の国際的買収に備えるためにも)企業の内部留保を増やそうという指向が強まっていた。だが、個別企業の観点から見れば、それでよいとしても、それは社会全体として経済の萎縮をまねく方策にすぎない。また、この間、所得税の限界(最高)税率の引き下げ(富裕者優遇策)、法人税の減税(大企業の優遇策)が実施され、政府歳入の低下をまねき、政府粗債務の雪だるま式の増加をまねいたうえ、今度は健全な経済発展を疎外している財政悪化をなくし、「財政健全化」を達成するためという理由づけ・名目で消費税増税が行われた。それが、いっそう有効需要を圧縮し、経済社会全体の萎縮を招いたことはいうまでもない。

 本来なら、ここで来た道を引き返すか、別の方向に転換するべきだっただろう。
 しかし、ここでアベ政治と「アホノミクス」が始まってしまった。それは、従来試みられてきた政策を、拡大された規模で実施するものであった。
 1、異次元の金融緩和
 2、消費増税、プラス 法人税の減税
 3、円安による輸出指向、だが逆に貿易収支の赤字が拡大した
 4、円安と対になっているドル高による輸入インフレ、家計を直撃
 5、雇用流動化 これらは「一億総活躍社会」や「働き方改革」といった耳ざわりのよい言葉で飾られているが、人々の総動員を指示するものである。
 6、主に消費増税によって歳入が増加したため、政府の国債発行額は減少している。したがって一見すると、必ずしも俗にいう「ケインズ政策」(赤字財政の拡大による政府支出の拡大)を実施していないように見える。しかし、社会保障費が抑制される一方で、軍事費は拡大している(軍事ケインズ主義)。そもそもこれがアベ政治のめざすところであろう。
 
 しかし、その帰結(パフォーマンス)は、すでにこれまで示してきたことだけからでも明らかなように、お寒い限りである。人々の実質所得(賃金所得)は増加しておらず、家計はまったく潤っていない。会社の内部留保は、マイナスGDPの年にさえ増加してきた。

 しかも、この4~5年間のアベノミクスによって大きく変化したため、問題はもっと深刻になっている。
 それは日銀が国債を400兆円以上も保有し、また日銀とGPIFが日本における最大の株式保有者となって官制相場を生み出したということである。しかし、GPIFと日銀がどんなに頑張っても、世界全体の投資家の株式売買額、保有額にはかなわない。海外投資家は、やすい時に株式を購入し、日銀やGPIFが官制相場を生み出して株価を高めても、純利得を得るために売却する力を有している。それは株価を大きく下落する力を持つ。
 こうして政府、公的年金基金、日銀があぶないカジノ取引に精を出し、一生懸命にアホノミクスの宣伝にやっきになっている。
 一方、労働側の状態を制度的に改善するための方策は、取られていない。むしろ、残業代ゼロにみられるように逆となっている。

 しかし、悲しいことに、こうした状況を前にして、政治家や経済学者、企業者がすべて全体を見渡す力を持っているわけではない。また企業者はそうした力を持っているとしても、個別企業の経営者として社会全体のために行動しようとはしない。それは自殺行為である。
 また情報履歴の点から見ると、人々は、通常、自己に関係する部分の履歴情報を持っているにすぎない。また人々は、ほぼいつも「他の事情が一定ならば」(other things being equal)という仮定を自明のものとして、自分や自分の周囲を観察している。もちろん、こうした状態からは、いま歩いている道が誤っているという結論が自動的に出てくるわけではない。

 一つの可能性は「破局」がつづくまで、歩みつづけるというものである。ある人が述べたように、「希望的観察」を現実と考え、現実を見ないようにする、わが農耕民族の性質がわざわいしているという見方に立てば、その可能性は低くないといわざるを得ない。
 ただし、この「破局」がどのようなものとなるかを、正確に予測することはできない。そもそも社会をなす人々の行動は不確定であり、社会の将来は不確実である。
 もう一つの可能性は、主導的な立場にあるリーダー(知識人、政治家)が「日本病」を正確に診察・理解し、大きい影響力を発揮して、人々に代替の道を示し、それを有権者が受け入れることである。



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